2010年06月30日
巴里の屋根の下



映画少年だった頃、新宿の名画座の「戦前フランス名画特集」に通いつめ、ルネ・クレール(René Clair /1898-1981)の『巴里の屋根の下(Sous les toits de Paris)』(1930)もそのとき初めて観た。
冒頭、パリの下町の屋根の俯瞰、建ち並ぶ煙突と煙(後にすべてセットで作ったと知ったが)、カメラがゆっくりとチルトダウンすると、アパルトマンの各階の窓にそれぞれの生活。
そして印象的に流れる主題歌「巴里の屋根の下」。
ホテルの窓から見る朝のパリの屋根の風景は、補修は重ねてきただろうが、その頃とおそらくはたいして変わらない。
ひとつひとつの煙突はひとつひとつの部屋と人生(la vie)につながっている。
6 30, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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今朝のおはよう-419 イタリアントマトの芽吹き

ボローニャで求めて蒔いてみたイタリアントマトの双葉が開く。
梅雨はまだまだ続き、地中海性気候とはずいぶんと違うからどうなるか。
過去記事:
イタリア野菜の種(2010年06月15日)
6 30, 2010 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク
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2010年06月29日
材木座海岸が元気

ここ十年ほど、材木座海岸の海の家はめっきり減っていたのだが、今年はなにか建ち並んできている。


関東学院大学建築学科の学生たちによる海の家も面白そう。
Zaimokuza Beach Stream
6 29, 2010 01.私の好きな鎌倉の風景 | 固定リンク
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2010年06月28日
松原庵の胡麻ダレ蕎麦


こちらご近所、松原庵(鎌倉由比ヶ浜)の胡麻ダレ蕎麦。
6 28, 2010 03.私の好きな鎌倉の店・和食 & 居酒屋 | 固定リンク
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2010年06月27日
パリで胡麻ダレ蕎麦 -YEN

この間パリに来るたびに最後の夕食はなぜかここ、サン・ジェルマン・デ・プレの「YEN」。

内装もだいぶ変え小ブース的なところが増えたよう。

「パリ価格」だからお値段は高目だが素材、調理と味は確か。

漬け物盛り合わせとミニトマトのぬか漬け。

仔牛肉の竜田揚げ。

締めに胡麻ダレ蕎麦。
6 27, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月26日
至福の砂擦り

今月で6歳になったMic。
早朝の由比ヶ浜の砂浜で背を擦る。
すっかり磯臭くなってしまう。
過去記事:
アザラシ犬 Mic(2008年02月08日)
砂擦り犬Mic(2007年05月16日)


6 26, 2010 24.犬と暮らす | 固定リンク
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ポルティコ(柱廊)の街、ボローニャ-2



柱廊そのものは他のヨーロッパの街にも部分的にあるが、街中でこれを奨励し、「公共の安全と通行人の目を楽しませるため、木製の柱は石製に、壁や天井はできるだけ美しく装飾するように。また一般の通行の妨げになる固定物は置かない」などの「ポルティコ条例」(1567年)が制定され、それが今に生きている街は他にない。
わずか2Km四方の「チェントロ・ストリコ(歴史的市街地)」に、中世から造られ続けたポルティコは総延長42Kmに及ぶ。
井上ひさし『ボローニャ紀行』よりー
すべての柱廊を歩き回ると、早足でも丸一日はかかります。もちろん、雨の日に市内をたとえば東から西へ横断しても濡れることはありません。こうしてボローニャの歴史的市街地は建物と広場と道と柱廊とが織りなす密度の濃い空間となりました。
6 26, 2010 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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ポルティコ(柱廊)の街、ボローニャ-1


ボローニャは「Pòrtico(ポルティコ)」と呼ばれる柱廊の街。
12世紀以降、ボローニャ大学にヨーロッパ中から学生が集まり、居住下宿の需要が急増した。
城壁に囲まれた旧市街は2Km四方ほどしかない。
そこで考案されたのが、建物の2階以上を張り出す形で増築し、下は回廊とすること。
回廊部は公道と見なされて建て増しへの課税は免除された。
泊まったホテルの建物も横にまわってみると、木造のポルティコがあり(鉄製の柱で補強はされているが、ボローニャの街の基本ポリシーは古いものを徹底して残すこと)12〜15世紀頃の木組みと装飾が見られる。
6 26, 2010 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月25日
由比ヶ浜海開きへ

Micとしばらくぶりに早朝の由比ヶ浜へ。
好きなだけ嗅ぎまわり走り回る。
朝5時半頃、もうサーファーたちはたくさん。

来週7月1日には海開き。
海の家も建築が続く。
6 25, 2010 01.私の好きな鎌倉の風景, 24.犬と暮らす | 固定リンク
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2010年06月24日
パリの雰囲気を少しだけ-サン・ジェルマン・デ・プレ

ときどき小雨。
骨董街をぶらつき、サン・ジェルマン・デ・プレのカフェで一休み。
街行く人を眺めていると、地元の人と観光客はすぐ区別がつく。
パリジェンヌは少し大股で踵を鳴らしながら早足で、ほぼ8割方携帯で話しながら歩く。

午後8時過ぎ、雨があがり陽が差し始め少し青空になったり。

Les Deux Magots(レ・ドゥ・マゴ)で遅い(といっても外は明るい)食事。
店内に2体の木彫り中国人形(マゴ)があるのでこの店名。
上階にかつてサルトルとボーヴォワールが住んでいた。
6 24, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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パリの雰囲気を少しだけ- セーヌ河畔


シテ(Cité)島の狭いセーヌ河畔道を歩く。

ポン・ヌフ(Pont Neuf)をくぐって現れた大きなセーヌ・クルージング客船。
一流レストラン並みのテーブルセッティングのものも。
6 24, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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パリの雰囲気を少しだけ- ノートルダム大聖堂

WIF2010に同行した日本からの「カヤック」チームは、パリは初めてなので、少し案内。
ノートルダム(Notre-Dame /聖母)大聖堂で。

南のバラ窓。
13世紀のオリジナルステンドグラスを残す。
イエスを中心に処女たち、十二使徒が囲む。

Nicolas Coustou 作のPietà(ピエタ)。
6 24, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月23日
エッフェル塔の光

パリの夜はあちこちで建物や橋などのライトアップがされて美しいのだが、なにせこの時期、暗くなるのがようやく午後10時過ぎだから、深夜過ぎのエッフェル塔の光とサーチライトもなんとなく「ま、適当にやるか」という感じ。
パリ第5大学近くのホテルの窓から。
6 23, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月22日
iPhoneの新OS

行列して並んだりするのは大嫌いなので、iPhone4の予約を見合わせたりヨーロッパに行ったりしているうちに予約停止(ソフトバンク)になってしまった。
が、まあ iPhoneのOSが最新バージョン「iOS 4」になったのでしばらくは待てる。
ある程度のマルチタスクに対応し、ホームボタンのダブルクリックでバックグラウンド状態のアプリが下のタスクバーに表示されて切り替えでき、アプリにもよるが前回使用時の状態になる。
メールアプリもいろいろ改良されたようだが、私にとってはなんといってもアプリをフォルダー分けできるようになったこと。
これまでは、たとえメモリに余裕があっても、16×11面(176)+デフォルト4の合計180までのアプリしかiPhone上にはアップできなかったし、のべたに広がって見つけ出したり並べ替えがけっこう大変だった。
一緒にしたいアプリを重ねるとフォルダが作れる。
階層はひとつまでで、フォルダ内にフォルダは作れない。
ひとつのフォルダには12個のアプリまでのよう。
しかしこれができるだけでもとてもすっきりし探しやすくなった。
6 22, 2010 33. iPhone/iPad の愉しみ | 固定リンク
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2010年06月21日
パリ、カフェ・ド・フローラで

パリ、サン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-Prés)の「カフェ・ド・フローラ(Café de Flore)」で。


サルトルやボーヴォワールも朝食はここでとり、友人たちと談論したところ。
であるせいもあるかもしれないが、クロワッサンをかじり、あたりを眺めながら、今回のWIF2010の課題にもあった「Presence」という言葉のことを考えていた。
サルトル『存在と無( L'Etre et le néant)』(1943年)の「Etre」でもある。
フランス語の「présence」も英語の「presence」もごく普通の日常語だ。
そしてそれがそのまま抽象的な思考論理の文脈のなかにも使われる。
しかし日本語でそれらに対応することばは、明治の時代「存在」として翻訳、造語された。
一般庶民の日常の生活に根ざしたことばとはかけ離れていた。
以来、私たちはこの乖離のくびきをずっとひきずった「近代日本語」を基礎として欧米の知とむきあい思考せざるをえなかった。
「止揚」とか「疎外」とか訳された、普通の人がまず使わないような「哲学用語」を学生時代得々としてふりまわしていたが、実はドイツ語でも英語でもフランス語でも日常語、あるいはそれに発したことばであることをずっと後になって知ることになる。
6 21, 2010 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月20日
試着なさいますか? - パリ、ラルフ・ローレンで

パリ、サン・ジェルマン大通り(Boulevard Saint-Germain)のラルフ・ローレン(Ralph Lauren)。
女性用売り場で、丁寧で繊細な作りの手編みニットの生成りブラウスが一目で気に入り、XSサイズもあったので、担当の店員のところに持っていく。
「試着なさいますか?」
ヨーロッパに来るたびに「マダム」に間違えられることにはもう慣れっこになっているので別に驚かない。
リモージュで合流した日本の友人は、二人で店に行くたびに私がマダムと思われ、私が別に否定もしないので年配の夫婦と見られることに困惑していた。
長身美貌のマドモワゼル店員は言ってからすぐに気付いて、昨晩パーティーがあり、このブラウスを着たとても素敵なマダムがいらしたので、というようなことを言い(多分)、少し笑い転げながら誤解を詫びた。
写真はラルフ・ローレンが併設している中庭にしつらえられたとても気持ちよさそうなレストラン。
From Europe with Love - Not Madaaaaaaa~m !(2007年02月27日)
6 20, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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今朝のおはよう-418 チコリの花


放ったらかしにしていて伸び放題のチコリの花が庭のあちこちで咲く。
和名、キクニガナ。
6 20, 2010 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク
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2010年06月19日
ラポーさん絵付けのシャンパン・リモージュボックス

ラポーさんのサンプルのなかでとても気に入り求めたシャンパンボトルが中に入ったリモージュ磁器ボックス。
「鎌倉美学」のカウンターに置いたらいいだろうな、と持ち帰って贈呈。
6 19, 2010 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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磁器絵付けアーティスト、ラポーさんを訪ねて -2

ラポーさんの自宅アトリエ。
広々とした気持ちいい庭にすぐ出られる。

きれいで丁寧な絵付けは定評がある。

クラシカルなものから今風のものまでさまざまな作品のサンプル。
6 19, 2010 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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磁器絵付けアーティスト、ラポーさんを訪ねて -1

リモージュ郊外にパトリックの友人でもある磁器絵付けアーティスト、ラポーさんの家を訪ねた。
右端ラポーさんは気難しそうな顔で写っているが実は気さくな人。

庭のサクランボがもいで食べると美味。
春は花がきれいという。

息子のクエンティン(Quentin)くんはリモージュ大学法学部の学生。
国際的な人権問題(International Human Rights)に関心があり、将来はそういうことに関わる仕事をやりたいという。
こういう若い人がいることがとてもうれしく、応援したい。
カンボジア、ビルマから中国、日本、アフリカなどの人権問題についてけっこう話し込む。
6 19, 2010 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月18日
今朝のおはよう-417 紫陽花月半ば

半月ほど見ないうちに鎌倉は紫陽花盛り。
庭の萼紫陽花も。
しかし30度を超す陽射しのもとではなく、やはりしっとり雨に濡れそぼるほうが似合い。
週末はちょうどそうなりそう。
6 18, 2010 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク
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2010年06月17日
ボローニャ精神 - マレッラ神父の志


夜遅くまでにぎやかなボローニャ市場通りの建物の一角にレリーフがある。
近くのサンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会の司祭だったマレッラ神父。
「貧困と共にあった」というような意味の形容が付けられている。
第二次大戦中、ナチスドイツ軍の占領下、独軍兵士が一人殺されると、無差別に市民十人を引き立てて広場で銃殺するという暴虐がボローニャでは行われていた。
あるとき引き立てられた住民のなかに乳飲み子をかかえた母親がおり、死ぬ前にもう一度だけこの子に乳をあげたいと兵士に懇願するが聞き入れられない。
このときマレッラ神父は、私が身代わりになりましょう、あなたはゆっくり乳をあげなさい、と進み出た。
神父を住民たちの前で撃つのさすがにははばかられ、このときの銃殺は中止になったとボローニャ市史に記録されているという。
パルチザンによる市の解放後、神父は毎日食料品店の壁の前に座り、黒い帽子を差し出して喜捨を乞い、その金で戦後復興期のたくさんの孤児院、母子寮、無料宿泊所などを作った。
神父の死後も代わりの神父や修道女たち、そしてボローニャ大学の若い学生たちが志を継ぎ、現代のグローバリゼーション下の貧困と向き合っている。
井上ひさしさんは『ボローニャ紀行』でこれらを紹介して書く。
「自分のせいでもないのに仕事や住まいを失ってしまうことがあります。ボローニャでは、こんなとき”自己責任”なんて冷たいコトバは使わない。困っている人間がいたら、とりあえず手を差し出してあげる。ボローニャの街づくりのやり方を”ボローニャ方式”といい、世界のあちこちの都市が手本にしていますが、じつはこの方式の基本にあるのは、このマレッラ神父の精神なのでした」
6 17, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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学びたいものが作った - ヨーロッパ最古のボローニャ大学

ボローニャは紀元前からすでに町を作っていたが、ローマからヴェネチアへの中間地であり、また靴の踵(イタリア南東部)ターラントからミラノへ至る街道も交差するところであり、古くから物資の集散、交易が盛んだった。
この商業的繁栄に関わるためには、契約やそれを保証する法についての学問が必要とされる。
街に住んでいる学者のもとへ、学びたいものが教えを乞いにいくというかたちから、それらの若者たちが組合を作り、各地からも学者を招いて給料を払い講義させるというかたちで大学が作られた。
ラテン語で「ウニウェルシタス(Universitas)」、後の英語の「ユニヴァーシティ(University)」はこうした成り立ちからして基本的に「自治的な組合」という意。
1088年のこと、ヨーロッパ最古の大学とされる。
日本はまだ平安後期、後三年の役が終わり、白河上皇が院政を始めた頃。
しかしこの大学はしばらくはキャンパスや校舎のようなものはなく、広場や教会や教授の家などで授業が行われた。
ヨーロッパ中から熱意ある青年が集まり、そのなかには、ダンテ、ペトラルカ、エラスムス、コペルニクス、ガリレオ・ガリレイなどがいる。
1563年に「アルキジンナジオ(Archiginnasio)」館が校舎として建てられた。
今は大解剖室などを含むミュージアムとなっている。
柱廊の壁や天井には歴代の教授や卒業生たちのおびただしい数の紋章。



6 17, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月16日
アルデンテ(Al Dente)

ミラノのオーガニック・レストラン、「タヴェルナ・デル・サクリパンテ」で、スパイシイトマトとバジリコのシンプルな有機小麦スパゲッティ。
香ばしい味わいももちろん、熱々で柔らかく、それでいて歯ごたえもある食感。
この歳になってほんとうの「アルデンテ(Al Dente)」を初めて味わった気分。
Tavelna del Sacripante
Viale Coni Zugna 52, Milano
6 16, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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ボローニャのトラットリアで

細い路地の奥のトラットリア。
かのウンベルト・エーコ先生も贔屓という。

挽肉、チーズ、卵を混ぜて詰めたパスタ、トルテッリーニ(Tortellini in brodo)とカプレーゼ(Caprése=トマトとモッツァレラチーズ)。

私は地元よ。ここはおいしいからよく来るわ、と隣りの席のdonna。
Tratorria da Leonida
Vicolo Alemagna 2, Bologna
6 16, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月15日
ラザーニャ・アッラ・ボロネーゼ

ボローニャもミラノも連日33度ほどの暑さで歩き廻っているとくらくらする。
観光客も街の人もみな真夏姿。

マッジョーレ広場のカフェでボローニャ風ラザニア(Lasagna alla Bolognese)。
何層にもなったパスタとリコッタ、モッツァレラ、パルメザンチーズが焼け上がってとろけるように柔らかい。

6 15, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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ボローニャ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会のピエタ像

ボローニャのサンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会(Santuario di Santa Maria della Vita)のピエタ像。
1470年ニッコロ・デッラルカ(Niccolo dell'Arca)作「死せるキリストへの哀悼」。
マッジョーレ広場に面するサン・ペトローニオ大聖堂(Basillica dei San Petronio)にも3人のマリアのピエタがあるが、こちらはなにか説明的で感動に乏しい。
このデッラルカのピエタは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタ(1498)の静かな荘厳さに比べて素晴らしく動的だ。
すでに冷たくなったイエスの遺骸と中央の聖母マリアの嘆き、急を聞き駆けつけたマグダラのマリアの風になびく衣と手と迫真の表情。


6 15, 2010 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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イタリア野菜の種

ボローニャでサンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会を探して路地に分け入っていて、イタリア野菜や草花の種を売っている店にでくわした。
これから梅雨の日本で育つかどうか定かではないが、本場のバジル(バジリコ)とちょっと細長いのが特徴のイタリアントマトの種を求めた。
主人に教会の場所を尋ねると、よくぞ聞いてくれたという感じで、100mほど離れた教会前(さっきも通ったのだが民家の間に目だたたくあるので気付かなかった)までわざわざ案内してくれる。


6 15, 2010 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月13日
ボローニャ・パルチザンたちの遺影

二つの塔は街を歩くといやおうなしに目に入ってくるが、ボローニャを訪れてまず第一に行き敬意と哀悼の意を表したかったのは、街の中心マッジョーレ広場に面する今は市立サラ・ボルサ図書館となっている建物の壁に掲げられた数百人の遺影。
故井上ひさしさんは『ボローニャ紀行』で「二つの塔と並んでボローニャのシンボルであり、もっといえば、この街の精神そのものです」と書いている。
第二次大戦で、イタリアはムッソリーニ・ファシスト政権のもと日・独・伊で「枢軸」を形成し、英・米・仏・露などの「連合国」と対戦した。
1943年には米軍を中心とした連合国軍がシチリアを攻略する。ナチス・ドイツは弱体ムッソリーニに替わり、ナポリ以北のイタリアに進駐して攻防を続ける。
連合国軍はなかなか北上できず、北部イタリアのパルチザンたちは孤立していく。
しかしボローニャでは、占領したナチスとそれに呼応しているイタリアファシスト黒シャツ隊に対して、市民たちはデモ、ストライキ、サボタージュを徹底して行い、1945年4月21日、ついに自力で街を解放した。
この間「パルチザン(遊撃兵)」として参加した市民は約1万7000名、うち2000名以上が戦死あるいは銃殺刑に処された。
戦後、遺族、友人たちが壁に写真を貼ったことがきっかけで今のようになった。
その後、強制収容所で亡くなったユダヤ人、反フランコのスペイン市民戦争に義勇軍として参加し戦死した人等、抗議、反ファシスト権力の闘争過程で落命した人たちの写真が加わっている。


6 13, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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ボローニャの二つの塔

2006年から07年にかけてヨーロッパをあちこち廻ったときは、ボローニャでの日程はとれず、フィレンツェからラヴェンナに行く途中通り過ぎただけだった。
最近ヨーロッパでは格安というより激安の航空券があるので、ネットで調べ、パリからボローニャへの便を約70ユーロ(ユーロ安でもあり日本円にして¥7,700!)で。
ボローニャのランドマーク、アッシネッリ家の塔(右・高さ98m)とガリゼンダ家の塔(左・48m)。
アッシネッリの建立は1109年、日本でいえば平安後期、鳥羽天皇の頃にあたるからちょっと気が遠くなる昔だ。
ガリゼンダの方は、土台に金をけちったために3.2mも傾き、途中で工事を中止してしまった。アッシネッリも実は1.3mほど傾いているという。
こちらは中の500段ほどの螺旋階段を登ると、ボローニャ特有の赤いテラコッタ屋根が海のように連なる「歴史的市街地(チェントロ・ストリコ)」が眺められる(今回は時間的に断念)。
中世からルネッサンス期にかけ、ボローニャは「百塔の街」と呼ばれるほど塔が林立していた。
180本もあったとういうが現在では15本のみ。
豪族、貴族の富力の誇示でもあり、街の防衛の物見のためともいう。
しかし軍事的防衛の見張り台であれば、街は城壁で囲まれていたのだから、それに沿って必要な数を作ればいいはずだから、やはり権勢、虚栄の象徴の面が大きかったのだろう。


6 13, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月12日
リモージュ国立高等アート学校-4

いわゆるアートやインスタレーション系はなんでもあり。

Photographyの一角に段ボールで作られていた小部屋の窓から。

二十日鼠をたくさんアレンジしている学生に何やってるのか聞くと、小さな部屋に20匹ほどのカゴを並べ、走り車を回す音を聴いてもらう、そう。
Good Luck ! As You Like.
6 12, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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リモージュ国立高等アート学校-3

デザイン系の学生たちの一角。
このようにひとりひとりにスペースが割り当てられている。

しかしまあ、アート・デザイン系の学校の作業場が小汚いのはどこも同じ。

中国からの留学生。
駅か商業施設かなにかのスペースデザインか、右の模型のようなものをガラスで作ろうとしている。
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リモージュ国立高等アート学校-2

友人のパトリック・オドゥヴァールはここの磁器(Porcelaine)コースで教えている。
粉だらけの学生たちと。

制作にはげむ学生たち。

着彩、絵付けの材料。
塗ったときの色と焼き上がったものは違うので難しい。
6 12, 2010 10.美術工芸, 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月11日
リモージュ国立高等アート学校-1

リモージュの国立高等アート学校(Ėcole Nationale Supleure d'Art)へ。
ここは3年ないし5年間、Art(ここでいうArtは原義としての技術そして芸術)を専門に学ぶ国立学校で、いわゆるアート、デザイン、写真、そしてリモージュの伝統工芸であるPorcelaine(磁器制作)が含まれ、外国からの留学生もたくさんいる。
マルチメディア教育を担当するソニア・マルケス(Sonia Marques)さん。
ソニアさんは、もともとポルトガル出身だが、パリなどで8年間マルチメディアの教育に携わったあと、今年初めからここで教えている。

授業時間外だが熱心に制作をする学生たち。


学生たちの作品がネットにアップされている。
私のところと同じだがここは公開ではなく学内のみ。

中国からの留学生が漢字をモチーフにして作品を作ったりしている。

特徴的なのは、アートもデザインも、リモージュの中心である磁器制作と緊密に結びつけられていること。
6 11, 2010 11.教育と学びのデザイン, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月10日
リムーザン牛いただきます

リムーザン牛のステーキは実に美味い。
飼料や育て方で妙な霜降りなど人工的に作ったりせず、ひろびろとした牧草地でのんびり自然に育ったもの。
私としては、濃厚なソースなどからめずに、塩、胡椒だけで味わいたいが。
リモージュの老舗レストラン「Le Versailles」で。
これはランチの一皿なので私にも食べられる分量だが、ディナーだと300gから700gくらいになって手に負えない。


6 10, 2010 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月09日
ヴィエンヌ川の雲

リモージュの街の東から南西に囲むように流れるヴィエンヌ川の岸辺を早朝歩いて。
雲の写り込み、河畔の草花が美しい。

黄菖蒲も群落で。

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールはリモージュで1841年に生まれた。
仕立屋の父、お針子の母、たくさんの兄弟たちと一家でパリに移り住んだのが3歳のときだから定かな記憶はないかもしれない。
しかしその頃とほとんど変わらないヴィエンヌ川と写り込む雲を鴨と風が筆を掃いたように乱すさまをおそらくは眺めたのではないだろうか。
6 9, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月08日
至福の表情

リモージュの南、Saint.-Yiriix-la-Perche(サン・ティリエ・ラ・ペルシェ)の郊外で。
ここら辺はやたらとSaint(サン)なんとかという地名が多いが、皆キリスト教の「聖人」の名(San Franciscoももちろん同じ)。
しかし聖人があまりに多くなりすぎて、狭い地域に同じ名前が出てきてしまう。
で、la-Perche(ペルシェの)Yirix(イリエ)聖人というように区別することになった。
口蹄疫などとは無縁そうなリムーザン牛が、牧草地際の草を至福の表情で喰む。
6 8, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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午後10時の「夕」焼け-2

午後10時のリモージュ、Pl.de la Républic(共和国広場)のホテルの窓から。
向かいのBanque de France(フランス銀行)。

左手の古いアパルトマンとEcole(小学校)。

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2010年06月07日
子供たちの自転車レース



リモージュ郊外で子供たちが自転車レースをやっているのをしばらく観ていた。
自転車は子供用だが仕様もいでたちもスピードもなかなか。
子供たちは全力をつくしながら楽しみ、大人たちは安全管理に気を配り、街の人たち(といっても犬の散歩をする人くらいしかいないが)も暖かく見守っているのが感じられてとても好感が持てた。
6 7, 2010 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月06日
WIF2010-24時間Webjam-カヤックチームが3位入賞!

チーム「o('.'* v(*'w'*)v *'~')/」(面白法人カヤックのメンバー / 林真由美・飯塚直・島田工聖)の作品が3位に選ばれた。
予選を含めれば世界数百チームからの選抜は素晴らしい。
このチーム名はどう読むのかと聞かれ「ポケモン」と答えると、会場から「ポケモン!ポケモン!」の掛け声。
賞金3,000ユーロ(約34万円)、Creative Suites 5などの賞品。
この間直接面倒を見てきただけにとてもうれしい(しかも地元鎌倉)。
Congratulations !!!


6 6, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | 固定リンク
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リモージュ夏雲

リモージュの雲はすっかり夏の気配。
ヴィエンヌ河越に古い磁器工房が見える。

ESTERの研究棟。

クロージングセレモニーとパーティーに使われるENSIL(国立リモージュ高等技術学校)棟前の広場に特設のステージとテント。
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旅先の朝食

ふだん朝食はほとんどとらないが、旅行をするとなぜかけっこう食べる。
クロワッサン、オートミール、フルーツジュース、ミルク、エスプレッソ、どれも美味しい。
WIFの記事を見ながら。
6 6, 2010 22.旅先で, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | 固定リンク
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2010年06月05日
WIF2010-24時間Webjam-Public賞の投票

今日5日の夜発表される賞には、一般視聴者の投票による「パブリック賞」もある。
下記ページからログインし、メールアドレスと自分で設定したパスワードを入れ、3作品を選んで投票(日本時間5日PM11くらいがリミット):
パブリック視聴者による投票ページ
6 5, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | 固定リンク
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午後10時の「夕」焼け

リモージュはフランスの中央部にあり、北緯45.49度。
日本の北端、北海道のノシャップ岬が、ほぼ同じ45.27度。
夜10時、ようやく夕焼け。
6 5, 2010 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | 固定リンク
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2010年06月04日
WIF2010-24時間Webjam-13ヶ国35チーム

WIF2010、リモージュでの国際本選に選抜されたのは35チーム。
国別の内訳は、地元フランス(11)、その他のヨーロッパは、イタリア(2)ベルギー(2)ノルウェイ(2)ルーマニア(2)スウェーデン(1)ロシア(2)、アフリカはチュニジア(2)、北米はカナダ(1)、南米はブラジル(3)アルゼンチン(2)、そしてアジアでは日本(3)中国(2)。
フランスを除けば3チーム出場したのはブラジルと日本だけ。
上はチュニジアチーム。

イタリアとブラジル。

アルゼンチンチーム。
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WIF2010-24時間Webjam-終了

カウントダウンとともに、24時間ノンストップのWebjamが終了。
日本の3チームともぎりぎり無事にアップできた。

チーム「o('.'* v(*'w'*)v *'~')/」。
「おもしろかったぁ!また来たぁ〜い!」

チーム「un-T Factory! Team STARMOUNTAIN」はかなり苦しんでいたが終わって晴れ晴れ。
審査結果は明晩発表。
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WIF2010-24時間Webjam-そしてすべては…

さまざまな試行錯誤の後に、もう一度テーマの基本におそらく戻る。
あるいは立ち戻らなくてはならない。
"Je pense à toi"
"I'm thinking of you"
君のことを想ってるよ
あなたのことを想うわ
とはどういうことなのか。
その「pense」「think」「想う」とはどういうことであり、それを「伝える」、その「プロセスや結果」として「コミュニケートする」とはどういうこと、関係の総体なのか。
「情報」を単に整理したり、「効果的」に「伝える」ことだけやってきた人にはおそらく表面的なものしか作れない、人生のこれまでの経験をどれだけ思惟化してきたか、そしてWIFが一貫してコンセプトとしてきた「sensitive」にも関わる深いテーマ。
6 4, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | 固定リンク
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WIF2010-24時間Webjam-残り6時間


Team「o(’.’* v(*’w’*)v *’ ’)/」(面白法人カヤック)の林真由美さんは、国内予選のときと同様(ただしiPhoneのカメラでだが)、USTREAMでのリアルタイム動画配信を試みている。
「つうことはあと6時間くらいですよ」
「あと4時間くらいでそちらフィニッシュしてほしいです」
「わかりました」
などのやりとり。
両隣りのイタリアチームの話し声の方が多く入る。
実験してますー
6 4, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | 固定リンク
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WIF2010-24時間Webjam-初期段階の注意

夏日のような天気の下のESTER Technopoleに、世界から35チーム、約100名のファイナリストたちが制作を始める。

あちこちでまずはミーティング。

台地で風の通りがよく気持ちいい外に出て話し合うチームも。
初期段階で重要なこと:
1. 課題を注意深く十分に検討し、何を求められているか的確に掴むこと。条件についてもすべてを点検し押さえておかねばならない。
たとえば、この課題ではモビリティ(携帯性、移動性)がすべての前提条件。
また、ウェブサイト上で見せるものは、ビデオあるいはインタラクティブなシミュレーションであり、アプリケーションないし機器システムの提案。
「一日のうちで」というのもキーとなる。
2. 課題の目的とカタチ、条件の関係のなかで、何に着目し、どのような視点、角度、アイディアで取り扱うかのコンセプトメイキング。
二人の恋人どうしという存在を抽象的なままで機能を中心に扱うという方向と、二人の人格と関係、「一日」のストーリーやシチュエイションを具体化するなかで見せるという方向ではずいぶんと違ってくるだろう。
24時間の制約があっても、この段階には4〜5時間かけてもいい。
3. ここまでが決まったら、それに基づいた最適な構成プラニングに進む。
1. 2. 3. があいまいなまま、部分作業にわけ入ったり、手持ちのテクニックを組み合わせて作ろうなどとしたらまず失敗する。
4. 実際のデザイン制作作業に入っても、常に1. 2. 3. に立ち戻って点検すること。
5. 仕上げチェックによってきちんと連携しているか、目的通りに動くかといった基本的なことだけでなく、審査で不利になる「未完成感」をできる限り減らし、センスやバランス等を含めた完成度を上げてほしい。
6. ユーザーインターフェイスは、できる限りシンプル、明瞭であること。短時間の審査では、奥の奥に重要なことが潜んでいるとか、どこをクリックしたらいいかなかなか分からないようなものはハネられる。
7. 付属説明にある、短いイントロで、基本コンセプト、アイディアがまず見て取れるようにすることは(よほど巧妙なサイト構成でない限り)絶対に必要。
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2010年06月03日
「君のことを想ってるよ」-WIF2010-24時間Webjam課題

フランス時間午前11時、課題が発表され、24時間のWebjamが始まる。
課題はフランス語と英語で提示されるが、ざっと訳すと以下:
"Je pense à toi"
"I'm thinking of you"
「君のことを想ってるよ」
愛する人に、モビリティ(携帯・移動性)を条件に、あなたの存在・大切な思いをコミュニケート・伝えなさい。
一日のあいだのふたりの恋人どうしで、存在(思い)を表明する(記す)パレットをイメージしなさい。
ウェブサイト上での、ビデオやインタラクティブなシミュレーション(サウンド、イメージ、アニメーション、対象あるいは他の環境の要素、ジェスチャーなども含まれうる)によって、経験の様々な瞬間や、注意・関心の表明・表現を例証・説明するためのウェブアプリ、モバイルアプリ、コミュニケートするモノ(機器)を提案しなさい。
文脈・脈絡(場所、時刻、まわりの人々)をはっきりさせるために、もし適切と思えば、短いイントロダクションと同時にデザインの基本的な考え方を示しなさい。
6 3, 2010 09.ネットワーク・コミュニケーション, 27.ヨーロッパ行・考, 32. WIF(Webdesign International Festival) 2008/2010 | 固定リンク
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WIF2010-24時間Webjam開始へ-3

前夜の腹ごしらえ。
夜9時を過ぎてもまだ明るいヴィエンヌ河畔のテラスで。

色合いがきれい。すべてトマト。

リムーザン牛のステーキ。
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WIF2010-24時間Webjam開始へ-2

WIF2010Webjamの会場、ESTER Technopole。


前日のセッティングテスト。
Team「un-T Factory ! Team STARMOUNTAIN」のテーブルへの電源のセッティングミスで、Mac用電源ケーブル2つ、変圧器などがいきなりブロークン。
スタッフにリモージュの街で買ってきてもらいなんとか準備OK。
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WIF2010-24時間Webjam開始へ

6月3日午前11時(日本時間午後6時)から、WIF2010の24時間Webjamがフランス、リモージュで行われる。
パリでun-T factoryチームとも合流し、リモージュの会場(Ester Technopole)へ。
国際本選に選抜された、日本からの3チーム。
Team「o(’.’* v(*’w’*)v *’ ’)/」(左から林真由美、飯塚直、島田工聖さん)

Team「un-T Factory ! Team STARMOUNTAIN」(左から中野章一郎、星山哲廣、廣岡良さん)

「Team Reverie」(左からニコラス・ケンプ、松原正享、小野健太さん)
WIF2010サイト
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2010年06月02日
ドバイ空路イマジネーション-2

ドバイから同じくエミレーツ航空パリ行きに乗継ぎ。
たぶんサウジアラビアを横切ってカイロ上空辺りから地中海を一直線、と思っていたらまったく違った。
飛び立った後、ペルシャ湾をぐんぐんと、まるでパパ・ブッシュ「湾岸戦争」時の米軍のように奥へ進む。
やがてクウェート。
パパ・ブッシュはここで軍を止めたが、ブッシュ・ジュニアの命のように機はイラクに入る。
バスラ、ナジャフといった「イラク戦争」で馴染んでいる南部の要衝の名が画面に現れる。
あのファルージャからバグダードの間、蛇行するチグリス河とわずかな畑、米海兵隊が次々と「制圧」しただろう点在する家々を見て思わず少し涙した。

バグダード近郊を過ぎ、北東キルクク、モスルといったクルドの人々が暮らす地を飛び、シリア東端をかすめて、同じくクルド人が差別のなかで多く暮らすトルコ東部山岳地帯へ。
時速900Kmでトルコを北西へ横断、ほどなく黒海へ抜ける。
ルーマニア上空からヨーロッパに入る。
ハンガリー大草原からスロヴァキア、そして、プラハ、ドレスデン、ライプチッヒと訪れたことのある街を飛び越えパリへ。
6 2, 2010 22.旅先で, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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ドバイ空路イマジネーション-1

もろもろの事情でぎりぎりまで航空便が決められず、出発数日前にドバイ乗継ぎのエミレーツ航空にした。
で、ドバイへ。
成田を旋回して北アルプスあたりに達すると、後はひたすら西へ向かう。
富山の南で日本海に出、慶州あたりから韓国を横断。ソウル南を黄海へ。高度12,000mでは右手におそらくは平壌の灯が見えるだろう(灯火管制しているだろうが)。
大連から北京を通り、チベット北部、新疆ウイグル地区から崑崙山脈を越え、アフガニスタン手前パキスタンのペシャワール付近でようやく南西に進路を変え、アラビア半島からペルシャ湾に三角に突き出たアラブ首長国連邦ドバイに至る。
この航空ルートは私にとってはとても想像力をかきたてられる。
往きは夜なので街の灯の他は見えないが、飛んでいるこの下の人々の歴史と生活と様々な苦難を想う。
6 2, 2010 22.旅先で, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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