『ALWAYS 続・三丁目の夕日』
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(監督・山崎貴)を観る。
前作『ALWAYS 三丁目の夕日』のときにも書いたが、原作者の西岸良平は私と同じ1947(昭和22)年生まれで、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の舞台である1959(昭和34)年春の東京で私も淳之介や一平と同じく小学6年生になった。
がむしゃらな高度成長に突っ走り始める直前、すでに「戦後は終わった」とはいえ、まだまだ貧しく生活はつつましく、また子ども心にも世の中の貧富の差は見えていた。
漱石が三四郎を書いた西片町(現・文京区西片)の高台の家の近くに住んでいたが、小石川の小学校(東京学芸大学附属竹早小学校)へ行く途中では、坂を下ると八千代町のごみごみした長屋が建ち並び、『太陽のない街』(徳永直)に描かれた白山下の労働者街が当時の面影をまだ残し、原っぱや防空壕の跡などがあちこちにあり、同じく西片に邸宅をかまえる企業の社長の息子と柳町の粗末な家に住むその社長の運転手の息子が同じクラスにいたりした。
たまの日曜日、おめかしして都電に乗り、日本橋三越の食堂でお子様ランチを食べるなどというのが最高の贅沢だった。
スタッフやキャストのほとんどがこの時代を実際には知らないようだが、エンディングで描かれているように、日本橋の川沿いには、今御茶ノ水の一角に名残をとどめているような民家とも事務所ともわからない木造の家が連なり、22番の都電が走る、まだ東京の空が広かった頃の夕景は私のデジャビューとして確かなリアリティと共にある。
キャストが皆いい。
淳之介(須賀健太)にまた、そして今回はなによりヒロミ(小雪)に泣かされる。
11 4, 2007 12.写真・映像・映画・演劇 | 固定リンク
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