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2006年07月24日

『ドレスデン大空襲』(ドイツ・2005)

ドイツ・ブロードビューTVが2005年に制作し国際エミー賞も受賞したドキュメンタリー『ドレスデン大空襲』をNHK・BS1で見る。

第二次世界大戦末期、すでに大勢が決した1945年2月初め、クリミア半島ヤルタに連合国側の三首脳、米(ルーズベルト)、英(チャーチル)、ソ連(スターリン)が会し、戦後の枠組みを決める。
この席でチャーチルは、ドイツ東部戦線に近い諸都市の空爆により市民の混乱を引き起こすことを提案(英空軍爆撃司令部司令官アーサー・ハリス=別名『ボマー』・ハリス、絨毯爆撃の熱烈な支持者とされる、の意見が通ったらしい)、実行に移される。

2月13日夜ロンドンを飛び立ったイギリス空軍ランカスター爆撃機245機は陽動作戦により防空網をやすやす突破しドレスデン上空に達する。
第一波、通常爆弾500トン、焼夷弾、時限発火爆弾。
深夜の第二波は倍にのぼる529機、通常爆弾965トン、焼夷弾800トン。黄リンと合成ゴムを混合した発火物質も使われたといわれる(これは後に「ナパーム弾」などに「発展」する)。

ドレスデンは「アルプス北のフィレンツェ」と呼ばれたザクセンの古くからの美しい街。当時軍事施設などはなく、しかも「無防備都市」宣言をしていた。
中世からのバロック様式の建築が密集する街の中心部は一夜にして灰燼に帰す。

このドキュメンタリーはドイツで制作されたが、当時少年、少女だった生き残りの人たち(今はもう70〜90代)の実に生々しく具体的な証言とともに爆撃した側のイギリス兵のインタビューも丹念に収録している。

「外に出て焼けた材木の上を歩きました。気がつくとそれは材木ではなくすべて焼死体なのでした」
「軍事目標は何もない、ただ建物を破壊し市民を殺しました。それ以後私はずっと神に許しを乞い続けています」
「私は敬虔なクリスチャンでした。しかしこの空襲の体験のなかで信仰心を失ないました。もはや神を信じることはできません」

翌昼のアメリカ陸軍航空隊によるこれでもかという拷問のような第三波空爆。通常爆弾475トン、焼夷弾296トン。米軍は否定しているがエルベ河畔に避難している市民への低空飛行による機銃掃射。

当時約60万の市民にソ連軍の侵攻が迫るプロイセン地方などからの避難民が20万人ほどはドレスデンに流入していた。
この無差別爆撃による死者の数は35万とも3万5千ともいわれるが永久にわからない。

「人間の身体は600度で45分焼けば灰になります。このときのドレスデンは1200度の炎に包まれていたのですよ。死者の数になんの意味があるのでしょう」

写真中は60年の歳月をかけて復旧された「聖母教会(Frauenkirche)」
写真下はここに集い追悼の祈りを捧げる元イギリス爆撃隊員。

ヨーロッパ磁器制作発祥の地、マイセンが近郊にあり、来年2月に訪れる予定。

7 24, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ |

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