しみじみおせち料理
1 2, 2012 19.食と農、健康と病, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
10日に3640gの男の子を無事出産、鎌倉美学に元気な顔を見せる。
今日「隆太郎」と命名。
過去記事:
Baby Shower パーティー(鎌倉美学)
12 17, 2011 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
10 16, 2011 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
10 10, 2011 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 11.教育と学びのデザイン, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
9 30, 2011 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
鎌倉由比ガ浜12:45。「環天頂アーク」を初めて観る。
手持ちのライカD-LUX5の広角側は24mm相当なのだが入りきらない。
『雲のコレクターズガイド』(ギャビン・プレイター=ピニー/河出書房新社)によれば、虹とは異なり、高層の巻雲、巻積雲、巻層雲、ダイヤモンドダストの並んだ氷晶で太陽光が屈折して出現する。
過去記事:
雲を愛でる『雲のコレクターズガイド』(2010年07月18日)
Cloud Appreciation Society(雲を愛でる会) サイト(2010年07月19日)
天使の髪房 - 巻雲(2010年07月20日)
会員証(2010年07月27日)
5 31, 2011 01.私の好きな鎌倉の風景, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
iPhoneに目をやりながら、降りて目の前にあった階段を無意識に上っていったら、見慣れない改札口になり、一瞬駅を間違って降りたかと思いました。
大学に近い方の上野毛駅北口がようやく改装が終わりオープンしたのです。
ブログを繰ってみたら、閉鎖されてからもう丸三年もたっているのでした。
過去記事:
上野毛駅の変貌(2007年12月20日)
12 22, 2010 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
開成学園高等学校1966(昭和41)年卒、卒業45周年記念学年会。
同期で卒業したのは350名で120名ほどが西日暮里の校舎(もちろん建物は様変わり)に集まりました。
私たちより一回り上の蜷川幸雄さん(昭和29年卒)を教えられた伊藤清一先生や、中学で日本史を教わりその後中国古書誌学の世界的権威になられた尾崎康先生もご健在。
大企業の社長も国立病院の院長もノーベル賞候補級研究者も定年退職後悠々自適の人も、「常磐の緑 色映ゆる 道灌山の学び家に あこがれ集ふ若人が 遥けき行く手のぞみつつ 歌ふや生命の朝の歌」(開成校歌・古関吉雄作詞/信時潔作曲)を歌い、想いは半世紀ほども遡ります。
それぞれの風貌、面つきに刻まれたその後のそれぞれの人生。
まあ私も含まれるらしい「前期高齢者」というものを具体的にイメージできる会でもありました。
12 5, 2010 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
母の部屋をかたづけていてはらりと出てきた古い写真。
日付は記されていません。
左、おかっぱ髪の母はたぶん、十五、六歳。
いかにも当時の「洋裁」で作られたブラウス。
東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)に通い始めた頃でしょうか。
昭和14〜15(1939〜40)年、太平洋戦争前夜。
右、座椅子に座る祖母の着物はその頃の時世では贅沢すぎかもしれません。
本郷西片の実家。
丸窓、鏡台、土瓶……。
戦争末期、空襲による火の手が南の春日町、眞砂町方面から迫り、つい庭先の崖下まできて止まって実家は焼失を免れました。
で、戦前からのこの広い家や、これらのものに子ども時代の私は親しんできたものです。
母の一周忌命日に。
下)『東京時層地図』(iPhone/iPadアプリ)より「昭和戦前期(昭和3-11年)」の西片町(右上阿部邸一帯)周辺地図
11 3, 2010 23.日々のなかで, 33. iPhone/iPad の愉しみ | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
手元に置きときどき使う、イギリス・コッツウォルズの骨董店で求めたもの。
拡大レンズ(magnifying glass)あるいはいわゆる「虫眼鏡」。
私の祖父はこういうものを「天眼鏡(てんがんきょう)」と呼んでいました。
街角の「人相見」が持っていて運命まで見透すとされたものでもあります。
いつ頃作られたものかは分かりませんが、木目の美しい柄から金属部分、レンズまで実によくできています。
どうやってひとつのレンズに組み込んでいるのかこれもよく分からないのですが、普通の拡大だけではなく、2つの小さなさらなる拡大視部分があり、"i" なのか "l" なのかなどの判別に便利です。
「ルーペ」などという無機質な言い方ではなく、「天眼鏡」というような人びとの文化に根ざした呼び名はいいな、と私は思います。
10 25, 2010 10.美術工芸, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
三越フランス展に招聘されていたフランス・リモージュの磁器絵付けの匠、ジャン・ピエール・ラポーさんが、すべての日程を終えたので慰労。
顔は『シャイニング』のジャック・ニコルソン系で怖いのですが、実は気さくなアルチザン。
徹底的に「職人=Artisan」を自負していて、描くことに無常の喜びと生き甲斐を持つ。
私ももともと職人ですから通じあうところが多々あります。
再会を約して。
上:根津美術館を案内。
中:池田まゆみさん(美術工芸史家・日大芸術学部非常勤講師)と(銀座ライオンビアホール)。
過去記事:
磁器絵付けアーティスト、ラポーさんを訪ねて -1(2010年06月19日)
磁器絵付けアーティスト、ラポーさんを訪ねて -2(2010年06月19日)
ラポーさん絵付けのシャンパン・リモージュボックス(2010年06月19日)
10 20, 2010 10.美術工芸, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック(0)
『まど・みちお詩集 うちゅうの目』(写真/奈良美智・川内倫子・長野陽一・梶井照陰ー/有限会社フォイル)より
れんしゅう
今日も死を見送っている
生まれては立去っていく今日の死を
自転公転をつづけるこの地球上の
すべての生き物が 生まれたばかりの
今日の死を毎日見送りつづけている
なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当り前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは つまりそれは
ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにとあの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあこのよにはいないだろうということか
臨終
神さま
私という耳かきに
海を
一どだけ掬わせてくださいまして
ありがとうございました
海
きれいでした
この一滴の
夕焼けを
だいじにだいじに
お届けにまいります
10 16, 2010 14.読書三昧, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
博多からの車窓から見る筑後平野の稲穂は、少し暑いほどの秋空の陽を浴びてまぶしく黄金色に輝やいていました。
火葬場の都合で、私が着いたときはすでに彼女は荼毘に付され、お骨と位牌になっていました。
納棺では、それはそれは綺麗な振り袖を母と姉が着せてあげ、ほんとうに心から安らかに眠っているような顔姿だったそうです。
彼女が私にも話してくれましたが、少し型が古くなったウェディングドレスを無料で試着できるという催しが先月あって母と出かけ、そのとき結婚前の方はと難色を示されたのに、これがいいといって着た純白のドレス姿の写真が、鮮やかなバックライトのもとに段上に飾られていました。
結婚もしたいです、とときどき言っていました。
お姉さんと話しをしていて、その表情のなかに、生前の彼女の面影を色濃く認めて少しうろたえました。
懐かしむというにはまだあまりに急過ぎます。
たくさんのお花の横に、今は遺品となってしまったカメラが置いてありました。
二年前に入手した「Olympus E520」というデジタル一眼レフカメラです。
昨日、ブログに再録した鎌倉文学館での写真で彼女が手に持っているものです。
これで熱心に紅葉や薔薇や建物を撮っていました。
絞りやどこで露出を決めるかによってどのように撮れ方が違うか、マニュアルの設定はどうするか、とかそのとき教えたりしました。
分かりましたとでもいうように、読経を聴いている私の方にレンズが向いていると思いました。
帰路、まっすぐ帰る気にならず、太宰府に寄りました。
土産物屋と茶屋がひしめき、修学旅行生や団体観光客が溢れる参道と天満宮は避け、ほとんど人が来ない横路を歩き、誠心館前の樹齢千年とも千五百年ともいわれる大楠や、光明禅寺の塗り壁の漆喰の剥げや汚れの文様と背後の山の樹などを、座り込んで何十分もただぼんやりと眺めました。
空を見上げると、夏の名残り雲を秋のうろこ雲が少し押さえるように拡がっています。
こんないい季節、来月は誕生日だよね、とつい先頃笑いあった彼女はそれを迎えることなく26歳で逝きました。
悔しさと理不尽さ、しかしそれはもう振り払い、彼女はこの秋の雲の美しい一片のように浄化されたのだと思うほかありません。
心より合掌
10 8, 2010 11.教育と学びのデザイン, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
今日から煙草のかつてない大幅値上げ。
はるかマヤ文明の昔、神々が吸っていた煙草、500有余年前ヨーロッパに伝えられ世界に広まった煙草は、まぎれもなくひとつの人間文化です。
これに対する歴史的知見とリスペクト抜きの小役人的「健康帝国化」「禁煙ファッショ」の風潮には、私が喫煙者であるという理由からだけではなく、たとえ吸わなくとも断固として抗する立場に立ちたいと思います。
この「嫌煙」「禁煙」の動きとそのやり方が、他のもろもろの社会的異物排除の論理とプロセスに通底してもいるからです。
ではありますが、それはさておき、喫煙者としては、ばかばかしい値段になった紙巻き煙草をこれまでのように買うつもりはないので、自宅でのメインはパイプ煙草に。
パイプという道具を使う以上、旨い一服のために手間暇がかかります。工夫や手入れが必要です。
自分のパイプと煙草、喫煙に対してそれぞれが「職人」とならざるをえません。
で、もちろんそれが楽しい。
参考文献いくつか:
『タバコの歴史』(上野堅實・大修館書店)
『タバコが語る世界史』(和田光弘・世界史リブレット・山川出版社)
『タバコの世界史』(J.グッドマン・平凡社)
『タバコの歴史』(宇賀田為吉・岩波新書)
『健康帝国ナチス』(ロバート・プロクター・草思社)
『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦編著・ベスト新書)
『大日本「健康」帝国』(林信吾/葛岡智恭・平凡社新書)
10 1, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
かなり過激なタイトルにさらに衝撃的な前フリが付いているー
「肺がんで死にかけている団塊元東大全共闘頑固親父を団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!」
親父(加納明弘)は1946(昭和21)年、岐阜県生まれ。
1965(昭和40)年、東京大学文科III類入学。60年代後半の学生運動(ベトナム反戦、全共闘、「新左翼」運動)に関わり、69年中退。その後文筆関連に従事。
息子(加納建太)は1974(昭和49)年、東京生まれ。
ろくに子育てをせず、母子家庭状態に放置した父親にずっと恨みをいだき、中学の反抗期の頃、彼を殴り倒し、それ以来ほとんど家族とは深く関わらずにくる。
高卒後、94年、アメリカの大学に進学、卒業後、日系現地企業などを経て2003年帰国。この「親父へのインタビュー」を行った2008年にはアメリカ系ヘッジファンドに勤務していた。
2008年5月、親父は末期ガンと宣告され、7月10日には頭蓋骨に転移していてもう手術も不可能と言われる。
このインタビュー(というか対談でもある)は、その直後、7月19日と20日に箱根仙石原温泉の旅館で行われた。
親父はその後頭蓋骨の影は転移ではなさそうだと診断されたが平均余命一年。
息子はハゲタカファンドで仕事するなかで停滞、荒廃する社会が見えてくる。
親父が二十歳そこそこ、権力に立ち向かっていった頃より世の中はもっと悪い方向に向かっているだろうになぜ人びとは押し黙ったまま流されていくだけなのだろうか。
親父は自分にとっては常に反面教師のようなものであり、息子である自分は自分の離婚経験ですら子供の頃の家庭環境に責をかぶせたりしていた。
しかし「遺産のようなものはゼロだが、死ぬ前にせめてその知恵、知性、知識等を少しでも吸収しておきたかった」。
息子にとって死に行く親父から、親父が若い頃、自己と社会をどのように認識し、行動したかを聞いておくことは、自分が何者であるか、どこから来てどこへ行くのかを考える上で必須のものとなる。
死を前にし、別に武勇伝ではなく淡々と、しかし深いところで熱く、若い日の自分史を語る親父とそれにくらいつく息子。
その後、息子は身体の免疫力を高めるといわれるアガリクスやチャガ茶等を大量に用意して親父に飲ませたり、マッサージを習い、母にも教えて施術する。
親父も彼なりに考え、高尾山麓に引っ越し、山中で気功を始める。
そして自分の誕生日に手術を受けて成功し「見事に一命をとりとめ、文字通り生まれ変わった」(2010年夏現在、再発転移なく存命中)。
息子もまた生まれ変わる。
「私は親父の不器用な生き方を馬鹿にしていたが、自分の生き方もそれほど彼とは違っていなかったことに気付いた。どんなに権力から圧力がかかっても、決して妥協しない勇気を持つこと。ただの馬鹿である。権力には従ったほうが、圧倒的に生きやすいからだ。だが、このポリシーは、私の人生に現在進行形で影響を与えている。そのことについてはまた別の機会に書くことになるだろう」(息子は現在日系企業欧州法人勤務でドイツ在住)
今日、私もまた歳を重ねた。
この親父は私と同年代。
60年代後半、どこかの集会やデモですれ違っていただろう。
「死ぬ前にしゃべっとけ」と迫られる前に、若い世代にできるかぎり伝えるべきことは伝えておきたいとあらためて思う。
9 12, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
財布というものはある程度定期的になくすものなのかもしれない。
キャンパスの中庭で煙草を吸おうとしたらベンチに財布が残されていた。しばらく待ったが誰も来ない。
事務部に持っていき、持ち主の学生も判明、まあよかった。
7年ほど前、電車内で財布を紛失し、このときは奇跡的に遺失物係に届けられていた。
その後、銀行のATM脇に忘れ、5分後に戻ってみたらもう無かった。防犯カメラに素早く財布を取る男の後ろ姿が映っていた。
4年前、ヴェネチアの混雑する船内でおそらくは擦られた。
現金もカードもない状態で、ホテルの支払いから緊急の現金支給と苦労した。
なにより気に入っていたPoloの財布自体が惜しかった。
昨晩帰宅途中の電車内で財布を紛失。
鉄道会社には遺失物届けがないことを確認して、各種カードをストップ。
クレジットカードで今朝8時に、誰かがキャッシング残高照会をし、暗証番号エラーになった記録があることがわかる。
紛失の経緯はもうどうでもよく、悪意のもとにあることを確認。
入っていた現金やカード再発行の煩わしさより、ヴェネチアでPoloの財布をなくした後、ドレスデンのAigner(アイグナー)ショップで求めた赤茶革の愛着のある財布が惜しい。
7 30, 2010 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
郵便物のなかにエリザベス女王の切手を貼ったものがあったので開けてみると、先日ウェブで入会した「The Cloud Appreciation Soceity(雲を愛でる会)」の会員証。
ここに貴殿がこのソサエティの正規会員であることを証する。
以降、雲の不思議と美に耳を傾けようとするすべての人々への説得に努めるであろう。
会員番号22504。
大真面目さに思わずニヤリとして、一日が少し楽しい気分になる。
過去記事:
Cloud Appreciation Society(雲を愛でる会) サイト(2010年07月19日)
7 27, 2010 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
個人的なことでいろいろあり精神的身体的に最悪の状態に落ち込んでいるなかで、何度も訪れたことのある大好きな小さな教会をなぜか想い起こす。
フランス・リモージュ旧市街にある「Chapelle Saint-Aurelien」(建立15世紀)
過去記事:
小さな教会(2007年04月05日)
7 14, 2010 23.日々のなかで, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
詳しい事情はまだここでは書けませんが、昨年11月末からメインマシーンとして使ってきたMacBook Airが先週9日(金)に盗まれ、警察にシリアルナンバーを含め盗難届けを出しました。
夜盗まれた際、ログインしてスリープ状態でしたが、電源ケーブルは外され残されていたので、4〜5時間でバッテリーが尽きるだろうと思います。
一夜明けてAppleStoreなどでAir専用電源ケーブルを購入してつないでも、立ち上げにはログインID、パスワードが要求されるので、個人情報、その他業務データや、メールのやりとり、アドレスが悪用される可能性はまず無いとは思いますが、私とやりとりされたことがある方で、もしなにかおかしなことに気づかれましたらお知らせください。
なお私のメールアカウントのパスワードはすでに変更してあるので盗んだ者は(万一まだバッテリーがありログイン状態だったとしても)読めません。
よろしくお願いいたします。
4 14, 2010 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
いわゆるコンピュータゲームにハマったことは無いが、昔熱中したゲームがひとつだけある。
シミュレーションゲームの父と呼ばれるアメリカのゲームデザイナー、シド・マイヤー(Sid Meier/1954-)が制作した「Railroad Tycoon」。「鉄道王」というような意味。
もう21年も前のことだ。
アメリカ、ヨーロッパを舞台に、鉄道会社を経営して駅を作り、線路を引き、産業貨物や乗客、郵便などに合わせて運行を調整する、19世紀後半から始まり現代にまで至る歴史的な変遷、など私の地理、歴史、地図、鉄道への関心にすっかりフィットし、時に徹夜し、同じくハマっている友人とその面白さを語り明かした。
別に他の競合会社に打ち勝ったり町をできるだけ大きくしようというようなことには興味はなく、ゲームをしょっちゅう停めて、ルートを考えたり、その地方や町の地理や歴史を調べたりしていた。
先年ヨーロッパを3ヶ月間鉄道旅行したときも、ゲーム上でシミュレーションしたルートや街がほとんどでとても懐かしくなり、今どうなっているのか調べて「Railroad Tycoon III(Mac版)」を入手した(他に 「Sid Meier Railroad」も出ているのだがWindows版のみ)。
オープニングムービーが素晴らしい。
20世紀初めの鉄道の黄金時代、「Iron Horse(鉄の馬)」と呼ばれた圧倒的な機関車の力感、存在感と、遠くまだ見ぬ街へ通じている鉄道への少年の憧憬が痛いほど伝わる。
田舎町の少年なら誰でもやったように、鉄路にコインを置き鉄輪に潰させる。
鉄道駅は格好の遊び場であり、車掌はホイッスルを貸してくれ少年は出発の合図を嬉々として吹く。
豪華な食堂車で、ホイッスルとひしゃげたコインを取り出して見つめテーブルに感慨深げに置く老紳士は、こうした少年がその後「Railroad Tycoon(鉄道王)」になった姿なのだろう。
3 31, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
多摩美術大学造形表現学部(世田谷上野毛キャンパス)の卒業式。
学部全体では184名(うち社会人54名)、私のところのデザイン学科は98名が巣立っていく。
卒業制作図録へのコメント:
現在の「百年に一度の危機」の時代にデザイン学科で学んだ皆さんには「これからの社会と人々にとってデザインは何をなしうるのか」を考え続けてほしいと切に願っています。
二十世紀初頭からの工業的大量生産・大量消費の生活スタイルの中で、モダンデザインはそれに寄り添い棹さし補完するように展開されてきました。
その延長では人類そのものの将来はないということが、もう誰の目にも明らかになりつつあるとき、デザインの立ち位置がこれまでと同じでいいわけがありません。
アドバイスはしました。
切り拓き実行できるのは若いあなた方の世代です。
健康と健闘を祈ります。
ビジュアルクラス
デジタルクラス
プロダクトクラス
スペースクラス
一緒に卒業(定年退職)される太田幸夫先生、島崎藤村「惜別の歌」を謝恩会最後に熱唱。
もともとは「まだあげ初めし前髪の…」で有名な『若菜集』(1897)より。
少年の頃、よく声を出して読んだ。
遠き別れに 耐えかねて この高殿に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を ととのえよ
別れと言えば 昔より この人の世の 常なるを
流るる水を 眺むれば
夢はずかしき 涙かな
君がさやけき 目の色も 君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ
またいつか見ん この別れ
3 26, 2010 11.教育と学びのデザイン, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
横浜から品川に至る部分の横須賀線は、東海道線から分かれて内陸側に大きく膨らんで走る。
その一番膨らんだところ(新川崎駅と西大井駅の間)と東急東横線・JR南武線の武蔵小杉駅とは400mほどしか離れていない。
そこに横須賀線の武蔵小杉駅が今日開業した、というので、上野毛からの帰りに東急東横線武蔵小杉駅から乗り換えてみる。
JRの改札を入り、南武線のホームを抜け、仮普請の専用通路を歩いて約7分。
エレベーターもまだ工事中の新しいホームに出る。
けっこう見物だけのような人も含めて混み合っている。
横須賀線のほか、湘南新宿ラインも成田エクスプレスもすべて停まるので、東日本で最高という地上197mの超高層マンションをはじめ高層マンション・ビルだらけになったこの辺の人にはいろいろ便利になるのだろう。
私の大学への出勤経路は、鎌倉~横浜~自由が丘~上野毛なのだが、読書にふけっていて気が付くと横浜を通り越して新川崎ということがままある。その場合は品川まで行き、大井町に戻るほかなかったのが、この新駅のおかげで私も遅れずにすむか。
3 13, 2010 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
最近体験した少し嫌なこと、反省したこと。
カフェで「活け花」の先生という中年女性と隣り合わせた。
店のカウンターにはミモザの花が飾り付けてあったのだが、彼女はそれを見て「ミモザももう終わりよ」となにか冷たくいう。
この時点で、たとえ「華道家」であるとしても三流以下だなと直感し、話を止めればよかったのだが他に客もいない。
私が好きで近くに行ったときは必ずのぞいて楽しみ、時々山野草やハーブの苗などを購入している小町通りの「鎌倉花壇」でその日求めた丁子桜(野生の小振りな桜)の苗を見せると、「あそこは仕入れ先が最低だから買わないほうがいい」「A級のものはやはり違うから」などと言い出す。
話していてふつふつと不快感が込み上げてくる。
ざけんじゃないよ、花草木にA級もC級もあるものか。
この人は「活け花」をやっているのかもしれないが、花木、植物を愛でてなどいない。
線路際に咲く野菊や路傍のたんぽぽの一輪の生命の姿が、「A級」の活け花素材の寄せ集めより遥かに美しいことがあると感じる心を持っていない。
豪華なパーティー会場やお屋敷の床の間を一見華々しく意味あり気に飾り立てることはできるかもしれない。
しかし、「活け花」という自分の「作品」を自己目的化し、人に自慢し称賛を浴びたいという自己満足のための単なる「材料」としてしか花木を見ていない。
Partnerに抑えられたが、こんな人に花草木のことなら私はプロよというようなしたり顔で語って欲しくない、という怒りでつい声を荒げてしまった。
反省…
「怒り」は私のもっとも重要な原動力のひとつでもあるから「捨てる」わけにはいかない。
まあしかし、それをそのまま表面に出すかどうかは別の問題で、この歳になってもなかなか達観するに至らない。
私が日本PartnerをしているフランスWIFではリモージュ大学と協力してウェブデザイン教育をしており、その基本的なコンセプトが「Sensitive」。
前回行ったときいろいろ話を聞いたのだがどういうことを狙っているのか今ひとつよく分らなかった。
英和辞書では「Sensitive」は、「よく気のつく」「気配りのできる」「配慮がゆきとどく」「思いやりのある」や「神経質な」「微妙な」「敏感な」「感度のよい」等いろいろ載っているが、日本語で一対一で対応するようなことばもないし、どれも表面的表層的にすぎる語釈のような感じもする。
英英辞書でもいろいろ読んでみたがどうもピンとこなかった。
先日出たiPhoneアプリのLongman「現代英英辞典」の「Sensitive」の語義のとっぱなに「Understanding People」とあり、「Able to understand other people's feelings and problems」と記述されているのを読んでなにか初めてしっくりくるように感じた。
すべての出発点でありそして究極の課題であるだろう。
3 9, 2010 18.花・木・野菜・生きものたち, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
母の四十九日(七七忌)法要と納骨を腰越満福寺で。
仏教では宗派によっていろいろバリエーションはあるが、人は死ぬとその霊は四十九日間現世とあの世(幽界)との間をさまよっているとされる。
つまりまだ「来世」は決まらず「成仏」はできない。
どこへでも行けるようだが、たいていは家の中とか近くに留まっているらしい。
Micが天井の方の一点を凝視したりしていたのは老母の霊を見ていたのだろう。
しかし七日ごとに閻魔庁の取り調べが七回もあり、現世での行いが裁かれ、罪が重ければ地獄に落とされる。
ただし人々による法要の声が聞き届けられると罪は許される。
この間、さまよっていた霊魂も徐々に己の死を受け入れる(残された人々も)。
七日に一度、七回の審判を経た霊は家を離れ成仏する。
何年か前に母が植えた庭の水仙が今冬も次々に咲いている。
冬 花 を 懐 し む ら む 七 七 忌
12 20, 2009 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
デザインはすでに頭のなかで明解であり、一日で済むと思っていた印刷データ作成がもたれにもたれ、4日間も断続的な仮眠しかとれない状態が続いた。
もう半年になる角膜の患いはまだ治っておらず、これまでで最悪の状況に。
明日眼医者の診察予定なのだが、急にずいぶん悪化しましたね、といわれるのが目に浮かぶ。
あれ「目に浮かぶ」はこの場合おかしいな。「目に見えている」もか。
私は四六時中コンピュータに向かっているが、別に作業をしているわけではなく、考え、メモり、まとめ、文章を書いているので、目を酷使しているわけではない。
画面を注視するのは、瞬間的、短時間しかしておらず、指はそれとは関係なく自動的に動いているというのが普通。
私は若い頃から意識的に訓練してきたので、A4、1枚くらいの分量のテキストだったら、文章など追わず、2,3秒で内容、脈絡が「わかる」。
それだけで80字に要約せよといわれても、ぴったりの文字数ですぐ記せる。
「速読法」などというしゃらくさいものではない。
イメージ人間ではなく、文字ことば人間だから、画面を瞬間的に写真のように頭の中にコピーして理解しているわけではなく、3つから10くらいのキーワードとその文脈、論旨の脈絡・コンテクストを一瞥で読み取っている。
といっても、そのテーマに関して関心と知識、考えを持っていないとこういうことはできない。
なにか引っかかるものでもないかぎりそれ以上「読む」ということはない。
で、コンピュータ画面を見ているといってもふだんは目が疲れるというほどのことはない。
ところが印刷データの制作ということになると、ずっと注意を払って見ていないといけない。
ミスはもちろん、誤字脱字から組版、画像、ファイル処理、コンピュータが自動的に処理したものの補正とか色々あるので気は抜けない。
最近のMacOSやソフトバージョンアップは、より便利なよう快適なよう、と求めるあまり勝手なふるまいが多く、ふだんは気にならないが作業的なことに集中していると苛立つ。
ウインドウ内の表示位置を勝手に変えたり、ツールが切り替わったり、やたらメニューや吹き出しが出たり、ポインターをちょっと動かしただけでビットまで見えるところまで拡大などするなよ(やりたい人向けにはオプション設定にすればいいじゃないか)。
私のような人間は、ルーチンをなぞっているわけではまったくなく、ある目的意識(これはプロの将棋の指し手と同じで、その先何を意図しているかは多様に分かれる)を持って対しているのだ。
ある目的を持って操作する、そうしたらそれに対してコンピュータはきちんとシンプルに応えるだけでいい。
Apple、Macでさえ、ユーザーインターフェイスの基本を忘れた方向にどんどんいっている。
全部揃ったというのでうっかり安心していたら、たった400字ほどの訂正テキストを送ってくるのに、Excelデータが添付され、あろうことかこちらの知らないパスワードで保護されている。
はい、あたしゃ吠えましたよ、深夜の部屋で狼のように。
Micが驚いて飛び出してきたけれど。
おかげで、使う予定の期日に間にあるようには入稿できなくなった。
入稿間際のデスパレートな状況は数えきれないほど経験してきたが、こんなのは初めてだ。
こうした後味の悪いボランティア仕事はもうやらない。
写真は佐助の小道で。
紅 葉 に 白 壁 ま ぶ し 患 い 目
12 9, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
亡母はMicをとても可愛がっていた。
お前はかわいいねぇ、と毎日のように撫でていた。
私たちがヨーロッパ旅行で3ヶ月留守にするとき、預け先をどうするか話していたら、Micがいないと絶対にいや、世話はするし散歩してくれる人も私が探す、と子どものように言いはり、実際にそうした。
Micは私たちが外出してしまうとヒィーヒィーといつも老母を呼んでいた。
通夜の前日、葬儀場にMicを連れて行き対面させた。
とても奇妙な目つきで匂いをしきりに嗅ぐ。
ヒトより数千倍の嗅覚が、まだ残っている老母の匂いと、同時に死臭を感じとったのだろう。
食事と散歩のとき以外は、なにか悄然とした様子で寝ている。
由比ガ浜に連れて行き、リードを放して好きなようにさせる。
11 9, 2009 23.日々のなかで, 24.犬と暮らす | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
同居していた老母が今日急逝した。
でかけるPartnerが朝話したときはごく普通だったよう。
昼前私が起き出してみるとテーブルの上に「近所に買い物に行ってきます」というメモ。
梅干し番茶を飲んでいると、チャイムがなり「おかあさんが倒れていますよ」。
マンション玄関前で意識不明で口から泡を吹いている。
救急車に同乗して湘南鎌倉総合病院へ。
意識、反応はまったくなく、血圧は255-155。自力呼吸をしていない。
くも膜下出血と判明。
医師に人工呼吸器を付けるかどうか、即決を迫られる。
以前から本人が希望していたように延命措置はとらず自然のままにする。
運ばれてから3時間後、モニターの心電図、脳波の波線が徐々になめらかになり、数値がゼロを示す。
午後3時4分、永眠確認。
家に一度帰って最後の買い物をみると雑誌『壮快』。
高血圧解消No.1事典などの特集。
母が頼んだ「骨ケア」なんとかという健康飲料が宅配で届く。
連絡先を探そうとバッグに入っていた手帳を開くとはさまっていた紅葉が一葉はらりと落ちた。
享年85。
たくさんの方々の生前のご厚誼に心より感謝いたします。
皆様に支えられて、母は幸せな生を全うしました。
通夜 :11/5(木)PM7 カドキホール鎌倉
告別式:11/6(金)PM12 カドキホール鎌倉
11 3, 2009 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
今年も歳を重ねる。
これからなにをするか。なにができるか。
身体はまあいろいろ問題あるが大丈夫だ。
最大の課題は、やはり若い人々に、さまざまな契機や種を蒔いていくこと。元気づけること。
なにをやっていいか分からないという学生たちが多い。
私の若い頃はなどとはいいたくないが、やりたいこと、学びたいことは山ほどあり、どこに絞ればいいいか(当時の専門分野の弊害はあるにしても)に迷う、という悩みがみな普通だった。
今の若い人たちの閉塞感、散漫感あるいは躊躇感はどこからきているのだろうか?
ここから溶きほぐさないといけないと感じている。
橋本治はなにかの本で、どうしてそんなに色々なことを知っているのか、と問われたことに答え、そうではない、知らないからこそ、そして知りたいからこそ、学び調べ考えぬいて書き記しているのだ、と語っている。
私も共感し、レベルの差はあれ同じ生き方をしていると感じている。
咲き始めた庭の萩を深夜眺めながら。
9 11, 2009 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
上野毛の環八っ子、愛梨ちゃん。
由比ガ浜ではじける。
過去記事:
愛梨ちゃんと由比ガ浜(07/12/03)
松原庵(鎌倉由比ガ浜)-9(07/12/03)
愛梨ちゃんと小路(07/12/03)
大っきいね、大仏さま(07/12/02)
6 7, 2009 01.私の好きな鎌倉の風景, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
やなか音楽ホールでの、ヴァイオリン・池田菊衛、ピアノ・淡海悟郎(松井拓)両君による「KAISEI PLAYBACK 2009」。
会場折衝から広報、連絡、司会、進行、会計、受付、録音、リーフレット制作、撮影など、すべて同級生たちが分担しての手作りコンサート。
心臓腎臓同時移植という難手術後、順調に回復しているが、まだ海外渡航は許可されていないカリフォルニア在住、高田澪久くんもあいさつを吹き込んで送ってくれ、会場で流す。
過去記事:
思えば遠く来たもんだ(2009/05/23)
43年ぶりの競演(2009/05/21)
高校クラス会と大手術の旧友(2008/09/22)
5 24, 2009 13.音楽の楽しみ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
中学高校時代からの同窓友人である、バイオリニスト・池田菊衛くん(東京クァルテット)とピアニスト・作曲家の松井拓(淡海悟郎)くんのコンサートを企画している。
中学高校以来の悪友・畏友たちのいろいろな思いが込められている。
東京新聞5月20日夕刊に掲載。
ウェブでは届け友情アンサンブル 開成高同窓生『43年前の約束』
池田菊衛・淡海悟郎コンサート
5月23日(土)16:30開場 17:00開演 ¥2,000
やなか音楽ホール
東京都台東区谷中3-23-8
問い合わせ:ブックナビ
5 21, 2009 13.音楽の楽しみ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
神戸、大阪での海外渡航歴のない人の新型インフルエンザ感染の拡がりで、北米(メキシコ・アメリカ・カナダ)に次いで、日本でも、「発生早期」をこえ、「コミュニティ(地域社会)でウィルスの持続的感染がみられる」=「感染拡大期」段階に確実に入った。
専門家は、現時点でも感染者は数百人に達するだろうと言っている。
感染は級数的に増大し、数千人になるのは時間の問題。
数日中にもWHOは最終の「フェイズ6=ウィルスが人への感染性を完全に獲得し、人の間で容易に感染が広がっている状態」の宣言にいたるだろう。
疫学調査をしても感染源が特定できない場合、専門家は「患者の疫学的リンクが切れた」というそうだ。
つまり、この段階になると、感染源とか感染経路とかをいくら調査してももう意味はない。
ひたすら感染拡大と重症化の防止に力を注ぐほかない。
「島国である利点」を生かして「水際」でくい止めるなどと、政府や、ここが出番と舞い上がった舛添や、それをあおったマスコミ(特に産経)などが強調したために(WHOは水際検疫は意味がないとし、同じ島国であるイギリスなどは、成田の重装備の防護服姿の検疫を皮肉に報じていた)、神戸の高校はインフルエンザ症状が広がっていたのに渡航歴がないからと普通のインフルとしてしか考えなかった。これはこのような政府やマスコミのミスリードに責任がある。
しかし、それは別にしても、この国の民のなだれをうつ幼稚さは、オイルショックでトイレットペーパーがなくなる、とパニックを起こした頃のマインドとほとんど変わっていない。
北米から帰国して感染が判明した高校生へのネットでの「非国民」よばわりの誹謗中傷、マスクを求めての行列、電話発熱相談センターにじかにおしかける人々、休校でカラオケボックスに殺到する高校生たち…。
歴史的にまったく唾棄すべきなのだが、思わず「民度」などという言葉が脳裏に浮かんだりしてしまう。
5 17, 2009 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
昨年5月来日した麻心(鎌倉長谷)シンさんの奥さんダリさんの娘タミと彼女の息子マルティン(1歳)が滞在ビザの延長が難しく、コロンビアに帰った。
スイス、サンパウロを経て丸2日間かかり無事着いたという。
まだ19歳のシングルマザー。
Buena suerte ! (ブエナ スエルテ=Good Luck !)
マルティンの過去記事:
Bienvenida!(ようこそ!)
ルナ&マルティン
2 16, 2009 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
工学系大学で「材料工学」を学んできた大学4年生の息子が、卒論の審査も通ったというので鎌倉に遊びに来る。
で、卒論のテーマは?
う〜ん、説明するのが難しいな。
じゃタイトルは?
「プラセオテツボロンサンゲンフユウシリョウヲモチイタコウソクアッシュクホウニヨルジキイホウセイカハツゲン」
???
日本語にしてくれよ。
「プラセオ(プラセオジウムPr)-鉄(Fe)-ボロン(B)三元浮遊試料を用いた高速圧縮法による磁気異方性化発現」
分からん。
うん、この世界はあまりに専門細分化していて、審査する教授たちもちょっとでも分野が違うと理解できないみたい。
それで卒業できたのか…
昨年3年生3月時に、セラミックス・シリコン等を製造する会社に就職は決まっており、さいわい「内定取り消し」などは無いので、とりあえず卒業・就職決定祝い。
2 6, 2009 20.囲炉裏の愉しみ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
葉山の南、秋谷にある五十嵐威暢先生のアトリエでの打ち合わせの帰り、葉山まで歩く。
途中にある「立石」。
波際近くに屹立する高さ12mほどの大岩。
初代安藤広重の版画「 相州三浦秋屋の里 」に描かれている。
『高野聖』『歌行燈』などを著わした泉鏡花が逗子に住んでいたときに書いた『草迷宮』という小説にもこの立石が描写されている。
大崩壊(おおくずれ)の巌(いわお)の膚(はだ)は、
春は紫に、夏は緑、
秋紅(くれない)に、冬は黄に、
藤を編み、蔦(つた)を絡(まと)い、
鼓子花(ひるがお)も咲き、
竜胆(りんどう)も咲き、
尾花が靡(なび)けば月も射す。
ただし、海際に迫っている山からの崩落ではなく、約2500万年前に海底に積み重なってできた地層が 固まり長い間波に削られ続けてこのような形になったもの、らしい。
晴れていれば富士を見渡せるのだが今日は見えない。
1 23, 2009 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
今日発売された新しいMacBook Proを渋谷Apple Storeで購入。
15.4インチ、メモリー4GB、ハードディスク320GB。2.49Kg。
本体、ディスプレイとも1枚のアルミニウム板から削り出された継ぎ目のないユニボディが技術工芸品としてほれぼれするほど美しい。
蓋を開けるための窪みも数百種類試されデザインされたという。
これまでのペナペナして浮き上がったり剥がれたりしたキーも、削り抜いたボディと一体となった。
ガラス製のトラックパッドは広くなり、クリックはどこでもできるように一体化され、iPhone、iPod toutchと同じように指でのスワイプ(拡大表示)、ピンチ(縮小表示)ができ、まだ試していないが回転や「4本指スワイプ」だのという技もあるらしい。
1枚ガラスを通したLEDバックライトディスプレイは明るさとクリアーさが抜群。
10 15, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック(0)
ロサンゼルスに住む中学高校以来の友人が、心臓・腎臓同時移植という大手術を無事に乗り切り、LA郊外の自宅に戻った。
もちろん、最低半年は療養し、体力の回復と、感染症、生体拒絶反応等にも備えなくてはならない。
昨年末から腎臓の状態が急激に悪化し、以前から悪かった心臓も連動した。
残されたのは腎臓移植しかないといわれ、それに備え心臓ペースメーカーを入れる手術をしたのだが、これもおもわしい結果にならず使用を停止した。
アメリカでは腎臓移植には平均5年間は待たされるという。
体力がそれだけ保つとは思えず、心臓・腎臓同時移植をする決意をした。
その方が待機優先順位がぐっと上がる。
先月下旬、おりよくドナーが見つかり、10時間を超える大手術にのぞんだ。
術後、手術チームから「8月の最初の心臓内視で、もう死んでいてもおかしくないほどひどかった」といわれたという。
アメリカはとんでもなく医療費は高い。
心臓ペースメーカーだけで3,000万円。今回はそれに倍する費用かもしれない。
保険である程度はカバーできるといっても、仕事への復帰もまだ目処はつかない。
NYの池田菊衛くん(Tokyo String Quartet)や、ブルックリンに1年間遊学し、帰りにLAで彼に会ってきた「不良中年」、いつもの飲み仲間の悪友たちで同級・同期生たちに呼びかけ、一月ほどで百万円ほどカンパを集め、たいして足しにならないことは分かっているが支援の気持ちとして送金した。
彼からのメールから:
毎日、死と向かい合っていた時、私ばかりか家内までも、四十数年も会っていない、開成の仲間の皆様のご好意と友情に励まされ、勇気を頂いたことに、感謝する言葉が見つかりません。
これから、少なくとも半年は自宅療養になります。
腎臓移植と違い、心臓移植患者の平均生存年数は現在十年だそうですが、これからの十年は、贈られた第二の人生と思い、開成の皆様のご好意を無駄にしないよう、まず健康になり、悔いのないものにしたいです。
10 14, 2008 19.食と農、健康と病, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
尾崎康先生が私たち開成中学2年6組クラスを担当されたのは、1961年から62年にかけてのことで、まだ26歳の慶應義塾大学院生だった。
一方で奨学金を受けながら、給料をもらっていたという。
開成で教えたのはわずか2年間で、クラスを担当されたのは私たちのクラスのみ。
古代中世東洋史が専門で、歴史を教えられた。
教科書とは別に、毎回熱心に達筆のガリ版刷りレジュメを作られた。
私のその後の歴史への関心の芽はこの授業で作られたと思っている。
後、慶應で定年まで教授を勤め、帝京大学でも教えられた。
宋代を中心とした漢籍書誌学では世界的な権威であり、主著『正史宋元版の研究』(汲古書院/1989)は今中国語への翻訳が進められている。
古代中世の漢籍は、大陸では引き続く戦乱、そして文化大革命の破壊にあい、留学僧によって鎌倉時代に日本にもたらさられたものの方がよりよく残っていることがあるという。
永年にわたって蒐集された貴重な文献資料は杭州の研究所に寄贈され「尾崎文庫」として研究者に提供されている。
74歳になられた今もお元気で、中国語版の校閲、美術展やコンサートめぐり、好きなお酒を愉しまれている。
10 12, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
もう20年近く同じ型のブリーフケースを使っている。
Schlesinger(シュレジンジャー)というアメリカの皮革メーカーのもの(数年前フロリダのKorchmar The Leather Specialty Companyに買収され、旧Schlesinger製品はClassic Korchmar コレクションとなったよう)。
映画『Working Girl』(1988)で、ハリソン・フォードがメラニー・グリフィスに出世祝いに贈った小振りなブリーフケースでも有名になった。
これは3代目で、使用歴約5年。
MacBook Pro、カメラ、関連機材、数冊の本、書類等で7、8Kgになる荷重に取っ手の根元が耐えきれず壊れてしまった。
ご近所の革職人の店「WITH」(鎌倉長谷)に修理をお願いする。
しばらくして頑丈に仕立て直され、磨き上げられて戻ってきた。
10 2, 2008 06.私の好きな鎌倉の店・その他, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
開成高校2年6組(S41卒)のクラス会。
恩師、中原道喜先生にちなんで「どうき会」と名付けている。
中原先生は久しく体調悪く参加はされない。
それぞれの近況報告の後、ロスアンジェルスで心臓・腎臓同時移植という難手術にのぞんでいる同級の高田澪久くんのことの説明と莫大な手術費への、実質的にどの程度の足しになるかは疑問だが、私たちの応援の気持ちを込めたカンパの要請。
配布プリントとメール用PDFを作成。
ニューヨークから急遽ロスへ飛んだ池田菊衛くんからのメールで手術が無事終わったことが知らされる。
その後追伸。
「皆様、クラス会はさぞ楽しかったでしょうね。
高田君が手術を受け、今も入院している病院はCedar Sinai Hospitalというとてつもなく大きく立派な病院でした。
顔を見るぐらいで追い返されるのかな、とコワゴワ部屋に入った僕は「やあ、よく来てくれたな!」と言う彼の元気そうな声にまず、おどろかされました。
彼は心臓移植、以前入れてもう必要のなくなったペースメーカーを摘出する手術、腎臓移植、一度閉じたけれど腎臓の働きが今ひとつなので腎臓移植のやり直し、と計4回の手術を受けたのです。
36時間意識がなかったそうですが、幸運にも彼は同じ病院にいた脳死状態の若い男性から提供を受けることが出来たのです。
時々しゃっくりが出る時に、傷口が傷むようでしたが、今朝検診に来た医者は「総てが期待通りに行った手術だった」と言っていたそうです。
夜の7時までかわいいコリアンの看護婦に面倒見てもらってすごく愛想よく機嫌の良かった高田君が、後から来た黒人の看護婦に代わってからブスッとなっている所も、昔と全然変わりません。
近いうちにクラス会に是非一緒に出よう、と約束をして部屋を出ました。
とりあえずご報告まで。
池田菊衛」
9 22, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
長谷のご近所、卒業生の大庭くん宅でバーベキュー。
芝生を駆け回ってMicも大喜び。
庭で摘んだ野菜と花、自家製シソ酒を持っていく。
ゴーヤ、唐辛子、バジル、シソの葉、ピーマン等に木槿(ムクゲ)、コスモス、芙蓉、メドゥーセージの花。
Mic、初めてのハンモック。
揺らしてもけっこう気持ちよさそうにじっとしている。
9 16, 2008 01.私の好きな鎌倉の風景, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
中学、高校以来の気のおけない畏友、悪友たちとの飲み会。
しばらく前から毎回全国の郷土料理と酒とテーマを決めていて、今回は新潟、越後料理の銀座叶家・竈神。
不良老年のNY独り暮らしの一年間のブルックリン暮らしを終えて帰ってきたY。
ニューヨークを拠点としているが、ちょうど日本に来ていた東京クァルテットの池田菊衛。
来週ウズベキスタンに行くという雑学博士等々。
ロスに住む同級生が、心臓と腎臓を移植しなくてはならない状況にあり、励ましの色紙や録音とともに、私たちになにかできないか話し合う。
9 13, 2008 21.酒と…の日々, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
鎌倉花火大会の後で。
さすがに一度に15名以上という来客は狭い我が家では無理だな。
卒業生や学生たちと。
花火大会後・過去記事
8 12, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
鎌倉路地フェスタでPartnerが手伝った「Caféスペイン娯楽」の万智子さんと子どもたちが来る。
Partnerの卒制の一環であるビデオインタビューでもあるらしい(私はよく知らない)。
お父さんは、今日母国ペルーの独立記念日の行事でいない。
Partnerの手造り料理と万智子さんにいただいたスペインのシャンパンやおいしい豆腐などなど。
ルイ(ルイス)くん(8歳)とソフィー(ソフィア)ちゃん(7歳)は元気はつらつ。
ちらかった部屋の中でけつまずいたりしないかハラハラする。
ソフイーは初めはMicのことを怖がっていたが、徐々に慣れ「こんなに犬にさわったの初めて〜!」
(ルイ撮影)
私の仕事場(といってもリビングの隅)のコンピュータをいじりまわすソフィー。
いっぱい色々なものが開いていて後がたいへん。
7 28, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
心臓カテーテル検査。
「カテーテル」というのは合成樹脂製の細長い管で、肘の内側(大腿の場合もある)の動脈に入れ、血管を通じて心臓まで到達させる。管を通してレントゲンに写る造影剤を流し込み、心臓の働き、血管の具合を診断する。
検査医師はモニター映像を見ながらカテーテルを操作し、必要な検査を行う。
ふつう15分から20分と言われていたのだがなかなか終わらない。
医師が「う〜ん」とかうめきながら別室に消え、別の医師に交替し、なにか重大な欠陥を発見したのかと不安になる。
心音の規則的なピッ、ピッというスピーカー音が早くなったり、突然ピ、ピとなったりしてこれも恐怖。
おそらく30分を過ぎたころ「右の冠状動脈になかなか入れないので別のカテーテルを使います」と言われ、なんというか「引き上げ」「再挿入」。また不安。
カテーテルの挿入は麻酔しているので痛みはないし、心臓自体をいじくりまわされているのだがそれは何も感じない。ただ動脈血管を直にさわられているといったちょっと不快な違和感。
40分ほどかかって終わる。
「何も問題は無いですね」
ふぅ。
止血はけっこうたいへんだ。
挿入口を密封し、血圧以上の空気圧を加え、何時間もかけて徐々に圧を減らしていく。これがなかなか腕が締め付けられ指先が麻痺し痛い。
OKとされて器具を取り外し、絆創膏を貼ってしばらくしたら、みるみる真っ赤になり血がしたたり落ち、また何時間か器具をつける。
造影剤を洗い流すための点滴も同時にずっと行われている。
別の医師からモニター映像を見せられながら説明を受ける。
自分の心臓のなかの映像を見るというのはちょっと不思議なものだ。
血管が、由比ガ浜に打ち上げられている海草のように枝分かれし、釣り針のようなものがひとつずつの血管を点検のためちょっと持ち上げたりする。
もう十年来、ときどきの左胸の不快感に悩まされ、心臓障害に不安を抱き、ずいぶんと検査もしてきたのだがよく判明しないできた。
「心電図、超音波エコーなどを含めて、心臓に関してはなんの問題もありませんね」
ふぅ!
写真はコンピュータ・グラフィックスの日本における先駆者のひとり出原栄一『樹木』(1983/築地書館)より
※色調加工してあります
6 10, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
心臓の検査入院。
4名ほどは入っている病室で午後9時消灯。
個人スペースの電気は付けて本を1冊読むが、夜中過ぎまでつけ続けるわけにもいかず、酒も煙草も無しの零時過ぎ、消して横になる。
こんな時間に眠りにつけるわけがなく、聴覚のみ働く。
夜中の病院は静寂につつまれて、などいない。
実にいろいろな音があふれている。
早々と眠り込んだ同室者のいびき、
外の車の音、
総合救急病院なので救急車の出入りのサイレン、
痛〜い、痛~い、という別室の叫び、
意味不明のうなり声、
かあさん、かあさ〜ん、という老人の声、
看護士の押す心電図や血圧計を載せたワゴンの音、
なにかが落ちたガシャンという音、
トイレに行くピタピタとしたスリッパの音…
そして自分の心臓の鼓動…
写真は記事とは関係ありません。稲村ヶ崎の海辺で。
6 9, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
大学へ授業に行こうとして家を出たら、なにか心臓のあたりが苦しくなった。
まだ時間があったので行きつけの雪ノ下、清川病院に行く。
冷や汗、脈拍140前後、血圧も上が158。
心電図、レントゲン、血液検査。点滴。
特に異常がみつからないのだが、狭心症、心筋梗塞の疑いがあり、ここではそれ以上わからないといわれ、鎌倉で一番心臓循環器系の医療が充実している山崎の湘南鎌倉病院へ救急車で運ばれる。
また心電図、精密血液検査。
救急救命室(Emergency Room、略称:ER)の若い医師2人が私から離れ心電図を見ながらひそひそと話す。家族の方を急いで呼んでくれという。
不快感はかなりおさまり、脈や血圧もほぼふだんの時に戻っているのだが、こういう状況のときが一番の不安と恐怖におそわれる。
やがて現れた循環器系の医者が、これは狭心症や心筋梗塞ではないね。超音波検査をやればわかるから、といわれ3年前に経験したあの「どきどき」の超音波エコー検査を受ける。
点滴を受けながら結果を待つこと1時間。
医者が検査結果はひじょうに良好、若い人の心臓と同じ、という。
しかし念のため、今週末に一日入院して心臓カテーテル検査を受けることに。
病院に呼ばれて大学の卒制チェックに行き損ねたPartnerと「はま善」(鎌倉長谷)で遅い食事。
材木座のしらす網にかかったカワハギの肝あえ。とぼけた口元。
しらすを一杯食べているらしいカマスの塩焼き。獰猛な歯。
大将の田舎、群馬で作っている大根のおろしが絶品。
6 3, 2008 03.私の好きな鎌倉の店・和食 & 居酒屋, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック(0)
「鎌倉路地フェスタ」でPartnerも関わっていた「スペイン娯楽」のご家庭に料理を持ち寄って。
ソフィーちゃんはPartnerになついている。
3日ほど前にコロンビアからやってきた1歳のマーティンくんも。
10歳にして叔母になった(!)ルナちゃんがとてもよく面倒を見ている。
5 19, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
学生たちが鎌倉に遊びに来る。
夕方の由比ガ浜をMicと散歩。
4月から4年生(Partnerも)なので必然的に卒業制作の話になり、参考になるものをいろいろ見せたり囲炉裏を囲んで相談にのる。
3 22, 2008 11.教育と学びのデザイン, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
久しぶりに朝8時ころのラッシュの電車に跳び乗って奥まで入り、つり革につかまって本を読んでいた。
ふと気付くと目の前の窓に「始発から朝10時までこの車両は女性専用車」のピンクの表示。
見回すともちろん女性ばかり。
注意する人も白い目で見る人もいなさそうなので、男物の腕時計をそっと外し、そのままマダ〜ムになる。
3 11, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
1 22, 2008 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック, 23.日々のなかで, 25.My Ex Partner | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
過日行われた開成高校昭和41(1966)年卒還暦記念学年会。
同学年350名中150名のいい年をしたおっさんたち(う〜ん、まだ、じじいとは呼ばれたくないが)が西日暮里の母校に集まった。
41年ぶりに会う顔も。
中高一貫の男子校だから女っ気は一切無し。
バックの校章は剣の上にペンが乗ったもの。
デザイン的にとても好きだ。
中学に入学して初めての英語の授業で、まず「The Pen is mightier than the Sword」と板書され、その意味(ペンは剣より強し=言論・文化の力は武力に勝る)という精神を教わる。
もっとも戦時中は「文武両道」などと都合良く解釈されていた。
卒業アルバムなど、度重なる引っ越しなどで無くしてしまったが、PDFでアップされてダウンロード。
今も、悪友、畏友たちとの交流が続く3年6組のページ。
私たちの頃は、騎馬戦、棒倒しなど怪我人が必ず出るけっこう有名な運動会。
「Designed by」などとイラストを描いているのは、今はIT系一部上場会社社長で今も飲み仲間。
12 21, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「高見」という人はけっこういるが「高味」と書く姓の人は親戚筋以外に出会ったことはない。
今はどうか知らないがずいぶん前に東京都の電話帳をみたら「高味」姓は私の親戚しかいなかった。
父方の祖父の出身である岐阜県羽島市の下中町石田という長良川と木曽川に挟まれた農村にまとまってこの字の姓がある。
Googleで「高味」で検索すると私のサイトがトップに出てくる。
その下のほうに「高味光一郎」というのがあり、見てみると若い俳優だった。
最近では『人が人を愛することのどうしようもなさ』助監督ユージ役(監督・石井隆)、『オーバーヒートー輝きの先に』ヨウジ役(監督・加藤文明)などに出演しているらしい。
芸名で姓を「高味」とすることはあまり考えられないので本名なのだろう。
愛知出身とあるから近い。羽島から木曽川を渡ればすぐ愛知。
俺の若い頃に少し似ているなあ、もしかしたら遠い親戚かもね、とPartnerに見せたら、ふっ、彼がイケメンだからそう言いたいんでしょ、と鼻で笑われた。
11 26, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
デザイン学科で教えている学生の結婚お祝い会を二子玉川で。
由紀さんは今2年生だが、慶應義塾大学を卒業し、シンクタンクに勤める社会人学生。
武史くんは大学院に行きながら別のシンクタンクに勤めている。
二人とも山形酒田の出身、で十年来のつきあいの末のゴールイン。
社会学専攻の武史くんが清水幾太郎の研究をしているというので少し驚いて話す。
清水幾太郎(1907〜88)などといっても一部の社会学や社会思想史専攻生をのぞいて今の若い学生は誰も知らないだろう。
小熊英二が『清水幾太郎ーある戦後知識人の軌跡』(神奈川大学評論ブックレット・お茶の水書房)で述べているように「生涯に百冊ちかい著著を出版した清水だったが、そのほとんどは時代の変化とともに、発刊後数年を経ずして絶版となった。清水の著作で、彼の死後もロングセラーであり続けていたものは、『売文業者』を自称する清水が自己の文章技術を解説した、1959年の岩波新書『論文の書き方』のみである」
50年代の代表的「知識人」であり、平和を説く旗手だったが、70年以降、日本の核武装を説く右派アジテーターになった清水の論考言説から、何をどのように学ぶのか、別の機会にじっくり話してみたい。
ともあれ、Happy Days, Forever !
9 30, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
老母の「ほほえみの人形展」が由比ガ浜・大野アトリエで始まる。
来てくれた叔母たちと。
今日は大野画伯が教えている生徒たちが人形をパステル画でスケッチ。
老母の誕生日祝いを兼ねてオープニングパーティー。
9 23, 2007 10.美術工芸, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
老母は鎌倉扇ガ谷にある精神障害者のための地域作業所、倶楽部「道」というところで、私はよく知らないのだが何やらいろいろやっており、そこの仲間と一緒に旅行に連れて行ってもらったりしているのだが、そこでパステル画を習っている大野画伯のはからいで人形の個展をさせていただくことになった。
大野画伯は母の人形の特徴を「ほほえみ」ととらえ、「ほほえみの人形展」と名付けてくださった。
ご覧になって気に入っていただいた方にはご自分で値を付けていただき、もしお買い上げいただいたときはそのお金は倶楽部「道」に寄付します。
お近くにお立ち寄りの際はどうぞのぞいてみてください。
大野アトリエは江ノ電和田塚駅そばの池田整形外科向かいを少し入ったところです。
高味弘子「ほほえみの人形展」
9月22日(土)〜30日(日)
AM10〜12・PM1〜5(25日から28日までは午後のみ)
大野アトリエ
鎌倉市由比ガ浜2-8-7-2 1F
Tel: 0467-24-0327
9 14, 2007 10.美術工芸, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
歳を重ねた。
特に感慨はない。
悟りも開けず、丸くもなっていない。
人の名がなかなか思い出せない。「老人力」は確実に増した。
なにかいいことはないか。
記憶力は減退しても、物事を関連づける力はむしろ増すという。そこに希望。
あ、映画館とかなんとか切符とか安くなったりするのかな。
若い頃の私たちの世代のアイドルだった落合恵子(レモンちゃん)は、私たちいわゆる「団塊の世代」に期待することを問われ、「親の介護をしながら、自分の老いの予行演習をする。そこでみつけた宿題を、何らかの形で社会に還元してくれることを期待している。彼らは異議がある時は、『異議あり』と手を挙げる人たちだ。今まで専門家だけの領域だった医療、介護、福祉の問題に風穴をあけてほしい」と語り、「自分色に輝こうね」とエールをおくってくれている(天沼香『団塊世代の同時代史』吉川弘文館より)。
写真上は、上野毛「ミキ」のミキさんから贈られたハイランド・シングルモルト「ABERLOUR(アベラワー)15年 Sherry Wood Finishを味わいながら。
写真下は、「しばらく引退」するミキさんから「ミキ」をまかされることになった山口さんの娘あいりちゃんが誕生日祝いに贈ってくれたビーズの手作りアイロン固めコースター。
9 12, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
8月下旬にニューヨークに行き、ブルックリンのアパートでこれから1年間を過ごす友人のネット環境が整い、ブログへのアップが始まった。
生活用品を買い入れたり、日本から持ち込んだヌカで漬け物を作ったり、近所の心地よいカフェを探し回ったり、ジャズライブを聴きにいったり…。
近くに住んでいる私のところの卒業生(yuccaさん)もいろいろアドバイスしてくれている。
不良老年のNY独り暮らし
Days of Books, Films & Jazz (1年間限定版)
Yucca in Brooklyn
刺激の多い街NYでlife workを模索中〜♪
※右のLINKSにもあります
9 3, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
由比ガ浜でT-Sideのシャウンと出会い、彼の家族とリトル・タイランドで。
シャウンも地球温暖化と故郷バングラデッシュの行く末を深く案じている。
バングラデッシュはガンジス河デルタ低地が大部分を占め、2004年の水害では国土の2/3が大被害を被った。
海面上昇ではすぐさま影響を受ける。
今日みたNHKの番組で、バングラデッシュの子供たち(実に生き生きとしたいい目をしている)が、防災訓練を見て「生き残る方法が分かったよ、”サイクロン・センター”に行けばいいんだね」とうれしそうに言っていたが、映し出された粗末なコンクリート2階建てのその避難所は村人の10分の1も収容できない。また、カトリーナ級の暴風サイクロンが来たらひとたまりもないだろう。
小学3年のモネッサ(アラビア語で「妖精」)ちゃんと1年生のラビーザ(同じく「太陽」)ちゃん。
8 30, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
仕事上、Word、Excel、PowerpointなどのMicrosoft製品を使わざるをえないことがあるが、Microsoft社の企業ポリシーが大嫌いなのでWindowsを含めできるかぎり使いたくない。
Wordなどという気持ち悪いワープロソフトは、それで作られた文書を読まざるをえないときを除いて一切触れたくない。
単なる文章物ならTextEditで十分、グラフィックを含むペラ物ならAdbe Illustrator、本格的なページ物ならAdbe Indesign、プレゼンテーションツールとしてはPowerpointなどよりAppleのKeynoteの方が断然優れている。
唯一残っていた領域がスプレッドシート(「表計算ソフト」というにはすでに狭すぎるが)だった。昔はLotus123など対抗馬もあったが、姿を消しMicrosoft Excel一色になって久しい。
しかし、Appleの「iWork'08」(Pages'08・Numbers・Keynote)の「Numbers」が出て、ようやくExcelにおさらばできるのが実にうれしい。
旧Excelデータも特殊な設定を除いて読み込める。
Mac的で直感的なインターフェイスでどう使うか試行錯誤するのが楽しい。
8 28, 2007 09.ネットワーク・コミュニケーション, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック(0)
先月21歳になり、大学3年の前期レポートもすべて終わった息子が鎌倉に遊びに来る。芝浦工大で材料工学を専攻している。
Micが我が家に初めて来た子犬の時、訪れていた息子の足下でとろとろ眠った。Micも3歳、人間で言えばおよそ同じ21歳。
材木座の海の家「Asia」で。
8 5, 2007 23.日々のなかで, 24.犬と暮らす | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
え〜、今日は写真はありません。
小雨の由比ガ浜をMicを散歩させていて異様な犬の散歩集団?に出会いました。写真は撮れませんでした。
ゴールデンレトリーバーをゆったり引いているのはアロハシャツを着た恰幅のいい中年男。後ろから別の男が傘をさしかけている。
前方十歩ほどのところを同じく左右十歩ほどの間隔に散開した剣呑な目つきの男二人があたりを睥睨しながら先導する。
犬を引いている男の後ろを包み込むように五名。
十歩ほど後方に別の男。やはり傘がさしかけられ、同じく包み込むように五名。
さらに十歩ほど遅れてしんがりの二名。
昨日の千葉真一の俳優引退表明とタイアップしているのだろうが、ここ数日WOWOWで中島貞夫『沖縄やくざ戦争』(この舞台の1972年復帰前後の、沖縄那覇、コザには当時住んでいたのでこれはこれでおもしろかった)など千葉真一特集を放映しており、深夜仕事をしながら横目でながめていたが、そのなかで親分が愛犬を散歩させている最中に対立組織の鉄砲玉(昔懐かしい尾藤イサオ)に射殺される場面があった。
滑川までの行き帰りに二度も行き会ってしまう。
毎日のように由比ガ浜を散歩しているが初めてのこと。
7 17, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
法事のときくらいしか会う機会のない親戚の子どもというのは、途中のプロセス抜きで突然大きくなって現れる。
よちよち歩きしていた姿の見覚えがある従兄弟の子が『となりのトトロ』のメイを思い起こさせるような活発で可愛らしい子に成長していた。
叔父三回忌の後、錦糸町のホテルで。
7 1, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
東京学芸大学附属竹早小学校の「還暦記念同期会」。
1960(昭和35)年卒業。
47年ぶりに会う顔もある。
亡くなられた先生もいるが、89歳の前田(旧姓上田)先生、小亀(旧姓山下)先生、菊池(旧姓石原)先生はまだまだご健勝。
数えてみると小学3、4年で担当された小亀先生は当時大学出たての23歳だった。
60歳の誕生日で「還暦を迎えた」と思っている人が多いが、陰暦で60年に一度「干支」が同じものに返ることから言うので、われわれはすでに1月1日に「還暦を迎えて」いる。
う〜ん、マルセイユで元旦を迎えたときにすでに還暦だった。
6 10, 2007 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
勤め先の大学のある世田谷上野毛には、ふだん江の電由比ケ浜ーJR鎌倉ー横浜ー東横線自由が丘ー大井町線上野毛と乗り継ぐ。
上野毛駅は来年にかけて駅舎立て替え(安藤忠雄が設計デザインするといわれている)と急行通過のための工事が進行中。
自由が丘からは乗って6分なのだが、斎藤美奈子『それってどうなの主義』(白水社)に読みふけっていて、停車して開いたドアの外の風景に一瞬ここはどこ?状態になり、16年通っている駅にあやうく降り損ねる。
「ここは上野毛駅前緑化地域です。自転車をとめないでください」と記されたコンクリート鉢が並び、つまらない園芸花が半分以上枯れた状態で放置されている。
な〜にが「駅前緑化地域」。自転車をとめさせないためだけの小役人的浅知恵。
大学に行く途中の環八沿い4軒ほどが取り壊され更地になった。
たしか画材屋も含まれていたはず。
昭和30年代を思い起こさせる残った家の横腹が現れる。
5 23, 2007 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
25日(土)-26日(日)と5月のルートカルチャー「新月祭」(鎌倉・妙本寺)に引き続いて「ルートカルチャー第一弾フェスティバル」。
「鎌倉から新しい文化を発信する」ことを目的とし、先月NPO法人ルートカルチャーが発足したそうだ。
11 25, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
中学2年のクラス会。尾崎康先生(写真中)を囲んで。
尾崎先生にとって専任としてクラスを受け持つのは初めてにして最後(つまり私たちだけ)だった。
当時慶應義塾大学の博士課程院生の26歳。そんな兼任ができた時代。東洋史が専門だが日本史を受け持つ。
毎回、教科書とは別に自分でガリ版を切りレジュメを用意された。
小学生の頃から歴史は好きだったが、尾崎先生の授業で、歴史、歴史学への関心の土壌が確実に拡がった。
私たちを教えた後、慶應に戻って研究を進め、中国古書誌学、版本(印刷された書籍)研究の世界的第一人者になられる。
戦乱で四散する大陸より、留学僧などが持ち帰った書籍資料は日本の方に残っていたりする。
今年72歳で大学からは離れ、2.4トンにおよぶ永年集めた貴重な蔵書を中国の大学に寄贈された。
私にもまさる大の酒好き。司牡丹に相好を崩す。
どうぞご自愛ください。ずっとお元気で。
新宿野村ビル・土佐料理「祢保希(ねぼけ)」で。
10 3, 2006 11.教育と学びのデザイン, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
4月から使っている私のメインマシンMacBook Proのハードディスクの調子が悪い。
ずっとなにかスピードやアプリケーションのふるまいに違和感があったが、メールソフト「Mail」が昨晩から機能しなくなり、丸一日メールがチェックできていない(今現在はまた3段重ね2段目のPowerBookG4でメールを送受信)。
ディスクユーティリティでも不具合が表示、
初期化を決意。ただそれでもハード的な故障であれば交換修理が必要になるかも。
約80ギガのハードディスク内容を外部ハードディスクにバックアップ中。
朝方までかかりそう。
OSからソフトウェアの入れ直し、各種設定等、気の遠くなる手間と時間のロス。まあコンピュータには「つきもの」だが。
9 28, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
増山理人くんが来宅。
久しぶりに囲炉裏に火を起こして酒宴、歓談、20日の上野毛キャンパスでの講演会の打ち合わせも。
レンバイなどで仕入れた鎌倉野菜のピーマン、米ナスに田楽味噌、椎茸に酒醤油、えのき茸、白アワビ茸、ペコリス、ミニトマト、新ジャガ、カボチャ、厚揚げに生姜醤油、ハタハタ、ホタテにバター醤油、サザエに酒醤油、牛ヒレ、焼きおにぎりと酒粕汁…。
9 19, 2006 20.囲炉裏の愉しみ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
今日起きてみると、頸の痛みがすっと消えており、頸が回る!
7日からだから全治10日間。
この間あまり動かないようにしていたので、身体が少しふらふらしている。
皆さま、ご心配をおかけしました。お見舞いありがとうございました。
9 16, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック(0)
頸(クビ)がまわらない。
借金の話ではない。
仰角(水平面より上を見る角度)可能15度、俯角(水平面より下を見る角度)20度。左方向10度、右方向わずかに5度。
以上「分度器」などというかなり時代遅れなものを使って測った。
丼に頭を傾けてすするラーメンなどは食べられない。
ビールジョッキをぐいっと飲み干すこともできない。ストローでビールを飲んで旨いはずがあるか?
「先生、相談が有るのですが…」と研究室で斜め後ろから学生に声をかけられても、「俺の後ろに立つな」とゴルゴ13になる。
9 15, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
昨朝起きたら頸(くび)に激痛。いわゆる「寝違え」でそのうち治るだろうと思っていたら夜になっても少しも痛みがおさまらない。
一晩寝たら今朝は自力ではベッドから起き上がれないほどの痛み。
骨折や足首の傷のとき診てもらった下馬の整形外科医院へ。
ヒトを含めた哺乳類の頸の骨は7つの頸椎からなり、一番上は環状(イカの輪切りみたいなもの)で、二番目のものは軸を持っていて上の環におさまっている(喉の奥あたりにあり頭を支えている)ので「環軸関節」と呼ぶ、のだそうだ。
で、レントゲンで見るとそれがずれている。つまり脱臼。
来週から授業が始まるというのに、立ったり座ったりする動作だけで激痛が走る。
スターウォーズのC-3POをさらにぎこちなくしたような動きに。
9 8, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック(0)
明日10日は鎌倉花火大会。
台風の影響もなんとか消え(まだ波が荒いが)予定通り開かれそう。
鎌倉の花火は約2900発、7時から8時15分までと規模は小さいのだが、浜で潮騒の音を聞きながら待ち、300発近い水中花火と打ち上げが競演するのが興趣。
音も普通の花火は空中からだけだが、水中花火はその衝撃波が海底を通して浜に座った身体全体にズンズンと響く。
写真は、毎年鎌倉ゆかりの画家が描く鎌倉花火うちわ。
今年はかつて在住されていたことがある中島千波画伯によるもの。
8 9, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
二階堂の「カジュ・アート・スペース(Kaju Art Space)」での「第2回花樹サロン」。
主宰のたなか牧子さんをはじめとするスタッフによるカレーなどの料理とワインで歓談、「だるま楽団」にゲストの佐藤ヒロタカさんのギターを加えた心地よく「ゆるゆる」アコースティックなミニ・ライブ。
夕暮れ、庭に立ち並べた竹に灯がともされ築七十余年になる民家にゆったりした時間と風が流れる。
7 19, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
風邪で頭がグラグラし、足もとにも力が入らないのだが、昨日、今日と行われたルートカルチャー第0弾フェスティバル「新月祭」をのぞきに行く。
「ルートカルチャー」は鎌倉在住のアーティスト、クリエイターなどが鎌倉の文化、地域、人のために地域に根(ルート)を張った新しい文化交流の場を作ろうという活動(現在NPO法人申請準備中)。
これを期に市内の寺社仏閣を会場に、春秋の2回コンサート、パフォーマンス、展覧会、ワークショップ、朗読会などを企画運営する。
今回は日蓮宗の古刹・妙本寺(大町)が協力。本堂前でのライブコンサート、書院でのワークショップ、比企谷(ひきがやつ)幼稚園での展示販売など多彩な催し。
初めて中に入った八角堂(現比企谷幼稚園)で。アコースティック・ギターにあわせてゆったりとしたダンスパフォーマンス。
カジュ・アートスペースを主宰する染織家・たなか牧子さんも糸つむぎの実演。鎌倉周辺の植物や野菜の皮などで染織した糸の風合いが素晴らしい。
5 28, 2006 01.私の好きな鎌倉の風景, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
隣の家に来ていたリス。
鎌倉に来て日の浅いPartnerはひどく驚くが、佐助の山の上でリスに囲まれるように暮らしていたことのある私には別に珍しくはない。
鎌倉のリスについては一度書いたが、その後行政がどうなっているか。
5 26, 2006 18.花・木・野菜・生きものたち, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
私にとっての上野毛のオアシスであるワインとおばんざいの店「ミキ」の美紀さんは、もうずいぶん前に一念発起してノートパソコンとPHSカードを購入し、プロバイダとも契約しているので、メール・ネット環境があるのだが、けっきょく操作を覚えるのを面倒がり、「別にメールするような人もいないし電話すればいいもん」とメールもやらなかった。
ところが「卯の花茶」で検索して私のブログにきてコメントを付けてくれたフランスのシャンベリーで暮らす美紀さんの旧友のアドレスを教えてメールを送ったらすぐメールが返ってき、しかも画像入りのものまで届いたのをみてにわかにやる気を起こしたのだ。
美紀さんをデジカメで撮って画像添付でお友達に送るやり方を教える(まだ二度とできないが)。
1 18, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
※今日も試験勉強中のPartnerの邪魔をする屈託ないMic
まだ骨折して昨日の今日なので、なにもしなくてもシンシンと痛む。
室内ではそれほどでもないが、靴を履いて外を歩くと一歩一歩それがジンジンになる。
寝るときも難しい。向きを変えるごとに痛みが走る。
起き上がるまでのプロセスもたいへん。ちょっとずつ試行錯誤、悪戦苦闘。
御法度はもちろん激しい動き、身体を横にひねる、重いものを持つ。
「Mic、ダメッ」とかの腹から出すような声。
中以上の笑い。
そして普通の生理現象。鼻を強くかむ、咳をするのはビンビン響く。これはある程度自己制御できるのでいいのだが、クシャミは恐怖の極致。防ぐことができず激痛が走る。
1 14, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『ALLWAYS 三丁目の夕日』を観て昭和33年にトリップした後、銀座に出てその当時のクラスメイトが集う小学校の同期会へ、というのもすごい一日だなぁ。
文京区小石川にある東京学芸大学附属竹早小学校が母校。1954(昭和29)年入学、1960(昭和35)年卒業、6歳から11歳までを過ごす。
教育実験校なので48名1クラスで1学年2クラスずつしかない。2年ごとに担任と生徒はシャッフル。学芸大の教職課程の学生がよく「教生」として見習い的に教えにきた。
2年前に何十年ぶりかに同期会をやったのだが、その時来なかった人とは実に45年ぶり。はじめは分からないのだが、じわじわと面影が浮かび上がり、エピソードを想い出す。
そうか、このメンバーで卒業記念に多摩川までサイクリングしたんだっけ。
女性たちも元気。孫がいる人も多い。
先生方(前列中の女性2人)も83歳と71歳になられるがお元気でなにより。教えた生徒のことはいつまでも覚えていて気にかけていただいているのだなあとしみじみ感激し、自らを省みる。
11 14, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」、「杉本博司:時間の終わり」とセットで2000円というので、普段なら行かない六本木ヒルズ森タワーの展望台に初めて出てみる(単独では1500円)。
つまらないビルがノベタラかつ無秩序に拡がっている東京のこういう景色は好きではないが、鳥瞰図、航空写真、地図マニアなので、このヘリコプターの飛行高度くらいはある眺めはなかなか興味深い。
11 8, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
私のと同じ、しばらく前に届いたPartner用の加藤晴之さんデザインの自転車をようやく初乗り。
旧鎌倉市街は3、4Km四方の世界。用を足すにも散策にも自転車がいい。
今の時期、暑からず寒からず、澄んだ空気を切って…
11 1, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
メインで使っているPowerBookが壊れて買い替えたのが昨年の11月末。
別に今のが不調なわけではないがインテル版PowerBookはたぶん1年ほどは先だろうから、新しく発売されたPowerBookを購入した。1年のうちに3台、う〜ん。
OSがOSX10.4.2-Tigerに。同じ15インチだが1440x960pxの表示ができて一望性はよくなる。メモリを2Gにし、ハードディスクを80から120Gにしても、1年前より数万円安くなった。
Firewire経由で前のデータ、アプリケーション等すべて転送。
3段重ねで使ってどうする、って(単にかたづけるのが面倒なだけ)
10 31, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
ごちゃごちゃ放り込んでおいた書類箱のなかから古い写真が出てきた。
左は裏に「23.7」と記してある。昭和23(1948)年7月、私が生後10ヶ月のときの姿。右はたぶん2歳前の夏か。生まれてから2年間暮らした本郷西片の母の実家の庭で。
私は自分の写真アルバムというのを持っていない。いや、昔は父が作ったものや卒業アルバム、登山や旅行のアルバムなどいくつもあったのだが、転居を重ね、人生色々あるうちに、いつの間にか手元にはなくなってしまった。
今数えてみたらこれまでに18回転居している。
生まれてから本郷西片で18歳まで暮らしたのだが(その際も幼い頃町内で2度転居)、その後は、菊名、横浜野毛、那覇首里、那覇泉崎、コザ(現沖縄市)、荻窪、葛飾高砂、船橋東中山、船橋習志野台、三鷹、西麻布、杉並浜田山、鎌倉佐助、鎌倉小町(2カ所)ときてようやく長谷に落ち着いた。
その都度モノを捨て買い換え身の回りは変わっていく。大切だと思っていたものもどこかへいってしまう。大量の蔵書も10年前に一度すべて処分した。
人間やはり身ひとつなんだろう。
10 4, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
7月に入って咲き始めた庭のメドゥーセージはまだまだ花盛りだが、赤トンボに秋の気配。
それほど赤色が濃くないのでたぶん秋茜の雌。
トンボは日本では一般に親しみやすく縁起が良いもの、精霊の姿や送迎するものなどとして殺すことを忌む風習があるが、ヨーロッパでは、世の中に災いを起こすために魔王から送られてきた悪魔的なものとされ「悪魔の縫い針」とも呼ばれ、嘘をつくとトンボに口を縫われると子供たちは聞かされるというから驚く。
まあはかなげでやさしい「蜻蛉(とんぼ)」などという語感と「Dragonfly(飛ぶ竜)」では違うよなあ。
生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉 夏目漱石
人ゐても人ゐなくても赤とんぼ 深見けん二
八十にやたらしたしき赤とんぼ 保津操
9 29, 2005 18.花・木・野菜・生きものたち, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
「月白く風清し。此の良夜を如何せん」(蘇東坡「後赤壁賦」)
月に兎の姿を認めるのは日本独自のことではない。インド、内陸アジア、中国、中央アメリカでもみられる。
古代中国では月の精は蝦蟇(ガマ)とされていた。不死の薬を飲んで月に昇った美女が蝦蟇になったという。時代が下って唐代の銅鏡には、中央に桂の樹、左右に蝦蟇と兎と美女を配したものがある。兎は不老不死の薬をついている。
これが日本には兎の餅つきとして伝わったのかどうかは定かでない。
北方ユーラシア、沖縄、北アメリカ北西海岸の諸民族の間では、水をくむ人を表すととらえられている。
インドネシアからポリネシアにかけては機織り女や樹皮布をたたく女に見立てられる。
名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉
こんなよい月を一人で見て寝る 尾崎放哉
門を出て五十歩月に近づけり 細見綾子
9 19, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
友人にお祝いにもらった「ダロワイヨ」の菓子。
私はスイーツ系はまったく駄目なのでよく知らないのだが、「ダロワイヨ DALLOYAU」というのは1700年、ヴェルサイユ宮殿でルイ14世のおかかえパン職人として仕えていたシャルル・ダルワイヨが始まりという。以来フランス王家代々の食膳係として名声をはせ1802年ジャン・パティスト・ダルワイヨにより創業とある。
興味の有る方はダロワイヨサイトへ。
8 13, 2005 19.食と農、健康と病, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
母の弟、邦郎叔父が今朝亡くなった。享年79。
3年前に脳梗塞で倒れ、その後はなすすべがなかった。
母の実家、私の生家は本郷西片のとても広い家だった。茶の間、なんというか分からないが別の間、寝室、納戸、女中部屋、邦郎叔父の部屋、澄郎叔父の部屋、また別の間、光子叔母の部屋、玄関の間、客間、専用の御不浄、広い廊下、縁側、広々とした浴室、床下にいろいろ収納できるようになっているこれも広々とした台所。庭には花が咲き乱れ天水桶に金魚が遊ぶ。
ここで産まれ同じ西片に18歳まで住んでいた私はしょっちゅう遊びに行った。
邦郎叔父は私のことをとても可愛がってくれた。抱かれてシャリアピンの「蚤の歌」やルビンシュテインのショパンをSPで聴かせてもらったのは2歳くらいのことか。
永く慶応義塾大学でフランス語、フランス文化を教えた。
安らかに眠ってください。
7 5, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック(0)
カテゴリー・アーカイブを再構築中なので、カテゴリー別の閲覧はしばらくお待ちください。申し訳ありません。
〔06/09AM3:53追記〕終わりました。新しいカテゴリーからご覧になれます。
6 8, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)

19:18 夫君が代理書き込み。入院11時間後、無事男の子出産!
おめでとう!
6 3, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
知人の女性が予定日を4日過ぎて、今朝早く陣痛が始まったらしく病院に入った。
病院で、部分麻酔や分娩監視装置につながれ、繰り返す痛みのなかで、携帯からmixi(ミクシイ)の日記に時々刻々と自分の状況を冷静かつ気丈にアップしている(公開は友人まで)。
すでに病院に入って5時間半、13:56「ちょっと涙でちゃうくらい痛い波がさっき来た。…これを書いてるあいだにも痛み3回。『あー』とロングトーンで息を吐くことに専念するのが有効。痛いとか言うと余計いたい。…」
私のパートナーの友人はつい先日、予定日直前で胎内の子は心拍停止した。
無事に産んでほしい。その後のアップはまだない。
〔追記〕
16:00現在、未だにアップはない。
17:00現在、まだ。
18:00現在、まだ。
19:00現在、まだ。
6 3, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
こどもの日に鎌倉かいひん公園で開催された「国際こどもチャリティ・フェスティバル」の実行委員やボランティアたちの打ち上げがありました。
たくさんの子どもたちが思い思いに描いた100メートル近い布を部屋にぐるりとひろげ、次々にボランティアたちが顔を出し、手作りの料理やおにぎりとともに話しを咲かせます。
実行委員長の井上アンナさん(ポーランド出身・在日10年・鎌倉のいくつもの小学校でEnglish Conversationを教えている)が、今回の津波で心の傷を負ったこどもたちが大きくなるまでまだいっぱい時間がかかります、これからも見守り支えていきましょう、と挨拶。
4時間のフェスティバルで100万円を越す義捐金(イベント、ワークショップ、食べ物のためのチケット代、Tシャツの売り上げなど)となったようです。
5 14, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
こちらへどうぞ、と案内され、黒いカーテンで仕切られた10ほどもあるブースのひとつに入る。女性が内側から入り口を閉めると中は薄暗くベッドがある。
服を脱いで仰向けに寝てくださ〜い。
頭の後ろに15インチほどのモニターとそれにつなげられた器具が一瞬見えたのだが、もう寝てしまったのでそれ以上は分からない。
女性がベッドの端に横座りし、器具にジェリーのようなものを塗って私の胸のあちこちにそれをあてる。隣のブースとごっちゃにならないようにするためか、ややひそめた声で「そちらを向いてくださ〜い」「私に寄りかかってくださ〜い」などと耳元で指示する。
表の看板には20分〜40分と書いてあったのだが、私の場合、相方が途中で交代してたっぷり1時間。延長料金はいいのか。
あ、心臓超音波エコー検査のはなしです。
一昨日、動悸がして検査入院し、昨日再びさまざまな検査・診察を受けたのですが、診断結果はどこも異常なしでした。
※写真はこの記事内容とは関係ありません。
5 10, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック(0)
5日こどもの日の「国際こどもチャリティ・フェスティバル」(鎌倉かいひん公園)は、天気にも恵まれ、たくさんの子どもたちが訪れにぎわいました。
実行委員長・井上アンナさんのバイタリティと実行委員の方々、大勢のボランティアの人たち、後援・協賛・協力していただいた企業、組織、お店、個人の方々にほんとうに感謝したいと思います。
苦しんでいるこどもたちが世界から消えることは当分ないでしょう。毎年のイベントになることを願っています。微力ながら協力させていただきます。
5 6, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
鎌倉の旧市街地で鯉のぼりには最近ついぞお目にかからない。これは山崎(大船の近く)の民家で見かけたもの。
家より一段上の丘に一族のものだろう墓があり、なにか信州あたりで見る風景のよう。
今日はいよいよ「国際こどもチャリティ・フェスティバル」(鎌倉かいひん公園 10:30〜2:30)開催。
実行委員やボランティアの人たちは、後援や協賛・協力の取り付け、プログラムの手配、各学校への協力依頼、会場設営の準備、各種広報などなど連日走り回っていた。
楽しく成功し、いっぱい交流してつながりが生まれ、有意義な成果をあげられますように。
5 5, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(1)
半年もたたないうちに、またキヤノンEOS20DとEFS10-22mmレンズ、2Gのコンパクトフラッシュを買い直すはめになった。
横須賀線の千葉行きに夕方乗り、品川で降りるとき空いていた座席に忘れた。肩から下げていたのだが、疲れてうとうとしてずり落ちていたのに気づかず。10分後くらいに別の駅で問い合わせてもらったがすでに無い。
3日間待って東京駅の遺失物係に問い合わせたが該当無し。
撮影データは吸い上げてあるので、まあこの間ろくにバックアップを取っていないPowerBookをなくすよりかはまし、とアキラメた。
撮影時以外は必ずバッグに入れることにすると肝に銘じよう。
Micの作品素材にされるのはもっと怖いが…。
写真バックは大谷記念美術館(鎌倉・佐助)のエントランス。
う〜む、こんなことをして遊んでいる暇はないのだ。
5 3, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(1)
5月5日(こどもの日)に鎌倉かいひん公園で行われる「国際こどもチャリティ・フェスティバル」で販売されるTシャツ。インドの子どもが描いた「One People(人々はひとつ)」の絵がプリントされている。
で、私は今日中にA3ポスターをデザイン制作して50枚プリントしなくてはならない。ふぅ。
4 27, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
朝、表に出てみると刑事や鑑識らしき人たちやTVクルーがわさわさ。
夕べ警官が立っていたすぐ後ろが死体が埋められていた現場だった。青い幕に「立入り禁止 KEEP OUT 警察 POLICE」のテープ。
この家は更地になって売り出されていたところに昨秋建てられたばかり。
私からなにか聞き出せないかと話しかけてきたTVの男によると、殺人・死体遺棄容疑の男は妻子等6人でこの家に住み、不倫相手の女性が妊娠、結婚を迫られ…の結果の犯行のよう、という。藤沢で昨年末殺害し、ここに運んで埋め、コンクリートを敷いて上に物置を建てていた。まるで週刊新潮「黒の事件簿」。
鎌倉でこんな事件は記憶にない。
古いお屋敷が相続できずに取り壊されて次々と更地になり、細かく分筆されて家々が狭苦しく建てられる。普通の街化が進んだ結果でもあるのだろう。
4 26, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
夜中2時過ぎに帰ったら、自宅前に藤沢署の警官が立っている。
何があったの?ある程度は知っていますが私からは話せません。
3時過ぎ、藤沢署の発表があり、藤沢市在住の交際相手を殺して町内の敷地に埋めた疑いで男性を逮捕の見込みとAsahi.com。
4 26, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
朝起きてコンピュータに向かうとモニター画面がよく見えない。左目だけで見ると近いところの視力がまったく落ちている。
そのままなんとか仕事をしていたのだが、だんだんゴロゴロした感じがし、まあ普通に見える右目もつられるようにシバシバし始めた。左目はそのうちに開けていられず自然に閉じてしまうようになる。
土曜午後なので町の眼科医や行きつけの病院の眼科もやっておらず、山崎の湘南鎌倉総合病院に行く。午後は眼科医はいないが診てはもらえる。
ゴミ、傷は無し。眼底も異常はないよう。ただまぶたの内側は充血しており炎症を起こしているそうだ。
猛烈なスピードで所見だの病歴だのをキーボードで打ち込みながら(最近のこういう病院ではカルテに万年筆で書き込んだりしない。ネットワーク化された医療用システムが完備されている)、医者は「こちらではどう言うか知らないが関西では『メバチコ』あるいは『メボ』というな」と不思議なことを言う。はぁ?
「専門医で精密検査をしないとはっきりは言えないが、まあ眼精疲労の上に結膜炎の可能性もある。しばらく安静にして仕事は休んだ方がいいね」と今度は無理なことを言う。
他の医者への「診療情報提供書(紹介状)」を出してもらう。
先ほどから打ち込んでいたことから必要事項が自動的にピックアップされ、PDF化され、プリントされて出て終わり。
病院横の「紫花美姫」と札がつけられている、横に10メートルはある古木の花(フジ?)が見事。近寄るとあたりに香りが満ちている。
4 23, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)

朝方、頭がグラッときたので熱を測ってみると38度7分。
きょうから私の学部の一般入試なのでフラフラしながら大学へ。幸い試験監督(立っていなければならない)ではなく待機要員に割り振られたので助かる。
脚を踏み出すと身体全体にジンと悪寒が走る。咳も少し頻繁になる。ホームの端を歩かないように気を付けて帰宅。まだ38度7分。胃にも来ている。
明日は実技試験と面接、あさっては採点と続く。
3 11, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)

起きて鏡を見ると顔が犬になっていた。
頬はふくらみ、鼻は少し丸くなって鼻の下が伸び、上唇は引き込まれて下唇に覆いかぶさっている。
飼い主は飼い犬に似るという。鏡の中の顔はビーグルというよりフォックステリア系なのだが、この際そういう問題ではない。
10日ほど前、ころんで歯を打った。歯医者には行ったのだが本格的な治療はまだの状態で、ここ数日頬がうずき出していた。
診察してもらうと、ぶつけた歯の根元が炎症を起こし急速に拡がったようだ。とりあえず抗生物質と痛み止めをガシガシ飲み、数日後にまた行くことに。
もちろんカフカを始めとするあらゆる変身譚が頭をよぎり、自分の顔と精神のアンビバレンツ、アイデンティティ・クライシスについてひとしきり思いをめぐらせたが、どうなるものでもないので仕事に戻る。
3 1, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(1)
『男の自由時間—こだわりいっぱい趣味の部屋拝見!男の趣味は百人百様』—モノを生み出す魔法の空間 趣味名人の部屋はどうなっている?集め集めて家の中 コレクション整理は十人十色 きっと見つかるやりたい趣味と作りたい自分の部屋(技術評論社)という、表紙の文句を書き写すだけでくらくらするというか、ケッという感のムックを購入。
「男の自由時間」という誌名の横の黒地白抜き「定年前から始める」と「きっと見つかる」が響き合い、これから引き続く団塊の世代の大量定年退職問題を背景にやや哀愁をさそう。
などと思わず斎藤美奈子『男性誌探訪』(朝日新聞社)風に(風にですよ、斎藤美奈子さんごめんなさい)書き出してしまったが、なぜふだん買うはずのないこういうムックを買ったかというと、個人的に敬服するsoroさんが載っているからなのだ。
soroさんは以前一度紹介した(No Blog, No Life! ブログの無い人生なんてありえない!-04.12.21)。陳腐な表現を使えば青年の心を持った70歳だ。ブログの小さな写真ではなく印刷物で見るとあらためていい風貌をされていることがわかる。私もかく歳を重ねたい。
教職を定年退職された60代になってから、木工に興味を持ち、木工ろくろ(ウッドターニング)の世界に入る。高速回転するろくろに木材を据え付け、さまざまな形状の刃物(ターニングツール)で形を削り出し、皿、椀、鉢、盆など「挽きもの」と呼ばれるものを作る。
秩父丘陵小川町のご自宅半地下に10平方メートルほどの工房を造り上げ、「毎日午前中は温水プールへ。午後はネットサーフィン、ときにサイクリング。夜は自分で作った半地下工房でウッドターニング。その後夢の世界へ…。」
しかしブログを拝見しているとそんな単純ではなく、多彩な交友、読書、写真、音楽・オーディオ、料理、酒等々、実に豊かで拡がりのある日々を過ごされている。
12日まで坂戸市のギャラリー喫茶で52点ほどの作品を展示されているようだ。時間が許せば見に行ってお会いしたい。
soroさんのブログサイト
No Blog, No Life!
2 2, 2005 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)

社会人入試2日間を終え、その足で福岡に行き4泊した。輸入販売しているフランスの磁器工芸品「リモージュ・ボックス」の関係だ(有田・伊万里などとても興味深い経験をしたが少し調べてから書きます)。
1週間、朝起きて3食を摂取するという生活をしたら(?)重度の風邪をひいてしまった。
2年間、仕事や私事にメインに使っていたカメラ(キヤノンPowerShotG3)が故障。カメラ店の見立てだとロジック回路の問題、メーカーに持ち込まないとだめ、いくらかかるかは分からない。
このカメラは接写用のツインライトが使えること(リモージュ・ボックス等の撮影に必須)、ワイドコンバーターを付けると35mm換算で24mm相当になること、などで愛用してきた。これで撮ったのは2万ショットを超える。
1年半酷使してきたPowerBookG4(すでにモニターの蝶つがいは破損し、SuperDriveの入れ口は欠け、水平に見ると歪んでいて蓋はちゃんと閉まらずクリップで留めておくという満身創痍状況だった)が臨終状態になった。
2日間格闘し、その後修理店で4時間作業代2万円を払ってなんとか復旧したが、家に持ち帰ってみるとデータは存在するらしいのだが、操作はできない植物状態。
パソコンとカメラが無いと羽をもがれた虫状態で仕事も生活も立ちゆかない。
で、38度の熱を押して横浜と上大岡に買い出し。
カメラはキヤノンEOS20DボディにEF-S10-22mm、およびEF100mmマクロレンズ。
もちろんEOS1DsMarkIIがベストなのだがそんな金は無い。中級一眼レフデジカメは撮像素子が小さく焦点距離が1.3〜1.6倍になり中望遠寄りになってしまうので、広角を主に使う私は敬遠していたのだが、35mm換算で16〜35mmのこのレンズが出たのでこれしかないという感じ。
ポイントで、同じくキヤノンのPowerShotS70を入手。普段持ち歩けるコンパクトサイズだが710万画素あり、しかも普通のデジカメが35〜38mmくらいからなのにこれは28mmという広角なのでいい。
PowerBookG4はできればG5の発売まで使いまわしたかったけれどしかたがない。
植物状態の旧PBからFireWireでなんとかデータは吸い上げる。
サラのPowerBookに向かうと、なにか新しい人生が始まったようーって、おいおいそんなこと言っていいのか。
11 30, 2004 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
頭(精神)は一応しっかりしているのに、病院のベッドで動けない状況というのが、いかに退屈なものかは私にも経験がある。
若ければそれも人生の中の一つのエピソードだろう。
しかし私の母はもうすぐ80歳だ。
今後かなりの入院とリハビリ生活が今現在確実に予測されている。
気・気力が萎えればこのプロセスをいい方向には乗り越えられないし、悪い方向に向かえば「呆ける」だろう。
少なくとも今の「退屈」を放っておくわけにはいかない。
前のカミさんに相談した。
息子(私と前のカミさんとの間の子・現高校3年生)が、以前死の床にあった私の父(息子にとっては祖父)に贈って、死後戻されたラジオがあるので明日持って行く、と言ってくれる。
うん、本もいいけれど、動けない状態での読書は辛いかもしれない。とすると「聴く」ことか。
あとはCDか。CDウォークマンは持っていないので、「価格ドットコム」で見たら、SONYの一番安いのはなんと7,795円。
さっそく購入申し込み。
3年前ガンに倒れた私の親友は、病床で何が欲しいか私たちが尋ねたら「古今亭志ん生」が聴きたいと答えた。
私たちは「志ん生名演集」全41巻をそれぞれ分担して少しずつ購入し、各人それを持ちよって見舞った。
彼はとても嬉しそうに繰り返し聴いていることを私たちに語った。10巻分くらいを聴いた頃から聴くのは無理な病状となり、残念ながら2年前亡くなった。
けれど、私たちが贈った「志ん生」が、彼の最後の日々のなかで、退屈や苦痛や無念の想いや遺される家族への悔恨への癒しとなり、死の直前での人生への達観に、少しでも寄与してくれただろうことを私は(私たちは)疑っていない。
6 17, 2004 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)