反省、そして"Sensitive"であること
最近体験した少し嫌なこと、反省したこと。
カフェで「活け花」の先生という中年女性と隣り合わせた。
店のカウンターにはミモザの花が飾り付けてあったのだが、彼女はそれを見て「ミモザももう終わりよ」となにか冷たくいう。
この時点で、たとえ「華道家」であるとしても三流以下だなと直感し、話を止めればよかったのだが他に客もいない。
私が好きで近くに行ったときは必ずのぞいて楽しみ、時々山野草やハーブの苗などを購入している小町通りの「鎌倉花壇」でその日求めた丁子桜(野生の小振りな桜)の苗を見せると、「あそこは仕入れ先が最低だから買わないほうがいい」「A級のものはやはり違うから」などと言い出す。
話していてふつふつと不快感が込み上げてくる。
ざけんじゃないよ、花草木にA級もC級もあるものか。
この人は「活け花」をやっているのかもしれないが、花木、植物を愛でてなどいない。
線路際に咲く野菊や路傍のたんぽぽの一輪の生命の姿が、「A級」の活け花素材の寄せ集めより遥かに美しいことがあると感じる心を持っていない。
豪華なパーティー会場やお屋敷の床の間を一見華々しく意味あり気に飾り立てることはできるかもしれない。
しかし、「活け花」という自分の「作品」を自己目的化し、人に自慢し称賛を浴びたいという自己満足のための単なる「材料」としてしか花木を見ていない。
Partnerに抑えられたが、こんな人に花草木のことなら私はプロよというようなしたり顔で語って欲しくない、という怒りでつい声を荒げてしまった。
反省…
「怒り」は私のもっとも重要な原動力のひとつでもあるから「捨てる」わけにはいかない。
まあしかし、それをそのまま表面に出すかどうかは別の問題で、この歳になってもなかなか達観するに至らない。
私が日本PartnerをしているフランスWIFではリモージュ大学と協力してウェブデザイン教育をしており、その基本的なコンセプトが「Sensitive」。
前回行ったときいろいろ話を聞いたのだがどういうことを狙っているのか今ひとつよく分らなかった。
英和辞書では「Sensitive」は、「よく気のつく」「気配りのできる」「配慮がゆきとどく」「思いやりのある」や「神経質な」「微妙な」「敏感な」「感度のよい」等いろいろ載っているが、日本語で一対一で対応するようなことばもないし、どれも表面的表層的にすぎる語釈のような感じもする。
英英辞書でもいろいろ読んでみたがどうもピンとこなかった。
先日出たiPhoneアプリのLongman「現代英英辞典」の「Sensitive」の語義のとっぱなに「Understanding People」とあり、「Able to understand other people's feelings and problems」と記述されているのを読んでなにか初めてしっくりくるように感じた。
すべての出発点でありそして究極の課題であるだろう。
3 9, 2010 18.花・木・野菜・生きものたち, 23.日々のなかで | 固定リンク
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