この信じがたい「誤標記」ー『あゝ、荒野』(PARCO出版)と疑問
さてこれはどういうことなのか?
寺山修司の長編初小説『あゝ、荒野』は1965年から雑誌『現代の眼』(現代評論社)に連載。翌66年同社から単行本刊行。93年河出書房新社から文庫本刊行。
今回は森山大道が同時代の新宿の写真二百数十枚を付けたPARCO出版によるもの(発行人:伊東勇、発行所:株式会社パルコ エンタテインメント事業局 出版担当)。
渋谷まで出かけて「あゝ、荒野展」(PARCOPart1 ロゴスギャラリー)で「先行販売」を購入。
ところが平積みされている前になにやら小さな「誤標記のお詫び」がある。
今回の本はいわば、文:寺山修司、写真:森山大道だから「あとがき」がそれぞれの分二つある。
そのタイトルページを入れ違えているというのだ。
「あとがき 寺山修司」とタイトルされている左ページを見てめくると「亡き寺山修司さんと、いま一度ご一緒に仕事ができるとは思ってもいなかった。」という森山大道のページになっている。
写真のような「あとがき誤標記のお詫び」という小さな紙切れが後書きの手前のページにはさみこまれていた(言っておくが見返しにではない)。
現在刷り直しており、訂正版は12月10日以降に入荷する、という小さな表示もある。しかし誤標記版を買った人に無償交換するかどうか等の表示も販売員の説明も一切なかった。
問題なく納品されて当たり前が印刷出版物の宿命であることも、逆にミス間違いはいつでも起こりうることも私は経験で知っている。私が理解できないのは、そして密かに怒っているのは、この小さな「誤標記のお詫び」が出版元のPARCO出版名義ではなく印刷会社名義になっていることだ。
直接には印刷会社のデータ面付け上のミスだったのかもしれない。しかしこの説明不足では定かでない。
また、たとえそうであったとしても読者に対する最終的な責任は出版元が負うものではないのか?
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コメント
写真展に行き、本を買いました。なぜこのミスが起こったか、以下は私の推測です。
この本はDTPではなく、旧来の方法で製作されていると思われます(DTPの自動面付けではこういうミスは起こらない、ことになっている)。
読者に対して責任を持つのはあくまで発行所だけれど、印刷所の名で「お詫び」が出ていることから、内部的には印刷所のミスなのでしょう。
推測するに、森山大道の「あとがき」が遅れたために、最後の1台だけ下版ぎりぎりまで刷らずに待機していた。森山原稿が入った段階で、確認のためのゲラを取る時間がなかったので、「責了」(印刷所の責任においてきちんと下版すること)にしてデータを印刷所に渡した。
印刷所が、印刷するために最後の1台の面つけをするときに、「あとがき」のタイトルを逆に付けてしまった(タイトル頁にはノンブルが入っていない)。
こういう場合、編集者はやはり不安なので、ふつうなら「下版後青焼き」「下版後念校」を取ります。下阪して印刷に向けて作業を進めても良いが、念のため正しく入っているかどうか確認するための作業です。
この本の編集者は、この作業を怠ったものと思われます(会場でそれとなく聞いたところ、ミスは会場へ搬入してから編集者が見つけたらしい)。この印刷所は小田原にあるため、東京へゲラを運ぶには時間がかかることもあったかもしれません。
ミスというのは、経験上、こういうふうに、ちょっとした不安があるのに最後のツメを怠ったときに、えてして発生するのですね。
ところで、会場の「表示」に、ミスはこの会場で先行発売する「270部」のみとの一文がありました。この会場へ足を運ぶのがどういう人かを考えると、この表示の隠れたメッセージは、「これはレアものですよ。買っておくと値が出ますよ」でしょう。そのような隠れたメッセージによって、このミス本を売ってしまおうというのでしょうか。実際、買い占めておけば、いずれ古書として値が出るかもしれませんね。
雄 | 2005年12月07日 13:54
おっしゃる通り。出版物の最終責任は発行所にあります。たとえ「名義貸し」であろうと、印刷所のミスであろうと。しかも、面付けを最終的に確認するのは編集者の仕事です。たしかに現在は印刷所にデータ(MO)を渡しっぱなしで校了することが多く、実はそのための事故がけっこう起こっているのですが。
事故に対して、どういう対応を取るかによって、発行元が、読者の自分の会社への信頼度をどう考えているかが分かります。この場合、展覧会に間に合わせないと売れないということが、判断の最大の根拠になったのでしょうが、小さな「お詫び」だけですり抜けようとするのは不誠実です。
雄 | 2005年12月04日 13:30