今朝のおはよう-494 緑の収穫
8 30, 2011 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
5月に刊行された週刊朝日臨時増刊『朝日ジャーナル 原発と人間』の編集作業プロセスで記者が『アサヒグラフ』(1979/10/26・11/2号)のこのルポ記事を「見つけ」ました。
この年は3月にスリーマイル島のメルトダウン事故が起きた年であり、私もどこかの医院か病院の待合室で見た覚えがあります。
原題『パイプの森の放浪者』
文は78年から79年まで美浜、福島第一、敦賀原発で下請け労働者として働いた経験を『原発ジプシー』として当時執筆中の堀江邦夫。
そして大判誌面のイラストは、南方戦線で使い捨て兵士として死の寸前を体験した水木しげる。原発労働の実態を聞いて「まるで戦場だな」と引き受けます。
水木にとって、かき集められた原発下請け労働者は、命ぜられるままに右往左往し生命などなんとも考慮されていない下級兵士そのものであり、張り巡らされた無数の配管はニューギニアの密林であり、掻き出す汚泥は足を取られ行軍もままならない沼であり、見えない感じられない放射能の恐怖は戦場でのあるいはマラリアへの恐怖と同じであり、自分は被曝したくないと肝心な時には姿を見せない「放射線管理者」(正社員)や無理を承知で高線量エリアに作業員を突っ込ませる「ボーソン」(下請け指揮者)も不条理な軍隊組織と重なったでしょう。
当時、原発内の写真などというものは一般にはなく、PR用に作成されたものはいかにも科学の粋を集め、安全でクリーンで未来を切り拓くものとして脚色された、実際の労働などとはかけ離れたものしかなく、また正社員はもちろん、下請け作業員が実態を公に話すなどありえませんでした。
堀江の経験を克明に聞き、水木は独特な精緻な細線や点描でそれを描く。
描き出されたジャングルのような配管の陰には妖怪が潜み、いかにこれが人知人力を超えたものであるか、また下請け作業員にとって恐怖に満ちた環境であるか象徴しています。
筆者と同時期に浜岡から福島第一に移ってきた作業員は「目が、頭が…疲れた、淋しい、希望もない」と妻子に遺書を残し東電敷地内の雑木林で32歳の命を自ら絶ちます。遺書の最後に「原発の仕事も考えもんだ」
この自殺はごく一部の関係者のみに秘匿され、何事もなく存在さえ記録には無いことに。
筆者自身、タービン建屋内でマンホールに落ち重傷を負います。
当然労災だが、元請けの所長は「労災申請すると原発内での事故がマスコミに知れ、東電さんに迷惑をかけることになる」と労災隠し。
福島第一構内に建つ記念塔。
刻まれている文句「無災害 150万時間達成記念」
32年前に描かれたこれらの闇は、まっすぐ今現在のフクシマに繋がっています。
堀江邦夫(1948〜 フリーライター)
『原発ジプシー 被曝下請け労働者の記録』(増補改訂版/現代書館)
『原発労働記』(上記文庫版の改題復刊/講談社文庫)
過去記事:
水木しげるさんの絵(NYTimes3/20日曜版)(2011年03月23日)
水木、俺たちのことを描いてくれ ー『総員玉砕せよ!』(水木しげる/講談社文庫)(2011年03月22日)
8 24, 2011 07.デザインの世界, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『広報かまくら』8/15号に鎌倉市総合防災課が作成した「鎌倉市海抜マップ」が掲載されています。
旧鎌倉市街がいかに低い所か分かります。鶴岡八幡宮に至るまで、ほぼ海抜15m未満。
紫色のギザギザした中太線内が「津波浸水予測範囲」
坂ノ下から由比ガ浜通り以南の長谷一帯(私の住む所も)、下馬交差点を越え鎌倉駅直前まで、滑川から溢れるだろう材木座の低海抜住宅街…。
東日本大震災前の2009(平成21)年に「津波ハザードマップ」が発行されましたが、この時は「南関東地震(M7.9)」を想定基準としたものでした。
「南関東地震(M7.9)」というのは1923(大正12)年9月1日のいわゆる「関東大震災」。
「関東大震災」の地震学者による記述を、石橋克彦『大地動乱の時代ー地震学者は警告する』(岩波新書)よりー
「太平洋の海底の大岩板は、相模灘の中央あたりから南関東の下へ着実にもぐり込みをつづけていた。そして、関東地方の地の底をきしませながら、大地動乱期のフィナーレに向けて最終的な地震エネルギーの供給をしていた。それは、もぐり込まれる側の地盤が徐々に地下へ引きずり込まれて、海岸がじわじわと沈降することに表われていた」
「外房の勝浦から内房の富津にいたる房総半島南部と、三浦半島南東部から湘南の江ノ島にかけての海岸の各地で、老人たちが子供だったころにくらべて砂浜が狭くなったり、磯道が海中に没したりしていた」
「南関東の地底は、刻々と破局に近づいていた。房総・三浦半島の各地で海岸の沈降が速度を増した」
1923(大正12)年
「何か異変がおこりつつあった。小田原・湘南・房総などの海岸の沈降が反転して隆起ぎみになり、夏休みの海水浴客は波打ち際の様子が変化したのを不思議に思った」
「9月1日、午前11時58分31.6秒、神奈川西部の地底でついに岩盤の大破壊が始まった。それは、たちまち巨大な亀裂となって湘南地方と相模湾の地下に拡大し、さらに房総半島までの大地の底を切り裂いた。1703年元禄関東地震以来220年間たまりつづけた南関東全域のひずみエネルギーが、激しい振動となって一挙に放出された」
現在、市では新しい「津波ハザードマップ」の作成に向け、調査・検討中とのこと。
「南関東地震(M7.9)」を上回っている1703(元禄16)年の「元禄関東地震(M8.1)」を想定したものに基準を変更しています。
過去記事:
鎌倉長谷の防災地図(2011年06月15日)
8 11, 2011 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 16.都市・住い・インテリア・暮らし | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
放射NO! 防御プロジェクトサイトでは現在「準備中」となっているが、今日午後3時頃には見ることができた。
保存しておいたので以下から。
首都圏土壌調査の結果ファイルをダウンロード
8/9補)
MAP/表形式PDFとも夜になってアップされた。
8 8, 2011 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
涙してよく読めない『のこされた動物たちー福島第一原発20キロ圏内の記録』(太田庸介・飛鳥新社)
こういう悲惨を誰がもたらした!
日本という国家であり、私たちを含めた日本の社会だ!
8 7, 2011 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
北海道新十津川町、「かぜのび」(旧吉野小学校)の裏山は、次回ぜひ散策したいと思います。中途半端に植林してほったらかしにしているようなところと違いとても豊かな樹相が残っています。
ほんの少し登ったところに「水神」の碑がありました。
ここは、奈良南部吉野郡十津川村が1889(明治22)年豪雨に襲われ、家屋、田畑を失った人々が「入植」した地です。
荒ぶる「水神」への畏怖と鎮撫の碑なのでしょうか。
この地の古老に聴いてみたい。
過去記事:
閉校校舎をアートスペースに(2011年07月31日)
8 7, 2011 18.花・木・野菜・生きものたち, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
北イングランドの広大な小高い丘と緑の自然に囲まれたヨークシャー・スカルプチャー・パークで1994年に安田侃の展覧会が開かれることになりました。
同じ公園でその6年前、1988年にも「カッラーラ、マッサ、ピエトロサンタの彫刻展」に18点を出品していました。
しかしその後何度も何度もこの公園に通い、94年の展覧会に安田は「帰門」一点だけを設置することを希望します。
館長は「この広い空間をたった一点だけでもたせようというのか、あのヘンリー・ムーアでさえ三点の作品を置いた場所だ」と難色を示します。
しかし、安田は考えています。
「その空間に一点の作品を置くことによって、その場所を訪れた人が、完全に自分だけの空間、その人だけの世界に入り込める空間を作りたかった。そこにあと、二点か三点の作品が置いてあったら、あっ、ここは誰々の彫刻家の展覧会なんだって、彫刻を見るほうに一生懸命になってしまうと思ったのです。僕は彫刻の展覧会に来たと感じる空間ではなくて、そこに来て、たまたま彫刻と出会ったと感じることのできるような空間にしたかったのです」
設置後、館長は言います。
「群衆の前ではいきいきと振る舞う彫刻は、一人を前にするときはあくまでも穏やかで優しく、観るものを悠久の世界へと誘う」
引用は『安田侃、魂の彫刻家』(彩草じん子/集英社)より
アルテ・ピアッツァ美唄で
「帰門」(制作1989/ブロンズ/460 x 260 x 80cm)
8 7, 2011 10.美術工芸, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
北海道美唄、アルテ・ピアッツァのストゥディオアルテで。
大理石彫刻のためのイタリア製のノミ、やすり、金槌。
毎月第一土日に白大理石、軽石の体験工房が開かれている。
時にイタリア・ピエトロサンタから帰国する安田侃氏の直講習も。
8 6, 2011 10.美術工芸, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
畏友・菊池美範さんが北海道美唄のアルテ・ピアッツァを訪れ カフェ・アルテのソフトクリーム写真 をアップされているので、私もアップ。
ふだん食べたりしないのですが、これは美味しかった。
この前に飲んだ一晩かけての水出しアイスコーヒーも絶品。
下写真は同行していた佐沢一馬くんがいつの間にか撮影したもの
8 5, 2011 19.食と農、健康と病, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
由比ガ浜通り、一昨日、さつまいもとキャベツとカボチャを買ったばかりだった。
店の名前はなく単に「八百屋さん」と呼んでいた。
閉店の貼り紙で「八百浩」であることを知った。おじさんの名前であるのだろう。
ブロッコリー一個でもいいし、キャベツやカボチャも切ってくれた。
端数はしょっちゅうまけてくれた。
ミックのことをいつも「元気だね」と可愛がってくれた。
過去記事:
長谷・由比ガ浜 師走-21 大晦日の買い出し (2005年12月31日)
8 4, 2011 06.私の好きな鎌倉の店・その他 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
北海道斜里町の直線道路。直進がのべ17Km、時にジェットコースターのように続く。
その前に通った滝川〜美唄間の国道は直線22.2Kmで日本一。
運転中眠くなるので北海道の交通事故率は日本一ともいわれる。
近くを併走する高速道央自動車道はそれを避けるためか適度に曲がりがつけられている。
斜里の直線建設意図はよくわからないが、滝川〜美唄間の直線は最大の運輸効率が至上目的。
滝川〜美唄間の国道12号前身の建設には、通常の労務者の他、囚人が駆り出され過酷な労働を強いられた。
同じく斜里〜ウトロ間の道路建設には網走刑務所の囚人が従事させられた。
今私たちがその利便を享受している鉄道、道路、トンネル、橋梁等の建設を世界史的に見ると、どこも同じ、最も弱いあるいは自由を奪われた立場の人々を動員し、その人柱の上に作られてきた。
8 3, 2011 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
北海道砂川市にある「ソメスサドル」の砂川ファクトリーショップ。日本で唯一の馬具メーカーであり、またバッグ、革小物などの総合メーカーでもあります。
広大な敷地に赤煉瓦造りの工房とショールームショップ。
古代からつい20世紀初めまで、移動交通、農耕から軍事まで、馬は人にとってなくてはならない存在でした。名馬一頭と精鋭兵士600名が交換されたなどということも史実にあります。産業革命による機械類の能力も「馬力」という単位で測られ、まだ死語にはなっていません。
そして馬と人を媒介する馬具は時に生死を分ける重要なものであり、これらは主に革と金具によるのですが、単純に機械化や大量生産などできない職人的作業で作られてきました。
革をどう見分け、加工し、金具と組み合わせて、安全と耐久性と使いやすさを実現させるかのノウハウはそのなかで蓄積されてきました。
現在の有名な革製品メーカーが、エルメスや私の愛用鞄シュレジンジャーなど、元々は馬具を作っていたところが多いのはそうした理由によります。
ソメスサドルは元々は歌志内の炭鉱閉山を機に、細々と続けられていた馬具製造を代替産業の柱にと始められたのですが、オイルショックなどを経て、馬具だけでなく総合的な皮革製品製造へと発展した会社です。
武豊が次週使う予定の新鞍も。
整然とした工房。設計デザインデータによるカッティング装置も。
ショールーム&ショップ
ショールームを見たところでの印象は、素材と造りの確かさです。
課題はおそらく、販売側(百貨店等)の意向に左右されない独自のポリシーによるデザイン性の獲得だろうと思います。「売れ筋」のなかからではなく歴史的な「定番」はそこから生まれてくるはずです。
飼われていて訪問客の人気者。世界で一番美しいといわれるアラブ馬。
8 3, 2011 07.デザインの世界, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)