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2009年01月06日

『パレスチナ1948・NAKBA』(広河隆一)

1948年「イスラエル建国」とその後の戦争・占領により、それまで永くこの地に暮らしていたパレスチナ人たちは村を追われ難民とならざるをえなかった。
パレスチナ人はこれを「NAKBA(ナクバ)」と呼ぶ。
「大惨事」を意味するアラビア語。


広河隆一さんは1967年大学を卒業してすぐイスラエルに渡り、キブツ(社会主義的な共同体村)研修で農作業に従事する。23歳で新しいコミューン体験に希望に燃えていた。

ある日いつもと違うヒマワリ畑の向こうに白い廃墟のようなものを見る。なにかの遺跡かと思いキブツのメンバーに聞いても答えをにごされる。

第二次世界大戦中のホロコーストを経て、ようやく「約束の地」にユダヤ人のための国家ができたが、パレスチナ・アラブ人の敵意にさらされている、という当時の(今でもほとんど変わりない)常識しか持っていなかった広河さんの心のなかに小さな疑念が起きる。

おりしも勃発した第三次中東戦争(いわゆる六日間戦争)後、戻ってきたキブツの若者たちが、いかにアラブ諸国をやっつけたか、東エルサレム、ゴラン高原、シナイ半島、ガザを手に入れたかを繰り返し酔いしれて語るのを聞き、この戦争後、「イスラエルの安全」のためには何をしても許される熱狂的な軍国主義が育って行くように思えてくる。

自分が働いている美しい畑、豊かな水、これらは本当にユダヤ人移民が「民無き」荒れ地を開墾し作り上げた血と汗の結晶なのだろうか?
「ユダヤ国民基金」(ユダヤ系ロスチャイルド財閥などが負担)が先住していたパレスチナ・アラブ人から正当に買い上げたものなのか?

1年以上後、ユダヤ人の友人が探し出してくれた古い地図で白い廃墟の答えを得る。
それは破壊されたパレスチナ人の村の跡なのだった。
ダリヤトルーハ(香ばしい葡萄の樹)村。

「私は、村の人々が追放され、難民キャンプに押しこめられ、村が廃墟となったあと、その畑で働いていたことになる」(『パレスチナ 新版』(広河隆一/岩波新書

この衝撃から、後年、世界的なフォトジャーナリストとなる広河さんの40年にのぼるパレスチナへの訪問と交流、観察、取材、記録、撮影が始まる。


映画『パレスチナ1948・NAKBA』(監督・広河隆一)は、膨大な写真と1000時間以上にのぼるビデオ映像をもとに131分に編集したもの。「1コマサポーターズ」などの協力により成った。

池澤夏樹:
「遠い人々の悲劇は抽象的である。
われわれにとってパレスチナは遠い。
彼らの受難を具体的なものとして受け止めるために、われわれはこの映画を見なければならない。
パレスチナの人々の運命を、名前と顔を持つ友だちの身に起こったこととして感じ取らなければならない。
広河隆一と彼らの何十年にも亘る親密なつきあいがそれを可能にしてくれる」

映画『パレスチナ1948 NAKBA』サイト
単行本『パレスチナ1948 NAKBA』(広河隆一/合同出版)


この劇場版とは別に、DVD-BOX「広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA」の日本語版全30巻(約45時間)が完成(英語版は2月ころ完成予定)。
パレスティナ難民に関する国際的な第一級史料となる。

2009年1月8日(19時開演/文京シビックホール・小ホール)
広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA 完成報告と試写会

1 6, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ |

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