2004年12月31日
以ず美(鎌倉長谷)-1

長谷駅近くの「以ず美」は、店のたたずまいからして、寿司職人の凛とした求道感と気配り、そして清潔感に満ちている。
白木ではなくどっしりした欅を削り上げ漆で仕上げたカウンターと椅子。つけ場には指物職人の腕が光る見事な檜のネタ箱がいくつか重ねて並び、手間のかけられた鮨種が整然と納められている。
ご主人の神代三喜男さんは寿司職人歴30年を越える。目黒の「いずみ」で先代の故・佐藤勇さんを師として修行した。この店名はそれを受けている。
神代さんは私の好きな「職人の風貌」をしている。鮨にかける気迫、執念、あくなき努力といったものが面貌と立ち居振る舞い、素材と道具の扱いにひしひしと感じられるのだ。
けれどけっして偏屈などではないし、えらぶってもいない。むしろ気さくといっていいから緊張せず安心していい。
素材は築地で選ぶ。五島の鯖やアラ、大間の本マグロ、羽田沖の穴子、明石のタコ、青森のアンキモ、根室の白魚など季節に応じて徹底して吟味されている。
「仕事」ということばはプロ野球の選手が活躍したときに「いい仕事をしましたね」などと使われるようになったので、使い方が難しくなってしまったのだが、寿司職人の世界で「仕事」といえば、元の鮨種にさまざまな手を加えることを言う。
神代さんの「仕事」は、あくまで素材の良さを生かしながらも、独自の工夫をこらした一手間、二手間がかけられている。
ヅケ、5種もの酢を使い分けた酢締め、昆布締め、煮詰め、煮切り、湯切り等々。
さらに、たとえば白イカに少しのスダチと上質な岩塩を付けて旨味を引き立てたり、トコブシに刻み山葵を合わせたり、と感嘆はつきない。
ひとつずつ出される姿形は実に美しい。鮨は目でも楽しむものだ。
歩いてすぐの町内にこれほどの江戸前鮨の名店があることはとても幸せだ。
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2004年12月30日
大島と伊豆半島を望む夕景


※画像はクリックすると拡大表示されます
鎌倉の海に夏しか来たことのない人は、実は正面に伊豆大島があることに気づかない。夏場は霞んでほぼ見えることはないからだ。
今日のように冬の大気がきっぱりと澄み渡った日、由比ガ浜沿いの麻心のシンさんは「大島の人が見えたよ」などというが、驚くほど大きく約60Km先の大島が姿を現す。
きょうはおそらく年に数えるほどしかないだろう眺望だ。
伊豆半島の天城連山から石廊崎に落ち込んでいく様もくっきり見える。石廊崎が見えるとすれば約100Kmの視界(写真はかなり広角で撮っているので実際はもっと大きく見えます)。
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2004年12月29日
悼╱スーザン・ソンタグ

現代アメリカのもっともRadicalな思想家のひとり、スーザン・ソンタグが28日亡くなった。享年71。30年にわたりガンを患っていた。
『ラディカルな意志のスタイル』『写真論』『隠喩としての病』『反解釈』などから私は大きな影響を受けてきた。
9.11以降も『この時代に想うテロへの眼差し』『他者の苦痛へのまなざし』『良心の領界』で鮮烈な主張を続けていた。
今年出された『良心の領界』(NTT出版)の序「若い読者へのアドバイス…」は今読み返すと遺書のように読める。
訳者の木幡和枝さんにもNTT出版にもなにも断りを入れていないが全文を転載させていただく。
若い読者へのアドバイス…
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)
人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。
検閲を警戒すること。しかし忘れないこと——社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。
本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。
言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。
言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。
自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。
動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。
この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基礎になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。
暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。
少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。
自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。
恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。
自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。
他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません——女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。
傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
良心の領界を守ってください……。
2004年2月
スーザン・ソンタグ
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年末に骨を折る

お気に入りの小泉誠さんデザインのソファーに横になり、相方に腕枕しながらその白く柔らかな腹を愛撫して一緒にまどろむ、というのが楽しみのひとつなのだが(注・犬の話です)、夕べふだんと向きを逆にそうしていたら、突然脚を突っ張ったMicを無意識に避けようとしてズレ落ち、囲炉裏の角に左脇腹をぶつけた。
そのときはそのままベッドに行って寝てしまったのだが、今朝方起きてみるとズキズキ痛む。だんだんひどくなるので仕方なく雪の中行きつけの病院へ。
レントゲン撮影の結果は、左脇腹の肋骨が1本骨折。幸い肺は損傷無し。痛みが引くまで2〜3週間、骨が自然にくっつくまで1ヶ月。
1日2回湿布を替え、バンドできっちり締めておかねばならない。
体をねじってはいけない(私は座って仕事をするときいつも脚を組んでいるのだがそれがつらい)、重いものを持ってはいけない(私は毎日PowerBookを始め6Kgくらいは持ち歩いている)。胸下部から上腹部を締め上げられているので、歩くと息がダースベイダー状態になる。セキをするとビンビン響く。クシャミは恐怖そのものだ。いつものようにMicに「ダメッ」と腹に力を込めて叱ったらイテテとなった。
鎌倉鶴岡八幡宮は雪の中、正月を迎える準備にあわただしい。
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2004年12月28日
世界の壊れ-2

同居しているアーティストの創作意欲はとどまるところを知らない。
今日の作品は「世界の壊れ」という彼が一貫して追求するテーマのなかでも、なにか明日にはばたく希望のようなものがうかがえないこともないことは評価さるべきだろう。
あえて気がかりな点を指摘するとすれば、この作品の素材は500mlのロング缶であり、物質的にはもともともっとあったはずなのに残りがどこに消えたのか定かでないことだ。
アルミは犬の身体にとっていいのだろうか。
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2004年12月27日
フェンロン╱豊龍(鎌倉由比ガ浜)-1

今年の夏に、私がいつも利用する江ノ電由比ガ浜駅際(左の階段は駅のもの)になにか掘っ建て小屋のような店が作られていた。建築中の職人に聞くと「ラーメン屋のようですよ」などというのでケッと思っており、9月に開店しても気にしていなかった。
しかしここは実はなかなか侮れない店なのだった。
若宮大路で8年間「豊洋酒家」としてやってきた広東の流れを汲むご主人が、当地が期限がきて駐車場と化されるのにともない新しく飲茶キッチン「フェンロン(豊龍)」として開店したところなのだ。
十数名しか入れないが、20種を越える一品料理、飲茶をはじめ、いろいろな前菜、麺、飯、粥、湯、また各種のセットが選べる。
12 27, 2004 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック | 固定リンク
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津波のアニメーションGIF

26日インドネシア・スマトラ島沖で発生したマグニチュード9.0という地震による津波は、ジェット旅客機に匹敵する平均時速700Kmという猛スピードでインド洋に拡がり沿岸を襲ったという。
つくばの産業技術総合研究所のサイトで、このシミュレーション解析と、赤が押し波、青が引き波で表わされた津波がインド洋湾岸に拡がるさまがアニメーションGIFで見られる。
もともと大仏殿内にあった鎌倉長谷の大仏が最終的に露座になったのは1498年の大津波によってだった。
私が住む由比ガ浜海岸から100mほどの1階などひとたまりもないだろう。
CODE(海外災害援助市民センター、Citizens towards Overseas Disaster Emergency)
スマトラ地震救援情報ブログ
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2004年12月25日
リバーベンドがクリスマスにほしいもの

停電が日常的に続き、産油国だというのに普通の市民はガソリンも灯油もなかなか手に入らず、発電機もほとんど回らない状況で「はやくこれを書いてしまわなければ」と書き継がれているBaghdad Burningでリバーベンドは「イラクで誰もが納得のクリスマスにほしいものリスト」をあげる。「『平和』や『安全』や『自由』は入れない。クリスマスの奇跡はディケンズのお話の中だけよ」
以下がその10項目。URLが付いているのはその商品サイト。
1.ガソリン20リットル
2.料理用のガスボンベ1個
3.ストーブ用に灯油
4.爆風にも割れないという高価な窓
http://www.sommer-hof.de/usa/blast_proof.html
5.地雷探知機
http://www.foerstergroup.com/UXO/minex.html
6.水道
7.スライヤ衛星携帯電話(近頃、携帯の通話状況はひどい)
http://www.thuraya.com/
8.ポータブルのディーゼル発電機(家中が満足できるような)
http://www.generatorjoe.net/
9.コールマン充電式懐中電灯予備の電池付き(高級懐中電灯なら喜ばれることぜったい間違いなし)
http://www.tacticalflashlights.com/
10.いい香りのするろうそく(思いやりがあるだけでなく、実際的な人だって思ってもらえるわ)
電気をすべて消し、先日、たまたま「麻心(まごころ)」(鎌倉長谷)でアロマテラピスト・ハーブコーディネーターの小菅路子さんから教わって作ったアロマキャンドル(ローズマリーとレモングラス)だけで2時間ほどを過ごしてみる。
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2004年12月24日
ヴィーナス・カフェ(鎌倉坂ノ下)-2

※ヴィーナス・カフェ入り口のサンタ
弟と姪っ子が父の墓参りで鎌倉に来たので一緒に夕食。
久しぶりにヴィーナス・カフェ。彼らは5年もバンコクで暮らしていて夏に帰ってきたのでアジアン料理もたまにはいいか。
春巻きの盛り合わせ、トムヤンクンスープ・トマト風味、アジアンMixサラダ、鴨のパリパリ焼き、今日の魚料理(メダイの唐揚げ)、具沢山焼きビーフンなど、具の選択と味付けに工夫がこらされている。
東南アジアは食べ歩いている弟も満足。

圧巻は、本日のお勧めデザート・Chefの気まぐれ盛り合わせ。
ケーキ・デザートと縁の無い私にはよくわからないが、パンプリン、ガトーショコラ、チョコレートと苺のセミフレッド、などが私のふだんの1日分の食べ物以上に盛られている。
姪っ子も息を飲む。
12 24, 2004 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック | 固定リンク
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味希の「卯の花茶」

私の勤務する大学のある世田谷区上野毛には実に旨い豆腐店(東京仁藤商店)と私が授業後(私のところは夜間学部)終電まで生息するワインとおばんざいの店「ミキ」がある。仁藤さんも常連だ。
豆腐を作る上で豆乳を絞ったカスである「おから」というものが生成される。
いわゆる「卯の花」などとして調理され供されるのはごくほんの一部にすぎず、これが「産業廃棄物」として「処理」されるのは忍びないと仁藤さんは常々思っていた。
大豆蛋白、ビタミンB1、ミネラル、サボニン、イソフラボン、食物繊維など多くの栄養素が残っており健康にいい。
なにか使い道はないか。
考えたのがおからを煎ったお茶だ。実際にやってみるとおからは実に水分が多い。お茶として煎りあげるには数々の試行錯誤が必要だったが、ようやく「卯の花茶(製造者・味希╱販売者・東京仁藤商店)」として製品化することができた。
今、冬用にティーバックにした形で、自然食品の店「F&F(Fresh & Fine Foods)」(自由が丘・下北沢・玉川高島屋・桜新町・等々力・学芸大・祐天寺)の各店舗で販売され好評だ。
佐賀小城産フクユタカ大豆からできたおからを手造りで丁寧に煎りあげた「卯の花茶」は「浅煎」「深煎」の2通りあり、「浅煎」は軽い味わいだがよりおからの香りを楽しめ、「深煎」はコクのあるお茶となっている。どちらも焙煎の香ばしさが漂う。
ロゴとラベルデザインは私がプレゼントした。
12 24, 2004 19.食と農、健康と病 | 固定リンク
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2004年12月21日
No Blog, No Life! (ブログの無い人生なんてありえない!)

きのう『このブログがすごい!2005』(宝島社)が出版された。
さすがblogが爆発的に普及し始めた「ブログ元年」だ。来年度版などはひょっとしたら『このミステリーがすごい』より売れるかもしれない。
ふだんあまりブログを探し回る時間がないので、こういうものはどんどん出て欲しい。
本当はこれ自体がブログになっていて、各方面の「目利き」たちが常時アップし、検索や更新、コメント、トラックバック可になっていればいいのだが、出版と連動させないと今のところビジネスにはならないのだろう。
私の主な関心であるアート・デザイン・コミュニケーション・音楽・映画・本・演劇系や歴史・政治・社会・哲学・思想系はほとんど挙げられていないし、また若い人がやっているブログも多分少ないが、いくつか興味深いブログを知ることができた。
とりあえず写真画像の素晴らしい以下の3つはお奨め。
No Blog, No Life !
定年退職後、木工旋盤の工房を作り悠々自適の生活を送る70歳の方のブログ。
年配者受講生がほとんどである私の大学の今夏の生涯学習のレクチャーで「語ること、人々に伝えたいことがいっぱいある年配の人ほどブログをやるべし」などと熱く語ってしまったのだが、それをすでに実践しておられる典型のような方だ。
sudigital afterimage
写真を始めてわずか5ヶ月の人のものとは信じがたいほど!
水・水・水
「水」だけをテーマに絞った写真ブログ。素晴らしい。
【追記】
このブログがすごい!BLOG(『このブログがすごい!』編集部のBLOG)
12 21, 2004 09.ネットワーク・コミュニケーション | 固定リンク
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2004年12月20日
乾敏夫さんの奔馬の絵

馬の画家として有名な乾敏夫さんは1921年生まれだからもう83歳になる。
田舎家を守る会では何度も乾さんを招いているので私もその描くさまを観てきた。
この日も馬、鶏、海老、鯛などを色紙に十数枚ほどあっという間に描き上げ、参加者のオークション(というほどではないが)にかけられた。
私も運良く1枚入手できた。乾さんお得意の奔馬の絵だ。
たけしやタモリなどの番組に出演したこともあり、佐渡・鬼太鼓座の大太鼓に馬を描く様が放映されたこともあるので見た人も多いだろう。
実際に見ないと信じられないのだが、この絵は10秒(10分ではない)ほどで描かれている。
乾さんは太平洋戦争中、南方戦線に駆り出され、正式にはなんというのか知らないが「騎兵隊」に配属され馬と生死を共にする生活をした。
敗戦間際、まったく人間の都合で無意味に屠殺された200頭の馬のことが忘れられず、復員後ひたすら馬の絵を描き続ける。
83歳になっても毎朝、新聞紙を大量に広げ、3000頭の馬を描く。
繰り返すが毎朝3000頭を描く!
「手」を衰えさせないためという。
12 20, 2004 10.美術工芸 | 固定リンク
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秋山登志夫さんのライブ

久しぶりにリズム&ブルース、秋山登志夫さんのライブを堪能した。
私も入っている「田舎家を守る会」(09.29記「地図を読むおもしろさ」)と会員でリフォーム会社を経営する平井長さんの関係の人たちによる忘年会。
平井さんが20年前街作りを手がけた大倉山のレストラン「カバムーラ」4Fのパーティルームに30名ほどが集まった。
ライブといっても酒とつまみを取りながら、踊り出したり、手を繋いで輪になって唱和したり、リクエストが入ったりという雰囲気だ。
田舎家を守る会では、これまで秋田六郷、長野上田、軽井沢、根羽村、安曇野などさまざまなところに秋山さんを呼びライブを催してきた。秋山さんも泊まりがけだから終わった後はいつも遅くまで酒宴。
音楽に対してとても誠実でユーモアに溢れたギターの弾き語りが中心だ。
秋山さんの声は、艶とハリがありやや高音域に伸びよく拡がり、しかし中低音域は適度にかすれるという不思議な魅力を持っている。
きょうは、特に音楽ファンでもない年配者が多いので、本格的なソウルやリズム&ブルースは少し。
秋山さんにかかると、クリスマスナンバーもオールディーズも江利チエミも童謡も「花」も、ノリがよく、あるときは叙情豊かなリズム&ブルースにすべて変身してしまうからすごい。
なかでも「りんご追分」のアレンジは絶品だ。
彼のふるさと新潟上越市への想いを唄った「上越 On My Mind」(このタイトルはもちろん「Georgia On My Mind」のもじり)はいつ聴いても目頭が熱くなる。
Vocal&Guiter 秋山登志夫
12 20, 2004 13.音楽の楽しみ | 固定リンク
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2004年12月18日
稲村ヶ崎残照

Micと夕暮れ稲村ヶ崎へ向かった。
鎌倉幕府終焉をもたらした新田義貞の鎌倉攻めは、この稲村ヶ崎を廻って行われた。
陸路(極楽寺切り通し)越しは無理と判断した義貞が海中に金装の太刀を投じると、みるみる潮が引き始め、干潟に乗じて六万余騎が鎌倉市中に攻め入った、と『太平記』にはあるが、鎌倉暮らしが長く潮の満ち干も知っていたはずの義貞の「海神も我に味方した」とするためのパフォーマンスにちがいない。
鎌倉の夕景ポイントは、この稲村ヶ崎を旧市街方面から観たものと、稲村ヶ崎を越え、七里ガ浜から江ノ島方面を観るものと2通り。それぞれ365日表情は変わる。
12 18, 2004 06.私の好きな鎌倉の風景 | 固定リンク
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2004年12月17日
世界の壊れ-1

このオブジェはある鎌倉在住アーティストの作品である。現代における「世界の壊れ」をこれほど見事に表現したものがあるだろうか。
というのはもちろん冗談で、愛犬Micが囓りつくした結果のエビスビールロング缶だ。
Micの破壊工作・ゲリラ攻撃は熾烈を極め、私の生活の中枢に達した。
今朝起きたら眼鏡が瀕死の重傷を負って床に横たわっていた。
20年間愛用している、ルイジ・コラーニがデザインしたものだ。今は手に入らない。鼻あての片方は金具がなくなり、耳あての部分は熱線銃で焼かれたように変形している。
終わりの見えない不条理な闘いは続く。
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2004年12月16日
ブルーポイント Blue Point(鎌倉材木座)-1

七里ガ浜の「アマルフィ デラセーラ」(12.03記)と並んで、海の眺望のいいテラス席のあるレストラン&バーが材木座R134沿いの「ブルーポイント(Blue Point)」。
こちらは稲村ヶ崎から由比ガ浜海岸、材木座海岸、逗子マリーナまでが視界いっぱいに拡がる。
もちろん夏場はサーファーや観光客で混み合う。
真冬はちょっと厳しいが、うらうらと晴れた穏やかな初冬の昼下がりなど、Micを連れて(犬OK)ブランチに寄る。
料理はアジアンが中心。きょうはナシゴレン(インドネシアの炒め飯、2つ分の目玉焼き載せ)。
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2004年12月15日
「絵付けの魔術師」パトリック・オドゥヴァール


フランス・リモージュの提携先であり友人であるパトリック・オドゥヴァール(Patrick Audevard / L'Atelier du Tulipierを主宰)を私たちは「絵付けの魔術師」と呼んでいるが、彼の絵付けの様はおおむね以下の通りだ。
対象となる素材(すでに白い素焼きに釉薬をかけ高温焼成された白磁器)をチラと見る。
必要な色の上絵の具をガラス上で調合する。
最適な筆を選び素晴らしい速さで描き始める。
さらに別の色の絵の具を調合する。筆先はときどき作業用白衣の袖でしごいて整える。
たまに一瞬手を止めて全体を眺めることもあるがそれも「眺めて確認している」というほど長くはないし、なにか迷いが生じてそうしているようにも見えない。
文字通り「見る見るうちに」なにもなくただ光沢を放っていた白磁器上に見事な装飾文様や動植物が現出するのだ。
先月の日本橋三越本店「フランス・フェア」では彼の実演のたびにたくさんの人が集まって見つめ感嘆の声を上げた。「あまり簡単に描いていると思われても困るからスピードは落としているんだけれどね」と笑っていた。
その後一緒に行った、佐賀有田、伊万里大川内山の窯元めぐりで彼はとても興奮して楽しそうだった。淵源をたどればリモージュ磁器の祖とも言えるのだ(12.1記「リモージュと有田・伊万里」)。
大川内山の「太一郎窯」でご主人の好意でパトリックが「藍鍋島」の絵付けを試みた。ふだん描かない素焼きへの下絵付けだし、筆も色材も違う。
しかしここでも彼はまったく迷わない。ほんの少し筆を確かめたあとは、流れるような筆使いで描いていく(この写真に写っている作品はすべて筆は1本、色材は濃淡2種しか使っていない)。
ついでにこちらの皿にも、どうせならこのカップにも、と勧められても、困る風は微塵もなく(というより喜々として)、山水画風、ナマズ文様、豪華な花模様の皿と、マグカップ(写真上)がものの20分ほどの間に描き出された。

写真上は焼き上がってパトリックが私にと贈ってくれたマグ。
どこか和風の暖かい文様に、取っ手にはリモージュ風蔓草文様が入っていてとても気に入っている。
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2004年12月14日
「仕事はぼくたちにとって、この世界への気もちいい挨拶であるべきだ」(『アキハバラ@DEEP』石田衣良)

十数階の大手販売店から個室トイレ2つ分ほどのパーツショップまでが、わずか0.5平方キロメートルの地区に密集し、あらゆる電気・電子製品やパーツ、違法合法のソフトが露店のトマトやジャガイモのように売られる「地球の他の場所では想像も不可能な」ディープな秋葉原を舞台に、あいかわらず最新のモデルや風潮、風俗を巧みに取り入れた石田衣良の最新刊行作(文藝春秋社)。
『池袋ウエストゲートパーク』シリーズなどでも、ネットを駆使してマコトを助けるコンピュータおたくが登場したが、今度はもっと強烈だ。
優秀な言語能力と該博な知識を持ちながら「音声出力のコマンドが壊れ」ていて複雑なことはキーボード経由でしか伝えられない「ページ」。
看板を見ても「書体はMB101だな。デザインだってユニクロのぱくりじゃん」などとうるさく、1文字も欠けない17字×19行の箱組みを強要したりするグラフィックデザイン専門の「ボックス」は、極度の潔癖症と「女は二次元に限る」という女性恐怖症。
抜群の音感とリズム感を持つデスクトップ・ミュージック専門の「タイコ」は光や音の点滅でフリーズしてしまう原因不明の奇病をかかえている。
後から加わる元法学生の「ダルマ」は10年の引きこもり歴がある。
「イズム」は父親の大学につながったパソコンを5歳からいじり、子どもの頃はパスワードクラッカーやワームを作ったり、ヨーロッパの研究施設に入り込んで遊んでいたマシン語でプログラムを書くまだ16歳の典型的ハッカーだが、生まれつきのアルビノだ。
ひとりひとりで放っておけば「おたくの干もの」になってしまうようなこの面々は「ライフガード」のサイトを通じて知り合い、ウェブ制作やDVD-ROMのオーサリング、ノンリニア編集などそれぞれの得意分野で、そして生きていく上で補いあっている。しかしこうした下層デジタル労働の請け負い仕事にうんざりもしており、秋葉原のコスプレカフェの美少女アイドルにして格闘家の「アキラ」が仲間に加わることによって新しい会社を立ち上げる。社名が「アキハバラ@DEEP」。
ネットの中で一番高価で重要なものは「情報」だ。ところがネットをマーケットとして見た場合、一番高価なものが無料で流通している。こうした中で利益を上げるというアポリア(難題)にネットビジネスは苦しんできた。これまで成功したとされる例はほとんどがネットビジネスそのものではなく、株式上場とか資本提携とかによる。
この若者たちは考える。
「最初から反対の方向へいくんだ。ぼくたちの会社は利益を制限しよう。おおきくなるのも、有名になるのもやめよう。ちいさなまま自分たちが満足のいく暮らしができて、ぼくたちの同類を手助けしてあげられるくらいのぎりぎりの利益で満足しよう」
「いりもしないものを誰かに大量に押しつけて大儲けしようなんていうのは、もうモデルとしては古いんだ。せっかくITバブルがはじけたんだから、ネットはもう一度スタートの気もちを思いだしたほうがいい。」
「仕事はぼくたちにとって、この世界への気もちいい挨拶であるべきだ」
裏秋葉原の築30年を越す木造2階に、G3マックの筐体にインテルのCPUが入っているような東南アジアのどこかで余りものを寄せ集めてつくったパソコンを連ね、AI学習機能を使った画期的なサーチエンジンのプロトタイプを開発する。4つのモジュールは、人の意識の跳躍の模倣、反復と深化、対極への反転、隣接するものへの連想からなり、最適な検索パターンを競い合いながら自己学習する。
「どんなこたえを得るにしても、生きることは探し求めることで、よい人生とはよい検索だ」
たとえば「最初に『イーグルス』で検索をかけたとき。LAのバンドが登場したのは23番目だったが、つぎに『オアシス』をサーチすると最初にイギリスのロックバンドが並んでいた」という具合だ(欲しい)。
ところが評判を呼び始めたときに立ちはだかったのがソフトバンクとライブドアを合わせたような2年前までは世界の7番目の富豪だったワンマン社長が率いる表秋葉原に屹立する巨大IT企業。
すべてを彼らに簒奪された6名は自分たちが産み出した「子どもたち」を奪いかえし「解放」するために戦士と化す。
センスとユーモアと各人の能力を駆使して、さあわくわくする秋葉原の「明るいテロ」の始まりだ。
12 14, 2004 14.読書三昧 | 固定リンク
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2004年12月10日
鎌倉の小路

東西北を山に囲まれ、南は海に面する鎌倉の旧市街の人口は、鎌倉時代とほぼ変わらないという。古都保存法その他さまざまな規制で、大規模ないわゆる「市街地開発」はできないし、5階建て以上の高層ビル・マンションも建てられない。
近年の海沿い134号線、市役所通り以外は、頼朝が作った若宮大路を含め、古くからの街道のみで、あとは無数の小路と民家で成り立っている。
車中心社会を当然の前提と考えるような人たちにとってはきわめて「不便」な街で「開発」や「整備」が「遅れている」などとよく言われる。
しかし車のために強制的に道幅を広げ、つまらない中層ビルとマンションが建ち並び、「整然と」区画整理された高度成長期以降のTOKYOの道路や街並みの無味乾燥さは私には耐えられない。高層ビルというのも大嫌いだ(六本木ヒルズが時代の最先端を行っているなどと思っている人は「時代」を見ても理解もしていない)。
ちょっと横道にそれた。
車を運転しない私にとって鎌倉はまったく不便ではない。横須賀線も江ノ電もバスも自転車もある。もともとたかが3Km四方くらいの狭いエリアなのだ。ゆっくり歩いたってものの1時間で端から端まで行けてしまう。
そして愛犬との散歩や鎌倉駅まで出る道順もちょっと回り道をすればいくらでもバリエーションがある。
きょうも入ったことのない小路を歩いてみる(由比ガ浜2丁目)。
生け垣の向こうに竹叢が風に揺れ、陽光は必要なだけ射し、長く続く板塀越しに橙(だいだい)が実り色づいている。
こういう小路が鎌倉にはいくらでもあり私は大好きなのだが、救急車も消防車も入れないということでおそらく建て直しのたびに法規制で拡幅され、効率的に直線化され、藤原新也がかつて「ショートケーキのような」と形容した家々にいずれ替わっていくのだろう。
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2004年12月08日
T-SIDE ティーサイド(鎌倉小町)-1

鎌倉で本格的なインド料理やカレーを食べたいと思ったらなんといっても「T-SIDE(ティーサイド)」ということになる。
バングラデッシュ出身のシャウンが鎌倉御成の横町にタンドール窯を据えインド料理の小さな店を開いたのは1994年だから、もう11年目のつきあいだ。店は評判良く順調に発展し、小町通りにずっと広いスペースを構えるようになった。私もロゴマークをデザインして祝した。
マドラス(南インド料理)出身のチーフコック・ビジャヤン、コルカタ(カルカッタ)からバングラデッシュに拡がる東インド・ベンガル料理コック、そしてモモなど独特の味わいを持つ北インド・ネパール料理コックを擁し、メニューは実に豊富。
きょうはマドラス風の辛いチキンブナとスパイシーなコーンクリームスープ、タンドール窯で香ばしく膨れあがったナン。
シャウンと、バングラデッシュ国土の2/3が被害にあった水害のこと、8/28の記事で書いた、アルカイーダとの関係を疑われ(というよりほとんど決めつけられた報道をされ)その後嫌疑は晴れたがすべての仕事と生活を破壊された在日バングラデッシュ人モハメド・ヒムさんのこと、この国では「外国人」がどんどん暮らしにくくなっていること(彼はダッカでの最高学府出身のインテリであり、日本人女性と結婚して2人の娘がいるという条件であるにもかかわらず)など話す。
シャウンの故郷から2Kmしか離れていないところから5日前に来日したバングラデッシュ人がツテを頼ってやってき、ベンガル語で話し込む。シャウンの意見は厳しい。技術や知識や日本語を知らずになんとかなると思って日本に来てもだめ、しばらくやってだめだと思ったら早く帰って必要な能力を磨くこと。
もう何年越しかで誘われているのだが、シャウンの1月の帰郷に同行してバングラデッシュに行ってみたい。
彼は、店の利益から、故郷の中学生35名分(!)の年間学費を寄付し続けている。
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ナディア Nadia(鎌倉長谷)-1

2002年5月まで由比ヶ浜通りの現「パパ・ノエル」がある小さなところで営業。ハーブや香辛料の使い方が抜群だった。
2003年8月、長谷の裏路の民家を改装しリオープン。
大仏通りに並行するこの細い生活路は最近の「小路」ブームで観光コースにもなっているが、それでも表に看板が出ているわけでもなく、気づかない人も多い。
が、今ではすっかり「有名な隠れ家」という形容矛盾の存在になってしまった。
もうこれ以上混んで、散歩の途中でブランチにちょっと立ち寄ろうとしてもいっぱいだったり、土日に会食する予約が取れなかったりというのは個人的には困るのだが、好きな店が繁盛するのに水を差すわけにもいかない。
イタリアン。Nadiaはイタリアの有名な女性シェフの名であるらしい。
今時ほとんどいない眼に主張と力があるオーナーシェフの女性(原優子さん)とサーブの男性一人のみでやりくりする。
時に塩味が強すぎることがあるが、新鮮な素材に合わせて変化に富んだメニュー。
「気がついたら22席もあって、しまったと思った。店の隅から隅まで、きっちり百のことを百できる店でありたいんです」(『鎌倉、歩きたくなる小路』╱文・崎南海子 写真・中村冬夫╱集英社be文庫)。
内装、雰囲気、ロケーションとも鎌倉のイメージを裏切らない。
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2004年12月07日
0467╱ゼロヨンロクナナ(鎌倉西御門)-1


鶴岡八幡宮の東、西御門跡碑そばの住宅地に昨年オープンした「0467」は、築80年ほどの平屋民家を改装したらしいのだが、立地条件もさることながら、カフェ&ダイニングバーという目的に対しての建築デザイン、インテリアデザインの面でまず実に素晴らしい。
「湘南スタイル・レストラン100」(枻出版社)によると敷地30坪弱、建物約16坪とある。これだけしかない面積で厨房も含め見事な空間が設計されている。
エントランスの風情、庭(ここも客席となる)との連携、天井と床の高低デザインや壁の素材の差が産み出す空間的拡がり感と豊かさ。カウンター席とテーブル席の使い分け等々。
酒の品揃えもなかなか。料理も季節の旬を重視していて、この晩は息子やその母親と秋刀魚のマリネ・季節野菜添え、本ワサビとシラスのピザ、和牛のたたきペッパーステーキグリル野菜添え、地魚どんぶりなど堪能する。最後に焼きおにぎりのダシ茶漬けというのも実に旨い。
「0467」は鎌倉の市外局番。
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2004年12月06日
ナスィール・シャンマ日本公演

会場の赤坂ツインタワーを青山ツインタワーと勘違いしたためぎりぎりになり立ち見だったのだがこの上なく素晴らしい至福の音楽体験だった。
イラク・クルド人の家系の生まれ、現在はカイロを拠点に活動する現代アラブ世界最高のウード奏者・音楽家ナスィール・シャンマ(Naseer Shamma)とそのグループの長崎、広島、東京第一日を経た日本公演最終日だ。
ウードはアラブ音楽の基本をなす撥弦楽器で、イスラームのイベリア進出を通してヨーロッパに伝わり「リュート」の基となった。ギターはさらにその後継だ。
10/03の「ル・クラブ・バシュラフ」の記事で書いたウード奏者・アラブ音楽研究家、松田嘉子さん(学部は違うが私と同じ多摩美術大学の教授でもある。今回の日本公演もずっとサポートした)の演奏やパレスチナ出身のアデル・サラマー、シモン・シャヒーンなどウードのCDをこれまで聴いてきたが、ナスィール・シャンマのウード演奏はウードによる表現というのはこんなにも豊穣なものなのかという驚きと感動だった。
けっしてテクニックの問題ではない(もちろん本来音程を司る左手で奏でてしまうようなことも含めテクニックは究極を極めているし、かき鳴らす様はそこらのエレキ坊やに聴かせたたら卒倒するだろう)。
祈り、気品、誇り、熱情、連帯といった抽象的な観念が、音の饗宴を通してダイレクトに心に響いてくる、といったらいいだろうか。まだことばではなかなか表現できない。
12 6, 2004 13.音楽の楽しみ | 固定リンク
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2004年12月03日
ポロ ラルフローレン鎌倉(鎌倉雪ノ下)

30歳を過ぎたころから(1970年代の後半)、服(バッグ、傘、靴、財布等の小物も含め)はすべてラルフ・ローレンのデザイン・プロデュースするポロ(Polo)のものを買うようになった。だからもう「ポロ歴」4半世紀を超える。
別にいわゆるブランド志向ではない(そんなことばは無かった)。品質が良く永持ちしてリーズナブルな価格でデザインが気に入るものを探していてポロに出会い、私にはフィットし、それらとともに年を重ね、それ以外を探して歩く時間も志向もなかったということにすぎない。
「永持ち」ということでちょっといえば、26年前くらいに買ったクルミボタン付きポロの編み上げのベストはまだ現役だ。
15年前に鎌倉に越してきて、本格的なラルフ・ローレンの店「ポロ ラルフ・ローレン鎌倉」(鎌倉雪ノ下・若宮大路沿い)があってとても助かった。
写真右『時計じかけのオレンジ』(1971)のマルコム・マクダウェル似の喜内(きない)さん(メンズ担当)はそれ以来のアドバイザー、私のすべてのサイズとその変化、各種好みを熟知している。左の埋橋(うずはし)さんはホーム・ファーニシング担当、『蒲田行進曲』(1982)の頃の松坂慶子を彷彿させるすばらしい美人。
※ポロ ラルフ・ローレン鎌倉のX'マスパーティー(3階の「リストランテ ジョージ&レイ(George & Ray)」)にて
12 3, 2004 05.私の好きな鎌倉の店・その他, 17.衣・ファッション | 固定リンク
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アマルフィ デラセーラ(鎌倉七里ガ浜)-1

鎌倉駅から江ノ電に乗り、稲村ヶ崎駅を過ぎるとしばらくして海沿いの国道134号と並行する。それまで家々の間にちらちら光っていた海が左手に一気に拡がる。観光客が歓声を上げる江ノ電の楽しみのひとつだ。
七里ガ浜駅で降りて少し進み線路(踏切ではない)を踏み越え、ちょっとまがりくねった階段を80段ほど上ったところに「Ristrante Amalfi Della Sera(アマルフィ デラセーラ)」がある。
鎌倉の飲食店としては、文句なく海の眺望No.1だ。テラス席が中心のピッツェリア。ちょうど下の134号線沿いにあるイタリアンレストラン「Amalfi(アマルフィ)」の支店として6年前に開店した。
人間の視野角はまっすぐ前を見たときおよそ180度あるが、このテラスからまっすぐ見ると、すべて海(相模湾)と空しか目に入ってこない。しかも浜辺で見ているのと違って高さがあるので海のボリュームがある。
顔を右に振れば江ノ島、左に振れば葉山から三浦半島の先の方まで視界に入る。
この写真は昼時だが、江ノ島の左手あたりに落日する、店名でもあるセーラ(イタリア語で夕焼け)時が一番お薦め。
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2004年12月01日
リモージュと有田・伊万里

※リモージュの採石場とそっくりだ!とフランスの友人たちは感嘆した。有田泉山の採磁場蹟。
福岡へは、フランスの磁器工芸品「リモージュ・ボックス」を輸入販売している会社(私も役員)の社長(といっても中学高校の同級の気の置けない友人)と、提携先であるリモージュの2つのアトリエのフランスの友人2人と行った。
1日余裕があったので、佐賀の有田と伊万里をめぐる。
有田へはハウステンボス行きの特急で博多駅から1時間20分ほどで行くことができる。
有田はもちろん有田焼という日本で初めての磁器を産み出し有名な産地になっているところだ。
「やきもの」はとても奥が深い。
人類が誕生して長い年月の後、粘土をこね焼くことによって土器を作り出し(ちなみに植木鉢、赤レンガは土器)、より高温で焼き釉薬(うわぐすり)を施すことで陶器を作った。土器と陶器は素材が土だが、その後に作られるようになった磁器(ご飯茶碗など)は原材料は土ではなく石(鉱物)だ。カオリンと呼ばれる中心素材の名はもっとも早く磁器作りを始めた景徳鎮近郊の山地「高嶺=Kaoling」からきている。
フランス・パリ南西400Kmの人口17万の町リモージュと有田がどんな関係があるか。
とてもおおざっぱに言えば以下の通りだ。
中国の景徳鎮などを中心とする磁器生産技術が朝鮮半島に伝わり特に朝鮮半島南西部で盛んになった。
「学者、技術者、農民などで役に立ちそうな者をできるだけ連行せよ」という豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592・1597=「文禄・慶長の役」=韓国では「壬辰倭乱」)で、たくさんの陶工が特に肥前(佐賀と長崎の一部)鍋島藩軍によって拉致され、有田などの山中に囲われた(北朝鮮の「拉致」などとは桁違いにスケールが違う)。
この朝鮮人陶工が有田泉山に磁器原材料の鉱脈を発見し、有田焼の基を作る(17世紀初頭)。
当時ヨーロッパでは、磁器はできず、白い地のガラスのように繊細な磁器は王侯・貴族の垂涎の的だったが、明が清に圧迫されて景徳鎮からの輸出が細くなると、有田焼が伊万里津港を輸出元にオランダ商人の手でヨーロッパに渡り「伊万里」として彼らの「磁器の間」を飾った。柿右衛門の赤絵などの「デザイン」は一気に広まった。
ヨーロッパの王侯貴族はやっきになって磁器原料を探させたが、マイセン(旧東ドイツ)でカオリンが発見され、ヨーロッパ製磁器が作られたのは有田・伊万里に遅れること100年、18世紀初頭。リモージュ郊外のサン・ティリエ・ラ・ペルシュでカオリン鉱脈が発見されたのは1768年のことだ。彼らの手本の代表は有田・伊万里だった。
もちろんこれらの流れは一方向的なものではない。オランダ商人はヨーロッパ王侯・貴族の好み・要求を伊万里・有田に伝え、窯元と職人たちはそれに応えたし、それとは別に朝鮮経由だけではなく、直接中国の動向も伝わっていた。
めぐりめぐって世界は連関しあっている。
ここでも「日本独自の伝統」などという言説は成り立たない。
12 1, 2004 10.美術工芸 | 固定リンク
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