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2007年03月30日

ほぼ満開、鎌倉の桜

鎌倉の桜もほぼ満開。

上は若宮大路の染井吉野。
下は小町蛭子神社から祇園山方面の山桜を望む。

3 30, 2007 06.私の好きな鎌倉の風景 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年03月29日

フランスのロバ

フランス・リモージュからパトリックのアトリエのあるサン・ティリエ・ラ・ペルシェ(Sant-Yrieix-la-Perche)に行く途中で。
車を停めてロバの写真を撮ろうとしていると柵まで寄ってくる。
「無断掲載禁止と言いにきたのさ」と運転しているパトリックが冗談を言う。

ロバは古代エジプトで改良・家畜化され運搬・灌漑・脱穀などの用途で世界にひろまった。馬より粗末な餌でもよく働き40年以上生きる。

カイロでは荷車をひいているのをたくさん見たが、ここではそんな必要はないだろう。何のために飼っているのかと聞くと「ただ楽しみ(喜び)のため」なのだそうだ。

ロバは、従順と柔和から頑迷と知性の欠如、はては過度の性欲までさまざまな象徴として扱われ、文化史的にみてもおもしろい。

3 29, 2007 18.花・木・野菜・生きものたち, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月28日

松原庵(鎌倉由比ガ浜)-3

鴨の炙り焼、湯豆腐、天麩羅盛り合わせ。
ラ・ジュルネの綾子さんたちと8名でわいわいと。

弘前・三浦酒造の「豊盃」がすすむ。豊盃米という昔の酒米を復活させて作っているもの。

3 28, 2007 02.私の好きな鎌倉の店・和食 & 居酒屋 | | コメント(5) | トラックバック(0)

2007年03月27日

Partner足の骨を折る

砂利路で自転車のバランスを失い転倒してPartnerが足の骨を折った。

レントゲン写真を見ると右足外くるぶしの骨が折れている。
幸いズレてはいないのでギブスで固定、1ヶ月か1ヶ月半くっつくのをひたすら待つのみ。
もしズレると手術しなければならない。
その間松葉杖生活。


写真はパトリック・オドゥヴァールの自宅に飾られていた彫像。

3 27, 2007 25.My Partner | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年03月25日

卒業おめでとう!

私のところ(多摩美術大学造形表現学部)の卒業式。
デザイン学科では108名が巣立っていく。

普段のジーンズ&Tシャツ姿ではなく皆目一杯おめかししているので、ん?君はだ〜れ状態。

それぞれ晴れやかでいい笑顔。
フォーシーズンズホテルで謝恩会。

<卒業制作図録に載せた教員からのメッセージの私のもの>

12月から3月初めまでヨーロッパをまわっているので、今年の上野毛デザイン展を観ることができず残念です。

自分が旅をしているからだけではありませんが、皆さんもぜひ「旅」をしてください。別に遠く外国に行くということにはかぎりません。自分の日常とは「異質」の世界に「積極的」「自覚的」に入り込んでいくこと。映像や本で知っているつもり、ではなく「その場に身を置いてみること」を少しでも多く経験し考えること。そして「自分と相手の歴史をできるかぎり知る」こと。そのためにはどうしても本をいろいろ読む必要があります。また「ことば」に関して鋭敏になってください。世界は英語で覆われているわけではまったくありません。デザインに限りませんが、こうした土壌をいかに耕していくか、が人生の豊穣につながります。

今後の健闘と健康を祈ります。

3 25, 2007 11.教育と学びのデザイン | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月24日

マグダラのマリアに愛を誓う

イタリア中部、トスカーナの東端、アレッツォ(Arezzo)の大聖堂で結婚式に行き会う。

アレッツォは新興ローマなどよりはるかに古いウンブリア文明以来3000年の歴史を持つ町。

中央に飾られているのはピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca )のマグダラのマリア(Maddalena di Piero)。

マグダラのマリアは明らかにイエスの妻であり、サラという娘も産み、イエスの死後フランスに渡ってメロヴィング朝にダヴィデ以来のイエスの家系が残されたという説はあながち荒唐無稽ではない。

神の子が妻帯したり子供がいては困ると考えた正統ローマ教皇庁は、6世紀、グレゴリオ1世がマグダラのマリアは罪深い女で改悛した娼婦だという声明を出し、1969年(!)に密やかに撤回するまでそのイメージを流布した。
実際は厳格なユダヤ教ラビの家系のユダヤ人イエスは当時の律法からして結婚は必須のことであり、とりわけダヴィデの直系である彼には子供をつくることは絶対の義務だった。
イエスの磔刑、埋葬、そして「復活」に立ち会ったとされる彼女をおいてイエスの妻は他に考えられない。
メル・ギブソンは『パッション(受難)』(2004)でモニカ・ベルッチ演ずるマグダラのマリアをそのように描いている。

教皇庁の声明にもかかわらず、マグダラのマリアへの信仰は太古の女神とも結びつき各地で根強く残った。

3 24, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年03月22日

松原庵-2(鎌倉由比ガ浜)

イカ刺しの肝添え。
酒は今晩は青森の豊杯。
これだけでまあ1時間半は保つ。

信州豆腐の松原庵風。

もっちりしたそばがき。

3 22, 2007 02.私の好きな鎌倉の店・和食 & 居酒屋 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月21日

腰越漁港で

鎌倉としては唯一の漁港、腰越で。
市内にはこのほか逗子小坪港からの魚も出回る。

軽く塩茹でしてシラス干し。
釜あげ用の釜。
そのむこうでワカメやメカブを選別して洗っている。
洗濯ばさみにひとつずつ干す。
漁港の人々の日常が流れる。

高校時代を伊豆戸田漁港で過ごしたPartnerの血が騒ぐ(?)

3 21, 2007 06.私の好きな鎌倉の風景 | | コメント(0) | トラックバック(0)

池田丸(鎌倉腰越)

お彼岸で亡父の墓参り。腰越の満福寺へ。

腰越漁港そばの漁師の店「池田丸」で昼食。

獲れたての生シラス、石鯛、マルアジの刺身、サザエの壺焼き、シッタカの塩茹で、シロギスの天麩羅…。

卓上に磯の香り。昼間から酒がすすまざるをえない。

3 21, 2007 02.私の好きな鎌倉の店・和食 & 居酒屋 | | コメント(0) | トラックバック(0)

アッシジ虹景

今回訪れたヨーロッパの街のなかでもっとも感銘を受けたところのひとつ、イタリア・ウンブリアの古都アッシジ(Assisi)に向かう途中で街の全景を望んで。

雨が上がり虹がかかる。
左の大きな建物は聖フランチェスコ大修道院。

3 21, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月19日

馬酔木の花

日本の冬をすっとばして春の季語へ。

庭の隅の馬酔木(あしび・あせび)の花。

アセボトキシンなどの有毒物質を含み、葉を煎じると殺虫剤ができる。牛馬があやまって食べると、足がしびれて酔ったようになることからこの名という。

ひなびた風情で万葉集にも詠われ、近代の俳句でも好まれる。


馬酔木咲く金堂の扉(と)にわが触れぬ 水原秋櫻子
馬酔木咲く向こう欠伸(あくび)夢の僧 金子兜太
仏にはほとけの微笑あしび咲く 飯野定子

3 19, 2007 18.花・木・野菜・生きものたち | | コメント(0) | トラックバック(0)

松原庵-1(鎌倉由比ガ浜)

すぐご近所の住宅街の広いお屋敷を改装してオープンした蕎麦・酒処。
軽井沢、麻布十番、南青山にある川上庵の姉妹店。

酒と肴が豊富でうれしい。
だし巻き卵はふんわりして熱々。
地鶏の朴葉炙り焼。

蕎麦は思い切りの冷水にさらされていて酒の後に旨い。

3 19, 2007 02.私の好きな鎌倉の店・和食 & 居酒屋 | | コメント(2) | トラックバック(1)

2007年03月16日

合格発表

高校生向け一般入試の合格者発表。デザイン学科では53名合格(定員50名)。
社会人入試合格者はすでに53名決まっている(定員50名)。
年々少しずつ増やしてきた社会人の割合は半数に達した。

高校を出たばかりの18 、19の子と年代も経験もさまざまな社会人がクラスのなかで半々となる。
なにか「臨界」とか「閾値(いきち)」を迎えたよう。考えていなかったエフェクトが発する予感。

それにしても今年の高卒現役受験生はバブル真っ盛りの1988〜89年生まれ。
母親がジュリアナ・トーキョーのお立ち台で踊っていた、としてもおかしくない世代…


上野毛キャンパス中庭の桜はまだ蕾。

3 16, 2007 11.教育と学びのデザイン | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年03月15日

旅の読書『西欧言語の歴史』

長旅に重い本はもちろん持って行きたくない。
しかし昨秋翻訳が出た『西欧言語の歴史』(アンリエット・ヴァルテール/平野和彦訳/藤原書店)だけは600ページほどの大著なのだがずっと持ち歩いた。

「西欧」と邦題につけられているが原タイトルは "L'aventure des Langues en Occitent" であり、扱っている言語も狭い意味での西ヨーロッパではなくヨーロッパ全体にわたる。

今回の旅行はヴァチカン市国も含めれば西欧・南欧・中欧・北アフリカ14ヶ国にわたり言語もさまざまだ。

あちこち移動するたびに、そこで話されている言語についての章を読んでいた。

日本人はフランスはフランス語、イタリアはイタリア語、ドイツはドイツ語などと無意識にのっぺり「国」と結びつけてしまうが、いうまでもなく現在の政治的国境範囲と人々に使われている言語は一致しないし、「国語」などという日本的なイデオロギーは存在しない。そんな単純に考えていたらスイスはスイス語、オーストリアはオーストリア語などというおかしなことになってしまう。

それぞれの国の公の議会や役所や文書で使用される「公用語」ということにしても、例えばベルギーではオランダ語、フランス語、ドイツ語と3つあり、ルクセンブルクの公用語はフランス語とルクセンブルク語の2つだが、多くの国民はドイツ語を日常的に話している。スペインのカタルーニャ語、バスク語、英国のウェールズ語のように「地方公用語」というものもある。

ヴァルテールはそのような区分からではなく、7000年の昔、黒海の深奥から移動を始めた騎馬民族が数千年をかけて大草原から大西洋、地中海にいたるヨーロッパ全土に移動し、先住者たちとの接触のなかでいかに多様な分岐を生み出してきたか、そしてそれにもかかわらず「インド・ヨーロッパ(印欧)語」という共通の起源を持つものであること(例外としてハンガリー語はウラル語族、バスク語は印欧語ではないことは明確だが起源は不明)、スラブ系(ロシア語、ポーランド語等)・ゲルマン系(英語、ドイツ語、オランダ語等)・ラテン系(フランス語、スペイン語、イタリア語等)とまったく違うようにみえても互いに影響しあって現在の言語状況があること、ある地域地方の言語にすぎなかったものが近代史のなかでどのように特権的な地位を占めるようになったのか等々を実にわかりやすく説く。


写真はスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステラの宿、Hotel "Reyes Catolicos"(カトリック両王のホテル)内サロンの見事な木彫り丸テーブルで。
1499年巡礼者のための宿泊施設兼病院として建てられたものが現在パラドール(スペイン国営の宿泊施設)となっている。

3 15, 2007 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月14日

ナポリのオリーブ

地中海沿岸の地域はどこもオリーブ栽培が盛んで旨い。

なかでも一番おいしかったナポリでのオリーブの実。
採れたてを軽く塩漬けしただけのもの。
日本で買う瓶詰めのものとはまったく違う。歯触りのよさに新鮮な味わいが拡がる。

上はサンタ・ルチアのカフェ、下はピッツェリアで。

3 14, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年03月13日

ローマ落日

古代ローマの元老院や裁判所、神殿が築かれた帝国の中心地フォロ・ロマーノ(Foro Rommano)遺跡に落日。

ローマ帝国の繁栄が西ゴート族の進出で476年崩壊し、その後は荒れるにまかせられた。
19世紀以降ようやく発掘され現在でも調査が続けられている。

3 13, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

ラ・ジュルネ(鎌倉由比ガ浜)-20

「ラ・ジュルネ」で。

マドリードの陶器店で「あ、これはラ・ジュルネにぴったり」と思った皿を持って行く。
久しぶりの鎌倉野菜料理を盛ってもらって。

鴨の出汁と長野の蕎麦が旨い。

3 13, 2007 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年03月11日

From Europe with Love - 一筆描き

ヨーロッパをぐるりと廻って地図上の一筆描きも終了。

車中で色々な折り方をして見ていたのでぼろぼろになったトマス・クックの「RAIL MAP EUROPE」。

今回行く範囲をすべて網羅しているヨーロッパ・アトラス。
80万分の一のスケールで統一してあるので距離感をつかみやすい。
何日か前に通った街々が同じ見開きにあって意外と近いことに気づいたりする。

3 11, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月09日

From Europe with Love - 日本そば

ヨーロッパ3ヶ月の旅の最後の夕食は、ロンドンーパリのユーロスター車内で軽食が出たので、重いものを食べる気になれず日本そばの店、サン・ジェルマン・デ・プレの「YEN」。
オンワードがやっている。

漬け物10ユーロ(約1600円)、そば味噌7ユーロ(約1000円)などなどなかなかいい値段。
鹿児島の芋焼酎と。
冷や奴がクリーミーでおいしい。そばもコシがあり旨い。

帰り際に気づいたが、12月にパリに来たときに偶然出会ったTBSの池田裕行さんにまたばったり遭遇。

3 9, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月08日

From Europe with Love - ハイドパークで

おばあさんは14歳になる老犬ニックと毎朝ハイドパーク(HydePark)をゆっくり散歩する。
パンくずの餌は必ず用意してある。

餌を待つリスと小鳥。

3 8, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - コッツウォルズの村で

長旅の最後、コッツウォルズの田園と小さな村々で疲れを癒す。

あちこちに流れるせせらぎ
どこまでも拡がる丘陵
七人のこびとでもドアから出てきそうな藁葺きの小屋……

3 8, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2007年03月07日

From Europe with Love - 春めくヨーロッパ-3

コッツウォルズを愛し暮らしていたウイリアム・モリスが、イングランドでもっとも美しい村と呼んだバイビュリー(Bibury)。
泊まったホテルでの桜。

この建物は1633年に Tomas Sackville卿という「Knight and Gentleman」が建てたものを1968年からホテルにしている。

1633年といえば、まだ清教徒(ピューリタン)革命(1940)が起こる前。
日本では江戸時代初期、鎖国令が初めて出された年。

3 7, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月06日

From Europe with Love - 春めくヨーロッパ-2

オランダ・デルフトで、水仙が見事に咲き揃う。

3 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 春めくヨーロッパ-1

オランダのハーグ中央駅前に咲きはじめているクロッカス。
のどかにトラム(路面電車)が横切る。

3 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - Draft GUINNESS

イギリスに来たらまずはGUINNESSの生。
常温に近いものと冷やした「Extra Cold」がある。人によるだろうが私は冷やした方。

オックスフォードのカフェレストランで。

3 6, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月04日

From Europe with Love - コッツウォルズへ

Blogをアップする環境、時間が無く(いずれアップします)、とんでとんで……、ミュンヘンからアステルダム、ハーグ、デルフト、アントワープを経て、ブリュッセルからユーロスターでロンドンで一時帰国していたPartnerと合流。

翌朝、ハイドパーク脇のホテルに荷物を預けて身軽になり、由緒正しいブラックワゴンタクシーでパディントン駅へ、
喧噪と雑踏のロンドンとはさっさとおさらばして週末から4泊5日のコッツウォルズへの小旅行。

パディントン駅から50分で学園都市オックスフォードへ。

何層にも重なった雲が美しい。

オックスフォードのAvisでレンタカーを借りる。
運良くあったオートマチックの真新しいプジョーで。

ルートも泊まるところもはっきり決めてはいない、現地に行っての感触で判断する。

3 4, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年03月01日

From Europe with Love - 「白いバラ」メモリアル

コートを探し出すのに手間がかかり、アムステルダム行きの発車時刻まで1時間少しになってしまった。

ミュンヘンはもちろん見所が多いが、残された限られた時間でどうしても見ておきたい、とタクシーをとばしてミュンヘン大学(正式にはLudwig-Maximilians-Universität)大講堂へ。

「白いバラ(Die Weiße Rose)」はハンス・ショル(Hans Scholl 1918-43)を中心に、その妹ゾフィー・ショル(Sophia Magdalena Scholl 1921-43)らミュンヘン大学の学生5名、クルト・フーバー教授が組織したナチスへの非暴力レジスタンス運動。

今の日本の学生にはなかなかイメージできないだろうが、第二次世界大戦下であり、彼ら学生もフランスへの侵攻やソ連との苛烈な東部戦線にかり出された帰還兵。特にスターリングラード攻防戦(1942.6〜43.2)でドイツ軍の精鋭30万が壊滅し敗走を始めたことを受け、一段と活動を先鋭化させた。

43年2月18日、講義終了にあわせて一斉に6冊目のリーフレットが学生たちに配布される。
ゾフィーが最後の一部を中庭の屋根から撒いたのをナチス党員である大学の守衛が通報、彼らはゲシュタポに拘束され、22日の裁判で反逆罪による死刑判決、その日のうちにギロチンの露と消えた。

ハンス 享年24、ゾフィー 享年21。


写真は、大講堂の入り口前の彼らの制作配布したリーフレットを復元したレリーフ。
白いバラのようだ。
通りがかった学生に聞いてメインホールの一角にある6名の彫像へ。
真新しいバラが供えられている。

この一角は「Geschwister-Scholl-Platz(ショル兄妹広場)」隣接する広場は「Professor-Huber-Platz(フーバー教授広場)」と名付けられている。


『白バラの祈りーゾフィー・ショル、最後の日々』(監督:マルク・ローテムント 主演:ユリア・イェンチ 2005)は昨年1月日本でも公開されDVDも出たので帰ったらぜひ観直したい。

3 1, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)