2008年08月02日

『海はゴミ箱じゃない!』(眞淳平/岩波ジュニア新書)

毎日のように由比ガ浜を歩いていて本当にゴミが多いと感じる。
海草に混じって、ポリ袋、空き缶、使い捨てライター、魚網、発泡スチロール容器…。
由比ガ浜は今「海水浴場」シーズンだから、毎日「回収」「清掃」され、それでも少ない方なのだ。
江ノ島の片瀬海岸東浜では海岸清掃用の特殊車両が毎日のように早朝活動している。


7月に刊行された『海はゴミ箱じゃない!』(眞淳平/岩波ジュニア新書)を読むと、日本中の海浜と海底がゴミ箱のようになっていることがわかる。

「世界自然遺産」に指定され国立公園特別自然保護地区として厳重な管理下にある北海道知床の海浜は、日本海の対馬海流に乗り、宗谷海峡を抜けて回り込み、親潮に押し流されて漂着した大量のゴミが堆積し、その上をヒグマが歩いている。

沖縄西表島の美しいマングローブの汽水域には満潮で押し上げられ引き潮でひっかかった発砲スチロールのフロートやペットボトルなどが散乱する。

閉鎖性の強い瀬戸内海は底引き網を上げるとゴミだらけ。

海浜の人工ゴミの8割は様々な流れに乗って漂着するもので、回収しても切りが無く、数十年前こんなことは想定されていない時代に作られた法律のもとで行政も効果的な手を打つすべも財源もない状況が続いている。

これらのゴミはどこから来るのか。
ほとんどが街から川へ流れ、海へ、そして打ち上げられるもの
なのだ。
川辺での不法投棄物が流されるというようなものもある。
山奥から発した川はすべて海に注がれる。
だから海に面しない内陸の街や人たちも無関係ではまったくない。

国内だけでなく、台湾、中国、韓国などからのものもたくさん。

遠い南の島から打ち寄せられたヤシの実に叙情を感じているような時代ではもうなく、危険なものも少なからずある。
集魚灯、蛍光灯、危険物が入ったポリタンク、注射器等々。
覚醒剤が残った注射器も見つかっている。
今年1月から3月にかけて、沖縄から北海道までの広範な海浜に、海苔養殖などで使用する硫酸、塩素系漂白剤など取り扱いが危険な薬剤が入った4万個にものぼるポリタンクが韓国から流れ着いた。
これらは善意の素人が安易に回収・廃棄できるものではない。

木の枝や海草類など自然に還るものはいい。
人工ゴミの中で一番やっかいで、由比ガ浜でも目立つのがプラスチックだ。

「国際海岸クリーンアップ(International Coastal Cleanup)」(ICC)が1990年に日本でも始められて以来2007年までのデータを総計すると、回収されたゴミの8割がプラスチックなのだ。

プラスチックは石油を原料として人工的に合成された高分子物質。
軽くて強い、腐ったり錆びたりしない、絶縁性に優れている、着色が容易、大量生産・加工が可能なため、20世紀最大の発明のひとつといわれ、『生きのびるためのデザイン』『地球のためのデザイン』などで知られるナチュラル・デザインのヴィクター・パパネックでさえ期待を寄せてしまった。

プラスチックといっても種類は多種。
レジ袋などに使われるポリエチレン(ポリ袋)、食品トレイなどのポリスチレン、カップ麺などの発泡ポリスチレン、ペットボトルなどのPET=ポリエチレン・テレフタレート、ダイオキシン問題で知られるようになった塩化ビニール等々。

現代の私たちの生活の中で、電化製品、日用品、食品容器、包装などから住宅建材、乗り物、産業用資材にいたるまで、プラスチックは広く奥深く入り込んでいる。

この半世紀でのプラスチック生産の急激な増加は驚異的だ。
   
1960年(日本) 55万t(世界全体)530万t
1980年(日本) 750万t (世界全体)6000万t
2007年(日本)1300万t (世界全体)2億万t

プラスチックは埋めても焼却しても自然には還元しない『人類が消えた世界』にも記されていたように何千万年かかけてプラスチックを自然元素に還元できる微生物が進化でもしない限り)。
これまでの通算で30億tを優に超えるプラスチックが生産され、海を含む地球環境にばらまかれている。
こうした生産ー消費ー廃棄の変化が「30年前には考えられなかった」ような大量な還元循環不可能なゴミを産みだしているのだ。

海へ流れ込んだプラスチックは生態系にも深刻な影響を与えている。

直接の場合もある。
ウミガメの胃の中から出てきたプラスチックゴミの集積、コアホウドリという海鳥のヒナ3羽の胃の中にあったプラスチック類の写真は衝撃的だ。

砕かれ微細となった無数のプラスチックは回収不可能であり、1000分の数ミリというプランクトンにも吸収されている。
プラスチックを吸収した植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、小魚がそれを食べ、大型の魚や海洋性哺乳類や鳥が食べ、ヒトがそれらを食べる連鎖のなかで、排出されないプラスチックや、まだ判明していないものも含めてプラスチックに吸着した生殖不全を引き起こす環境ホルモンが濃縮される。

日本は国内ゴミにより自分で加害者であり被害者であり、海外からのゴミの被害者であるとともに、同時に海外への加害者でもあることも知らねばならない。

日本国内から海に押し出されたゴミは海流に乗り、はるかハワイ諸島のミッドウェー環礁などに流れ着く。
上に述べたアメリカの研究者から提供されたコアホウドリのヒナ3羽の胃の中からは、80個以上のプラスチックゴミが出てき、合成洗剤やマヨネーズのフタ、サインペンなど多くの日本製品が検出された。


羅臼沖海底のゴミの山、ペットボトルのフタを「宿」にするヤドカリ、河口のゴミのため遡上できないまま死んでいく鮭、ゴミを避けながら浜にあがり、月明かりではなく海沿い道路の自動販売機の明かりをめざしてしまうウミガメ、魚網がからみついたウミガメやアシカ、深海探査船「しんかい6500」が水深6270mで撮影した海底のマネキンの首の写真などをみながら、何を知り、何をすべきかを考えるためにー


JEAN/クリーンアップ全国事務局
散乱ゴミの調査・クリーンアップを通じて海や川の環境保全をおこなっている環境NGOサイト。
漂着ゴミに関する情報、全国200カ所以上で行われる国際海岸クリーンアップ(ICC)の案内やデータ、豊富なリンク。

かながわ海岸美化財団
サイト内の「ボランティア清掃カレンダー」というコーナーで、神奈川県内の海岸清掃活動を紹介。
また自分たちのグループで清掃しようとする際に、道具の貸し出し等サポートもしてくれる。


『海ゴミー拡大する地球環境汚染』(小島あずさ・眞淳平/中公新書)
『プラスチックの海ーおびやかされる海の生きものたち』(佐尾和子・丹後玲子・根本稔編/海洋工学研究所出版部)

8 2, 2008 14.読書三昧, 28.それってどうなの鎌倉, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年07月20日

「それでEAT思うかい?-日本の食-」デザイン学科生たちの発表イベント(7/23-24 日本橋人形町)

私の教えているところ(多摩美術大学造形表現学部デザイン学科)の3年生の4名が、「日本の食」の問題に取り組み、さまざまなイベント、ワークショップ、発表を行う。

「農」を軽んじ「工」を優先させた結果、「先進国」中、類をみない食糧自給率の低さにおちいっている日本で、必要カロリーの国内自給率分=996キロカロリーで過ごしてみる生活体験の記録映像とブログ、「見て驚く! 面白い!! 畑からやってきた野菜の展示!」「新鮮な産直野菜の試食」(協力:パルシステム)
「紙芝居で分かりやすい世界からみた日本の食料事情」
「アニメーション、アリとキリギリスから考えよう」
など盛りだくさん。

ぜひ行ってみてください。


イベント展示会
「わたしたちの食自由研究ーそれでEAT思うかい?日本の食」

●7/23(水)-24(木)
 12-19時(入場18時半まで)入場無料

●会場 
 SPACE/ANNEX
 東京メトロ人形町駅A5出口より徒歩1分

それでEAT思うかい?ウェブサイト

7 20, 2008 19.食と農、健康と病, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年01月10日

こんなところの福田首相

国際的環境市民団体「AVAAZ.org」(Avaazはヒンディー語、ウルドゥー語、ファルシー語、ボスニア語、トルコ語、ネパール語、ダリー語を含む数言語で「声」または「歌」を意味する)が、昨12月、バリでの気候変動に関する国際会議に際してインドネシアの新聞に出した意見広告。

映画『タイタニック』ポスターを模して。
ブッシュ米大統領、カナダ首相と並ぶ堂々主役3名のひとりに「どれも他人事」「特になにもしない」「鼻先で笑う」のが他に類をみない個性的演技と評される日本国福田首相。

政府間パネル(IPCC)報告に基づく、気候危機を回避するのに必要な削減交渉でイニシアティブを発揮すべきこの3名は削減案を拒否。


「彼らは達成目標を明確にしようとしない」
「氷山など無い、が世界的な惨禍は近づいている」

「しかし世界は屈しはしない」
「私たちはアメリカ、カナダ、そして日本に対して2020年の削減達成目標の一切の引き下げを認めない。世界中のその他の人々もそれ以下になることを拒否する」


もっとも重要な国際的政治課題となった地球温暖化、気候変動問題に関して、「京都議定書」開催・締結国でありながら、すでに日本は世界の中ではアメリカに追従する最大の「抵抗」「反動」勢力の主役のひとりとみなされている。

1 10, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月21日

古新聞で絵本づくり

この間やっていた3年生のゼミ(ここでも「『不都合な真実』をデザインする」を共通テーマとしている)での北村みなみさんの作品。

彼女は「紙」に着目していたのだが、11月の上野毛芸術祭で、世田谷中から3日分の売れ残り新聞紙を集め教室に積み上げ展示した。
重量は2トンにもおよんだ。

いっぽうで彼女はとてもユニークなイラストを描き続けている。
そこで、古新聞にそれをプリントして絵本を作る、ということを試みた。

バックとなる新聞の紙面はひとつずつ異なるので、同じイラストを使ってプリントしてもそれぞれ一点モノの絵本となる。

作家の高橋源一郎氏は、バッハの音楽を流しながらスポーツ紙の風俗広告を、ジャズに乗せて会社四季報を朗読したりしているが、なにかそれに通じる面白さがある。

上はTV欄、下は株式欄にプリントされたもの。
妙にマッチしたり、対比になったり、あまりの違和感がおかしかったり…。

けばけばしい見出しのスポーツ新聞や夕刊紙、英字新聞などを使ってもおもしろいかも。

12 21, 2007 07.デザインの世界, 11.教育と学びのデザイン, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年11月23日

『いのちの食べかた』を観る

私たちヒトは、すべて植物や動物という他の「いのち」を日々食べることによってしか生きていけない。

にもかかわらず、私たちはこれらの「いのち」が現在どのように育てられ、「収穫」「屠殺」「加工」され「食品」となってスーパーやコンビニの店頭に並ぶのかほとんど何も知らない。

生きている牛や豚や鶏はもちろん知っている。
しかしそこからパッケージされた「牛ロース300g」や「豚バラ肉200g」などになるプロセスを、繰り返すがほとんど何も知らない。


オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督・撮影のドキュメンタリー『いのちの食べかた』(原題『Our Daily Bread』日々の糧)をイメージフォーラムシアター(渋谷)で観る。

ここで撮し出されているヨーロッパの大規模な農畜産漁業の姿には、明るい草原でのどかに草を喰む牛とか、丹誠こめて作った作物を純朴そうな農家の娘が嬉しげに収穫するなどという私たちがなんとなく希望的にイメージする牧歌的な光景など微塵もない。

たとえばフランスやイギリスの田舎あたりでは今でもよくあるだろう、週末の猟で仕留めた兎や鹿を庭でさばいて軒下につるし、裏庭で育てた野菜やハーブを採り、川や湖で釣った魚をおろし、来客のためにジビエ料理やシチューの準備をするなどという暮らしのあり方、作物を育て世話をする手間苦労と楽しみ、収穫の喜び、大地の恵みへの感謝の気持ち、あるいは家畜とともに暮らし、やがて手放したり殺したりするときの哀しみなどの人間的感情の一切入り込む隙間もない対極にある「生産性・経済性第一」の工業的光景がここには拡がる。


モノカルチャーの大量農作物育成と生産性第一のやり方は自然に反するために必ず無理を生じ、さまざまな農薬や化学肥料を必要とする。

種子を採るための広大なひまわり畑にぶ~んと複葉機が飛んでくる。こちらに向きを変えた瞬間、農薬(短期で種子を収穫できるようにするための枯凋剤)の猛烈な散布が始まり、カメラに向かって白粉が拡がり、観ているわれわれも全身にそれを浴びる。

防毒マスクを着けた完全装備のスタッフに半自動化された散布機で農薬を浴びせられるトマトたち。
巨大な温室のなかのパプリカは自然の土ではなくパッケージ化されたロックウールにコンピュータ制御された養液を注入されて実る。レール自走式の農薬散布と収穫。
まるで奴隷のように実って嬉しいだろうか、きみたち…。


見たこともないような機械やシステムが出てくる。

クワガタのような先端を持つマシンがアーモンド畑を進む。
なんのためになにをしようとするのか。
やがて太い幹を抱え込む。
次の数秒間、いや十数秒だろうか、強烈な振動が樹に加えられ、実がこぼれ落ちる。
電気ショックによる拷問のよう。
おもむろに後続のシャベルカーが現れ実を取り込む。

地上に降り立ったUFOが扉を開けるときのように、キーンという音とともに車から長いウィングが畑に全開する。
一斉に農薬散布。

ピッチングマシンのようなもので次々にベルトコンベアにほうり込まれるヒヨコたち。
雌牛が眼の前にいて発情しても実際の交配などさせず人工膣で精液を人工授精用に「横取り」される雄牛。
遡上してくる鮭の群れは網などでは採らない。巨大な真空ポンプでチューブに吸い上げられる。
職人が3枚におろすなどという悠長なことはしない。
ベルトコンベアに「セット」された鮭はマシンによって自動的に腹を割かれ、内蔵はチューブで瞬時に吸い取られ次の「工程」に送り込まれる。

映像は撮されている内容・意味と対照的にとてもアーティスティックで美しい。
ただしナレーションもテロップもBGMも一切ない。
すべて実音のみ。

機械に押しつけられる子豚の悲鳴、額に電撃ショックを与えられ崩れ落ちても心臓はまだ動いている今際の際(いまわのきわ)の牛の息吹き、逆さに吊された牛の血や胃液の流れ落ちる音、何万羽という鶏の鳴き声、さまざまな無機質で規則的なマシンやベルトコンベアの音、わずかに異国からの出稼ぎ労働者仲間の昼食時のアラビア語会話…。

コンベアで流れてくる臓物を淡々と処理する、あるいは豚の脚先を黙々と切り取るなどの作業をしていた女性が、サンドイッチのランチを孤独に無表情にあまり旨そうにではなく食べる姿が哀しい。


私たちが、日々恩恵を(やむを得ずではあれ)受けながら、目を逸らしている「食」の大元の現実がここにある。


「食とはいのちの矛盾を咀嚼することでもある。これは欧米も日本も変わらない。生きとし生けるものの業であるこの矛盾を、僕たちは整合化してはならない。矛盾は矛盾として受容せねばならない。端数を四捨五入してはならない。忘れないこと。意識におくこと。目をそむけないないこと。凝視すること。
そのためにこの映画はある」(森達也)


映画『いのちの食べかた』サイト

『いのちの食べかた』(森達也・理論社よりみちパンセ)の過去記事

11 23, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 19.食と農、健康と病, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年09月20日

「”不都合な真実”をデザインする」ークライアントは地球

全学年向けの特別講演会。
4月から取り組んでいる「不都合な真実をデザインする」をテーマに、専任教員が話し、映画『不都合な真実』のダイジェストも観せる。

以下は私が作ったフリップから。


アル・ゴアは著作『不都合な真実』のなかで、
学生のころから30年以上取り組んできた地球温暖化の問題が
もうのっぴきならないところまできていることに警鐘をならし、
しかし私たちにはまだ解決の方向があることを示しました。

ゴアのスライド講演に接して感銘を受けた映画プロデューサーたちは、
講演では数百人にしか伝えられない、
この問題は何百万という人々に伝えたい
と映画『不都合な真実』を作りました。

私たち多摩美術大学(上野毛)デザイン学科の教員たちは、
これらの問題の解決に
私たちや学生たちが身に付けつつある
「デザインの力」を活用したいと考えています。

私たちが「デザインの力」を使ってとりあげるべき『不都合な真実』は
地球温暖化の問題にかぎりません。

核・戦争・難民・宗教対立・民族紛争・テロ
人口爆発・饑餓・水や食料不足・砂漠化・疫病
などの大問題から
身近なゴミやコンビニ袋の問題まで

わかってはいても
便利さや効率や安価さを優先してしまう生活スタイル、
科学技術が発達すれば解決できるのではという楽観、
誰か専門家が取り組んでくれるだろうという非当事者意識、
どうせひとりでは何もできないという諦め、
明日やればいい、と次の世代にツケを先送りする無責任、

これに類するすべてのことがらが
デザインの対象となる『不都合な真実』です。

20世紀のデザインは、大衆社会化・工業社会化のなかで、大量生産・大量消費・大量廃棄、利潤追求に寄り添うかたちで進展し、世界のさまざまな否定的側面にはなるべく関わらないようにしてきたといっていいでしょう。

もし「デザイン」ということの目的が
人々のほんとうの意味での幸せに資することであるならば、
21世紀、これからのデザインを担う若い人々には、
これらの問題に正面から向き合い、
クリエイティブな力を発揮してほしいと願います。

映像もアニメーションもウェブもポスターも
パンフレットも絵本もあるでしょう。
わかりやすいダイアグラムやエコプロダクツ、
警鐘に応える環境デザインも、
エコハウスの提案もあるでしょう。

上野毛デザイン学科の私たちは、コミュニケーション・デザインを通して、
少しでもできることから
これらの動きを主導し、支援します。

9 20, 2007 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月01日

弾劾:『不都合な真実』日本語版のタイポグラフィ

日本語版『不都合な真実』(ランダムハウス講談社)を初めて手にしてパラパラめくってみたときほんとうに驚いた。

ここでは内容の話にではない。日本語の文字組版にだ。

今年の1月5日初版で、ヨーロッパから帰ってきて買った3月中旬にはすでに14刷となっていた。おそらく数十万部発行されているだろう書籍でこれほどひどい日本語組版を見たのはちょっと覚えがない。驚いたと書いたが、少しでも日本語の文字タイポグラフィに関わっている者として、そしてできるかぎり多くの人にこの本を読んでほしいと願っている者として、私は正直憤っている。で、あえて「弾劾」ということばを使う。

日本語版「PageMaker」が使われ出したもう15年ほども前の90年代初頭は、日本語組版ソフトの能力は低かったが、まだそれまでの写植技術の伝統はデザイナー、オペレーターの頭のなかにあり、見劣りがしないようにしよう、完成度を高めようとしたはずだった(もちろん短い文字数の段組み雑誌記事などで、行頭行末揃えと無理な自動禁則処理と和欧混植などによって、字間がスカスカの行と逆に妙に詰まった行が並んでいたりすることはあったが)。

英語の原本『An Inconvinient Truth』(Published by RODALE)を取り寄せて比べてみる。

受ける印象、内容に応じたタイポグラフィの差異は明らかだ。

ところがこれは同じデータ、おそらく「Quark Express」の英文レイアウトデータにそのまま翻訳和文を流し込み、日本語組版としてのデザイン調整をほとんど何も行っていないものだろう(推測するに同名映画の公開に間に合わせた「やっつけ仕事」であり、アートあるいはエディトリアルのディレクションはまったく介在していないといっていい)。

今やっている『イメージと文字』という新入生向けの授業で、学生たちに双方を見せ、両方の数ページ分のコピーを配り、受ける印象を記させ、日本語と英語のタイポグラフィの違いを自分で調べ考えさせているので、今の時点ではこれ以上はまだ書かないが、セッションが終わるまでの間にまたまとめて取り上げます。

5 1, 2007 07.デザインの世界, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月20日

映画『不都合な真実』とプレゼンテーション

アル・ゴアは2004年の大統領選で疑惑に満ちた集計判定によりブッシュに敗れる。
その失意の後、彼がしたのは、ずっと以前から取り組んでいる地球温暖化について警鐘を鳴らす米国内はもとより世界各地での講演行脚だった。

この講演をきいた映画プロデューサーたちが感銘を受け、講演ではせいぜい一回百名ほどの人にしか伝わらない、この問題がどれほど焦眉のものであるか、できるだけ多くの人に伝えられなくてはならないと考え、映画『不都合な真実』を作りあげる。

3月の卒業式でデザイン学科の山中玄三郎先生が教授代表として祝辞を述べられ、そのなかで3回も観られたこの映画のことを中心に話されたことをきっかけに、学科の教員たちで話し合い、デザイン学科をあげて、できることからこのテーマに取り組もうということになった。

ポスターもあるだろう、ウェブはもちろん、ダイアグラムやさまざまなインフォグラフィックスもありうる。アニメーションや映像、新しいプロダクトや空間の提案でもいい。卒業制作でもこのテーマに取り組む学生が出てきてほしい。

私の4月からの授業『イメージと文字』はその第一弾。

この映画はデザインを志す学生すべてに観てほしい。
内容はもちろんなのだが、現在までにゆうに1,000回を越える講演のなかで練り上げられたゴアのスライドショー(といってもアニメーションや映像を含む)プレゼンテーションが素晴らしく、プレゼンテーションとはどうあるべきかの絶好のサンプルとなっている。

4 20, 2007 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月19日

「不都合な真実」をデザインするークライアントは地球

今やっている授業の内容と課題です。


1. 「イメージ」と「文字」について理解を深め、コンピュータで扱う基礎を学ぶ

基礎造形A1『イメージと文字』では、「イメージ」(ここではまだ動画は扱いません。写真画像・イラストレーション・絵を対象とします)と「ことば」を形にした「文字」を扱います。

この意味での「イメージ」と「文字」はビジュアル的なコミュニケーション・デザインの基礎となるものです。
ただしこれらは現在ではほとんどがコンピュータ上で「処理」されています。

したがって、あなた方はふたつの違うレベルのことを同時に学ばなければなりません。
「イメージ」と「文字」というのは一体どういうものなのか、という本質的なことと、それをコンピュータ上で扱うにはどうしたらいいのか、という技術的なことの両方です。

私の授業では技術的な面は最小限しか教えません。単純にそれにさく時間がないからです。
PhotoshopやIlustratorをとことん使いこなしたいという意欲を持っているのなら、どこか適当なパソコンスクールの方が私よりずっとうまく効率的に教えてくれるでしょう。
またマニュアル本はいくらでもあります。そこに書いてある通りに操作すれば誰でも同じ結果は得られます。

2. 「デザインする」ということはどういうことなのかの基礎を学ぶ

デザインは単なる自己表現ではありません。
なにかを解決するものであれ、提案するものであれ、なにかの目的を持った営為です。
である以上、対象とする問題・課題についての、できるかぎり深い調査と考察、プラニングが前提となります。

そして誰に何を伝えたいのか、コミュニケートしたいのかを明確にしなければなりません。

デザインは限られた条件の下で行われます。そのことの意味も経験してもらいます。
この授業では、テーマの設定と調査の上での検証から始まり、何に着目しどのような視点から発信しようとしているかの検討、それをどのようにビジュアライズするか、ビジュアライズと同時にどのようなことばと文字に連動させるか、ということをステップをおってやってもらいます。

3. テーマ

テーマは『「不都合な真実」をデザインする』です。

このタイトルの映画や本でアル・ゴアが直接的に取り組んでいる地球温暖化の問題には限りません。
われわれが、知ってはいるが誰か専門家や担当のお役所が取り組んでいるだろう、自分が生きている間はまあだいじょうぶだろう、と思って先のばしにし、次の世代に悪気はない「ツケ」としてまわしているような人類が持続的に生存可能な社会に関する事柄はすべて対象です。

デザインの仕事というのは誰かが何かを求めるという意味でほぼ必ず「クライアント」がいます。

ここではクライアントは「地球」と考えてください。
ここわずか100年あまりの人間の活動の結果、悲鳴を上げている地球です。
いや、このいい方は妥当ではない。
地球は人類が滅びようがずっと永く存在し続けるだろうから。
言い換えれば地球からの人類への「警告」をデザインする、あるいは警告に「応える」デザインをする、の方が正しいでしょう。

4 19, 2007 11.教育と学びのデザイン, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(2) | トラックバック(0)