2008年11月21日

誤報のおわびの表現と校正・校閲

毎日新聞が11月19日朝刊で、元厚生事務次官宅が相次いで襲われたことに関して「ネットに犯行示唆?」という誤報を掲載した。
ネット上の「ウィキペディア」に犯行前に、暗殺という書き込みがあったというもの。

「ウィキペディア」の更新日時はデフォルトでは「協定世界時(UTC)」という時刻で表示される。
日本標準時(JST)はこの協定世界時より「9時間進んでいる」
で、「+0900(JST)」のように表記される。

ところが、毎日新聞のお詫びでも、それを報じた産経等のニュースでも「日本標準時よりも9時間遅い”協定世界時”で判断したのが間違い」と述べられている。
「遅い」という表現で、この誤報の原因が伝わるのだろうか?

そもそもの誤報を含め、一昔前の大新聞社だったら絶対チェックが入ったと思う。
あきらかに校正・校閲部門の弱体化が進んでいる。

外注・下請けにまかせている日本の新聞社のウェブサイトの校正・校閲のお粗末さはまた別に記す。


『週刊文春』11/20号のエッセイ「福岡ハカセのパラレルターンパラドックス」に『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一/講談社現代新書)の校正プロセスのエピソードが記され、ふだん普通の人は知るよしもない校正・校閲者の世界が活写されているので記しておく。

筆者が初めてニューヨークで研究生活を始めたとき、観光船に乗り次々と現れるマンハッタンの偉容をノルタルチックにふりかえる場面の文章。

ゲラ刷にバーンとマンハッタンの地図のコピーが貼られ、文中ふれたビルの位置がマークされている。
「見える順番が違います」という校正者のメモ。

新聞社、出版社の校正・校閲者というのは、単に表記上の間違いなどを見ているわけではない。
表には絶対に出てこないが、「広辞苑の間違いを見つけるのが無上のヨロコビ」だというような驚くべき博識な人たちであり、また「調べるすべ」を知っている人たちだ。

彼ら・彼女らを特徴づけているのはその視点である。さらにいえばその視点の深度にある。校正者さんは、執筆者のように自己陶酔していない。編集者のように社交的でもない。読者代表でありながら、ストーリーに没入することを自ら禁じ、かといって表層的な書き間違いや表記の不統一だけを探しているわけでもない。深すぎず・浅すぎず、一定の深度を保ちつつ、水中のタナをスキャンして魚を探る熟達の釣師のような存在なのだ。
書き手、編集者、校正者。この間のてまひまが活字というものを支えているのである。

11 21, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年11月19日

麻生首相と漢字テスト比べどう?-2

前回の麻生首相と漢字テスト比べどう?で出てきたものを含めて再度、麻生首相と漢字テスト比べ。

行きつけの上野毛「味喜」で、高卒、現専門学校生、22歳のフツーの女の子Aちゃんに聞いてみた。
9問中6問正解。

はい、上記で正しい読みはひとつもありません。

しかし「ふしゅう」という読みはすごいね。
「村山談話を踏襲(とうしゅう)」は歴代の首相や官房長官がくどいほど(無内容にだが)繰り返してきた言葉だよ。

「踏む(ふむ)」からきてるのか。
質問した社民党福島党首がこの答弁の意味を理解できかね(当たり前です)、「村山談話」は「腐臭」をはなっていると言っているのかとか頭の中で「?」が渦巻いたことが察しられる。

「ようさい」は「羊」が入っているからか。なにか漢字についての想像力が膨らむ。

「有」をすべて「ゆう」と読むと、「有事」「有識者」あたりはいいとして、これまで出てきていないが「希有(けう)」などは麻生的には当然「けゆう」とか「きゆう」となるんだろう。
「それは杞憂(きゆう)な例にすぎません」などと答弁されたら、ちょっと思考が止まる。
「渡良瀬有情(うじょう)」は「友情」となって、まったく違うストーリー展開になる。

物見遊山(ものみゆさん)は政治家やお役人の軽々しい視察旅行のことだが、「ものみゆうざん」といわれると、「美味しんぼ」の「海原雄山」のような重々しい趣きがあってよい。


しかし、国会の正式議事録には書記が苦労して推測したり元原稿と照らし合わせたりして正しく表記されているようです。


日本の未来はわぅわぅわぅわぅ…

11 19, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年11月14日

麻生首相と漢字テスト比べどう?

電車の中の中学、高校受験向け塾の広告のようだが、以下の読みはどちらが正しいか?(夕刊フジ11/14等より)

「頻繁」=はんざつ or ひんぱん
「未曾有」=みぞゆう or みぞう(みぞーう)
「踏襲」=ふしゅう or とうしゅう
「詳細」=ようさい or しょうさい

前のものが麻生首相の読み。
いずれも公の場での発言。

後ろがもちろん正しい読み。


日中首脳の交流関係が「頻繁(ひんぱん)」なのかと「煩雑(はんざつ=込み入ってごたごたしている)」なのかではまったく意味が違うではないか(日中交流行事で両国首脳の関係についての発言)。

「みぞゆう」「ふしゅう」は国会での答弁。

「ふしゅう」は参議院本会議、予算委員会と日をおいて繰り返している。
侵略戦争と植民地支配を中国、アジアの人々に謝罪した村山富市首相談話を「ふしゅう」するというようではその精神を「踏襲(とうしゅう)」できっこない。

国会では、昔は「速記者」というのがいて、早稲田式とかいろいろあり若い頃興味を覚えたことがあるが、今は形式上書記はいるにしてもデジタル録音が元になるのだろう。

しかしそれを録音起こしする人はいるわけで、類推し、間違いはなかったことにして正しくみえる公式記録にしなければならない彼ら彼女らの当惑と苦労が思いやられる。


それにしてもこの歳になるまでこのお坊ちゃまに注意する者は誰もいなかったのか?

てゆ〜か、なんてえの、かなり大人になっても間違ったまま思い込んでる読み方ってなんとなくあるだろ。
しかしふつうはどっかで自分で気がつくよな。
あ、なんかマンガばっか読んでてもやっぱ駄目か。


過去記事:
「なんとなく」「なんてえの」「なんか」…

11 14, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年11月09日

ジーンズのポケットの中の手紙

スーパーでも大規模衣料品店でもブランドショップでもいい、安いだとか気に入ったとか一本のジーンズを買って家に帰り、ポケットのなかに一通の手紙が入っているのを見つけたらどうだろうか。

このジーンズを作った中国の工場のまだ童顔の16歳の少女からの手紙。

それはたとえば無農薬有機栽培にこだわり、丹誠込めて私たち夫婦がこの野菜をつくりました、という生産者のネーム入りカードとはまったく異なる背景を持っている。

この少女は、過酷な労働の実情を訴えたいわけではない。
いやもちろん訴えられれば訴えたいがそんなことはできない(今の中国で労働組合の結成や運動は認められていない)。
それ以上に少女は純粋に知りたいのだ。

「オービットがファスナーを付け、私ジャスミンが糸を切りました。これをはくあなたはどんな人なのでしょうか?
もしよかったら手紙をください。
中国広東省○○市○○工場気付ジャスミン・リー」

自分たちが毎日作っているジーンズが見も知らず知識もない外国に運ばれ、こんな巨大なXLサイズを買ってはく人と生活と人生をまったく想像できない。だからこそ知りたいしコミュニケートしたいのだ。

少女はこの夢を同僚に語るが、そんなことをしたらバイヤーにすぐ見つかって即クビだよと諭される。


『女工哀歌(エレジー)』(原題:China Blue/監督:ミカ・X・ペレド/2005)を渋谷イメージ・フォーラムで最終日に観る。

ミカ・X・ペレドはスイス生まれ、イスラエル育ち、様々な職業を経た後ドキュメンタリー映画作家となる。
観ていないが前作で『Store Wars: When Wal-Mart Comes to Town』(2001)を作り、世界最大のスーパー「ウォルマート」(売上高は世界20位以内の国家GDPに匹敵する)が地方都市に進出することで生まれる葛藤を描いた。

その後「ウォルマート」のような小売り企業がどうやって安い商品を作っているのかを探り、中国のジーンズ縫製工場をテーマに選ぶ。

この撮影が、「児童労働」「労働搾取工場(Sweatshop)」といっていい実態を知られる事を恐れる中国政府当局、作らせている「ウォルマート」のようなグローバル企業、現地工場のいずれからもの拒否、妨害にあい至難の極みだったことは想像に難くない。
結果としてこれだけの密着したドキュメンタリー映画が完成したことが奇跡に思われる。

当初撮っていた主人公に据えた少女の映像は中国当局にフィルムを没収され、少女もおびえ、別の設定にして撮り直さざるをえなかった。
再度据え直した主人公ジャスミン・リーも後半では接触を断たれ、彼女の発言は吹き替えで作られたという。


水牛が田を耕し、アヒルや豚を飼ってなんとか生活している四川省の農民に二人目の娘を上級学校に入れさせる資力はない。
16歳のジャスミン・リーは広東省の工場の募集広告を頼りに、ショルダーバックとポリバケツに身の回りのものを詰め、汽車で2日間をかけ工場にたどり着き門をたたく。こちらで募集していませんか。
1億数千万ともいわれる農村から都会への「農工」の一員。

ジーンズ縫製工程の細かく残った余り糸を切りはらう仕事。
工場内の4階建て寄宿舎。一部屋に12名が2段ベッドで寝起きする。
作業開始朝8時、終わりは…納期によってわからない。
私語が禁じられている職場でかすかにかわすことばは例えば「今日やっておかないと、明日はもっときついよ」。
「午前3時」の灯りが付いた仕事場。交代の夜勤者ではない。朝から働き詰めなのだ。
わずかな休憩時間にジーンズの山のなかに倒れ込む少女たち。

過酷な残業と度重なる給料の遅配、恣意的な理由をつけた理不尽な罰金天引きなどにとうとう少女たちは罷業におよぶ。
経営者に詰め寄る先頭にたっていたのはわずか14歳の子だった(中国では表向き15歳以下の雇用を禁じているが、偽造IDは簡単に手に入り、経営者も黙認する)。

少女たちの月給(払われれば)は約3,000円からよくて7,800円ほど(歩合給)。
食費、寄宿費、罰金その他良く分からない費目でも引かれ、故郷への仕送りもままならない。

15〜16名ほどでつくるジーンズ1本あたり、彼女たちが受け取る賃金はあわせて約100円。
1人あたりでは約8円弱。

コンテナに積まれ、たとえばLAのウォルマートで開梱され無造作に「Sale」の貼紙がされるとき20〜40ドル(2,000円〜4,000円)となる。

早期退職を防ぐため、初めの月の給料は留め置かれる。
正月の帰省の交通費もないため寄宿舎でじっと涙をこらえるジャスミンの姿が哀しい。
束の間、街に出かけ、友達と一緒に故郷に送るためのポラロイド写真を40円ほどで。
安っぽい中国庭園の絵の背景で同じく安っぽい赤いチャイナドレスの貸し着姿。
カメラがダウンすると足元はすりきれたスニーカー…。


ミカ・X・ペレドは当然このような市場至上主義とグローバリゼーションが生み出しているひずみに憤っている。
しかしそれを声高に映像のなかで主張しようとはしない。

それは、毎日、自分のこと、まわりのこと、そして師について修行を積み両親をいじめる悪い役人をこらしめる弟子の夢想のお話を日記に記し続けるジャスミンの姿と、世界を知りたい、つながりたいという彼女のイマジネーションを通して、静かに圧倒的に伝わってくる。


こういう事態を許しているのは誰に責任があるか?
儲かればいいというグローバル企業にあるだろう。きちんと取り組まない政府にもあるだろう、工場の経営者にもあるだろう。
しかし、最大の責任は、こういうことを知ろうという意思や意欲を持たず少しでも安いものやブランドものを追い求め、想像力を働かせない私たち自身にある。


今のところはないだろう。
しかし、買ってきたジーンズのポケットの中にあるかもしれない無数のジャスミンたちの手紙をイマジンし続けよう。


Sweatshop(スウェットショップ)についての過去記事:
「PLAY FAIR プレイフェア」(オックスファム・インターナショナル・オリンピックキャンペーン)

11 9, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年11月05日

「好戦の共和国」は変わるか?

オバマ勝利の報道に接しながら、『好戦の共和国 アメリカー戦争の記憶をたどる』(油井大三郎/岩波新書)を読んでいた。

アメリカはなぜ好戦的なのか、デモクラシーの先駆者を自負するのに……
という根本的な疑問を出発点とし、アメリカ現代史が専門の著者が、恩師・斎藤眞の「建国期をきちんと勉強しないとアメリカは分からない」という教えを思い起こし、植民地、独立戦争から9.11後の現在までの400年をわずか250ページほどの新書ながら総括していて示唆に富む。
アメリカはデモクラシーの先駆者を自負するがゆえに好戦的なのだ」という答えとの間の歴史の葛藤。

「Change !」「Yes, We Can ! 」のオバマも「対テロ戦争(War Against Terror)」というブッシュが敷いた問題構制は(選挙戦術上だけかどうかはまだ分からないが)継承している。

ついでながら日本の政治家やマスコミは、普通に訳せば「対テロ”戦争”」のはずなのに、「戦争」という言葉を意図的に避け「テロとの”戦い”」などと、あたかも「エイズとの戦い」「貧困との戦い」と同じような比喩的意味に薄めている。

インド洋給油などの民主党の暗黙の了解で進められている「テロとの戦いへの”協力”」は、これも普通に英語に訳せば「アメリカの対テロ戦争への”参戦”」以外のなにものでもない。もちろん「敵」とされている側はそうとらえている。日本国民に「参戦国」という意識はあるか

大義など崩壊して泥沼化し展望が見えないイラクから16ヶ月以内に撤退するというのは当然としても、「まだ勝利の可能性のある」アフガニスタンを「対テロ戦争」の「主戦場」ととらえ、部隊も増派して完遂するというオバマの公約が絶対に不可能なことを、アメリカ国民は、そして日本国民はまったく考えようとしていない。

11 5, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年10月30日

view red/blue map / SonicLighter/ iPhone

一昨日青い灯(オバマ支持)対赤い灯(マケイン支持)-SonicLighter/iPhoneで、「場合によって家まで特定されてしまうからだろう、詳細Googleマップとは連動させていない」と書いたが、あっさり連動された。

開発元「smule」の「map」を見ると、「view red/blue map」というモードがあり、それに切り替えると赤と青の様相がGoogle詳細マップまで見られる。

下の由比ガ浜の海の中に青く灯っているのがおそらく私の発信。
GPS検知が200mほど外れている。

10 30, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 34. iPhoneの愉しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年10月28日

青い灯(オバマ)対赤い灯(マケイン)-SonicLighter/iPhone

予告通りSonicLighterがバージョンアップされ、青い灯(オバマ指示)、赤い灯(マケイン指示)が地球のマップ上に表示されるようになった。

アメリカは、東部、カリフォルニアでオバマが圧倒、中南部は拮抗だがフロリダは青い灯が多い。
ヨーロッパは圧倒的に青い灯で覆われている。パリはここぞと灯している。
日本も青多数。西端石垣島に赤い灯。
北極海氷原で灯り続けていた灯も青に変わった。

前に書いたようにこれは人数ではなく、一人が1秒間灯すと1J(ジュール)としてカウントされる。
場合によって家まで特定されてしまうからだろう、詳細Googleマップとは連動させていない。


米大統領選とSonicLighter/iPhone
パタゴニアの灯-sonic lighter/iPhone
灯火の共時世界「Sonic Lighter」/iPhone

10 28, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 34. iPhoneの愉しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年10月27日

米大統領選とSonicLighter/iPhone

iPhoneアプリの「SonicLighter」は、ここ3日間、24時間、60分に分けて、このアプリで炎を灯している人をGPSで検知し、地球儀上で(サイトに跳べば詳細なGoogleマップでも)見られるとてもおもしろい試みなのだが、当然それだけではなく、なんらかの意思表示やコミュニケーションに展開する可能性があることは始めから想像できた。

きのうバーションアップし、11月4日に迫った米大統領選、マケインを指示するか、オバマを指示するか、普通の灯をつけるか、という選択が最初に表示される。

マケインを指示するを選択すると灯は赤になり、オバマを選択するとブルーになる。

結果が従来の地球儀上に表示されるかと思ったら残念ながらそこまではいっておらず数値表示のみ。
分布がぜひ見たい。
数日中にまたバージョンアップするというので期待。

パタゴニアの灯-sonic lighter/iPhone
灯火の共時世界「Sonic Lighter」/iPhone

10 27, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 34. iPhoneの愉しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年10月25日

『シューカツ!』(石田衣良)

学生と話していて「シューカツ」という言葉を初めて聞き「?」となったのはいつ頃のことだろうか。

石田衣良は『非正規レジスタンス - 池袋ウエストゲートパークⅧ』で、ネットカフェで夜を過ごし、携帯一本で登録し呼び出され、今日はどこに行かされ何をやるのかもわからないまま西口公園前に早朝並ぶバスに詰め込まれる日雇い派遣の若者たちの世界を描いた。

一方で、今月出た『シューカツ!』(文藝春秋)では、難関のマスコミ就職をめざす学生たちが就職活動を経て悩みながら成長していく姿を描いている。

欧米では不足があれば採用するというスタイルが普通だが、不定期のキャリア採用に力を入れる企業が増えたとはいえ、日本の特に大企業、そして公務員は卒業時に合わせ一斉に多数の新卒新入社員を入れる、という年功序列ー終身雇用時代の仕組みのままだ。

で、「シューカツ」は3年生の間が勝負となる。
大学3年の春、友人たち7名で「全員合格!」を目指す「シューカツプロジェクトチーム」を作る。
情報交換や各自の状況報告、時には愚痴を吐き出す場でもある。

チーム結成式に模擬的にやってみるグループディスカッション(最近の入社試験に多く採用されている)が興味深い。
個人面接では見えにくい、討議を引っ張る力、大局的な判断力、他人の意見をきく力、協調性、情報発信力、調整力、独創性、積極性など、コミュニケーション能力や論理的な説得力とともに、その集団のなかでどういう役割を選ぶか、などの個性が観察される。

「エントリーシート」「OBOG訪問」「インターン」「受付面接」「圧迫面接」…を通して「働くというのはどういうことなのか」を学生は考えざるをえない。
一連の就職試験で試されるのは個性や人柄だけではない。
底知れず求められる知識、雑知識、教養学力から、「あなたはニューヨーク証券取引所でITバブル崩壊を目撃しました。その場面を英語で日本に実況中継しなさい」などという頭が真っ白になる英作文問題…。

身体的な健康や激務に耐える体力は当然の前提で、精神的なタフネスさはもっと重要だ。
プレッシャーに押しつぶされ引きこもりになる仲間と、自分にもまったく余裕は無いが、かわるがわる励ますメンバーたち…。


そう、「シューカツ」は生きることそのものの凝縮。

10 25, 2008 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年10月17日

「なんとなく」「なんてえの」「なんか」…

武田泰淳の名著『政治家の文章』(1960/岩波新書)を読み返すまでもなく、戦前から戦後ある時期までの日本の政治家は、主義主張の違いはあれ、まがりなりにも「弁論」の伝統にのっとり、発することばと演説の文章には最大限配慮し、内実と格調を重んじていただろう。
だからこそ作家の「批評」の対象にもなりえた(最近の「首相」たちの文章は皆ゴーストライラーによるものだから、内容的な批判は別にして、文章的な批評の対象にはまったくならない)。

この間の日本の首相たちが発することばの「存在の耐えられない軽さ」はどうよ。

ワンフレーズで何か自信を持って断定しているようにみせ、内容は別にしてかっこいいなどと惑わせた小泉、まったくことばが空疎だった安倍、慇懃無礼の他人事ことばの福田、を経て今度は「なんとなく」「なんてえの」「なんか」とあいまい、非論理、逃げをうつ麻生ときた。

朝日新聞(10/16朝刊)「“何となく”口癖なんです」という記事。
首相就任から3週間での答弁や取材のなかで「なんとなく」「なんてえの」「なんか」がなんと80回を数えるという。

例をみると唖然とする。

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんとの会話:
なんてえの、ますますこういったなんてえの、素粒子の理論とか…」
なんとなくなんとなく、勉強とか、なんとなく物理とか、なんとなく難しく考えないで、なんか夢を持ったり…」

同じく小林誠さんとの会話:
なんとなく若い人がちょっと夢がないような話が多いんですけれども、なんとなくこういった地道な研究を頂いた方がノーベル賞なんていうものになりますと、地道に研究した成果がなんとなく努力が実ったみたいな感じがして…」

就任から一夜明けて:
「改めてなんとなく付いてくる人も多いし、大変やなと改めて責任の重さみたいなものを強く感じた」
ここの「なんとなく付いてくる人も多い」は期せずして唯一適切な使い方に結果としてなっている。
しかし責任の重さ「みたいなもの」で馬脚をあらわす。なぜ「責任の重さを強く感じた」と断定できないのか。

地球温暖化問題に関連して:
「明らかに、なんとなく我々のまわりに大きな変化が起きている」
な〜に、これ。
「明らかにー起きている」のか?
「なんとなくー起きている」のか?

麻生は外務大臣を経験しているのだが、こういう余分を心得て省くお抱え専任の手練れ同時通訳者とともにでないととてもではないが外国には出られない。
もし、言葉通りに通訳するものしかいなかったら、somehow(どういうわけか、理由はわからないが)とかvaguely(漠然と)とかがそこらじゅうに入ってきて、聞いているものは何を言いたいのかまったくわからなくなるだろう。

以前書いた学生や若い世代の断定を避けることば状況(「みたいな」「とか」「かも」「かな」「語尾上げ?」)は政府や国会にまで蔓延している。

明確な政治理念を持っていないこと、責任回避への逃げの現われでもあるが、政治家に絶対的に必要な明晰明解な言語コミュニケーション能力にこれほどまでに致命的な欠陥を持った人を首相としている私たちの悲惨を想う。

10 17, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年10月10日

世界恐慌への連鎖

例えてみれば(というか、現実にこういう方もいるだろうが)、老後のためになけなしの貯金と退職金で長年勤めてきた会社の株や優良とされる株に1年前1,700万円投資し、安心していた人が、ここ1ヶ月たらずのうちにその資産価値が800万円と半分以下になってしまい、売るに売れないというような状況になっている。

iPhoneの株価アプリのアイコンにはジグザグながら少し右肩上がりのグラフが描かれているが、ここ一ヶ月でのアメリカの金融システム崩壊、信用収縮から、世界同時株安、世界恐慌への連鎖が始まっている。

ハイリスク・ハイリターンで荒稼ぎし、ハイリスクの方を誰も未だに正確に把握しきれないほど世界中に拡散させてきた「カジノ資本主義」の「強欲のツケ」が巨大な引き金となった。

市場原理、自由競争とそのための規制緩和という新自由主義と、ドルを基軸としたアメリカ主導のグローバリゼーションが音をたてて崩れ始めている。

「大きすぎてつぶせない」ようにするしか策がなくなった大企業への膨大な公的資金(税金)による「救済」と、泥沼のイラク・アフガニスタンをはじめとする「対テロ戦争」戦費、巨額の累積財政赤字、Big3でさえ政府に泣きつかざるをえない経済の空洞化、雇用の悪化等のなかで、アメリカが遠からず「財政破綻国家」に転落する可能性が現実味を帯びてきている。

特に小泉以来「構造改革」と称してこれに追従してきた属国日本は「追従のツケ」を払わねばならなくなった。
アメリカの国債を世界一買い込んで(買わされて)いる日本は、これが紙切れ同然になるまで一蓮托生で後生大事に持ち続け、同じく「財政破綻国家」の仲間入りをするか。

麻生の「景気回復」「経済成長」などというお題目は単なる弥縫策にすぎない。

今までの「景気が良くなればいいというようなあり方」「輸出主導のいびつな日本経済の実体・中味」と「経済成長しなければという脅迫神話」「アメリカや世界との関係のあり方」などが根本的に問われている。

私たちひとりひとりは生活を守るため、これまでの価値観を見直し行動していくほかはない。

10 10, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年09月02日

悼・伊藤和也さん(ペシャワール会日本人ワーカー)

2001年に鎌倉で中村哲医師の講演を聴いて感銘を受け、それ以来著書や関連書を読んできた。

アフガニスタンでペシャワール会の日本人ワーカー、伊藤和也さんが殺されてから、追悼の意を込め、またペシャワール会の活動の継続発展を願って、あらためて一連の著作を読み返している。

私たち日本人のほとんどはアフガニスタンのことを知らないし知ろうともしていない。

どこかインドの西あたりにあり、旧ソ連と戦争をしていたようだ。
そのあと狂信的なイスラム原理主義のタリバンが政権を握り、貴重な仏教遺跡を破壊したり、女性を抑圧した。
2001年9.11同時多発テロの後は、ウサーマ・ビン=ラーディンを匿うテロリストの温床となっていることが明らかになった。
アメリカの空爆などでタリバン政権は倒れ、民主化が始まったはず。
しかしその後タリバンが復活し、治安の悪化やテロの危険が増している。
テロを封じ込めるために日本としても協力しなければならない。

アメリカ政府と追随する日本政府の発表、それを垂れ流すマスコミを通じて、普通の日本人がイメージしているアフガニスタンはおおざっぱに言えばせいぜいこの程度のものだろう。

1984年、パキスタン北西辺境のペシャワールに赴任し、以来ほぼ四半世紀にわたって現地貧民やアフガン難民、そしてアフガニスタン国内にも診療所を拡げ、医療活動、井戸灌漑、農業振興に携わってきた中村哲医師が描き出すアフガニスタンと人々の状況はそのようなイメージからはほど遠い。

アフガニスタンの人々はもともと日本には親近感を抱いてきた。
古くは自らの脅威であったロシア帝国(北に国境を接している)を同じアジアの小国日本が日露戦争で打ち破ったこと。
そして、ヒロシマ、ナガサキは誰でも知っている。

しかし、湾岸戦争、アフガン空爆、イラク戦争、また今現在の米軍進駐を経て、アメリカに追従する日本の姿に人々は失望した、と中村医師はいう。
少しでもアフガンの人々のために、と思って活動している『丸腰のボランティア』日本人ワーカーでさえ、しょせん外国からの抑圧システムの一環でもあり、捕らえれば高い代償を得られると思われる存在になっている。

伊藤和也さんの死に、アメリカのいいなりになっている日本政府の責任もあるのだ。


今回の伊藤さん殺害を受け、日本人ワーカーはすべて帰国させ、中村医師のみ残ってペシャワール会の活動を継続するという。


アフガニスタンの人々と、「誰もが行きたがらない所へ行き、誰もがやりたがらないことをする」ペシャワール会の活動を少しでも知るために、ぜひペシャワール会サイトを訪れ、またその中の書籍案内から1冊でもいい、まず読んでみてほしい。

『丸腰のボランティアーすべて現場から学んだ』(中村哲・編/ペシャワール会日本人ワーカー・著/石風社)には、今読み返してみると、たくさんの日本人ワーカーに混じって、伊藤和也さんの写真も、会報に寄せた文も掲載されている)

享年31。
合掌。

9 2, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年08月16日

『コンビニのレジから見た日本人』(竹内稔/商業界)

「コンビニ(Convenient Store)」は日本全国に今や4万店超ある。
大量生産・輸入ー流通ー安価な販売、利便効率第一という現代日本社会の縮図。
人がある程度まとまって住んでいる地域で無いところなどないほど普及している。
こんな異常な国は世界で日本以外にはない。

著者は1968年生まれ。高校1年からスーパーで、大学に入ってコンビニでアルバイトを続け、コンビニ業界に深く興味を持ち、以降、一般従業員、店舗マネジャー、店長代行、オープニング店舗指導員、不振店再興指導などに携わり、現在は4店舗を経営している。

「私はコンビニの売場が好きだ」
著者は1日平均13時間働き、そのうちの半分は「レジ」に入り、1日1,000人のお客と応対する。

この本はしかしコンビニの業界本ではない。

コンビニは、日本人が最も緊張から解放されリラックスできる空間になっている。
職場や家庭、世間での煩わしいつきあいの気苦労から離れ、そこでは自由気ままに振る舞えるかのように思われ、だからこそここを通して現代の日本人の本音、本性が現れる。

コンビニのレジで、「毎日、人間の、日本人のシャワーでも浴びているような」20年以上にわたる経験と観察から、コンビニ自らがお客の「もっと便利に」という「わがまま」にひたすら応える形で成長してきた自戒をふまえた上で見えてくる「今の日本人は、明らかに失くしてはいけないことまで失くしつつある」状況に警鐘を鳴らし、真っ当な社会になんとかしたいという願いを込めた本なのだ。

第1話「日本人は『コンビニでは何をしてもいい』と思っている」から、店頭ゴミ箱の悲惨な状況、店舗にとってはもうメンテ負担が限界に達している公衆便所以下にしか思われていないトイレの汚しようの惨状、従業員を「人」とは思わず「声を出さない」日本人、すぐにキレ、ストレスを従業員に発散する人々、子どものような親に育てられ買い物のマナーも躾けもできていない子どもたち…。

現場を知らず、矛盾難題は個別店舗に押しつけ「善悪」ではなく「損得」勘定だけのフランチャイズ本部。

一方で「ワタシ、アイサツトカ、キライナンデス」という女性従業員。
「えぇー、廃棄(廃棄食品)食べられなかったら意味ないじゃないすか」という応募者。
商品を運んでも力加減の分からない若者たち…。


ほとんど末期的というしかない状況の中で、しかしコンビニを愛する著者は訴える。

「コンビニから日本を変えよう!」「コンビニから日本を良くしよう!」

政治家や有名人の発言より、日々の買い物での態度、習慣の方が人間のあり方に与える影響は大きく深いと著者は考える。

商人はお客に対する教育者でもある。
親と学校の先生以外に、子どもにあるべき買い物の態度を教えられるのは、商人しかいない。
その誇りを持ち、日々毅然として、お客のひどい態度を変えていく勇気を持たねばならない。

そのための具体的な第一歩はお客への声掛けの徹底。
「いらっしゃいませ」「こんにちは」
「ありがとうございました、またお越しください」
まったく当たり前のことだが、全国で80万名は優に超えるだろうコンビニ店員がこれを徹底したら何かが変わるだろう。


私たち利用者にとってはたった一言でいい、心のこもった「ありがとう」から始まる。

悪循環のなかのマニュアル通りの投げやりなバイト従業員の心の中の何かが溶け、私たちの心の中のこれでいいのかという何かが変わるかもしれないではないか。

8 16, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月20日

マリー・アントワネットの処刑記事を読む

今月公開されたイギリスの代表的新聞社 "Times" の"Times archive" サイトは実にエキサイティング。
なにしろ1785年から1985年までのTimes紙2000万の記事、紙面が無料で(今のところ)読めるのだ、

1785年(18世紀末)! からだよ。

日本でいえば江戸時代後期、天明5年。将軍は家治の時代。
朝鮮,琉球,蝦夷,小笠原諸島を記述した林子平『三国通覧図説』が成った頃。

この年、イギリス産業革命のメルクマールとなったカートライトの「力織機」が発明された。
フランス革命、人権宣言はまだこの4年後だ。

歴史書からしか知ることができなかった、フランス革命も、ナポレオンの盛衰も、ラッダイト運動も、パリコンミューンも、その当時どう新聞記事として伝えられたかが見られる。

マリー・アントワネットがギロチンの露と消えたことを記した1793年10月23日の記事。

案内ツアーページ "Take our Interactive Tour"

アメリカの代表的新聞社 "New York Times" の
"TimesMachine"サイト
は、1851年から1922年までの紙面がPDF化され個々の記事にパーマリンクが貼られ、各種検索、テキストをコピーすることもできる。

こちらは同紙の宅配購読者にはすべて無料。その他はサンプルを見ることができる。
1916年4月16日付けのタイタニック号沈没ニュースの紙面。


いずれも新聞における情報編集、メディア史、紙面デザイン、タイポグラフィ、印刷史などの観点からも貴重。


将来的に通信・ネットワークに飲み込まれることを相変わらず理解できず、TVとの連携などで生き残ろうとあがく日本の大新聞社たち、考え直した方がいいよ。

という前に「新s(あらたにす)」なんてつまらないことをやっていないで、これに匹敵するくらいのことをしたらどうよ、世界一の発行部数だの良識の砦を誇る日本の新聞社。

6 20, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月13日

『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』(湯浅誠/岩波新書)

アメリカの主導する「グローバリゼーション」と「新自由主義」は、属国日本では小泉の「構造改革」として、さまざまな「規制緩和」「民営化」があたかも政治経済を革新し、新しい活力を生み出すかのような幻想をまき散らして蔓延した。

19世紀末以来の資本主義が掲げる「自由主義」は経済的な市場原理とセットで社会的な公正、モラル、福祉保障などとまがりなりにも共にあった。

平等な機会などかなぐり捨て、公的責任の大幅な削減、市場競争原理、経済効率一辺倒の「新自由主義(構造改革)」が生み出した現在の結果は何か。

年金、医療などの社会保障費、法人税を軽減され地方地場のこれまでの取り分まで吸収した大企業は利益を上げているが、稼ぎ出したなかの労働分配率は著しく下がった。

専門分野に限定されていた「派遣法」が1999年に改悪され、2004年には製造業まで「規制緩和」された。
派遣・請負業があらゆる業種・職種に浸透し、労働雇用条件は不安定化、細切れ化、切り下げられ続けている。

1998年から2005年までのわずかな間に、正規従業員は450万人消え、非正規労働者が500万人増えた。
戦争や革命が起きたわけではない。国民が何かのかたちで「同意」したわけでもないうちに、今や日本の働き手の3人に1人はパート、アルバイト、契約社員、派遣社員などの「非正規」になってしまい、今後もその割合は増え続ける。

かつて「一億総中流」などといわれた「中流」はもちろん幻想で崩壊し、さまざまな生活面でのセイフティーネット(雇用・社会保障・公的扶助の三段構えで「有る」はずだった)が機能しなくなり、日本の相対的貧困度は先進国中アメリカについで一気に2位になった。
アメリカにならって「貧困ビジネス」が跋扈する。

「うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう『すべり台社会』化」『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』湯浅誠/岩波新書)が猛烈な勢いで進んでいる。

給与所得年収200万円以下の人は2006年に1000万人を超えた。
300万円以下では1740万人。
日本の労働者の3割近くにのぼる。

「勝ち組ー負け組」「希望格差社会」「下流社会」などの懸念、警鐘の段階を超え、「貧困」が日本社会の中でおそらく明治・大正以来あらためて真正面から直視せざるをえなくなっている。

これは為政者や経営層がいうような「自己責任」の問題では断じてなく「政治」「社会」の問題だ。

「自己責任論」は「他の選択肢を等しく選べたはず」ということを「前提」として成り立つ。しかし「貧困」とは「他の選択肢を等しくは選べない」からなるのだ。


反貧困「もやい」の活動をすすめている湯浅誠氏は『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』のなかで、貧困状態に至る背景として「五重の排除」があると述べている。

1. 教育課程からの排除
福沢諭吉以来、貧しくとも刻苦勉励すれば立身出世は可能と希望を持たされてきた。現在、親の貧困は子どもを教育の平等な出発点にはとても立たせられない。

2. 企業福祉からの排除
非正規雇用が典型だが、単に低賃金、不安定雇用というだけではなく、各種の社会保険に入れず(従って失業時の保障もなく、職業訓練も受けられない)、正社員が受けているさまざまな福祉からも無縁だ。
派遣社員は派遣先企業に対して労働者としての基本的権利さえ持てない。
彼らの労働費用は「人件費」ではなく「資材調達費」扱いであり不断の「在庫調整」の対象にすぎず、派遣会社の入札すら行われる。
派遣会社の借り上げアパートなどで暮らしていた場合、首を切られれば即路頭にまよわざるをえない。

3. 家族福祉からの排除
貧困は世代間に連鎖し、親や子どもに頼れない。

4. 公的福祉からの排除
生活保護制度は、「水際作戦」と呼ばれる追い返す技法ばかりが肥大し、本当に必要な人々に手を差し伸べていない。

5. 自分自身からの排除
1から4までの排除を受け続け、しかもそれが「あんたのせい」と「自己責任論」で片付けられ、さらにそれが本人まで内面化して「自分のせい」と考えるようになってしまうと、何のために働くのか、生きるのか。それに何の意味があるのか、どんな意義があるのか。そうした「あたりまえ」のことが見えなくなってしまう。

人は自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。ある相談者が言っていた。『死ねないから生きているにすぎない』と。周囲からの排除を受け続け、外堀を埋め尽くされた状態に続くのは、『世の中とは、誰も何もしてくれないものなのだ』『生きていても、どうせいいことは何一つない』という心理状態である。
期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していれば、自分の腑甲斐なさと社会への憤怒が自らのうちに沈殿し、やがては暴発する。精神状態の破綻を避けようとすれば、その感情をコントロールしなければならず、そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる。その結果が自殺であり、また何もかもを諦めた生を生きることだ。生きることと希望・願望は本来両立すべきなのに、両者が対立し、希望・願望を破棄することでようやく生きることが可能となるような状態。これを私は『自分自身からの排除』と名づけた


ここ5年間の日本の自殺者が16万人、
私が住んでいる鎌倉市の総住民ほどの数の人々が自ら命を絶つという社会が正常、健全であるはずがあるか?


写真は「反貧困ネットワーク」のシンボルキャラクター「ヒンキー」
ヒンキーはオバケだ。
なぜオバケかというと貧困は「ある」と「ない」の間にあるから。

貧困の最大の特徴は「見えない」こと、
そして貧困の最大の敵は「無関心」

貧困とは常に『再発見』されるべきものである」(『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 岩田正美/ちくま新書)


NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい

反貧困ネットワーク

6 13, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年06月06日

スペイン語圏で育った少女に日本語をどう教えるか

コロンビアから先月やってきたばかりのルナちゃん(10歳)にPartnerと私が日本語を教えることになった。

ルナちゃんは9月から鎌倉の小学校に通う予定だが、スペイン語しかわからない。
こちらはスペイン語はほんのカタコト程度。

先日『旅の指さし会話帳 スペイン』をあげたらとても喜んでいたそう。

さて、どう教えていくか。

安野光雅『あいうえおの本』(福音館書店)、村上勉『あそぼうあそぼう あいうえお』(あかね書房)、五味太郎『ことばのえほん あいうえお』『かずのえほん 123』(絵本館)、『すてきなひらがな』『ステキナカタカナ』を本棚から引っ張り出して眺め、先月出た『素敵な漢字』(講談社インターナショナル)を購入。

どれも文字と言葉とそれを通した世界への想いがこめられた絵本作家の名作。

ルナちゃんにあげることにする。

6 6, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月31日

『蟹工船』(小林多喜二)

「かにこーせん」と聞いて「カニ光線」が頭によぎったり、船の上でカニシャブが食えるの、とか思い浮かべたりの世代にガチガチのプロレタリア文学『蟹工船』(1929/小林多喜二)が読まれているらしい。
今年になっての増刷が20万部を越えるという。

毎日新聞が今年1月9日に掲載した作家の高橋源一郎、雨宮処凛の「現在のワーキングプアは『蟹工船』の世界に通じる」という発言がある対談がきっかけ。
東京上野の書店員がこれを読み、文庫本を平積みにしたところ数十冊売れ、他の書店にも拡がった。
いいね、こういう書店員がいる本屋はつぶれない。


中学、高校生の頃、「日本近代文学」の陰々滅々とした「私小説」の系統に飽きると「プロレタリア文学」を読み漁った。

佐多稲子『キャラメル工場から』、葉山嘉樹『淫売婦』『セメント樽の中の手紙』『海に生くる人々』、宮本百合子『貧しき人々の群』、中野重治『芸術に関する走り書的覚え書』『鉄の話』『村の家』『空想家とシナリオ』『歌のわかれ』…。

小学校の頃の通い道にあった共同印刷の争議を題材にした徳永直『太陽のない街』は繰り返し読んだ。
彼ら彼女らがかつて住んでいた街を毎日歩いていたせいもある。私の印刷への関心はこの頃共同印刷の下請け工場の様子を下校時に毎日眺めていたことにも起因する。

『蟹工船』(小林多喜二)も何度も読んだ。

「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」
という書き出しは有名だが、
「カムサツカの海は、よくも来やがった、と待ちかまえていたように見えた。ガツ、ガツに飢えている獅子のように、えどなみかヽてきた。船はまるで兎より、もっと弱々しかった」
という描写が私は好きだ。


『蟹工船』発表4年後の1933(昭和8)年、小林多喜二は特高に逮捕され、築地警察署署内での苛烈な拷問でその日のうちに殺された。

5 31, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月24日

ブルックリン・ブリッジ125周年と『人類が消えた世界』(アラン・ワイズマン/早川書房)

マンハッタン南端とブルックリンを結ぶブルックリン橋(Brooklyn Bridge)は鋼鉄ワイヤーを使った世界初の吊り橋でとても美しい。
1883年に完成し、今日5月24日に開通した(125周年)ということで、NYでは3日間にわたってさまざまな記念行事をしているという。

が、TVのニュースでもちらとやっているとき私が読んでいたのは邦訳が刊行されたばかりの『人類が消えた世界』(アラン・ワイズマン/鬼澤忍訳/早川書房)であり、200〜300年後の無惨に崩壊していくブルックリン・ブリッジのイラストだった。

ブルックリン・ブリッジは風洞実験もコンピュータ構造計算もなかった時代、当時の基準の6倍もの強度で作られた。
設計当時(日本で言えば明治初期)、まだ馬車とガス灯の時代であり、その後一日数十万台もの自動車が通ることになろうなど誰も想像すらできない。

けれども、NYの橋の管理者は言う。
「この手の橋は必要以上に頑丈にできているので、行き来する車など象に乗った蟻のようなものです」
「私たちは先祖が残してくれた過剰設備で食いつないでいるのです」(同書より)。

しかし、チェック、管理、メンテナンスできる人間がもしいなくなったとしたら、NYの冬の寒暖による縮小時の目地へのゴミ、膨張時のきしみ、塗装はげとサビ、などによって、本来はあと1000年は保つだろうブルックリン・ブリッジも200〜300年先にはイーストリバーに飲み込まれるだろうという図なのだ。

『人類が消えた世界』は、危機をあおりたてるような類のものでも、あるいは時系列を追ったSF仕立てのものでもない。
学者はもちろん現場の技術者や管理者からアマゾンの農民、アフリカの狩猟民などへの国際的な取材、現代科学の最新の知見に基づいて書かれている。

ある日忽然と人類が姿を消したとしたら(ただし世界的な絶滅戦争や、他の生物を道連れにしてではなく、今あるものはそのまま残したままで)という仮定を立てることによって、人類が築いてきた文明とはいったい何なのか、これまでこの地球生態系のなかでどういう歴史的経路をたどってきて現在があるのか、そしてとりわけ現代が創り出してき残されるものはその後の地球環境にとってどういう意味と影響を与えるのか、ということを鮮やかに照射して実にスリリング。

5 24, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月23日

欧米諸都市と比べた東京在住者の環境問題意識と行動


博報堂生活総合研究所が、2008年3月、世界8都市(東京、ニューヨーク、トロント、ロンドン、フランクフルト、パリ、ミラノ、モスクワ)の生活者2,600 人に対して実施した環境意識のアンケート調査の結果がサイトに掲載されている。

博報堂生活総研・新着情報からPDFダウンロード

「自国は経済発展より環境保護に目を向けるべき」は8都市平均74.4%。
「自分には地球環境を守る責任がある」は8都市平均83.4%。
地球温暖化への危機感も80.9%.
地球環境の保護のために、あなた自身が多少の手間やコストをかけても貢献したいかどうかにも87.7%。
毎日の生活の中で、地球環境の保護につながる具体的な行動を実行しているかにも82.3%。

少なくとも世界の主要な大都市市民の意識が「経済成長・発展」より「環境優先」を、自分から貢献し行動することを当然とするようになっていることがはっきりしている。


ところが、よく内訳をみていくと、東京在住者は他の欧米諸都市と比べてかなり特異な傾向を持っていることがわかる。

地球温暖化進行への危機感はもっとも高い88.4%。
ただしこれは「やや」を含む数字で「危機を感じている」はパリ(57.3%)、フランクフルト(51.3%)などに比べるとずっと低い35.2%。

自国は経済発展より環境保護にもっと目を向けるべきは最高の90.2%。

自分には地球環境を守る責任があると思う87.4%。
ただしこれも「やや」を含んだ数字で「思う」はパリ(60.0%)、トロント(62.7%)などと比べるとずっと低い35.4%。

つまり、環境(問題)についての東京在住者の意識は他の諸都市とある程度遜色なく高い。

しかし、実際の行動に結びつく課題の理解と日常生活での実施となるととたんに軒並み最低レベルになる。

多少の手間やコストをかけても貢献したいか、への積極的なYesはパリ、ミラノ、トロントなどの半分の26.2%。
自分の日常生活が地球環境に与えている影響の理解は、どこも20〜40%だが東京はわずか8.6%。
地球温暖化防止のために自分がいつ、どこで、どのように行動すべきかを理解しているはダントツ最下位の8.2%。
「地球環境に配慮した行動」が日常的な習慣になっている、もダブルスコア以上の最下位、11.8%。
「地球環境に配慮した生活」が快適である、も同じくダブルスコア以上の最下位、10.2%。
そして「地球温暖化防止のために、現在の便利な生活を犠牲にしたくない」は「やや」も含めると41.6%で最高。


ここから見て取れるのは、問題があることはわかっており、それなりに危機感も持っている。
しかし、問題の知識、理解が足りないため、また現在の利便を犠牲にしたくはないという思いが強く、したがって日常生活のなかで具体的に「課題化」することができず、日常的な習慣化率もひじょうに低い東京在住者
の姿だ。

まさしくこれこそ取り組まなくてはならない「不都合な真実」。

5 23, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 16.都市・住い・インテリア・暮らし | | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年05月06日

1968年「パリ5月革命」

パリ、ソルボンヌ広場(Pl.de la Sorbonne)での路上写真展。
1968年5月、この場所、カルチェラタンでパリが燃えたときのドキュメント写真。

もう40年になるのか。

遠く東京で学生運動に関わっていた私の、ベトナム反戦とエスタブリッシュメントへの異議申し立ての世界共時的なうねりに熱く共感し連帯した二十歳の頃の日々をパリで想い起こす。

ソルボンヌ(パリ)大学での政治集会。哲学者ジャン・ポール・サルトルの姿も見える。

5 6, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月04日

チベットのポシェット

「パリでチベット料理」で触れたオーナーが1979年にオープンしたパリのサン・ジャック通りのチベット雑貨店「La Route du Tibet(ラ・ルート・デュ・チベ)」で購入したポシェット。

もちろん今の中国が支配するチベットから直接輸入などできない。
インド、ネパール、ブータンなどに逃れたチベット人たちに仕事の機会を提供し、パリジャンたちにチベットの文化を伝える。

フランスのデザイナーがコーディネイトし、チベット人が制作することも。

このポシェットはネバールの亡命チベット人が作ったもの。

5 4, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月26日