2010年07月14日

落ち込んで - 小さな教会

個人的なことでいろいろあり精神的身体的に最悪の状態に落ち込んでいるなかで、何度も訪れたことのある大好きな小さな教会をなぜか想い起こす。

フランス・リモージュ旧市街にある「Chapelle Saint-Aurelien」(建立15世紀)


過去記事:
小さな教会(2007年04月05日)

7 14, 2010 23.日々のなかで, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2010年07月10日

「最後の晩餐」

あまり好きでないミラノに行ったのは、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)に併設されたドミニコ会修道院食堂の壁画、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観るため。

1977年から1999年にかけ20年以上にわたって修復作業が行われオリジナルの線と色彩がある程度よみがえったといわれる。

電話予約し、空調された二重ドアの部屋を通り、規定の25名とともに復元された修道院の食堂へ。見学時間は15分。

幅9m,高さ4mの絵が拡がる。
一点透視はみごとで天井と壁に一体化している。
いくらでも印刷物やTVなどで観てはきたが、印象はそれよりずっと色彩は淡く輪郭もぼんやりとしている。
描かれたときにこうだったわけではもちろんないだろう。
この絵が現存しているだけでほとんど奇蹟としかいいようがないから、それはもうどうしようもない。

イエスの左はヨハネとされているが「ヨハネによる福音書」に「イエスの愛しておられた弟子」と記されているように、マグダラのマリアに見える。
ユダの左後ろから突き出されたナイフを持った手はやはり誰だかわからない。

7 10, 2010 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年07月09日

ボローニャ - サラ・ボルサ図書館

ボローニャの旧市街は、ミラノやローマのような大都会と違って、私にはとても気分がいいサイズ、なにか「身の丈+アルファ」といった感覚がする。

鎌倉の旧市街がせいぜい3キロ四方ほどで、ボローニャのチェントロ(歴史街区)2キロ四方と似ているせいもあるかもしれない。
住民数も鎌倉旧市街地区、チェントロ地区とも同じ約5万。

しかし、古いものや街の景観を徹底して残し補修・修復し、さらに単なる歴史的遺物とはせず、現代の市民的要請にあうように内部と使い方は作り替えてしまう、というボローニャ方式を生み出し守っている住民の自治意識と文化環境への情熱は、安易な観光収入に寄り掛かり、どんどん新建材の住居とあふれる車とパーキングの街と化している今の鎌倉とは比べものにならない。

マッジョーレ広場に面するアックルシオ宮殿は現在市庁舎として使われているが、その一部に19世紀末パリ証券取引所を模して鉄とガラスでサラ・ボルサ(証券取引所)が造られた。
それを外観、現状はできうるかぎり保存、修復させた上で、ウンベルト・エーコ教授の監修で、2001年に新しい図書館に生まれ変わった。

徹底してIT化され、ネットワークにリンクされた900以上の座席やゆったりした革のソファー、各種マルチメディア機器の利用、絨毯敷きでベビーベッドもある幼児室、役者が読み聞かせをする部屋…。
学生たちも熱心に勉強している。

中央吹き抜けのガラス張り床の下には、修復時に発掘された紀元前2世紀古代ローマの住居跡が残され、さらに下にはエトルリア時代の層もあり、見学もできる。


ボローニャには図書館は80以上、本屋もまたたくさんある。
映画館が50、劇場は41、美術・博物館が50。
どれも日本のハコモノ行政で造られたような半端なもの、生き生きと活用されていないものなどはない。
そして圧倒的な数の修道院と教会。


鎌倉市内には中央図書館ほか図書館は5つしかないし、内容が充実しているとはとてもいえない。映画館は最盛期、由比ガ浜通りだけで4〜5軒あったようだが今はひとつもない。小演劇もコンサートも皆場所に苦労する。

ボローニャをつぶさに観た井上ひさしさんも今の鎌倉を嘆いているだろう。
しかし私たちが後を考え続けねばならない。


この間参考にしてきている書籍:

・井上ひさし『ボローニャ紀行 - イタリアの街から世界の在りかたを考える』(文藝春秋)
・星野まりこ『ボローニャの大実験 - 都市を創る市民力』(三推社 /講談社)
・梅原浩次郎『イタリア社会と自治体の挑戦 - ボローニャ再生に向けて』(かもがわ出版)
・佐野敬彦『ヨーロッパの都市はなぜ美しいのか』(平凡社)
・八木宏美『違和感のイタリア - 人文学的観察記』(新曜社)
・ファビオ・ランベッリ『イタリア的考え方 - 日本人のためのイタリア入門』



7 9, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ボローニャ大学生たち

ボローニャ、ザンボーニ通りのボローニャ大学前、午後十時。

大学本部は旧宮殿。
まわりには各学部校舎、寮、図書館、博物館、美術館、歌劇場、書店、そしてオステリア(大衆的な居酒屋)など。

道端に座り込んだり、さまざまな語らいや討論。

ボローニャは周辺の開発地域を含めて人口は約39万人(歴史地区には5万5千人)、そしてそのうち学生は約10万人にのぼる。
大学も教授も学生もいろいろな意味で街に溶け込んでいる。

高卒資格(これはかなり難しい)があれば誰でも入学できるが、卒業できるのは5〜6割。

7 9, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年07月08日

ミラノの空に

ゴシック建築はどこまでも空に伸びる。
そうすれば「神」に近づけるかのように。

ミラノ大聖堂、王宮の最高部。

7 8, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年07月07日

ミラノのガッレリア


ミラノはその起源が紀元前5世紀にまでさかのぼる古い街でとても簡単には述べられない重層的な歴史を持つのだが、今のミラノという街を私はあまり好きではない。

東京と同じで大きすぎる。
第二次大戦で4割以上の建物が焼失したが、その後の復興にTokyoと同じく定見がなく、街は古い建物とモダンビルが秩序なく乱立する。
その後は仕事を求めて、貧しい南部や北アフリカから人々が流入し、イタリア屈指の大都市にはなった。

1878年に完成したヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(アーケード)。
ミラノファッション・ブランドの発信街だが私には興味がない。

7 7, 2010 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年07月06日

ミラノ風カツレツ

ミラノのタヴェルナで、アミューズ、サラダ、パスタで小食の私はかなり腹がいっぱいになり、テイクアウトしてもらったメインのミラノ風仔牛肉のカツレツ。

豚カツのようにたっぷりの油で揚げる(deep fly)のではなく、ひたひたの油でフライにする。
イタリア語では「fritto(フリット)」。
冷めてもさすが美味。

7 6, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月30日

巴里の屋根の下

映画少年だった頃、新宿の名画座の「戦前フランス名画特集」に通いつめ、ルネ・クレール(René Clair /1898-1981)の『巴里の屋根の下(Sous les toits de Paris)』(1930)もそのとき初めて観た。

冒頭、パリの下町の屋根の俯瞰、建ち並ぶ煙突と煙(後にすべてセットで作ったと知ったが)、カメラがゆっくりとチルトダウンすると、アパルトマンの各階の窓にそれぞれの生活。
そして印象的に流れる主題歌「巴里の屋根の下」。


ホテルの窓から見る朝のパリの屋根の風景は、補修は重ねてきただろうが、その頃とおそらくはたいして変わらない。

ひとつひとつの煙突はひとつひとつの部屋と人生(la vie)につながっている。

6 30, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月27日

パリで胡麻ダレ蕎麦 -YEN

この間パリに来るたびに最後の夕食はなぜかここ、サン・ジェルマン・デ・プレの「YEN」。

内装もだいぶ変え小ブース的なところが増えたよう。

「パリ価格」だからお値段は高目だが素材、調理と味は確か。

漬け物盛り合わせとミニトマトのぬか漬け。

仔牛肉の竜田揚げ。

締めに胡麻ダレ蕎麦。

6 27, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月26日

ポルティコ(柱廊)の街、ボローニャ-2

柱廊そのものは他のヨーロッパの街にも部分的にあるが、街中でこれを奨励し、「公共の安全と通行人の目を楽しませるため、木製の柱は石製に、壁や天井はできるだけ美しく装飾するように。また一般の通行の妨げになる固定物は置かない」などの「ポルティコ条例」(1567年)が制定され、それが今に生きている街は他にない。

わずか2Km四方の「チェントロ・ストリコ(歴史的市街地)」に、中世から造られ続けたポルティコは総延長42Kmに及ぶ。

井上ひさし『ボローニャ紀行』よりー
すべての柱廊を歩き回ると、早足でも丸一日はかかります。もちろん、雨の日に市内をたとえば東から西へ横断しても濡れることはありません。こうしてボローニャの歴史的市街地は建物と広場と道と柱廊とが織りなす密度の濃い空間となりました。

6 26, 2010 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ポルティコ(柱廊)の街、ボローニャ-1

ボローニャは「Pòrtico(ポルティコ)」と呼ばれる柱廊の街。

12世紀以降、ボローニャ大学にヨーロッパ中から学生が集まり、居住下宿の需要が急増した。
城壁に囲まれた旧市街は2Km四方ほどしかない。
そこで考案されたのが、建物の2階以上を張り出す形で増築し、下は回廊とすること。
回廊部は公道と見なされて建て増しへの課税は免除された。

泊まったホテルの建物も横にまわってみると、木造のポルティコがあり(鉄製の柱で補強はされているが、ボローニャの街の基本ポリシーは古いものを徹底して残すこと)12〜15世紀頃の木組みと装飾が見られる。

6 26, 2010 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月24日

パリの雰囲気を少しだけ-サン・ジェルマン・デ・プレ

ときどき小雨。
骨董街をぶらつき、サン・ジェルマン・デ・プレのカフェで一休み。
街行く人を眺めていると、地元の人と観光客はすぐ区別がつく。
パリジェンヌは少し大股で踵を鳴らしながら早足で、ほぼ8割方携帯で話しながら歩く。

午後8時過ぎ、雨があがり陽が差し始め少し青空になったり。

Les Deux Magots(レ・ドゥ・マゴ)で遅い(といっても外は明るい)食事。

店内に2体の木彫り中国人形(マゴ)があるのでこの店名。
上階にかつてサルトルとボーヴォワールが住んでいた。

6 24, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

パリの雰囲気を少しだけ- セーヌ河畔

シテ(Cité)島の狭いセーヌ河畔道を歩く。

ポン・ヌフ(Pont Neuf)をくぐって現れた大きなセーヌ・クルージング客船。
一流レストラン並みのテーブルセッティングのものも。

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パリの雰囲気を少しだけ- ノートルダム大聖堂

WIF2010に同行した日本からの「カヤック」チームは、パリは初めてなので、少し案内。

ノートルダム(Notre-Dame /聖母)大聖堂で。

南のバラ窓。
13世紀のオリジナルステンドグラスを残す。
イエスを中心に処女たち、十二使徒が囲む。

Nicolas Coustou 作のPietà(ピエタ)。

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2010年06月23日

エッフェル塔の光

パリの夜はあちこちで建物や橋などのライトアップがされて美しいのだが、なにせこの時期、暗くなるのがようやく午後10時過ぎだから、深夜過ぎのエッフェル塔の光とサーチライトもなんとなく「ま、適当にやるか」という感じ。

パリ第5大学近くのホテルの窓から。

6 23, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月21日

パリ、カフェ・ド・フローラで

パリ、サン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-Prés)の「カフェ・ド・フローラ(Café de Flore)」で。

サルトルやボーヴォワールも朝食はここでとり、友人たちと談論したところ。

であるせいもあるかもしれないが、クロワッサンをかじり、あたりを眺めながら、今回のWIF2010の課題にもあった「Presence」という言葉のことを考えていた。
サルトル『存在と無( L'Etre et le néant)』(1943年)の「Etre」でもある。

フランス語の「présence」も英語の「presence」もごく普通の日常語だ。
そしてそれがそのまま抽象的な思考論理の文脈のなかにも使われる。

しかし日本語でそれらに対応することばは、明治の時代「存在」として翻訳、造語された。
一般庶民の日常の生活に根ざしたことばとはかけ離れていた。

以来、私たちはこの乖離のくびきをずっとひきずった「近代日本語」を基礎として欧米の知とむきあい思考せざるをえなかった。

「止揚」とか「疎外」とか訳された、普通の人がまず使わないような「哲学用語」を学生時代得々としてふりまわしていたが、実はドイツ語でも英語でもフランス語でも日常語、あるいはそれに発したことばであることをずっと後になって知ることになる。

6 21, 2010 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月20日

試着なさいますか? - パリ、ラルフ・ローレンで

パリ、サン・ジェルマン大通り(Boulevard Saint-Germain)のラルフ・ローレン(Ralph Lauren)。

女性用売り場で、丁寧で繊細な作りの手編みニットの生成りブラウスが一目で気に入り、XSサイズもあったので、担当の店員のところに持っていく。

「試着なさいますか?」

ヨーロッパに来るたびに「マダム」に間違えられることにはもう慣れっこになっているので別に驚かない。
リモージュで合流した日本の友人は、二人で店に行くたびに私がマダムと思われ、私が別に否定もしないので年配の夫婦と見られることに困惑していた。

長身美貌のマドモワゼル店員は言ってからすぐに気付いて、昨晩パーティーがあり、このブラウスを着たとても素敵なマダムがいらしたので、というようなことを言い(多分)、少し笑い転げながら誤解を詫びた。

写真はラルフ・ローレンが併設している中庭にしつらえられたとても気持ちよさそうなレストラン。


From Europe with Love - Not Madaaaaaaa~m !(2007年02月27日)
  

6 20, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月19日

ラポーさん絵付けのシャンパン・リモージュボックス

ラポーさんのサンプルのなかでとても気に入り求めたシャンパンボトルが中に入ったリモージュ磁器ボックス。

「鎌倉美学」のカウンターに置いたらいいだろうな、と持ち帰って贈呈。

6 19, 2010 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

磁器絵付けアーティスト、ラポーさんを訪ねて -2

ラポーさんの自宅アトリエ。
広々とした気持ちいい庭にすぐ出られる。

きれいで丁寧な絵付けは定評がある。

クラシカルなものから今風のものまでさまざまな作品のサンプル。

6 19, 2010 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

磁器絵付けアーティスト、ラポーさんを訪ねて -1

リモージュ郊外にパトリックの友人でもある磁器絵付けアーティスト、ラポーさんの家を訪ねた。
右端ラポーさんは気難しそうな顔で写っているが実は気さくな人。

庭のサクランボがもいで食べると美味。
春は花がきれいという。

息子のクエンティン(Quentin)くんはリモージュ大学法学部の学生。
国際的な人権問題(International Human Rights)に関心があり、将来はそういうことに関わる仕事をやりたいという。
こういう若い人がいることがとてもうれしく、応援したい。
カンボジア、ビルマから中国、日本、アフリカなどの人権問題についてけっこう話し込む。

6 19, 2010 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月17日

ボローニャ精神 - マレッラ神父の志

夜遅くまでにぎやかなボローニャ市場通りの建物の一角にレリーフがある。
近くのサンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会の司祭だったマレッラ神父。
「貧困と共にあった」というような意味の形容が付けられている。

第二次大戦中、ナチスドイツ軍の占領下、独軍兵士が一人殺されると、無差別に市民十人を引き立てて広場で銃殺するという暴虐がボローニャでは行われていた。
あるとき引き立てられた住民のなかに乳飲み子をかかえた母親がおり、死ぬ前にもう一度だけこの子に乳をあげたいと兵士に懇願するが聞き入れられない。
このときマレッラ神父は、私が身代わりになりましょう、あなたはゆっくり乳をあげなさい、と進み出た。
神父を住民たちの前で撃つのさすがにははばかられ、このときの銃殺は中止になったとボローニャ市史に記録されているという。

パルチザンによる市の解放後、神父は毎日食料品店の壁の前に座り、黒い帽子を差し出して喜捨を乞い、その金で戦後復興期のたくさんの孤児院、母子寮、無料宿泊所などを作った。

神父の死後も代わりの神父や修道女たち、そしてボローニャ大学の若い学生たちが志を継ぎ、現代のグローバリゼーション下の貧困と向き合っている。

井上ひさしさんは『ボローニャ紀行』でこれらを紹介して書く。
「自分のせいでもないのに仕事や住まいを失ってしまうことがあります。ボローニャでは、こんなとき”自己責任”なんて冷たいコトバは使わない。困っている人間がいたら、とりあえず手を差し出してあげる。ボローニャの街づくりのやり方を”ボローニャ方式”といい、世界のあちこちの都市が手本にしていますが、じつはこの方式の基本にあるのは、このマレッラ神父の精神なのでした」

6 17, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

学びたいものが作った - ヨーロッパ最古のボローニャ大学

ボローニャは紀元前からすでに町を作っていたが、ローマからヴェネチアへの中間地であり、また靴の踵(イタリア南東部)ターラントからミラノへ至る街道も交差するところであり、古くから物資の集散、交易が盛んだった。

この商業的繁栄に関わるためには、契約やそれを保証する法についての学問が必要とされる。
街に住んでいる学者のもとへ、学びたいものが教えを乞いにいくというかたちから、それらの若者たちが組合を作り、各地からも学者を招いて給料を払い講義させるというかたちで大学が作られた。

ラテン語で「ウニウェルシタス(Universitas)」、後の英語の「ユニヴァーシティ(University)」はこうした成り立ちからして基本的に「自治的な組合」という意。

1088年のこと、ヨーロッパ最古の大学とされる。
日本はまだ平安後期、後三年の役が終わり、白河上皇が院政を始めた頃。

しかしこの大学はしばらくはキャンパスや校舎のようなものはなく、広場や教会や教授の家などで授業が行われた。
ヨーロッパ中から熱意ある青年が集まり、そのなかには、ダンテ、ペトラルカ、エラスムス、コペルニクス、ガリレオ・ガリレイなどがいる。

1563年に「アルキジンナジオ(Archiginnasio)」館が校舎として建てられた。
今は大解剖室などを含むミュージアムとなっている。
柱廊の壁や天井には歴代の教授や卒業生たちのおびただしい数の紋章。



6 17, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月16日

アルデンテ(Al Dente)

ミラノのオーガニック・レストラン、「タヴェルナ・デル・サクリパンテ」で、スパイシイトマトとバジリコのシンプルな有機小麦スパゲッティ。

香ばしい味わいももちろん、熱々で柔らかく、それでいて歯ごたえもある食感。
この歳になってほんとうの「アルデンテ(Al Dente)」を初めて味わった気分。


Tavelna del Sacripante
Viale Coni Zugna 52, Milano

6 16, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ボローニャのトラットリアで

細い路地の奥のトラットリア。
かのウンベルト・エーコ先生も贔屓という。

挽肉、チーズ、卵を混ぜて詰めたパスタ、トルテッリーニ(Tortellini in brodo)とカプレーゼ(Caprése=トマトとモッツァレラチーズ)。

私は地元よ。ここはおいしいからよく来るわ、と隣りの席のdonna。


Tratorria da Leonida
Vicolo Alemagna 2, Bologna

6 16, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月15日

ラザーニャ・アッラ・ボロネーゼ

ボローニャもミラノも連日33度ほどの暑さで歩き廻っているとくらくらする。
観光客も街の人もみな真夏姿。

マッジョーレ広場のカフェでボローニャ風ラザニア(Lasagna alla Bolognese)。
何層にもなったパスタとリコッタ、モッツァレラ、パルメザンチーズが焼け上がってとろけるように柔らかい。

6 15, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ボローニャ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会のピエタ像

ボローニャのサンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会(Santuario di Santa Maria della Vita)のピエタ像。
1470年ニッコロ・デッラルカ(Niccolo dell'Arca)作「死せるキリストへの哀悼」。

マッジョーレ広場に面するサン・ペトローニオ大聖堂(Basillica dei San Petronio)にも3人のマリアのピエタがあるが、こちらはなにか説明的で感動に乏しい。

このデッラルカのピエタは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタ(1498)の静かな荘厳さに比べて素晴らしく動的だ。

すでに冷たくなったイエスの遺骸と中央の聖母マリアの嘆き、急を聞き駆けつけたマグダラのマリアの風になびく衣と手と迫真の表情。

6 15, 2010 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

イタリア野菜の種

ボローニャでサンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会を探して路地に分け入っていて、イタリア野菜や草花の種を売っている店にでくわした。

これから梅雨の日本で育つかどうか定かではないが、本場のバジル(バジリコ)とちょっと細長いのが特徴のイタリアントマトの種を求めた。

主人に教会の場所を尋ねると、よくぞ聞いてくれたという感じで、100mほど離れた教会前(さっきも通ったのだが民家の間に目だたたくあるので気付かなかった)までわざわざ案内してくれる。

6 15, 2010 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月13日

ボローニャ・パルチザンたちの遺影

二つの塔は街を歩くといやおうなしに目に入ってくるが、ボローニャを訪れてまず第一に行き敬意と哀悼の意を表したかったのは、街の中心マッジョーレ広場に面する今は市立サラ・ボルサ図書館となっている建物の壁に掲げられた数百人の遺影。

故井上ひさしさんは『ボローニャ紀行』で「二つの塔と並んでボローニャのシンボルであり、もっといえば、この街の精神そのものです」と書いている。

第二次大戦で、イタリアはムッソリーニ・ファシスト政権のもと日・独・伊で「枢軸」を形成し、英・米・仏・露などの「連合国」と対戦した。
1943年には米軍を中心とした連合国軍がシチリアを攻略する。ナチス・ドイツは弱体ムッソリーニに替わり、ナポリ以北のイタリアに進駐して攻防を続ける。

連合国軍はなかなか北上できず、北部イタリアのパルチザンたちは孤立していく。
しかしボローニャでは、占領したナチスとそれに呼応しているイタリアファシスト黒シャツ隊に対して、市民たちはデモ、ストライキ、サボタージュを徹底して行い、1945年4月21日、ついに自力で街を解放した。

この間「パルチザン(遊撃兵)」として参加した市民は約1万7000名、うち2000名以上が戦死あるいは銃殺刑に処された。

戦後、遺族、友人たちが壁に写真を貼ったことがきっかけで今のようになった。
その後、強制収容所で亡くなったユダヤ人、反フランコのスペイン市民戦争に義勇軍として参加し戦死した人等、抗議、反ファシスト権力の闘争過程で落命した人たちの写真が加わっている。

6 13, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ボローニャの二つの塔

2006年から07年にかけてヨーロッパをあちこち廻ったときは、ボローニャでの日程はとれず、フィレンツェからラヴェンナに行く途中通り過ぎただけだった。

最近ヨーロッパでは格安というより激安の航空券があるので、ネットで調べ、パリからボローニャへの便を約70ユーロ(ユーロ安でもあり日本円にして¥7,700!)で。

ボローニャのランドマーク、アッシネッリ家の塔(右・高さ98m)とガリゼンダ家の塔(左・48m)。
アッシネッリの建立は1109年、日本でいえば平安後期、鳥羽天皇の頃にあたるからちょっと気が遠くなる昔だ。
ガリゼンダの方は、土台に金をけちったために3.2mも傾き、途中で工事を中止してしまった。アッシネッリも実は1.3mほど傾いているという。
こちらは中の500段ほどの螺旋階段を登ると、ボローニャ特有の赤いテラコッタ屋根が海のように連なる「歴史的市街地(チェントロ・ストリコ)」が眺められる(今回は時間的に断念)。

中世からルネッサンス期にかけ、ボローニャは「百塔の街」と呼ばれるほど塔が林立していた。
180本もあったとういうが現在では15本のみ。
豪族、貴族の富力の誇示でもあり、街の防衛の物見のためともいう。
しかし軍事的防衛の見張り台であれば、街は城壁で囲まれていたのだから、それに沿って必要な数を作ればいいはずだから、やはり権勢、虚栄の象徴の面が大きかったのだろう。

6 13, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月12日

リモージュ国立高等アート学校-4

いわゆるアートやインスタレーション系はなんでもあり。

Photographyの一角に段ボールで作られていた小部屋の窓から。

二十日鼠をたくさんアレンジしている学生に何やってるのか聞くと、小さな部屋に20匹ほどのカゴを並べ、走り車を回す音を聴いてもらう、そう。

Good Luck ! As You Like.

6 12, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

リモージュ国立高等アート学校-3

デザイン系の学生たちの一角。
このようにひとりひとりにスペースが割り当てられている。

しかしまあ、アート・デザイン系の学校の作業場が小汚いのはどこも同じ。

中国からの留学生。
駅か商業施設かなにかのスペースデザインか、右の模型のようなものをガラスで作ろうとしている。

6 12, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

リモージュ国立高等アート学校-2

友人のパトリック・オドゥヴァールはここの磁器(Porcelaine)コースで教えている。
粉だらけの学生たちと。

制作にはげむ学生たち。

着彩、絵付けの材料。
塗ったときの色と焼き上がったものは違うので難しい。

6 12, 2010 10.美術工芸, 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月11日

リモージュ国立高等アート学校-1

リモージュの国立高等アート学校(Ėcole Nationale Supleure d'Art)へ。

ここは3年ないし5年間、Art(ここでいうArtは原義としての技術そして芸術)を専門に学ぶ国立学校で、いわゆるアート、デザイン、写真、そしてリモージュの伝統工芸であるPorcelaine(磁器制作)が含まれ、外国からの留学生もたくさんいる。

マルチメディア教育を担当するソニア・マルケス(Sonia Marques)さん。
ソニアさんは、もともとポルトガル出身だが、パリなどで8年間マルチメディアの教育に携わったあと、今年初めからここで教えている。

授業時間外だが熱心に制作をする学生たち。

学生たちの作品がネットにアップされている。
私のところと同じだがここは公開ではなく学内のみ。

中国からの留学生が漢字をモチーフにして作品を作ったりしている。

特徴的なのは、アートもデザインも、リモージュの中心である磁器制作と緊密に結びつけられていること。

6 11, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月10日

リムーザン牛いただきます

リムーザン牛のステーキは実に美味い。
飼料や育て方で妙な霜降りなど人工的に作ったりせず、ひろびろとした牧草地でのんびり自然に育ったもの。
私としては、濃厚なソースなどからめずに、塩、胡椒だけで味わいたいが。

リモージュの老舗レストラン「Le Versailles」で。
これはランチの一皿なので私にも食べられる分量だが、ディナーだと300gから700gくらいになって手に負えない。

6 10, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月09日

ヴィエンヌ川の雲

リモージュの街の東から南西に囲むように流れるヴィエンヌ川の岸辺を早朝歩いて。

雲の写り込み、河畔の草花が美しい。

黄菖蒲も群落で。

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールはリモージュで1841年に生まれた。
仕立屋の父、お針子の母、たくさんの兄弟たちと一家でパリに移り住んだのが3歳のときだから定かな記憶はないかもしれない。
しかしその頃とほとんど変わらないヴィエンヌ川と写り込む雲を鴨と風が筆を掃いたように乱すさまをおそらくは眺めたのではないだろうか。

6 9, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月08日

至福の表情

リモージュの南、Saint.-Yiriix-la-Perche(サン・ティリエ・ラ・ペルシェ)の郊外で。

ここら辺はやたらとSaint(サン)なんとかという地名が多いが、皆キリスト教の「聖人」の名(San Franciscoももちろん同じ)。
しかし聖人があまりに多くなりすぎて、狭い地域に同じ名前が出てきてしまう。
で、la-Perche(ペルシェの)Yirix(イリエ)聖人というように区別することになった。


口蹄疫などとは無縁そうなリムーザン牛が、牧草地際の草を至福の表情で喰む。

6 8, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

午後10時の「夕」焼け-2

午後10時のリモージュ、Pl.de la Républic(共和国広場)のホテルの窓から。

向かいのBanque de France(フランス銀行)。

左手の古いアパルトマンとEcole(小学校)。

6 8, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月07日

子供たちの自転車レース

リモージュ郊外で子供たちが自転車レースをやっているのをしばらく観ていた。
自転車は子供用だが仕様もいでたちもスピードもなかなか。

子供たちは全力をつくしながら楽しみ、大人たちは安全管理に気を配り、街の人たち(といっても犬の散歩をする人くらいしかいないが)も暖かく見守っているのが感じられてとても好感が持てた。

6 7, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月06日

WIF2010-24時間Webjam-カヤックチームが3位入賞!

チーム「o('.'* v(*'w'*)v *'~')/」(面白法人カヤックのメンバー / 林真由美・飯塚直・島田工聖)の作品が3位に選ばれた。

予選を含めれば世界数百チームからの選抜は素晴らしい。

このチーム名はどう読むのかと聞かれ「ポケモン」と答えると、会場から「ポケモン!ポケモン!」の掛け声。

賞金3,000ユーロ(約34万円)、Creative Suites 5などの賞品。

この間直接面倒を見てきただけにとてもうれしい(しかも地元鎌倉)。

Congratulations !!!

6 6, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

リモージュ夏雲

リモージュの雲はすっかり夏の気配。
ヴィエンヌ河越に古い磁器工房が見える。

ESTERの研究棟。

クロージングセレモニーとパーティーに使われるENSIL(国立リモージュ高等技術学校)棟前の広場に特設のステージとテント。

6 6, 2010 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

旅先の朝食

ふだん朝食はほとんどとらないが、旅行をするとなぜかけっこう食べる。
クロワッサン、オートミール、フルーツジュース、ミルク、エスプレッソ、どれも美味しい。

WIFの記事を見ながら。

6 6, 2010 22.旅先で, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2010年06月05日

WIF2010-24時間Webjam-Public賞の投票

今日5日の夜発表される賞には、一般視聴者の投票による「パブリック賞」もある。

下記ページからログインし、メールアドレスと自分で設定したパスワードを入れ、3作品を選んで投票(日本時間5日PM11くらいがリミット):

パブリック視聴者による投票ページ
  

6 5, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

WIF2010-24時間Webjam-35チームの作品


WIF2010 Webjam ファイナリスト35チームの作品へのリンク
  

6 5, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

午後10時の「夕」焼け

リモージュはフランスの中央部にあり、北緯45.49度。
日本の北端、北海道のノシャップ岬が、ほぼ同じ45.27度。

夜10時、ようやく夕焼け。

6 5, 2010 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月04日

WIF2010-24時間Webjam-13ヶ国35チーム

WIF2010、リモージュでの国際本選に選抜されたのは35チーム。

国別の内訳は、地元フランス(11)、その他のヨーロッパは、イタリア(2)ベルギー(2)ノルウェイ(2)ルーマニア(2)スウェーデン(1)ロシア(2)、アフリカはチュニジア(2)、北米はカナダ(1)、南米はブラジル(3)アルゼンチン(2)、そしてアジアでは日本(3)中国(2)。

フランスを除けば3チーム出場したのはブラジルと日本だけ。

上はチュニジアチーム。

イタリアとブラジル。

アルゼンチンチーム。

6 4, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

WIF2010-24時間Webjam-終了

カウントダウンとともに、24時間ノンストップのWebjamが終了。
日本の3チームともぎりぎり無事にアップできた。

チーム「o('.'* v(*'w'*)v *'~')/」。
「おもしろかったぁ!また来たぁ〜い!」

チーム「un-T Factory! Team STARMOUNTAIN」はかなり苦しんでいたが終わって晴れ晴れ。

審査結果は明晩発表。

6 4, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

WIF2010-24時間Webjam-そしてすべては…

さまざまな試行錯誤の後に、もう一度テーマの基本におそらく戻る。
あるいは立ち戻らなくてはならない。

"Je pense à toi"
"I'm thinking of you"

君のことを想ってる
あなたのことを想う

とはどういうことなのか。
その「pense」「think」「想う」とはどういうことであり、それを「伝える」、その「プロセスや結果」として「コミュニケートする」とはどういうこと、関係の総体なのか。

「情報」を単に整理したり、「効果的」に「伝える」ことだけやってきた人にはおそらく表面的なものしか作れない、人生のこれまでの経験をどれだけ思惟化してきたか、そしてWIFが一貫してコンセプトとしてきた「sensitive」にも関わる深いテーマ。

6 4, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

WIF2010-24時間Webjam-残り6時間

Team「o(’.’* v(*’w’*)v *’ ’)/」(面白法人カヤック)の林真由美さんは、国内予選のときと同様(ただしiPhoneのカメラでだが)、USTREAMでのリアルタイム動画配信を試みている。

「つうことはあと6時間くらいですよ」
「あと4時間くらいでそちらフィニッシュしてほしいです」
「わかりました」
などのやりとり。

両隣りのイタリアチームの話し声の方が多く入る。

実験してますー
  

6 4, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

WIF2010-24時間Webjam-初期段階の注意

夏日のような天気の下のESTER Technopoleに、世界から35チーム、約100名のファイナリストたちが制作を始める。

あちこちでまずはミーティング。

台地で風の通りがよく気持ちいい外に出て話し合うチームも。


初期段階で重要なこと:

1. 課題を注意深く十分に検討し、何を求められているか的確に掴むこと。条件についてもすべてを点検し押さえておかねばならない。

たとえば、この課題ではモビリティ(携帯性、移動性)がすべての前提条件。
また、ウェブサイト上で見せるものは、ビデオあるいはインタラクティブなシミュレーションであり、アプリケーションないし機器システムの提案。
「一日のうちで」というのもキーとなる。

2. 課題の目的とカタチ、条件の関係のなかで、何に着目し、どのような視点、角度、アイディアで取り扱うかのコンセプトメイキング。

二人の恋人どうしという存在を抽象的なままで機能を中心に扱うという方向と、二人の人格と関係、「一日」のストーリーやシチュエイションを具体化するなかで見せるという方向ではずいぶんと違ってくるだろう。

24時間の制約があっても、この段階には4〜5時間かけてもいい。

3. ここまでが決まったら、それに基づいた最適な構成プラニングに進む。

1. 2. 3. があいまいなまま、部分作業にわけ入ったり、手持ちのテクニックを組み合わせて作ろうなどとしたらまず失敗する。

4. 実際のデザイン制作作業に入っても、常に1. 2. 3. に立ち戻って点検すること。

5. 仕上げチェックによってきちんと連携しているか、目的通りに動くかといった基本的なことだけでなく、審査で不利になる「未完成感」をできる限り減らし、センスやバランス等を含めた完成度を上げてほしい。

6. ユーザーインターフェイスは、できる限りシンプル、明瞭であること。短時間の審査では、奥の奥に重要なことが潜んでいるとか、どこをクリックしたらいいかなかなか分からないようなものはハネられる。

7. 付属説明にある、短いイントロで、基本コンセプト、アイディアがまず見て取れるようにすることは(よほど巧妙なサイト構成でない限り)絶対に必要。

6 4, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年06月03日

「君のことを想ってるよ」-WIF2010-24時間Webjam課題

フランス時間午前11時、課題が発表され、24時間のWebjamが始まる。

課題はフランス語と英語で提示されるが、ざっと訳すと以下:

"Je pense à toi"
"I'm thinking of you"

「君のことを想ってるよ」

愛する人に、モビリティ(携帯・移動性)を条件に、あなたの存在・大切な思いをコミュニケート・伝えなさい。
一日のあいだのふたりの恋人どうしで、存在(思い)を表明する(記す)パレットをイメージしなさい。

ウェブサイト上での、ビデオやインタラクティブなシミュレーション(サウンド、イメージ、アニメーション、対象あるいは他の環境の要素、ジェスチャーなども含まれうる)によって、経験の様々な瞬間や、注意・関心の表明・表現を例証・説明するためのウェブアプリ、モバイルアプリ、コミュニケートするモノ(機器)を提案しなさい。

文脈・脈絡(場所、時刻、まわりの人々)をはっきりさせるために、もし適切と思えば、短いイントロダクションと同時にデザインの基本的な考え方を示しなさい。

6 3, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

WIF2010-24時間Webjam開始へ-3

前夜の腹ごしらえ。
夜9時を過ぎてもまだ明るいヴィエンヌ河畔のテラスで。

色合いがきれい。すべてトマト。

リムーザン牛のステーキ。

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WIF2010-24時間Webjam開始へ-2

WIF2010Webjamの会場、ESTER Technopole。

前日のセッティングテスト。
Team「un-T Factory ! Team STARMOUNTAIN」のテーブルへの電源のセッティングミスで、Mac用電源ケーブル2つ、変圧器などがいきなりブロークン。
スタッフにリモージュの街で買ってきてもらいなんとか準備OK。

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WIF2010-24時間Webjam開始へ

6月3日午前11時(日本時間午後6時)から、WIF2010の24時間Webjamがフランス、リモージュで行われる。

パリでun-T factoryチームとも合流し、リモージュの会場(Ester Technopole)へ。

国際本選に選抜された、日本からの3チーム。

Team「o(’.’* v(*’w’*)v *’ ’)/」(左から林真由美、飯塚直、島田工聖さん)

Team「un-T Factory ! Team STARMOUNTAIN」(左から中野章一郎、星山哲廣、廣岡良さん)

「Team Reverie」(左からニコラス・ケンプ、松原正享、小野健太さん)


WIF2010サイト
   

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2010年06月02日

ドバイ空路イマジネーション-2

ドバイから同じくエミレーツ航空パリ行きに乗継ぎ。
たぶんサウジアラビアを横切ってカイロ上空辺りから地中海を一直線、と思っていたらまったく違った。

飛び立った後、ペルシャ湾をぐんぐんと、まるでパパ・ブッシュ「湾岸戦争」時の米軍のように奥へ進む。
やがてクウェート。
パパ・ブッシュはここで軍を止めたが、ブッシュ・ジュニアの命のように機はイラクに入る。
バスラ、ナジャフといった「イラク戦争」で馴染んでいる南部の要衝の名が画面に現れる。

あのファルージャからバグダードの間、蛇行するチグリス河とわずかな畑、米海兵隊が次々と「制圧」しただろう点在する家々を見て思わず少し涙した。

バグダード近郊を過ぎ、北東キルクク、モスルといったクルドの人々が暮らす地を飛び、シリア東端をかすめて、同じくクルド人が差別のなかで多く暮らすトルコ東部山岳地帯へ。
時速900Kmでトルコを北西へ横断、ほどなく黒海へ抜ける。

ルーマニア上空からヨーロッパに入る。
ハンガリー大草原からスロヴァキア、そして、プラハ、ドレスデン、ライプチッヒと訪れたことのある街を飛び越えパリへ。

6 2, 2010 22.旅先で, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ドバイ空路イマジネーション-1

もろもろの事情でぎりぎりまで航空便が決められず、出発数日前にドバイ乗継ぎのエミレーツ航空にした。

で、ドバイへ。

成田を旋回して北アルプスあたりに達すると、後はひたすら西へ向かう。
富山の南で日本海に出、慶州あたりから韓国を横断。ソウル南を黄海へ。高度12,000mでは右手におそらくは平壌の灯が見えるだろう(灯火管制しているだろうが)。
大連から北京を通り、チベット北部、新疆ウイグル地区から崑崙山脈を越え、アフガニスタン手前パキスタンのペシャワール付近でようやく南西に進路を変え、アラビア半島からペルシャ湾に三角に突き出たアラブ首長国連邦ドバイに至る。

この航空ルートは私にとってはとても想像力をかきたてられる。
往きは夜なので街の灯の他は見えないが、飛んでいるこの下の人々の歴史と生活と様々な苦難を想う。

6 2, 2010 22.旅先で, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月21日

石積みの表情(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-25)

石積みの表情(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-18)の12世紀の古い建物別景。
入り口の紋章は施療院を示すのか封建領主の家紋か。

5 21, 2008 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月20日

家造りの伝統(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-24)

フランス・リモージュ(Limoges)の旧市街。
この地方独特の、一階は石造り、二階以上が木を組んだ漆喰造りの家々。

30年ほどで立て替えている今の日本とは違い、何世紀にもわたって住み続けていることの重み。

5 20, 2008 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月15日

サッカー少年(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-23)

友人のパトリックとシャンタルの次男、10歳になるとても可愛いウーグ(Hugues)はサッカーに熱中。

広々とした丘陵にある小学校のサッカーグランドで、名を呼んでカメラを向けると生意気にポーズをとる。
前の晩、日本のサッカーチームや有名選手についていろいろ聞かれたのだが、私はほとんど知らず、彼の方が詳しい。

東京錦糸町の高層ホテルの上から見下ろした、屋上の狭いコンクリート運動場しかない小学校が記憶によみがえり、ニッポン、これからを担う子どもたちの環境がこれでいいのか、と思う。


ヨーロッパ行・考から
広々と…
幼稚園

5 15, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月13日

瓦の表情(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-22)

住居などの屋根をどう葺くかは村々によって異なる。
そこの気候と産するものと伝統的な作り方などによる。

La Roche-l'Abeileの旧瓦作りの小屋で。

5 13, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月11日

包み焼きピザ(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-21)

サン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)のイタリアン・レストランでパトリックの友人、ヴェネチア出身のロナウド、彼の弟子、カンボジア移民2世のキムくんと。

おそらくは1975年のポル・ポトの大虐殺から旧宗主国フランスに逃れた両親のもとでフランスで生まれた(フランスは属地主義だから両親の国籍がどこであれ、フランスで生まれた者は「フランス人」)キムくんは向上心の強い働き者で料理の腕もどんどん上達しているという。
ロナウドさんの腹も安心してふくれるわけ。

生地で包んだ窯焼きピザは中味が熱々で冷めなくて旨い。
残念ながら私には半分の量で充分だが。

5 11, 2008 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月10日

池塘(ちとう)に映る雲(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-20)

La Roche-l'Abeileで。

5 10, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

草刈り器、荷車…(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-19)

パトリックの工房、アトリエ・チューリピエ(L'atelier du Tulipier)の前にオブジェのように置いてある古い農機具。

5 10, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

石積みの表情(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-18)

シャンタルの店の大家さんの敷地にある古い石造りの建物。

前に来たときも外からは見ているのだが、中に入れさせてもらう。

どのくらい古いかというと12世紀の建造(日本では平安時代末期、保元・平治の乱とか『平家物語』の時代ですね)。

当時は施療院として使われていたという。

こちらではこの程度の古いものはごく普通に何気なく残されている。
もし日本で言う「歴史的建造物」指定などをあてはめたらそこら中該当する。

鎌倉時代のものなどろくに残ってもおらず、復元や常時公開の努力もほとんどしていないのに「鎌倉を世界遺産に」なんてちゃんちゃらおかしい。

5 10, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

クレープも所変われば(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-17)

サン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)のカフェレストランでのクレープ。
中味はさまざまな季節野菜炒め、まわりには半熟玉子。

こちらは果物のクレープ。

食後のコーヒー、アイスクリーム、ミニパンケーキのセット。

5 10, 2008 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月09日

古城(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-16)

安野光雅『旅の絵本』シリーズに出てきそうな中世の古城。
尖塔の上の飾りがひとつずつ違う。

パトリックが何も説明せず、いたずらっぽい表情で城の裏手に案内する。

斜面になにかベンチのようなものがたくさんあるな、と思ったら鹿が草を喰んでいるのだった。

5 9, 2008 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月08日

小さな村で暮らす(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-15)

リモージュ大学学長との会見で通訳を努めてもらった西口菜穂子さんのお宅におじゃまさせていただく。
リモージュとサン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)の中間ほどにある小さな村に住む。

昔はこちらが人の住居。

牛舎を改築して家族4人の住宅に。

裏には緑地が拡がり、隣の柵まで牛がやってくる。

5 8, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

黒い村(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-14)

Turenne(チュレンヌ)は黒っぽい村。

車で中には入れない。
今回は観られなかったが丘陵頂上のシャトーからの眺めが素晴らしいそう。

5 8, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

リラの香り(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-13)

あちこちのリラ(ライラック)の花の香りが弱い雨のなかでも香ってくる。
Collonges-La-Rouge(コロンジュ・ラ・ルージュ)で。

5 8, 2008 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月07日

カナッペ(canapé)

フランス人はカナッペ(canapé)が大好き。
ちょっとしたレセプションや軽い家庭訪問時等では必ず出る。

WIF2008のプレス発表の後で。

5 7, 2008 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月06日

フランスの最も美しい村-Collonges-La-Rouge(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-12)

フランスの最も美しい村といわれる「コロンジュ・ラ・ルージュ(Collonges-La-Rouge)」。
8世紀ころに集落をなし、今の家々は15,16世紀頃に元の形を作る。
近郊の赤い砂岩で作られた家々が美しい。

小さな小さな村。
普通に歩いたら10分ほどでひとめぐりできるほど。

リムーザン、オーヴェルヌ地方は手工業が盛んで、さまざまな手工芸品の店が並ぶ。

St.Jack(サン・チャゴ・デ・コンポステラ)への巡礼路であることを示すホタテ貝の印。

5 6, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

リモージュ大学学長と

WIF2008のクロージング・セレモニーで、国立リモージュ大学の学長(Jacques Fontanille)と同席できるようスタッフが手配してくれて話し、後日あらためて大学を訪れる。

リモージュ大学(Université de Limoges)は国立の総合大学で、人文関係から人間工学、ケミカル、ITの最先端科学技術まで、リモージュ市内を中心に多くのキャンパスを持っている。

学生数は5200名。フランス語圏だけでなく海外からの留学生も多く集めている。
日本からも10名ほどの留学生がいるそう。
特に明治学院大学は毎年4~5名の短期(1年間)留学生を送っている。

学長のJacques Fontanille教授(中央)は「意味論(Semiotics)」の国際的権威。
副学長のMichel Théra教授(左)は数学者。

リモージュ大学が「e-Pole」と進めているウェブデザインのプログラムとの交流を手始めに進めたいむね話し、担当責任者を紹介してもらう。

5 6, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

小さな村で暮らす(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-11)

サン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)近郊の人口200人ほどの小さな村で静かに暮らすシャンタル(Chantal-右端)の両親宅を訪ねる。
お父さん78歳、お母さんは68歳。

家の裏にはずっと先まで緑地が拡がり、池があり、桜などの花木やさまざまな果樹。
大きく立派な雄鶏(フランスの象徴でもある)が偉そうに胸をはって歩き回り、雌鶏たちがくつろぐ。
野菜畑も自分たちで食べる分には充分すぎるほど。

そりゃ手入れや世話はハードだよ。
けれど楽しいものさ。

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1968年「パリ5月革命」

パリ、ソルボンヌ広場(Pl.de la Sorbonne)での路上写真展。
1968年5月、この場所、カルチェラタンでパリが燃えたときのドキュメント写真。

もう40年になるのか。

遠く東京で学生運動に関わっていた私の、ベトナム反戦とエスタブリッシュメントへの異議申し立ての世界共時的なうねりに熱く共感し連帯した二十歳の頃の日々をパリで想い起こす。

ソルボンヌ(パリ)大学での政治集会。哲学者ジャン・ポール・サルトルの姿も見える。

5 6, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月04日

チベットのポシェット

「パリでチベット料理」で触れたオーナーが1979年にオープンしたパリのサン・ジャック通りのチベット雑貨店「La Route du Tibet(ラ・ルート・デュ・チベ)」で購入したポシェット。

もちろん今の中国が支配するチベットから直接輸入などできない。
インド、ネパール、ブータンなどに逃れたチベット人たちに仕事の機会を提供し、パリジャンたちにチベットの文化を伝える。

フランスのデザイナーがコーディネイトし、チベット人が制作することも。

このポシェットはネバールの亡命チベット人が作ったもの。

5 4, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

プラタナス(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-10)

パリはマロニエだが、ここリムーザン(Limousin)ではプラタナス(鈴掛の木)。

3月は暖かかったのだが4月は寒い日が続き、リモージュ市内でもまだ新葉が出始めたばかり。

プラタナスの並木が古城に向かって続く。
サン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)郊外で。

普通の民家に見えるのが村役場。

5 4, 2008 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月03日

フランスの自家製果実酒(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-9)

パトリック(Patrick Audevard)のお父さんが作っている自家製果実酒をいただき、ラ・ジュルネに持って行って皆で飲む。

お父さんはサン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)の郊外で暮らし、木を切って林の中の自分の作業場で柵や塀を昔ながらの工具で作り、週末は鹿や兎の猟をしてジビエを作る自由人。

とてもいい香り。
葡萄やプラムなど混じり合っているような味わい。
おそらく15年から20年はたっている。

詰めたボトルの浮き出し模様がレトロでかわいい。

5 3, 2008 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月02日

荷重オーバー

Baggageの荷重制限を甘く見ていたのが失敗。

ヨーロッパを3ヶ月まわったときは、荷物はもちろん重かったが、ほとんどすべて鉄道なので、重量数量制限は無く、またあちこちから本、資料など重いものは日本へ郵送していたので最終的な帰国時便に問題はなかった(リスボン〜チュニスの空路でExtra Chargeを150ユーロほど取られたが)。

今回の渡仏の荷物は、フル撮影機材などで行きは24Kg。Air Franceはリミット20Kgなのだがなんとか通る。
しかし帰りは本、資料などが加わりスーツケースは43Kg。
これは見逃してもらえなかった。

搭乗時間が迫っているので、今更なにかバッグを買って23Kg分減らすなど不可能。
まともにExtra Chargeを払うと780ユーロ(12万円)かかるという。
なにか他に方法はないの?

カーゴで別送扱いならもっと安くなるはずですが…。
それでも308ユーロ(48,000円)払うことに。

で、別送品到着の連絡を受け、成田空港まであらためて。
代行を頼むとさらに3〜4万円かかる。
空港ビルから1Kmは離れた、大型トラックやフォークがびんびん行き交う貨物ターミナルで、書類申請、税関届け、審査、受け取りとあちこちのビルに行かされ、いっぱい書類を書かされる。

ほぼ一日がかり、交通費、手数料等で1万円超。

5 2, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月30日

竹を削る少年(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-8)

サン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)
の旧市街を歩いていて出会った少年。
なにやらナイフで竹を一生懸命削っている。

翌日、ホテルの近くで後ろから「ムッシュー、ムッシュー!」と呼び止められ、見るとランドセルをしょった昨日の少年が嬉しそうに見上げてくる。

元気に生きな!

4 30, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月29日

フランスの犬たち-3

路は分かっています、と首輪もリードも付けず、ご主人の前をスタスタと歩く犬。

リモージュで。

4 29, 2008 24.犬と暮らす, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

フランスの犬たち-2

サン・ティリエ・ラ・ペルシュ(St-Yriex-la-Perche)で泊まっていたホテルの犬。

Daisiy's Cafeの「デュカ」と同じバーニーズマウンテンドッグ。

まだ1歳だがおそらく体重50Kg超。体当たりされて突き倒される。
名前は「麻心」のシャンティと同じシャンティ。

4 29, 2008 24.犬と暮らす, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

フランスの犬たち

美貌のマドモアゼルが連れていた犬たち。
私がしゃがんでおいで、というとバフバフと嬉しそうに駆け寄ってくる。

彼女がポーズというとじっとしている。

サン・ティリエ・ラ・ペルシェ(St-Yriex-la-Perche)で。

4 29, 2008 24.犬と暮らす, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月28日

喫煙

パリのカフェではテラス席はかろうじて喫煙できる。
パンテオン(Pantheon)前のカフェで。

4 28, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

「アドリアン・デュブーシェ国立博物館(Musée National Adri en Dubouché)」

リモージュの「アドリアン・デュブーシェ国立博物館(Musée National Adri en Dubouché)」で、古い「リモージュ・ボックス(Limoges Box)」を数十点撮影させてもらう。

友人の美術工芸史家の池田まゆみさんが原稿を準備しているリモージュ・ボックスの本のためのもの。

ヨーロッパの磁器博物館はずいぶん観たが、世界中の磁器に関してここほど集め、かつ歴史的系統的に展示しているところはない。

だから磁器工芸に関して研究したかったら、まずここを観るのが一番いい。
ルーブルやドレスデンのツヴィンガー宮殿にはたしかに最高のものが集められているが、やはり奢侈にまかせたものが多く、またヨーロッパ各地の産地の美術館はその地のものが中心。

前庭に咲く、花びらの先が尖った日本ではあまり見ないチューリップが美しい。

4 28, 2008 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月27日

夜焼け(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-7)

夕焼けというか、もう午後8時半だから夜焼け。
下は9時半過ぎ。

4 27, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

池の表情(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-6)

フランス中部のリムーザン(Limousin)とその東のオーヴェルヌ(Auvergne)地方は「Massif Central(中央山地)」と呼ばれ、フランス国土の1/6を占める。
太古の火山帯が作り出した丘陵が拡がり、渓流や池とあちこちで出会える。

リムーザンのさまざまな池の表情。


4 27, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月26日

パリでチベット料理

パリは移民の街であり亡命者たちの街。
異質の文化が常に出会い、もちろん摩擦を生み、しかしお互いに受容し、共生してハイブリッドの新しい文化を不断に作り続ける街。

パリにはチベット人が100名以上は暮らしているという。
特にカルチェ・ラタン、パンテオンの丘のあたりは「Little Tibet(リトル・チベ)」とも呼ばれるほど料理、雑貨、アクセサリー、本屋などが集まる。

1959年のダライ・ラマ亡命時、家族に連れられてインドに逃れ、フランス留学の機会を与えられたのを期に26年ほど前からパリに住む女性が、1979年にまず雑貨店を開き、82年にはパリ初のチベット料理店「Tashi Delek(タシ・デレック)」をオープンする。

午後8時、まだ外は明るいが店内は客がいっぱい。
子連れの「普通の」フランス人家族や、パリジェンヌのグループ、独り黙々と食べる初老の男性などなど。

「ツァム・タン(Tsam thang)」(麦焦がしスープ)
チベットは高地で米はとれない。大麦を乾燥させ、軽く焦がして粉にしたものを主材料にしたものが「ツァンパ」料理。
本来は「ヤク」のチーズを入れるのだが、もちろんチベットから輸入などできないので、代用品を工夫している。

歯にあたる具はニンジンの細切りと少しのハーブしかないのだが、とろっとしたスープは倍煎茶のような香りと奥深い滋味に溢れている。
アムド地方のパンと。

チベットの餃子「モモ(Momo)」
パリでも人気のよう。皆注文している。
テーブルに「キッコーマン」も置いてあるのだが、何が原材料かわからないタレととても合う。
私にちょうどいい分量だと思っていたら、下段もあった。

食後の塩とバターの茶が実に旨く、短いが濃密だった12日間の滞仏の疲れを癒す。

静かにかわす "Free Tibet !"

4 26, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

リンゴ畑(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-5)

リムーザン(Limousin)はリンゴの栽培にも力をいれている。
あちこちにリンゴ畑が拡がる。

花がかなり咲いているところも、このように蕾のところも。

4 26, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

とても仲がいい馬とロバ(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-4)

馬がロバを優しく気遣っているよう。

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黒尻豚(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-3)

これもリムーザン地方特産の「黒尻豚」と呼ばれる肉質のよい豚。

わりと人なつっこく近寄ってくる。

で、まじまじと近くで見る。

4 26, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

リムーザン牛(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-2)

路際にリムーザン牛(フランスで、日本での神戸牛と同じような高級牛肉となる)がいたのでカメラを向ける。

「は、なんすか?」という感じでもったりと私のいる柵際まで近寄ってくる。

で、まじまじと近くで見る。

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束の間の休息(リムーザン讃歌 Homage to Limousin-1)

2週間前に日本で会っていたばかりのパトリック(Patric Audevar)と奥さんのシャンタル(Chantal)が、私が田舎を好きなことを良く知っていて、息抜きに郊外に連れ出してくれる。

リモージュ市街をちょっと出ただけでリムーザン(Limousin)地方の美しいカントリーサイトが拡がる。

連日の雨でヴィエンヌ川の流れも速い。

畦に咲く可憐な花々。
「Paquerettes Montgifaud」という花だそう。
パトリックは花や植物模様もたくさん描くのでよく観察しており詳しい。

なだらかに続く丘陵の牧草地に、羊、牛、馬、ときにロバがのんびり草を喰む。

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2008年04月25日

オリジナリティ賞受賞日本チーム、écransに紹介

フランスを代表する新聞社「リベラシオン(Libération-fr)」が運営する有名サイト「エクラン(écrans)」に「今日のサイト(La Site du jour)」として、WIF2008国際コンペで「オリジナル賞」を受賞した日本チーム(Team203)の作ったサイトが、予選のときの作品「Life Pool」とともに紹介されている。


紹介されたページ

4 25, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月21日

WIF2008ウェブデザイン国際コンペ審査結果発表

グランプリはスウェーデンの「Team TORSK」

2位はブラジルの「Bope」

3位はインドの「1st DECEMBER」

エスポワール賞はフランス、ストラスブール大学生などの「Team Rigaud」


各サイトは
こちらから

4 21, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

日本「Team203」「オリジナリティ賞」を受賞!

このコンペでは、グランプリ、2位、3位の他に学生チームの最優秀に与えられる「エスポワール賞」とオリジナリティを認められたチームに与えられる「オリジナリティ賞」があるのだが、初参加日本の「Team203」が「オリジナリティ賞」を受賞!

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審査を終えて

私を含めた国際審査員11名による40チームサイトの評価審査は何度もの投票、議論を4時間にわたり行いようやく終わる。

くたくたなのだが、今回のWIF2008に初めて参加し貢献したということで招待客、WIF関係者、コンペ参加者たちが一同に会するクロージングセレモニーでスピーチすることに。

日本のウェブクリエイターがおかれている状況、克服すべき課題とWIFコンペへの初参加の意義、多摩美術大学上野毛デザイン学科でのコミュニケーションデザインとしてのウェブデザイン教育の取り組み、リムーザン、リモージュとの私の関わりと思い、今後のWIFやリモージュ大学との共同関係の深化などについて、英語でスピーチ。


リムーザン地方長官、国立リモージュ大学学長などと一緒のVIPテーブルに戻ると、地方長官が握手の手を差し伸べてくる。

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あと1時間の表情(ウェブデザイン国際コンペ)

24時間の期限まであと1時間の表情さまざま。

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2008年04月19日

佳(苦?)境(ウェブデザイン国際コンペ)

ファイナル選出の40チームは、国別に多い順に並べると、
フランス(11)ブラジル・ベルギー(6)インド(4)チュニジア・カナダ・日本(2)ルーマニア・香港・インドネシア・スウェーデン・アメリカ・ポーランド(1)の14カ国。

しかし、本来は国別はあまり関係なく、国籍を問わずチームを組んでよい。

圧倒的に20代からせいぜい30代前半のクリエイターたちであることがわかる。

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難問(ウェブデザイン国際コンペ)

「e-mailによるコミュニケーションは2020年にはどのようなものになっているだろうか、それはまだ存在するのだろうか?

電子的なメールのための将来のインターフェイスを考え、将来的なビジョンをウェブサイトとして完成させなさい。
創造性、独創性、革新性が望まれます」


難問だ。

まず2020年という設定をどうとらえるか。
ここ2〜3年から5年程度の「ある程度」予測できるだろう時ではなく、さりとて2050年などという、私などの世代がいなくなってからでもない12年先。

そして12年前の1996年といえばインターネットが日本でもようやく黎明期から普及期へ移行しようとするくらいのスパン。
その後は年々加速度がつき、携帯の普及で携帯メールが爆発的に普及した。

しかしここはたぶんあまり厳密に考えず、また経済的・技術的な予測などにとらわれず「近い将来」程度にとらえた方がいいだろう。

ただ、2、3年先の話ではないのだから、iPhoneの手直し程度のインターフェイスの提案では評価されない。

「コミュニケーション」ということを、日頃からどれだけ深く、広く考えているか、その上にたって電子的なコミュニケーションツールや環境の意味をとらえているか、が問われるだろう。

アラン・ケイが「Dyna Book」を構想したときくらいの、あるいはもう「インターフェイス」などということが意識されないくらいの、夢のある提案が出てきてほしいが、24時間でウェブサイトとしても完成させなくてはならない。

日本からの2チームを含め世界14カ国からの40チームが今現在苦闘している。


あなたならどうプラニングする?

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2008年04月18日

24時間のウェブデザイン国際コンペ開始

24時間ノンストップの「ウェブデザイン国際コンペティション」開始直前のコンペ会場。

音楽がビートアップし、カウントダウンされて、午後2時(日本時間午後9時)ちょうど、リムーザン地方のVice Presidentが課題を読み上げ、配られる。

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パンのおいしさ

フランスはどこでもパンがおいしいのがうれしい。
クロワッサンをはじめ、さまざまな焼きたてパンが並ぶホテルの朝食で。

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WIF2008初日

ウェブに関するさまざまなコンファランスやAdbeなどの企業やプロダクションによるプレゼンテーション、スピーチ、ビジネスあるいは交流のためのスピード・ミーティングなどが並行して行われる。

WIF2008のガイドブック。
左の11名はウェブデザイン国際コンペの国際審査員。
フランス、インド、ブラジル、チュニジア、英国、アメリカ、香港、日本(私)と多彩。

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2008年04月17日

「WIF2008(ウェブデザイン国際フェスティバル)」開幕

リモージュ市の北東の広大な円形敷地に、IT系のさまざまな研究施設、研修施設、会議場などが集約されている。
e-Poleと呼ばれる会場で「WIF2008(ウェブデザイン国際フェスティバル)」が開幕。

トヨタが協賛しているので、入り口にプリウスなどの新車が置いてある。

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明日から「ウェブデザイン国際フェスティバル」

夜8時半になってもリモージュはまだこの明るさ。

WIF(Webdesign International Festival)関係者のカクテルパーティー。
フランスはもちろん、インド、香港、ブラジルなどなどたくさんの人と話す。
ネームカード(名刺)をいっぱい交換したが、まだどれが誰やら分からなくなる。

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2008年04月16日

ようやく…

鎌倉の自宅を出てから、約28時間を経て、WIF(Webdesign International Festival)2008本部が用意してくれたリモージュのホテルにチェックイン。

街の中心のひとつ、Plaza de la Republique(共和制広場)に面している。
ホテルの部屋のバルコニーから。

ふだんまったく不規則な生活を送っているので、時差ボケというのはなったことがないのだが、さすがに疲れている。

今晩はWIFの関係者のカクテルパーティー。
その前に一眠り。

4 16, 2008 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | | コメント(0) | トラックバック(0)

リモージュへの車窓から

ヨーロッパではどこでもそうだが、日本のように中途半端な郊外がだらだらと続くことはなく、都市、町とカントリーサイドはくっきり分かれている。

パリも少し出れば、菜の花の黄色、牧草地の緑、休耕地ないし畑予定の土色の三色弁当(そぼろ、炒り卵、葉もの)のような風景が拡がる。

牛たちも春の陽を浴びて草を喰み、のんびりと横たわる。

4 16, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ブリオッシュ、タルト、バゲット…

パリは緯度が稚内より北なので朝の陽は遅い。
早朝7時前のAusterlitz駅で。

奥で作っているブリオッシュやタルト、ハムなどをはさんだバゲットなどが次々と並べられていく。

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フランス人の吸い殻

パリ、シャルルドゴール空港着。

しかし、朝4:15に着いても、両替が6時からで動けない。
気温3〜4度だろう外の喫煙所で14時間ぶりの一服。

フランス人の吸い殻と長いのは私の。

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2008年02月13日

ペルージャ(Perugia)雪景

イタリア中部ウンブリア地方の州都ペルージャ。
標高500mほどの山の上にあり古くウンブリ人が住んだ(彼らに関してはほとんど分かっていない)。
その後エトルリア人が紀元前5世紀頃城壁都市を築く。
彼らが築いた周囲3キロメートルほどの城壁は今も残されている。

毛利元郎さんの扉の絵はこの城壁に作られた門だ。


中心にあるクワットロ・ノヴェンブレ広場際のバルで一休みしていると、雪が降り始めた。

「イタリア中世のもっとも美しい噴水彫刻」といわれるフォンターナ・マッジョーレ(1278)に雪が降りかかる。
後ろにあるサン・ロレンツォ大聖堂はこの噴水より100年も後で建てられた。

古代、中世から現代の営みまでが溶け合った街並みを雪の中歩く。

エトルリア人が紀元前4〜5世紀築いた堅牢なアーチ石門(アルコ・ディ・アウグスト)。

彼らは前3世紀ローマに屈するが、ローマも城壁や石門は焼き尽くせず、その上にイオニア柱やアーチを付け加えた。

後にローマ帝国の巨大領土に広めたアーチ式建築(ローマはギリシャ文化から多くを学ぼうとしたが、ギリシャ人はこのアーチ式建築は知らなかった)はエトルリア征服から学んだもの。

2 13, 2008 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年02月10日

プラハ『共産主義博物館』

プラハの「Museum of Communism(共産主義博物館)」の入り口表示。
ロシアのマトリョーシカ人形が牙をむいている。

実質的に支配したソ連共産党幹部の執務室を再現。
ときどき電話が鳴り、当時のラジオ放送が流れる。

共産主義時代のほとんど何も商品がない食料品店。

当時の小学校の制服と教科書。

貧しい農民の農機具。

取り壊された「ベルリンの壁」の一部を展示。
ソ連軍戦車に圧殺された1968年「プラハの春」の後、永い苦難を経て1989年「ビロード革命」に至る。

1989年「ビロード革命(Velvet Revolution)」で連行される女性。

1989年「ビロード革命」。
ソ連は崩壊し、初代ボヘミア王ヴァーツラフに由来するヴァーツラフ広場を埋め尽くす民主化を求める100万の市民に対し軍事介入する力はすでになかった。

彫像はヴァーツラフ・ハヴェル(Václav Havel 1936〜) 。
チェコの劇作家。チェコスロバキア大統領(1989〜92)、チェコ共和国初代大統領(1993〜2003)。

2007年2月撮影のヴァーツラフ広場。
プラハ随一の繁華街。

2 10, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年02月09日

プラハのMicとアジくん

プラハの「ドヴォルザーク博物館」の前で。
いかにも胡散臭げな連中だという目つきでわれわれを見上げるビーグル。
Partnerの撮った写真はこちら

開館を庭で待つ間に駆け寄ってきた人なつっこいミニチュアダックス。

2 9, 2008 24.犬と暮らす, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年02月05日

CSIマイアミ

WOWOWで放映している全米TV視聴率No.1の科学捜査ドラマ「CSI(Crime Scene Investigation)科学捜査班」シリーズ(ラスベガス・ニューヨーク・マイアミ)は事件現場に残された些細とも思える物的証拠の緻密な科学分析とチームメンバーの人間描写が大好きで、仕事をしながらよく横目で見ている。

なかでも「CSI・マイアミ」のホレーショ(デヴィッド・カルーソ)が最高だ。
犯罪者を人間として見つめ、しかし被害者の立場にたって犯罪自体を絶対に許さない姿勢、チームリーダーとしての采配とメンバーへの心配り…。

写真はハンガリー、ブダペスト市内で見かけた「CSIマイアミ」の番組広告(2007年2月撮影)。

中国産餃子中毒問題を、「そこまでは調べなかった」とかなにか半素人っぽく、連絡・報告もバラバラな日本の検査機関ではなく、できるなら彼らに委ねてみたい。

ホレーショの決めぜりふ「お前を必ず捕まえてやる」。

2 5, 2008 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年01月08日

讃・家族経営

ヨーロッパの町々ではどこでも家族経営の小商店、カフェ、レストランや小ホテルなどが元気に息づいていて気持ちいい。

とてもフレンドリーな親子三代でやっているナポリのバールで。

1 8, 2008 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年01月07日

ナポリのゴミ

ナポリは私たちが訪れた昨年1月のときも、繁華街でさえ街中にあらゆるゴミが散らかっていた。

はじめはゴミ収集の雇用創出のためにわざと捨てているのかとさえ思ったが、そういう問題でも住民のモラルとかいう問題でもなく、市やこの地方のゴミ処理行政が破綻しているのだった。

今日の朝日新聞朝刊では、いっこうに収集に来ないことに怒った市民たちがゴミを積み重ね、火を放つ事件が多発し、新しく処理場を作ろうとした周辺住民も反対し、暴動寸前とさえいえる状況になっていることを報じている。

写真は夜のナポリの小路で。

1 7, 2008 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月29日

シャンベリーの想い出

年末、懸案の作業や片付けなどやりながら、ふと昨年の今頃どうしていたか画像データで見たら、フランス・リヨンに泊まっており、東部のシャンペリー(Chambery)を訪れて、上野毛ミキさんの旧友である佐登美・ラリーブさんと息子の達郎くんに在住している古代ローマ以来の小さな古都を楽しく案内してもらっていたのだった。

おいしいことで有名な店のパンも買っていただいて。

12 29, 2007 23.日々のなかで, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年11月09日

木の帽子

木を素材とした工芸や日用品クラフトが大好きだ。

イングランド、コッツウォルズのなかでももっとも美しい村のひとつ、バーフォード(Burford)の木工クラフツマンの店「Burford Woodcraft」で求めた帽子のオブジェ。

くせの強い年輪、あちこちに瘤がある材から見事な手仕事で削りあげられ、見るたびに惚れ惚れする。

11 9, 2007 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月30日

ラングドックの駅舎アート

マルセイユからバルセロナへ遅延と乗り継ぎ不能で明け方まで12時間半の旅となった途中駅、たしかモンペリエ(Montpellier)とナルボンヌ(Narbonne)の間だと思う。すでに二人とも疲れ切っていて駅名も確認できなかった。

南仏ラングドック(Languedoc)の土地の人々や街の風景が針金細工で駅舎の壁に浮かして付けられ、暖かい照明で陰影を刻む。

8 30, 2007 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月29日

チーズの楽しみ

ヨーロッパを旅していると、その土地土地のさまざまなチーズに出会えて楽しい。

日本のように世界中から輸入販売しているわけではなく、その町の周辺や地方で作られているものばかりだ。
またアメリカや戦後日本のように配合、加熱溶解して工業的に作るプロセスチーズではなくナチュラルチーズがもちろん中心。

大きな塊から好きな分量を言って切ってもらうこともできる。
少食の私たちはホテルでその土地のパンとチーズとワインという食事もけっこう重ねた。

フランス、リヨン(Lyon)のチーズ売り場で。

8 29, 2007 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月19日

ロンドンの従妹と

ロンドンで暮らしているPartnerの従妹が一時帰国し、鎌倉に遊びに来る。

下2枚はロンドンのSquare駅近くのパブ「Salisbury(ソールズベリ)」で今年3月に会ったときのもの。
ヴィクトリア朝様式の店構えや雰囲気はいいが、料理は、スープとパテはともかく、シーフードサラダは生臭く、リゾットはわけの分からない味と煮加減で、まずかった。

8 19, 2007 25.My Ex Partner, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年07月04日

ヨーロピアン・グラフィティ

ヨーロッパはどこへ行っても落書き(グラフィティ)だらけ。

塀、電車、駅、建物…。
とりたてて消そうとする努力や意思は感じられない。
消しても消してもの前史がおそらくあるのだろう。
これだけ描いてあるのだからもうこれ以上描かれもしまい、ほっておけと考えているのかもしれない。

しかし、あちこちでうんざりするほど見たグラフィティで、なにかアート的な感興のあるもの、社会的なメッセージ性のあるものはほぼ皆無だった。単なる自己満足フラストレーション発散の世界。


写真はマルセイユ駅前の建物。5階の壁にどうやって描いたか。

7 4, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年07月03日

ヨーロッパの乞食

日本では「ホームレス」はいても「乞食」「物乞い」というのはもう死語になっているだろう。

しかし現代のヨーロッパでは60ほどの街を訪れたがどの街にも必ず「乞食」「物乞い」がいる。
カシードラル(大聖堂)の入り口にはまずいる。縄張り争いなどもしている。

フィレンチェの教会前では乳飲み子を抱いた乞食をみた。

旧社会主義圏で社会福祉に比較的成功してきており、ここにはいないだろうと思っていたプラハにも、空き缶を前につっぷしている男を街の中心部で見かけた。

実際のところの貧窮度と生きていかれるのかどうかはわからない。
キリスト教的喜捨精神の伝統のなかでそれなりに暮らしていけるのかもしれない。


写真はパリ、ルーブル美術館そばの繁華街で。
小銭を渡し、犬を撮らせてほしいというと、暗い目をして男に寄り添っていた犬がぱっとうれしそうに立ち上がって私の手をなめた。

7 3, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(3) | トラックバック(0)

2007年06月29日

ナポリ湾夕景

ヨーロッパ3ヶ月行の写真画像データはコンピュータ、ハードディスク環境の問題がいろいろあり、まだきちんと整理できていない。
で、たまたま「日付不明」などとなっていた画像データの気まぐれアップ(撮影は1月22日)。

ナポリのサンタ・ルチア港そばのカフェでビールと絶品のオリーブをつまみながら、深まる夕景を眺めて。

6 29, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年06月03日

チェコのオイルランプ

オイルランプが好きで少しずつ集めている。

プラハ王城の「黄金の小路」にある石鹸やろうそくを扱う店で買ったもの。
蕾や実、葉などが入っていて美しく楽しい。

6 3, 2007 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月19日

ウンブリアの恩寵

私には宗教心は無い。

しかし、イタリア、ウンブリアの古都であり、聖フランチェスコの地、アッシジの街には私にも受け入れられるなにか根源的な敬虔さと静謐が満ちあふれているのをひしひしと感じた。

大修道院が付属する聖フランチェスコ聖堂の中廊で、フランチェスコがあちこちを遍歴したあと、世界でもっとも美しい大地と呼んだウンブリア平原に、まるで神の恩寵であるかのような雲間からの光が差しこむさまに見とれる。

5 19, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月18日

洗濯物有情-ヴェネチア・ムラーノ島

ヴェネツィア、サン・マルコ広場の南サン・ザッカーリーア・ダニエリからヴァポレットと呼ばれる水上バスで約40分、ヴェネチアンガラスの職人島ムラーノ島で。

5 18, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月17日

カンヌの赤絨毯

1946年の第1回以来60回目になるカンヌ国際映画祭が開かれている。

かつて映画少年だった頃、アメリカのアカデミー賞などというハリウッドのお祭りは鼻でせせら笑い、カンヌのグランプリ(今はトロフィーの形にちなみ「パルム・ドール Palme d'Or 黄金の棕櫚の意と呼ばれる)を最高の指針として考え、その当時都内あちこちにあった名画座の上映予定広告に目をこらしていたものだった。

こうして、ナチスに対するレジスタンスを描いたルネ・クレマンの『鉄路の斗い』(46年第1回グランプリ)に始まり、キャロル・リード『第三の男』(49年第3回グランプリ)、フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』(60年第13回パルム・ドール)、ルキノ・ヴィスコンティ『山猫』(63年第16回パルム・ドール)などの世界にわけいっていった。


ニュースでおなじみ、映画祭メインホールのあるパレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ(Palais des Festivals et des Congres)正面の赤絨毯で。

5 17, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月16日

ヴェネツィア夕景

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の横からサン・マルコ運河対岸を望んで、しばし光と色合いのグラデーションの変化を見つめる。塔は約100mの高さのサン・マルコ広場鐘楼。

5 16, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月11日

ミュシャのステンドグラス(プラハ)

ヨーロッパのあちこちで様々なステンドグラスを見てきたなかでもっとも美しいもののひとつ。

プラハ城内、聖ヴィート大聖堂のミュシャ(Alfons Mucha 1860-1939/チェコ語読みではムハ)によるガラス絵。

ボヘミアにキリスト教を広めた聖キュリロスと聖メトディオスの生涯と布教活動を描いている。

5 11, 2007 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月08日

ヨーロッパ-石の表情-1

ヨーロッパをあちこち廻って、ずっと「石」の文化を見続けていた。

石造りの家であり、塀であり、城壁であり、石畳であり、人々はその地の石とともにあった。

リモージュ南方の「サン ティリエ ラ ペルシュ(St-Yrieix-la-Perche)」の18世紀の民家。
市長の生家であり、今も彼は夏場はここで過ごす。

5 8, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月07日

リモージュの磁器工場で

連休明け、勤労意欲を鼓舞するために(?)フランスの労働者たちの表情を。

いずれもリモージュの磁器工場で。
最終的な検品をする女性、窯入れのための皿やカップを積み上げる若者、バリをとり均一に磨き上げる女性。

5 7, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月29日

泡風呂

ヨーロッパ旅行中に泡風呂の気持ちよさにすっかりはまってしまった。

子供の頃の1950年代東京。
大家族で、銭湯の時代ののち、木製の小判型をした上がり湯がついている家庭用ガス風呂が入っても、そのような風呂の入り方は想像もつかなかった。

スクリーンの中で、エリザベス・テーラーが、ナタリー・ウッドが、カトリーヌ・ドヌーヴが、すんなりした脚をときどき泡の中から上げるさまを、あこがれを思い切りこめて少年は眺めていたものだった。

4 29, 2007 25.My Ex Partner, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年04月11日

Partnerの似顔絵-完成画

写真はわかる。
写真に撮られ、その中に撮されているということは現代のリテラシーとしてすんなり受け入れられる。

では絵画(それがどのような種類のどのようなレベルのものであれ)に自分が描かれ、それが残されるということは、写真とはどう異なる意味を持つのだろうか。

君は永遠を得たいとは思わないか、とどこかの画家がモデルをくどくとき言ったような気もするが…。


Partnerによる記事はこちら

4 11, 2007 10.美術工芸, 25.My Ex Partner, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月10日

Partnerの似顔絵

顔のだいたいの輪郭からまず描くのかと思っていた。
フィレンツェのウフィッツィ美術館中廊で。

しばしPartnerを観察した後、彼は瞳と眼から描き始める。

Partnerの眼は右目と左目が微妙に印象が違うのだが、それが見事に描き分けられる。

キャンバスに陽が差し込むので、私は破れたこうもり傘を差し掛ける役をおおせつかり描かれるプロセスを見ながら写真を撮る。

私とほぼ同じくらいな年代ではないかと思われる彼がどのような経験と経緯で今にいたったのか分からないが、できうればどこか酒場で一晩語りあかしたいと思わせるなにかがあった。

4 10, 2007 10.美術工芸, 25.My Ex Partner, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月07日

コッツウォルズの鴨

イギリス・コッツウォルズの鴨。

村人や観光客にはすっかり慣れ、カメラを向けると誇らしげにポーズするよう。

日本語で「鳩胸」とはいうけれど、きみもたいした鴨胸だ。

4 7, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月06日

ウォッカ

ポーランドではワインはできないので輸入物になる。ビールも飲むが欠かせないのはなんといってもウォッカ。小麦、ライ麦、トウモロコシなどの蒸留酒。100以上の銘柄がある。

クリアなタイプとハーブなどで香り付けしたフレイバータイプに分けられ、フレイバータイプではポーランド東部の自然公園にしかないヨーロッパ・バイソンが喰む香草を漬け込んだ「Zubrowka」(日本ではおそらくロシア経由で輸入されたのでロシア語式にズブロッカと呼んでいるが、ポーランドでは「シュブルーカ」と聞こえる)が代表的だが私には甘すぎてあわない。

クリアなタイプの「Wyborowa」がもっとも雑味がなくピュアで気に入った。

4 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月05日

小さな教会

大伽藍より小さな堂や庵の方が好きだ。

カトリックの荘厳で権威的なカテドラル(大聖堂)をあちこちでいやというほど見ていると、町や村の小さな教会に行き会うとほっとする。

上はフランス・リモージュの「Chapelle Saint-Aurelien」(建立15世紀)。
中はスペイン・バルセロナ郊外の村で(建立13世紀)。
下はイギリス・コッツウォルズのもの。

通りかかった村人に「あれは教会ですか?」と尋ねると「そうです、”私たちの” 教会です」と答えた。

4 5, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月04日

幼稚園

イギリス・コッツウォルズの小さな村の幼稚園。

日曜日でこどもたちはいなかったが、こんな環境で幼少期を過ごせるのは本当にうらやましい。

4 4, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月02日

広々と…

このような環境で次のベッカムが育つのだろう。

イギリス・コッツウォルズで。

4 2, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(3) | トラックバック(0)

2007年03月29日

フランスのロバ

フランス・リモージュからパトリックのアトリエのあるサン・ティリエ・ラ・ペルシェ(Sant-Yrieix-la-Perche)に行く途中で。
車を停めてロバの写真を撮ろうとしていると柵まで寄ってくる。
「無断掲載禁止と言いにきたのさ」と運転しているパトリックが冗談を言う。

ロバは古代エジプトで改良・家畜化され運搬・灌漑・脱穀などの用途で世界にひろまった。馬より粗末な餌でもよく働き40年以上生きる。

カイロでは荷車をひいているのをたくさん見たが、ここではそんな必要はないだろう。何のために飼っているのかと聞くと「ただ楽しみ(喜び)のため」なのだそうだ。

ロバは、従順と柔和から頑迷と知性の欠如、はては過度の性欲までさまざまな象徴として扱われ、文化史的にみてもおもしろい。

3 29, 2007 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月24日

マグダラのマリアに愛を誓う

イタリア中部、トスカーナの東端、アレッツォ(Arezzo)の大聖堂で結婚式に行き会う。

アレッツォは新興ローマなどよりはるかに古いウンブリア文明以来3000年の歴史を持つ町。

中央に飾られているのはピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca )のマグダラのマリア(Maddalena di Piero)。

マグダラのマリアは明らかにイエスの妻であり、サラという娘も産み、イエスの死後フランスに渡ってメロヴィング朝にダヴィデ以来のイエスの家系が残されたという説はあながち荒唐無稽ではない。

神の子が妻帯したり子供がいては困ると考えた正統ローマ教皇庁は、6世紀、グレゴリオ1世がマグダラのマリアは罪深い女で改悛した娼婦だという声明を出し、1969年(!)に密やかに撤回するまでそのイメージを流布した。
実際は厳格なユダヤ教ラビの家系のユダヤ人イエスは当時の律法からして結婚は必須のことであり、とりわけダヴィデの直系である彼には子供をつくることは絶対の義務だった。
イエスの磔刑、埋葬、そして「復活」に立ち会ったとされる彼女をおいてイエスの妻は他に考えられない。
メル・ギブソンは『パッション(受難)』(2004)でモニカ・ベルッチ演ずるマグダラのマリアをそのように描いている。

教皇庁の声明にもかかわらず、マグダラのマリアへの信仰は太古の女神とも結びつき各地で根強く残った。

3 24, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年03月21日

アッシジ虹景

今回訪れたヨーロッパの街のなかでもっとも感銘を受けたところのひとつ、イタリア・ウンブリアの古都アッシジ(Assisi)に向かう途中で街の全景を望んで。

雨が上がり虹がかかる。
左の大きな建物は聖フランチェスコ大修道院。

3 21, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月15日

旅の読書『西欧言語の歴史』

長旅に重い本はもちろん持って行きたくない。
しかし昨秋翻訳が出た『西欧言語の歴史』(アンリエット・ヴァルテール/平野和彦訳/藤原書店)だけは600ページほどの大著なのだがずっと持ち歩いた。

「西欧」と邦題につけられているが原タイトルは "L'aventure des Langues en Occitent" であり、扱っている言語も狭い意味での西ヨーロッパではなくヨーロッパ全体にわたる。

今回の旅行はヴァチカン市国も含めれば西欧・南欧・中欧・北アフリカ14ヶ国にわたり言語もさまざまだ。

あちこち移動するたびに、そこで話されている言語についての章を読んでいた。

日本人はフランスはフランス語、イタリアはイタリア語、ドイツはドイツ語などと無意識にのっぺり「国」と結びつけてしまうが、いうまでもなく現在の政治的国境範囲と人々に使われている言語は一致しないし、「国語」などという日本的なイデオロギーは存在しない。そんな単純に考えていたらスイスはスイス語、オーストリアはオーストリア語などというおかしなことになってしまう。

それぞれの国の公の議会や役所や文書で使用される「公用語」ということにしても、例えばベルギーではオランダ語、フランス語、ドイツ語と3つあり、ルクセンブルクの公用語はフランス語とルクセンブルク語の2つだが、多くの国民はドイツ語を日常的に話している。スペインのカタルーニャ語、バスク語、英国のウェールズ語のように「地方公用語」というものもある。

ヴァルテールはそのような区分からではなく、7000年の昔、黒海の深奥から移動を始めた騎馬民族が数千年をかけて大草原から大西洋、地中海にいたるヨーロッパ全土に移動し、先住者たちとの接触のなかでいかに多様な分岐を生み出してきたか、そしてそれにもかかわらず「インド・ヨーロッパ(印欧)語」という共通の起源を持つものであること(例外としてハンガリー語はウラル語族、バスク語は印欧語ではないことは明確だが起源は不明)、スラブ系(ロシア語、ポーランド語等)・ゲルマン系(英語、ドイツ語、オランダ語等)・ラテン系(フランス語、スペイン語、イタリア語等)とまったく違うようにみえても互いに影響しあって現在の言語状況があること、ある地域地方の言語にすぎなかったものが近代史のなかでどのように特権的な地位を占めるようになったのか等々を実にわかりやすく説く。


写真はスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステラの宿、Hotel "Reyes Catolicos"(カトリック両王のホテル)内サロンの見事な木彫り丸テーブルで。
1499年巡礼者のための宿泊施設兼病院として建てられたものが現在パラドール(スペイン国営の宿泊施設)となっている。

3 15, 2007 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月14日

ナポリのオリーブ

地中海沿岸の地域はどこもオリーブ栽培が盛んで旨い。

なかでも一番おいしかったナポリでのオリーブの実。
採れたてを軽く塩漬けしただけのもの。
日本で買う瓶詰めのものとはまったく違う。歯触りのよさに新鮮な味わいが拡がる。

上はサンタ・ルチアのカフェ、下はピッツェリアで。

3 14, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年03月13日

ローマ落日

古代ローマの元老院や裁判所、神殿が築かれた帝国の中心地フォロ・ロマーノ(Foro Rommano)遺跡に落日。

ローマ帝国の繁栄が西ゴート族の進出で476年崩壊し、その後は荒れるにまかせられた。
19世紀以降ようやく発掘され現在でも調査が続けられている。

3 13, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月11日

From Europe with Love - 一筆描き

ヨーロッパをぐるりと廻って地図上の一筆描きも終了。

車中で色々な折り方をして見ていたのでぼろぼろになったトマス・クックの「RAIL MAP EUROPE」。

今回行く範囲をすべて網羅しているヨーロッパ・アトラス。
80万分の一のスケールで統一してあるので距離感をつかみやすい。
何日か前に通った街々が同じ見開きにあって意外と近いことに気づいたりする。

3 11, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月09日

From Europe with Love - 日本そば

ヨーロッパ3ヶ月の旅の最後の夕食は、ロンドンーパリのユーロスター車内で軽食が出たので、重いものを食べる気になれず日本そばの店、サン・ジェルマン・デ・プレの「YEN」。
オンワードがやっている。

漬け物10ユーロ(約1600円)、そば味噌7ユーロ(約1000円)などなどなかなかいい値段。
鹿児島の芋焼酎と。
冷や奴がクリーミーでおいしい。そばもコシがあり旨い。

帰り際に気づいたが、12月にパリに来たときに偶然出会ったTBSの池田裕行さんにまたばったり遭遇。

3 9, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月08日

From Europe with Love - ハイドパークで

おばあさんは14歳になる老犬ニックと毎朝ハイドパーク(HydePark)をゆっくり散歩する。
パンくずの餌は必ず用意してある。

餌を待つリスと小鳥。

3 8, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - コッツウォルズの村で

長旅の最後、コッツウォルズの田園と小さな村々で疲れを癒す。

あちこちに流れるせせらぎ
どこまでも拡がる丘陵
七人のこびとでもドアから出てきそうな藁葺きの小屋……

3 8, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年03月07日

From Europe with Love - 春めくヨーロッパ-3

コッツウォルズを愛し暮らしていたウイリアム・モリスが、イングランドでもっとも美しい村と呼んだバイビュリー(Bibury)。
泊まったホテルでの桜。

この建物は1633年に Tomas Sackville卿という「Knight and Gentleman」が建てたものを1968年からホテルにしている。

1633年といえば、まだ清教徒(ピューリタン)革命(1940)が起こる前。
日本では江戸時代初期、鎖国令が初めて出された年。

3 7, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月06日

From Europe with Love - 春めくヨーロッパ-2

オランダ・デルフトで、水仙が見事に咲き揃う。

3 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 春めくヨーロッパ-1

オランダのハーグ中央駅前に咲きはじめているクロッカス。
のどかにトラム(路面電車)が横切る。

3 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - Draft GUINNESS

イギリスに来たらまずはGUINNESSの生。
常温に近いものと冷やした「Extra Cold」がある。人によるだろうが私は冷やした方。

オックスフォードのカフェレストランで。

3 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月04日

From Europe with Love - コッツウォルズへ

Blogをアップする環境、時間が無く(いずれアップします)、とんでとんで……、ミュンヘンからアステルダム、ハーグ、デルフト、アントワープを経て、ブリュッセルからユーロスターでロンドンで一時帰国していたPartnerと合流。

翌朝、ハイドパーク脇のホテルに荷物を預けて身軽になり、由緒正しいブラックワゴンタクシーでパディントン駅へ、
喧噪と雑踏のロンドンとはさっさとおさらばして週末から4泊5日のコッツウォルズへの小旅行。

パディントン駅から50分で学園都市オックスフォードへ。

何層にも重なった雲が美しい。

オックスフォードのAvisでレンタカーを借りる。
運良くあったオートマチックの真新しいプジョーで。

ルートも泊まるところもはっきり決めてはいない、現地に行っての感触で判断する。

3 4, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月01日

From Europe with Love - 「白いバラ」メモリアル

コートを探し出すのに手間がかかり、アムステルダム行きの発車時刻まで1時間少しになってしまった。

ミュンヘンはもちろん見所が多いが、残された限られた時間でどうしても見ておきたい、とタクシーをとばしてミュンヘン大学(正式にはLudwig-Maximilians-Universität)大講堂へ。

「白いバラ(Die Weiße Rose)」はハンス・ショル(Hans Scholl 1918-43)を中心に、その妹ゾフィー・ショル(Sophia Magdalena Scholl 1921-43)らミュンヘン大学の学生5名、クルト・フーバー教授が組織したナチスへの非暴力レジスタンス運動。

今の日本の学生にはなかなかイメージできないだろうが、第二次世界大戦下であり、彼ら学生もフランスへの侵攻やソ連との苛烈な東部戦線にかり出された帰還兵。特にスターリングラード攻防戦(1942.6〜43.2)でドイツ軍の精鋭30万が壊滅し敗走を始めたことを受け、一段と活動を先鋭化させた。

43年2月18日、講義終了にあわせて一斉に6冊目のリーフレットが学生たちに配布される。
ゾフィーが最後の一部を中庭の屋根から撒いたのをナチス党員である大学の守衛が通報、彼らはゲシュタポに拘束され、22日の裁判で反逆罪による死刑判決、その日のうちにギロチンの露と消えた。

ハンス 享年24、ゾフィー 享年21。


写真は、大講堂の入り口前の彼らの制作配布したリーフレットを復元したレリーフ。
白いバラのようだ。
通りがかった学生に聞いてメインホールの一角にある6名の彫像へ。
真新しいバラが供えられている。

この一角は「Geschwister-Scholl-Platz(ショル兄妹広場)」隣接する広場は「Professor-Huber-Platz(フーバー教授広場)」と名付けられている。


『白バラの祈りーゾフィー・ショル、最後の日々』(監督:マルク・ローテムント 主演:ユリア・イェンチ 2005)は昨年1月日本でも公開されDVDも出たので帰ったらぜひ観直したい。

3 1, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月28日

From Europe with Love - 再会

昨夜遺失物係から聞いた電話番号にかけると、英語で大丈夫だと言われていたのに通じない。
ホテルのレセプションで替わりに電話してもらうと「そんなものはない」と言われる。
そんなはずはない、ライプツィヒの係員がミュンヘンにあると言ったと食い下がっても「よくあることですよ」と肩をすくめるだけでまたまたラチがあかない。

ジャケットの上から着られるようなコートは薄いものしか持っていなかったので旅行前に買ったもの。
ポケットにはドレスデンのアイグナーショップで買い気に入っていた手袋も入っている。

落胆するが諦め切れず再度駅の遺失物係に行くと、昨晩の官僚的な男とは違う親切な女性が対応し、2ヵ所ほどまわって薄暗く冷え冷えとした保管庫で見付けたときは、おおこんな寂しいところでよく我慢して待っていてくれた、これからは離さないよといとおしい気持ちでいっぱいになる。

2 28, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

From Europe with Love - ミュンヘン

ベルリンからライプツィヒ、ニュールンベルグを経てミュンヘンに夜到着。

駅の遺失物取扱所に行くが、そこは1週間以上たったものだけ。
明朝別のところへ。

近くのビアレストランでミュンヘンスタイルの一皿。
ソーセージ、暖かいマッシュドポテトに酸味の効いたザワークラウト。

2 28, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月27日

From Europe with Love - Not Madaaaaaaa~m !

※写真はポーランド・クラクフのユダヤレストランで


私は日本人男性としてはけっこう長髪で分量も多い。おまけに体格も華奢で髭もいくらかの割合のイタリア人女性より薄いくらい。

ヨーロッパの男性はほとんどが短髪だ。

こちらの人にとっては日本人とあまり区別のつかない中国・韓国系の観光客も皆短かく刈り込んでいる。
アラブ系の男性も短い。友人の松田嘉子さん(ウード奏者・アラブ音楽研究家・多摩美大教授)によると、宗教的なものというよりアラブ系の男性は縮れ毛で伸ばすと爆発したようになってしまうので短くするのだそうだ。たしかにチュニジアでも多少長めの人はこってり油でなでつけていた。


こちらに来て私より髪が長く多い男性を見かけたのはもう3ヶ月近くあちこち廻っているのに10人もいない。それも観光客らしい人がほとんどだ。


しか〜し、私ぐらいの髪のおば(あ)さんはそこら中にいるのである。
で、よく女性と間違えられる。


服装で分かるかというとそんなことはない。
ほとんどの女性がパンツルックだし、冬場でコートをはおりマフラーを巻いていてはアクセサリーも胸のふくらみもわからない。
ワルシャワのエレベーターで乗り合わせたおばさんは髪の毛も私とほぼ同じ分量、同じ色合いで、同じような黒のタートルネックセーターに同じようなグレーのヘリンボーン柄ジャケットを着ていて思わず話をかわしたが、やはり私のことを女性だとばかり思っていた。

話せば判別されるかというとそんなこともない。
ベルリンの本屋の店員とこういう本はどこにあるかとか色々話したが、帰りに「ダンケ・シェーン、マダーム」と言われた。

リスボン空港では金属探知機のアラームが鳴ったためボディチェックした(!)警備員に「行っていいですよ、マダム」。

チュニスでは客引きのタクシードライバーがしつこく「マダ〜ム、マダ〜ム」とつきまとい、ついにキレて「Not Madaaaaaa〜m !」とできるかぎり低い声で吠えた。

フィレンツェのカフェでは並んで待っている女子トイレを横目に男子トイレに入ろうとしたら、「No! No! そっちは殿方用よっ!」と厳しく注意された。
あの〜、わたくし一応殿方なんですけど…。

Partnerが一時帰国して独りで行動するようになってからは間違われる確率はさらにぐんと高まった。これでネックレスでもしてみたら100%だろう。
ベルリンで3泊したホテルの朝食担当ウェイトレスは最後まで私を女性だと思いこんでいた。

今朝も郵便局で本を日本に送るためのパッケージ用ボックスの組み立て方にとまどっていると、近くにいた男性が駆けよってきて「こうするんですよ、マダム」とやさしい口調で親切に手伝ってくれ、20Kgほど本を詰め込んだ箱を窓口まで運んでくれる。
私のことをどこの国の人かははっきりとは分からないが異国の空の下で困っているおば(あ)さんと思ったのだろう。


う〜む、だんだん慣れてきて、マダ〜ムと呼びかける声がすると反応して振り向くようになってしまったではないか……

2 27, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(3) | トラックバック(0)

From Europe with Love - ヨーロッパ最古のカフェで

ライプツィヒの街をいろいろ歩き回ったあと「カフェ・バウム(Caffe Baum)」へ。

創業はカフェとしてはヨーロッパ最古の1556年というから、信長が清洲城を制圧し今川義元との桶狭間の戦いをひかえていた頃だ。

かつてシューマンやメンデルスゾーンらが集い、音楽論議にふけった1階カフェの一角。
2階はすばらしいレストランになっていて、シューマンが愛好したという骨付き肉などライプツィヒ料理が食べられる。


毎日さまざまな空間、場に身を置き、動きまわり、初めての事物、人々と接し、その土地土地の酒と料理を食し、長期滞在型と違って数日(時に1日)ごとに重い荷物をひきずって移動し、必要なデータ保存とバッテリーの充電をし、疲れ切って眠る、という生活を続けてきた3ヶ月にわたる旅もあと10日あまり。

身体的な体調はすこぶるいいが、精神的にはかなりのフラストレーションが溜まっている。

ネット環境の問題ももちろんある。
しかし根本的には、体験したこと、感じたこと、考えたことを、写真を含め自分のなかで推敲・整理し、文献資料を調べ、関係づけ、文章化を含めたなんらかの形で記録・表現するということをする時間的余裕がほとんどないからだ。

コンピュータ用語で言えば、「Input(入力)」ー「Process(処理)」ー「Output(出力)」という一連のサイクルのうち、「Input(入力)」が99.999…%の割合で、生データがメインメモリーにどんどんストックされたままほとんど処理も出力もできないという状態。

2〜3週間ならともかく、このアンバランスな状態は私にとっては3ヶ月がそろそろ限界だなと思いながら黒ビールを飲む。

2 27, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月26日

From Europe with Love - ライプツィヒへ

で、デッサウはあきらめ、思いがけずライプツィヒに来てしまった(余裕があれば来たかった所だが)。

1915年に造られたライプツィヒ駅は鉄道駅としてヨーロッパ最大規模のもの。
なにしろ間口だけで300mもあり何層にもなっている。

ここに保管されているとばかり思って駅の遺失物係のようなところに行くと、書類を書かされ、それはミュンヘンに行っているであろう、と言われる。
数時間後に再び行くと、確かにそのコートはミュンヘンで保管している、というのでちょっと安心。
ベルリンに送ってもらえるかと聞くとそれはできない、ミュンヘンに取りに来い。

明日ベルリンから西のアムステルダムに移動する予定だったのだが、変更して南のミュンヘンへ向かわねばならない。ドイツの南北のたぶん8割くらいに渡る距離。

アクシデントや予定変更は楽しむことにしている。
まあ、それはそれで色々な風景を観られるし、旨いビールもまた飲めるし…。

2 26, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 忘れ物注意

今日はベルリンから約1時間40分ほどのデッサウ(Dessau)に行き、バウハウスを見て回ろうと思っていた。

が、本を読んでいて乗り換え駅(Lutherstadt Wittenberg)が近づいて来たのに気づかず、あわてて降りた際、座席の後ろにかけていたコートを車内に置き忘れてしまった。

デッサウ行きのホームに行ったところで気づき、駅のスタッフに事情を説明してこの列車と連絡をとって次の停車駅に預けてもらうよう頼む。
英語を解さないおばちゃんは、事情は理解したようなのだが、それはできない、私の仕事ではない、とニベもない。

駅前で当たり屋らしい腕を痛そうに押さえている男を尋問していた警官に頼み、再度おばちゃんにかけあうが、おばちゃんは何かやるそぶりは見せるがラチがあかず、警官は行ってしまう。

どうしたものかとホームへ戻ると「DB(Die Bahn)」(ドイツ鉄道)のマークを着けた交替要員のような人がいたので(この人も英語はできない)、なんとか事情を説明し、次の停車駅にキープしてほしいと伝え電話してもらう。

で、彼はこの電車がこれから停まるライプツィヒに行け、と言うので次の電車を待っているところ。


ヨーロッパに来て2ヶ月半、いわゆるホームシック的な感情を抱くことは一度も無いのだが、犬を見るとどうしてもMicのことを想い出し会いたいなあと思う。

2 26, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年02月24日

From Europe with Love - ワルシャワゲットー蜂起英雄記念碑

ヨーロッパを廻って、実にさまざまな聖人像、磔刑像、ピエタ像、聖母子像、偉人・為政者像、噴水、ギリシャ・ローマの彫刻などに接して来たが、この彫像ほど心を打たれたものは無い。


ワルシャワとその周辺には第二次大戦前、ニューヨークに次ぎ世界で2番目、ヨーロッパで最多の約45万名のユダヤ系市民が暮らしていた。
ポーランドを占領したナチスは1940年広大なユダヤ人居住区(ゲットー)を建設し、煉瓦塀をめぐらして普通に生活していたユダヤ系市民を強制収容する。

ワルシャワ北東約90Kmに「トレブリンカ絶滅収容所」を造り、1942年までにおよそ30万人を即抹殺の列車に送り込み(この中には有名な「コルチャック先生」と孤児たちもいた)。さらに10万人の市民をゲットー内で殺し、あるいは劣悪な環境下で病死させた。

先に書いた「ワルシャワ蜂起」に先立つ1943年、ゲットーの人々は人間としての最後の尊厳をかけて絶望的に決起するが、ひとたまりもなく鎮圧虐殺され、ゲットーは徹底的に破壊された。


旧ワルシャワ・ユダヤ人ゲットー地域の中心に1948年に建てられた1943年のワルシャワゲットー蜂起のモニュメント。

2 24, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月23日

From Europe with Love - ワルシャワ蜂起記念碑

1939年ナチス・ドイツはポーランドに電撃的に侵攻して占領下におく。
圧政と虐殺が続く1944年8月1日、ワルシャワ市民とロンドンのポーランド亡命政府指揮下の国民軍はあと10日ほどであろう指呼の間にいたソ連軍の介入を期待した上で一斉蜂起する。国民軍を基本的に反ソ的だと考えていたスターリンは最後まで進撃の指示を出さず、蜂起軍は熾烈な市街戦を63日間闘い抜いた末10月2日ついに鎮圧された。

この蜂起で亡くなったワルシャワ市民は20万人といわれる。


ワルシャワ蜂起記念碑。

「ワルシャワ労働歌」のメロディが2回出てくる「ワルシャワ蜂起記念ミュージアム」のショップで購入したCDをMacで聞きながら。

若い頃よく歌った。
ポーランドの若い人はほとんど知らない。

♪暴虐の雲 光を覆い 敵の嵐は 吹きすさぶ
♪怯(ひる)まず進め 我らが友よ 敵の鉄鎖を打ち砕け

♪起て 同胞(はらから)よ 行け闘いに
♪聖なる血にまみれよ
♪砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく

2 23, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月22日

From Europe with Love - ワルシャワ雪化粧

今日のワルシャワは美しい雪化粧。
ホテルマンは冬は嫌いだと言うが行きずりの私にはうれしい。

2 22, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - ワルシャワ朝景

ワルシャワーロンドン経由で一時帰国するPartnerを朝5時過ぎホテルで見送る。
3月1日にロンドンでまた合流する予定。

ワルシャワ旧市街にある2年半前にオープンした素晴らしいホテル「Le Legina」の部屋からの早朝窓景。

2 22, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年02月21日

from Europe with Love - ドレスデンの祈り

ドレスデン大空襲の記念日。
5500名の市民が集まり「GEN DENKE(=REMEMBER 想い起こそう)」と集会とデモ。

キャンドルで文章(=「ナチスはもうたくさんだ」)を灯し祈る人々。

一方で約1700名のネオナチが集まり、ヒットラーの絶叫調とは違う、なにか新興宗教のようなイントネーションの無いアジテーションがマイクで響く。


トラム(路面電車)も止まってしまい、レストランで食事して11時頃ホテルに帰るわれわれは動員された2000名の重武装警官隊の指示に従う。

暗がりの路地を黒覆面の男たちの集団が走り行きかなりな恐怖。

翌日のドレスデンの新聞。

2 21, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月18日

from Europe with Love - 国境の駅

ドレスデンからポーランドへ、
ドイツ側でドイツの国境警備隊の検問、引き続いて迷彩服を着たポーランド国境警備隊の検問。

ドイツからポーランドへ入った国境駅でいきなり列車遅延で足止め。
駅の周辺にはカフェもなにもない。ひたすら待つのみ。外は零下5度。
WCと書いてあるが扉は開かなかった。

旧共産圏を代表するなにか牢獄のような駅舎。

2 18, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月15日

From Europe with Love - ドレスデン・レクイエム

アップできるのはいつになるか分からないが、今ドレスデンのホテルで2月13日夜から14日になるところで記している。

62年前、1945年のこの夜、英国空軍、引き続いて米空軍の爆撃により、かつて「エルベ河のフィレンツェ」と讃されたドイツ中東ザクセンの古都ドレスデンの中心部は、ヨーロッパで最も美しいバロック教会「フライエン(聖母)教会(Frauenkirche)」も、アウグスト強王のツィンガー宮殿も、ザクセン王代々の居城も瓦礫の山と化し、23万名の市民が紅蓮の炎のなかで死んでいった。

絵はその夜を描いた Otto Griebel『Das brennende Dresden(Dresden Burning) 14. Februar 1945』(『The Destruction of Dresden in the night of 13-14 February 1945』より)


ゼンパーオーパー(Semperoper)でモーツァルトの『レクイエム』。
ゼンパーオーパーは1878年にゴットフリート・ゼンパーの設計によりイタリア・ルネッサンス最盛期の様式を模して造られた19世紀劇場建築としてヨーロッパ屈指の劇場。
これも徹底的に破壊されたが、永い年月を経て修復された。

教師の説明を聞きながら楽しそうに見学するこどもたち。


モーツァルトの『レクイエム』は東京で何度も聴きにいっているが、この夜のコンサートはこれまでにない経験だった。

聴衆にはもちろん観光客も混じるがかなりの年配の市民が多い。
おそらくは幼少時にあの空襲のなかを家族の誰かを喪いながら生き抜いてきた人々なのだろう。
後ろの脚の悪い杖をついた気品のある老人は奥の席に人が座ろうと通るたびに律儀に立ち上がって通している。


1時間ほどの奏唱が終わり、マンフレッド・ホーネク(Manfred Honeck)の右手の指揮棒がゆっくりと静かに静かに降ろされる。

普通のコンサートのような拍手喝采は、誰ひとりしない。


『レクイエム』は音楽会の単なる一演目などではなく、死者のためのキリスト教典礼で歌われるミサ曲であり(日本語に訳されている慰霊のための一般的な「鎮魂曲」ではない)、さらに今晩は特別な晩なのだ。

合唱団もオーケストラも独唱者たちも、そして聴衆たち(といっていいかどうか)も静粛のうちに立ち上がり、そのまま黙祷のようになる。姿勢はおのおのまちまちだ。

黙祷の時間が1分だったのか5分ほどだったのか、つい先ほどのことなのに私には定かでない。


それぞれの人がそれぞれの亡き家族親族のことを想い、天国が暖かく迎え入れてくれるように祈っているなかで、演奏中以外撮影OKの2Eを払っているのだがシャッターは切れなかった。

ドレスデン大空襲についての過去記事

2 15, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月13日

From Europe with Love - プラハ最古のビアホールで

チェコはビールの国。一人あたりの年間消費量は世界一。
あちこちに「ピヴニツェ」というビアホールがある。
プラハ最古のピヴニツェ「ウ・クレフー(U Fleku)」で。

日本では50年かそこらで(へたをすると30年くらいで)「老舗」などと称するが、こちらは桁が違う。創業は1499年! コロンブスの「新大陸発見」からわずか7年後、中国は明代、日本でいえば戦国時代ですよ。

座れば黙っていても自家醸造の黒ビールが出てくる。
アコーディオン弾きのおじさんは客層をにらみ、イタリア人と見るやイタリア民謡を、ドイツ人と見るやドイツの歌を歌う。
われわれを見て『上を向いて歩こう』をチェコ語で歌ってくれる。

2 13, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年02月11日

From Europe with Love - ブダペスト夜景

ブダペストの夜景は本当に美しい。
ホテルのテラスからドナウ河対岸のブダを望む。

「くさり橋」「ハンガリー王宮」「ゲッレールトの丘」。

2 11, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - ブダペスト夕景

ドナウ河畔に切り立つような高さ235mの「ゲッレールトの丘」に夕刻登る。
ローマが要塞を築き、ゲルマン民族が南方へ移動した後、ウラルからやってきたもともと遊牧騎馬民族であるマジャール族がこの地に定着し、896年ハンガリー王国を建国した。

初代国王イシュトヴァーンはカトリックに改宗し、ローマ教皇からイシュトヴァーン1世の称号を受ける。布教のためイタリアから呼ばれた伝道師「ゲッレールト」は異教徒によってこの丘からドナウに突き落とされ殉死した。彼は功績を讃えられハンガリーの聖人となり、この丘は「ゲッレールトの丘」と呼ばれるようになる。

丘の先端に作られたナチス・ドイツからの解放とソ連軍兵士の慰霊碑として立てられた女性像の台座の一部。むろんその後の歩みは解放と自由とはほど遠いものだった。

左側がブダと王宮、1849年に完成したブダと右側ペストを初めてつないだ「くさり橋」。

2 11, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月10日

From Europe with Love - 宮殿でのお絵描き

ウィーン・ベルヴェデール(Belvedere)宮殿上宮の大理石の間で寝そべりながら楽しそうに絵を描いている地元の子供たち。

この上宮は「オーストリア・ギャラリー」として公開され、19世紀末から20世紀初頭に勃興したパリのアール・ヌーボーに呼応するユーゲント・シュティールの旗手、グスタフ・クリムトの代表作『接吻』(1908)『ジュディス』(1901)、エゴン・シーレ『窓』(1914)『男と乙女』(1915)などがすぐ近くの間に展示されている。

2 10, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年02月08日

From Europe with Love -ブダペスト夜景

ブダペスト、ドナウ河ペスト側のホテルの部屋から。

左はドナウ対岸ブダのハンガリー王国宮殿、右に見える橋はブダとペストをつなぐ初めに作られた「くさり橋」。

2 8, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love -ウィーンからブダペスト車窓

ウィーンからブダペストへ。
広大なハンガリー平原が拡がる。

ハンガリーは第二次大戦後ソ連支配下「鉄のカーテン」に隠されてしまったので、ウィーンとブダペストというとまったくかけ離れて思えるかもしれないが、同じドナウ河流域、距離にして約200Km。東京から浜松くらいなもの。
かつてオーストリア・ハンガリー帝国としてハプスブルク家の支配のもとにあった。

ルートは逆だが、ブダペストからウィーンへのEC(Euro City)の列車で知り合った男女(イーサン・ホークとジュリー・デルビー)が、互いの生活に戻る朝まで、ウィーンの街で共にさまよい語り合うリチャード・リンクレイター監督の秀作『Before Sunrise』(邦題『恋人までの距離(ディスタンス)』1995)を思い起こす。

ジュリー・デルビーが脚本にも参画した続編『Before Sunset』(2004)とともに帰ったら観直したい。

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From Europe with Love -ウィーン・シュテファン寺院夜影

12世紀にロマネスク様式の教会として建築され、14〜15世紀にハプスブルク家によってゴシック様式の大教会に建て替えられたウィーンのシンボル、シュテファン寺院(Stephansdomー地元の人は「シュテッフル」と呼ぶ)。

ライトアップされた高さ137m南塔の影が垂れ込めた雨雲にくっきりと映る。

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2007年02月06日

From Europe with Love -国境夕景

イタリア、オーストリアの国境付近で落日。

落陽後の茜色の残照が大好きだ。

2 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love -アルプス越え

チュニジアのチュニスからシチリアに渡り、パレルモ、メッシーナ、ナポリ、ローマ、アッシジ、ペルージャ、アレッツォ、フィレンツェ、ラヴェンナ、ファエンツァ、ベネチアとイタリアを北上してきたが、泊まったところはどこもネット環境は悪く、2週間ぶりにようやく。

今日はベネチア・サンタ・ルチア駅を14:44発ウィーン行きのECに乗り込み7時間の列車行。

ときどき現れる村落の家々もだんだんチロル風になってくる。

アルプスの東端をなんとかくぐり抜けるように進む。

トンネルとトンネルの瞬時のあいまで。
中欧と南欧を峻別するアルプスの存在を実感する。

オーストリアとの国境の駅で。
Partnerは、わ〜い、アルプスの雪だとさわりに行く。
乗務員も交替。グラッチェからダンケ・シェーンへ。

2 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月22日

From Europe with Love -洗濯物有情・リスボン

リスボンは古代ローマの頃からユリウス・カエサルも訪れ、町をなしていた。西ゴート族の支配の後、8世紀イスラームの支配下に入るが、カスティーリャから独立したポルトガル王国の首都として12〜13世紀、ヨーロッパ有数の都市となる。

1498年、バスコ・ダ・ガマのインド航路発見とアジアとの香料交易でリスボンは未曽有の繁栄を遂げた。
ポルトガル人はインドのゴアに東洋支配の拠点を築いて通商圏を拡大し、イエズス会を通じてキリスト教を布教する。

1543年、ヨーロッパ人として初めて日本を訪れ、南蛮文化をもたらす。

ところがリスボンは1755年の大地震で市内のあらかたは廃墟と化す。
写真のアルファーマ地区は、その災禍を免れた地域で城塞に向かう斜面に入り組んだ路地と古い建物が残り洗濯物がはためく。

1 22, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年01月21日

From Europe with Love -ナポリ湾夕景

ポンペイ付近で、車窓から。

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From Europe with Love -メッシーナ海峡波光

シチリア島・メッシーナからイタリア半島の爪先、ビラサンジョバンニへのメッシーナ海峡で。

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From Europe with Love - 航海安全祈願

東はイオニア海、西はティレニア海。
イタリア半島最南端カラブリアへ手漕ぎボートで渡れそうなメッシーナ海峡。

しかし実は潮流が激しい海峡の航海安全をたぶんラテン語で祈願する意を記した金色のマドンナ像。

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From Europe with Love - マッシモ劇場

地中海最大の島シチリア(英語名シシリー)、紀元前8世紀頃からパレルモにはフェニキア人により、シラクーザ(シラクサ)、メッシーナにはギリシャ人により交易地として植民活動が始まった。

地中海の中心にあるシチリアのその後の歴史はもうわけがわからないほど複雑だ。

ローマはもちろん、ビザンティン、イスラーム、ノルマン、神聖ローマ帝国、フランス、スペイン、サヴォイア家、ハプルブルク家、スペインブルボン家、ナポリ王国との合併、ガリバルディによるイタリア王国への統一…。

このさまざまな支配と「ローマの穀倉」といわれた以来の収奪にあえぐ歴史のなかから「シチリア・マフィア」が生まれたといわれる。


ヨーロッパでも屈指の大歌劇場、パレルモの「マッシモ劇場(Teatro Massimo)」。

もちろんドン・マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)が娘メアリー(ソフィア・コッポラ)を殺されて慟哭し、「カヴァレニア・ルシティカーナ」が鳴り響く『ゴッドファーザーPart3』の舞台。

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From Europe with Love - シチリアへ

チュニジア・チュニス空港から44人乗りプロペラ機でイタリア・シチリア島パレルモへ。

地中海の東西の往来はこのシチリア海峡を通る。海峡幅約150Km。
対馬海峡(208Km)より狭い。
古代ローマはここを通ってカルタゴをせん滅した。

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2007年01月18日

From Europe with Love - ハマメット夕景

チュニスから60Km南東のビーチがひろがるハマメット(Hammamet)夕景。

フランスの植民地時代、社交場として発展。
モーパッサン、オスカー・ワイルド、チャーチル、そしてフランソワーズ・サガンやソフィア・ローレンなどのエトランジェたちを魅了した。

友人のアラブ音楽家である竹間ジュンさん作曲の『ハマメットの渚で』という美しい曲がある。

1 18, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 世界最古のカフェで

チュニジア、シディブサイド(Sidi Bou Said)の世界最古のカフェのひとつといわれる「カフェ・デ・ナット」。

ナットはゴザの意味で床上に敷かれたゴザの上でゆったりくつろぎおしゃべりする。

カフェは9世紀頃、メッカなどにできたとされるが、シディブサイドはレコンキスタによってアンダルシアを追われた人々が移ってきてできた街。いつ頃からかははっきりは分からない。

チュニジアのお菓子と松の実を浮かべたミントティー。

水煙草をゆったりくゆらす男。

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2007年01月16日

From Europe with Love - チュニジア着

スペインをバルセロナ、ヴァレンシア、トレド、コルドバ、グラナダ、マドリード、サンチャゴ・デ・コンポステラと来て、ポルトガルに入りポルトに一泊。さらにリスボン空港からチュニジアのチュニスへ約80人乗りの飛行機で2時間20分ほどで着く。

ポルトガルはイギリスと同じグリニッジ標準時なので1時間時計を遅らせ、チュニジアはまたヨーロッパ時間なので1時間早める。

今回のヨーロッパ旅行は全13ヶ国だが、そのうちのひとつは北アフリカのチュニジア。
ヨーロッパと北アフリカなどとは全然別物だと思うかもしれないが、地中海世界としてとらえればずっと密接につながりあっている。

ボン・ジュール、メルシィ、オ・ルヴォワールの世界からオラ、グラシアス、アディオスに少し慣れたと思ったら、またポルトガルでセルベッサ(スペイン語でビール)はセルベージャだと言われ、チュニス航空ではまたボン・スワールと迎えられる。

毎日のように「世界遺産」のなかにいて、宿泊ホテルも旧市街と新市街があれば迷わず旧市街を、小さいものと大きいものがあれば小さいものを、できるだけ歴史や由緒と特徴があるところを、と渡り歩いているので、コンピュータ・ネット環境は良くなく、アップも前後錯綜します。ご容赦。

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From Europe with Love - サンチャゴ・デ・コンポステラ夕景

サンチャゴ・デ・コンポステラの旧市街(世界遺産)に灯がともり、中世と同じ夕陽が隠れる。

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From Europe with Love - シェラ・ネバダ遠景

グラナダのアルハンブラ宮殿からシェラ・ネバダ山脈を望む。

アンダルシアの地からはどこからものぞめ、春には溶雪が谷間と渓谷を潤して緑と花をもたらし、夏には涼風を贈る。

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2007年01月07日

From Europe with Love - バレンシア夕景

バレンシアのカテドラル鐘楼上から。
目がまわり足がもつれる高さ50mの石の螺旋階段を上がって。

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From Europe with Love - ガウディ「カサ・ミラ」

La Pedrera(石切場)とも呼ばれるガウディ作の有名な「カサ・ミラ(Casa Mila)」。

最上階はアスパイ・ガウディというガウディの作品を紹介する博物館になっており、奇妙な煙突が林立する屋上にも出られるのだが、入館を待つ長蛇の列で今回は時間がなく石の感触を確かめてあきらめる。

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From Europe with Love - カタルーニャ小史

カタルーニャの人々はスペイン人である前にカタルーニャ人。

ヨーロッパの歴史はどこも重層的、複層的だが、現スペイン北東部のバルセロナを中心とするカタルーニャの歴史も実に複雑だ。

高校で世界史を習わなかった(?)若い人のためにものすごくおおざっぱに記すと以下。


現在のカタルーニャの地にはイベリア人が先住していたが紀元前1000年頃北から移住してきたケルト人と混血する。
その後フェニキア人、ギリシャ人が植民し、古代ローマ時代には「ヒスパニア・タラゴニア」と呼ばれる帝国の属州となり、古代ローマ遺跡が数多く残るバルセロナ南のタラゴナ(Tarragona)がイベリア半島支配の拠点だった。
ローマに対抗したカルタゴ(現チュニジア)のハンニバルもポエニ戦争でこの地を席巻し南フランスからアルプスを越えローマに迫った。

ローマ帝国が東西に分裂した後、5世紀からは西ゴート族が進出しこの地を支配する。
8世紀には北アフリカからイベリア半島に侵攻したイスラームのムーア人に占領されるが他の地方と違ってその支配は長くは続かない。

8世紀末にはフランク王国カロリング朝のカール大帝(シャルルマーニュ)が奪ってスペイン辺境領とし、後にバルセロナ伯領として独立する。
12世紀から15世紀初めまで、レコンキスタ(キリスト教徒によるイスラーム支配からの領土回復運動)のなかで西隣のアラゴン王国と同君連合し、地中海貿易を独占して繁栄する。

15世紀末、アラゴン王国とカスティーリャ王国の合併と「新大陸の発見」、大西洋航路の開拓によってハプスブルク家の統治下カタルーニャの地位は低下するが、カスティーリャに抗し、政治的言語的自治を要求し続け、17世紀には大規模な反乱を起こす。

18世紀のスペイン継承戦争ではブルボン家支配に反乱を起こすが失敗して自治権を奪われる。

19世紀のイギリスに次ぐ産業革命のなかで、良港と豊かな水力に恵まれたバルセロナを中心として各種工業が発達し、国内有数の産業地域となる。
同時に労働運動も盛んになりスペインにおける中心地となり、マドリードからの分離、自治権獲得の運動も激化する。
マドリードの労働運動がいわゆる正統社会主義であったのに対し、バルセロナのそれはアナーキズム(無政府主義)、サンディカリズム(革命的労働組合主義)が濃厚だった。

第二共和制とその後のファシスト・フランコの反乱によるスペイン内戦(1936-39)では、最後まで人民戦線側の砦として抵抗する。
後に『動物農場』『1984年』で独裁管理国家の恐怖を著し著名になったイギリスの作家ジョージ・オーウェル(1903-50)は、人民戦線側に参加し、その内部抗争を含めて『カタルニア賛歌』(1938)に活写した。

フランコ独裁後は自治権を奪われ、カタルーニャ語も禁止されるが、フランコ死後の民主化で自治権を回復し、言語的にも地方公用語として認められる。


スペイン内戦におもむき1939年陥落寸前のバルセロナでロバート・キャパが撮った少女がもし生きていれば80代だろうか。

1 7, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月06日

From Europe with Love - 生ける彫像

バルセロナの目抜き通り、Rambla(ランブラ)通りは観光客、地元人でごったがえす。

いつ頃から名物になったのか知らないが、生ける彫像。
ピクともしないので彫像かとそのまま通り過ぎてしまうがすべて生きた人間の大道芸。

小銭を入れると、この女性は優雅な手の舞を見せた。

もちろんティム・バートン監督、ジョニー・デップの「シザーハンズ」。

小銭を入れると猛烈に自転車をこぎ始める。隣の骸骨も踊る。

こちらも小銭を入れるとそれまでぴくりともしなかった男が一曲かなでる。

1 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月05日

From Europe with Love - グエル邸屋上を望んで

バルセロナといえばガウディ。

で、ホテル「Gaudi(ガウディ)」に宿泊。
最上階の部屋の窓を開ければ、細いノウ・デ・ラ・ランブラ通りを隔てて目の前にアントニオ・ガウディ(1825-1926)初期の傑作「Palau Guell(グエル邸)」(1886-90)の屋上が朝の光にまぶしい。

1878年のパリ万国博覧会で見た革手袋店ショーケースのデザインに惹かれ、設計者であるガウディを見い出し、終生パトロンとなったバルセロナのブルジョア、エウセビオ・グエル(1846-1918)のために、ガウディは25ものプランを立てたという。

邸前面その他補修中で残念ながら中も見られない。

屋上には19本の煙突、換気塔が林立し、むき出しのまま残されたものには後にさまざまなアーティストがカタルーニャ語で「トレンカディス」と呼ばれる陶製タイルやクリスタルの破片をセメントで固める「粉砕タイル」の技法で装飾を施している。

1 5, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - カタルーニャ料理

バルセロナのRambla de Catalunya「Meson Cinco Jotas(メソン・シンコ・ホタス)」で。

シンコ(5等級=最高級)のホタ(生ハム)。塊から1枚ずつ丁寧にこそぎ落とされたハブーゴ産イベリコ豚の旨味。

スライスパンにニンニクをすりこみ完熟トマトをぬりこんで焼いたカタルーニャの地方料理、Pan con tomate(パン・コン・トマテ)。

細かいパン粉で揚げられたcroqueta(クロケタ=コロッケ)。

アスパラのグリル、焼きトマト。

リオハ産赤ワインと。

1 5, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

From Europe with Love - カタルーニャ夕景

人っ子一人見えないカタルーニャの広々とした大地に陽が沈む。
バルセロナ郊外で。

1 5, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - バルセロナへ2

さて事態はくるくる変わる。
早口のフランス語だけのアナウンスはよく聴き取れない。

英語の話せる乗客たちにも聞くと、本来の乗り継ぎ駅であるモンペリエ(Montpellier)ではなく、その先の分岐駅(この電車はトゥールズ、ボルドーに向かう)であるナルボンヌ(Narbonne)で乗り換え、ペルピニャン(Perpignan)からバルセロナまでバスだという。
そんな深夜にバスがあるのか、誰に聞いても判然としない。

ペルピニャンに着くと、バルセロナ行きのいわゆる振り替えバスが用意されていた(バルセロナ行きのチケットを持っているのでもちろん無料)。
3〜4時間かかるという。
もうすぐ零時、マルセイユからすでに9時間でふたりとも疲れ切っている。
駅前にホテルがあるが、行ってしまおうと乗り込む。

PM11:59、バスが発車。0:26、スペインに入る。EU統合の進んだ現在はなんのチェックもない。
高速を走るが、本来の鉄道降車駅前までひとつずつ降りて寄る。
AM3:10、バルセロナ・フランサ駅に到着し、タクシーでようやくホテルへ。

マルセイユから12時間半の旅。
しかし、アクシデントのおかげで、プロヴァンスのマルセイユからラングドック地方、そしてカタルーニャ(ペルピニャンは13〜14世紀にはマジョルカ王国の首都であり、その後17世紀末にフランスに併合されるまではスペイン・カタルーニャ領に属していた)へという街々を夜中ではあるが見ていくことができた。

1 5, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月03日

From Europe with Love - バルセロナへ

今日は23日間過ごしたフランスを離れ、マルセイユからスペイン・バルセロナへの予定、だった。
が、「ヨーロッパの鉄道は遅れることがある」とガイドブックにはきちんと書いてありその通りになる。

出発がまず45分ほど遅れ、40分ほど走ったまだマルセイユ郊外のような小さな町「Rognac」で、先行電車のアクシデントかなにかで2時間停車だという。
では、モンペリエでのバルセロナへの乗り継ぎはどうなるのか?車掌はそれはもうパーだと言う。
この小さな駅の駅員に聞くと、動き出してからモンペリエまで行き、そこに泊まるしかない、らしい。

ホームと空き地と道路がつながっているようなところで、同じ列車に乗っている犬が子どもと走り回っている。糸杉の横に陽が沈む。

1 3, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月02日

From Europe with Love - フランス女性のファッション

フランスに来てから3週間、パリ、リモージュ、リヨン、マルセイユと女性のファッションをずっと見てきたが冬場でもあるかもしれないが圧倒的にパンツルック。
肌色の脚を見せている人は数えるほどしかいない。

ミニスカートにブーツなどというのはフランスでは一般的には娼婦ルックと見なされる。
渋谷、新宿、女子高生のスタイルを見たらこちらの人は仰天する。

ただし内輪のパーティーなどでは思い切りセクシィに着飾る。

1 2, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 元旦のマルセイユ2

元旦はほとんどどこの店も休み。

ようやくホテルで探してもらった開いているプロヴァンス料理の店に。
Partnerは母が用意してくれた着物を着て。

1 2, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 元旦のマルセイユ

元旦のマルセイユ。ホテルの窓を開けて。
絵はがきのようなマルセイユ「旧港(Vieux Port)」の景色が拡がる。

フェニキア人が地中海南の北アフリカに進出し、エトルリア人がイタリア西部に広がっていた紀元前600年頃、ギリシャ人がこの天然の良港に植民し「マッサリア」と名付けた。
「マルセイユ歴史博物館(Musee d'Histoire de Marseille)」で、その頃のギリシャ船の遺物やその後の発展を観ることができる。

カエサル(ジュリアス・シーザー / B.C.100-44)は、当時「ガリア」と呼ばれていた現フランスをマルセイユ経由で征服し(『ガリア戦記』)、その功績でローマ帝国独裁者の座につく。

その後この良港をめぐってはさまざまな戦乱があり、イベリア半島を東上したイスラーム勢力の攻撃も受けた。中写真の上は東側の要塞跡。

1 2, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月01日

From Europe with Love - あけましておめでとうございます!

マルセイユから2007年あけましておめでとうございます!

ホテルの窓から。
零時1分前くらいから、道行く車が一斉にクラクションを鳴らし始め、別に花火などのアトラクションがあるわけでもないのに「旧港」(Vieux Port)の波止場になんとなく集まった人々から歓声があがっています。

今年がみなさまにとって良い年でありますように!

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From Europe with Love - ノートルダム・ド・ラ・ガルドのマリア像

あと1時間ほどで2007年。

ホテルの窓からノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院(Basilique de Notre-Dame de la Garde)を望む。

古くから聖なる山とされた標高154mほどの山の上に19世紀中頃、建築家エスペランデューにより建てられた。
高さ46mの鐘楼に立つ黄金色のマリア像がマルセイユの街と航海の安全を見守る。

明治維新後の留学生たち、永井荷風をはじめとする仏蘭西洋行文人たちも2〜3ヶ月をかけてマルセイユの沖合に達し、このマリア像を望んだだろう。

1 1, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 大晦日の食事

マルセイユで2006年大晦日。

行きたかったレストランも休みか満員なので、買ってきた食料、ワインとルームサービスの料理でホテルの部屋でのんびり港の夜景を観ながら。

レストランでメニューの選択や分量や時間や値段を気にしながらではなく、こんな風に好きなものを好きなだけ時間を気にせず食べかつ飲めるのは最高の幸せ。

サヴォア地方のボーフォール(Beaufort)チーズ、プロヴァンスのチーズ、シャンベリーのSATOMIさんからいただいた極上の鴨リエット、サラミ、アンチョビ入りオリーブ、別の味付けのオリーブ、枝着きトマト、ライチ、細長い金柑のような果物、日本ではあまり見ないチシャ、みっしりしたガーリックトースト等々。

いろいろな野菜で作られたカップ3杯分ほどもある滋味たっぷりポタージュ、レモンソースのタラ、ほうれん草添え。

プロヴァンス特産のロゼワインとコート・デュ・プロヴァンスワインと。

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From Europe with Love - マルセイユ大晦日夕景

マルセイユで大晦日。

ホテルの前の埠頭から観光フェリーに乗り、沖合3Kmほどにあるラトニュー島(Ile Ratonneau)へ。
今年最後の落日が美しい。

中央がラトニュー島、左はアレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯(岩窟王ですね)』の舞台にもなったイフ島。


Bonne Annee ! (よい年を!)

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2006年12月31日

From Europe with Love - マルセイユ窓外の雲

マルセイユのホテルの部屋の窓から空の雲とその変化を見つめる。

パリ郊外のル・コルビジェのサヴォア邸にみるように、自然の風景は人(近代人)にとって枠組みがあると、より新鮮で意義を感じられるように思える。

ときおりカモメがすっと横切る。

12 31, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(3) | トラックバック(0)

From Europe with Love - カンヌ夕景

冬の休暇シーズンでカンヌの街は人がごったがえしている。

エルメス、ルイ・ヴィトン、シャネルなどのブティックと高級ホテルが立ち並ぶクロワゼット大通りを、いかにもヨーロッパのお金持ちという風体の高価なオーバーコートをまとった夫婦と、アイダホあたりでジャガイモを作っているようなジャージー姿の太ったアメリカ人おばさんがすれ違う。

旧港には豪華なクルーザーがぎっしり停泊。
右の小高い丘は「ル・シュケ(Le Suquet)」と呼ばれる旧市街。
ノートルダム・デスペランス教会の時計台が見える。

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2006年12月30日

From Europe with Love - フランスの犬

フランスではカフェはもちろんかなりな高級レストランにも犬を連れてくる人が多い。
よくしつけられていてMicのようにテーブルに乗りだしてせがんだりはしない。

下の写真は私ではありません。
画家の卵風若者とパトローネ風おばさま(支払いもしていた)の犬。

リモージュ郊外の滞在ホテル、ラ・シャペル・サン・マルタンのレストランで。

12 30, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 樹氷

リモージュ郊外で。
零下5度。

雪が降ったわけではないが、樹木や草が凍り付き、日本ではちょっと見られない冬景色になる。

12 30, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - マルセイユ夕景

夕景が好きなので、これからヨーロッパあちこちの夕景色をアップできると思います。

マルセイユ、Vieux Port(旧港)際の滞在ホテル窓から。

12 30, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 電源・ウェブ環境難民

とっぱなのフランスで電気の確保に苦労するとはまるで思っていなかった。
カメラはバッテリーがなければ撮れないし、メモリーは計10ギガ分あるが、一日数百枚撮るといっぱいになり、取り込んでから空にしないと次が撮れない。

充電しなくてはならないものは以下—

・MacBookPro
・500ギガ外付ハードディスク
・ライカ D-LUX3用バッテリー 2個
・キヤノン ハイビジョンデジタルビデオHV10用バッテリー 2個
・国際携帯電話
・後から合流したPartnerのPowerBook
・Partnerの携帯

ひとつのコンセントからの容量を超えているようでしゅっちゅう落ちる。
夜遅く、疲れ切って帰ってきてまず画像の取り込みとバッテリーの充電を優先的にしなければならず、それが終わる頃にはベッドに倒れ込んでいるという日々が続き、ブログの更新もままなりませんでした。

WIFI(無線LAN)サービスはこれまで泊まったどこのホテルでもあるが、みなまちまち。
300分(5時間)で20ユーロ(約3千円超)とか、2時間5ユーロ(約800円)とか。
リモージュのシャペル・サン・マルタンのWiFiはWINDOWSオンリーでPowerBookProの私は使えなかった。
マルセイユの最初に泊まったホテルはWIFIはフリーとなっていたがやはりMacは使えない。

今、年明けまで滞在する予定のマルセイユのホテルのWIFIは問題なく使えるが、時間制限があり、18時〜9時。

12 30, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2006年12月21日

From Europe with Love - パリの裏路

パリは地図も見ず裏路を少し迷いながら逍遥するのが好きだ。
雨上がりの夜が最高。

高さ3メートルを超え、重さは見当もつかない木のドアを開け閉めして自分の住み家と世間を往復する人々のメンタリティを想う。

ドアの前の敷石はすり減ってくぼんでいる。

12 21, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - パリのカフェで

パリ、リヴォリ(Rivoli)通り。昼下がりのカフェで。

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From Europe with Love - X'mas イルミネーション

リモージュの街もあちこちでクリスマスのイルミネーション。
訪ねたリモージュ・ボックス工房そばの個人宅。

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From Europe with Love - プラタナス

プラタナスの落ち葉がリモージュの街路にひろがる。踏みしめるのが楽しい。
見上げると実もなっている。

日本では「近所のおばさん」が迷惑もののようにすぐに掃き捨ててしまうが、こちらではそのまま。
明治40年ころ渡来し「スズカケノキ」として街路樹として植えられた。

古代のアテネではこの樹の並木道が作られ、プラトンをはじめとする哲学者たちが木陰で説き語ったので、天才の象徴とされる。

12 21, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年12月18日

From Europe with Love - ルーヴルのピラミッド

『ダ・ヴィンチ・コード』でまた注目されているルーブル美術館中庭のガラスのピラミッド。
開館200年となった1993年を機にミッテランによる「グラン・ルーヴル改造計画」で新設された。
ルーヴルに似合わないと非難を浴びたが、少しひなびて馴染んできたようにも思える。

フランス革命100周年を記念して1889年第4回パリ万博のときに建てられたエッフェル塔も、むき出しの鉄骨は下品だと嫌われ当時は多くの反対があった。

12 18, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年12月17日

From Europe with Love-パリのタクシー

パリの街角でタクシーをつかまえるのは東京とは違ってなかなかたいへんだ。
いわゆる「流し」のものはほとんどなく、TAXISという表示のところで待つのだが、それほどひんぱんには来ない。
特に劇場の引け時などは長蛇の列。
昨晩はつかまえるのに40分ほどもかかった。

よほど目の前で客が降りて運良く乗れるというのを除いてはホテルや店で呼んでもらったほうがいい。

ルーフのTAXIマークがオレンジ色に光っていれば空車。普通助手席は使えず、4人目からは別料金。5%ほどのチップ。

12 17, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love-ギマールのメトロデザイン

地下鉄が初めて作られたのは1863年のロンドン。ビショップス・ロード〜ファーリンドン・ストリート間約6Km。当初は蒸気機関車が牽引し、排煙のために駅には天井を設けず、燃料には煤煙の少ないコークスを使用したという。
90年にはロンドンのチューブ式地下鉄道が誕生し、電気機関車にかわる。

1896年にはハンガリーのブダペスト、97年イギリスのグラスゴー、98年アメリカのボストンと続いて、パリの地下鉄は1900年のパリ万博に合わせて1号線が開通する。

19世紀末から20世紀初頭アール・ヌーボー期の天才建築家、エクトール・ギマール(Hector Guimared 1867—1942)は駅舎のデザインを多数担当した。

ルーブル美術館リシュリー翼北側の「パレ・ロワイヤル(Palis Royal)」駅入り口。ギマールデザイン。
タイポグラフィにも注目。

12 17, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年12月15日

From Europe with Love - 池田裕行さん

池田まゆみさんにLa Huneという本屋がおもしろそうですよと誘って入ろうとしたら、ちょうど出てきた人が池田さんが旧知のTBS池田裕行さん。

筑紫哲也NEWS23で1989年から97年までレポーターをつとめた。
11月末からTBSのパリ支局長として赴任したそう。

隣のカフェ・ド・フロール(Cafe de Flore)で遅くまで話し込む。

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2006年12月14日

From Europe with Love-ナイトクルーズ船

ひっきりなしに往復するセーヌ河ナイトクルーズ船。

12 14, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

From Europ with Love - ル・コルビジェ「サヴォワ邸」

パリ中心部から西へRER(郊外電車)で30分、ポワシー(Poissy)のル・コルビジェ「サヴォワ邸(Villa Savoye)」

もし私が建築デザイン志望の学生だったら、感動とともに、これ以上のものはできそうにない、と絶望におちいるかもしれない。

12 14, 2006 07.デザインの世界, 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - ポン・ヌフ夜景

遠くから見て提灯でもぶらさがっているのかと思ったが、橋桁の彫刻へのライトがそう見えたもの。
左のアーチの下には車が駐車している。
手前の船は居住用かもしれない。

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2006年12月13日

From Europe with Love-シャンゼリゼ

シャンゼリゼに関心はないが、腐っても「オ〜、シャンゼリゼ〜」のイルミネーション。

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From Europe with Love - セーヌ夜景

夜のセーヌ河畔はほんとうに美しい。
日本なら柵をつけるところだがそんな野暮はしない。

ブルボン宮のブルーのライトアップ。
エッフェル塔は2条のサーチライト。

オルセー美術館を望む。
エッフェル塔が突然狂ったようにきらきら点滅。

12 13, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 煙草

背筋を伸ばし颯爽と通り過ぎるパリジェンヌもけっこう歩き煙草をしており、根元ぎりぎりまで吸って火がついたまま捨て去る。
サン・ジェルマン大通りで。

道のKIOSQUE(キヨスク)でも煙草が販売されなくなっている。
マドレーヌ大通りでようやくTabac & Lotoの店を見付け、長くて軽いものをと英語で言ったら「これなんかフランス製でいいっスよ」と日本語がかえってきた。みると店員は日本人。

注意書きがすごい。〜の危険があるどころではない、ほとんど恫喝か脅迫。
「Fumer(喫煙すること)」「tue(殺す)」。

12 13, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 街のディスプレイ

パリの街を歩いていると、ウィンドウディスプレイが実に楽しい。

もちろん、クリスチャン・ディオールやルイ・ヴィトン、カルティエ、ソニア・リキエル、エンボリオ・アルマーニなどなどサン・ジェルマン・デ・プレに店を構える有名ブランドのディスプレイは洗練されていてすばらしい。
しかし、それはNYでもTOKYOでも見られる類のものだろう。

パリの街の楽しさと良さはそんなところにはない。
チェーンの資本がバックについているわけでもない、時代の最先端をいっているわけでもない、小さな間口の狭い個人店舗でありながら「私はこんな素晴らしい商品を扱っているのです、作っているのです。どうぞご覧になってください」というプレゼンテーションの気持ちに溢れた、手作りのディスプレイと、中を見せてもらったときの対応が私は大好きだ。

セーヌ河畔の画材屋さん。

サン・ジェルマン・デ・プレの横道で思わず足を止め、中にも入って見せてもらった、木工細工、皮細工を扱っている店。

横道のタイル屋さん。

本を使った小物アクセサリーの楽しい演出。

オペラ座界隈で。

宝物箱の演出。

靴屋さん。さすがオペラ座が近いのでバレーシューズを華やかに。

古本屋さんもお洒落。

店のマドモアゼルが型紙を持ってガラスにスプレーしようとしている。マドレーヌ大通りで。

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2006年12月12日

From Europe with Love - 梁

今日は夕方、友人で美術工芸史家の池田まゆみさんがパリに到着し、打ち合わせの予定。

ふだん不規則な生活に慣れてしまっているので「時差ボケ」というのにはなったことがないのだが、きょうはあくせくせず体調を整えるつもり。

部屋天井の古材梁の表情をじっと眺めて楽しむ。

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From Europe with Love - パリの朝

巴里と表記したくなるパリの朝。

ホテルの部屋のがんじょうな木枠のガラス窓を開け、さらにもっと頑丈そうな外の窓を開ける。
ひんやりした空気が吹き込む。

正面は工科学校(St Vladimir le Girt)、左側はパリ第5大学、その向かいに国立土木学校、セーヌ岸沿いに国立美術学校。

で、このホテルの名は「ホテル・アカデミー(Hotel de l'Academie)」。
歩いているのはそれらに通う学生たちか。

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From Europe with Love - パリの駐車間隔

往年のフランス映画によく出てきた。
グンと前の車を押し出し、次に後ろもウンとずり下げ、ブインと走り去る。
バンパーはそのためにある。

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From Europe with Love - ワインバーで

ノートルダム寺院ものぞめる左岸のワインバーで。
ゆったり廻る天井の換気扇。
パリジャン、パリジェンヌたちのおしゃべり。

サンテミリオン1999のグラスワイン(6ユーロ)1杯にソフトサラミがどっさりつく。
これが実においしい。

ウェイトレスに聞いてみてもいつのものとも分からないワインディストリビューターの額入り手描きポスター。

12 12, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 小雨のサン・ジェルマン・デ・プレ

小雨のサン・ジェルマン・デ・プレ。
かつて「実存主義者」(懐かしいね)たちや画家が集った「カフェ・ド・フロール(Cafe de Flore)」も、店内に2体(ドゥ)の木彫り中国人形(マゴ)があり、サルトルやボーヴァワールも住んでいた「レ・ドゥ・マゴ(Les Deux Magots)もイルミネーションで輝く。

もともとは6世紀に建てられたパリ最古の教会のひとつ、サン・ジェルマン・デ・プレ教会も少し控えめに飾り付け。

12 12, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - パリ到着

小雨上がりのパリは午後5時でもう真っ暗。
まあ緯度としてはハバロフスクと同じくらいだからなあ。
外の気温5°C。

東洋系チャールズ・ブロンソンのようなタクシーの運転手はサン・ジェルマン・デ・プレのちょっと入ったところにあるホテルがなかなか見付けられずぐるぐる廻る。

風邪と睡眠不足と重い荷物と12時間半のフライトでへろへろになってホテル到着。
WiFi(無線LAN)を頼み、自分でドアを開けるエレベーターで部屋に。

12 12, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年12月09日

ヨーロッパ行き-5 風邪

あさって早朝、3ヶ月のヨーロッパ行きに出発というのに2週間くらい前からの風邪が治らない。
病院へ行き、風邪、胃などの薬を出せるだけ出してもらう。

今年初めて収穫した庭のレモンに蜂蜜をつけて味わう。

12 9, 2006 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2006年11月30日

ヨーロッパ行き-4 距離

図はいずれもロンドンを中心に活動する「ダイアグラム・グループ」編著『絵で見る比較の世界』より。

アメリカにヨーロッパを重ねている図に今回の旅程をプロットしてみるとUSAの中南部を回るくらいだ。

11 30, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年11月29日

ヨーロッパ行き-3 ルート

ヨーロッパ旅行の宿泊地とルートを白地図データ上に描いてみた。

成田からパリに12月11日に入り、南・左回りで3月7日にパリに戻ってきて帰国する。

距離感をつかむために同縮尺の日本地図をおいてみる。日本列島のまわりをかなり広くまわるくらいか。ヴィンケル図法なので面積的には正確。

ついでに同じ緯度にする。
リモージュもリヨンもヴェネツィアも稚内より北、東京はチュニジアのサハラ砂漠地帯と同じ。

11 29, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(4) | トラックバック(0)

2006年11月28日

ヨーロッパ行き-2 鉄道チケットのプリントアウト

10日ほど遅れて合流するPartnerのパリ〜リモージュ間の鉄道切符をフランス鉄道サイトで購入。

手続きを終えて表示される画面を自分でプリントアウトするとそれがチケットになる。ちょっと不思議。
なかなかお洒落。

11 28, 2006 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ヨーロッパ行き-1 鉄道サイト

2週間後に出発するヨーロッパ3ヶ月旅行のスケジュール調整に追われる。
13ヶ国、およそ40都市。

日本からのフランス・パリ往復とリスボン(ポルトガル)〜チュニス(チュニジア)、チュニス〜パレルモ(イタリア・シチリア)間の航空以外はすべて鉄道を利用する(イギリスの田舎ではレンタカー)。

ヨーロッパ各国の鉄道サイトのリンク集サイトがあり、トーマス・クックの『ヨーロッパ鉄道時刻表』の冬版もまだ出ていないのでこれに頼っているのだが、スペインのものがどうにも使い勝手が悪い。乗り継ぎくらい示してもよさそうなのに「No Direct Line」とはねられる。

ヴァレンシア〜グラナダ間、サンチャゴ・デ・コンポステラ〜アヴェイロ(ポルトガル)間がまだ分からない。

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