忘れられない写真ー『写真 昭和30年史 1926-1955』(毎日出版社)
『写真 昭和30年史 1926-1955』(毎日出版社)を古本で購入し再会する。
1955(昭和30)年3月15日初版発行とある。
「終戦」後10年目の節目、まだ通学の途中の空き地に防空壕の跡があったりした時代。
発売されてすぐ父が購入した。
その頃私はまだ7歳だったが、小学生時代、この写真集を何百回となく飽きずにめくって見ており、ガキのくせに妙に昭和や戦争の歴史には詳しくなってしまった。
新聞社勤めが永かった友人に聞くと、戦後、占領軍が来る前に、大本営のプロパガンダメディアとなっていた各新聞社は「戦争協力」の証拠となりそうな写真ネガはほとんど処分してしまった。
そうした中で毎日新聞社は、膨大な戦前、戦中のネガをどこかに疎開させ保管したらしい。
「戦後」に伝え続けようという気概があったからか、たまたまなのかはわからない。
しかし、この保管写真が、この『写真 昭和30年史 1926-1955』をはじめ、その後の『1億人の昭和史』シリーズ、『20世紀の記憶』シリーズ、『秘蔵の不許可写真』、そして最近の『日本の戦争 1 満州国の幻影』『日本の戦争 2 太平洋戦争』に至る毎日新聞社の財産となっている。
最近、朝日新聞大阪本社所蔵だった戦前戦中の写真ネガが7万点ほど奈良で見つかり、一部がウェブでも公開されている(料金が高いから個人で閲覧はほとんど無理)。
子供心に脳裏に焼き付いて忘れられない写真の数々がある。
1929(昭和4)年にアメリカで始まった世界大恐慌は日本の農村を直撃した。
当時農林水産業労働者の総数は約1,000万人、農家は560万戸、有業者の34%を占めていた。
30(昭和5)年にはその4割が副業と頼む生糸価格が暴落し、一般の農作物が続いた。時の政府の農業合理化策で低米価となり、31(昭和6)年満州事変を始めた年は東北・北海道は「凶作飢饉」に襲われる(写真上は青森の凶作農家)。
1934(昭和9)年、東北農村の飢饉は極点に達する。
わずかに大根で餓えをしのぐ子らの写真は、岩手県青笹村小水門部落(11月)。
東北線岩手県一戸駅で食堂車に群がる子どもたち。
松の木の甘皮をむいて食料にする農民たち。山形県東置腸郡伊佐沢村付近。
壁板から月光がさしこみ寒風にふるえる母と子。青森県三本木。
人買いの手から救世軍に救われた娘たち。
村長と駐在巡査が娘身売りの相談を受けている。山形県伊佐沢村。
戦後、高度成長のなか、日本は工業製品を作って輸出で儲け、農業のような生産性の低いものはアジアなどにまかせればいいんだ、というような主張がまかり通った。
愚かしい歴史から学ばない限り、私たちはこの先を歩めない。
8 19, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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