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2004年12月01日

リモージュと有田・伊万里

041201

※リモージュの採石場とそっくりだ!とフランスの友人たちは感嘆した。有田泉山の採磁場蹟。

福岡へは、フランスの磁器工芸品「リモージュ・ボックス」を輸入販売している会社(私も役員)の社長(といっても中学高校の同級の気の置けない友人)と、提携先であるリモージュの2つのアトリエのフランスの友人2人と行った。
1日余裕があったので、佐賀の有田と伊万里をめぐる。
有田へはハウステンボス行きの特急で博多駅から1時間20分ほどで行くことができる。
有田はもちろん有田焼という日本で初めての磁器を産み出し有名な産地になっているところだ。

「やきもの」はとても奥が深い。
人類が誕生して長い年月の後、粘土をこね焼くことによって土器を作り出し(ちなみに植木鉢、赤レンガは土器)、より高温で焼き釉薬(うわぐすり)を施すことで陶器を作った。土器と陶器は素材が土だが、その後に作られるようになった磁器(ご飯茶碗など)は原材料は土ではなく石(鉱物)だ。カオリンと呼ばれる中心素材の名はもっとも早く磁器作りを始めた景徳鎮近郊の山地「高嶺=Kaoling」からきている。

フランス・パリ南西400Kmの人口17万の町リモージュと有田がどんな関係があるか。

とてもおおざっぱに言えば以下の通りだ。
中国の景徳鎮などを中心とする磁器生産技術が朝鮮半島に伝わり特に朝鮮半島南西部で盛んになった。
「学者、技術者、農民などで役に立ちそうな者をできるだけ連行せよ」という豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592・1597=「文禄・慶長の役」=韓国では「壬辰倭乱」)で、たくさんの陶工が特に肥前(佐賀と長崎の一部)鍋島藩軍によって拉致され、有田などの山中に囲われた(北朝鮮の「拉致」などとは桁違いにスケールが違う)。
この朝鮮人陶工が有田泉山に磁器原材料の鉱脈を発見し、有田焼の基を作る(17世紀初頭)。
当時ヨーロッパでは、磁器はできず、白い地のガラスのように繊細な磁器は王侯・貴族の垂涎の的だったが、明が清に圧迫されて景徳鎮からの輸出が細くなると、有田焼が伊万里津港を輸出元にオランダ商人の手でヨーロッパに渡り「伊万里」として彼らの「磁器の間」を飾った。柿右衛門の赤絵などの「デザイン」は一気に広まった。
ヨーロッパの王侯貴族はやっきになって磁器原料を探させたが、マイセン(旧東ドイツ)でカオリンが発見され、ヨーロッパ製磁器が作られたのは有田・伊万里に遅れること100年、18世紀初頭。リモージュ郊外のサン・ティリエ・ラ・ペルシュでカオリン鉱脈が発見されたのは1768年のことだ。彼らの手本の代表は有田・伊万里だった。

もちろんこれらの流れは一方向的なものではない。オランダ商人はヨーロッパ王侯・貴族の好み・要求を伊万里・有田に伝え、窯元と職人たちはそれに応えたし、それとは別に朝鮮経由だけではなく、直接中国の動向も伝わっていた。

めぐりめぐって世界は連関しあっている。
ここでも「日本独自の伝統」などという言説は成り立たない。

12 1, 2004 10.美術工芸 |

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