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2004年06月29日

せめぐべし

040629suisai

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私の友人の作家・俳優が某ラジオ放送に出演することになり、作品(いわゆるネタ)をいろいろ持ち込んだ。
驚くべきことに(まあ当然のことなのかもしれないが)、そのうちのかなりなものが、慇懃無礼に「これはいかがなものか」とボツにされた。

そのひとつひとつについての具体的なことはここでは記さない。
放送局の言い分(もしも「言い分」と言えるとすればだが)は、まとめると以下のようになる。

1. 戦争に関すること(広い意味で政治に関すること)には触れないでほしい、「触らない」でほしい。
2. そこで表現されたような立場の人が聴いていたらどう思うか(不快に思うのではないか、それで抗議してくるのではないか、従っていかがなものか、つまりやめて欲しい)。
3. メッセージはしないでほしい(メッセージ性のあるものは排除してほしい)。

ふつうこういうことを日本語では「いちゃもんを付ける」とか「因縁を付ける」という。
あまりの言いぐさに呆れてものも言えないが、そうも言っていられないので少しものを言う。

1. 戦争が終結していないイラクに「派兵」し、多国籍軍という形での「駐留」をなんの論議もなく決定してしまうような、とんでもない状況で、かつ、「備えあれば憂い無し」などという馬鹿の一つ覚えの言葉だけで「有事法制」を強行する(これが戦争とそのための抑圧体制の準備でなくてなんだ)ような状況で、言説・アートが「戦争」に触れるのは当たり前ではないか。

2. いかにも他人の気持ちを慮っているような態度に見えるが、全然違うことは言うまでもない。単に抗議を受け「問題化」して「責任を問われる」のを怖れているだけだ。

3. メッセージを発しないアーティストというのはアーティストなのか?

思想・信条そして言論・表現・出版・報道の自由というものは、それを求める行動と、それを抑えコントロールしようとする側とのせめぎあいの上にあるものだろう。日本における今の「水位」「拮抗点」はこんな低レベルにある(こんな低いところまで押し下げられており、「問題提起」さえ抑えられる)。

また「マスコミは中立でなければならない」などというのがまやかしであるのはとっくに明らかだ。
全体のなかで「右」や「上」が強くなったら、「中立」は「右」や「上」にシフトするのか?(そうしなければ「中立」ではなくなってしまうから、そもそも「中立」などという立場が成立しないことははっきりしている)。

ここでの放送局の態度は、ひたすら「クレームを付けられない」ことに徹する「事なかれ主義」であり、むろんそれは結果として権力を利する(「普通」にしていろ、「異」を唱えるな、そうすればなにも問題はない)。

数十くらいの「抗議の電話・メール・ファックス」等でびびって陳謝・自粛する(しかしなんら真摯に対峙しない)、主張も見識も矜持もないメディアは滅びるべきである(いや設備がもったいないから「乗っ取られる」べきですね)。

6 29, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ |

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