長谷秋色-2 曼珠沙華
9 30, 2006 06.私の好きな鎌倉の風景 | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
4月から使っている私のメインマシンMacBook Proのハードディスクの調子が悪い。
ずっとなにかスピードやアプリケーションのふるまいに違和感があったが、メールソフト「Mail」が昨晩から機能しなくなり、丸一日メールがチェックできていない(今現在はまた3段重ね2段目のPowerBookG4でメールを送受信)。
ディスクユーティリティでも不具合が表示、
初期化を決意。ただそれでもハード的な故障であれば交換修理が必要になるかも。
約80ギガのハードディスク内容を外部ハードディスクにバックアップ中。
朝方までかかりそう。
OSからソフトウェアの入れ直し、各種設定等、気の遠くなる手間と時間のロス。まあコンピュータには「つきもの」だが。
9 28, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「納豆」を外国人に説明するのはなかなかに難しい。
大豆(soybeans)は世界中で食べられているが、納豆が同じsoybeansなのだと理解してもらうのにまずかなりな説明を要する。
今でこそ「tofu(豆腐)」と同様ヘルシーな食品としてニューヨークでもパリでもバンコックでも手に入るが、太平洋戦争下、シンガポールで日本軍に捕らわれたオランダ兵たちは、収容所の食事に出された納豆を腐ったものと思い込み捕虜虐待だと訴えたという。
英語で「fermented soybeans(発酵させた大豆)」。
フランス語やイタリア語になるとそれぞれ「soja etuve et fermente(ソージャ・エチュヴェ・エ・フェルマンテ)」「soia bollita e fatta fermentare(ソイヤ・ボッリタ・エ・ファッタ・フェルメンターレ)」と、ん?これが納豆のことかと驚く大層な名前になる。
フランスの人、イタリアの人、「tofu」と同じようにどうか「natto」と簡素に呼んでくださいな。
写真はラ・ジュルネでいただいた筑波山麓鬼怒川ほとりに伝わる「乾し納豆」。
(糸引き)納豆をそのまま乾燥させる。硬いがしっかり納豆のにおいと味わい。そのまま酒のつまみ。お茶漬けにも。
9 26, 2006 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
ラ・ジュルネ(鎌倉由比ガ浜)の伊吹さんが、庭に植えるための素晴らしく育ったミョウガを持ってきてくれる。アジくんも一緒。
店が忙しいようなのでアジくんを預かる。
課題をやっているPartnerと仕事をしている私の横で、ふだん店でのようにつながれてではなく、Micとリビングや庭で心おきなくえんえんと半日バトル&昼寝。
身体の小さいアジくんはMicのお気に入りおもちゃを咥えてソファの隙間や椅子の下を素早く逃げる。Micはゴチゴチ身体をぶつけながら追いかける。Mic先にバテる。
Partnerが買い物から帰ってくるとアジくんがまず跳びつく。Micがボクのママだぁと押しのけようとする。
晩ご飯、アジくんは自分の分を3秒くらいで食い尽くし、Micの分も三分の一ほど横取り。
9 25, 2006 01.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 24.犬と暮らす | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
増山理人くんの講演会を多摩美上野毛キャンパス講堂で。
可愛らしくくキラキラした眼の子どもたちがどのような過酷な現実の中にあるか、それと向きあわざるをえない状況で、美大で学んだだけの自分にいったい何ができるのだろうか。
廃墟ビルのマンゴーの樹の下で始めたストリートチルドレン相手の絵や工作や音楽の教室。
今日は彼も心おきなく語る。
学生たちが少しでも世界への想像力を拡げ、これから学び、自分は人々に何をするべきかを考える糧としてほしい。
9 21, 2006 11.教育と学びのデザイン | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
オリヂナルジョーズのデザートに触発されて、Partnerが作ったイチジクとリンゴの赤ワイン煮。豆乳アイス添え。
9 19, 2006 19.食と農、健康と病, 25.My Partner | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
宮代肉店(鎌倉長谷)で購入した牛ヒレ肉の塊を塩胡椒し、囲炉裏の炭火でじりじりと炙る。切り分ければ中はジューシーなレア。ほんの少しホースラディッシュを付けて。
9 19, 2006 19.食と農、健康と病, 20.囲炉裏の愉しみ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
増山理人くんが来宅。
久しぶりに囲炉裏に火を起こして酒宴、歓談、20日の上野毛キャンパスでの講演会の打ち合わせも。
レンバイなどで仕入れた鎌倉野菜のピーマン、米ナスに田楽味噌、椎茸に酒醤油、えのき茸、白アワビ茸、ペコリス、ミニトマト、新ジャガ、カボチャ、厚揚げに生姜醤油、ハタハタ、ホタテにバター醤油、サザエに酒醤油、牛ヒレ、焼きおにぎりと酒粕汁…。
9 19, 2006 20.囲炉裏の愉しみ, 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
今日起きてみると、頸の痛みがすっと消えており、頸が回る!
7日からだから全治10日間。
この間あまり動かないようにしていたので、身体が少しふらふらしている。
皆さま、ご心配をおかけしました。お見舞いありがとうございました。
9 16, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック(0)
頸(クビ)がまわらない。
借金の話ではない。
仰角(水平面より上を見る角度)可能15度、俯角(水平面より下を見る角度)20度。左方向10度、右方向わずかに5度。
以上「分度器」などというかなり時代遅れなものを使って測った。
丼に頭を傾けてすするラーメンなどは食べられない。
ビールジョッキをぐいっと飲み干すこともできない。ストローでビールを飲んで旨いはずがあるか?
「先生、相談が有るのですが…」と研究室で斜め後ろから学生に声をかけられても、「俺の後ろに立つな」とゴルゴ13になる。
9 15, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
増山理人写真展「CORAZON」(中米ニクアグラ、スラムの子どもたちと過ごした2年間の記録)を今日14日から21日まで、多摩美上野毛キャンパスの学食前で開催します。
14〜22時 / 17-18日は休み
20日(水)には公開特別講演会も行われます。
18〜21時 / 上野毛キャンパス講堂
いずれも一般の方のご来場、聴講は自由です。どうぞお越しください。
9 14, 2006 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
絵・アニサ・13さい・アフガニスタン・カブール
「いったいどんな経験をすれば、子どもたちは黒いクレヨンで太陽をかくようになるのでしょうか?」(『あの日のことを かきました』(エクトル・シエラ / 講談社)。
大英帝国の植民地からアメリカが独立したのは、今からわずか230年前の1776年。大西洋岸のメインからジョージアまで13州の弱小国家として出発した。
日本では江戸後期十代家治の安永5年。当時日本の人口はおよそ3000万。
アメリカは1790年に国勢調査を行ったが人口は僅か400万(うち80万がアフリカ系)。ただし300万と推定される先住民(ネイティブ・アメリカン)は入っていない。
次の世紀を通じて西部を「開拓」し、メキシコに戦争をしかけてテキサスなどを獲得し、フロンティアが消滅するとハワイを呑み込み、スペインからフィリピンを奪い取る。
そして今「大米帝国」といっていい最強国家として世界に君臨する。
若い頃から猿谷要氏のさまざまな著作や翻訳でアメリカのことを学んできた。
ややオプティミスティックなリベラリズムに私は批判的ではあったがこの近著『アメリカよ、美しく年をとれ』(岩波新書)は、読んでいて何度も涙した。
戦時中、飛行教官で赴任していた北海道西春別(現別海町)で見たグラマン機の「少なくとも鬼畜ではない」初々しさが残っているほどの少年パイロットの顔のアメリカとの出会いに始まり、「西洋史」はギリシャ・ローマと英独仏が中心で「アメリカ」など影も形もなく独学した大学時代。その後のアメリカ各地での学びや旅と人々との交流を描いた心象風景。
何度にもわたる脊椎圧迫骨折の苦痛のなかで書かれた。
なによりも、自分がより知ろうと志し、訪れ、学び、人々とつきあってきた「若く」「民主的」で「親しみやすい」国であるはずだったアメリカが、世界中の人々から嫌われ、今無惨な「老醜」をさらそうとしていることへの悲痛な忍びなさが行間に溢れている。
帯の文言ー
「愛する国の老醜は見たくない」「軍事力より文化力を」
AMERICA, Age with Grace and Dignity.(私訳ーアメリカよ、品位と尊厳とともに年をとれ)
私も今日ひとつ歳を重ねる。
Age with Grace and Dignityでありたい。
9 12, 2006 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
「何まいかいても、アシュリーちゃんの絵の中のツインタワーは、やっぱり黒いままでした。」(『あの日のことを かきました』(エクトル・シエラ / 講談社)。
一昨年にも、昨年にも記した。今年はもうくどくどしく書かない。
9・11は出発点では断じてない。
それまでに何がなされれてきたか、それまでに何がなされてこなかったかの歴史的結果だ。
その後の「対テロ戦争」下の5年、世界と日本はますます暗い道筋をたどっている。
9 11, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
昨朝起きたら頸(くび)に激痛。いわゆる「寝違え」でそのうち治るだろうと思っていたら夜になっても少しも痛みがおさまらない。
一晩寝たら今朝は自力ではベッドから起き上がれないほどの痛み。
骨折や足首の傷のとき診てもらった下馬の整形外科医院へ。
ヒトを含めた哺乳類の頸の骨は7つの頸椎からなり、一番上は環状(イカの輪切りみたいなもの)で、二番目のものは軸を持っていて上の環におさまっている(喉の奥あたりにあり頭を支えている)ので「環軸関節」と呼ぶ、のだそうだ。
で、レントゲンで見るとそれがずれている。つまり脱臼。
来週から授業が始まるというのに、立ったり座ったりする動作だけで激痛が走る。
スターウォーズのC-3POをさらにぎこちなくしたような動きに。
9 8, 2006 23.日々のなかで | 固定リンク | コメント(5) | トラックバック(0)
以下は4月から5月にかけてやっていた新入生クラスの「画像と文字」授業のまとめと学生へのアドバイス。参考まで。
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授業のなかでは言い尽くせなかったことを含め、少し長くなりますがまとめとアドバイスを記しておきます(できればプリントして読んでください)。
●この授業で伝えたかったこと
この授業は「画像と文字」というタイトルでしたが、ここで私が皆さんに伝えたかった一番重要なことは、あなた方にとって入学後初めての授業であることを勘案し、「大学での学び方」と「デザインするということはどういうことなのか」ということの基本を少しでも理解してもらい、今後4年間学んでいく上で何が重要なポイントなのかの指針として生かしていってほしいということでした。
●大学での学び方ー「何を学ぶべきかを学ぶ」「学ぶ方法を学ぶ」
大学は教師が一方的に何かを教えるという場ではありません。また何かのテーマについてすべてを教えるような時間はありません。
「何を学ぶべきか」ということと「どのように学ぶべきか」ということは教えます。そこから先は学生の「主体的な学びの営為」の場なのです。
「どのように学ぶべきか」をつかみさえすれば、これから自分がやりたいと思っていることについて「何を学ぶべきか」はどんどん解ってきます。そして学ぶ方法さえ身につけていけば、卒業後も30代、40代になっても、また異なる分野に進んでも「学ぶ」ことはできるのです。
●「デザインする」ということープロセス
「デザイン」は単なる造形作業でもなければ、素材や色の見てくれをきれいに装うということでもありません。
デザインには「目的」があります。
何かの解決であることも、提案であることも、イメージやイマジネーションの喚起であることもあるでしょう。
いずれにしても、人々の共感を得、幸せや、心の豊かさや、生活への有意義さや、新しい発見や見方を提供し実現するものなのです。
したがって、デザインは「思いつき」や「感性のおもむくまま」に作られ、できるものではありません。
(「ひらめき」や「直感」はちょっと別の問題で、主として、豊かなデザイン経験やデザインアイディアの「引き出し」をたくさん持っている人にとっての「デキゴト」です)
デザインするということは、テーマをできるかぎり調べ観察し、ものごとの本質をつかみ、対象とする人々に的確にコミュニケートするためには何に着目して表現するかを考え、「発見」し、どのようなビジュアルと言葉でアピールするかを構想していくという、なによりも「考察」(調査を含む)や「プラニング」を前提として必要とする営為です。
「デザイン」ってこんなに考えなくちゃいけないものなのか、と思ったかもしれません。そう、「デザイン」はまずもって「考える」ことが必要とされるのです。
「テーマ設定」—「コンセプトメイキング」—「デザインコンセプト」—「デザインアイディア」—「ビジュアルアイディア・キャッチコピー」というステップ・プロセスを意識的に踏んでもらって、プラニング・コンセプトワークにかなりの時間配分をおいたのはこのことを理解してもらうためでした。
デザインのプロたちはこのプロセスを一気にやってしまったりします。しかしデザインの世界に踏み出したばかりのあなた方には一歩ずつやってもらいました。
●課題の趣旨
課題のテーマは「自分の好きでたまらないコト」「とても関心を持っているコト」「やっていると充実するコト」を、そのことの楽しさ、おもしろさ、充実感、それについての自分の想い、情熱を、他の人々に伝え、共感を得る、ということでした。
商品を売るための広告デザインなどでは、どうしても既存の商業的な表現にとらわれ、デザインの基本を学んでもらう上で幅が狭まってしまうこと、社会的なテーマでは知識と経験の少ない新入生には荷が重いこと、大学に入ってあらためて「自分」を再発見してもらいたいこと、自分が一番好きで関心を持っていることさえうまくデザイン表現できなかったら他人(クライアント)の要望など表現できるわけがないこと、などの理由からこうしています。
ただ、ここで注意してほしいのは、課題は、好きな「モノ」を表現するということではなく、「コト」のデザイン表現であり、その感動や想いや情熱を伝えるということでした。
「コト」というのは、静的・固定的な物(モノ・ブツ)自体ではなく、動的なダイナミックな「関係」であり「シチュエイション」であり「プロセス」であり「ストーリー」です。
モノ自体というものはありません。人間との関係のなかで「モノ」は意味を持ったものになります。また「本質」というのはたまねぎの皮をむいていくと最後にある芯のようなものではありません。
モノも本質も「関係の総体」なのです。
このことは、今後、モノ(プロダクト)のデザインや空間のデザインをやる場合にもきわめて重要なポイントです。
●「画像」について
自分で撮影した写真画像3点以上を使うという条件を付けました。
自分で撮影するという作業ではテーマに沿った「観察」と「発見」が必要です。
撮影自体や画像処理の技術よりそれが一番重要です。
それが根底にあって「発見」したことをどう撮影したらいいか、どうコンピュータ上で画像処理したらいいか、の技法的、技術的な学びへの欲求が生まれ、「学び」の根拠となるのです。それ抜きで撮影技術やPhotoshopの使い方を覚えたいなどというのは筋違いです。Photoshopのテクニックなどは、マニュアル本が山ほどあり、それを見ながらやれば誰だってできるようになります。
それだけの目的なら、あえて言えば、多摩美ではなく、専門学校かパソコン教室に行けばいいのです(たぶんテクニックはずっとうまく教えてくれます)。
かくかくしかじかの目的と必然性と表現のために、こういうデザインをしたい、そのためにPhotoshopではなにができるか、というアプローチなら分かります。そうではなく、漠然とPhotoshopを使いこなせるようになればデザインの力が上達するなどと考えるのはまったく間違いです。
私はそういうことにさして興味も無いし、割くべき時間もありません。したがって基礎的な使い方以上のことはあえてやりませんでした。
多摩美術大学造形表現学部デザイン学科の授業としてもっと教えたいことがあったからです。
●ことばとタイポグラフィの重要性
作品を創るなかで、いかにことばと文字の表現(タイポグラフィ)が重要か、に気付いてくれたと思います。これは、おそらく色彩構成とかイラストやデッサンが中心になっていたこれまでの勉強ではあまり意識しなかったでしょう。
しかしグラフィックデザインはほんの少しの例外をのぞいてことばと文字表現を含んでいます。
ロートレックの絵も、文字情報を含むことによって絵画ではなくデザインポスターとなりました。
講評時に言ったように、皆さんの今回の作品も、ことばとタイポグラフィを改善すればずっと良くなるものばかりです。
グラフィック要素で90%成功していてもことばとタイポグラフィが適切でなければデザイン的に失敗なのです。
コピーとの関連で言えば、ことばについてのセンスを磨いてください。ボキャブラリーも増やしてください。
けれどこれは表面的なことではだめで、結局は思考・思想がどこまで深く届いているかに関わります。これにはいろいろな本をたくさん読むことが必要としか言えません。
一流のデザイナーは、自分の作品をきちんとことばで説明・プレゼンテーションでき、また他の人の作品をことばで批評することができます。
それは「好き」とか「嫌い」とかいうレベルの話ではありません。
なぜそういうことができるかというと、ビジュアル的・イメージ的にだけではなく、ことば(多くの場合日本語)で考え抜いているからです。
タイポグラフィについては、今後徹底的・自覚的に勉強してください。
グラフィック・エディトリアル・書籍装丁はもとより、他の分野のデザインでも死活的な役割と意味を持っています。
また英語を使えばかっこいいというような幼稚な考えは捨ててください。
それは端的に言って日本語と日本語タイポグラフィを磨いていく努力の放棄でもあります。
●客観的に見る力
何度も繰り返し言ったように、デザインの一番の大敵は「ひとりよがり」「自己満足」です。
対象とする人に、目的に沿って、伝えたいことが伝わって、はじめてデザインです。
「自分としてはこういうつもり」「自分が好きだから=伝わるはず」というオプティミズムをもっとも警戒する必要があります。
これを避けるには、自分のアイディアや作品を、対象と想定している受け手の人に見てもらい評価してもらうことをなにより勧めます。
子供が対象だったら子供たちに、若い独身女性が対象だったらそういう人に。
ちゃんと意図が伝わり、共感してもらえるか、常に「検証」しながら制作すること。
自分の主観的な意図と表現を、できる限り客観視することがデザインの重要な側面なのです。
●歴史に学ぶ
デザインの偉大な先駆者たちのオリジナリティに大いに学んでほしい。
そしてまねてみる(模倣する)トレーニングもしてみてください。
ただし、単にビジュアル的な「表現技法」を模倣するということではありません(それはそれで意味がありますが)。
先人たちは、ある与えられた社会状況や文化のなかで、対象とする人々と目的とに沿って、その表現を最適としたのです。
そのデザイン表現のアイディアプロセスをこそ学び模倣してみてほしいのです。
時代も人々もイメージやことばの持つ意味も変化している「今」においてはなにが適切か、ということを常に考えながら模倣する訓練をしてほしい。
もうひとつ別の意味で歴史に学んでほしいことを述べておきます。
第二次大戦中、日本(大日本帝国)は主として「大東亜共栄圏」向けに十数の言語版で「FRONT」(フロント=前線・戦線)という大判グラフィックの宣伝雑誌を発行していました。日本のグラフィックデザインや写真表現の錚々たる先達たちが参画しています。
大日本帝国陸海軍の威容を示すための「目を撃つ」ような写真表現とデザイン処理がなされました。
ロシアアヴァンギャルドに触発された、クローズアップの多用、誇張した遠近法、意味を誘導するレイアウト等は今見てもある種「あざやか」です(大きな図書館では復刻版をおいてあるのでぜひ一覧することを勧めます)。
数台の戦車や航空機をモンタージュ(もちろんアナログで)して、大戦車団、大航空機群に見せたり、はるかな落下傘兵群と近景の突撃兵を合成したり(当時そんな光景を撮影できる広角レンズはなかった)することが、彼らの高度な写真修整・デザイン技術でなされました。
今では、Photoshopでこのような作業はやろうと思えば簡単にできるでしょう。
私の切なる希望であり願いです。
あなた方がデザイン学科で学び身につけるデザインの力と技術を、戦争プロパガンダのためにだけは断じて使わないでほしい。
●類推力・応用力をつける
ひとつのことを学んだら、多面的に類推し、応用できるようにすることがなにより重要です。
コンピュータ自体やMacあるいはPhotoshopやIllustratorの初心者も、基本的な仕組みを理解した上で、いろいろ試してみて慣れてくれば、今回やったことが、他のソフトウェアを使っても応用がきくことがわかるでしょう。
類推力・応用力で世界は級数的に拡がります。
●自主的な、能動的な、開かれた姿勢を
大学では、言われたからやる、という受け身のスタンスではなにより自分にとって損です。
貪欲に学び、創ってください。まわりの学生と切磋琢磨してください。
上野毛デザイン学科の大きな特長として社会人学生がたくさんいます。
家族と高校と予備校しか知らない学生と、「社会」を少しでも経験し、目的意識・問題意識とを持った学生との交流は、他の大学には無い「るつぼ」としての意義とエネルギーを持つでしょう。
そして教員に「くらいついて」ください。
上野毛デザイン学科の教員は、専任であれ非常勤であれ、どんなに忙しい人でも、必ず応えてくれるでしょう。
また、今回の課題制作は基本的に個人作業でしたが、世の中の実際の仕事は、たくさんの人々との協同作業が普通です。
協同作業のためには、自分の作業の位置と範囲とタイミングをきちんと認識し、他の人とのコミュニケーションを円滑にできなくてはなりません。
閉じこもるのではなく、常に開かれた姿勢を持ってください。
●「創る」立場で、いろいろなものを見よう
身の回りにはたくさんのデザインがあふれています。
これらをただ漫然と見るのではなく、いいものはどこがいいのか、悪いものはどこが悪いのか、自分だったらどうするか、ということを常に考え感じる接し方をしてください。
特に、表面的なビジュアル面だけではなく、目的に対してどうデザイン表現しているか、それが対象とする人々に伝わり機能し解決になるだろうか、ということに注目して見てください。
こうした意識的な観察・考察の積み重ねがデザインの力を着実にアップさせます。
●スケジューリング・自己管理できる力
世の中の仕事は、締切り(Dead End)の連鎖で成り立っています。
デザインはスケジュールとの勝負でもあります。
PhotoshopやIllustratorに初めての人は、何がどこまでどのくらいでできるのかの判断がつかず、なかなか見通しが立たなかったかと思います。
しかしたとえそういう状況でも自分でスケジュールを立て、常に修正しながら、制作することが大事です。
そうした習慣の積み重ねがスケジューリング力・自己管理能力を高めるのです。
●プレゼンテーションのポイント(補)
デザイナー、クリエイターにとってプレゼンテーション能力がいかに重要か、おそらく皆さんは初めて経験し、理解しただろうと思います。
プレゼンテーションのポイントについてはこちらに一度まとめてあるので読んでほしいが、ちょっと補足しておきます。
楽しいことは楽しくプレゼンできるようになってください。自分が好きでたまらない、という気持ちが伝わるように。
適度なユーモアが含められるようになればもっといい(ダジャレで笑いを取るというような意味ではありません)。またプレゼンのときに言ったように落語の名人はおかしいことを述べるとき毛筋一本も自分ではおかしい表情はしません。
上質のユーモアは、自分と作品を客観視できる力と余裕から生まれます。
●自己評価できる力
これは客観視できる力とも言えます。
今回の作品はいろいろな人に評価してもらった後、しばらく「寝かせた」ことと思います。
上記のような努力を続けていれば、必ず創ったときとは違った目で評価し、気付くことがあり、これからに活かせる教訓を得ることができるでしょう。
●自己満足も大敵
今回、いいね、きれいだね、うまいね、等言われた人ほど気をつけてください。
私の好きな詩人・荒川洋治の詩の一節を贈ります。
「じょうずだった人が、へたになり、
でもそのあとに、といっても、ずいぶんあとよ……」
「ええ、ええ」
「そのへたになった人が、
また、じょうずに、なるのよ!」
●デザインする喜び
再度記しておきます。
デザインは調べたり考えたりスケッチしたりいろいろレイアウトしてみたり、とにかく試行錯誤の連続のプロセスです。
なんでこんなに考えたり悩んだりしなくてはならないんだろう、と思うかもしれません。
けれど、この過程でどれだけ努力するか、このプロセスをどれだけ自覚的に生きるか、がイマジネーションの力やクリエイティビティ、オリジナリティを鍛え拡げ豊かにするのです。
上野毛デザイン学科の4年間のなかで、与えられた課題をただこなす、というのではなく、デザインする喜びを、そして創ったことの達成感だけでなく、なによりそれが人々に伝わり共感してもらえるうれしさと充実感を少しでも味わってほしいと願っています。
●「明日の自分」に自信を持って
今はまだ経験も少なく、技術も未熟で自分に自信を持てないかもしれない、不出来さに落ち込むかもしれない。
しかし、明日なるだろうこれからの自分に自信を持ってやっていってほしい。
健康と健闘を祈ります。
9 7, 2006 07.デザインの世界, 11.教育と学びのデザイン | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
私のところ(多摩美術大学造形表現学部デザイン学科)では2年後期から4つの専門デザイン分野(ビジュアル・デジタル・プロダクト・スペース)に分かれる。
教育環境からする人数的なバランスの問題があり、必ずしも第一希望通りにはいかない場合もある。そのためポートフォリオを提出させ、2年前期までの成績とともに審査して専門分野を決定する。
もちろん採点するだけが目的ではなく、専門分野へ進む上でこれまでの自分をまとめて振りかえさせるものでもあり、また今後の就職活動などのための予行演習でもある。
昨日は私の担当するデジタルコミュニケーションデザイン分野を第一志望とする35名分のポートフォリオ審査。
個々についてはここでは述べません。
簡単に私の審査基準を記します。参考にしてください。
●目的にあって作られているか
ポートフォリオはその目的によって作り方は異なる。
ある特定の企業、組織への就職活動やプロジェクトへの応募のためのものであればそれ用に即したものでなければならない。
今回のポートフォリオは、専門分野に進むにあたって、これまで何をどのように学び制作し、どのような問題意識で希望する専門分野に今後向き合おうとしているかが見てとれるものであることが第一。ただ単にあれこれやってきました、というのでは駄目なのだ。
●条件を守っているか
デザインはすべて所定の条件のなかで行われる。
今回は指定のクリアフォルダ(A3サイズ12ポケット)、映像作品等のCD-ROM、DVD添付は認める、という条件。
この条件から外れるものは認められない。
また提出期限・時刻は夏休み前に提示してあるにもかかわらず35名中15名もがこれを守らなかった。自動的に所定の減点。コンペのプレゼンで遅刻したら問答無用で外される。
●構成・編集が考えられているか
これはデザイン以前の企画力の問題。
このポートフォリオの目的と条件に即して全体をどのように構成するか、配分、順序、重要度などを考え抜いた上で実際の制作に入らねば良いものはできない。
●レイアウト・デザイン・テキスト
文字通りデザイン力および文章力の問題。
A3サイズ、24ページまでの範囲でどうプリント物にまとめあげるか。見出しの付け方、文字組み(今回もほとんどのものが不適切)からグラフィックの扱い、画質から全体の整合性(統一感、場合によってはバラエティ)、分かりやすさ、適切かつ簡潔な文章…。
●訴求性・アピール力
これらを通しその人と能力、問題意識、これからへの意志と可能性がインパクトを持って見えてくるかどうか。
たとえ粗削りでデザイン的な洗練さに欠けていてもこのアピール力が「立ちのぼって」くるかどうかが最終的には一番重要。
ほとんどの学生が今回初めてポートフォリオを作っている。
上に記したようなことは前もって頭にだけ入っていてもだめで、とにかくひとわたり作った上で反省的に見直してみて初めて身についていくもの。今後に期待します。
9 6, 2006 07.デザインの世界, 11.教育と学びのデザイン | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)