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2007年02月28日

From Europe with Love - 再会

昨夜遺失物係から聞いた電話番号にかけると、英語で大丈夫だと言われていたのに通じない。
ホテルのレセプションで替わりに電話してもらうと「そんなものはない」と言われる。
そんなはずはない、ライプツィヒの係員がミュンヘンにあると言ったと食い下がっても「よくあることですよ」と肩をすくめるだけでまたまたラチがあかない。

ジャケットの上から着られるようなコートは薄いものしか持っていなかったので旅行前に買ったもの。
ポケットにはドレスデンのアイグナーショップで買い気に入っていた手袋も入っている。

落胆するが諦め切れず再度駅の遺失物係に行くと、昨晩の官僚的な男とは違う親切な女性が対応し、2ヵ所ほどまわって薄暗く冷え冷えとした保管庫で見付けたときは、おおこんな寂しいところでよく我慢して待っていてくれた、これからは離さないよといとおしい気持ちでいっぱいになる。

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From Europe with Love - ミュンヘン

ベルリンからライプツィヒ、ニュールンベルグを経てミュンヘンに夜到着。

駅の遺失物取扱所に行くが、そこは1週間以上たったものだけ。
明朝別のところへ。

近くのビアレストランでミュンヘンスタイルの一皿。
ソーセージ、暖かいマッシュドポテトに酸味の効いたザワークラウト。

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2007年02月27日

From Europe with Love - Not Madaaaaaaa~m !

※写真はポーランド・クラクフのユダヤレストランで


私は日本人男性としてはけっこう長髪で分量も多い。おまけに体格も華奢で髭もいくらかの割合のイタリア人女性より薄いくらい。

ヨーロッパの男性はほとんどが短髪だ。

こちらの人にとっては日本人とあまり区別のつかない中国・韓国系の観光客も皆短かく刈り込んでいる。
アラブ系の男性も短い。友人の松田嘉子さん(ウード奏者・アラブ音楽研究家・多摩美大教授)によると、宗教的なものというよりアラブ系の男性は縮れ毛で伸ばすと爆発したようになってしまうので短くするのだそうだ。たしかにチュニジアでも多少長めの人はこってり油でなでつけていた。


こちらに来て私より髪が長く多い男性を見かけたのはもう3ヶ月近くあちこち廻っているのに10人もいない。それも観光客らしい人がほとんどだ。


しか〜し、私ぐらいの髪のおば(あ)さんはそこら中にいるのである。
で、よく女性と間違えられる。


服装で分かるかというとそんなことはない。
ほとんどの女性がパンツルックだし、冬場でコートをはおりマフラーを巻いていてはアクセサリーも胸のふくらみもわからない。
ワルシャワのエレベーターで乗り合わせたおばさんは髪の毛も私とほぼ同じ分量、同じ色合いで、同じような黒のタートルネックセーターに同じようなグレーのヘリンボーン柄ジャケットを着ていて思わず話をかわしたが、やはり私のことを女性だとばかり思っていた。

話せば判別されるかというとそんなこともない。
ベルリンの本屋の店員とこういう本はどこにあるかとか色々話したが、帰りに「ダンケ・シェーン、マダーム」と言われた。

リスボン空港では金属探知機のアラームが鳴ったためボディチェックした(!)警備員に「行っていいですよ、マダム」。

チュニスでは客引きのタクシードライバーがしつこく「マダ〜ム、マダ〜ム」とつきまとい、ついにキレて「Not Madaaaaaa〜m !」とできるかぎり低い声で吠えた。

フィレンツェのカフェでは並んで待っている女子トイレを横目に男子トイレに入ろうとしたら、「No! No! そっちは殿方用よっ!」と厳しく注意された。
あの〜、わたくし一応殿方なんですけど…。

Partnerが一時帰国して独りで行動するようになってからは間違われる確率はさらにぐんと高まった。これでネックレスでもしてみたら100%だろう。
ベルリンで3泊したホテルの朝食担当ウェイトレスは最後まで私を女性だと思いこんでいた。

今朝も郵便局で本を日本に送るためのパッケージ用ボックスの組み立て方にとまどっていると、近くにいた男性が駆けよってきて「こうするんですよ、マダム」とやさしい口調で親切に手伝ってくれ、20Kgほど本を詰め込んだ箱を窓口まで運んでくれる。
私のことをどこの国の人かははっきりとは分からないが異国の空の下で困っているおば(あ)さんと思ったのだろう。


う〜む、だんだん慣れてきて、マダ〜ムと呼びかける声がすると反応して振り向くようになってしまったではないか……

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From Europe with Love - ヨーロッパ最古のカフェで

ライプツィヒの街をいろいろ歩き回ったあと「カフェ・バウム(Caffe Baum)」へ。

創業はカフェとしてはヨーロッパ最古の1556年というから、信長が清洲城を制圧し今川義元との桶狭間の戦いをひかえていた頃だ。

かつてシューマンやメンデルスゾーンらが集い、音楽論議にふけった1階カフェの一角。
2階はすばらしいレストランになっていて、シューマンが愛好したという骨付き肉などライプツィヒ料理が食べられる。


毎日さまざまな空間、場に身を置き、動きまわり、初めての事物、人々と接し、その土地土地の酒と料理を食し、長期滞在型と違って数日(時に1日)ごとに重い荷物をひきずって移動し、必要なデータ保存とバッテリーの充電をし、疲れ切って眠る、という生活を続けてきた3ヶ月にわたる旅もあと10日あまり。

身体的な体調はすこぶるいいが、精神的にはかなりのフラストレーションが溜まっている。

ネット環境の問題ももちろんある。
しかし根本的には、体験したこと、感じたこと、考えたことを、写真を含め自分のなかで推敲・整理し、文献資料を調べ、関係づけ、文章化を含めたなんらかの形で記録・表現するということをする時間的余裕がほとんどないからだ。

コンピュータ用語で言えば、「Input(入力)」ー「Process(処理)」ー「Output(出力)」という一連のサイクルのうち、「Input(入力)」が99.999…%の割合で、生データがメインメモリーにどんどんストックされたままほとんど処理も出力もできないという状態。

2〜3週間ならともかく、このアンバランスな状態は私にとっては3ヶ月がそろそろ限界だなと思いながら黒ビールを飲む。

2 27, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月26日

From Europe with Love - ライプツィヒへ

で、デッサウはあきらめ、思いがけずライプツィヒに来てしまった(余裕があれば来たかった所だが)。

1915年に造られたライプツィヒ駅は鉄道駅としてヨーロッパ最大規模のもの。
なにしろ間口だけで300mもあり何層にもなっている。

ここに保管されているとばかり思って駅の遺失物係のようなところに行くと、書類を書かされ、それはミュンヘンに行っているであろう、と言われる。
数時間後に再び行くと、確かにそのコートはミュンヘンで保管している、というのでちょっと安心。
ベルリンに送ってもらえるかと聞くとそれはできない、ミュンヘンに取りに来い。

明日ベルリンから西のアムステルダムに移動する予定だったのだが、変更して南のミュンヘンへ向かわねばならない。ドイツの南北のたぶん8割くらいに渡る距離。

アクシデントや予定変更は楽しむことにしている。
まあ、それはそれで色々な風景を観られるし、旨いビールもまた飲めるし…。

2 26, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(1) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 忘れ物注意

今日はベルリンから約1時間40分ほどのデッサウ(Dessau)に行き、バウハウスを見て回ろうと思っていた。

が、本を読んでいて乗り換え駅(Lutherstadt Wittenberg)が近づいて来たのに気づかず、あわてて降りた際、座席の後ろにかけていたコートを車内に置き忘れてしまった。

デッサウ行きのホームに行ったところで気づき、駅のスタッフに事情を説明してこの列車と連絡をとって次の停車駅に預けてもらうよう頼む。
英語を解さないおばちゃんは、事情は理解したようなのだが、それはできない、私の仕事ではない、とニベもない。

駅前で当たり屋らしい腕を痛そうに押さえている男を尋問していた警官に頼み、再度おばちゃんにかけあうが、おばちゃんは何かやるそぶりは見せるがラチがあかず、警官は行ってしまう。

どうしたものかとホームへ戻ると「DB(Die Bahn)」(ドイツ鉄道)のマークを着けた交替要員のような人がいたので(この人も英語はできない)、なんとか事情を説明し、次の停車駅にキープしてほしいと伝え電話してもらう。

で、彼はこの電車がこれから停まるライプツィヒに行け、と言うので次の電車を待っているところ。


ヨーロッパに来て2ヶ月半、いわゆるホームシック的な感情を抱くことは一度も無いのだが、犬を見るとどうしてもMicのことを想い出し会いたいなあと思う。

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2007年02月24日

From Europe with Love - ワルシャワゲットー蜂起英雄記念碑

ヨーロッパを廻って、実にさまざまな聖人像、磔刑像、ピエタ像、聖母子像、偉人・為政者像、噴水、ギリシャ・ローマの彫刻などに接して来たが、この彫像ほど心を打たれたものは無い。


ワルシャワとその周辺には第二次大戦前、ニューヨークに次ぎ世界で2番目、ヨーロッパで最多の約45万名のユダヤ系市民が暮らしていた。
ポーランドを占領したナチスは1940年広大なユダヤ人居住区(ゲットー)を建設し、煉瓦塀をめぐらして普通に生活していたユダヤ系市民を強制収容する。

ワルシャワ北東約90Kmに「トレブリンカ絶滅収容所」を造り、1942年までにおよそ30万人を即抹殺の列車に送り込み(この中には有名な「コルチャック先生」と孤児たちもいた)。さらに10万人の市民をゲットー内で殺し、あるいは劣悪な環境下で病死させた。

先に書いた「ワルシャワ蜂起」に先立つ1943年、ゲットーの人々は人間としての最後の尊厳をかけて絶望的に決起するが、ひとたまりもなく鎮圧虐殺され、ゲットーは徹底的に破壊された。


旧ワルシャワ・ユダヤ人ゲットー地域の中心に1948年に建てられた1943年のワルシャワゲットー蜂起のモニュメント。

2 24, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月23日

From Europe with Love - ワルシャワ蜂起記念碑

1939年ナチス・ドイツはポーランドに電撃的に侵攻して占領下におく。
圧政と虐殺が続く1944年8月1日、ワルシャワ市民とロンドンのポーランド亡命政府指揮下の国民軍はあと10日ほどであろう指呼の間にいたソ連軍の介入を期待した上で一斉蜂起する。国民軍を基本的に反ソ的だと考えていたスターリンは最後まで進撃の指示を出さず、蜂起軍は熾烈な市街戦を63日間闘い抜いた末10月2日ついに鎮圧された。

この蜂起で亡くなったワルシャワ市民は20万人といわれる。


ワルシャワ蜂起記念碑。

「ワルシャワ労働歌」のメロディが2回出てくる「ワルシャワ蜂起記念ミュージアム」のショップで購入したCDをMacで聞きながら。

若い頃よく歌った。
ポーランドの若い人はほとんど知らない。

♪暴虐の雲 光を覆い 敵の嵐は 吹きすさぶ
♪怯(ひる)まず進め 我らが友よ 敵の鉄鎖を打ち砕け

♪起て 同胞(はらから)よ 行け闘いに
♪聖なる血にまみれよ
♪砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく

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2007年02月22日

From Europe with Love - ワルシャワ雪化粧

今日のワルシャワは美しい雪化粧。
ホテルマンは冬は嫌いだと言うが行きずりの私にはうれしい。

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From Europe with Love - ワルシャワ朝景

ワルシャワーロンドン経由で一時帰国するPartnerを朝5時過ぎホテルで見送る。
3月1日にロンドンでまた合流する予定。

ワルシャワ旧市街にある2年半前にオープンした素晴らしいホテル「Le Legina」の部屋からの早朝窓景。

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2007年02月21日

from Europe with Love - ドレスデンの祈り

ドレスデン大空襲の記念日。
5500名の市民が集まり「GEN DENKE(=REMEMBER 想い起こそう)」と集会とデモ。

キャンドルで文章(=「ナチスはもうたくさんだ」)を灯し祈る人々。

一方で約1700名のネオナチが集まり、ヒットラーの絶叫調とは違う、なにか新興宗教のようなイントネーションの無いアジテーションがマイクで響く。


トラム(路面電車)も止まってしまい、レストランで食事して11時頃ホテルに帰るわれわれは動員された2000名の重武装警官隊の指示に従う。

暗がりの路地を黒覆面の男たちの集団が走り行きかなりな恐怖。

翌日のドレスデンの新聞。

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2007年02月18日

from Europe with Love - 国境の駅

ドレスデンからポーランドへ、
ドイツ側でドイツの国境警備隊の検問、引き続いて迷彩服を着たポーランド国境警備隊の検問。

ドイツからポーランドへ入った国境駅でいきなり列車遅延で足止め。
駅の周辺にはカフェもなにもない。ひたすら待つのみ。外は零下5度。
WCと書いてあるが扉は開かなかった。

旧共産圏を代表するなにか牢獄のような駅舎。

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2007年02月15日

From Europe with Love - ドレスデン・レクイエム

アップできるのはいつになるか分からないが、今ドレスデンのホテルで2月13日夜から14日になるところで記している。

62年前、1945年のこの夜、英国空軍、引き続いて米空軍の爆撃により、かつて「エルベ河のフィレンツェ」と讃されたドイツ中東ザクセンの古都ドレスデンの中心部は、ヨーロッパで最も美しいバロック教会「フライエン(聖母)教会(Frauenkirche)」も、アウグスト強王のツィンガー宮殿も、ザクセン王代々の居城も瓦礫の山と化し、23万名の市民が紅蓮の炎のなかで死んでいった。

絵はその夜を描いた Otto Griebel『Das brennende Dresden(Dresden Burning) 14. Februar 1945』(『The Destruction of Dresden in the night of 13-14 February 1945』より)


ゼンパーオーパー(Semperoper)でモーツァルトの『レクイエム』。
ゼンパーオーパーは1878年にゴットフリート・ゼンパーの設計によりイタリア・ルネッサンス最盛期の様式を模して造られた19世紀劇場建築としてヨーロッパ屈指の劇場。
これも徹底的に破壊されたが、永い年月を経て修復された。

教師の説明を聞きながら楽しそうに見学するこどもたち。


モーツァルトの『レクイエム』は東京で何度も聴きにいっているが、この夜のコンサートはこれまでにない経験だった。

聴衆にはもちろん観光客も混じるがかなりの年配の市民が多い。
おそらくは幼少時にあの空襲のなかを家族の誰かを喪いながら生き抜いてきた人々なのだろう。
後ろの脚の悪い杖をついた気品のある老人は奥の席に人が座ろうと通るたびに律儀に立ち上がって通している。


1時間ほどの奏唱が終わり、マンフレッド・ホーネク(Manfred Honeck)の右手の指揮棒がゆっくりと静かに静かに降ろされる。

普通のコンサートのような拍手喝采は、誰ひとりしない。


『レクイエム』は音楽会の単なる一演目などではなく、死者のためのキリスト教典礼で歌われるミサ曲であり(日本語に訳されている慰霊のための一般的な「鎮魂曲」ではない)、さらに今晩は特別な晩なのだ。

合唱団もオーケストラも独唱者たちも、そして聴衆たち(といっていいかどうか)も静粛のうちに立ち上がり、そのまま黙祷のようになる。姿勢はおのおのまちまちだ。

黙祷の時間が1分だったのか5分ほどだったのか、つい先ほどのことなのに私には定かでない。


それぞれの人がそれぞれの亡き家族親族のことを想い、天国が暖かく迎え入れてくれるように祈っているなかで、演奏中以外撮影OKの2Eを払っているのだがシャッターは切れなかった。

ドレスデン大空襲についての過去記事

2 15, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月13日

From Europe with Love - プラハ最古のビアホールで

チェコはビールの国。一人あたりの年間消費量は世界一。
あちこちに「ピヴニツェ」というビアホールがある。
プラハ最古のピヴニツェ「ウ・クレフー(U Fleku)」で。

日本では50年かそこらで(へたをすると30年くらいで)「老舗」などと称するが、こちらは桁が違う。創業は1499年! コロンブスの「新大陸発見」からわずか7年後、中国は明代、日本でいえば戦国時代ですよ。

座れば黙っていても自家醸造の黒ビールが出てくる。
アコーディオン弾きのおじさんは客層をにらみ、イタリア人と見るやイタリア民謡を、ドイツ人と見るやドイツの歌を歌う。
われわれを見て『上を向いて歩こう』をチェコ語で歌ってくれる。

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2007年02月11日

From Europe with Love - ブダペスト夜景

ブダペストの夜景は本当に美しい。
ホテルのテラスからドナウ河対岸のブダを望む。

「くさり橋」「ハンガリー王宮」「ゲッレールトの丘」。

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From Europe with Love - ブダペスト夕景

ドナウ河畔に切り立つような高さ235mの「ゲッレールトの丘」に夕刻登る。
ローマが要塞を築き、ゲルマン民族が南方へ移動した後、ウラルからやってきたもともと遊牧騎馬民族であるマジャール族がこの地に定着し、896年ハンガリー王国を建国した。

初代国王イシュトヴァーンはカトリックに改宗し、ローマ教皇からイシュトヴァーン1世の称号を受ける。布教のためイタリアから呼ばれた伝道師「ゲッレールト」は異教徒によってこの丘からドナウに突き落とされ殉死した。彼は功績を讃えられハンガリーの聖人となり、この丘は「ゲッレールトの丘」と呼ばれるようになる。

丘の先端に作られたナチス・ドイツからの解放とソ連軍兵士の慰霊碑として立てられた女性像の台座の一部。むろんその後の歩みは解放と自由とはほど遠いものだった。

左側がブダと王宮、1849年に完成したブダと右側ペストを初めてつないだ「くさり橋」。

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2007年02月10日

From Europe with Love - 宮殿でのお絵描き

ウィーン・ベルヴェデール(Belvedere)宮殿上宮の大理石の間で寝そべりながら楽しそうに絵を描いている地元の子供たち。

この上宮は「オーストリア・ギャラリー」として公開され、19世紀末から20世紀初頭に勃興したパリのアール・ヌーボーに呼応するユーゲント・シュティールの旗手、グスタフ・クリムトの代表作『接吻』(1908)『ジュディス』(1901)、エゴン・シーレ『窓』(1914)『男と乙女』(1915)などがすぐ近くの間に展示されている。

2 10, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年02月08日

From Europe with Love -ブダペスト夜景

ブダペスト、ドナウ河ペスト側のホテルの部屋から。

左はドナウ対岸ブダのハンガリー王国宮殿、右に見える橋はブダとペストをつなぐ初めに作られた「くさり橋」。

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From Europe with Love -ウィーンからブダペスト車窓

ウィーンからブダペストへ。
広大なハンガリー平原が拡がる。

ハンガリーは第二次大戦後ソ連支配下「鉄のカーテン」に隠されてしまったので、ウィーンとブダペストというとまったくかけ離れて思えるかもしれないが、同じドナウ河流域、距離にして約200Km。東京から浜松くらいなもの。
かつてオーストリア・ハンガリー帝国としてハプスブルク家の支配のもとにあった。

ルートは逆だが、ブダペストからウィーンへのEC(Euro City)の列車で知り合った男女(イーサン・ホークとジュリー・デルビー)が、互いの生活に戻る朝まで、ウィーンの街で共にさまよい語り合うリチャード・リンクレイター監督の秀作『Before Sunrise』(邦題『恋人までの距離(ディスタンス)』1995)を思い起こす。

ジュリー・デルビーが脚本にも参画した続編『Before Sunset』(2004)とともに帰ったら観直したい。

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From Europe with Love -ウィーン・シュテファン寺院夜影

12世紀にロマネスク様式の教会として建築され、14〜15世紀にハプスブルク家によってゴシック様式の大教会に建て替えられたウィーンのシンボル、シュテファン寺院(Stephansdomー地元の人は「シュテッフル」と呼ぶ)。

ライトアップされた高さ137m南塔の影が垂れ込めた雨雲にくっきりと映る。

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2007年02月06日

From Europe with Love -国境夕景

イタリア、オーストリアの国境付近で落日。

落陽後の茜色の残照が大好きだ。

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From Europe with Love -アルプス越え

チュニジアのチュニスからシチリアに渡り、パレルモ、メッシーナ、ナポリ、ローマ、アッシジ、ペルージャ、アレッツォ、フィレンツェ、ラヴェンナ、ファエンツァ、ベネチアとイタリアを北上してきたが、泊まったところはどこもネット環境は悪く、2週間ぶりにようやく。

今日はベネチア・サンタ・ルチア駅を14:44発ウィーン行きのECに乗り込み7時間の列車行。

ときどき現れる村落の家々もだんだんチロル風になってくる。

アルプスの東端をなんとかくぐり抜けるように進む。

トンネルとトンネルの瞬時のあいまで。
中欧と南欧を峻別するアルプスの存在を実感する。

オーストリアとの国境の駅で。
Partnerは、わ〜い、アルプスの雪だとさわりに行く。
乗務員も交替。グラッチェからダンケ・シェーンへ。

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