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2007年01月22日

From Europe with Love -洗濯物有情・リスボン

リスボンは古代ローマの頃からユリウス・カエサルも訪れ、町をなしていた。西ゴート族の支配の後、8世紀イスラームの支配下に入るが、カスティーリャから独立したポルトガル王国の首都として12〜13世紀、ヨーロッパ有数の都市となる。

1498年、バスコ・ダ・ガマのインド航路発見とアジアとの香料交易でリスボンは未曽有の繁栄を遂げた。
ポルトガル人はインドのゴアに東洋支配の拠点を築いて通商圏を拡大し、イエズス会を通じてキリスト教を布教する。

1543年、ヨーロッパ人として初めて日本を訪れ、南蛮文化をもたらす。

ところがリスボンは1755年の大地震で市内のあらかたは廃墟と化す。
写真のアルファーマ地区は、その災禍を免れた地域で城塞に向かう斜面に入り組んだ路地と古い建物が残り洗濯物がはためく。

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2007年01月21日

From Europe with Love -ナポリ湾夕景

ポンペイ付近で、車窓から。

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From Europe with Love -メッシーナ海峡波光

シチリア島・メッシーナからイタリア半島の爪先、ビラサンジョバンニへのメッシーナ海峡で。

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From Europe with Love - 航海安全祈願

東はイオニア海、西はティレニア海。
イタリア半島最南端カラブリアへ手漕ぎボートで渡れそうなメッシーナ海峡。

しかし実は潮流が激しい海峡の航海安全をたぶんラテン語で祈願する意を記した金色のマドンナ像。

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From Europe with Love - マッシモ劇場

地中海最大の島シチリア(英語名シシリー)、紀元前8世紀頃からパレルモにはフェニキア人により、シラクーザ(シラクサ)、メッシーナにはギリシャ人により交易地として植民活動が始まった。

地中海の中心にあるシチリアのその後の歴史はもうわけがわからないほど複雑だ。

ローマはもちろん、ビザンティン、イスラーム、ノルマン、神聖ローマ帝国、フランス、スペイン、サヴォイア家、ハプルブルク家、スペインブルボン家、ナポリ王国との合併、ガリバルディによるイタリア王国への統一…。

このさまざまな支配と「ローマの穀倉」といわれた以来の収奪にあえぐ歴史のなかから「シチリア・マフィア」が生まれたといわれる。


ヨーロッパでも屈指の大歌劇場、パレルモの「マッシモ劇場(Teatro Massimo)」。

もちろんドン・マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)が娘メアリー(ソフィア・コッポラ)を殺されて慟哭し、「カヴァレニア・ルシティカーナ」が鳴り響く『ゴッドファーザーPart3』の舞台。

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From Europe with Love - シチリアへ

チュニジア・チュニス空港から44人乗りプロペラ機でイタリア・シチリア島パレルモへ。

地中海の東西の往来はこのシチリア海峡を通る。海峡幅約150Km。
対馬海峡(208Km)より狭い。
古代ローマはここを通ってカルタゴをせん滅した。

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2007年01月18日

From Europe with Love - ハマメット夕景

チュニスから60Km南東のビーチがひろがるハマメット(Hammamet)夕景。

フランスの植民地時代、社交場として発展。
モーパッサン、オスカー・ワイルド、チャーチル、そしてフランソワーズ・サガンやソフィア・ローレンなどのエトランジェたちを魅了した。

友人のアラブ音楽家である竹間ジュンさん作曲の『ハマメットの渚で』という美しい曲がある。

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From Europe with Love - 世界最古のカフェで

チュニジア、シディブサイド(Sidi Bou Said)の世界最古のカフェのひとつといわれる「カフェ・デ・ナット」。

ナットはゴザの意味で床上に敷かれたゴザの上でゆったりくつろぎおしゃべりする。

カフェは9世紀頃、メッカなどにできたとされるが、シディブサイドはレコンキスタによってアンダルシアを追われた人々が移ってきてできた街。いつ頃からかははっきりは分からない。

チュニジアのお菓子と松の実を浮かべたミントティー。

水煙草をゆったりくゆらす男。

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2007年01月16日

From Europe with Love - チュニジア着

スペインをバルセロナ、ヴァレンシア、トレド、コルドバ、グラナダ、マドリード、サンチャゴ・デ・コンポステラと来て、ポルトガルに入りポルトに一泊。さらにリスボン空港からチュニジアのチュニスへ約80人乗りの飛行機で2時間20分ほどで着く。

ポルトガルはイギリスと同じグリニッジ標準時なので1時間時計を遅らせ、チュニジアはまたヨーロッパ時間なので1時間早める。

今回のヨーロッパ旅行は全13ヶ国だが、そのうちのひとつは北アフリカのチュニジア。
ヨーロッパと北アフリカなどとは全然別物だと思うかもしれないが、地中海世界としてとらえればずっと密接につながりあっている。

ボン・ジュール、メルシィ、オ・ルヴォワールの世界からオラ、グラシアス、アディオスに少し慣れたと思ったら、またポルトガルでセルベッサ(スペイン語でビール)はセルベージャだと言われ、チュニス航空ではまたボン・スワールと迎えられる。

毎日のように「世界遺産」のなかにいて、宿泊ホテルも旧市街と新市街があれば迷わず旧市街を、小さいものと大きいものがあれば小さいものを、できるだけ歴史や由緒と特徴があるところを、と渡り歩いているので、コンピュータ・ネット環境は良くなく、アップも前後錯綜します。ご容赦。

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From Europe with Love - サンチャゴ・デ・コンポステラ夕景

サンチャゴ・デ・コンポステラの旧市街(世界遺産)に灯がともり、中世と同じ夕陽が隠れる。

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From Europe with Love - シェラ・ネバダ遠景

グラナダのアルハンブラ宮殿からシェラ・ネバダ山脈を望む。

アンダルシアの地からはどこからものぞめ、春には溶雪が谷間と渓谷を潤して緑と花をもたらし、夏には涼風を贈る。

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2007年01月07日

From Europe with Love - バレンシア夕景

バレンシアのカテドラル鐘楼上から。
目がまわり足がもつれる高さ50mの石の螺旋階段を上がって。

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From Europe with Love - ガウディ「カサ・ミラ」

La Pedrera(石切場)とも呼ばれるガウディ作の有名な「カサ・ミラ(Casa Mila)」。

最上階はアスパイ・ガウディというガウディの作品を紹介する博物館になっており、奇妙な煙突が林立する屋上にも出られるのだが、入館を待つ長蛇の列で今回は時間がなく石の感触を確かめてあきらめる。

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From Europe with Love - カタルーニャ小史

カタルーニャの人々はスペイン人である前にカタルーニャ人。

ヨーロッパの歴史はどこも重層的、複層的だが、現スペイン北東部のバルセロナを中心とするカタルーニャの歴史も実に複雑だ。

高校で世界史を習わなかった(?)若い人のためにものすごくおおざっぱに記すと以下。


現在のカタルーニャの地にはイベリア人が先住していたが紀元前1000年頃北から移住してきたケルト人と混血する。
その後フェニキア人、ギリシャ人が植民し、古代ローマ時代には「ヒスパニア・タラゴニア」と呼ばれる帝国の属州となり、古代ローマ遺跡が数多く残るバルセロナ南のタラゴナ(Tarragona)がイベリア半島支配の拠点だった。
ローマに対抗したカルタゴ(現チュニジア)のハンニバルもポエニ戦争でこの地を席巻し南フランスからアルプスを越えローマに迫った。

ローマ帝国が東西に分裂した後、5世紀からは西ゴート族が進出しこの地を支配する。
8世紀には北アフリカからイベリア半島に侵攻したイスラームのムーア人に占領されるが他の地方と違ってその支配は長くは続かない。

8世紀末にはフランク王国カロリング朝のカール大帝(シャルルマーニュ)が奪ってスペイン辺境領とし、後にバルセロナ伯領として独立する。
12世紀から15世紀初めまで、レコンキスタ(キリスト教徒によるイスラーム支配からの領土回復運動)のなかで西隣のアラゴン王国と同君連合し、地中海貿易を独占して繁栄する。

15世紀末、アラゴン王国とカスティーリャ王国の合併と「新大陸の発見」、大西洋航路の開拓によってハプスブルク家の統治下カタルーニャの地位は低下するが、カスティーリャに抗し、政治的言語的自治を要求し続け、17世紀には大規模な反乱を起こす。

18世紀のスペイン継承戦争ではブルボン家支配に反乱を起こすが失敗して自治権を奪われる。

19世紀のイギリスに次ぐ産業革命のなかで、良港と豊かな水力に恵まれたバルセロナを中心として各種工業が発達し、国内有数の産業地域となる。
同時に労働運動も盛んになりスペインにおける中心地となり、マドリードからの分離、自治権獲得の運動も激化する。
マドリードの労働運動がいわゆる正統社会主義であったのに対し、バルセロナのそれはアナーキズム(無政府主義)、サンディカリズム(革命的労働組合主義)が濃厚だった。

第二共和制とその後のファシスト・フランコの反乱によるスペイン内戦(1936-39)では、最後まで人民戦線側の砦として抵抗する。
後に『動物農場』『1984年』で独裁管理国家の恐怖を著し著名になったイギリスの作家ジョージ・オーウェル(1903-50)は、人民戦線側に参加し、その内部抗争を含めて『カタルニア賛歌』(1938)に活写した。

フランコ独裁後は自治権を奪われ、カタルーニャ語も禁止されるが、フランコ死後の民主化で自治権を回復し、言語的にも地方公用語として認められる。


スペイン内戦におもむき1939年陥落寸前のバルセロナでロバート・キャパが撮った少女がもし生きていれば80代だろうか。

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2007年01月06日

From Europe with Love - 生ける彫像

バルセロナの目抜き通り、Rambla(ランブラ)通りは観光客、地元人でごったがえす。

いつ頃から名物になったのか知らないが、生ける彫像。
ピクともしないので彫像かとそのまま通り過ぎてしまうがすべて生きた人間の大道芸。

小銭を入れると、この女性は優雅な手の舞を見せた。

もちろんティム・バートン監督、ジョニー・デップの「シザーハンズ」。

小銭を入れると猛烈に自転車をこぎ始める。隣の骸骨も踊る。

こちらも小銭を入れるとそれまでぴくりともしなかった男が一曲かなでる。

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2007年01月05日

From Europe with Love - グエル邸屋上を望んで

バルセロナといえばガウディ。

で、ホテル「Gaudi(ガウディ)」に宿泊。
最上階の部屋の窓を開ければ、細いノウ・デ・ラ・ランブラ通りを隔てて目の前にアントニオ・ガウディ(1825-1926)初期の傑作「Palau Guell(グエル邸)」(1886-90)の屋上が朝の光にまぶしい。

1878年のパリ万国博覧会で見た革手袋店ショーケースのデザインに惹かれ、設計者であるガウディを見い出し、終生パトロンとなったバルセロナのブルジョア、エウセビオ・グエル(1846-1918)のために、ガウディは25ものプランを立てたという。

邸前面その他補修中で残念ながら中も見られない。

屋上には19本の煙突、換気塔が林立し、むき出しのまま残されたものには後にさまざまなアーティストがカタルーニャ語で「トレンカディス」と呼ばれる陶製タイルやクリスタルの破片をセメントで固める「粉砕タイル」の技法で装飾を施している。

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From Europe with Love - カタルーニャ料理

バルセロナのRambla de Catalunya「Meson Cinco Jotas(メソン・シンコ・ホタス)」で。

シンコ(5等級=最高級)のホタ(生ハム)。塊から1枚ずつ丁寧にこそぎ落とされたハブーゴ産イベリコ豚の旨味。

スライスパンにニンニクをすりこみ完熟トマトをぬりこんで焼いたカタルーニャの地方料理、Pan con tomate(パン・コン・トマテ)。

細かいパン粉で揚げられたcroqueta(クロケタ=コロッケ)。

アスパラのグリル、焼きトマト。

リオハ産赤ワインと。

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From Europe with Love - カタルーニャ夕景

人っ子一人見えないカタルーニャの広々とした大地に陽が沈む。
バルセロナ郊外で。

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From Europe with Love - バルセロナへ2

さて事態はくるくる変わる。
早口のフランス語だけのアナウンスはよく聴き取れない。

英語の話せる乗客たちにも聞くと、本来の乗り継ぎ駅であるモンペリエ(Montpellier)ではなく、その先の分岐駅(この電車はトゥールズ、ボルドーに向かう)であるナルボンヌ(Narbonne)で乗り換え、ペルピニャン(Perpignan)からバルセロナまでバスだという。
そんな深夜にバスがあるのか、誰に聞いても判然としない。

ペルピニャンに着くと、バルセロナ行きのいわゆる振り替えバスが用意されていた(バルセロナ行きのチケットを持っているのでもちろん無料)。
3〜4時間かかるという。
もうすぐ零時、マルセイユからすでに9時間でふたりとも疲れ切っている。
駅前にホテルがあるが、行ってしまおうと乗り込む。

PM11:59、バスが発車。0:26、スペインに入る。EU統合の進んだ現在はなんのチェックもない。
高速を走るが、本来の鉄道降車駅前までひとつずつ降りて寄る。
AM3:10、バルセロナ・フランサ駅に到着し、タクシーでようやくホテルへ。

マルセイユから12時間半の旅。
しかし、アクシデントのおかげで、プロヴァンスのマルセイユからラングドック地方、そしてカタルーニャ(ペルピニャンは13〜14世紀にはマジョルカ王国の首都であり、その後17世紀末にフランスに併合されるまではスペイン・カタルーニャ領に属していた)へという街々を夜中ではあるが見ていくことができた。

1 5, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月03日

From Europe with Love - バルセロナへ

今日は23日間過ごしたフランスを離れ、マルセイユからスペイン・バルセロナへの予定、だった。
が、「ヨーロッパの鉄道は遅れることがある」とガイドブックにはきちんと書いてありその通りになる。

出発がまず45分ほど遅れ、40分ほど走ったまだマルセイユ郊外のような小さな町「Rognac」で、先行電車のアクシデントかなにかで2時間停車だという。
では、モンペリエでのバルセロナへの乗り継ぎはどうなるのか?車掌はそれはもうパーだと言う。
この小さな駅の駅員に聞くと、動き出してからモンペリエまで行き、そこに泊まるしかない、らしい。

ホームと空き地と道路がつながっているようなところで、同じ列車に乗っている犬が子どもと走り回っている。糸杉の横に陽が沈む。

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2007年01月02日

From Europe with Love - フランス女性のファッション

フランスに来てから3週間、パリ、リモージュ、リヨン、マルセイユと女性のファッションをずっと見てきたが冬場でもあるかもしれないが圧倒的にパンツルック。
肌色の脚を見せている人は数えるほどしかいない。

ミニスカートにブーツなどというのはフランスでは一般的には娼婦ルックと見なされる。
渋谷、新宿、女子高生のスタイルを見たらこちらの人は仰天する。

ただし内輪のパーティーなどでは思い切りセクシィに着飾る。

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From Europe with Love - 元旦のマルセイユ2

元旦はほとんどどこの店も休み。

ようやくホテルで探してもらった開いているプロヴァンス料理の店に。
Partnerは母が用意してくれた着物を着て。

1 2, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

From Europe with Love - 元旦のマルセイユ

元旦のマルセイユ。ホテルの窓を開けて。
絵はがきのようなマルセイユ「旧港(Vieux Port)」の景色が拡がる。

フェニキア人が地中海南の北アフリカに進出し、エトルリア人がイタリア西部に広がっていた紀元前600年頃、ギリシャ人がこの天然の良港に植民し「マッサリア」と名付けた。
「マルセイユ歴史博物館(Musee d'Histoire de Marseille)」で、その頃のギリシャ船の遺物やその後の発展を観ることができる。

カエサル(ジュリアス・シーザー / B.C.100-44)は、当時「ガリア」と呼ばれていた現フランスをマルセイユ経由で征服し(『ガリア戦記』)、その功績でローマ帝国独裁者の座につく。

その後この良港をめぐってはさまざまな戦乱があり、イベリア半島を東上したイスラーム勢力の攻撃も受けた。中写真の上は東側の要塞跡。

1 2, 2007 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年01月01日

From Europe with Love - あけましておめでとうございます!

マルセイユから2007年あけましておめでとうございます!

ホテルの窓から。
零時1分前くらいから、道行く車が一斉にクラクションを鳴らし始め、別に花火などのアトラクションがあるわけでもないのに「旧港」(Vieux Port)の波止場になんとなく集まった人々から歓声があがっています。

今年がみなさまにとって良い年でありますように!

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From Europe with Love - ノートルダム・ド・ラ・ガルドのマリア像

あと1時間ほどで2007年。

ホテルの窓からノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院(Basilique de Notre-Dame de la Garde)を望む。

古くから聖なる山とされた標高154mほどの山の上に19世紀中頃、建築家エスペランデューにより建てられた。
高さ46mの鐘楼に立つ黄金色のマリア像がマルセイユの街と航海の安全を見守る。

明治維新後の留学生たち、永井荷風をはじめとする仏蘭西洋行文人たちも2〜3ヶ月をかけてマルセイユの沖合に達し、このマリア像を望んだだろう。

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From Europe with Love - 大晦日の食事

マルセイユで2006年大晦日。

行きたかったレストランも休みか満員なので、買ってきた食料、ワインとルームサービスの料理でホテルの部屋でのんびり港の夜景を観ながら。

レストランでメニューの選択や分量や時間や値段を気にしながらではなく、こんな風に好きなものを好きなだけ時間を気にせず食べかつ飲めるのは最高の幸せ。

サヴォア地方のボーフォール(Beaufort)チーズ、プロヴァンスのチーズ、シャンベリーのSATOMIさんからいただいた極上の鴨リエット、サラミ、アンチョビ入りオリーブ、別の味付けのオリーブ、枝着きトマト、ライチ、細長い金柑のような果物、日本ではあまり見ないチシャ、みっしりしたガーリックトースト等々。

いろいろな野菜で作られたカップ3杯分ほどもある滋味たっぷりポタージュ、レモンソースのタラ、ほうれん草添え。

プロヴァンス特産のロゼワインとコート・デュ・プロヴァンスワインと。

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From Europe with Love - マルセイユ大晦日夕景

マルセイユで大晦日。

ホテルの前の埠頭から観光フェリーに乗り、沖合3Kmほどにあるラトニュー島(Ile Ratonneau)へ。
今年最後の落日が美しい。

中央がラトニュー島、左はアレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯(岩窟王ですね)』の舞台にもなったイフ島。


Bonne Annee ! (よい年を!)

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