積ん読記-2 『世界は分けてもわからない』
早く読みたい福岡伸一氏の新刊『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)。
「顕微鏡をのぞいても生命の本質は見えてこない!? 科学者たちはなぜ見誤るのか?」
「ヒトの眼が切り取った『部分』は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した『関係』の多くは妄想でしかない。私たちは見ようと思うものしか見ることはできない」
「生命に『部分』はあるか?」
とわくわくする帯惹句が並ぶ。
しかし今日も文字を読み続けるのはだめ。
パラッと開き、本筋と関係ないところをつらつら。
福岡博士が属する「国際トリプトファン研究会」国際会議から抜け出すところ。
博士はアメリカでの研究生活のなかで "hooky" (フーキー)という「便利な」スラングを覚える。自分の発表が終わったらさっさと "hooky" してしまう。
"hooky" は抜け出す、行方をくらます、つまりフケること。
"play hooky from school" は、まあ授業さぼって、ずる休み、フケちゃうこと。
フーキーとフケるはなにか語感が似ていておもしろいが、「ふける」は逃げる、行方がわからなくなる、駆け落ちする、とかの意味で江戸の洒落本や歌舞伎にも出てくるので直接関係があるとは思えない。
しかし「サボる」となると、これはもともとフランス語の「サボタージュ(sabotage)=労働者の怠業」からきていて、大正時代の労働運動のなかでは使われており、「ダブる」「ミスる」「トラブる」等の英語起源のものももう日常語になっている。
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://radical-imagination.net/mt/mt-tb.cgi/4660
この記事へのトラックバック一覧です 積ん読記-2 『世界は分けてもわからない』:

コメント