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2008年08月19日

『早刷り岩次郎』(山本一力/朝日新聞社)

幕末、安政2(1855)年の「安政大地震」によって、江戸の街はなぎ倒され、深川一帯も「町が平べったく」なる。

「大事な摺り物なら、釜田屋さんに頼むのが一番」といわれた「版木彫りと摺りを請け負う老舗」深川冬木町の釜田屋岩次郎は妻子も腕利きの職人たちも失った。

岩次郎は失意の中から、思案を重ね、翌年、生き残った番頭や職人頭たちを集めて宣言する。
「摺り注文を待つのではなく、みずからの力で摺る瓦版の版元になる」
今でいうなら印刷屋から新聞社になるというようなもの。

しかも今までにないような瓦版「早刷り」ーその日のうちにその日の出来事をまとめ、翌朝には摺り上げてあちこちで売り出す。
だれよりも早く、そして子細に正しく伝えること。
瓦版として前例のない桁違いの一日二千枚、それを毎日続ける。

ここから発行までの半年間、悪徳商売敵、貸し証文を買い取り佐渡の人足に売り飛ばす証文屋、悪評高い改悪金貨を瓦版を使ってイメージアップさせ出世をもくろむ旗本とそれとつるむ大店の主、等々さまざまなからまりがあるのだが、若い頃から取材・ライティング、編集デザイン、製版・印刷の世界に関わってきた私にはこの早摺りを実現するための手だてを考え作り上げていき、職人たちがそれに応えていくさまがたまらなくおもしろい。


まず「耳を澄まし、鼻を効かせて、四六時中おもしろい話しを拾って歩く」「耳鼻達(じびたつ)」と名付けた物書きたち。
集める記事は出来事だけではない。土地の名物や美味いものにも目を配る。
似顔や情景を描く絵描きも同行する。
取材・インタビュー記者とカメラマンだ。

この頃の江戸は、武家・僧侶が50万人、町人が58万人ほどで100万人を超える。
武家・僧侶は読み書きできるが、岩次郎は早刷りの上得意になるだろうなのは町人、それも店子ではなく日銭を稼ぐ職人や長屋の女房連中と見定めている。
彼ら、彼女らは読み書きに長けているとはいえない。
したがって次は読みやすくする工夫。絵や絵文字、ひらがなを多用する。

広目(広告)集めの者たちは大店、湯屋、料理屋等に散る。
1日2000部が10名に回し読みされたら2万の人に伝わる。
使っている土佐紙はものを包むのにも使え、開いたときにはまた広目効果がある。

耳鼻達が集めてきた原稿をまとめる。絵描きが挿絵を添える。
仕上がった原稿と絵は「枠切り」に回される。
暮れ六つ(午後6時)頃だ。

文字を読みやすくするために早刷りのサイズは従来より大判の菊判半切(はんせつ)四つ切り(318 x 234mm)。
下部の広目(広告)枠を除き、一段12文字30行が五段、すべてを文字だけで使えば一日分に使える文字数は1800字。

しかしすべてを文字に使えるわけではない、大見出し、小見出し、そして挿絵の分も必要だ。
それらを按配するのが「枠切り」職人の仕事。見出しも彼らが考える。今でいう整理や編集レイアウト。
真夜中を過ぎて「枠切り」が仕上がる。

岩次郎が赤摺り大見出しにチェックを入れる。先の早刷りで放火犯の似顔絵を載せ、それがもとで犯人が捕らえられたのだ。
「下手人にお縄が打たれた」
しばし思案し朱を入れる。
「下手人、御用だ」

「枠切り」職人が描いた「按配絵図」(レイアウト指定)にそって、本文文字を彫るのに長けた「段彫り」職人が版木を彫る。
絵や大見出しはまた別の彫り職人が担当する。

彫りから摺りへ夜鍋仕事が続く。

岩次郎は名刹本堂の大法会でも使わないほどの量の特注ろうそくを用意し、職人たちの手元は昼間と変わらぬほど明るい。
「ろうそく代がどれほど高額かは、職人たちのだれもが知っている。言葉ではなく、明るさで岩次郎は職人たちを励ました」

朝方摺り上がった早刷りを20名の売り屋たちが100枚ずつ持ち、四つ(午前10時)の販売開始に向けあちこちに散る。
待ちかねた人々の間であっという間に売り切れる。

どこそこの町で元気な双子が生まれた、こういうことは皆で祝おうじゃねぇか。
それなら弔いもあるぜ。
広目に特典を付けて持って行けばなにかいいことがあるようにすれば…。
アイディアが拡がる。

圧倒的な人気を誇るようになるが岩次郎は一人勝ちはよくないと考える。
せめてもう二つは競合相手があり、それぞれが個性的な紙面を作ればもっと活気が出る。


岩次郎だけでなく、まっとうな商人や職人たち、船頭などの器量と人格、矜持と気配りがすがすがしい。

8 19, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧 |

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