





アップできるのはいつになるか分からないが、今ドレスデンのホテルで2月13日夜から14日になるところで記している。
62年前、1945年のこの夜、英国空軍、引き続いて米空軍の爆撃により、かつて「エルベ河のフィレンツェ」と讃されたドイツ中東ザクセンの古都ドレスデンの中心部は、ヨーロッパで最も美しいバロック教会「フライエン(聖母)教会(Frauenkirche)」も、アウグスト強王のツィンガー宮殿も、ザクセン王代々の居城も瓦礫の山と化し、23万名の市民が紅蓮の炎のなかで死んでいった。
絵はその夜を描いた Otto Griebel『Das brennende Dresden(Dresden Burning) 14. Februar 1945』(『The Destruction of Dresden in the night of 13-14 February 1945』より)
ゼンパーオーパー(Semperoper)でモーツァルトの『レクイエム』。
ゼンパーオーパーは1878年にゴットフリート・ゼンパーの設計によりイタリア・ルネッサンス最盛期の様式を模して造られた19世紀劇場建築としてヨーロッパ屈指の劇場。
これも徹底的に破壊されたが、永い年月を経て修復された。
教師の説明を聞きながら楽しそうに見学するこどもたち。
モーツァルトの『レクイエム』は東京で何度も聴きにいっているが、この夜のコンサートはこれまでにない経験だった。
聴衆にはもちろん観光客も混じるがかなりの年配の市民が多い。
おそらくは幼少時にあの空襲のなかを家族の誰かを喪いながら生き抜いてきた人々なのだろう。
後ろの脚の悪い杖をついた気品のある老人は奥の席に人が座ろうと通るたびに律儀に立ち上がって通している。
1時間ほどの奏唱が終わり、マンフレッド・ホーネク(Manfred Honeck)の右手の指揮棒がゆっくりと静かに静かに降ろされる。
普通のコンサートのような拍手喝采は、誰ひとりしない。
『レクイエム』は音楽会の単なる一演目などではなく、死者のためのキリスト教典礼で歌われるミサ曲であり(日本語に訳されている慰霊のための一般的な「鎮魂曲」ではない)、さらに今晩は特別な晩なのだ。
合唱団もオーケストラも独唱者たちも、そして聴衆たち(といっていいかどうか)も静粛のうちに立ち上がり、そのまま黙祷のようになる。姿勢はおのおのまちまちだ。
黙祷の時間が1分だったのか5分ほどだったのか、つい先ほどのことなのに私には定かでない。
それぞれの人がそれぞれの亡き家族親族のことを想い、天国が暖かく迎え入れてくれるように祈っているなかで、演奏中以外撮影OKの2Eを払っているのだがシャッターは切れなかった。
ドレスデン大空襲についての過去記事