日本版「PLAYBOY」創刊号(1975)

『PLAYBOY』(日本版・7月号╱集英社)に創刊30周年記念として「PB日本版創刊号ミニチュア復刻版」というのが付いているので思わず買ってしまった。
本来は240ページあるのだが広告も含め140ページを抜粋。折り込みヌードもちゃんと入っている。キヤノンF1やサンスイのアンプなど懐かしい商品の広告などもある。約13x10cmに縮小してあるのだが文字は充分読める。
1975年5月21日の発売。
前月、サイゴンが陥落しアメリカは建国以来初めて戦争に敗北したことを認めざるをえなかった(ベトナム戦争)。
発売日当日、3時間ほどであらゆる本屋で延べ45万8千部が売り切れ、予約客の手に渡らず増刷したという伝説となっている。
当時まだ20代の私は、カラー写真製版の徒弟修行中で、会社が神田駿河台下の本屋街のそばだったので、抜け出して入手した。
「全ページオールカラー」の大判グラビア雑誌は当時なかったと思う。
初代のアートディレクターは田名網敬一氏。
使う写植フォントも、主流の写研・石井細明朝ではなく、モリサワのリュウミンで活字書体らしい力強さを出した。タイトルなどはもちろんバラ打ちを手作業の切り貼りで詰め、見やすさと緊張感を出す。
誌面の流れもダイナミックだった。テキスト記事を読んだ後めくると、見開き大の大胆なスーパーリアリズムのイラストレーション(もちろんコンピュータ以前)が目に飛び込んできたり、続きが何ページへとなっていたり、ふっとカートゥーンページがはさまれていたり、ワクワク感に満ちていた。
雑誌のインタビュー記事などはせいぜい4ページくらいというのが常識だったころ、20ページにのぼる突っ込んだインタビューを載せて「ロングインタビュー」という概念を作った。
もちろんプレイメイトたちのヌードグラビアも売りなのだが、それは実際はごく一部だ。彼女たちの写真は適度にソフトフォーカスでフォトジェニックで明るくまぶしく美しかった。
ノーマン・メイラーがアリとフォアマンの世紀の一戦をザイールに取材した『ザ・ファイト』を生島治郎が、ジョン・コリアの短編を池澤夏樹が訳し、吉行淳之介が短編を寄せる。
いい意味でもやゆす意味でもハイブラウな雑誌だった。
6 7, 2005 07.デザインの世界 | 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://radical-imagination.net/mt/mt-tb.cgi/2230
この記事へのトラックバック一覧です 日本版「PLAYBOY」創刊号(1975):
» 3時間で売り切れたPLAYBOY 創刊号の頃 単身赴任 杜の都STYLE
かつて若い頃、雑誌PLAYBOYを愛読していました。この5月で創刊30周年なんで
2005年06月07日 07:26
コメント
開高健「オーパ!」や藤原新也「全東洋街道」はこの雑誌ならではだったね。
沢木耕太郎もこの媒体がなければそんなに読まれるようにはならなかったのでは。
やはり「知識人」「教養人」の消滅と「ハイブラウ」さの維持が噛み合わなかったのだろうね。
TAKAMI Toshio | 2005年06月07日 13:51
ノーマン・メイラーの「ファイト」を興奮して読んだのを思い出す。アメリカ(外国)のビジュアル誌の日本版を出した最初のケースだと思うけど、何年かすると翻訳部分が減って「日本的」に変質していく。「月プレ」はよく頑張ったと思うけど、「プレイメイト」で「ハイブラウ」を支えるのも、ある時期で限界に突き当たったみたいだね。もっとも、開高健や藤原新也の長期連載は、この雑誌でなければできなかった。
雄 | 2005年06月07日 13:32