今朝のおはよう-324 雨宿り
9 30, 2009 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
麻心(鎌倉長谷)で、初来日でツアーをしているテンジン・チョーギャルの「チベットの歌」を聴く。
テンジン・チョーギャルはチベットに生まれた(生年不詳)が、子どものころヒマラヤを越え、ネパールに亡命。その後、チベット亡命政府のあるダラムサラで、母の歌声を聴きチベット文化を学ぶ。
歌声は、あるときは高原の草原を吹き渡る風のように、あるいはその中でも家族に聞こえるように響き、8,000メートルのヒマラヤを越えていく渡り鳥の自由と力に遙かな想いを寄せ、梢で愛をささやく鳥たちを愛で、チベットの大地への郷愁と自負を歌い上げる。
突き動かされ、また浄化されるような音楽。
10月1日(木)東京青山SALON
10月2日(金)日本橋Dalia
でも公演が行われる。
9 28, 2009 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 13.音楽の楽しみ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
7月初旬以来の目患いはまだ続いている。もう2ヶ月半か。
痛みはほとんど出ないが、視力が安定しない。
長時間の読書、とくに細かい活字のもの、コンピュータディルプレーを見続けたりしないことなどは眼科医から「当たり前です」という感じで警告されている。
読みたい本が山積みになっているのにせいぜい装幀を撫でて愛で、パラパラとしか見られないのは辛い。
で、ちょっと気になって買っておいた『お探しの本は』(門井慶喜・光文社)を昨夜手に取って、図書館のレファレンス・コーナーに勤務する図書館員が「シンリン太郎について調べたいんですが」(もちろん森 林太郎=鷗外の本名)などと言ってくる女子短大生などを相手にしながら「探書ミステリー」の世界に入っていくさまがとてもおもしろく、思わず一気読みしてしまった。
本文活字も文庫本より大きい13Q相当、290ページほどで2時間半ほどで読了したと思うが…
もっと途中で休みを入れればよかった…
で…
今朝起きてみると、確実に左目の視力が下がり、さまざまな神経・思考系に苦しい影響が出るガチャ目状態。
9 23, 2009 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
毎夕、直径15cmほどにはなる夜会草の大輪が庭に咲き始める。
キュウリ、ニガウリともからみあい、月桂樹と芙蓉の木の協賛も得ている(迷惑かもしれないが)。
今晩の夜会デビューは4嬢か。
あ、もうひとり陰にまだいるじゃない。
恥ずかしがらなくていいよ、きみにとって今宵限りの舞踏会。
過去記事:
夜会の始まり(2007年10月08日)
9 20, 2009 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
ふ、「国家戦略局」?
いかにも松下政経塾出の若造が付けそうなネーミングだ。
もちろん「国家総動員法」などは熟知の上での名付けだろうね。
ひとつだけ忠告したい。
日本国憲法に関してだ。
近代国家は国家としてあるために憲法(Constitution)を必要とする。
国のありかたを定める最高の法だ。
ただしこれは国民の「義務」を定めるものではなく、まったく逆に「国民が政治権力に対して守るべき義務として突きつけるもの」だ。
これを守らない政治権力に対しては国民はいつでも廃棄、転覆させる権利を有する。
これが近代「憲法」の基本。
つまらない投票啓発をするくらいなら、このことをこそ啓発すべきではないか。
「押しつけ憲法」だのの議論や鳩山がもともと改憲論者だったなどということは関係ない。
日本にはいわゆる「憲法裁判所」にあたるものなどがない。
だから、最高の法である日本国憲法にいかに違反している下位法律が国会で制定されても、「トンデモ」レベルの政府解釈だの政令だの通達が出されても、明らかに憲法と相容れない裁判所の司法判決が出されても、たとえ訴えても原告に実害はないなどと門前払いで誰もどうしようもない状況が数少ない例外を除いて戦後ずっと続いてきた。
「国家戦略局」などという仰々しい名前の局をつくるならば、まずこのことの改革から取り組むのが基本ではないか。
9 17, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
秋の七草というのは、万葉集で山上憶良が秋の花を詠んだ二首、
秋の野に咲きたる花を指(および)折り
かき数ふれば七種(ななくさ)の花
萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花
女郎花(おみなえし)また藤袴(ふじばかま)朝貌(あさがお)の花
からきているという。
最後の朝貌(あさがお)というのは今の朝顔ではなく桔梗であろうとされる。
『植物と日本文化』(斎藤正二・八坂書房)のなかで、斎藤氏はこれらの七草すべてが中国原産であると推考し、憶良にとってはこれらの花が当時の先進中国文化への憧れの象徴でもあっただろうと述べている。
古くは食用、薬用にされただろうが、その後はもっぱら観賞用。
庭の萩。「江戸絞り」と名付けられ、白にかすかな桃色がはいる。
しら露もこぼさぬ萩のうねりかな 芭蕉
9 14, 2009 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
鎌倉在住のバンドネオン奏者、古橋順越氏を迎えての「カフェ鎌倉美学」の「アルゼンチンナイト」。
1963年多摩美を卒業し、梅川健氏のオルケスタでバンドネオンを習得し、99年日本ビクターを退職後本格的にソロ活動を開始する。71歳とは思えない情熱。
タンゴや楽器の歴史も少しずつ曲間に話してくれるので興味深い。
19世紀後期、アルゼンチン、ブエノス・アイレスの近郊、ラプラタ河畔ポカ地区に住む貧しいスペイン、イタリア系移民たちの音楽として始まり、やがて都会人にもなじむダンス音楽、歌曲となり、20世紀に入るとヨーロッパでブームとなり、「コンチネンタルタンゴ」も生まれる。
タンゴ演奏の中心ともいえるバンドネオンが、1900年代ドイツで盛んに作られ輸入されてアルゼンチンタンゴの中心楽器になったということも初めて知った。
音楽も楽器も世界は混じり合い影響し合って進展し、人々は誰でも自由に愉しむことができるもの。
9 13, 2009 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 13.音楽の楽しみ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
9 12, 2009 01.私の好きな鎌倉の風景, 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
今年も歳を重ねる。
これからなにをするか。なにができるか。
身体はまあいろいろ問題あるが大丈夫だ。
最大の課題は、やはり若い人々に、さまざまな契機や種を蒔いていくこと。元気づけること。
なにをやっていいか分からないという学生たちが多い。
私の若い頃はなどとはいいたくないが、やりたいこと、学びたいことは山ほどあり、どこに絞ればいいいか(当時の専門分野の弊害はあるにしても)に迷う、という悩みがみな普通だった。
今の若い人たちの閉塞感、散漫感あるいは躊躇感はどこからきているのだろうか?
ここから溶きほぐさないといけないと感じている。
橋本治はなにかの本で、どうしてそんなに色々なことを知っているのか、と問われたことに答え、そうではない、知らないからこそ、そして知りたいからこそ、学び調べ考えぬいて書き記しているのだ、と語っている。
私も共感し、レベルの差はあれ同じ生き方をしていると感じている。
咲き始めた庭の萩を深夜眺めながら。
9 11, 2009 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
庭のリンドウ(竜胆)が咲き出す。
陽の当たっているときしか開かない。
源頼朝は平治の乱(1159年)に12歳で初陣し、敗戦して斬首のところ、平清盛の母池禅尼に救われ、伊豆蛭ガ小島に流されて十数年を経る。
北条時政勢の監視は厳しく、狩りのときが心のなぐさめだった。
あるとき行き手の路にひとりの乙女が立っていた。
手に一本の輝くような青い花を持っていたので、それは何という花かと聞くと、乙女は「秋の野の尾花にまじり咲く花の、色にや恋ひん逢うよしをなみ」「思い草と申します」と、古歌を引いて答えた。
この乙女、北条政子は、のち父の反対を押し切り、雨の闇夜を裸足で、伊豆山権現、ナギの樹の下で待つ頼朝のもとに走る。
頼朝29歳、政子19歳のころといわれる。
参考:
『伝説の花たち』(石井由紀・写真 熊田達夫 / 山と渓谷社)
『新日本古典文学大系(保元物語)』(岩波書店)
『保元物語』(岩波文庫)
9 8, 2009 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
写真家・土門拳(1909-90)の初めての写真集とよばれるものの復刊(講談社)。
土門は横浜の高校卒業後、倉庫人夫をしたり住み込み書生をしたり夜学に通ったり農民運動に加わったりと24歳まで青春の彷徨を続ける。
写真館の門下生となるが決まり切った撮影に飽きたらず、1935(昭和10)年、26歳のとき、名取洋之助が主宰する「日本工房」を訪ね採用される。
日本工房は対外グラフ誌『NIPPON』を中心に制作していた。
ここで図案家(デザイナー)であった熊田五郎(のちの画家・千佳慕)と意気投合し、早稲田の学生アルバム委員の、ありきたりなものは作りたくないという意向も受け、いつもダメ出しされ泣かされていた師の名取がベルリンオリンピックのため長期外遊していた間に、熊田がやっちゃえ、これを拳ちゃんの最初の写真集にしよう、といって作られたのが土門拳28歳のときのこのアルバム。
撮影はすべて「ライカIII型」で行われた(レンズはエルマア5cm、ズマアル5cm、ヘクトオル7.3cm、エルマア3.5cm、エルマア13.5cmの5種)
元のものの奥付には、制作:日本工房、編輯・撮影:土門拳、装幀・構成:熊田五郎、マネージメント:信田富夫とある。
戦後、熊田は熊田千佳慕として画家になり、『昆虫記』等をあらわして先月没した。信田富夫はライトパブリシテイを起こす。
このアルバムは今見ても卒業アルバムあるいは写真集として秀逸であり、関係ない人が見ても楽しい。
教授陣はさすがに重厚な表情だが、いわゆる肖像画のようではない。詰め襟、学帽の学生たちがキャンパスや街を颯爽と闊歩し、また学業にはげむ姿、街に繰り出しての愉しみ、撞球(ビリヤード)、麻雀、スポーツの躍動、由比ガ浜でのスナップ、下宿での語らい、弦楽五重奏を奏でる姿、なにかお金持ちの学生の書斎の電蓄でベエトーヴェンに聴き入る学生たち…
1ページ1枚を基本としてホワイトスペースをバランスよくとった熊田のシンプルなレイアウトも好ましい。
新宿「碇萬年」の云わずと知れた呑んべえグループ、とある。
早稲田「山書店」(左)、早稲田「丸善」(右)
キャプションに「読書 坂井君」(左)「論文 内野君」(右)
「この二頁は学生生活の中心課題であるべき "学問する" と云うことの集中的場面として特に両君に撮らせて戴いたものである。そして両君を選んだことについては何人も異議のないところと信ずる」
坂井君とは矢内原忠雄遺稿集を編纂し、またベトナム戦争初期にこれは反共の戦いではなく、帝国主義に対する民族解放闘争だと喝破したジャーナリストでもあった坂井基始良(きしろう)。
内野君は、内野茂樹(1911-63)。アメリカ新聞史、マスコミ論を研究し、早稲田に新聞学科ができると教授として教鞭をとった。
このアルバムが作られた1937(昭和12)年は、7月7日、日本軍が盧溝橋事件をでっちあげ、中国への全面侵略戦争を始めた年でもあった。
9 6, 2009 07.デザインの世界, 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)