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2010年09月29日

三国干渉に匹敵する国難?

『増訂改版新選詳図・帝國の部』(昭和9年9月12日発行・帝國書院)ー帝国書院の復刻版地図帳より


「尖閣諸島」沖での「日本海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件」と中国との軋轢をきっかけに「政権交替」した民主党の内部からも、国家主義的な動きが表面化してきました。

民主党の有志議員数十名は「建白書」を政府に提出し悲憤慷慨しています。
「建白書」…ですか。「太政官(だじょうかん)」とかに結びついて連想される大時代なことばですね。
「稟議書(りんぎしょ)」「陳情」「請願」とか、ついでに言えば「大臣(だいじん=おおおみ)」などとともに「御上(おかみ)と下々の者」を前提にしたようなこれらの言葉は、早くこれからの時代にあったものに変えていかねばなりません(「大臣」を単に「長官」にするだけでもずいぶん「大臣病」に効くのでは)。

で、彼ら曰く「三国干渉に匹敵する国難」「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の思い」。

民主党という政党を構成する人びとが、いかに「政権」をとるための野合にすぎず、歴史観や世界認識において旧来の自民党となにも変わりがない人びとが多いことが如実に顕われています。

しかし彼らの言い分にも反面教師的な意義があります。
我が国固有の領土」などという日本にとっても中国にとってもいかがわしいショービニスト(熱狂的愛国主義)的言説に歴史の光を与える役割を「はからずも」果たしてくれているからです。

そう、「三国干渉」だの「臥薪嘗胆」だのを持ち出してくれたおかげで、この問題が、明治日本が欧米に倣って「近代国家」になる過程でどう「国家」と「主権」、およびそれが及ぶ「領土」という概念を獲得し実施してきたか、それをどう「国民」に「宣撫」してきたかの歴史に関わることであることを明らかにしてくれたのです。

今回の「事件」とその後の事態は、そのことをさまざまな角度から検証する絶好の機会だろうと思います。

いっぺんには書けないので少しずつ記します。
特に、「三国干渉」「臥薪嘗胆」とか、すでに表現を替えて出てきている「暴支膺懲(ぼうしようちょう=排日抗日の乱暴な行動をする支那を懲らしめる)」「爾後(じご)国民政府を対手とせず」とか、なんのことやらまったく知らない分からないまま「嫌中国」に陥るような若い世代になんとか考えるきっかけにしてほしいと思っています。
  

9 29, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(1) | トラックバック(0)

2010年09月27日

児童労働と義務教育

CNNのニュースで、インドの児童労働について報じられていました。
米ハーバード大学の研究員で人身売買問題の専門家でもあるシッダルタ・カラ氏が、ニューデリーの英連邦競技大会関連の建設現場で、「わずか数日で、32件の強制労働と14件の児童就労を記録した。ニューデリーでは児童就労は一般的な周知の問題だ」と述べています。
急ピッチで完成を求められている現場で、7歳から10歳ほどの子どもたちが家族とともに働いている。労働条件は苛酷で「まさに人間以下の扱いであり、それ以外のことばは思いつかない。特に幼い子どもたちは自分たちの置かれた状況を理解しておらず、言われるままに仕事をしている」。

もちろんインドでも公式には児童労働は禁止されており、義務教育も定められていますが、州首相は問題が表面化するまで放っておいたようです。

義務教育という制度は近代国家を形成する上で不可欠のものとして欧米先進国を中心に世界に広まりました。
しかし世界にはまだ形式はあるが、実質が伴わないところはたくさんあります。
経済発展が著しく、一面ではIT大国であるインドでさえこうなのですから。


そもそも義務教育の「義務」とは誰が負っているものか?
間違えてはいけません。
子どもたち自身がではなく、親、保護者が負っている義務です。

日本国憲法
3章「国民の権利及び義務」
第26条〔教育を受ける権利教育を受けさせる義務義務教育の無償
すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する
2) すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


産業革命を経て発展したイギリスでは下層民衆の子どもたちは当然のように労働力として扱われました。
マルクスは『資本論』で「絶対的剰余価値」と呼ぶ搾取労働による利潤はどのように創られ蓄積されるかを解明した章で、具体的な児童労働の例をいくつも挙げています。
少し引用ーマルクス・コレクションIV『資本論第一巻・上』(筑摩書房)より。

九歳のウィリアム・ウッドが「働き始めたのは七歳と十ヶ月のときだった」。彼の仕事は最初から「型運び」(型に流しこんだ商品を乾燥室に運び、次に空の型を持ち帰る)だった。「平日には毎日夜九時まで働く。たとえばここ七、八週間はそうだった」。すなわち七歳の子供に対して十五時間労働である! 十二歳の少年J.マレーはこう証言している。「ぼくは型運びと、ろくろ回しをしている。ぼくは朝六時、ときには朝四時に来る。昨晩は徹夜で今朝は六時まで働いた。昨日の夜からベッドに入っていない」…

「これら紳士たちの一部が告訴されたのは、彼らが十二歳から十五歳までの五人の少年を金曜日の朝六時から翌日の土曜日午後四時まで、食事時間および深夜一時間の睡眠時間以外にはまったく休息を与えずに働きつづけさせたからだという。しかも少年たちは「くず穴」と呼ばれる洞窟のような場所で休息なしに三十時間労働をこなさねばならない。そこでは毛くずの除去作業がおこなわれるが、空中には埃や毛くずが充満し、成人の労働者でさえ肺を守るためにたえず口にハンカチを結びつけておかねばならない」


明治日本の「殖産興業」のなかでも類似の状況はたくさんありました。
歴史的に見れば、義務教育という制度は、こうした子どもたちの惨状の犠牲の上に、まずもって親から子どもを守り、最低限必要な教育を与えるために成立したことを忘れないようにしたいと思います。


過去記事:
ジーンズのポケットの中の手紙(2008年11月09日)
  

9 27, 2010 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月26日

外出のお伴ーiPad

行列して待つというのが大嫌い。
で、ようやく待たなくても購入できるようになったので、iPad(WIFI+3G・64G)を入手。

これまで、出校時や仕事の際は、メインで使っているMacBookPro・15インチを持ち歩いていました。これが2.5Kg。
20年来使っている(何代目かの)Schlesingerのカバンがやはり2.5Kg。これに何冊かの本や資料、ケーブル類、カメラなどを含めると、常時7〜8Kg。
これはもうけっこう重く、長い距離を歩く気にならない。力仕事はまったくしていないのに手のひらには常に豆。

iPadは皮ケースと電源ケーブルを入れても1Kgを切り、ずっと楽。
少し使ってみて、9.7インチの高解像度LEDバックライトディスプレイは、手持ちや手元で使用する上で、これ以上のサイズでもこれ以下でも微妙に不満が出る絶妙なバランスと感じました。

後は外出先での作業をどうするかですが、これは考え方を変えるしかない。
高度な画像処理や映像編集、レイアウト作業、長文入力などは帰宅してから、と割り切る。

幸い、常に使っているタスク管理 "Things"、表計算ソフトの "Numbers"、プレゼン用 "Keynote" やデータベース "Bento" はすでにiPad用が出ており、受け取りたくない "Word" や "Excel" データを開ける "Office² HD" もある。
当面のデータは MbileMe で iDiskに入れておけば開けるし、足りないときは自宅のマシンにログインできる "LogMeIn" というアプリも。
PDFをiPhoneの画面で見るのはちょっと苦痛だが、iPadでは快適。

で、これからの外出のお伴はiPad+iPhoneのみに。

下は、気に入っているSENAのイタリアンレザーケース。横置きスタンドにもなる。

9 26, 2010 33. iPhone/iPad の愉しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月25日

一気に囲炉裏の季節に

三日ほど前の真夏日からうってかわって、さまざまなコンピュータ機器の発する熱がほどよく感じられるようになりました。

特に夕食の準備がなくても囲炉裏で焼けばすべてごちそう。

冷蔵庫の野菜庫をあさって、今晩は、しめじ、オクラ、ピーマン、ニンニク、ジャガイモ。
後で鶏胸肉を少しと玄米おにぎりを焼くつもり。
  

9 25, 2010 20.囲炉裏の愉しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

ブログ不更新のお詫び

ブログを1週間ほど更新しませんでした。
病気とか、「充電」したいと思い立ったとかではなく、書きたいことはたくさんあるのですが、なんとなくですので、心配された方々、申し訳ありません。

6月末あたりからの夏場にさまざまな個人的事情と猛暑から心身ともに最低の状態に陥りました。
一日一食分ほどもろくに食べられず、かつ「不眠」ではなく眠りはするのですが、眠っても悪夢が続き、寝る前より起きたときの方がぐったりしている。
「悪寒(おかん)」という言葉はあるので「悪眠(おみん)」という言葉があってもいいのではないかとちょっと呪うように思いました。

今現在はそこから脱し、順調な回復過程にあります。
この最悪状態には二度と戻らないつもりだし、戻らないでしょう。

今後ともよろしくお願いいたします。
  

写真は私が家にいるときはいつも足下にいるMic
  

9 25, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月18日

由比ガ浜通りにミニスペース「Demain ドゥマン」オープン

ラ・ジュルネの綾子さんが、店のすぐそばにミニスペース「Demain(ドゥマン)」をオープン。

由比ガ浜通り中央の笹目交差点際。
ここは鎌倉内に七つあったという「塔の辻」のひとつ。
辻には石塔を建てる風習があり、手前に写っている石塔にはいつも近所の方が花を供えている。

斜め左に、由比ガ浜海岸へ通じる路地角の建物は、昔から三角の造り。
たぶん1955(昭和30)年頃と思われる写真にも同じ形で貸し本屋が写っている(『由比ガ浜STORY』古都・鎌倉の景観を考える会 編より)。

オープニングは、帽子作家・秋山加奈子さん「Le Conte」による「花とフェルトのぼうし展」(9/26まで)と綾子さんがモロッコへの旅で見つけた雑貨展示。

この先どう使っていくのかは、一日(Journée ジュルネ)が良ければいいさ、明日(Demain ドゥマン)は明日でなんとかなるわよ、のアバウト・ラテン気質の綾子さんのことだからまだ分からない。

ラ・ジュルネ日記「まかない飯」
LE CONTE いい気分の帽子  
  

9 18, 2010 01.私の好きな鎌倉の風景, 06.私の好きな鎌倉の店・その他 | | コメント(2) | トラックバック(0)

早朝の由比ガ浜散歩

久しぶりに早朝の由比ガ浜を散歩。
7時を過ぎてもまだ22度くらいで、風も気持ちいい。
夏の間散歩不足で欲求不満が溜まっていたMicも気持ち良さそう。
  

9 18, 2010 01.私の好きな鎌倉の風景, 23.日々のなかで, 24.犬と暮らす | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月17日

マックばかりで30日間食べ続けると ードキュメンタリー映画『スーパーサイズミー』(監督&被験者・モーガン・スパーロック・2004)


バーガーキングサイトより


『Super Size Me』より

バーガーキングが所定のバーガーセットを完食すれば、あと30分は食べ放題というサービス、とかいうニュース記事を見て、まだこんなことをやっているのか、もし子どもたちが喜んだりしたらと暗然となる(よく分からないサイトだが「子育て情報」などというところにこのニュースがチャンスと言わんばかりのトピックとして掲載されている)。

マクドナルドが日本に進出したのが1971(昭和46)年。その後各社を含め日本全国に急速に拡がった。
今の子どもの親自体が子どもの頃からバーガーとコーラやソフトドリンクに馴染んでいる。

モーガン・スパーロックのドキュメンタリー映画『スーパーサイズミー(Super Size Me)』(2004)やアメリカでのベストセラー『ファストフードが世界を食いつくす』(エリック・シュローサー・草思社)をもとにして撮られた『ファーストフード・ネイション(Fast Food Nation)』(2006・監督リチャード・リンクレイター)などはレンタルされているから、子どもを持つ親はぜひ観てほしい。

モーガン・スパーロックは、マックのメニューだけを1日3食、30日間食べ続けてみて、体重は13%も増え、脂肪分と糖分の摂り過ぎで肝臓はパテのように硬化し、コレステロールなど血液の検査値は軒並み激しく悪化し、終了した後、恋人であるベジタリアンシェフの献身的な解毒フードメニューのおかげがあっても、元の身体に戻るのに1年以上を要した。

なにしろ1ヶ月で必要カロリーの2倍、脂肪分5Kg(167g/日)、砂糖13Kg(433g/日)も摂取したのだ。
脂肪分の1日の目安は50〜55gだから3倍
中くらいのティースプーン1杯は約1.7gだから1日に255杯分もの砂糖を摂り続けた計算になる。

誰かこの追加食べ放題(9月16日〜10月15日限定)の実態をリサーチしてドキュメンタリーにしてくれないだろうか。


過去記事:
カップ半分の砂糖を飲むー「摂り過ぎ三兄弟」-3 糖分(2009年05月28日)
大さじ3杯分の「かくれ油」ー「摂り過ぎ三兄弟」-2 脂質(2009年05月22日)
  

9 17, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 19.食と農、健康と病 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月15日

なぜ、ドーナツとラーメンに牛乳という献立があるのか?ー『変な給食』(幕内秀夫/ブックマン社)

幕内秀夫さんは1953(昭和28)年、茨城県生まれ。
大学で栄養学を学ぶが、食品栄養分の分析と合算のような欧米流の「栄養学」にあきたらず、日本全国を歩き回って「食と健康」の問題をそれぞれの地の風土に根ざした伝統食を調べ考えるなかで追究し続ける。
その後「フーズ&ヘルス研究所」を主宰、「学校給食と子どもの健康を考える会」を組織し、食生活の相談、講演、執筆などの活動をしている。
著書『粗食のすすめ』(新潮文庫)『夜中にチョコレートを食べる女性たち』(講談社)『粗食で生き返る』(角川oneテーマ21)など多数。

日本人の食生活は戦後の65年、つまり一世代足らずの間に劇的に変わった。
米と味噌、野菜、魚介中心のものから、パン、肉、卵、乳製品中心の、つまり油脂と糖分の多いものになった。

この変化は戦後流入したアメリカの食文化の影響だが、そのなかで学校給食が果たした役割はかなり決定的なものがある(日本の学校給食の歴史を政治経済から家庭、食の変化とその影響、国際的な比較などトータルに概観した書が残念ながらまだない)。

私より5歳年下の幕内さんは小学校の給食の主食はすべてパン(コッペパン)だったと述べているが、その少し以前の私の小学時代の給食も同じだった。
今では、これが、アメリカ農務省の経済戦略の一環だったことがはっきりしている。
戦後のアメリカは大規模農場生産の小麦が余り、安定的な輸出先を求めていた。敗戦国日本の学校給食は格好の対象となる。子どもの頃からパン食に慣れさせれば大人になっても消費者として確保できる。

この戦略は結果的に大成功だった。

人間の基本食料は「農耕」が始まって以来「穀物」だった。今でも動物としてのヒトは穀物と少しの塩と野菜があれば生きていける。
そして日本列島では弥生の昔から「イネ」「コメ」ということばは雑穀を含めた基本的な食べ物の象徴でもあった。
だから生物学的な消化酵素も日本人はそれに合うように受け継がれてきた。
イギリスの科学者の研究によれば、海藻類の消化酵素を欧米人はほとんど持っておらず、日本人は一番多く体内に有している。牛乳を飲むと腹をこわす人が多いのもそのような習慣がなかったなかでの消化酵素の問題。

この二千年以上連綿として続いてきた日本の食のあり方が、繰り返すがわずか一世代ほどの間にずたずたになった。
「国際化」の時代なんだからいいじゃないか、などと能天気なことをいっている場合ではない。食料自給率が4割しかない「先進国」などない。

大人たちは、今日はイタリアン、明日は中華など勝手に好きなものを食べたってかまわない(そんなことも今日の昼食を270円の牛丼にするか350円のかき揚げうどんにするか迷う今のサラリーマンには縁遠くなっているが)。

しかし、次代を担う、そして心身の発育と味覚の開発定着期にある子どもたちの給食(少子化とはいえ全国で約900万人の子どもが食している)がどうあるべきかを大人たちは真剣に考えなければならない。

本家アメリカの公教育における給食の実態は、ジャンクフード、ファーストフード、揚げ物のオンパレードで目を覆うばかりだ。
「予算がない」から、メニューは「マカロニ&チーズ」とか「ピーナッツ・バター&ジェリー・サンドイッチ」、ピザハットが提供するピザ、スイートポテト、ハンバーガー、チキンナゲット……。

忙しく貧しい家庭で親が与える食事もそういうものにならざるをえないから貧困層の子どもたちほど肥満となり、喘息やアトピーなどのアレルギーは増え、「小児成人病」予備軍となる。貧困層に配られるフードチケットを握りしめてスーパーに行っても並んでいて飛びつくのは一箱3ドルの「マカロニ&チーズ」とコーラ(堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)。

アメリカの後を追っている日本も、放って置けばこういう事態になることはこの『変な給食』を読めばよく分かる。

新潟県三条市の高橋一夫前市長が給食の問題をいろいろ調べ、さまざまな反対を押し切って「完全米飯給食」にすると決め、「次の選挙を考えなければ、市長は何でもできる」と実施した希望ある例も掲載されている。


鎌倉市はどういうポリシーと実態なのだろうか?
市内の公立小中学校に通う子どもがいる親はぜひ給食の献立表をじっくり眺めて欲しい。

しかし献立表だけ見てももっともらしく充実しているように見えるかもしれない。
揚げパンも学校で揚げているから「手作り」です、などと言う校長がこの本に出てくるが、なにかやたらと「手作り」などと記されているかもしれない。

子どもが喜ぶ食べ物や飲み物を与えていてはいけない。
子どもの「食」に関してはあくまで親と大人が責任を持ってとことん考えなくてはならない。
  

9 15, 2010 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月12日

親父とサシで話したこと、ある?ー『お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!』(加納明弘×加納建太/ポット出版)

かなり過激なタイトルにさらに衝撃的な前フリが付いているー

肺がんで死にかけている団塊元東大全共闘頑固親父を団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!

親父(加納明弘)は1946(昭和21)年、岐阜県生まれ。
1965(昭和40)年、東京大学文科III類入学。60年代後半の学生運動(ベトナム反戦、全共闘、「新左翼」運動)に関わり、69年中退。その後文筆関連に従事。

息子(加納建太)は1974(昭和49)年、東京生まれ。
ろくに子育てをせず、母子家庭状態に放置した父親にずっと恨みをいだき、中学の反抗期の頃、彼を殴り倒し、それ以来ほとんど家族とは深く関わらずにくる。
高卒後、94年、アメリカの大学に進学、卒業後、日系現地企業などを経て2003年帰国。この「親父へのインタビュー」を行った2008年にはアメリカ系ヘッジファンドに勤務していた。

2008年5月、親父は末期ガンと宣告され、7月10日には頭蓋骨に転移していてもう手術も不可能と言われる。
このインタビュー(というか対談でもある)は、その直後、7月19日と20日に箱根仙石原温泉の旅館で行われた。

親父はその後頭蓋骨の影は転移ではなさそうだと診断されたが平均余命一年。
息子はハゲタカファンドで仕事するなかで停滞、荒廃する社会が見えてくる。

親父が二十歳そこそこ、権力に立ち向かっていった頃より世の中はもっと悪い方向に向かっているだろうになぜ人びとは押し黙ったまま流されていくだけなのだろうか。

親父は自分にとっては常に反面教師のようなものであり、息子である自分は自分の離婚経験ですら子供の頃の家庭環境に責をかぶせたりしていた。
しかし「遺産のようなものはゼロだが、死ぬ前にせめてその知恵、知性、知識等を少しでも吸収しておきたかった」。

息子にとって死に行く親父から、親父が若い頃、自己と社会をどのように認識し、行動したかを聞いておくことは、自分が何者であるか、どこから来てどこへ行くのかを考える上で必須のものとなる。

死を前にし、別に武勇伝ではなく淡々と、しかし深いところで熱く、若い日の自分史を語る親父とそれにくらいつく息子。


その後、息子は身体の免疫力を高めるといわれるアガリクスやチャガ茶等を大量に用意して親父に飲ませたり、マッサージを習い、母にも教えて施術する。
親父も彼なりに考え、高尾山麓に引っ越し、山中で気功を始める。
そして自分の誕生日に手術を受けて成功し「見事に一命をとりとめ、文字通り生まれ変わった」(2010年夏現在、再発転移なく存命中)。

息子もまた生まれ変わる。
「私は親父の不器用な生き方を馬鹿にしていたが、自分の生き方もそれほど彼とは違っていなかったことに気付いた。どんなに権力から圧力がかかっても、決して妥協しない勇気を持つこと。ただの馬鹿である。権力には従ったほうが、圧倒的に生きやすいからだ。だが、このポリシーは、私の人生に現在進行形で影響を与えている。そのことについてはまた別の機会に書くことになるだろう」(息子は現在日系企業欧州法人勤務でドイツ在住)
  
  
  
今日、私もまた歳を重ねた。

この親父は私と同年代。
60年代後半、どこかの集会やデモですれ違っていただろう。

「死ぬ前にしゃべっとけ」と迫られる前に、若い世代にできるかぎり伝えるべきことは伝えておきたいとあらためて思う。
  

9 12, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月10日

フレンチバゲットを作ってみる

ヨドバシのポイントがいつの間にか貯まっていたので、T-Fal(ティファール)の「Home & Baguette」に交換して届いた。
これは何かというとホームベーカリー器、つまりパン作り器。

T-Falはフランスの調理器具メーカーで、1857年に沿革を発し、こびりつかないフライパンや圧力鍋などで有名。

で、これの特徴は私の大好きなフレンチバゲットが簡単に作れること。

全粒紛パン、ライ麦パンなど材料次第でいろいろ作れるのだが、初めてなので、まずはこれ専用に用意されている「フレンチバゲットミックス」とドライイーストで。

水と小麦粉を元にした「ミックス」をケースに入れ、ドライイーストを加える。
セットしてメニューをバゲット、焼き加減を濃いめにセットしてスタート。容器にセットされた羽根がプログラムに従って回り、素材が練られイーストによって発酵し膨らんでくる。約1時間。

もっちりとした生地を取り出して切り、バゲットらしい形にし、切れ目(クープ=Coupe)を入れ、焼き工程へ。

1時間ほどで15〜18cmのバゲット4本の焼き上がり。
もう少し空気穴ができて欲しいところだが、それは生地をバゲット状にするときかなりはしょっているから。それでも皮はパリッとして中はしっとり柔らかくほの暖かくて美味い。初回としてはまずまず。

数千年のパン作りの歴史と工夫からすれば邪道であることは充分わかっているが、いろいろ試してパン(ブレッド)という基本的な食文化への理解を深める契機にしたい。


ティファール・ホームベーカリー
  

9 10, 2010 19.食と農、健康と病 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月08日

辰巳芳子さんの「スーパーミール」で体調立て直し

夏中、食欲不振でカロリー的にも栄養的にもかなりよくない状況が続いてきた。
これで多剤耐性アシネトバクターなどに取り憑かれたら非常にまずい。

で、辰巳芳子さんが創案した「スーパーミール」を再度購入して一日一回は基本食とすることにする。

北海道産の燕麦(オート麦)、ひきぐるみそば粉、小豆粉、黄な粉、小麦胚芽、東北産の玄米胚芽、鹿児島産の胡麻を配合し焙焼したもの。

オートミール風に煮ることもできるし、パンやポタージュに加えたり、といろいろ調理法はあるが、私の場合は豆乳をかけてしばらく置き柔らかくして。


辰巳芳子オフィシャルサイト
  
過去記事:
「食」を変えて(2009年04月25日)
玄米スープ(2009年03月07日)
辰巳芳子『あなたのためにーいのちを支えるスープ』(2009年03月06日)
辰巳芳子さん考案の「スーパーミール(2008年03月03日)
  

9 8, 2010 19.食と農、健康と病 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2010年09月07日

楽しんでるよ、安全も保障されてるしー『貧者の兵器とロボット兵器』(NHKハイビジョン特集)

2001年9.11の直後、アメリカ史上最悪の大統領ブッシュ・ジュニアが無謀に始めたアフガニスタン戦争は、ベトナム戦争(1965〜73)を超え、米戦争史上最長のものとなった(もちろんアメリカにとってのベトナム戦争は実質的にはそれよりずっと前からのフランスへの軍費負担から始まっている)。

オバマはブッシュとその取り巻きが敷いた「対テロ戦争」という路線を受け継ぎ、イラクを早くかたづけ、アフガニスタンこそ正念場と位置づけた。

そして、ハイテク兵器装備の米軍と、アメリカがソ連のアフガン侵攻(1979〜89)時、ムジャヒディン(イスラム聖戦士)たちに大量に与えた旧ソ連製AK47カラシニコフ小銃やRPG7対戦車砲などの旧式兵器と、同じく米軍やCIAが作り方も使い方も教えた仕掛け爆弾という「貧者の兵器」しか持たないタリバンとの「まったく釣り合いのとれない」「非対称の」「奇妙な」戦争は泥沼化している。

※このドキュメンタリーにも登場する元米下院議員、チャーリー・ウィルソンは、今アメリカが5億円の賞金をかけやっきになって殺そうとしているタリバンの指導者ジャラルディン・ハッカーニと当時親しくし軍事援助の仲介者となった。トム・ハンクス、ゲイリー・ゴーツマンが『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(2007) として映画化している。


「出口」が見えないなかで、昨年末から今年になり、アメリカが急速に重点化しているのが、ロボット兵器。

NHKハイビジョン特集『貧者の兵器とロボット兵器』は、タリバンが撮影した大量のビデオとアメリカ軍需産業によるロボット兵器化をまとめている。

金で雇ったスパイによる情報をもとに、現地基地から飛び立ち目標を爆撃する無人ロボット機プレデターは、衛星を介してアメリカ本土から操縦される。

アメリカの軍需産業による「ロボット兵器展」は、今後10年で10兆円になるビジネスチャンスと意気込み、おぞましい売り込みの活況を呈している。
安トラックを4万ドルものミサイルで撃つのは不経済、これはお得でっせ。
ハチドリのように自由に飛び、あるいは形を自在に変形させて隙間から潜入するロボット兵器。
爆弾処理ロボット、攻撃ロボット、上空からの偵察無人ロボットの三位一体システム。
ハイテク・プロダクトデザインの粋の数々…。

米軍はこれからの空爆やパイロットの養成は無人機が主流になるとする。

空軍士官学校シミュレーション室の幹部候補生。
「照準も操作も簡単、楽しんでるよ」
「私は高いところも水に落ちるのもイヤ。これはイスに座ってるだけで飛行機を飛ばせるわ。安全も保障されてるし」

タリバンなどいないのに無人機に50回も爆撃されたアフガンの村々。
学校や宗教施設に集まっていた村人たちが何度も殺された。

無人攻撃機の下の大地では憎悪が増幅されるだろう。
指導者をひとり抹殺してもまた別の指導者と倍する戦士が生まれるだろう。
貧者による究極の兵器「自爆」攻撃をすべて防ぐことはできないだろう。
  

9 7, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月05日

未来形とMic

でれっと寝そべっていたMicに、明日ママが来るって、と言うとハッと跳び起き、玄関にすっ飛んでいく。

ごめん、お前に未来形は通じなかったなぁ。

その後も耳をそばだて(キミの耳の場合はそばだてるといっていいのかどうかよく分からんが)ずっと玄関の気配を伺っている。
  

9 5, 2010 24.犬と暮らす | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年09月04日

だれか、ではない、わたしたちが今、この連鎖を止めなくてはならないー『爆撃(The Bomb)』(ハワード・ジン著/岩波ブックレット)

ハワード・ジン(Howard Zinn/1922-2010)は1922年ニューヨーク、ブルックリンで移民労働者の子として生まれた。18歳から海軍造船所労働者として働いた後、第二次世界大戦にアメリカ合衆国陸軍航空隊に応募、ヨーロッパ戦線の空爆に爆撃手として従軍した。
生活の資と仕事とチャンスを掴むためであり、アメリカが掲げるファシストたちとの戦いという「大義」を信奉したからでもあった。

軍命に基づいてたくさんのドイツの都市の爆撃に英空軍とともに加わり、人びとの顔や生活は見えないはるか高空から爆弾を落とした。
ドイツの降伏後帰国して知った広島、長崎への原爆投下も始めは大きな爆弾を落としたのだな程度にしか思わなかった。

しかし彼は「軍服を脱いだ後になって初めて目が覚め、自分が何をしたかがわかって衝撃を受けた」。
被爆直後のジョン・ハーシーによる広島でのインタビュー記事を読み、「わたしは自身のさまざまな爆撃任務のことを思い起こし、地上の人間が何を経験するかを考えることなしに、自分がいかに見境なく諸都市の頭上に爆弾を投下していたかを考えさせられた」

彼はなぜこんなことを無自覚にしてしまったのかを考え直したい、とニューヨーク大学、コロンビア大学で歴史を学び直し、やがて人権運動家、反戦活動家、そしてそれまでの権力による権力のためのアメリカ史を根底から覆し、100万部を超えるベストセラーとなった『民衆のアメリカ史("A People's History of the United States")』(1980/富田虎男・平野孝・油井大三郎訳/明石書店)等を著す歴史家となる。


『爆撃(The Bomb)』(ハワード・ジン著/岸本和世・荒井雅子訳/岩波ブックレット)は、ジンの生前、今年の広島原爆投下65周年に合わせ、日米同時出版が企図されたもの。
彼の経験と思考の結晶「ヒロシマー沈黙をやぶる」と、終戦間近に命ぜられたまったく無意味に市民を爆撃殺傷した経験「ロワイヤン爆撃」を収録している。

「わたしたちの時代を蝕んでいる暴力と報復暴力、テロと報復テロという際限のない連鎖…。
これに対する答えは一つしかない。もう報復の戦争や爆撃はしない。だれか、ではない、わたしたちが今、この連鎖を止めなくてはならない」


過去記事:
悼/ ハワード・ジン(2010年02月02日)
  

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2010年09月01日

人類の歴史とともにー『武器ー歴史・形・用法・威力』(ダイヤグラムグループ編/マール社)


太古の昔、ヒトは食料となる獲物を得るため、自分を守るため、敵とした相手を倒すため、「武器」を創り出した。
始めは手の延長としての棍棒を、そして斧や刀や槍を、弓を、……そして、現在では人類全体を何度でも壊滅させ、地球というさまざまな生命が互いに繋がりあって成立させている奇蹟のような星の姿を一変させてしまう威力を持った武器を手にしてしまっている。

ロンドンのデザイナー集団「ダイヤグラムグループ」は、「ダイヤグラム(Diagram)」、日本語にすれば「図解化」という手法をもとに、さまざまなテーマに取り組んできた。
日本でも私が授業でよく見せている『目で見る比較の世界』を始め『図解オーケストラの楽器―歴史 形 奏法 構造』『楽器』『ウーマンズボディ』などが出版されている。

『武器ー歴史・形・用法・威力』(ダイヤグラムグループ編/田島優・北村孝一訳/マール社/1982初版)は、古今東西、さまざまな時代、地域文化のなかの代表的な武器を取り上げ、機能によって分類している。

「手の武装」から始まり、「手投げ武器」「携行用発射装置」「脚架付き発射装置」「定置武器」「爆弾およびミサイル」「化学兵器、核兵器、生物兵器」にいたるまで、イラスト・図解を中心に詳細に解説される。

命をかけて使う者にとって自信を、相手にとって脅威を、そしてもっとも合理的機能性と効果を追求するプロダクトデザインの歴史の原点を見る思い。

武器の歴史・地域別索引はピクトグラムでデザインされている。


「手投げ武器」の章扉写真に1972年北アイルランドの街角で盾と銃をかまえる治安部隊に投石する少年の写真が掲げられている。

キャプションに記されたことばー
もっとも簡単な手投げ武器である石は、現在でも使われている。
  

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