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2007年08月31日

由比ガ浜 Summer Ending

「海水浴場」「海の家」も今夕で終わり。

毎日Micに声をかけてくれた海の家や沖縄そば屋台のおねえさんたちも、タイカレーのお店犬タラコちゃんも、Beach Bar「Malibu」の大将たちも、また来夏までさよなら。

8 31, 2007 06.私の好きな鎌倉の風景 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月30日

バングラデッシュを想って

由比ガ浜でT-Sideのシャウンと出会い、彼の家族とリトル・タイランドで。

シャウンも地球温暖化と故郷バングラデッシュの行く末を深く案じている。

バングラデッシュはガンジス河デルタ低地が大部分を占め、2004年の水害では国土の2/3が大被害を被った。
海面上昇ではすぐさま影響を受ける。

今日みたNHKの番組で、バングラデッシュの子供たち(実に生き生きとしたいい目をしている)が、防災訓練を見て「生き残る方法が分かったよ、”サイクロン・センター”に行けばいいんだね」とうれしそうに言っていたが、映し出された粗末なコンクリート2階建てのその避難所は村人の10分の1も収容できない。また、カトリーナ級の暴風サイクロンが来たらひとたまりもないだろう。


小学3年のモネッサ(アラビア語で「妖精」)ちゃんと1年生のラビーザ(同じく「太陽」)ちゃん。

8 30, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | | コメント(0) | トラックバック(0)

ラングドックの駅舎アート

マルセイユからバルセロナへ遅延と乗り継ぎ不能で明け方まで12時間半の旅となった途中駅、たしかモンペリエ(Montpellier)とナルボンヌ(Narbonne)の間だと思う。すでに二人とも疲れ切っていて駅名も確認できなかった。

南仏ラングドック(Languedoc)の土地の人々や街の風景が針金細工で駅舎の壁に浮かして付けられ、暖かい照明で陰影を刻む。

8 30, 2007 10.美術工芸, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月29日

チーズの楽しみ

ヨーロッパを旅していると、その土地土地のさまざまなチーズに出会えて楽しい。

日本のように世界中から輸入販売しているわけではなく、その町の周辺や地方で作られているものばかりだ。
またアメリカや戦後日本のように配合、加熱溶解して工業的に作るプロセスチーズではなくナチュラルチーズがもちろん中心。

大きな塊から好きな分量を言って切ってもらうこともできる。
少食の私たちはホテルでその土地のパンとチーズとワインという食事もけっこう重ねた。

フランス、リヨン(Lyon)のチーズ売り場で。

8 29, 2007 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月28日

さらば Excel !

仕事上、Word、Excel、PowerpointなどのMicrosoft製品を使わざるをえないことがあるが、Microsoft社の企業ポリシーが大嫌いなのでWindowsを含めできるかぎり使いたくない。

Wordなどという気持ち悪いワープロソフトは、それで作られた文書を読まざるをえないときを除いて一切触れたくない。

単なる文章物ならTextEditで十分、グラフィックを含むペラ物ならAdbe Illustrator、本格的なページ物ならAdbe Indesign、プレゼンテーションツールとしてはPowerpointなどよりAppleのKeynoteの方が断然優れている。

唯一残っていた領域がスプレッドシート(「表計算ソフト」というにはすでに狭すぎるが)だった。昔はLotus123など対抗馬もあったが、姿を消しMicrosoft Excel一色になって久しい。

しかし、Appleの「iWork'08」(Pages'08・Numbers・Keynote)の「Numbers」が出て、ようやくExcelにおさらばできるのが実にうれしい。
旧Excelデータも特殊な設定を除いて読み込める。

Mac的で直感的なインターフェイスでどう使うか試行錯誤するのが楽しい。

8 28, 2007 09.ネットワーク・コミュニケーション, 23.日々のなかで | | コメント(3) | トラックバック(0)

2007年08月27日

今朝のおはよう-84 ヤツガシラ

6月頃苗を購入したときは20cmくらいだった庭の水盤に植えたヤツガシラ(八頭)がぐいぐい伸び1mほどになっている。

サトイモの一種で、普通のサトイモに比べて水分が少ない。
関西では正月の雑煮に入れ、おせち料理に欠かせない。

サトイモ類の葉柄は「芋茎(ずいき)」と呼ばれ食用になる。
加藤清正は熊本城築城のおり、畳の床を干しずいきで作り、籠城に備えたという。


芋の葉の八方むける日の出かな 石田波郷

あの人が来る里芋を煮ています 片山芳子

山暮し気安しと干す芋茎かな 松崎鉄之介

いもの葉に置く白露のたまらぬはこれや随喜の涙なるらん 夢窓疎石

8 27, 2007 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月26日

由比ガ浜晩夏

8月最後の日曜の由比ガ浜夕暮れ。

昨夏よくMicと遊んだビーチバー「Malibu」の文太くんは、7月初め鎌倉に電車で連れてくる途中で熱中症のようになり死んでしまった。まだ1歳半だった。

もう夏も終わりだぁ、とタヒチアン・ダンスショー。

8 26, 2007 06.私の好きな鎌倉の風景 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月25日

鈴虫とMic

鎌倉の路地を夜歩くと、鈴虫の鳴き声があちこちの庭や草陰から聞こえるようになってきた。

前もらった幼虫を死なせてしまい、あらためてHeartsease(ハーツイーズ)からもらい受けた鈴虫も鳴き出す。

ふつう鈴虫の鳴き声は「リーン」と言われるが、一匹ずつをよく聞くとちょっと違う。
初めの「リー」は清澄だが、その後はルズルズというような低い摩擦音になる。
たくさんがいっぺんに鳴いていると、その摩擦音が通奏低音となり、その上に「リー、リー」が響きあう。


Micはスピーカーから流れる音(映像もだが)にはまったく興味をしめさない。
TVでいくら犬がワンワン吠えていても、そんなのはヴァーチャルなものさと思っている。

が、生の音にはとても敏感なのだ。
高いところに置いておいた虫籠で鈴虫が鳴き出すとむくりと起き上がり、ん?何だ何だどこだどこだとリビングをせわしなく駆け回り耳をすませる。
庭に向かってワンと吠えたりしている。

8 25, 2007 18.花・木・野菜・生きものたち, 24.犬と暮らす | | コメント(0) | トラックバック(0)

まめ狸(鎌倉由比ガ浜)-1

由比ガ浜通りの昔ながらの風情の居酒屋。
月島の岸田屋などを思い起こさせる。
小料理の価格は300円、400円台が主だが、材料から手作りのものが中心の丁寧なもの。

小上りで、焼酎とママカリ、焼き鳥、しゃけ茶漬けなど。

8 25, 2007 02.私の好きな鎌倉の店・和食 & 居酒屋 | | コメント(0) | トラックバック(0)

復活Mic

昼間は暑くても夕暮れ時はめっきり涼しくなり、由比ガ浜の夏も終わりに近づき人気が少ない。

麻心のシャンティと出会い、久方ぶりのバトル。
シャンティは他の犬には無愛想だがMicとは遊んでくれる。

8 25, 2007 06.私の好きな鎌倉の風景, 24.犬と暮らす | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年08月24日

囲炉裏でチーズフォンデュ -2

暑さでどうしても食欲減退。
お酒ばかり飲んでいてはいけません。

で、昨年試してみた囲炉裏でのチーズフォンデュ。

KIBIYAのカンパーニュを切り、エメンタールとグリュイエールチーズを安い白ワインで溶く。
パンも肉もありあわせの野菜も囲炉裏であぶり、炭火で適度に泡が出るくらいに熱せられているフォンデュ鍋のチーズにからめて。

囲炉裏でチーズフォンデュ-1

8 24, 2007 20.囲炉裏の愉しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月23日

umi cafe(鎌倉由比ガ浜)-2

GUINNESS専用のサーバーでグラスに注がれたものは、初め泡とビール液はかなり混じりあっている。

しばらくおいて、それぞれの所在とテリトリーをきっぱりと分け合ったときが飲み頃。

8 23, 2007 01.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar | | コメント(0) | トラックバック(0)

「処暑」の由比ガ浜夕景

「処暑」(暑気が止む意の二十四節気のひとつ)にふさわしく、猛暑が収まった由比ガ浜で。

この間の体調不良での散歩不足を取り戻すんだぁ、とMicがぐいぐい引っ張るのでシャッターが思うように切れない。

8 23, 2007 06.私の好きな鎌倉の風景 | | コメント(0) | トラックバック(0)

「私の望み」

老母作のテラコッタ人形。

8 23, 2007 10.美術工芸, 23.日々のなかで | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月22日

「ひいおばあちゃんの想い出」

老母作のテラコッタ人形「ひいおばあちゃんの想い出」シリーズ。

8 22, 2007 10.美術工芸, 23.日々のなかで | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年08月21日

至福の骨

Aさん宅のスープに使ったあとの豚骨をいただいて留守番Micに。
Mic喜びあれこれじっくり楽しむ。

8 21, 2007 24.犬と暮らす | | コメント(2) | トラックバック(0)

夏の夜の壮行パーティー

ラ・ジュルネのスタッフや仲間と、由比ガ浜のA氏宅で娘のあさみちゃんの壮行パーティー。
夏休みで帰っていたあさみちゃんはカナダ・ビクトリアの大学3年目の新学期に出発する。

ホスピタリティからマネジメントまで含む「ホテル学」を学んでいる。ホテルでの実習なども多いという。日本では専門学校以外、大学でこうしたことを体系的に教えるところはない。

A家の人たちや皆が持ち寄った手作り料理が次々に並ぶ。
Partnerも大豆とサツマイモの2種類のスープを作って。

元気でいい勉強と体験を!

8 21, 2007 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック, 23.日々のなかで | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月20日

「あやめを持つ娘」

老母作の木目込み人形。
ロンドンに今週帰るPartnerの従妹に贈る。

8 20, 2007 10.美術工芸, 23.日々のなかで | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月19日

今朝のおはよう-83 ワイルドストロベリー

庭のワイルドストロベリーの実がひとつ小さく熟している。

摘んでアイスクリームにぽとりと落とし、しばらく大切に楽しむ。

8 19, 2007 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | | コメント(0) | トラックバック(0)

クラゲ

7月の初めにも坂ノ下でサーファーがもっとも刺胞毒の強いカツオノエボシ(いわゆる電気クラゲ)に刺されて救急車で運ばれるのを見たが、8月も中旬を過ぎると由比ガ浜の海もクラゲが多くなる。

打ち上げられていたクラゲ。

中華料理前菜の定番。
肉厚で調理したらコリコリと旨そうではある。

8 19, 2007 06.私の好きな鎌倉の風景, 18.花・木・野菜・生きものたち | | コメント(0) | トラックバック(0)

ロンドンの従妹と

ロンドンで暮らしているPartnerの従妹が一時帰国し、鎌倉に遊びに来る。

下2枚はロンドンのSquare駅近くのパブ「Salisbury(ソールズベリ)」で今年3月に会ったときのもの。
ヴィクトリア朝様式の店構えや雰囲気はいいが、料理は、スープとパテはともかく、シーフードサラダは生臭く、リゾットはわけの分からない味と煮加減で、まずかった。

8 19, 2007 25.My Partner, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月18日

揖保乃糸

中学、高校以来の悪友、畏友たちとの飲み会は、先頃から東京にある全国の地方処を順に訪れるとテーマを決めている。

で、青森「BOIS VERT」(新橋)、岡山「備前さび助」(南青山)に続き、今日は兵庫「揖保乃糸庵」(ベルビー赤坂)。

編集者生活定年退職後、四日後にニューヨーク一年間の「遊学」に出発するY君の壮行会でもある。

8 18, 2007 21.酒と…の日々 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月16日

らーめんHANABI(鎌倉長谷)-4

ラーメンというのは不思議な食べ物で、ときに無性に食べたくなり、そしてそのときの体調によって食べたい傾向も変わる。

普段はあっさり系が好みなのだが、炎天下、なぜかこってり系ラーメンが食べたくなり、久しぶりにらーめんHANABI。

鶏、魚と豚の濃厚なダシと岩手地鶏の味付け卵。

8 16, 2007 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック | | コメント(0) | トラックバック(0)

はま善(鎌倉由比ガ浜)-11

食事抜きのMicの前で食べるのもかわいそうなので、仕事帰りのPartnerと久しぶりにはま善。

イカ塩辛、ツルムラサキのお浸し、しめ鯖。
イワシのお好み焼き風。

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2007年08月15日

回復途上Mic

朝の食事と薬でかなり元気を取り戻したMic。
吐き気もほとんどおさまり、少し散歩もし、ソファで寝息を立てる。

8 15, 2007 24.犬と暮らす | | コメント(4) | トラックバック(0)

2007年08月14日

点滴Mic

数日前からMicが胃液の泡をガフッと吐くようになり、食欲はあり、散歩も喜ぶのだがそれ以外はグタっとしている。

だんだん吐く頻度が多くなり、クフックフッという咳もする。

精神的な問題もあるかもしれないと、前に「分離不安」の診断をしてもらった津西の「小川犬猫病院」に電話した上でタクシーで連れて行くが、症状を聞かれて記され、待たされたあげく、その時もらった診察券があるのに「紹介がないと診られない」と受付で断わられる。

その間Micは待合室で3回泡を吐く。

診察券は前回は「誤って発行された」と返してもらえない不可解な対応。
往復5000円のタクシー代と炎天下の3時間はなに?。

一度帰宅してから、行きつけの「なぎさ動物病院」の午後の診療に今度もタクシーで連れて行くが臨時休診。

家に連れて帰ってきてから様子を見るがさらにひっきりなしに吐く。
由比ヶ浜通りの「おおいし動物病院」でようやく診察。

口内の診察、検熱、触診、胃や肝臓、前立腺などの透視検査などで重大な病気や異常の兆候は今のところないという所見。吐いた胃液で喉が荒れている。

吐き気防止、胃液分泌抑制の注射。
犬用の点滴。
注射は針が細いのでほとんど犬は感じないが、点滴は針が太いのでMic暴れる。
首の後ろがラクダのコブのようにふくらむ。だんだん体内に吸収されるそう。

今晩は食事抜き。


写真は「エリザベス・カラー」と呼ばれる後ろを振り向けないようにする一種の拘束具を首にまかれて点滴を受けるMic。

8 14, 2007 24.犬と暮らす | | コメント(5) | トラックバック(0)

2007年08月13日

もうひとつの原爆容認


1949(昭和24)年に出版(脱稿は被爆1年後の46年8月だが占領軍検閲で当初は出版差し止め)された『長崎の鐘』(永井隆)は、ベストセラーとなり、人気歌手、藤山一郎が歌う歌謡曲ともなって人々の記憶に残り、今に読み継がれている。

一方で、永井は戦前、浦上天主堂で洗礼を受けたクリスチャンだった。

浦上のカトリック信者たちが、天主堂崩壊後、爆死者たちの合同葬儀を行った際に、永井が読んだ弔辞が『長崎の鐘』に収録されている。

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「…午前十一時二分、一発の原子爆弾はわが浦上に爆裂し、カトリック信者八千の霊魂は一瞬に天主の御手に召され、猛火は数時間にして東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。その日の深夜半天主堂は突然火を発して炎上しましたが、これとまったく時刻を同じうして大本営に於いては天皇陛下が終戦の聖断を下し給うたのでございます。

この日は聖母の被昇天の大祝日に当たっておりました。

投下時に雲と風とのため軍需工場を狙ったのが少し北方に偏って天主堂の正面に流れ落ちたのだという話をききました。もしもこれが事実であれば、米軍の飛行士は浦上を狙ったのではなく、神の摂理によって爆弾がこの地点にもち来らされたものと解釈されないこともありますまい。

世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれたのではないでしょうか?

互いに憎しみ互いに殺しあって喜んでいた此の大罪悪を終結し、平和を迎える為にはただ単に後悔するのみでなく、適当な犠牲を献げて神に詫びをせねばならないでしょう。これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神は未だこれを善しと容れ給わなかったのでありましょう。然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納め給い、人類の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたのであります。

主与え給い、主取り給う。主の御名は讃美せられよかし。
浦上が選ばれて燔祭(はんさい)に供えられたる事を感謝します。この尊い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝致します。
希わくば死せる人々の霊魂、天主の御哀憐によりて安らかに憩わんことを アーメン
_____________________________

浦上地域は16世紀のポルトガル宣教師による布教以来、「キリシタン」の里であり、江戸幕府の度重なる弾圧にさらされながら住民たちは「隠れキリシタン」として暮らした。これらの弾圧は「崩れ」と呼ばれ、幕末の「四番崩れ」では三千余名の全村総流罪にあい、帰村できたのは1973(明治6)年になってからだった。

幕府は旧長崎市街と北にある浦上地区との間に、一種の緩衝地帯として、いわゆる「被差別部落」を置き、キリシタン摘発に「部落民」を使ったという。

私には直接はわからないが、旧長崎市街の住民と、爆心地浦上の住民とには微妙な差異感が当時も引きずられていただろう。

「そりゃそうばってん、誰に会うてもこういういうですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪者だった。生き残った者は神様からの特別のお恵みをいただいたんだと」(『長崎の鐘』)と言われていたなかで、永井は、そうではない、原子爆弾が浦上に落ちたのは神の摂理、神の恵み、浦上は神に感謝をささげなければならない、としたのだ。

残された浦上のカトリック信者にとって、肉親、同胞の死を、無惨で無意味なものとして、あるいは天罰としてではなく、戦争を終結させ、世界に平和をもたらすための神の摂理であり、彼らは聖なるものに昇華した羔なのだ、という論理は、慰めや救いをもたらしただろうことは想像にかたくない。


しかし、この論理はカトリック信者のなかでは通じても、社会的政治的歴史的にとらえれば、きわめて重大な戦争責任の問題につながっている。

ひとつは、明白な「戦争犯罪」であるアメリカによる原爆投下の免責だ。
「広島、長崎への原爆投下がなければ、本土決戦となり、さらに100万(当初は5万の米兵と言っていたが後にだんだん数がふくれあがった)の命が失われただろう」というアメリカ政府と御用学者の宣伝(米国民の大半は今もこれを信じ込んでいる)に永井の言説は好都合だった。
だからこそ、被爆の悲惨さが記されていながら、占領軍GHQの検閲下(国防総省まで送られ、日本軍によるマニラでの残虐行為の記述を付加するという条件で)『長崎の鐘』は刊行を許された。

もうひとつは、昭和天皇の戦争責任の免責
戦後アメリカは日本統治の上で天皇制を利用した方が得策と考え、象徴として残し、東京裁判でもこの戦争の最高責任者を起訴しなかった。
神が天啓を天皇に与え「御聖断」を下された、という永井の今からすればとんでもない詭弁は、アメリカと、「聖断神話」を維持したい天皇にとって、責任追及を封ずる願ってもない好ましいものだった。
昭和天皇が戦後初めて長崎を「巡幸」した際、永井はいわゆる「拝謁」を許されている。

さらに言えば、戦争に向かって行く中で、「宗教を超えた宗教」である国家神道に屈服、服従し、「銃後」体制を支えるように成り下がった(カトリック、プロテスタント、仏教、教派神道を問わず)宗教者としての戦争協力責任の糊塗であり免責でもある。


永井隆が献身的で真摯な医学者であり良き教師であり敬虔なクリスチャンであったことは疑いない。

しかし原爆投下について、戦争責任について、国家の側からではなく、民間の立場から、米日支配層に都合のいい納得感、気持ちの持ちようを大衆に広めたひとりであることもまた確かだ。


関連過去記事:
原爆しょうがないの本家
ナガサキの日に

参考文献:
高橋哲哉『国家と犠牲』(NHKブックス)
高橋哲哉『戦後責任論』(講談社学術文庫)

映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』

8 13, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年08月11日

学生たちと

鎌倉花火に来た私のところの学生たちと。
昨年に続いて由比ガ浜で昼から陣取りをしてくれていた。

8 11, 2007 23.日々のなかで | | コメント(0) | トラックバック(0)

鎌倉花火

ここのところずっと由比ガ浜は風が強く、10日も昼は適度な海風だったのだが、夕凪になってしまう。
昨年に続いて嫌な予感がしたとおり、フィナーレの水中花火と打ち上げの乱れ打ちは、水中花火はともかく、打ち上げはひたすら漂う硝煙の中へ。


鎌倉花火の過去記事
2006年鎌倉花火
2005年鎌倉花火
2004年鎌倉花火

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2007年08月09日

ナガサキの日に

長崎被爆62年目。

長崎被爆時、長崎医科大学で物理療法に携わり、自身被爆し妻も家も失いながら、献身的な救護活動を続け、白血病で亡くなった永井隆(1908-51)『長崎の鐘』(アルバ文庫)を再読ー


「昭和二十年八月九日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい浦上は、その最後の朝を迎えたのである。

長崎医科大学は今日も八時からきちんと講義を始めた。国民義勇軍の命令の、かつ戦いかつ学ぶという方針のもとに、どの学級も研究室も病舍も、それぞれ専門の任務をもった医療救護隊に改編され、防空服に身を固め、救護材料を腰につけた職員、学徒が、講義に、研究に、治療に従事しているのだった」


そして午前十一時二分ー


「浦上の中心松山町の上空五百五十メートルの一点に一発のプルトニウム原子爆弾が爆裂し、秒速二千メートルの風圧に比すべき巨大なエネルギーは瞬時にして地上一切の物体を圧し潰し、粉砕し、吹き飛ばし、次いで爆心に発生した真空はこの一切を再び空中高く吸い上げ、投げ落としたのであり、九千度という高熱が一切を焼き焦がし、さらに灼熱の弾体破片は火の玉の雨と降ってたちまち一面の猛火を起こしたのである。推定三万の人が命を失い、十余万人が重軽の創傷を負い、さらに放射線による原子病患者は数限りなく発生せんとするのである」


「学生は? 清水先生は足もとへ眼を転じ、いきなり氷水をぶっかけられたかのように、全身が凍るのを感じた。この物体のようにころがされているのが私の学生なのか?

先生はまず足もとの黒変した肉体に飛びついた。”おい、おい”。返事がない。両肩に両手をかけて引き起こそうとしたら、皮がぺろりと水蜜桃のようにはげた。岡本君は死んでいた。その隣のが ”うーん”と呻いて反転した。”村山君、村山君、しっかりしろ” 先生はべろべろに皮のはげた学生を膝に抱いた。”先生、ああ、先生” そういったきり村山君ががくっとなった。

荒木君は南瓜のようにぶくぶくに膨れ上がり、ところどころ皮のはげた顔の中に、細い白い眼をみひらいて、”先生、やられました” と静かにいった。”もう駄目らしいです。お世話になりました”」


映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』

8 9, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

二楽荘(鎌倉小町)-2

フカヒレ湯麺。

フカヒレとチンゲンサイのみ。
しかしスープがフカヒレの深い味わい。

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2007年08月08日

由比ガ浜夏全開-2

犬好きの若い女性たちに「チョーかわいい!」「ヤバイよ〜!」などと囲まれて、ちょっと迷惑そうな(嬉しそうな?)Mic。

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由比ガ浜夏全開

浜でラ・ジュルネの仲間たちに行き会う。
海の家「Paradise AO」で。

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2007年08月07日

松原庵(鎌倉由比ガ浜)-7

密会現場盗撮スクープ!
ではなく、縁側で煙草を吸いながら。

久しぶりに増山理人くんと。

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2007年08月06日

ヒロシマの日に

広島被爆62年目。

核兵器は「大きな爆弾」などではない。
生き残った人々とそのこどもたちにもさまざまな放射線障害を与え今にいたるまで苦しめている。
支持率22%(毎日)にまで落ち込んだ安倍内閣は今更のように「原爆症」の認定基準見直しや支援策充実などと言いだした。


こうの史代『夕凪の街 桜の国』よりー


お母さん…
いまのは誰?


そしてそれきり目も見えなくなった

だまって手を握る人がいた

知っている手だった


痛い


のどをまた生ぬるいかたまりが通っていく

もうただの血ではなくて
内蔵の破片だと思う

うでは便器をもつのが
精一杯

髪も抜けとるのかも知れんが
触って確かめる気力もない
あしたにしよう……………………あした………


嬉しい?

十年経ったけれど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?

(皆実)


このお話は
まだ終わりません

何度夕凪が
終わっても
終わっていません


『夕凪の街 桜の国』についての過去記事


映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』

8 6, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)