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2004年07月30日

憂鬱な季節

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また「ガンバレ、ニッポン!」と「感動をありがとう!」の憂鬱な季節が始まる。
消しゴム版画家・エッセイストだった故ナンシー関は、オリンピックやW杯に対する人々の態度に対して、繰り返し「怖いです。気味悪いっす」と表明していた。
なにが怖く、気味悪かったのか。
TVであれ実際のイベントであれ、与えられた(そう「与えられた」のだ)ものを疑いなしで受容し、熱中し、「束ねられ」、そうでない(参加しない、中継を見ない、応援しない等々の)人々は排除・異端視されるあり方だろう。

「純粋にスポーツを楽しんで何が悪い」というか?
「純粋」ならなぜ「国」ごとに分かれて競うのだ?選手やチームはなぜ「国」や「国民」を「代表」するというスタイルをとるのか?

「近代オリンピック」は古典的な帝国主義時代の「国家間戦争の代替物」でもあった。
近代「国民国家」の枠組みは黄昏とはいえまだ崩れてはいない。
「近代スポーツ」とそのイベントはそもそもの成り立ちからして「政治とは無縁」などではまったくなく「切り離して」考えることはできない。

7 30, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ |

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