NATAさんのイダキ・ライブ
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7月3日夜、長谷のカフェ「麻心」。
巨大なろうそくの灯りに囲まれてNATAさんは鎌倉の海に向かって静かに立つ。
窓外に逗子から葉山への明かりが拡がる。時折花火が上がる。
ハーッ、ハーッ、スー、というゆっくりとしたしかし腹から絞り出す呼吸音が届く。
始まった演奏は私の今までの音楽体験に無いものだった。
暗黙に前提としている「音楽」「演奏」という近代的な概念がいかに狭く貧しく定型化されたものであるかも感じる。
この音と響きとリズムをコトバで表現するのはほとんど不可能だ。
ブィー、ビー、などのアルファベットで言えば B、V系列の、海鳴りとも山鳴りとも地鳴りとも風鳴りともいえるような音の響き(文字通り体内に響くのだ)が基調になり、その通奏の上に、ドゥワ、バウ、パッなどの音が自ずからリズムを整えて発せられる。
NATAさんの右手は霊魂を招き寄せるようにゆっくりとたなびく。
感動した。
私は神を信ずる者ではないが、自然と神々と人間の感応の世界をかいま見たような気持ちになった。
楽器はオーストラリアの先住民、アボリジニのもので、彼らの聖地アーネムランドの部族たちは「イダキ(YIDAKI)」と呼ぶそうだ。19世紀以降、流刑者やロンドンの都市貧民を中心に流入したヨーロッパ人たちは、やがてアボリジニと接して、この世界最古の木管楽器を「発見」し、彼らの耳に聞こえた感覚から「ディジュリドュ(Didjeridu)」と名付けた。
NATAさんが使ったのは彼の陶芸の師匠に造ってもらった陶器製だが、アボリジニたちはユーカリの樹を使う。オーストラリアにある800種もあるユーカリのうち、このイダキに使えるのは10種ほど。
長さは130〜160cmくらいで中が空洞になっている。これは人の手でくりぬくのではなく、木の芯にあるユーカリ油をシロアリが食べて筒状になったものを用いるそうだ。
後で見せてもらったが、吹く口も、ただ数センチの穴があいているだけ。呼吸と舌使いだけで複雑で豊穣な響きが生み出される。
アボリジニは男女の役割分担がはっきりしており、イダキは男しか吹けない。父から子へと伝えられる。
死者を葬るとき、また祭礼のときに吹かれる。葬るときはイダキと拍子木と唄で、祭礼にはそれに踊りが加わる。
NATAさんは、アーネムランドでアボリジニと生活し彼らの伝統的な奏法や呼吸法、そして精神を学んだ。
彼らにファミリーとして受け入れられアボリジニネームももらった(これはアボリジニ以外の人としてはとても希少だという)。
アボリジニはそれぞれが持っている「曲」(ちょっとわれわれの概念とは違うが)をそのまま余所で奏することは許さない。しかしそうした事情がなかったとしても、NATAさんは、学んだものをそのまま復元・演奏することだけに満足はしない人だろう。
病んだ現代の社会と人々に向けて、静かにしかし力強く「違う世界」がありうることを彼自身のアートを通じて訴え続けるに違いない。
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