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2007年10月23日

『東大全共闘1968-1969』(渡辺眸/新潮社)

「空気感」ということばがいつの頃からか安直に使われるようになった。
最近のカンヌ映画祭でも、キミがいるトコじゃないだろという感じのキムタクが「カンヌならではの空気感」などとしゃべっていた。
要するにきちんと言葉で述べる能力がないことを糊塗(う〜む、「糊塗(こと)」=一時しのぎにうわべをとりつくろうこと、が変換で出てこないとは)するのに便利。

ついでながら、ガンダム世代以降の「世界観」ということばの使われ方も同様。
私が学生の頃は、哲学、歴史、宗教、社会思想、文学、芸術論等とそれなりにきっちり向き合ってからでなくては「世界観」などというのはとても恐ろしくて発せられない言葉だった。
どうということもない独りよがりの作品を見せられて「私なりの世界観を表現してみましたぁ」なんて言われてもなぁ。


渡辺眸(ひとみ)さんは、一度社会人となったあと写真専門学校で写真を学ぶ。
新宿の街を撮るうち、68年10.21「国際反戦デー」のいわゆる「新宿騒乱」に遭遇し、また友人のデザイナー山本美智代さんの夫が山本義隆だった(いうまでもなく東大全共闘議長になる)こともあり、東大闘争に関わる。

彼女は1968年初秋から、「解放区」となった安田講堂のバリケードに寝泊まりし、事件性を追いかけるマスコミジャーナリズムとは異なり、山本義隆が寄稿している文にあるように「東大全共闘の闘争を長期にわたって内部から撮影した唯一のカメラマン」となる。

連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして仆れることを辞さないが
力を尽くさずして挫けることを拒否する

という落書も彼女の写真により有名になった。

体育会系のスト破りどころではなく、古田会頭につながる右翼が抜き身の日本刀をふりかざして殴り込んでくるような苛烈なバリケード戦を闘ってきた日大全共闘3000名が、神田三崎町のキャンパスから無届けデモで機動隊の壁を突破し(隊列の外側のものはほとんど銀ヘルの下で血を流していた)、安田講堂前広場「11.22 東大=日大闘争勝利全国学生総決起大会」に合流してきたときの「闘争、勝利!」のうねるような地鳴り、連帯の歓声…。
そして一転してたんたんとしたバリケードのなかの日常…。

彼女が写し撮り、私もなにがしかを共有した時代の「空気感」がここにある。

10 23, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ |

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