由比ガ浜 行く夏
8 31, 2008 01.私の好きな鎌倉の風景, 06.私の好きな鎌倉の店・その他 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
私はSF(サイエンス・フィクション)のあまり良い読者ではないが、それでも若い頃からずいぶんと読んではきている。
しかし、沖縄で暮らしていた頃に発表された広瀬正(1924〜72)の1970年から71年の一連の作品『マイナス・ゼロ』『ツィス』等は抜け落ちており、今回復刊されて初めて読み、瞠目した。
広瀬正『マイナス・ゼロ』(集英社文庫・復刊)
タイムマシン、タイムトラベルものはH.G.ウェルズ以来たくさんあり、「親殺しのパラドックス」(過去に戻って、自分が生まれる前の親を殺してしまったら自分はどうなる?)や「パラレルワールド」(今現実だと思っている世界とは分岐した別の世界が並行して存在する)など、相対性原理等学術的な問題もからんでつきつめると頭が混乱してくるのだが、『マイナス・ゼロ』はタイムトラベルの「ズレ」が生み出すドラマを実に巧みに表現していて秀逸。たしかに「日本人によって書かれたタイムトラベル小説の最高傑作」(啓文社コア福山西店・三島さん)」
昭和20(1945)年、昭和38(1963)年、昭和7(1932)年が交錯する。
藤田敏八(『八月の濡れた砂』/1971等)はこの作品を映画化しようと企画したが、小説で活写されている昭和7(1932)年の銀座を再現するには、今の『Always 三丁目の夕日』(監督・山崎貴)で駆使されたようなCGやVFX(ビジュアルイフェクツ)技術の無い時代、コスト的にとても無理であり断念せざるをえなかったという。
今だったらできるのでは?どうよ、山崎貴さん。
この小説で面白いのは昭和7(1932)年の東京、世田谷梅ヶ丘という設定。
この年、旧東京市(現都心)の人口を周辺郡部の人口が上回り、合併して大東京市(人口500万)が誕生する。
しかし同書の中で引用されている当時の『アサヒグラフ』によれば、「東京市」に組み込まれたその頃の世田ヶ谷はこんな具合。
私の勤める多摩美世田ヶ谷上野毛キャンパスができるのもまだこれから3年後。
「野原がある、畠がある、田もあれば、林もある。これから市内という以上、もちろん人家も、町もあるにはある。ただ、撒きちらしたように点在する住宅であり、電車の沿線に細長くならんでいる町だ。
駒沢、世田ヶ谷両町に玉川、松沢両村が一緒になって出来たこの区は、11.734.698坪という膨大な面積。その中で元から町の形態を具えていたのは、わずかに玉川電車線路を中心とする世田ヶ谷町だけで、その他は、小田急、京王電車、目蒲電鉄二子玉川大井町線の駅々を中心に出来上がった新市街、新住宅地だ。
…
要するにこの世田谷区は今のところ田園が主であり、都市は従である。田園都市!そうそうこの田園都市という名称は何と、この区にぴったりとあてはまるではないか。従って、世田ヶ谷町の一部を除くほかは、すべてこの区に住む人々は田園の憂鬱と田園の喜びを味わっているといって間違いない。
ともあれこの区は、従来の市内という観念からは遙かに遠い区、したがってこの区に住むマダム連が、これまで口にしていた”一寸東京まで買い物に”という言葉を忘れるまでには相当の月日を要するであろう」
8 27, 2008 14.読書三昧, 16.都市・住い・インテリア・暮らし | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
週刊文春8月28日号の愛読連載、小林信彦「本音を申せば」に、夏の終わりで思い出す歌のことがいろいろ書かれてある。
シナトラやサラ・ヴォーンが歌った「ニューヨークの秋」(ヴァーノン・デューク作詞作曲)。
ペギー・リーやパティ・ペイジが印象的なヴィットリオ・デ・シーカの名作『終着駅』(1953)のテーマ曲「ローマの秋」…等々。
そして日本では「砂に書いたラヴレター」として知られている歌。
もともとは1931年に作られたバラードだが、映画『バーナディーン』(1957)でパット・ブーンが歌いミリオンセラーになった。
パット・ブーンは、当時人気を二分したエルビス・プレスリーの、親たちが眉をひそめる「良くない音楽」とは対照的に、いかにもその頃のアメリカのTVホームドラマに出てくる行儀正しい中産階級好青年のようで、甘い歌声が魅力的だった。
で、「砂に書いたラヴレター」だが、原題は「Love Letters In The Sand」
訳詞も自分でやっていたディック・ミネ(1908~1991)は、戦前「恋の砂文字」として歌った。
戦後日本での邦題は「砂に書いたラヴレター」であり、最初のフレーズは「今日のようなあの日、ぼくたちは砂にラヴレターを書いたね」となっている。
しかしこれは誤訳だろうという。
砂の上に何通もラヴレターを書いているわけではない。
正しく訳せば「砂の上のLoveという文字たち(Letters)」
砂浜に「Love」という文字を描き、波がそれを洗い流し、また描き、また消され…という Lost Love の情景と心象を歌ったものなのだ。
8 25, 2008 01.私の好きな鎌倉の風景, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 13.音楽の楽しみ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
進学相談会では、合格入学者の入試参考作品も展示してある。
しかしどうも見ていると応募希望者たちは、設問をほとんどろくに読まず、作品ばかり見ている。
相談会でいつも言っているのだが、私たちは、設問をある意図のもとに出しており、それぞれの受験者がそれをどう捉え考え応え、造形表現しているかをまず第一に見ているのだ。
そのことを抜きに合格者の作品だけ見ていても、表面的な造形美や見かけの新奇さなどの「この程度ならいいのだろう」ということしか目に入ってこない。
これまでの入試参考作品集には「出題の意図と評価のポイント」が書かれているからそれをしっかり読んで理解してほしい。
24日(日)も10時から4時まで開催
8 23, 2008 11.教育と学びのデザイン | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
札幌から福岡まで開催されてきた最後、東京での進学相談会が多摩美術大学上野毛キャンパスで行われます。
日時:8月23日(土)24日(日)
10時〜4時
場所:多摩美術大学上野毛キャンパス
(東急大井町線上野毛駅徒歩3分)
専任教員による進学相談、入試合格作品の展示などの他、デザイン学科では、学生作品の展示、コンピュータを使ったグラフィック、活字組版活版印刷のちょっとしたワークショップなどを企画しています。
ぜひお越しください。
8 21, 2008 11.教育と学びのデザイン | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
幕末、安政2(1855)年の「安政大地震」によって、江戸の街はなぎ倒され、深川一帯も「町が平べったく」なる。
「大事な摺り物なら、釜田屋さんに頼むのが一番」といわれた「版木彫りと摺りを請け負う老舗」深川冬木町の釜田屋岩次郎は妻子も腕利きの職人たちも失った。
岩次郎は失意の中から、思案を重ね、翌年、生き残った番頭や職人頭たちを集めて宣言する。
「摺り注文を待つのではなく、みずからの力で摺る瓦版の版元になる」
今でいうなら印刷屋から新聞社になるというようなもの。
しかも今までにないような瓦版「早刷り」ーその日のうちにその日の出来事をまとめ、翌朝には摺り上げてあちこちで売り出す。
だれよりも早く、そして子細に正しく伝えること。
瓦版として前例のない桁違いの一日二千枚、それを毎日続ける。
ここから発行までの半年間、悪徳商売敵、貸し証文を買い取り佐渡の人足に売り飛ばす証文屋、悪評高い改悪金貨を瓦版を使ってイメージアップさせ出世をもくろむ旗本とそれとつるむ大店の主、等々さまざまなからまりがあるのだが、若い頃から取材・ライティング、編集デザイン、製版・印刷の世界に関わってきた私にはこの早摺りを実現するための手だてを考え作り上げていき、職人たちがそれに応えていくさまがたまらなくおもしろい。
まず「耳を澄まし、鼻を効かせて、四六時中おもしろい話しを拾って歩く」「耳鼻達(じびたつ)」と名付けた物書きたち。
集める記事は出来事だけではない。土地の名物や美味いものにも目を配る。
似顔や情景を描く絵描きも同行する。
取材・インタビュー記者とカメラマンだ。
この頃の江戸は、武家・僧侶が50万人、町人が58万人ほどで100万人を超える。
武家・僧侶は読み書きできるが、岩次郎は早刷りの上得意になるだろうなのは町人、それも店子ではなく日銭を稼ぐ職人や長屋の女房連中と見定めている。
彼ら、彼女らは読み書きに長けているとはいえない。
したがって次は読みやすくする工夫。絵や絵文字、ひらがなを多用する。
広目(広告)集めの者たちは大店、湯屋、料理屋等に散る。
1日2000部が10名に回し読みされたら2万の人に伝わる。
使っている土佐紙はものを包むのにも使え、開いたときにはまた広目効果がある。
耳鼻達が集めてきた原稿をまとめる。絵描きが挿絵を添える。
仕上がった原稿と絵は「枠切り」に回される。
暮れ六つ(午後6時)頃だ。
文字を読みやすくするために早刷りのサイズは従来より大判の菊判半切(はんせつ)四つ切り(318 x 234mm)。
下部の広目(広告)枠を除き、一段12文字30行が五段、すべてを文字だけで使えば一日分に使える文字数は1800字。
しかしすべてを文字に使えるわけではない、大見出し、小見出し、そして挿絵の分も必要だ。
それらを按配するのが「枠切り」職人の仕事。見出しも彼らが考える。今でいう整理や編集レイアウト。
真夜中を過ぎて「枠切り」が仕上がる。
岩次郎が赤摺り大見出しにチェックを入れる。先の早刷りで放火犯の似顔絵を載せ、それがもとで犯人が捕らえられたのだ。
「下手人にお縄が打たれた」
しばし思案し朱を入れる。
「下手人、御用だ」
「枠切り」職人が描いた「按配絵図」(レイアウト指定)にそって、本文文字を彫るのに長けた「段彫り」職人が版木を彫る。
絵や大見出しはまた別の彫り職人が担当する。
彫りから摺りへ夜鍋仕事が続く。
岩次郎は名刹本堂の大法会でも使わないほどの量の特注ろうそくを用意し、職人たちの手元は昼間と変わらぬほど明るい。
「ろうそく代がどれほど高額かは、職人たちのだれもが知っている。言葉ではなく、明るさで岩次郎は職人たちを励ました」
朝方摺り上がった早刷りを20名の売り屋たちが100枚ずつ持ち、四つ(午前10時)の販売開始に向けあちこちに散る。
待ちかねた人々の間であっという間に売り切れる。
どこそこの町で元気な双子が生まれた、こういうことは皆で祝おうじゃねぇか。
それなら弔いもあるぜ。
広目に特典を付けて持って行けばなにかいいことがあるようにすれば…。
アイディアが拡がる。
圧倒的な人気を誇るようになるが岩次郎は一人勝ちはよくないと考える。
せめてもう二つは競合相手があり、それぞれが個性的な紙面を作ればもっと活気が出る。
岩次郎だけでなく、まっとうな商人や職人たち、船頭などの器量と人格、矜持と気配りがすがすがしい。
8 19, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「コンビニ(Convenient Store)」は日本全国に今や4万店超ある。
大量生産・輸入ー流通ー安価な販売、利便効率第一という現代日本社会の縮図。
人がある程度まとまって住んでいる地域で無いところなどないほど普及している。
こんな異常な国は世界で日本以外にはない。
著者は1968年生まれ。高校1年からスーパーで、大学に入ってコンビニでアルバイトを続け、コンビニ業界に深く興味を持ち、以降、一般従業員、店舗マネジャー、店長代行、オープニング店舗指導員、不振店再興指導などに携わり、現在は4店舗を経営している。
「私はコンビニの売場が好きだ」
著者は1日平均13時間働き、そのうちの半分は「レジ」に入り、1日1,000人のお客と応対する。
この本はしかしコンビニの業界本ではない。
コンビニは、日本人が最も緊張から解放されリラックスできる空間になっている。
職場や家庭、世間での煩わしいつきあいの気苦労から離れ、そこでは自由気ままに振る舞えるかのように思われ、だからこそここを通して現代の日本人の本音、本性が現れる。
コンビニのレジで、「毎日、人間の、日本人のシャワーでも浴びているような」20年以上にわたる経験と観察から、コンビニ自らがお客の「もっと便利に」という「わがまま」にひたすら応える形で成長してきた自戒をふまえた上で見えてくる「今の日本人は、明らかに失くしてはいけないことまで失くしつつある」状況に警鐘を鳴らし、真っ当な社会になんとかしたいという願いを込めた本なのだ。
第1話「日本人は『コンビニでは何をしてもいい』と思っている」から、店頭ゴミ箱の悲惨な状況、店舗にとってはもうメンテ負担が限界に達している公衆便所以下にしか思われていないトイレの汚しようの惨状、従業員を「人」とは思わず「声を出さない」日本人、すぐにキレ、ストレスを従業員に発散する人々、子どものような親に育てられ買い物のマナーも躾けもできていない子どもたち…。
現場を知らず、矛盾難題は個別店舗に押しつけ「善悪」ではなく「損得」勘定だけのフランチャイズ本部。
一方で「ワタシ、アイサツトカ、キライナンデス」という女性従業員。
「えぇー、廃棄(廃棄食品)食べられなかったら意味ないじゃないすか」という応募者。
商品を運んでも力加減の分からない若者たち…。
ほとんど末期的というしかない状況の中で、しかしコンビニを愛する著者は訴える。
「コンビニから日本を変えよう!」「コンビニから日本を良くしよう!」
政治家や有名人の発言より、日々の買い物での態度、習慣の方が人間のあり方に与える影響は大きく深いと著者は考える。
商人はお客に対する教育者でもある。
親と学校の先生以外に、子どもにあるべき買い物の態度を教えられるのは、商人しかいない。
その誇りを持ち、日々毅然として、お客のひどい態度を変えていく勇気を持たねばならない。
そのための具体的な第一歩はお客への声掛けの徹底。
「いらっしゃいませ」「こんにちは」
「ありがとうございました、またお越しください」
まったく当たり前のことだが、全国で80万名は優に超えるだろうコンビニ店員がこれを徹底したら何かが変わるだろう。
私たち利用者にとってはたった一言でいい、心のこもった「ありがとう」から始まる。
悪循環のなかのマニュアル通りの投げやりなバイト従業員の心の中の何かが溶け、私たちの心の中のこれでいいのかという何かが変わるかもしれないではないか。
8 16, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
写真は札幌・北大植物園の桂の葉。葉がハート型。
歳を重ねると、青春期に繰り返し読んだ詩をとつぜん想い出したりする。
友人が八木重吉の詩を引用していたので、高校生の頃よく読んでいた彼の詩を思い起こす。
その詩集はとっくに手元には無いが、たぶん緑色の函入りの『定本八木重吉詩集』(弥生書房/1958)だっただろうと思う。
貫ぬく 光
はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです
ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福れ(いわわれ)ながら
『八木重吉全詩集1』(ちくま文庫)より
現在の東京都町田市1898年生まれ。キリスト教の洗礼を受けた後の詩作はわずか5年間。結核で1927年、29歳で夭逝。
故郷町田市に八木重吉記念館がある。
8 14, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 18.花・木・野菜・生きものたち, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
Google Map「ストリートビュー」の東京圏サポート道路。
Google Mapを開いて、青い線になっている道路がサポート。
先日訪れた札幌美術学園(学園長・笠井進)の住所を入力し、「ストリートビュー」で見たところ。
Google Mapの「ストリートビュー」の日本撮影版の提供が始まっている。。
ストリートを車から撮影し、Flashというソフトウェアで360度パノラマで、また上を見上げるようにも見ることができる。
Google Earthの衛星航空写真とはまた違うおもしろさ。
もちろんNYなどアメリカから始まり、アメリカの大都会は路地をほとんどカバー。
世界的に見ると、ヨーロッパはまだフランスの一部だけ。
南米、アフリカも未。オーストラリアがなぜかかなり進んでいる。
アジアでは日本のみ。
日本では今のところ、東京、横浜、鎌倉などを中心に、北は小樽、札幌、函館、仙台、西は京都、大阪、神戸など(なぜか名古屋圏はまだ)。
鎌倉長谷の私の自宅マンションも脇道にあるのだが撮っており、横から住民が自転車で出てくるところが写っている。
Partnerの雪ケ谷の実家の建物も、私の生まれ育った本郷西片の家や街も確認できる。
プライバシー等のため、人の顔はシステム的にぼかされている。
その他にも見られなくなっているポイントや不自然なぼかしもあちこちに入る。
それらの作業を軽減するためか、銀座、渋谷、新宿、六本木など繁華街の人や車が日照から見て昼間なのに異常に少ないのは違和感を覚えるだろう(渋谷ハチ公前交差点は陽射しから早朝出勤時前かもしれないが)。
しかし人や車を消して埋める画像処理の手間もたいへんだと思うが。
日本、オーストラリアの画像品質は、アメリカ、フランスに比べて劣る。
と、いろいろあるが、これからのサポート拡大が楽しみ。
8 13, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
炎天下の鎌倉駅周辺に用事があり、蒸し暑さに頭がクラクラする。
冷えたマッコリと水冷麺(ムルレンミョン)。
「鎌倉韓国館」冷麺の過去記事
8 13, 2008 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
11日の鎌倉花火大会。
今年は60回目を記念して1000発多い4000発。
さしかかった月が花火と並び、ときに大輪のなかに浮かぶ。
ここ数年そうだが、弱い海風で、フィナーレの仕上げは煙にかすむ。
鎌倉花火大会・過去記事
8 12, 2008 01.私の好きな鎌倉の風景 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
鎌倉花火大会の後で。
さすがに一度に15名以上という来客は狭い我が家では無理だな。
卒業生や学生たちと。
花火大会後・過去記事
8 12, 2008 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
鎌倉を中心にビーチコーミングで集めたもので創作された飾りや照明。
材木座のビーチカフェ「Asia」で13日まで展示。
ビーチコーミングの過去記事
ビーチコーミング学1
ビーチコーミング学2
ビーチコーミング学3
ビーチコーミング学4
8 10, 2008 01.私の好きな鎌倉の風景, 10.美術工芸 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
札幌・北大植物園博物館のタロの剥製。
樺太犬タロは1955(昭和30)年稚内でジロなどと生まれた。
56年、日本から初の第一次南極観測隊が南極観測船「宗谷」で出発し「犬ぞり」用として22頭の樺太犬が選抜されタロ、ジロも入っていた。
58年、第二次越冬隊が天候の悪化で昭和基地に到達できずに引き返し、交替を待っていた第一次隊員たちは重量が限られた小型機で宗谷に帰還できたが、15頭の犬たちは首輪でつながれたまま残された。
次の第三次越冬隊の派遣までは1年間あり、犬たちの命は絶望的というしかなかった。
ところが翌59年1月、昭和基地に到達した第三次越冬隊がタロとジロが生存していることを発見する。
おそらくはアザラシの糞やペンギンを捕獲して生きのびたと推測されている。
ジロは60年に昭和基地で病死。
タロは61年に帰国、北大植物園で愛されて飼われ、70年老衰で死亡。享年14。
1983年、高倉健、渡瀬恒彦、夏目雅子など出演の映画『南極物語』が公開。
2006年にはディズニーが『Eight Below(邦題・南極物語)』としてリメイク。
いずれも人間にとっての美談仕立てだが、星新一は、ペンギンの立場から見たらどうかという観点から『探検隊』というショートショートを書いている(『ようこそ地球さん』収録)。
現在、生態系保護のため、南極に外来生物は持ち込めない。
8 8, 2008 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
札幌駅JRタワー展望室に昇ったのは札幌の東京と変わらないビルだらけの風景を眺めるためではなく、五十嵐威暢先生の『山河風光』(2003)と名付けられた壁面作品を実際に目にし、触ってみたかったからだ。
高さ3メートル、幅約12メートルにわたり、T38(展望室・高さ160m)の西側壁面にしつらえられた(観光客はみなエレベーターを降りると外の景観に目を奪われてなかなか気付かないが)テラコッタの作品は、太古からの自然の営みのなかの多様さと雄大さと暖かさとが見事に表現されていて感動する。
そっと指でなぞってみると、テラコッタの自然なぬくもりと、まだ文字を持たなかった時代の人々の表現に通じるものが伝わってくるような気がする。
8 8, 2008 10.美術工芸, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
札幌・北大植物園(北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園)の博物館で、エゾオオカミの剥製と向き合う(世界でここにしかない)。
エゾオオカミはシベリアオオカミの亜種と考えられニホンオオカミよりはるかに大きい。
写真では大きさがなかなか分からないだろうが、奥の雄は体長129cm、手前の雌が120cmで、大型シェパードをさらにひとまわり大きくしたぐらいで体重も60Kgを優に超えるだろう。顔(頭骨)も大きい。
エゾジカを基本的な食糧とし、先住民アイヌの人々は「狩りをする神」「鹿を捕る神」として畏敬の念を抱き、共存していた。
しかし、明治政府になり「松前蝦夷地」から「北海道」と名付け変え「開拓」を進め、毛皮と肉を求めてエゾジカを激減させた結果、彼ら(エゾオオカミ)は、開拓民が持ち込んだ牛馬を襲わざるをえず、それに対し徹底駆除方針のもと、お抱え外国人エドウィン・ダンが劇薬ストリキリーネを罠生肉にしこんだり、懸賞金までかけ、犬とともに持ち込まれたジステンバーの流行もあいまって1900年頃には絶滅する。
宮崎駿『もののけ姫』の巨大な白狼という設定もおそらくはそれらを念頭に置いている。
8 7, 2008 18.花・木・野菜・生きものたち, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
毎日のように由比ガ浜を歩いていて本当にゴミが多いと感じる。
海草に混じって、ポリ袋、空き缶、使い捨てライター、魚網、発泡スチロール容器…。
由比ガ浜は今「海水浴場」シーズンだから、毎日「回収」「清掃」され、それでも少ない方なのだ。
江ノ島の片瀬海岸東浜では海岸清掃用の特殊車両が毎日のように早朝活動している。
7月に刊行された『海はゴミ箱じゃない!』(眞淳平/岩波ジュニア新書)を読むと、日本中の海浜と海底がゴミ箱のようになっていることがわかる。
「世界自然遺産」に指定され国立公園特別自然保護地区として厳重な管理下にある北海道知床の海浜は、日本海の対馬海流に乗り、宗谷海峡を抜けて回り込み、親潮に押し流されて漂着した大量のゴミが堆積し、その上をヒグマが歩いている。
沖縄西表島の美しいマングローブの汽水域には満潮で押し上げられ引き潮でひっかかった発砲スチロールのフロートやペットボトルなどが散乱する。
閉鎖性の強い瀬戸内海は底引き網を上げるとゴミだらけ。
海浜の人工ゴミの8割は様々な流れに乗って漂着するもので、回収しても切りが無く、数十年前こんなことは想定されていない時代に作られた法律のもとで行政も効果的な手を打つすべも財源もない状況が続いている。
これらのゴミはどこから来るのか。
ほとんどが街から川へ流れ、海へ、そして打ち上げられるものなのだ。
川辺での不法投棄物が流されるというようなものもある。
山奥から発した川はすべて海に注がれる。
だから海に面しない内陸の街や人たちも無関係ではまったくない。
国内だけでなく、台湾、中国、韓国などからのものもたくさん。
遠い南の島から打ち寄せられたヤシの実に叙情を感じているような時代ではもうなく、危険なものも少なからずある。
集魚灯、蛍光灯、危険物が入ったポリタンク、注射器等々。
覚醒剤が残った注射器も見つかっている。
今年1月から3月にかけて、沖縄から北海道までの広範な海浜に、海苔養殖などで使用する硫酸、塩素系漂白剤など取り扱いが危険な薬剤が入った4万個にものぼるポリタンクが韓国から流れ着いた。
これらは善意の素人が安易に回収・廃棄できるものではない。
木の枝や海草類など自然に還るものはいい。
人工ゴミの中で一番やっかいで、由比ガ浜でも目立つのがプラスチックだ。
「国際海岸クリーンアップ(International Coastal Cleanup)」(ICC)が1990年に日本でも始められて以来2007年までのデータを総計すると、回収されたゴミの8割がプラスチックなのだ。
プラスチックは石油を原料として人工的に合成された高分子物質。
軽くて強い、腐ったり錆びたりしない、絶縁性に優れている、着色が容易、大量生産・加工が可能なため、20世紀最大の発明のひとつといわれ、『生きのびるためのデザイン』『地球のためのデザイン』などで知られるナチュラル・デザインのヴィクター・パパネックでさえ期待を寄せてしまった。
プラスチックといっても種類は多種。
レジ袋などに使われるポリエチレン(ポリ袋)、食品トレイなどのポリスチレン、カップ麺などの発泡ポリスチレン、ペットボトルなどのPET=ポリエチレン・テレフタレート、ダイオキシン問題で知られるようになった塩化ビニール等々。
現代の私たちの生活の中で、電化製品、日用品、食品容器、包装などから住宅建材、乗り物、産業用資材にいたるまで、プラスチックは広く奥深く入り込んでいる。
この半世紀でのプラスチック生産の急激な増加は驚異的だ。
1960年(日本) 55万t(世界全体)530万t
1980年(日本) 750万t (世界全体)6000万t
2007年(日本)1300万t (世界全体)2億万t
プラスチックは埋めても焼却しても自然には還元しない(『人類が消えた世界』にも記されていたように何千万年かかけてプラスチックを自然元素に還元できる微生物が進化でもしない限り)。
これまでの通算で30億tを優に超えるプラスチックが生産され、海を含む地球環境にばらまかれている。
こうした生産ー消費ー廃棄の変化が「30年前には考えられなかった」ような大量な還元循環不可能なゴミを産みだしているのだ。
海へ流れ込んだプラスチックは生態系にも深刻な影響を与えている。
直接の場合もある。
ウミガメの胃の中から出てきたプラスチックゴミの集積、コアホウドリという海鳥のヒナ3羽の胃の中にあったプラスチック類の写真は衝撃的だ。
砕かれ微細となった無数のプラスチックは回収不可能であり、1000分の数ミリというプランクトンにも吸収されている。
プラスチックを吸収した植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、小魚がそれを食べ、大型の魚や海洋性哺乳類や鳥が食べ、ヒトがそれらを食べる連鎖のなかで、排出されないプラスチックや、まだ判明していないものも含めてプラスチックに吸着した生殖不全を引き起こす環境ホルモンが濃縮される。
日本は国内ゴミにより自分で加害者であり被害者であり、海外からのゴミの被害者であるとともに、同時に海外への加害者でもあることも知らねばならない。
日本国内から海に押し出されたゴミは海流に乗り、はるかハワイ諸島のミッドウェー環礁などに流れ着く。
上に述べたアメリカの研究者から提供されたコアホウドリのヒナ3羽の胃の中からは、80個以上のプラスチックゴミが出てき、合成洗剤やマヨネーズのフタ、サインペンなど多くの日本製品が検出された。
羅臼沖海底のゴミの山、ペットボトルのフタを「宿」にするヤドカリ、河口のゴミのため遡上できないまま死んでいく鮭、ゴミを避けながら浜にあがり、月明かりではなく海沿い道路の自動販売機の明かりをめざしてしまうウミガメ、魚網がからみついたウミガメやアシカ、深海探査船「しんかい6500」が水深6270mで撮影した海底のマネキンの首の写真などをみながら、何を知り、何をすべきかを考えるためにー
JEAN/クリーンアップ全国事務局
散乱ゴミの調査・クリーンアップを通じて海や川の環境保全をおこなっている環境NGOサイト。
漂着ゴミに関する情報、全国200カ所以上で行われる国際海岸クリーンアップ(ICC)の案内やデータ、豊富なリンク。
かながわ海岸美化財団
サイト内の「ボランティア清掃カレンダー」というコーナーで、神奈川県内の海岸清掃活動を紹介。
また自分たちのグループで清掃しようとする際に、道具の貸し出し等サポートもしてくれる。
『海ゴミー拡大する地球環境汚染』(小島あずさ・眞淳平/中公新書)
『プラスチックの海ーおびやかされる海の生きものたち』(佐尾和子・丹後玲子・根本稔編/海洋工学研究所出版部)
8 2, 2008 14.読書三昧, 28.それってどうなの鎌倉, 31. 「不都合な真実」をデザインする | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
1990年頃、鎌倉・佐助の谷戸奥の古い貸家に住み、その上のもう人家もない尾根下に思いがけず広がっていた荒れ放題の空き地を見つけて、まあ勝手に「開墾」し、野菜とハーブを少しずつ試していたとき以来の最良の指南書が、この『新版 農薬を使わない野菜づくり』(徳野雅仁/宝島社)。
それ以来、無くしたり買い直したりで、もう何冊か目になる。
(他にも同著者で『自然流家庭菜園のつくり方』/宝島社・『無農薬自然流野菜づくり』/ひかりのくに)等。
著者はもともとイラストレーターなので、発芽から成長、収穫までを実際のサイズでリアルに描いていて楽しい。
無肥料、無農薬、無耕転、そして「雑草」と共生させること、組み合わせた混作や輪作により、土壌は年々豊かになり、虫が多くいてもそれらを捕食する虫も多いので「虫害」は発生しない。
実際「開墾」をこの方法で始めて2年ほどで土はフカフカになり、長い棒を突きさすと、抵抗なく1m50cmほどは沈んだ。
植物の根やミミズや膨大な微生物たちが、自然に土を豊かなものに変えてくれているのだ。
こうした土の地下10cmほどのところには、ほんのスプーン小さじ1杯ほどの土に数億の微生物が含まれており、すべて他の世界と連関し、循環しあっている。
農薬、化学肥料、遺伝子操作等人間が創り出したものはこうした連関と循環を断ち切り、自然世界の一環でありながら目先の経済効率のためにそれらに頼っている人間たちのあさましく未来がない姿を浮き彫りにしている。
たとえほんの畳一畳ほどの土でも、ベランダのプランターでも、キッチンの窓辺でも、一日3時間ほどの日照でもいい。
これらの不断な自然の日々の営みを観察し、実感し、驚き、楽しみ、収穫し、味わい、感動し、学ぶことは必ずできるしやってみてほしい。
あなたの人生の転機になりうる。
8 1, 2008 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)