描かれた大銀杏 ー『菜(SAI)』より
3 11, 2010 01.私の好きな鎌倉の風景, 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
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Amazonの古書で求めた岩波新書『アルジェリア戦争』(ジュール・ロワ / 鈴木道彦 訳)。
当時フランス政府はアルジェリア独立解放戦争(1954〜62年)を「国内問題」として徹底的に秘匿し、日本での情報は皆無に近く、そうしたなかでほとんど唯一のまとまったルポルタージュだった。
高校生の頃サルトルを通してアルジェリア戦争のことを知り、この本と後にフランツ・ファノン『地に呪われたる者』等を読んでフランス、そして西欧世界に対する眼が変わった。
アルジェリア戦争についてはあらためて記したいが、ここでは私が中高生だった頃の、知と社会的視野を拡げる入り口であり糧であった岩波新書。
青版、赤版とあるが、現在のようなカバーはなく、帯の上からパラフィン紙でくるんである。
1961年6月24日第1刷発行の初版、定価100円。
紙質は良くないが、しっかりとした活字活版印刷と糸かがり製本、今はないしおり紐。
今すぐは読み返せないが、ぱらぱらめくりながらしばらく手触りを確かめる。
1 16, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
7月初旬以来の目患いはまだ続いている。もう2ヶ月半か。
痛みはほとんど出ないが、視力が安定しない。
長時間の読書、とくに細かい活字のもの、コンピュータディルプレーを見続けたりしないことなどは眼科医から「当たり前です」という感じで警告されている。
読みたい本が山積みになっているのにせいぜい装幀を撫でて愛で、パラパラとしか見られないのは辛い。
で、ちょっと気になって買っておいた『お探しの本は』(門井慶喜・光文社)を昨夜手に取って、図書館のレファレンス・コーナーに勤務する図書館員が「シンリン太郎について調べたいんですが」(もちろん森 林太郎=鷗外の本名)などと言ってくる女子短大生などを相手にしながら「探書ミステリー」の世界に入っていくさまがとてもおもしろく、思わず一気読みしてしまった。
本文活字も文庫本より大きい13Q相当、290ページほどで2時間半ほどで読了したと思うが…
もっと途中で休みを入れればよかった…
で…
今朝起きてみると、確実に左目の視力が下がり、さまざまな神経・思考系に苦しい影響が出るガチャ目状態。
9 23, 2009 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
写真家・土門拳(1909-90)の初めての写真集とよばれるものの復刊(講談社)。
土門は横浜の高校卒業後、倉庫人夫をしたり住み込み書生をしたり夜学に通ったり農民運動に加わったりと24歳まで青春の彷徨を続ける。
写真館の門下生となるが決まり切った撮影に飽きたらず、1935(昭和10)年、26歳のとき、名取洋之助が主宰する「日本工房」を訪ね採用される。
日本工房は対外グラフ誌『NIPPON』を中心に制作していた。
ここで図案家(デザイナー)であった熊田五郎(のちの画家・千佳慕)と意気投合し、早稲田の学生アルバム委員の、ありきたりなものは作りたくないという意向も受け、いつもダメ出しされ泣かされていた師の名取がベルリンオリンピックのため長期外遊していた間に、熊田がやっちゃえ、これを拳ちゃんの最初の写真集にしよう、といって作られたのが土門拳28歳のときのこのアルバム。
撮影はすべて「ライカIII型」で行われた(レンズはエルマア5cm、ズマアル5cm、ヘクトオル7.3cm、エルマア3.5cm、エルマア13.5cmの5種)
元のものの奥付には、制作:日本工房、編輯・撮影:土門拳、装幀・構成:熊田五郎、マネージメント:信田富夫とある。
戦後、熊田は熊田千佳慕として画家になり、『昆虫記』等をあらわして先月没した。信田富夫はライトパブリシテイを起こす。
このアルバムは今見ても卒業アルバムあるいは写真集として秀逸であり、関係ない人が見ても楽しい。
教授陣はさすがに重厚な表情だが、いわゆる肖像画のようではない。詰め襟、学帽の学生たちがキャンパスや街を颯爽と闊歩し、また学業にはげむ姿、街に繰り出しての愉しみ、撞球(ビリヤード)、麻雀、スポーツの躍動、由比ガ浜でのスナップ、下宿での語らい、弦楽五重奏を奏でる姿、なにかお金持ちの学生の書斎の電蓄でベエトーヴェンに聴き入る学生たち…
1ページ1枚を基本としてホワイトスペースをバランスよくとった熊田のシンプルなレイアウトも好ましい。
新宿「碇萬年」の云わずと知れた呑んべえグループ、とある。
早稲田「山書店」(左)、早稲田「丸善」(右)
キャプションに「読書 坂井君」(左)「論文 内野君」(右)
「この二頁は学生生活の中心課題であるべき "学問する" と云うことの集中的場面として特に両君に撮らせて戴いたものである。そして両君を選んだことについては何人も異議のないところと信ずる」
坂井君とは矢内原忠雄遺稿集を編纂し、またベトナム戦争初期にこれは反共の戦いではなく、帝国主義に対する民族解放闘争だと喝破したジャーナリストでもあった坂井基始良(きしろう)。
内野君は、内野茂樹(1911-63)。アメリカ新聞史、マスコミ論を研究し、早稲田に新聞学科ができると教授として教鞭をとった。
このアルバムが作られた1937(昭和12)年は、7月7日、日本軍が盧溝橋事件をでっちあげ、中国への全面侵略戦争を始めた年でもあった。
9 6, 2009 07.デザインの世界, 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
早く読みたい福岡伸一氏の新刊『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)。
「顕微鏡をのぞいても生命の本質は見えてこない!? 科学者たちはなぜ見誤るのか?」
「ヒトの眼が切り取った『部分』は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した『関係』の多くは妄想でしかない。私たちは見ようと思うものしか見ることはできない」
「生命に『部分』はあるか?」
とわくわくする帯惹句が並ぶ。
しかし今日も文字を読み続けるのはだめ。
パラッと開き、本筋と関係ないところをつらつら。
福岡博士が属する「国際トリプトファン研究会」国際会議から抜け出すところ。
博士はアメリカでの研究生活のなかで "hooky" (フーキー)という「便利な」スラングを覚える。自分の発表が終わったらさっさと "hooky" してしまう。
"hooky" は抜け出す、行方をくらます、つまりフケること。
"play hooky from school" は、まあ授業さぼって、ずる休み、フケちゃうこと。
フーキーとフケるはなにか語感が似ていておもしろいが、「ふける」は逃げる、行方がわからなくなる、駆け落ちする、とかの意味で江戸の洒落本や歌舞伎にも出てくるので直接関係があるとは思えない。
しかし「サボる」となると、これはもともとフランス語の「サボタージュ(sabotage)=労働者の怠業」からきていて、大正時代の労働運動のなかでは使われており、「ダブる」「ミスる」「トラブる」等の英語起源のものももう日常語になっている。
7 30, 2009 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
目患いで本を集中して読むことができず、いつ治るか、角膜移植に至るのかわからないので「積ん読記」として徒然に。
「積ん読」といっても読書のうちである。
松岡正剛大先生も『多読術』(ちくまプリマー新書)のなかで、背表紙を眺めるところから「読み」は始まっていると述べている。
その本が有ることを知っており、自分がいつでもアクセスしうる、という在り方自体に意味がある(見つからないで再度購入することもよくあるが)。
御成の雑貨屋さん「NABI SHOP」で、店主 渡辺希代子さんの同級生が名古屋で古本屋をやっている関係で店先に出ていて購入した『ハリーズ・バー - ヴェニスの伝説的なバーの物語』(アリーゴ・チブリアーニ / 安西水丸 訳 / 株式会社にじゅうに)をちょっと手にとり適当に開く。
「何か忘れたいことがあるとき、人はふつう、マティーニを注文する。おそらく度数が強くて辛口だからだ。悲しみをシャンパンで飲み干す人を、私は見たことがない」
などという一節だけ読んで、私はにんまりとし、とりあえず今夜は満足する。
7 29, 2009 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
画:沢野ひとし / 椎名誠『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』より
活字を読む環境から切り離された「活字中毒者」の姿は、椎名誠の小説『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』に活写されている。
一ヶ月活字の無い状況に閉じ込められた男は、蔵の窓に示された紙に書かれた「ま」の字(続いて「ぬ」「け」となるのだが)を見て、「じら、じら、あふれ、じらじら、じがでら、じがでら」とよろよろと立ち上がり、スーパーのチラシをこまかくちぎってばらまかれた「サラダ油カ」「ベーコ」「ろさしみ一舟」「マネギいちわ」の小片にとびついて狂喜乱舞する。
このモデルの目黒考二(北上次郎)には比べるべくもないが、同じく活字中毒者である私も、読みたい本が山積みになっているのに、目の患いのため読むことがままならないのが本当に辛い。
微蔓性点状表層角膜症という角膜表面の微細な細胞の剥落(キズ)は治ってきたのだが、角膜変性という症状は残っており、なにより、日々左右の視力が一定せず朝起きるのがこわい。
もともと左右の視力が少し異なり、眼鏡レンズの度もそれに合わせてある。ところが、日によって(というか一日の中でも)左右の視力が変わってしまう。しかも遠くと近くがまた違う。
眼鏡レンズの度と逆転することはしばしば。
そうすると焦点がなかなかあわず、しばらく活字を読んでいると、視神経からの伝達自体はできても伝達内容バランスがおかしいから、灰色の脳細胞はかんしゃくをおこし、やってらんねぇと頭痛を引き起こし、視神経の方は、私のせいじゃないわよとふてくされる。
読みたいが積んである小熊英二『若者たちの叛乱とその背景 1968(上)』(1092ページ)を料理用秤に載せてみる。
1427g。
なにやってんだか。
7 24, 2009 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
6 24, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『なにを食べたらいいの?』(安部司 / 新潮社)
安部司さんは、食品総合商社に勤め、添加物と加工食品開発の仕事に携わっていた。
こんな添加物を使えば売れますよ、という「添加物アドバイザー」であり、日本向けに海外で食品を作らせる「開発輸入」にも関わった。
あらゆる食材を、添加物を使って、「安く(単価を下げる)」「簡単に(調理の面倒を減らす)」「便利に(保存性といつでもすぐに入手できる利便性)」「美しく(見た目)」「おいしく(濃厚な味を作る)」するプロであり、業界では「食品添加物の神様」とまで呼ばれた人だ。
従事していた頃認可されていた一千種類以上の添加物を駆使して、あらゆるものを「おいしく」「美しい」食品に変身させる、いわば「魔法使い」。
仕事が楽しくてしかたなく、自分は食品業界の救世主じゃないかとまで思う。
しかし、3歳になった愛する娘の誕生日、妻が用意した食卓に、自分が「開発」した肉団子が並び、娘がおいしそうに食べる姿を目にして呆然とする。
自分が開発したのだから、どのようなものかは熟知している。
ペットフードにしか使えないような低級のクズ肉を添加物まみれで「おいしく」感じさせるまがいものを娘がうれしそうに食べている。
彼の内面から多分うめきのような痛恨の叫びがわき上がって来る。
娘よ、食べるな!
こんな得体の知れないものを食べ続けたらお前の小さな身体に負担がかからないわけがない。
そんなモノをおいしいと思ってはいけない。
翌日、安部さんは会社に辞表を提出する。
5 20, 2009 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
卒業生のMixi日記で、名付けについての『徒然草』の段(第百十六段)が紹介されていたので、おおそういうところがたしかあったな、と岩波文庫版や講談社学術文庫版を引っぱり出して読む。
1330年代(鎌倉時代末期)に書かれたと推定されているから、もう700年近く前に、名付けに凝ってみたり、見慣れない文字を使う風潮があり、兼好は「いとむつかし」(いとわしい、うっとうしい、見苦しい)と批判している。
橋本治は平安時代の『枕草子』の原文を一字一句、助詞、助動詞にいたるまで逐語的に、現代日本の若い女の子の話し言葉に「訳す」という試み(『桃尻語訳枕草子』)をしたが、『徒然草』も(全段ではないが)『絵本徒然草』(絵・田中靖夫/河出文庫)として、訳と註を書いている。
清少納言の書きあらわしたことばは、いってみれば "完全な古文" "完璧な平安時代語" で、言葉自体は現代の言葉とはだいぶ異質だから分かりにくいけれど、言っている内容はとても分かりやすい。
しかし兼好の文章はそれより約三百年後の ”ちょっと崩れた平安時代語” で、現代の普通の書き言葉にかなり近いものがあり、そのままでけっこう読めてしまうところがあるが、だからといって内容が分かるかというとかなりあやしい、と彼はいう。
逐語訳ではなく、「分かった」ということの解体とその再構成。
「訳」もおもしろいが、「註」が兼好法師の思想、志向と現代とを結びつけ、かつ奔放に拡がって楽しい。
「名前なんぞというのは、シンプルにつけるもんよ。それでなけりゃ、つけられた方が迷惑しちまう。
そのシンプルに "広がり" なり "味" なり "古び" なりをつけて行くのが、そのつけられた側の役目というもんじゃもの。それをそうなる前から奪っちまったら、つけられた側の未来はないというようなもんじゃな。
ワシの書いたものによく出て来る "仁和寺" な。あの寺が出来たのが仁和二年という年じゃったから、それで仁和寺というだけじゃな。ただそれだけの話じゃ。それが立派な寺になるのは、その寺が立派だからじゃ。昭和寺だの平成寺だのというのがどこか薄っぺらだとしたら、それは名前のせいではないな。その寺の努力が足りんという、それだけの話じゃ。実質のない名前は、ただの笑いもんという、それだけの話じゃろが」
5 16, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『おやじがきー絶滅危惧種中年男性図鑑』(内澤旬子/にんげん社)より。
内澤さんのイラストはたぶん雑誌『本とコンピュータ』に連載され、のちに『印刷に恋して』(松田哲夫/晶文社)にまとめられたもので初めて見たと思う。
その後『「本」に恋して』(松田哲夫/晶文社)、『センセイの書斎―イラストルポ「本」のある仕事場』(幻戯書房)、そして同じくイラスト・ルポ『世界屠畜紀行』(解放出版社)などを読んできた。
どれも対象への好奇心と理解して少しでも伝えたいという気持ち、観察に支えられた優しいイラストレーションとルポでとても好きだ。
『おやじがき』のあとがきによると、おやじを描き始めたのは1999年だそう。まだ三十代前半で、おやじの気分など想像もつかなかった。「相方を喜ばせるため」街でみかけたおやじをチラシの裏などに描きなぐっていたのが始まり。
イラストレーターになってから、自主的に何かを描く暇も機会もない。しかし自分は本当のところ何が描きたいのか悩み、「ならばいかに商品として通用するイラストを描くか」を追求していたときに、一方で、なんにも考えずになぐり描いていたおやじ画をまとめてみたら「なんだか愛しかったのです」。
コピーの手製本がコミケで売れ、出版社から本にしたいと話があり、さらに一年半かけて「おやじを渉猟」して作られた(奥付を見ると、編集は「南陀楼綾繁」とあって「なんだろうあやしげ」と読みがふってある)。
辛酸なめ子さん(漫画家・コラムニスト)によるオビの文句からー
「一秒の出会いが一生になる。そんな存在感あふれるおやじが満載です」
「男は枯れるのではなく、煮詰まってゆく……」
「オバハン」も描いてもらいたいが、こちらは少しも絶滅危惧種ではないからなぁ。
5 15, 2009 07.デザインの世界, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
BSジャパン「ガイアの夜明け “格安の激震〜衣料不振に価格革命で挑む〜"」を見て、この番組編集に対してふつふつと怒りが煮えたぎる想い。
高級ブランド品の在庫余りを現金で買いたたいてネットで安く売る新手のビジネスも登場などというのはどうでもいい。勝手にやれば。
許せないのは、「大手スーパーが起死回生を狙って、衣料品の安さの限界に挑戦、その裏側に密着」という部分の扱い。
大手スーパーというのは西友。
ジーンズを1980円だかで売り出したら、他店に980円で出し抜かれた。
「消費者の要望に沿うような品質でさらに安く」と尻をたたかれ、死んだ目つきのバイヤーは中国にとぶ。
訪ねるのは、あのウォルマート(今は西友の親会社か)の中国支店。
「裏側に密着」といいながらウォルマートの手引きのバイヤーに会って「やっと品質、価格とも満足できるものが入手できた」というだけのことで、「裏側」など描くはずもなく、この販売競争の行く末は、などとばかばかしく終わる。
「ガイアの夜明け」などと大仰に打ち上げているタイトルに見合うジャーナリスト精神がほんのカケラでもこの番組プロデューサーにあるのか?
「裏側」「夜明け前」の一端はこちらを:
ジーンズのポケットの中の手紙
原宿で嬉々として行列して買い物する日本の若者たちの無知と愚かしさ。
「無知」とは単に知識がないということではない。
知らないということを知らないこと、疑問、関心を持たず、知ろうとしない、批判力、イマジネーション力の欠如した精神の怠惰なあり方。
5 9, 2009 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 17.衣・ファッション | 固定リンク | コメント(8) | トラックバック(0)
料理家であり随筆家である辰巳芳子さんは、ずっと「人はなぜ食さねばならぬのか」を考え続けてきた。
そして、食するということは「呼吸と等しく生命の仕組みに組み込まれている」と考えるようになる。
しかしそれ以上の「生命の仕組み」については「一歩も迫ることは不可能」だった。
辰巳さんは、食に携わりながら、その根源について何にもわかっていない、と自戒する。
BSEやアメリカからの牛肉輸入問題のなかで、分子生物学者、福岡伸一さんが著した『もう牛を食べても安心か』(2004/文春新書)の 「私たちはなぜ食べ続けるのか」で述べられているルドルフ・シェーンハイマーが1937年に打ち出した「身体の動的平衡」という学説とそれを継承発展させた解説を読んだときのことを辰巳さんは「この解明に出あったときの感動は、人は年齢を超えて、高揚する実感であった」と記している。
「自戒は大切にした。大切にしていないと答えを見逃すから」という「積年の緊張」でもあったこころの姿勢が、必然的にこの深い出会いにつながったのだろう。
この書の中の「食べることは、他のいのちとつながること〜福岡伸一先生との対談から〜」の章は、「食」と「いのち」と「世界」の関係についてのもっとも平明かつ美しく感動的な解き明かし。
この間、『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)『生命と食』(岩波ブックレット)『動的平衡』(木楽舎)などで私も深く啓発され続けている福岡さんと、尊敬する辰巳さんとの出会いと共鳴が本当にうれしい。
過去記事:
砂の城ー『生物と無生物のあいだ』
小石と貝殻ー『生物と無生物のあいだ』
玄米スープ
辰巳芳子『あなたのためにーいのちを支えるスープ』
辰巳芳子さん考案の「スーパーミール」
今朝のおはよう-71 大豆の発芽
4 25, 2009 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
3月の初めに急性胃腸炎と診断され、ほぼ断食状態を経て、玄米、菜食中心に食生活を切り替えて2ヶ月近くなる。
主として食べるのは、玄米雑穀、全粒粉パン、豆腐、豆乳など大豆製品、豆・芋・根菜類、野菜、昆布、わかめなどの海藻、梅干し番茶など。
油はオリーブオイル、ごま油、サラダオイル。
動物性というと、魚と、卵とバターを少しくらい。
チーズは食べるが、牛乳は受け付けなくなり、もっぱら豆乳。
特に肉類を食べたいとはあまり思わない。
しかし一日に食べる量は、たぶん以前に比べて5割増ほど。
麻心のシンさんによると、そういう食生活を続けると、体重も一度落ちるところまで落ち、それから回復していくという。
たしかに、1ヶ月ほどで、56Kgあった体重が、高校時代以来最低の53Kgまでになり、体脂肪率などは、12%から5%(超アスリート並み?)まで下がった(今では55Kg、6.5%)。
腸をはじめ長年の老廃物が出されて動きが活発になり、肝臓や腎臓などへの負担も減っているのだろう。
辰巳芳子さんが注釈を付けて復刊した、お母さんの辰巳浜子さんが書かれた『娘につたえる私の味』(文藝春秋刊)を読むと、日本という風土のなかで、在の旬の素材を食べて生きて来た人々の食の工夫の積み重ねは、戦後わずか六十数年のアメリカナイズなどよりはるかに強く重く、合理的でもあり、持続的な力を持っているものだとあらためて感嘆する。
今後もこの方向を目指したい。
4 25, 2009 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
急性胃炎をきっかけにして、玄米と「雑穀」を主食とする食生活に切り替えた。
で、「雑穀」について少しずつ調べている。
現在の世界での主要な穀物は、麦(小麦、ライ麦、大麦)、稲、トウモロコシ。
しかし、ほとんどこれらのみに中心的に依存した食生活というのは、歴史的にみればごく最近になってのことにすぎず、人々はもっと多様な穀物を栽培し、利用した生活をおくってきた、と『雑穀のきた道ーユーラシア民族植物誌から』(NHKブックス)で阪本寧男氏は述べている。
日本で「雑穀」といわれるのはアワ、キビ、ヒエなどだが、ここでは名称の話。
「雑穀」という日本語の呼称はいつどのように生まれたのだろうか?
大槻文彦『言海』(明治22年刊・昭和6年628刷)には出てこない。
その後の農林関係お役所の分類用語か?
日本ではアワはアワであり、キビはキビ、ヒエはヒエ。
これらの総称は「五穀豊穣」の「穀物」ではあっても「雑穀」などという呼び方はもともとなかっただろう。
英語では、これらの「雑穀」を "millet"と総称する。
総称が先にありきで、アワは "foxtail millet"、キビは "common millet"、ヒエは "barnyard millet" と "millet" とそれを形容することばで名となる。
麦に関しては、日本では逆で、「麦」という総称があり、それを「小」麦、「大」麦、「ライ」麦などに分ける。
英語では、小麦は "wheat"、大麦は "barley"、ライ麦は "rye" とそれぞれ固有の名称がある。
「東アジアでは雑穀類がムギ類よりもその栽培の歴史が古く、逆にヨーロッパにおいては、ムギ類が雑穀類よりもその歴史が古く重要なものであったことを示唆する」(同上書)。
3 16, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
急性胃炎、頭痛、発汗などのため昨日からもう一日半、白湯、蜂蜜湯、リンゴジュース程度しか摂っていない。
このままではまったく力が出ないので、尊敬する辰巳芳子さんの『あなたのためにーいのちを支えるスープ』(文化出版局)を取り出し、あれこれ作ろうと思い立つ。
この本は辰巳さんが、母親から、また料理の恩師から受け継ぎ、そして父親の長年の闘病を支えるために工夫を重ねた和洋スープのバイブルであり、また人の愛情と尊厳をスープの湯気の向こうに見る食育と自然哲学の書でもある。
上のカバーに使われている作品は、私もベルリンのバウハウス・アーカイブ(Bauhaus-Archiiv)で観たことがある。
ルートウィッヒ・ヒルシュフェルトマック(Ludwig Hirschfeld-Mack)の "Gradation farbig"(1922/23)。
辰巳さんは「色は食材、並列は技法。それらのおのずからなる融合の美は、味というものの行き着くところと結びつく」と考え、この作品に深く共感してカバーに使ったのだった。
さて、準備するか…
3 6, 2009 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『ミケランジェロの暗号(原題:THE SISTINE SECRETS)』(ベンジャミン・ブレック&ロイ・トリナー著・飯泉恵美子訳・早川書房)。
バティカン・システィーナ礼拝堂には一昨年訪れ、ミケランジェロの天井画に感動した(先日、ショウちゃんがうぃ〜と見上げたかどうかは知らない)。
小説や映画『ダ・ヴィンチ・コード』で、レオナルド・ダ・ヴィンチがいかに宗教的異端であったかが有名になったが、レオナルドの宿敵といっていいほどのライバル、ミケランジェロもまた当時の正統カトリックからすれば、異端思想の持ち主であり、バティカン・システィーナ礼拝堂の有名な天井画にはさまざまなその暗喩的メッセージが残されている、という本。
が、ここでは内容ではなく、本のカバーの話。
A5判(148×210mm)の普通の単行本なのだが、良くみると、カバーが3段になっている。帯と見えたものも帯ではない。
カバーを外して、4回折りになっているのを拡げると、60cm角大になり、天井画の写真が現れる。
装丁:山田英春、とある。
2 25, 2009 07.デザインの世界, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
iPhone / iPod touch用の青空文庫リーダーはたくさんあるのだが、この「豊平文庫」が今のところ最適。
約8,000にのぼる作品のなかからダウンロードして、JIS第4水準までサポートした縦書きフォント環境(フォントサイズ・紙色変更可)で読める。
中学生時代に岩波文庫(たぶん神西清訳『あかい花』所収)で読み、感動したガールシン『四日間』1867(戦争を扱った小説で未だに最高だと思っている)を二葉亭四迷の名訳で。
同じころ暗唱するほど繰り返し読んだ幸田露伴『五重塔』1892(職人気質を描いてこれ以上のものはない)。
2 1, 2009 14.読書三昧, 33. iPhoneの愉しみ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
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『リウスのパレスチナ問題入門ーさまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』(RIUS/山崎カヲル訳/第三書館)より
『占領ノートーユダヤ人が見たパレスチナの生活』(エリック・アザン著/益岡賢=訳/現代企画室)を読み始めているとき、イスラエルのガザへの空爆攻撃のニュースに接する。
イラク、アフガニスタンに加え、「イスラム原理主義過激派」とアメリカとそれに追従するマスメディアが決めつけるハマスが提唱する「第三次インティファーダ(抵抗運動)」に対して「テロとの戦争」という位置づけをするならば、オバマは泥沼にはまるだろう。
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『占領ノートーユダヤ人が見たパレスチナの生活』(エリック・アザン著/益岡賢=訳/現代企画室)より
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『リウスのパレスチナ問題入門ーさまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』よりイギリスの思想家バートランド・ラッセルのことば
12 29, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
カリフォルニアに1996年以来住むコラムニスト、映画評論家の町山智浩さんのアメリカ観察はとてもおもしろく、アメリカ日記も愛読している。
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智浩/文藝春秋)は、「普通の」アメリカ人の大半が、自分の街やせいぜい州(日本の”道州制”などとはちがい”State”だから本来ひとつの”国家”ではある)程度の範囲のことにしか興味関心がなく、世界はおろか自分の国(the United States of America)のことですらほとんど知らないこと、それはどうしてなのか、その結果どういう国になっているのか、それでも希望はあるのか、という根本的な問題を具体的なニュースや筆者自身の経験から描き出している。
別にユーモラスに書こうとしているわけではないのだが、日本のTVのバラエティやクイズ番組のおバカキャラなど目じゃない、あまりに私たちの常識とはかけ離れている普通のアメリカ人の無知と「知ろうとしない」姿に、いたるところで思わず笑ってしまい、また怖くもなる。
タイトルの『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』は別に冗談ではなく、権威あるナショナルジオグラフィック協会(月刊誌『ナショナルジオグラフィック』で有名)が18〜24歳のアメリカ人に対して行った調査(2006)によるもの。
「覇権国家アメリカ」の、まあ今では危うくなっているにしても、その次代を担う彼ら彼女らの半数がニューヨーク州がどこにあるかさえ示せなかった。
アメリカ以外の海外についてはもっとひどい。
世界地図をみても、自分たちが戦争をしかけ占領しているイラクを63%は分からない。オバマが「主戦場」と唱えているアフガニスタンにいたっては88%が知らない。
TV番組では、「悪の枢軸」のひとつとされるイランはどこですかと街頭インタビューされて、紳士が地図で指差すのはオーストラリア。
”アメリカが外国に戦争をしかけるのは地理の勉強をするため”というジョークがあるのもうなずける。
「パスポートを持っているアメリカ人は国民の2割にすぎない。他の8割は外国に関心がない。彼らが外国の土を踏むのは、銃を持って攻め込む時だけだ」
筆者は、アメリカ人の三分の一を占めるキリスト教福音派(「聖書以外を信じるな」「進化論は悪魔の嘘」「中絶は殺人」「ゲイは地獄に行く」などがスローガン)の狂信的かつ反知性的な姿とそれによる教育、これを大きな支持基盤とし、大企業、富裕層、ハゲタカ金融資本を優遇野放しにし、デタラメな戦争をしかけたネオコン、軍産複合体とその操り人形ブッシュと腐った政治、これとつるみ、嘘とデマゴギーをまき散らすメディアの姿を活写する。
この国に希望はあるのか?
ないわけじゃないという。
なぜなら「どこの国よりも激しく、その血を入れ替え続けているからだ」。
「カミさんの会社の同僚のホーム・パーティーに行けば、韓国、インド、ロシア、フィリピン、ドイツ、ブラジル……。世界じゅうの家庭料理が持ち寄られ、いろんな訛りの英語が飛び交う。…
最先端のビジネスの職場はどこもこんな風にマルチ・ナショナルでマルチ・エスニックだ。
一生に一度も外国に行かず、外国について何も知らず、聖書以外の価値を否定する”ブッシュ的”なアメリカ人たちのいっぽうで、こんな虹色のアメリカもある」
「ウチのご近所さんや娘の学校の友達の親たちは、イラン、クウェート、アフガニスタン、中国、台湾、モンゴル、チベット、韓国、インド、パキスタン、バングラデッシュ、ラオス、ベトナム、タイ、インドネシア、メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、ロシア、ウクライナの人たちだ。母国同士が対立していても、ここではみな隣人で、結婚したりもする。世界各国の事情は遠い外国のことではなく、常にご近所の問題として感じられる。
ここに住むことは”世界”に住むことだ。だから、もうしばらくここにいようと思う」
オバマの勝利は、この虹色のアメリカの勝利でもある。
11 27, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
iPhoneのガイドブックは何冊か買ってみてきたが、どうにも内容が薄く不満だった。
今月出た『iPhone x BUSINESS PERFECT BIBLE』(田中裕子/翔泳社)は「デキるビジネスマンは使い方が違う」などという気恥ずかしいマーケティング的惹句は無視するとして、iPhoneに関する素晴らしいガイド。
私もテクニカルライティングはずいぶんしてきたので、筆者が単なる仕事として書いているのではなく、自分が使っていわば愛しているツールと環境と可能性について少しでも多くの人に分かりやすく知らせたい、伝えたい、つまり書きたいと思って書いているのがよくわかる。
たくさんの発見や使いこなしのヒントが載っていてうれしい。
11 21, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 14.読書三昧, 33. iPhoneの愉しみ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
iPhone用アプリ「Classics」をダウンロードしてみる。
『不思議の国のアリス』『野性の呼び声』『ロビンソン・クルーソー』『ジャングルブック』『海底2万マイル』など定番の古典が書棚に並ぶ(英文)。
『不思議の国のアリス』。
スクリーンの右側をタップするとページがめくられるアニメーションとともに次のページ表示になる。
左側をタップすれば、前のページへ。
ページがめくられるアニメーションギミックは今では別に驚くようなものではない。
注目すべきは、画面幅約50mm、行長約43mmという制約の中で、ここでは専門用語でいろいろ説明はしないが、とても読みやすいタイポグラフィー処理がされていることだ。
下は書棚から探し出して比べてみた "Lewis Carroll The Complete, Fully Illustrated Works" の同じページ。
過去記事:
「文庫リーダー・soRa」/ iPhone
11 16, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
著作権の切れた、あるいは自主・自発的にフリーにした作家の著作をボランティアが入力しネット上でテキストが自由に読めるよう提供してきている「青空文庫」の一部をダウンロードして、縦書き表示で読めるiPhone用「文庫リーダー・soRa」。
iPhoneのスクリーンでもとても読みやすい。
左側をタップすれば次ページへ。
しかし、これは、明治以来親しんできた明朝体にすべきではないか。
作家別検索「は」行と樋口一葉作品の一覧の一部。
小林多喜二『蟹工船』の冒頭と途中。
現在はまだ30作家、1000作品だが、どんどん増やしてほしい。
出先で万一手持ちの本がなくとも、活字に飢えることがなくなる。
過去記事:
『蟹工船』(小林多喜二)
11 13, 2008 14.読書三昧, 33. iPhoneの愉しみ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
オバマ勝利の報道に接しながら、『好戦の共和国 アメリカー戦争の記憶をたどる』(油井大三郎/岩波新書)を読んでいた。
「アメリカはなぜ好戦的なのか、デモクラシーの先駆者を自負するのに……」
という根本的な疑問を出発点とし、アメリカ現代史が専門の著者が、恩師・斎藤眞の「建国期をきちんと勉強しないとアメリカは分からない」という教えを思い起こし、植民地、独立戦争から9.11後の現在までの400年をわずか250ページほどの新書ながら総括していて示唆に富む。
「アメリカはデモクラシーの先駆者を自負するがゆえに好戦的なのだ」という答えとの間の歴史の葛藤。
「Change !」「Yes, We Can ! 」のオバマも「対テロ戦争(War Against Terror)」というブッシュが敷いた問題構制は(選挙戦術上だけかどうかはまだ分からないが)継承している。
ついでながら日本の政治家やマスコミは、普通に訳せば「対テロ”戦争”」のはずなのに、「戦争」という言葉を意図的に避け「テロとの”戦い”」などと、あたかも「エイズとの戦い」「貧困との戦い」と同じような比喩的意味に薄めている。
インド洋給油などの民主党の暗黙の了解で進められている「テロとの戦いへの”協力”」は、これも普通に英語に訳せば「アメリカの対テロ戦争への”参戦”」以外のなにものでもない。もちろん「敵」とされている側はそうとらえている。日本国民に「参戦国」という意識はあるか?
大義など崩壊して泥沼化し展望が見えないイラクから16ヶ月以内に撤退するというのは当然としても、「まだ勝利の可能性のある」アフガニスタンを「対テロ戦争」の「主戦場」ととらえ、部隊も増派して完遂するというオバマの公約が絶対に不可能なことを、アメリカ国民は、そして日本国民はまったく考えようとしていない。
11 5, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
深夜の庭に咲く白ダリア。
宮澤賢治に『まなづるとダァリヤ』という不思議な短編童話がある。
5年ほど前、デザイン学科の学生(沼田真央さん)が卒業制作としてこの作品を切り絵アニメーションにしようと試み(写真下)、私が担当指導した。
若い頃読んだ記憶がかすかにあったが、あらためて読み返してみると、なかなかに難解で、どこにポイントを置くか彼女も悩んだが私も指導に悩んだ。
丘のいただきにひときわ目立つ赤いダリアと侍女のような黄色いダリア2本。
赤いダリアは花の女王を目指し自らの美を誇り他からの賞賛を求めてやまない。
しかし栄華はつかの間で衰えが待っている。
「ほんたうを云って下さい。ほんたうを云って下さい。あなたがた私にかくしてゐるんでせう。黒いの。黒いの。」
「えゝ、黒いやうよ。だけどほんたうはよく見えませんわ。」
毎日のように飛び過ぎ、赤いダリアの求めにさしさわりない受け答えをしているまなづるは、しかしいつも沼のくらやみにつつましく咲いている一本の白いダリアにやさしく親身に挨拶し続ける。
「あっこれだ。これがおれたちの親方の紋だ。」
と黒い斑点のできた赤いダリアが人間にポキリと折られ連れ去られていく唐突な最後は今でもよくわからない。
「遠くからかすかに赤いダァリヤの声がしました。
その声もはるかにはるかに遠くなり、今は丘のふもとのやまならしの梢のさやぎにまぎれました。そして黄色なダァリヤの涙の中でギラギラの太陽はのぼりました。」
『連れて行かれたダァリヤ』という異稿が先立ってあり、2回改作され、昭和5(1930)年10月11日訂了とある(異稿『連れて行かれたダァリヤ』、訂了『まなづるとダァリヤ』とも『宮沢賢治全集7』/ちくま文庫所収)。
11 2, 2008 07.デザインの世界, 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
2001年に鎌倉で中村哲医師の講演を聴いて感銘を受け、それ以来著書や関連書を読んできた。
アフガニスタンでペシャワール会の日本人ワーカー、伊藤和也さんが殺されてから、追悼の意を込め、またペシャワール会の活動の継続発展を願って、あらためて一連の著作を読み返している。
私たち日本人のほとんどはアフガニスタンのことを知らないし知ろうともしていない。
どこかインドの西あたりにあり、旧ソ連と戦争をしていたようだ。
そのあと狂信的なイスラム原理主義のタリバンが政権を握り、貴重な仏教遺跡を破壊したり、女性を抑圧した。
2001年9.11同時多発テロの後は、ウサーマ・ビン=ラーディンを匿うテロリストの温床となっていることが明らかになった。
アメリカの空爆などでタリバン政権は倒れ、民主化が始まったはず。
しかしその後タリバンが復活し、治安の悪化やテロの危険が増している。
テロを封じ込めるために日本としても協力しなければならない。
アメリカ政府と追随する日本政府の発表、それを垂れ流すマスコミを通じて、普通の日本人がイメージしているアフガニスタンはおおざっぱに言えばせいぜいこの程度のものだろう。
1984年、パキスタン北西辺境のペシャワールに赴任し、以来ほぼ四半世紀にわたって現地貧民やアフガン難民、そしてアフガニスタン国内にも診療所を拡げ、医療活動、井戸灌漑、農業振興に携わってきた中村哲医師が描き出すアフガニスタンと人々の状況はそのようなイメージからはほど遠い。
アフガニスタンの人々はもともと日本には親近感を抱いてきた。
古くは自らの脅威であったロシア帝国(北に国境を接している)を同じアジアの小国日本が日露戦争で打ち破ったこと。
そして、ヒロシマ、ナガサキは誰でも知っている。
しかし、湾岸戦争、アフガン空爆、イラク戦争、また今現在の米軍進駐を経て、アメリカに追従する日本の姿に人々は失望した、と中村医師はいう。
少しでもアフガンの人々のために、と思って活動している『丸腰のボランティア』日本人ワーカーでさえ、しょせん外国からの抑圧システムの一環でもあり、捕らえれば高い代償を得られると思われる存在になっている。
伊藤和也さんの死に、アメリカのいいなりになっている日本政府の責任もあるのだ。
今回の伊藤さん殺害を受け、日本人ワーカーはすべて帰国させ、中村医師のみ残ってペシャワール会の活動を継続するという。
アフガニスタンの人々と、「誰もが行きたがらない所へ行き、誰もがやりたがらないことをする」ペシャワール会の活動を少しでも知るために、ぜひペシャワール会サイトを訪れ、またその中の書籍案内から1冊でもいい、まず読んでみてほしい。
『丸腰のボランティアーすべて現場から学んだ』(中村哲・編/ペシャワール会日本人ワーカー・著/石風社)には、今読み返してみると、たくさんの日本人ワーカーに混じって、伊藤和也さんの写真も、会報に寄せた文も掲載されている)
享年31。
合掌。
9 2, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
私はSF(サイエンス・フィクション)のあまり良い読者ではないが、それでも若い頃からずいぶんと読んではきている。
しかし、沖縄で暮らしていた頃に発表された広瀬正(1924〜72)の1970年から71年の一連の作品『マイナス・ゼロ』『ツィス』等は抜け落ちており、今回復刊されて初めて読み、瞠目した。
広瀬正『マイナス・ゼロ』(集英社文庫・復刊)
タイムマシン、タイムトラベルものはH.G.ウェルズ以来たくさんあり、「親殺しのパラドックス」(過去に戻って、自分が生まれる前の親を殺してしまったら自分はどうなる?)や「パラレルワールド」(今現実だと思っている世界とは分岐した別の世界が並行して存在する)など、相対性原理等学術的な問題もからんでつきつめると頭が混乱してくるのだが、『マイナス・ゼロ』はタイムトラベルの「ズレ」が生み出すドラマを実に巧みに表現していて秀逸。たしかに「日本人によって書かれたタイムトラベル小説の最高傑作」(啓文社コア福山西店・三島さん)」
昭和20(1945)年、昭和38(1963)年、昭和7(1932)年が交錯する。
藤田敏八(『八月の濡れた砂』/1971等)はこの作品を映画化しようと企画したが、小説で活写されている昭和7(1932)年の銀座を再現するには、今の『Always 三丁目の夕日』(監督・山崎貴)で駆使されたようなCGやVFX(ビジュアルイフェクツ)技術の無い時代、コスト的にとても無理であり断念せざるをえなかったという。
今だったらできるのでは?どうよ、山崎貴さん。
この小説で面白いのは昭和7(1932)年の東京、世田谷梅ヶ丘という設定。
この年、旧東京市(現都心)の人口を周辺郡部の人口が上回り、合併して大東京市(人口500万)が誕生する。
しかし同書の中で引用されている当時の『アサヒグラフ』によれば、「東京市」に組み込まれたその頃の世田ヶ谷はこんな具合。
私の勤める多摩美世田ヶ谷上野毛キャンパスができるのもまだこれから3年後。
「野原がある、畠がある、田もあれば、林もある。これから市内という以上、もちろん人家も、町もあるにはある。ただ、撒きちらしたように点在する住宅であり、電車の沿線に細長くならんでいる町だ。
駒沢、世田ヶ谷両町に玉川、松沢両村が一緒になって出来たこの区は、11.734.698坪という膨大な面積。その中で元から町の形態を具えていたのは、わずかに玉川電車線路を中心とする世田ヶ谷町だけで、その他は、小田急、京王電車、目蒲電鉄二子玉川大井町線の駅々を中心に出来上がった新市街、新住宅地だ。
…
要するにこの世田谷区は今のところ田園が主であり、都市は従である。田園都市!そうそうこの田園都市という名称は何と、この区にぴったりとあてはまるではないか。従って、世田ヶ谷町の一部を除くほかは、すべてこの区に住む人々は田園の憂鬱と田園の喜びを味わっているといって間違いない。
ともあれこの区は、従来の市内という観念からは遙かに遠い区、したがってこの区に住むマダム連が、これまで口にしていた”一寸東京まで買い物に”という言葉を忘れるまでには相当の月日を要するであろう」
8 27, 2008 14.読書三昧, 16.都市・住い・インテリア・暮らし | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
幕末、安政2(1855)年の「安政大地震」によって、江戸の街はなぎ倒され、深川一帯も「町が平べったく」なる。
「大事な摺り物なら、釜田屋さんに頼むのが一番」といわれた「版木彫りと摺りを請け負う老舗」深川冬木町の釜田屋岩次郎は妻子も腕利きの職人たちも失った。
岩次郎は失意の中から、思案を重ね、翌年、生き残った番頭や職人頭たちを集めて宣言する。
「摺り注文を待つのではなく、みずからの力で摺る瓦版の版元になる」
今でいうなら印刷屋から新聞社になるというようなもの。
しかも今までにないような瓦版「早刷り」ーその日のうちにその日の出来事をまとめ、翌朝には摺り上げてあちこちで売り出す。
だれよりも早く、そして子細に正しく伝えること。
瓦版として前例のない桁違いの一日二千枚、それを毎日続ける。
ここから発行までの半年間、悪徳商売敵、貸し証文を買い取り佐渡の人足に売り飛ばす証文屋、悪評高い改悪金貨を瓦版を使ってイメージアップさせ出世をもくろむ旗本とそれとつるむ大店の主、等々さまざまなからまりがあるのだが、若い頃から取材・ライティング、編集デザイン、製版・印刷の世界に関わってきた私にはこの早摺りを実現するための手だてを考え作り上げていき、職人たちがそれに応えていくさまがたまらなくおもしろい。
まず「耳を澄まし、鼻を効かせて、四六時中おもしろい話しを拾って歩く」「耳鼻達(じびたつ)」と名付けた物書きたち。
集める記事は出来事だけではない。土地の名物や美味いものにも目を配る。
似顔や情景を描く絵描きも同行する。
取材・インタビュー記者とカメラマンだ。
この頃の江戸は、武家・僧侶が50万人、町人が58万人ほどで100万人を超える。
武家・僧侶は読み書きできるが、岩次郎は早刷りの上得意になるだろうなのは町人、それも店子ではなく日銭を稼ぐ職人や長屋の女房連中と見定めている。
彼ら、彼女らは読み書きに長けているとはいえない。
したがって次は読みやすくする工夫。絵や絵文字、ひらがなを多用する。
広目(広告)集めの者たちは大店、湯屋、料理屋等に散る。
1日2000部が10名に回し読みされたら2万の人に伝わる。
使っている土佐紙はものを包むのにも使え、開いたときにはまた広目効果がある。
耳鼻達が集めてきた原稿をまとめる。絵描きが挿絵を添える。
仕上がった原稿と絵は「枠切り」に回される。
暮れ六つ(午後6時)頃だ。
文字を読みやすくするために早刷りのサイズは従来より大判の菊判半切(はんせつ)四つ切り(318 x 234mm)。
下部の広目(広告)枠を除き、一段12文字30行が五段、すべてを文字だけで使えば一日分に使える文字数は1800字。
しかしすべてを文字に使えるわけではない、大見出し、小見出し、そして挿絵の分も必要だ。
それらを按配するのが「枠切り」職人の仕事。見出しも彼らが考える。今でいう整理や編集レイアウト。
真夜中を過ぎて「枠切り」が仕上がる。
岩次郎が赤摺り大見出しにチェックを入れる。先の早刷りで放火犯の似顔絵を載せ、それがもとで犯人が捕らえられたのだ。
「下手人にお縄が打たれた」
しばし思案し朱を入れる。
「下手人、御用だ」
「枠切り」職人が描いた「按配絵図」(レイアウト指定)にそって、本文文字を彫るのに長けた「段彫り」職人が版木を彫る。
絵や大見出しはまた別の彫り職人が担当する。
彫りから摺りへ夜鍋仕事が続く。
岩次郎は名刹本堂の大法会でも使わないほどの量の特注ろうそくを用意し、職人たちの手元は昼間と変わらぬほど明るい。
「ろうそく代がどれほど高額かは、職人たちのだれもが知っている。言葉ではなく、明るさで岩次郎は職人たちを励ました」
朝方摺り上がった早刷りを20名の売り屋たちが100枚ずつ持ち、四つ(午前10時)の販売開始に向けあちこちに散る。
待ちかねた人々の間であっという間に売り切れる。
どこそこの町で元気な双子が生まれた、こういうことは皆で祝おうじゃねぇか。
それなら弔いもあるぜ。
広目に特典を付けて持って行けばなにかいいことがあるようにすれば…。
アイディアが拡がる。
圧倒的な人気を誇るようになるが岩次郎は一人勝ちはよくないと考える。
せめてもう二つは競合相手があり、それぞれが個性的な紙面を作ればもっと活気が出る。
岩次郎だけでなく、まっとうな商人や職人たち、船頭などの器量と人格、矜持と気配りがすがすがしい。
8 19, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「コンビニ(Convenient Store)」は日本全国に今や4万店超ある。
大量生産・輸入ー流通ー安価な販売、利便効率第一という現代日本社会の縮図。
人がある程度まとまって住んでいる地域で無いところなどないほど普及している。
こんな異常な国は世界で日本以外にはない。
著者は1968年生まれ。高校1年からスーパーで、大学に入ってコンビニでアルバイトを続け、コンビニ業界に深く興味を持ち、以降、一般従業員、店舗マネジャー、店長代行、オープニング店舗指導員、不振店再興指導などに携わり、現在は4店舗を経営している。
「私はコンビニの売場が好きだ」
著者は1日平均13時間働き、そのうちの半分は「レジ」に入り、1日1,000人のお客と応対する。
この本はしかしコンビニの業界本ではない。
コンビニは、日本人が最も緊張から解放されリラックスできる空間になっている。
職場や家庭、世間での煩わしいつきあいの気苦労から離れ、そこでは自由気ままに振る舞えるかのように思われ、だからこそここを通して現代の日本人の本音、本性が現れる。
コンビニのレジで、「毎日、人間の、日本人のシャワーでも浴びているような」20年以上にわたる経験と観察から、コンビニ自らがお客の「もっと便利に」という「わがまま」にひたすら応える形で成長してきた自戒をふまえた上で見えてくる「今の日本人は、明らかに失くしてはいけないことまで失くしつつある」状況に警鐘を鳴らし、真っ当な社会になんとかしたいという願いを込めた本なのだ。
第1話「日本人は『コンビニでは何をしてもいい』と思っている」から、店頭ゴミ箱の悲惨な状況、店舗にとってはもうメンテ負担が限界に達している公衆便所以下にしか思われていないトイレの汚しようの惨状、従業員を「人」とは思わず「声を出さない」日本人、すぐにキレ、ストレスを従業員に発散する人々、子どものような親に育てられ買い物のマナーも躾けもできていない子どもたち…。
現場を知らず、矛盾難題は個別店舗に押しつけ「善悪」ではなく「損得」勘定だけのフランチャイズ本部。
一方で「ワタシ、アイサツトカ、キライナンデス」という女性従業員。
「えぇー、廃棄(廃棄食品)食べられなかったら意味ないじゃないすか」という応募者。
商品を運んでも力加減の分からない若者たち…。
ほとんど末期的というしかない状況の中で、しかしコンビニを愛する著者は訴える。
「コンビニから日本を変えよう!」「コンビニから日本を良くしよう!」
政治家や有名人の発言より、日々の買い物での態度、習慣の方が人間のあり方に与える影響は大きく深いと著者は考える。
商人はお客に対する教育者でもある。
親と学校の先生以外に、子どもにあるべき買い物の態度を教えられるのは、商人しかいない。
その誇りを持ち、日々毅然として、お客のひどい態度を変えていく勇気を持たねばならない。
そのための具体的な第一歩はお客への声掛けの徹底。
「いらっしゃいませ」「こんにちは」
「ありがとうございました、またお越しください」
まったく当たり前のことだが、全国で80万名は優に超えるだろうコンビニ店員がこれを徹底したら何かが変わるだろう。
私たち利用者にとってはたった一言でいい、心のこもった「ありがとう」から始まる。
悪循環のなかのマニュアル通りの投げやりなバイト従業員の心の中の何かが溶け、私たちの心の中のこれでいいのかという何かが変わるかもしれないではないか。
8 16, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
毎日のように由比ガ浜を歩いていて本当にゴミが多いと感じる。
海草に混じって、ポリ袋、空き缶、使い捨てライター、魚網、発泡スチロール容器…。
由比ガ浜は今「海水浴場」シーズンだから、毎日「回収」「清掃」され、それでも少ない方なのだ。
江ノ島の片瀬海岸東浜では海岸清掃用の特殊車両が毎日のように早朝活動している。
7月に刊行された『海はゴミ箱じゃない!』(眞淳平/岩波ジュニア新書)を読むと、日本中の海浜と海底がゴミ箱のようになっていることがわかる。
「世界自然遺産」に指定され国立公園特別自然保護地区として厳重な管理下にある北海道知床の海浜は、日本海の対馬海流に乗り、宗谷海峡を抜けて回り込み、親潮に押し流されて漂着した大量のゴミが堆積し、その上をヒグマが歩いている。
沖縄西表島の美しいマングローブの汽水域には満潮で押し上げられ引き潮でひっかかった発砲スチロールのフロートやペットボトルなどが散乱する。
閉鎖性の強い瀬戸内海は底引き網を上げるとゴミだらけ。
海浜の人工ゴミの8割は様々な流れに乗って漂着するもので、回収しても切りが無く、数十年前こんなことは想定されていない時代に作られた法律のもとで行政も効果的な手を打つすべも財源もない状況が続いている。
これらのゴミはどこから来るのか。
ほとんどが街から川へ流れ、海へ、そして打ち上げられるものなのだ。
川辺での不法投棄物が流されるというようなものもある。
山奥から発した川はすべて海に注がれる。
だから海に面しない内陸の街や人たちも無関係ではまったくない。
国内だけでなく、台湾、中国、韓国などからのものもたくさん。
遠い南の島から打ち寄せられたヤシの実に叙情を感じているような時代ではもうなく、危険なものも少なからずある。
集魚灯、蛍光灯、危険物が入ったポリタンク、注射器等々。
覚醒剤が残った注射器も見つかっている。
今年1月から3月にかけて、沖縄から北海道までの広範な海浜に、海苔養殖などで使用する硫酸、塩素系漂白剤など取り扱いが危険な薬剤が入った4万個にものぼるポリタンクが韓国から流れ着いた。
これらは善意の素人が安易に回収・廃棄できるものではない。
木の枝や海草類など自然に還るものはいい。
人工ゴミの中で一番やっかいで、由比ガ浜でも目立つのがプラスチックだ。
「国際海岸クリーンアップ(International Coastal Cleanup)」(ICC)が1990年に日本でも始められて以来2007年までのデータを総計すると、回収されたゴミの8割がプラスチックなのだ。
プラスチックは石油を原料として人工的に合成された高分子物質。
軽くて強い、腐ったり錆びたりしない、絶縁性に優れている、着色が容易、大量生産・加工が可能なため、20世紀最大の発明のひとつといわれ、『生きのびるためのデザイン』『地球のためのデザイン』などで知られるナチュラル・デザインのヴィクター・パパネックでさえ期待を寄せてしまった。
プラスチックといっても種類は多種。
レジ袋などに使われるポリエチレン(ポリ袋)、食品トレイなどのポリスチレン、カップ麺などの発泡ポリスチレン、ペットボトルなどのPET=ポリエチレン・テレフタレート、ダイオキシン問題で知られるようになった塩化ビニール等々。
現代の私たちの生活の中で、電化製品、日用品、食品容器、包装などから住宅建材、乗り物、産業用資材にいたるまで、プラスチックは広く奥深く入り込んでいる。
この半世紀でのプラスチック生産の急激な増加は驚異的だ。
1960年(日本) 55万t(世界全体)530万t
1980年(日本) 750万t (世界全体)6000万t
2007年(日本)1300万t (世界全体)2億万t
プラスチックは埋めても焼却しても自然には還元しない(『人類が消えた世界』にも記されていたように何千万年かかけてプラスチックを自然元素に還元できる微生物が進化でもしない限り)。
これまでの通算で30億tを優に超えるプラスチックが生産され、海を含む地球環境にばらまかれている。
こうした生産ー消費ー廃棄の変化が「30年前には考えられなかった」ような大量な還元循環不可能なゴミを産みだしているのだ。
海へ流れ込んだプラスチックは生態系にも深刻な影響を与えている。
直接の場合もある。
ウミガメの胃の中から出てきたプラスチックゴミの集積、コアホウドリという海鳥のヒナ3羽の胃の中にあったプラスチック類の写真は衝撃的だ。
砕かれ微細となった無数のプラスチックは回収不可能であり、1000分の数ミリというプランクトンにも吸収されている。
プラスチックを吸収した植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、小魚がそれを食べ、大型の魚や海洋性哺乳類や鳥が食べ、ヒトがそれらを食べる連鎖のなかで、排出されないプラスチックや、まだ判明していないものも含めてプラスチックに吸着した生殖不全を引き起こす環境ホルモンが濃縮される。
日本は国内ゴミにより自分で加害者であり被害者であり、海外からのゴミの被害者であるとともに、同時に海外への加害者でもあることも知らねばならない。
日本国内から海に押し出されたゴミは海流に乗り、はるかハワイ諸島のミッドウェー環礁などに流れ着く。
上に述べたアメリカの研究者から提供されたコアホウドリのヒナ3羽の胃の中からは、80個以上のプラスチックゴミが出てき、合成洗剤やマヨネーズのフタ、サインペンなど多くの日本製品が検出された。
羅臼沖海底のゴミの山、ペットボトルのフタを「宿」にするヤドカリ、河口のゴミのため遡上できないまま死んでいく鮭、ゴミを避けながら浜にあがり、月明かりではなく海沿い道路の自動販売機の明かりをめざしてしまうウミガメ、魚網がからみついたウミガメやアシカ、深海探査船「しんかい6500」が水深6270mで撮影した海底のマネキンの首の写真などをみながら、何を知り、何をすべきかを考えるためにー
JEAN/クリーンアップ全国事務局
散乱ゴミの調査・クリーンアップを通じて海や川の環境保全をおこなっている環境NGOサイト。
漂着ゴミに関する情報、全国200カ所以上で行われる国際海岸クリーンアップ(ICC)の案内やデータ、豊富なリンク。
かながわ海岸美化財団
サイト内の「ボランティア清掃カレンダー」というコーナーで、神奈川県内の海岸清掃活動を紹介。
また自分たちのグループで清掃しようとする際に、道具の貸し出し等サポートもしてくれる。
『海ゴミー拡大する地球環境汚染』(小島あずさ・眞淳平/中公新書)
『プラスチックの海ーおびやかされる海の生きものたち』(佐尾和子・丹後玲子・根本稔編/海洋工学研究所出版部)
8 2, 2008 14.読書三昧, 28.それってどうなの鎌倉, 31. 「不都合な真実」をデザインする | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
1990年頃、鎌倉・佐助の谷戸奥の古い貸家に住み、その上のもう人家もない尾根下に思いがけず広がっていた荒れ放題の空き地を見つけて、まあ勝手に「開墾」し、野菜とハーブを少しずつ試していたとき以来の最良の指南書が、この『新版 農薬を使わない野菜づくり』(徳野雅仁/宝島社)。
それ以来、無くしたり買い直したりで、もう何冊か目になる。
(他にも同著者で『自然流家庭菜園のつくり方』/宝島社・『無農薬自然流野菜づくり』/ひかりのくに)等。
著者はもともとイラストレーターなので、発芽から成長、収穫までを実際のサイズでリアルに描いていて楽しい。
無肥料、無農薬、無耕転、そして「雑草」と共生させること、組み合わせた混作や輪作により、土壌は年々豊かになり、虫が多くいてもそれらを捕食する虫も多いので「虫害」は発生しない。
実際「開墾」をこの方法で始めて2年ほどで土はフカフカになり、長い棒を突きさすと、抵抗なく1m50cmほどは沈んだ。
植物の根やミミズや膨大な微生物たちが、自然に土を豊かなものに変えてくれているのだ。
こうした土の地下10cmほどのところには、ほんのスプーン小さじ1杯ほどの土に数億の微生物が含まれており、すべて他の世界と連関し、循環しあっている。
農薬、化学肥料、遺伝子操作等人間が創り出したものはこうした連関と循環を断ち切り、自然世界の一環でありながら目先の経済効率のためにそれらに頼っている人間たちのあさましく未来がない姿を浮き彫りにしている。
たとえほんの畳一畳ほどの土でも、ベランダのプランターでも、キッチンの窓辺でも、一日3時間ほどの日照でもいい。
これらの不断な自然の日々の営みを観察し、実感し、驚き、楽しみ、収穫し、味わい、感動し、学ぶことは必ずできるしやってみてほしい。
あなたの人生の転機になりうる。
8 1, 2008 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『雄大昆虫記 ぼくのアシナガバチ研究所日記』(中川雄大・くもん出版)は、長野県白馬村に住む少年が、身近なアシナガバチを小学4年から6年まで観察や実験を重ねた日記や絵、写真をまとめたもの。
北アルプス・白馬岳の麓、白馬村は自然がいっぱいだ。
雄大少年も大の虫好き。
2年生のときには「キアゲハの観察記録」で賞を取っている。
4年生になったとき、新しく赴任してきた先生はそれを知り、「雄大くん、コンクールを目標にがんばりますか? いちばんのごほうびに、海外旅行に行かせてくれるコンクールもありますよ」と勧める。
「昆虫が教えてくれる不思議な世界。そして観察をするとコンクールが待っている! そのダブルの魅力はぼくの心を動かした」
そして家に巣をつくるアシナガバチの観察を始める。
小学4年生のときの「ぼくとバーラの物語」の章。
八重桜が満開の頃、巣を作った「ヤエラ」ちゃんの、幼虫がまだ入っている巣が強風で落ちてしまった。ヤエラはもう諦めて戻ってこない。
バラのそばに巣を作ったので「バーラ」と名付けた女王蜂の巣にこの落ちた巣を瞬間接着剤でくっつけてみる。
バーラは最初の3分くらいは怒っているよう。
「けれどバーラはすぐにヤエラの巣に移って、部屋の中の幼虫のようすを見てまわっていた。そして午後までには、落ちたときにつぶれた部屋の入り口の部分が、きれいになおしてあった」
「バーラは、自分の巣とヤエラの巣と、二つ分の子どもたちを育てなければいけないので、仕事のしすぎでイライラしている」
観察と発見、疑問と仮説、そしてまた新しい発見へ。
真夏日、働き蜂たちがみな草むらへ飛んでいくので何だろうと見ていると、蜂たちは草の上にたまった水玉を飲んでいる。
けれど飲んでいるわけではなかった。
巣に戻ると水玉を吐き出し、巣のなかがびしょ濡れになるほど皆で何十回となく繰り返し、羽をふるわせて風を送る。
炎天下の巣を冷やしているのだ。
コアシナガバチは何を好むのだろうと、蜂蜜、ストロベリー、メロンなどを巣の前に並べてみる。
蜂蜜だろうと予想していたら、なんと醤油が一番人気なのだった。
三年間にもわたる毎日の観察と実験と記録は、対象に対する愛情や情熱、熱中(「そしてぼくはハチに熱中した」)がなければできることではない。
同時に、自然を観察することは自然の摂理を学ぶことでもある。
バーラが死ぬ日がくる。
「8月19日 悲しい出来事
春から一生けんめい巣作りをして、二つの巣の子どもを育てたバーラ女王が今朝、巣から下に落ちてしまった。かた方のはねは半分ちぎれて、もうかた方のはねはちぢれている。そのうえ、じまんの長い足がもげてしまって、歩くことも飛ぶこともできなくなってしまった。…」
「8月20日 忘れないよ、バーラ
午後、バーラが死んだ。バーラは巣から落ちてから、二日間ぼくのために生きてくれた。…大きな二つの丸い複眼に見つめられると、胸の中がぎゅっとなる。ときどきピクンピクンと触覚を動かして、ぼくに話しかけてくれたみたいだ。
バーラの巣には新しい女王が生まれたけれど、ぼくは今までずっとバーラがしてきたことを知っている。ヤエラの子どもたちを育ててくれたバーラ、本当にありがとう」
「ぼくはバーラと一緒にヤエラの巣の子どもたちを育てた気持ちになっていた。ひどいケガを負い、苦しそうなバーラを見たときには、胸がつまるような思いで悲しかった。そして秋の終わりごろ、スズメバチに巣を襲われて散り散りになっていくハチたちの生活から、自然のきびしさを学んだ」
卒業制作や課題に悩んでいる私のところの学生たちに読ませたい。
7 7, 2008 11.教育と学びのデザイン, 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
人類は何億キロも先の木星に探査機を飛ばせるようになったが、わずか1万メートル(10キロ)ほどの深さの海の中のことを知らない。
海はたった100mから150mも潜れば、ヒトの目には漆黒の世界になる。
日本の誇る深海艇「しんかい」も深度1万メートル以上に達することができるが、単にあるスポットに降りることができるだけで、自由に動き回って探査することなどできない。
深海にはたいした生物はいない不毛な世界だとひと頃は考えられていた。
しかし、近年の研究では実に豊穣な太古からの生が息づいていることが少しずつ分かってきた。
魚やイルカなどに電子タグをつけて生態を把握することはある程度はできている。
しかし、そこらへんにいるクラゲでさえ、その真の生の実態はわかっていない。
人類は、ここ100年をみても、ありとあらゆるゴミを海に垂れ流し、PCBなどの有害物質を魚や鯨などに蓄積させ、核廃棄物を野放しで海中に放棄し、街から川へそして海へ分解不可能なプラスティックを流し込んできた。
海が、海の生きものたちが、ある日、ヒトに逆襲を始めたとしておかしいことがあるか?
中東の石油に依存したくないノルウェーの国営石油会社が大陸棚のメタン層を調査中、メタンを覆う氷層を食い破る新種のゴカイを発見する。氷層がもしなくなれば大陸棚は崩壊し、メタンガスの放出と壊滅的な津波とに帰結する。
記録映像に一瞬とらえられた巨大な発光生物。
カナダ、バンクーバーではホエールウォッチングの船にありえないことに鯨が襲いかかる。
南米、オーストラリアで、カツオノエボシ、ハブクラゲといった猛毒のクラゲがあちこちの海岸でヒトを集中的に刺し死に至らしめる。
無数の貝が船底にへばりつき座礁する船が続出する。
パリの三つ星レストランではシェフが市場で選び抜いたロブスターが爆発し、病原体が拡がる。
ばらばらな現象は、なにか海が、海の生物がある意思を持ってヒトに敵対してきているように見えてくる。
エイリアンが攻めてきて、大統領の決断と補佐する役回りが活躍して大団円というハリウッドのパニック映画を思い浮かべるかもしれない(現にすでにハリウッドで映画化が決まっているらしいが)。
常として原作と比べたらまったく期待できない。どうせすべて英語で通すだろうし。
原作の小説『深海のYrr(イール)』(フランク・シェッツィング/ハヤカワ文庫/原著2004年刊)は、その類のものではない。
1957年ドイツ・ケルン生まれの著者は大学でコミュニケーション学を専攻し、大手広告会社でクリエイターとして活躍した後、広告代理店と音楽プロダクションを設立、かたわら小説を書いている。
かたわらといっても4年間をかけた最新の地球科学、生命科学・哲学に基づいた構成とストーリーテリングは素晴らしい。
6 29, 2008 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
アメリカの主導する「グローバリゼーション」と「新自由主義」は、属国日本では小泉の「構造改革」として、さまざまな「規制緩和」「民営化」があたかも政治経済を革新し、新しい活力を生み出すかのような幻想をまき散らして蔓延した。
19世紀末以来の資本主義が掲げる「自由主義」は経済的な市場原理とセットで社会的な公正、モラル、福祉保障などとまがりなりにも共にあった。
平等な機会などかなぐり捨て、公的責任の大幅な削減、市場競争原理、経済効率一辺倒の「新自由主義(構造改革)」が生み出した現在の結果は何か。
年金、医療などの社会保障費、法人税を軽減され地方地場のこれまでの取り分まで吸収した大企業は利益を上げているが、稼ぎ出したなかの労働分配率は著しく下がった。
専門分野に限定されていた「派遣法」が1999年に改悪され、2004年には製造業まで「規制緩和」された。
派遣・請負業があらゆる業種・職種に浸透し、労働雇用条件は不安定化、細切れ化、切り下げられ続けている。
1998年から2005年までのわずかな間に、正規従業員は450万人消え、非正規労働者が500万人増えた。
戦争や革命が起きたわけではない。国民が何かのかたちで「同意」したわけでもないうちに、今や日本の働き手の3人に1人はパート、アルバイト、契約社員、派遣社員などの「非正規」になってしまい、今後もその割合は増え続ける。
かつて「一億総中流」などといわれた「中流」はもちろん幻想で崩壊し、さまざまな生活面でのセイフティーネット(雇用・社会保障・公的扶助の三段構えで「有る」はずだった)が機能しなくなり、日本の相対的貧困度は先進国中アメリカについで一気に2位になった。
アメリカにならって「貧困ビジネス」が跋扈する。
「うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう『すべり台社会』化」(『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』湯浅誠/岩波新書)が猛烈な勢いで進んでいる。
給与所得年収200万円以下の人は2006年に1000万人を超えた。
300万円以下では1740万人。
日本の労働者の3割近くにのぼる。
「勝ち組ー負け組」「希望格差社会」「下流社会」などの懸念、警鐘の段階を超え、「貧困」が日本社会の中でおそらく明治・大正以来あらためて真正面から直視せざるをえなくなっている。
これは為政者や経営層がいうような「自己責任」の問題では断じてなく「政治」「社会」の問題だ。
「自己責任論」は「他の選択肢を等しく選べたはず」ということを「前提」として成り立つ。しかし「貧困」とは「他の選択肢を等しくは選べない」からなるのだ。
反貧困「もやい」の活動をすすめている湯浅誠氏は『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』のなかで、貧困状態に至る背景として「五重の排除」があると述べている。
1. 教育課程からの排除
福沢諭吉以来、貧しくとも刻苦勉励すれば立身出世は可能と希望を持たされてきた。現在、親の貧困は子どもを教育の平等な出発点にはとても立たせられない。
2. 企業福祉からの排除
非正規雇用が典型だが、単に低賃金、不安定雇用というだけではなく、各種の社会保険に入れず(従って失業時の保障もなく、職業訓練も受けられない)、正社員が受けているさまざまな福祉からも無縁だ。
派遣社員は派遣先企業に対して労働者としての基本的権利さえ持てない。
彼らの労働費用は「人件費」ではなく「資材調達費」扱いであり不断の「在庫調整」の対象にすぎず、派遣会社の入札すら行われる。
派遣会社の借り上げアパートなどで暮らしていた場合、首を切られれば即路頭にまよわざるをえない。
3. 家族福祉からの排除
貧困は世代間に連鎖し、親や子どもに頼れない。
4. 公的福祉からの排除
生活保護制度は、「水際作戦」と呼ばれる追い返す技法ばかりが肥大し、本当に必要な人々に手を差し伸べていない。
5. 自分自身からの排除
1から4までの排除を受け続け、しかもそれが「あんたのせい」と「自己責任論」で片付けられ、さらにそれが本人まで内面化して「自分のせい」と考えるようになってしまうと、何のために働くのか、生きるのか。それに何の意味があるのか、どんな意義があるのか。そうした「あたりまえ」のことが見えなくなってしまう。
「人は自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。ある相談者が言っていた。『死ねないから生きているにすぎない』と。周囲からの排除を受け続け、外堀を埋め尽くされた状態に続くのは、『世の中とは、誰も何もしてくれないものなのだ』『生きていても、どうせいいことは何一つない』という心理状態である。
期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していれば、自分の腑甲斐なさと社会への憤怒が自らのうちに沈殿し、やがては暴発する。精神状態の破綻を避けようとすれば、その感情をコントロールしなければならず、そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる。その結果が自殺であり、また何もかもを諦めた生を生きることだ。生きることと希望・願望は本来両立すべきなのに、両者が対立し、希望・願望を破棄することでようやく生きることが可能となるような状態。これを私は『自分自身からの排除』と名づけた」
ここ5年間の日本の自殺者が16万人、
私が住んでいる鎌倉市の総住民ほどの数の人々が自ら命を絶つという社会が正常、健全であるはずがあるか?
写真は「反貧困ネットワーク」のシンボルキャラクター「ヒンキー」
ヒンキーはオバケだ。
なぜオバケかというと貧困は「ある」と「ない」の間にあるから。
貧困の最大の特徴は「見えない」こと、
そして貧困の最大の敵は「無関心」。
「貧困とは常に『再発見』されるべきものである」(『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 岩田正美/ちくま新書)
6 13, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
2、3年前小鉢で購入して植えてあった明日葉(あしたば)が、今では1m50cmほどにがっしりと育った。一年中葉を繁らせ、採っても次の日にはまた若葉が出てくるのでこの名という。
商業用には主として八丈島で生産されている。
ビタミンA、カロチン、カリウムがとても多く、茹でてもビタミンなどがあまりなくならない。
『小林カツ代の野菜料理ミニ事典』(小林カツ代&キッチンS/じゃこめてぃ出版)はおいしく旬の野菜を食べるためのちょっとしたポイントが丁寧に書かれていて大好きな料理書だ。
あした葉のところには「あした葉の磯炒め」と「あした葉のおひたし」が載っている。
「磯炒め」に惹かれて読むと、湯がきざっと強火で炒めたあと「火を止めて焼き海苔1枚をもみ入れ、全体にからむように混ぜ、お皿に盛る」とある。
なるほど、それだけで「磯」の香りと楽しめる。
6 8, 2008 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「かにこーせん」と聞いて「カニ光線」が頭によぎったり、船の上でカニシャブが食えるの、とか思い浮かべたりの世代にガチガチのプロレタリア文学『蟹工船』(1929/小林多喜二)が読まれているらしい。
今年になっての増刷が20万部を越えるという。
毎日新聞が今年1月9日に掲載した作家の高橋源一郎、雨宮処凛の「現在のワーキングプアは『蟹工船』の世界に通じる」という発言がある対談がきっかけ。
東京上野の書店員がこれを読み、文庫本を平積みにしたところ数十冊売れ、他の書店にも拡がった。
いいね、こういう書店員がいる本屋はつぶれない。
中学、高校生の頃、「日本近代文学」の陰々滅々とした「私小説」の系統に飽きると「プロレタリア文学」を読み漁った。
佐多稲子『キャラメル工場から』、葉山嘉樹『淫売婦』『セメント樽の中の手紙』『海に生くる人々』、宮本百合子『貧しき人々の群』、中野重治『芸術に関する走り書的覚え書』『鉄の話』『村の家』『空想家とシナリオ』『歌のわかれ』…。
小学校の頃の通い道にあった共同印刷の争議を題材にした徳永直『太陽のない街』は繰り返し読んだ。
彼ら彼女らがかつて住んでいた街を毎日歩いていたせいもある。私の印刷への関心はこの頃共同印刷の下請け工場の様子を下校時に毎日眺めていたことにも起因する。
『蟹工船』(小林多喜二)も何度も読んだ。
「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」
という書き出しは有名だが、
「カムサツカの海は、よくも来やがった、と待ちかまえていたように見えた。ガツ、ガツに飢えている獅子のように、えどなみかヽてきた。船はまるで兎より、もっと弱々しかった」
という描写が私は好きだ。
『蟹工船』発表4年後の1933(昭和8)年、小林多喜二は特高に逮捕され、築地警察署署内での苛烈な拷問でその日のうちに殺された。
5 31, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
マンハッタン南端とブルックリンを結ぶブルックリン橋(Brooklyn Bridge)は鋼鉄ワイヤーを使った世界初の吊り橋でとても美しい。
1883年に完成し、今日5月24日に開通した(125周年)ということで、NYでは3日間にわたってさまざまな記念行事をしているという。
が、TVのニュースでもちらとやっているとき私が読んでいたのは邦訳が刊行されたばかりの『人類が消えた世界』(アラン・ワイズマン/鬼澤忍訳/早川書房)であり、200〜300年後の無惨に崩壊していくブルックリン・ブリッジのイラストだった。
ブルックリン・ブリッジは風洞実験もコンピュータ構造計算もなかった時代、当時の基準の6倍もの強度で作られた。
設計当時(日本で言えば明治初期)、まだ馬車とガス灯の時代であり、その後一日数十万台もの自動車が通ることになろうなど誰も想像すらできない。
けれども、NYの橋の管理者は言う。
「この手の橋は必要以上に頑丈にできているので、行き来する車など象に乗った蟻のようなものです」
「私たちは先祖が残してくれた過剰設備で食いつないでいるのです」(同書より)。
しかし、チェック、管理、メンテナンスできる人間がもしいなくなったとしたら、NYの冬の寒暖による縮小時の目地へのゴミ、膨張時のきしみ、塗装はげとサビ、などによって、本来はあと1000年は保つだろうブルックリン・ブリッジも200〜300年先にはイーストリバーに飲み込まれるだろうという図なのだ。
『人類が消えた世界』は、危機をあおりたてるような類のものでも、あるいは時系列を追ったSF仕立てのものでもない。
学者はもちろん現場の技術者や管理者からアマゾンの農民、アフリカの狩猟民などへの国際的な取材、現代科学の最新の知見に基づいて書かれている。
ある日忽然と人類が姿を消したとしたら(ただし世界的な絶滅戦争や、他の生物を道連れにしてではなく、今あるものはそのまま残したままで)という仮定を立てることによって、人類が築いてきた文明とはいったい何なのか、これまでこの地球生態系のなかでどういう歴史的経路をたどってきて現在があるのか、そしてとりわけ現代が創り出してき残されるものはその後の地球環境にとってどういう意味と影響を与えるのか、ということを鮮やかに照射して実にスリリング。
5 24, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
斎藤美奈子さんは1994年『妊娠小説』でデビューしたのだが、その当時はほとんど知らなかった。
2002年の『文章読本さん江』に瞠目し、以来著書はすべて読んでいる。
私が読むべくもないジャンルの本を含め、読書やさまざまな社会の動向や見方について彼女の言説に共感するところは大きい。
こんど出版された『本の本』(筑摩書房)は、1994年から2007年までの書評集。
これまでのものも書評といえば書評なのだが、実はどれも一定の企図にもとづいた企画もの。
では「いわゆる書評」「純粋な書評」とはなにか?。
第一に「書評」は、読者のためにその商品(本)の情報を提供するもの。
第二に「書評」は、しかし単なる商品情報ではない。署名原稿である以上は、書き手の評価や価値判断が求められる。
「あとがき」で斎藤さんは言う。
「読むのは天国、書くのは地獄。場合によっては、読むのも地獄、書くのも地獄」
にもかかわらず書評を書き続けるのは「書評には書評の社会的な使命があるから」
「もしも書評という制度がなかったら、テレビ番組の視聴率と同じで、本の価値は売れた/売れないという数字でしかはかれなくなってしまいます。他品種少量生産を原則とする書籍という商品にとっては”量”を示す売れ部数より、”質”をはかる書評のほうがはるかに重要なのです」
「本を読む行為は基本的に孤独です。しかし、そこに一編の書評が加わると、世界は何倍にも膨らみます。同じ本を読んだはずだのに、あまりの受け取り方のちがいに驚いたり、その本の新しい価値を発見したり、ときには書評のおかげではじめて意味がわかったり」
「もしこういってよければ、書評は”読書を立体的にする”のです」
700ページ超、厚さ5センチの本を今読む時間はない。
「ご使用上の注意点」として「大部の著ゆえ、一気読みは健康を害するおそれがございます。くれぐれも読みすぎにはご注意ください」とある。
しかしこの本は内容別の構成をみて読んでも、書名や著作者名の索引から探しても、適当に開いて読んでもいいのだ(一編一編は適度に短いから、失礼ながらトイレ本としても最適)。
徹夜仕事に疲れてぱらりと開く。
大好きな『エイジ』(重松清)だ。
「…このへんの呼吸、現役の中学生なら、みんなきっとわかるはずだ。でも、大人はわかんないみたい。いままで出ているこの本の書評は、悪いけど、どれもマト外してるもん。みんなこれを”14歳問題”の小説だと決めつけている。それじゃ、逆だっちゅーの。だって『エイジ』が発信しているメッセージは、14歳とか少年とか中学生とかいう既成のことばで、おれらを”くくるな”ってことなんだから。大人が”くくる”から、子どもは”切れる”んだよ。わかる?
だからもう、大人はどっちでもいいや。中学生の人だけ読みなさい。へえ、重松とかってやつ、案外わかってんじゃんと思うから。そういう大人も少しはいるの。元気になれるよ、少しだけ」
「ときには伝道者の気分でその魅力を喧伝し、ときには著者になりかわってその意義を力説し、ときには読者の立場でちょっとした苦言や要望を呈する」斎藤美奈子節に乾杯。
斎藤美奈子さんの著書に関する過去記事
『物は言いよう』(斎藤美奈子)(2005/1/9)
それってどうなの鎌倉-1 駅前の変貌(2007/5/25)
4 4, 2008 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
チベットと重ねあわせながら『弥勒世(みるくゆー)』(馳星周/小学館)を読む。
沖縄(琉球)と蝦夷(アイヌ)の武力併合によって近代日本という国家は成立した。
韓国、台湾併合への地ならしでもあった。
中国がチベットやウィグルを武力併合していったのに先立ち、しかし同じ意味を持つ。
どちらも国家拡張、帝国化の原理の産物。
周辺との「緩衝地帯」とされることも同じ。
文化破壊と「同化」政策も同じ。
沖縄は第二次大戦中、「本土防衛」のための時間かせぎの盾とされ多くの島民が無惨に殺され、日本軍によっても「自決」を余儀なくされた。
そして戦後、日本が独立を回復しても、米軍にとっての「太平洋の要石(Key Stone)」として切り離されそのまま占領下におかれた。
琉球政府という「自治」組織はあったが、アメリカ高等弁務官府の命にはそむけなかった。
先頃の少女「暴行」事件など日常茶飯事のなかで、沖縄人は「独立」ではなく「祖国復帰」などという沖縄の気候同様の生ぬるい希望にかけた。
しかし日本は「祖国」なのか?
ヤマトゥに帰属すれば幸せになれるのか?
二重、三重に鬱屈した沖縄人の魂はそんなことで解放されるのか?
アメリカー、ヤマトゥンチュー(日本人)に圧迫、支配、差別される人々は、自分より「下」の差別対象をみつけ、差別することで鬱憤をはらす。
「ウチナンチュー」は那覇を中心とする人々のみのことであり、離島、本島北部などの人々は差別される。
苦界に身を沈める女性たちは、ほとんど必ず離島か本島北部の出身だった。
親を失い、同じ施設で育ち、沖縄のなかでももっとも差別されてきた主人公たちが、米軍に対する絶望的な、しかし晴れ晴れとした戦いに挑む。
描かれている1968年から1972年「沖縄本土復帰」に向かう時期、私もその頃沖縄に3年間いたので雰囲気や心情や地理感も、ありうるだろう現実感もよくわかる。
日本資本に蝕まれ、補助金まみれになり、単なる南国リゾートに堕し、それでいて全国最高の失業率にあえぎ、日本の米軍基地の75%がいまだに集中する今の沖縄びとに、チベットの人々への呼びかけと同じビョークの言葉を借りよう。
Free OKINAWA !
Free RYUKYU !
Raise Your Flag !
Higher, Higher !
3 24, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
青海省、甘粛省、四川省、雲南省などチベットの「外」まで抗議活動が拡がった、などと報道されているが、それは根本的な間違い。
これらはもともとチベット人が住んでいた地域であり、1951年の中国による武力併合前後、それぞれの省編成で組み込まれたもの。
「チベット自治区」というのは本来チベット人が居住していた地域の半分以下にすぎない。
そのようなことを含め、現中国共産党政府の圧政と弾圧に徹底して反対し、この「観音菩薩に祝福された民」と共にありたいと思う。
『チベットを知るための50章』(編著・石濱裕美子/明石書店)
3 23, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
チベットではおそらく数百名の人々が中国警察や軍に殺され、倍する人々が負傷し、たくさんの拘束された僧や市民が今現在も過酷な拷問を受けているだろう。
チベットとそこに生きる人々を少しでも深く知るために。
『図説 チベット歴史紀行』(石濱裕美子・著/永橋和雄・写真/河出書房新社ふくろうの本)。
チベットの歴史と文化を知る上で最適な一冊。
「中国の不可分の一部」などという中国政府の主張がいかに欺瞞であり、チベットはチベットであることは歴史をきちんとふまえればまったく明らかなことだ。
1911年の「辛亥革命」で清王朝が滅び「中華民国」が成立したが、13年にダライ・ラマ13世が独立宣言をしたチベットに対し「中華民国」はその後ずっとなんら影響力を持っていない。
当初「民族自決」「民族独立の権利」などとコミンテルンの方針通りいっていた中国共産党は、その後の国共内戦時に方針転換し、旧清朝の影響版図はまるごと中国のものだという路線になる。
これがそもそも今の中国の間違いの元だっただろう。
1951年、チベットを武力併合。
以降、チベット人への抑圧と文化破壊、漢化政策が進められる。
チベットを撮り続けてきた永橋和雄さんの写真が素晴らしい。
3 22, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
秋口あたりからひいた風邪がずっと長引き、治ったかと思うと熱は微熱程度にしか上がらないが、咳、くしゃみ、鼻水、喉の痛み、頭痛、ふしぶしの痛みなどがぐずぐずとぶりかえし、年始にまで持ち越してしまっている。
ということもあって新春そうそう手にとった本が、国立感染症研究所研究員であり、感染症や新型インフルエンザについての啓蒙書を何冊も出している岡田晴恵さんが書いた『H5N1―強毒性新型インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ』(ダイヤモンド社)。
ある南の島に雑貨の買い付けに行っていた日本人ビジネスマンが新型インフルエンザウィルス「H5N1」に感染する。
潜伏期間があるため帰国時には気が付かない。
発症1日前からウィルスを放出し、空気感染するので、SARSなどと違い水際阻止はまずできない。
飛行機、地下鉄、バスのなか、感染者の最速時速120Kmの1回のくしゃみは車両の端から端まで一瞬にウィルスを飛散する。
家族、そして接触環境にあった人々が次々に倒れ始める。
欧米に比べて圧倒的にお粗末なこの問題に関する行政対策、医療体制、ワクチン備蓄の不足と配布計画の不備、国民の認識欠如のなかで、この現実を迎えたら日本はどうなるのだろうか、という研究者としての危機感と警鐘にあふれたシミュレーションシナリオを、事実と現状をふまえ、「火種」「苦悩」を経て「発生」「上陸」「拡大」「連鎖」「混迷」「破綻」そして「崩壊」へ至るストーリー仕立てにしている。
1997年香港、感染すると48時間以内に100%死に至る強毒性鳥インフルエンザ(コードネーム「H5N1」)がニワトリなどに流行し、しかもそれがヒトに感染し死者が出るという事態となった。
それまで鳥インフルエンザが直接ヒトに感染する例が報告されたことはなかった。
鳥のウィルスはさまざまな遺伝子の変異、交雑によってヒト型に変化し、数十年に一度の割合で大流行(パンデミック)を起こす。
1957年の「アジア風邪」、1968年の「香港風邪」といった新型インフルエンザはすべて弱毒型の鳥ウィルスに由来する。
毎冬に流行するインフルエンザはこうした「新型インフルエンザ」の子孫だ。
これらのインフルエンザは呼吸器系の感染に限定され、健康被害も肺炎などの呼吸器系合併症に限られる。それでも新型の場合はほとんどの人が免疫を持っていないので大流行を起こす。
1918年の「スペイン風邪」では全世界で4000万から1億人、日本国内でも45万人が死んだ。
しかしこの猛威をふるった「スペイン風邪」でさえ「弱毒性」ウィルスなのだった。
WHO(世界保健機構)は「H5N1」強毒性鳥インフルエンザの封じ込めはすでに失敗したとしている。限られた地域の家禽を殺処分することはできても、宿主となる渡り鳥を絶滅させることなど不可能なのだ。
ヒトへの感染と死者の発生は引き続いて起きている。
そしてヒトからヒトへ感染する新型インフルエンザウィルスに変容するのは、WHOが「最大の脅威」と発信し続けているように、もう「If(あるかもしれない)」ではなく「When(いつ起こるか)」の段階になっている。
「H5N1」は、呼吸器系のみならず、血流にのって多臓器不全や脳炎を引き起こす。
さらに体内の免疫機能が異常に反応して暴走し、自分の身体を壊し始める「サイトカイン・ストーム」も来すため、高齢者、乳幼児だけでなく10代、20代の死亡率も激烈に高くなる。
最短4日で死亡。致死率は60%強(例年流行するインフルエンザでは0.1%)。
公害であれ薬害であれ、日本の行政が的確で万全な事前対策などした試しはない。
現状の備えしかない日本に上陸流行すれば死者200万人以上(2年間の国内誕生者数に匹敵)。
10ヶ月ほどをかけて伝播した「スペイン風邪」(1918年)の時代とは違い、グローバルな高速大量交通の整備されている今、発生・感染から世界への伝染拡大時間は数時間からせいぜい数日だ。
【関連サイト】
この本にも出てくる、小樽市保健所長・外岡(とのおか)立人氏が運営する
Let's prepare for the next influenza pandemic!!
鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集
は新型インフルエンザに関する海外情報を毎日のように訳して載せている。
著者が属している
国立感染症研究所感染症情報センターサイト
日本では自治体としてもっとも対策が進んでいるといわれる東京都品川区の
インフルエンザ・新型インフルエンザへの備えをすすめましょう!ページ
【関連書籍】
『新型インフルエンザ・クライシス』(外岡立人/岩波ブックレット)
『パンデミック・フルー 新型インフルエンザ Xデー ハンドブック』(岡田晴恵/講談社)
『強毒性新型インフルエンザの脅威』(岡田晴恵・速水融/講談社)書店)
『新型インフルエンザ―世界がふるえる日』(山本太郎/岩波新書)
『感染症とたたかう -インフルエンザとSARS-』(岡田晴恵・田代眞人/岩波新書)
『人類vs感染症』(岡田晴恵/岩波ジュニア新書)
『感染症は世界史を動かす』(岡田晴恵/ちくま新書)
1 3, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
BSで『賢者の贈り物』の人形劇を放映していた。
貧しい若夫婦のクリスマスプレゼントをめぐる哀しくしかし心暖まるものがたり。
妻は夫が祖父以来受け継いだ立派な金時計のためのプラチナの鎖を贈りたいと思っている。
夫は妻の長く美しい髪のための鼈甲の櫛を贈りたい。
しかし二人とも金はない。
妻は膝まで届く見事な長髪をかつら用に売り、夫は金時計を売って金を工面する。
プレゼントを交換しあったとき、それを用立てるはずのものはお互いすでに無かった。
『最後の一葉』とならぶオー・ヘンリー(1862-1910)の代表作。
二人はお互いのために愚かにも家にある最高の宝物をふたつとも無くしてしまった。
しかし世界中どこであってもこのような人たちが最高の賢者なのだ、とヘンリーは締めくくっている。
原題『The Gift of the Magi』の「Magi(メイジャイ)」は、イエスの誕生の際、贈り物をもってきた東方の三博士(マタイ伝)。
さまざまな文庫本等が出ているが、ネット上でも青空文庫で邦訳が、Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)で英語原文がダウンロードできる。
12 25, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
子どもの頃、父や当時同居していた叔父の本箱にたくさんの「岩波窵寘(写真)文庫」があった。
64ページほどの背のない中綴じで、モノクロなのだが表紙左にポイント的に使われている赤帯が効果的な目印となっている。
写真家、名取洋之助(1910〜62)が編集に携わり、戦前ドイツで学んだ記録・報道写真や編集的コンテクストを持つ「組写真」の技法を取り入れることによるメッセージ性、伝達性を強めたつくりで、小学生のころ、難しい文章はわからなくとも、写真を見ているだけで知らない世界が拡がって楽しく、家にあるものにはすべて目を通した。
その後、中学高校の図書館で読んだものや、自分で買ったものを含めれば、1950(昭和25)年から58(昭和33)年まで刊行された286冊には、たぶんほとんどすべて触れていると思う。
今では一冊も手元にはなかったのだが、先頃、画家・作家の赤瀬川原平セレクション10冊が復刻出版されさっそく購入。
『汽車』『南氷洋の捕鯨』『蛔虫』『ソヴェト連邦』『馬』『戦争と日本人ーあるカメラマンの記録ー』『石炭』『一年生ーある小学教師の記録ー』『自動車の話』『日本ー1955年10月8日ー』。
何十年ぶりかの再会をじっくり楽しみたい。
あわせて『戦後腹ペコ時代のシャッター音ー岩波写真文庫再発見』(赤瀬川原平・岩波書店)も。
11 30, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『世界一やさしい問題解決の授業』(渡辺健介・ダイヤモンド社)を読んでいて「こんな人たち知りませんか」に思わず笑ってしまう。
私のところ(多摩美術大学造形表現学部デザイン学科)にもいっぱいいるからだ。
「どうせどうせ」子ちゃん
・考えないし行動もとらないので、ゴールにはたどり着かない
・やってみないから何も学ばないし、自信もつかない
・グチを言って日々過ごす
「評論家」くん
・何が問題か、だれが悪いか、何をすべきかは言えるが、自分では行動しない
・リスクや結果に対する責任を取らない
「気合いでゴー」くん
・わき目もふらずに前進あるのみ!へこたれずにがんばるが、ムダが多く、ゴールに最短距離でたどり着けない
・行動した結果から学ばないので、進化するスピードが遅い
そして筆者が推奨する
「問題解決キッズ」
・適度に考えて、行動して、方向修正して……を繰り返し、最短距離でゴールにたどり着く
・実行の結果から毎回何かを学び、進化していく
【問題の発見】ー【仮説を立てた上での調査】ー【分析と検証】ー【解決の方向】ー【実行(制作)】ー【検証】、というコミュニケーションデザインの授業のなかで私が稚拙にしか説明できていないことが、中学生の仲間のバンドのライブにいかにたくさんの人に来てもらうか、どのようにしたら欲しいパソコンが買えるか、という例も含め、中高生にもわかりやすく100ページちょっとで明解に述べられている。
著者は中学2年からアメリカで学び、イェール大学やハーバード・ビジネススクールと世界に冠たるコンサルティング会社、マッキンゼーで「問題解決(Problem Solving Method)」の方法を身につけた。
退社後、「デルタスタジオ」を立ち上げ、教育・エンターテイメント・メディアを通じて、個々が「点火」する(自分の才能と情熱を見つけ、目的を結晶化させる)きっかけを提供し、世の中にポジティブな変化を起こすための、中学生、高校生、大学生、社会人向けのさまざまな講習やサポートを行っている。
これらからイメージされるアメリカナイズされた思考法の本ではまったくない。
「多面的に物事を見る力」「本質を見極める力」「打ち手を具体的な行動に落とし込む力」は、デザインからビジネスからパーソナルな問題解決まで通底して必要とされる普遍的なものだ。
「分解の木」「はい、いいえの木」「課題分析シート」「仮説の木」「マトリックス」「良い点・悪い点リスト」「評価軸×評価リスト」などの分析整理するためのツールも役にたつ。
私のところの学生たちすべてに読ませたい。
11 29, 2007 11.教育と学びのデザイン, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(1)
ムサビ(武蔵野美術大学)のOBであり同大職員である手羽イチロウ氏が2003年に私的に始めた「ムサビコム」。
なぜ「私的」かというと、放置されていた「musabi.com」ドメインを手羽氏が個人的に引き継ぎ、ドメイン料・レンタルサーバ料・Movable Typeライセンス料も個人で払って始めたものだから。
「大学非公式サイト」と称する。
そのコンテンツのひとつとして手羽氏のコーディネイトのもと、ムサビ生有志が日常生活をブログで書いているのが「ムサビ日記」。
『ムサビ日記』(手羽イチロウ監修・武蔵野美術大学出版局)は、2006年4月から07年3月までの1年間にアップされた27名の学生(院生も含む)の1605件の日記のなかから、146の日記を選び、本として編まれた。
普通ブログ本というのは人気ブログの安易な企画ものが多い。
資料的な価値を持つものやある種のストーリーものをのぞいて、特に日記的な内容のブログは、ウェブ上でのリアルタイムに近い「共時感」が生命力の源であり、出版とのメディア特性の違いの違和が生じる。
この本の、ブログをもとにしながらの面白さのひとつは、4月(入学・新学年)から翌3月(進級・卒業)までという学年の1年間という枠をはめることで、「美大生の1年」のさまざまな姿と生活が表現されていること。
27名は学科も学年も異なり、また単なるムサビ紹介ではなく、美大生の生活、悩み、考えなど本音が出ているものを選んでいるため、普遍性が増した。
もうひとつ、「”ムサビの批判はしてもいいけど、代案を”とお願いしています。文句を書くだけなら某BBSとか他のところでやればいいわけで、”じゃ、なんでそうなのか。こういった原因があるなら、そこをこうすればもっとここがよくなるよね”まで書いて欲しいと思ってるからです。ただ、そこまで書くにはいろいろ調べないといけない。感情だけで発言するのは、もう大学生なんだからそろそろやめないとね。”問題を感じ、調査・分析し、新しいものを作る”ことこそdesignerの仕事。それができない人はdesignerになれません」というスタンスを堅持してやってきていること。
授業課題制作の苦しみやプレゼンの恐怖、コンペで評価されたときの喜び、芸祭の楽しみ、シューカツ(就職活動)の悲喜劇、ソツセイ(卒業制作)の悩み、などなど、私のところ(タマビ)の学生となんら変わらない。
本文の右側に手羽さんのOBならではの注釈やつっこみが入っていて楽しい。
「インスタ:インスタレーションの略。詰めの甘いインスタほどタチの悪いものはなし」
「朝の8時前のエントリーから推測するに、ひだまりさんは12時間ほど気を失っていたようです」(卒制展が終わっての日記に)
などなど…
11 15, 2007 09.ネットワーク・コミュニケーション, 11.教育と学びのデザイン, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「空気感」ということばがいつの頃からか安直に使われるようになった。
最近のカンヌ映画祭でも、キミがいるトコじゃないだろという感じのキムタクが「カンヌならではの空気感」などとしゃべっていた。
要するにきちんと言葉で述べる能力がないことを糊塗(う〜む、「糊塗(こと)」=一時しのぎにうわべをとりつくろうこと、が変換で出てこないとは)するのに便利。
ついでながら、ガンダム世代以降の「世界観」ということばの使われ方も同様。
私が学生の頃は、哲学、歴史、宗教、社会思想、文学、芸術論等とそれなりにきっちり向き合ってからでなくては「世界観」などというのはとても恐ろしくて発せられない言葉だった。
どうということもない独りよがりの作品を見せられて「私なりの世界観を表現してみましたぁ」なんて言われてもなぁ。
渡辺眸(ひとみ)さんは、一度社会人となったあと写真専門学校で写真を学ぶ。
新宿の街を撮るうち、68年10.21「国際反戦デー」のいわゆる「新宿騒乱」に遭遇し、また友人のデザイナー山本美智代さんの夫が山本義隆だった(いうまでもなく東大全共闘議長になる)こともあり、東大闘争に関わる。
彼女は1968年初秋から、「解放区」となった安田講堂のバリケードに寝泊まりし、事件性を追いかけるマスコミジャーナリズムとは異なり、山本義隆が寄稿している文にあるように「東大全共闘の闘争を長期にわたって内部から撮影した唯一のカメラマン」となる。
連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして仆れることを辞さないが
力を尽くさずして挫けることを拒否する
という落書も彼女の写真により有名になった。
体育会系のスト破りどころではなく、古田会頭につながる右翼が抜き身の日本刀をふりかざして殴り込んでくるような苛烈なバリケード戦を闘ってきた日大全共闘3000名が、神田三崎町のキャンパスから無届けデモで機動隊の壁を突破し(隊列の外側のものはほとんど銀ヘルの下で血を流していた)、安田講堂前広場「11.22 東大=日大闘争勝利全国学生総決起大会」に合流してきたときの「闘争、勝利!」のうねるような地鳴り、連帯の歓声…。
そして一転してたんたんとしたバリケードのなかの日常…。
彼女が写し撮り、私もなにがしかを共有した時代の「空気感」がここにある。
10 23, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
60年代前半、中学から高校のころ、詩をずいぶんと読み、また書きちらしていた。
中原中也ももちろん大好きだった。
まだニキビ面のガキなのに、
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
(山羊の歌・帰郷)
とか
私はその日人生に、
椅子を失くした。
(山羊の歌・港市の秋)
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど
(在りし日の歌・頑是ない歌)
などと気だるくつぶやいて、数学の課題を解くのをあきらめ、教室の窓外を眺めたりしていた。
鎌倉文学館(長谷)前庭での「ルートカルチャー」の催し、作家の高橋源一郎とDJ・高木完による中原中也の詩の朗読ライブ。
普通に朗読するのもあるのだが、DJのリズムに乗せてラップにしてしまうものがなんといっても面白い。
今ではもうあまりに過剰でナイーブにみえる中也のロマンティシズムと叙情をいったん剥ぎ取って、しかしそれでも残る詩のことばとオーラルなリズムの楽しさと苦さ。
(以下ラップ調で)
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる……
(山羊の歌・汚れつちまつた悲しみに……)
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
…
サーカス小屋は高い梁(はり)
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
…
(山羊の歌・サーカス)
引用は大岡昇平編『中原中也詩集』(岩波文庫)
ROOT CULTURE FESTIVAL 2007 〜10/28
鎌倉文学館「企画展・中原中也 詩に生きて」 〜12/16
10 22, 2007 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
いわゆる「グリコ・森永事件」が起こったのは今から23年前(1984=昭和59年)だから、今の若い人はほとんど知らないだろう。
入浴中の江崎グリコ社長が3人の男に芦屋の自宅から全裸で拉致され、「現金10億円と金100Kgをよおいしろ」という脅迫文が届く。警察の動きを察知した犯人たちは受け渡しには現れず、倉庫に監禁されていた江崎社長は3日後に「自力で」脱出する。
その後「かい人21面相」の名で、報復的な脅迫状が次々に届き、迂回裏取引をもちかける一方、新聞社に捜査本部を挑発、嘲笑する挑戦状を送りつけ続ける。
そして青酸ソーダを製品に混入して置くという新聞各紙に掲載された脅迫は鮮烈だった。
大手スーパーはのきなみグリコ製品の撤去を即日決定、翌日には菓子売り場からポッキーやキャラメルなどグリコ製品は一斉に姿を消す。グリコの株価は暴落し、工場も次々と操業停止に追い込まれていく。
こうした中で「ともこちゃん、ありがとう。グリコは、がんばります」という新聞広告が出され、2日後これに呼応するかのように「わしら もうあきてきた…江崎グリコ ゆるしたる」と終結宣言が新聞社に届く。
ところが一方で、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家などを次々と脅迫し、実際に致死量を超える青酸ソーダの混入した森永の菓子があちこちで見つかりパニックとなる。
売り場からの撤去、操業停止、株価暴落、売り上げ減はグリコと同じ。
現金引き渡し時の犯人取り逃がしの責任をおしつけられた滋賀県警本部長が定年退職と同時に焼身自殺する。
5日後「たたきあげの 山もと 男らしうに 死によった さかいに わしら こうでん やることに した くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と1年5ヶ月におよんだ脅迫は唐突に終わる。
犯人たちは表面上一銭も入手できていない。
誰がなんの目的でこのようなことを行ったのか、皆目わからない。
2000年2月に最終時効が成立するまで、捜査対象者は12万5千人にのぼったが、ほぼ実行犯とされる「キツネ目の男」も「ビデオの男」も最後まで特定できない。
筆者は、1994年に神戸で起きた国内犯罪史上最大5億4千万円にのぼる銀行強盗事件を24歳の駆け出し新聞記者として取材し、現在は週刊誌記者として取材を続ける(『史上最大の銀行強盗ー5億4千万円強奪事件』幻冬舎)。
その中で二人組犯人のひとり(すでに自殺)とグリコ・森永事件との接点を見いだす。
当時未公開の捜査資料を入手して読み込み、彼らを結びつけた服役囚と接触し、ヤクザ、食肉業界、仕手筋、北朝鮮スパイ、エセ同和団体などなど、さまざまに描いた絵がすべて崩壊し、捜査ミスを隠蔽しようとする警察とは別の視点から真実に迫っていく。
黒澤明『天国と地獄』で、そしてこの事件にヒントを得て書かれた高村薫『レディ・ジョーカー』で活写されているように、底辺の闇から高台の豪邸をじっとりと見上げる憎悪の眼と犯罪の芽は、またそれを操るビハインドは今の日本社会にも確実に横たわっている。
「わしら 悪や くいもんの 会社 いびるの やめても まだ なんぼでも やること ある 悪党人生 おもろいで かい人21面相」
10 15, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
風邪が治らず、土曜日病院に行って追加の薬をもらった後帰宅。
無秩序にあふれかえっている本と本棚の整理を二日間する。
12年前、古い民家いっぱいにあったそれまでの蔵書を、デザイン・アート関連のものは大学の資料室に、残りはほとんどすべて売り払ってしまったので(来年度から映像デザインを担当するので、本箱一つ分はあった映像関係の文献資料を売ってしまったのが惜しい)、今ある本はそれ以降入手したもの。
といってもすでに5000冊くらいにのぼる。
6年前に越して来て以来ろくに整理していないのでたいへん。
蔵書の整理というのは図書館のようにはいかない。
自分の現在の興味関心にもとずいた編集・整理であり、しかも本というのは一冊なので、コンピュータデータのように複数カテゴライズするわけにもいかない。
さらに本棚のサイズとの関係もあるので、内容との関係でどうレイアウト配置するかも考えねばならない。
もう捨ててもいい本もあれこれ。
紙バックいっぱいにだぶった本が出てくる。
持っていることを忘れて買ったか、必要なとき見あたらなくて再購入したもの。
Partnerの上野毛芸祭(11/2-3)のカフェかで自由に持って行ってもらうか。
10 14, 2007 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
デザイン学科の受験生の面接や志望動機などでもっとも頻繁に出てくるクリエイターの名が佐藤可士和だ。
多摩美出身でもある。
美大生の頃、彼は、「アートディレクターは自分の”作品”をメディアや企業の広告枠に当てはめるもの」と考えていた。
しかし、広告会社に入ってみてそうではないことに気づく。
「広告はコミュニケーションデザインを行う仕事だというのは、学生時代の授業でもさんざん言われていたことでした。ですが、仕事の現場を体験してはじめて、身体で理解することができたのです」
こうした経験のなかで、「自分の思いこみ」「自分のエゴ」は振り払い、対象自体のなかに問題・課題の本質と解決の方向性を持った「ビジョン」を見い出していく、さらに言えば「相手のなかに必ず答えはある」かつ「自分のなかにも必ず答えはある」方法論を身につけていくのだ。
キリン極生、国立新美術館、ユニクロなどの実例に則し、これらのプロセスを分かりやすく説いている。
デザインを学ぶ学生はぜひ読んでほしい。
私が日頃学生に言っていることととても重なるのだが、私自身は仕事場をはじめとする整理がなかなか行き届かない。
10 6, 2007 07.デザインの世界, 11.教育と学びのデザイン, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
1949(昭和24)年に出版(脱稿は被爆1年後の46年8月だが占領軍検閲で当初は出版差し止め)された『長崎の鐘』(永井隆)は、ベストセラーとなり、人気歌手、藤山一郎が歌う歌謡曲ともなって人々の記憶に残り、今に読み継がれている。
一方で、永井は戦前、浦上天主堂で洗礼を受けたクリスチャンだった。
浦上のカトリック信者たちが、天主堂崩壊後、爆死者たちの合同葬儀を行った際に、永井が読んだ弔辞が『長崎の鐘』に収録されている。
_____________________________
「…午前十一時二分、一発の原子爆弾はわが浦上に爆裂し、カトリック信者八千の霊魂は一瞬に天主の御手に召され、猛火は数時間にして東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。その日の深夜半天主堂は突然火を発して炎上しましたが、これとまったく時刻を同じうして大本営に於いては天皇陛下が終戦の聖断を下し給うたのでございます。
…
この日は聖母の被昇天の大祝日に当たっておりました。
…
投下時に雲と風とのため軍需工場を狙ったのが少し北方に偏って天主堂の正面に流れ落ちたのだという話をききました。もしもこれが事実であれば、米軍の飛行士は浦上を狙ったのではなく、神の摂理によって爆弾がこの地点にもち来らされたものと解釈されないこともありますまい。
…
世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれたのではないでしょうか?
…
互いに憎しみ互いに殺しあって喜んでいた此の大罪悪を終結し、平和を迎える為にはただ単に後悔するのみでなく、適当な犠牲を献げて神に詫びをせねばならないでしょう。これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神は未だこれを善しと容れ給わなかったのでありましょう。然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納め給い、人類の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたのであります。
…
主与え給い、主取り給う。主の御名は讃美せられよかし。
浦上が選ばれて燔祭(はんさい)に供えられたる事を感謝します。この尊い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝致します。
希わくば死せる人々の霊魂、天主の御哀憐によりて安らかに憩わんことを アーメン
_____________________________
浦上地域は16世紀のポルトガル宣教師による布教以来、「キリシタン」の里であり、江戸幕府の度重なる弾圧にさらされながら住民たちは「隠れキリシタン」として暮らした。これらの弾圧は「崩れ」と呼ばれ、幕末の「四番崩れ」では三千余名の全村総流罪にあい、帰村できたのは1973(明治6)年になってからだった。
幕府は旧長崎市街と北にある浦上地区との間に、一種の緩衝地帯として、いわゆる「被差別部落」を置き、キリシタン摘発に「部落民」を使ったという。
私には直接はわからないが、旧長崎市街の住民と、爆心地浦上の住民とには微妙な差異感が当時も引きずられていただろう。
「そりゃそうばってん、誰に会うてもこういういうですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪者だった。生き残った者は神様からの特別のお恵みをいただいたんだと」(『長崎の鐘』)と言われていたなかで、永井は、そうではない、原子爆弾が浦上に落ちたのは神の摂理、神の恵み、浦上は神に感謝をささげなければならない、としたのだ。
残された浦上のカトリック信者にとって、肉親、同胞の死を、無惨で無意味なものとして、あるいは天罰としてではなく、戦争を終結させ、世界に平和をもたらすための神の摂理であり、彼らは聖なるものに昇華した羔なのだ、という論理は、慰めや救いをもたらしただろうことは想像にかたくない。
しかし、この論理はカトリック信者のなかでは通じても、社会的政治的歴史的にとらえれば、きわめて重大な戦争責任の問題につながっている。
ひとつは、明白な「戦争犯罪」であるアメリカによる原爆投下の免責だ。
「広島、長崎への原爆投下がなければ、本土決戦となり、さらに100万(当初は5万の米兵と言っていたが後にだんだん数がふくれあがった)の命が失われただろう」というアメリカ政府と御用学者の宣伝(米国民の大半は今もこれを信じ込んでいる)に永井の言説は好都合だった。
だからこそ、被爆の悲惨さが記されていながら、占領軍GHQの検閲下(国防総省まで送られ、日本軍によるマニラでの残虐行為の記述を付加するという条件で)『長崎の鐘』は刊行を許された。
もうひとつは、昭和天皇の戦争責任の免責。
戦後アメリカは日本統治の上で天皇制を利用した方が得策と考え、象徴として残し、東京裁判でもこの戦争の最高責任者を起訴しなかった。
神が天啓を天皇に与え「御聖断」を下された、という永井の今からすればとんでもない詭弁は、アメリカと、「聖断神話」を維持したい天皇にとって、責任追及を封ずる願ってもない好ましいものだった。
昭和天皇が戦後初めて長崎を「巡幸」した際、永井はいわゆる「拝謁」を許されている。
さらに言えば、戦争に向かって行く中で、「宗教を超えた宗教」である国家神道に屈服、服従し、「銃後」体制を支えるように成り下がった(カトリック、プロテスタント、仏教、教派神道を問わず)宗教者としての戦争協力責任の糊塗であり免責でもある。
永井隆が献身的で真摯な医学者であり良き教師であり敬虔なクリスチャンであったことは疑いない。
しかし原爆投下について、戦争責任について、国家の側からではなく、民間の立場から、米日支配層に都合のいい納得感、気持ちの持ちようを大衆に広めたひとりであることもまた確かだ。
関連過去記事:
原爆しょうがないの本家
ナガサキの日に
参考文献:
高橋哲哉『国家と犠牲』(NHKブックス)
高橋哲哉『戦後責任論』(講談社学術文庫)
映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』
8 13, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
長崎被爆62年目。
長崎被爆時、長崎医科大学で物理療法に携わり、自身被爆し妻も家も失いながら、献身的な救護活動を続け、白血病で亡くなった永井隆(1908-51)『長崎の鐘』(アルバ文庫)を再読ー
「昭和二十年八月九日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい浦上は、その最後の朝を迎えたのである。
…
長崎医科大学は今日も八時からきちんと講義を始めた。国民義勇軍の命令の、かつ戦いかつ学ぶという方針のもとに、どの学級も研究室も病舍も、それぞれ専門の任務をもった医療救護隊に改編され、防空服に身を固め、救護材料を腰につけた職員、学徒が、講義に、研究に、治療に従事しているのだった」
そして午前十一時二分ー
「浦上の中心松山町の上空五百五十メートルの一点に一発のプルトニウム原子爆弾が爆裂し、秒速二千メートルの風圧に比すべき巨大なエネルギーは瞬時にして地上一切の物体を圧し潰し、粉砕し、吹き飛ばし、次いで爆心に発生した真空はこの一切を再び空中高く吸い上げ、投げ落としたのであり、九千度という高熱が一切を焼き焦がし、さらに灼熱の弾体破片は火の玉の雨と降ってたちまち一面の猛火を起こしたのである。推定三万の人が命を失い、十余万人が重軽の創傷を負い、さらに放射線による原子病患者は数限りなく発生せんとするのである」
「学生は? 清水先生は足もとへ眼を転じ、いきなり氷水をぶっかけられたかのように、全身が凍るのを感じた。この物体のようにころがされているのが私の学生なのか?
…
先生はまず足もとの黒変した肉体に飛びついた。”おい、おい”。返事がない。両肩に両手をかけて引き起こそうとしたら、皮がぺろりと水蜜桃のようにはげた。岡本君は死んでいた。その隣のが ”うーん”と呻いて反転した。”村山君、村山君、しっかりしろ” 先生はべろべろに皮のはげた学生を膝に抱いた。”先生、ああ、先生” そういったきり村山君ががくっとなった。
…
荒木君は南瓜のようにぶくぶくに膨れ上がり、ところどころ皮のはげた顔の中に、細い白い眼をみひらいて、”先生、やられました” と静かにいった。”もう駄目らしいです。お世話になりました”」
映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』
8 9, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
作家の小田実が7月30日亡くなった。享年75。
私の若い頃の人生にさまざまな刺激を与えてくれた人だった。
『何でも見てやろう』(1961)を中学生のころ繰り返し読んだ。
新聞やテレビで見るものではない世界がそこにはあった。
終戦のわずか前日、8月14日に経験した大阪大空襲で黒こげの死体と向き合い、後年「難死」と呼んだ無意味な死の意味を問い続けた。
米軍の猛烈な空爆下のベトナムの地で人々にどのようなことが起こっているか、ありありとイメージできたのだろう。
小田実、鶴見俊輔、開高健などによる「べ平連」=「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(後に「ベトナムに平和を!市民連合」)の呼びかけに、1965年4月、当時高校三年生だった私は友人をさそって清水谷公園に学校帰りに行き、賛同の署名、集会とデモに参加した。
熊のような体格で、しかし猫背で、ボソボソと話す、けれど反論するときは少し顔を上げてまっすぐ見つめ、諭すように自分の意見を言う人だった。
『何でも見てやろう』から私の好きな一節を引用して追悼。
ギリシャでのたぶん1959年か60年の話ー
バスで、あるいはバスも来ないような寒村へは徒歩で村につくと、私はすぐ喫茶店(カフイニオン)へ行った。
村人はたいていそこに集まっている。私は店内へ入る。みんなはいっせいに私を見る。…
なかでもとりわけ人なつっこく笑っている若者に向かって、私はニコニコしてやる。…
すぐさま、そいつが私のそばに来る。そしてギリシャ語で訊ねる。「どこから来ました?」
「どこから来たと思うか?」私もギリシャ語で答える。
とたんに、その若者の眼に喜悦の色が浮かぶ。彼はみんなに、「おい、この客人(クセノスーギリシャ語では「客人」と「外国人」とは同一語である)は、ギリシャ語が判るぞ!」とどなる。みんなはどっと私のまわりに集まって来る。
おまえはドイツ人だろう、イギリス人だろう、いやアメリカ人だろう。要するに外国人というものをろくすっぽ見たことがない連中ばかりだから、みんなはそんなすっとん狂なことを言った。
そのうち村のものしりがでてくる。この客人は髪の毛の黒いところを見ると、イタリア人かスペイン人であろう。オヒ、オヒ(ノー、ノー)、このかたはきっとアラビア人だ。このかたの眼を見なさるがよい、このかたの鋭い眼は、これは砂漠に生きる者の眼だ。
…ころあいを見はからって、私は真相を明かす。「日本(イアポニア)だ」。みんなは、一瞬、呆気にとられたように黙る。それから異口同音に叫び出す。
「イアポニア!イアポニア!」誰かが握手を求めに来る。おれの伯父さんの友人の息子が、朝鮮戦争のとき日本に行った。ぼくの兄貴の嫁さんの友人の夫が、日本製の魔法のようにちっちゃなラジオを持っている。すばらしい。すばらしい。
…私は質問の十字砲火を浴びる。
…これがひとわたりすんだところで、私は訊ねる。「ときに、この村には宿屋はないか?」彼らはかぶりをふる。あたりまえである。私は始めから宿屋のないような寒村ばかり選んで行ったのである。「それは困った。おれはもうくたくただから、ここで泊まりたいのだ」すると、四、五人が口々に「それじゃあ、おれのところに来いよ」と言い出す。その四、五人のうちで、失礼な話であるが、もっとも身なりのよいのを選んで、その人の家にころがりこむことになる。
正直にいって、彼らは貧しい。…しかし彼らは、その貧しさのなかから最上のものを私にあたえようとする。あるお百姓さんの老婆がお嫁入りのときに持参したというシーツにくるまりながら、私はあるとき、彼らの親切に真実泣いた。お手製のわが家で焼いたパン、牛乳、オレンジ、そして、おお、羊の肉と酒さえが、私の食卓にはあった。…
8 1, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代選書)よりー
「海辺の砂浜を歩くと足元に無数の、生物と無生物が散在していることを知る。…ふと気がつくと、その隣には、小石とほとんど同じ色使いの小さな貝殻がある。そこにはすでに生命は失われているけれど、私たちは確実にそれが生命の営みによってもたらされたものであることを見る。小さな貝殻に、小石とは決定的に違う一体何を私たちはみているというのだろうか。
『生命とは自己複製するシステムである』
生命の根幹をなす遺伝子の本体、DNA分子の発見とその構造の解明は、生命をそう定義づけた。
貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、『複製』とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。
動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの基準(クライテリア)がある」
写真は由比ガ浜で。
7 25, 2007 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代選書)に、自然界のなかでの生命とはどのようなものなのか、についての素晴らしい比喩の記述部分がある。
要旨ー
遠浅の海辺に作られた砂の城。
ときに波が砂粒を奪い、風は乾いた砂を削る。
しかし時間が経過しても城は姿を変えない。いや変えていないように見える。
目に見えない小さな海の精霊たちが、削られた壁に新しい砂を積み、穴を埋め、崩れた場所を直しているのだ。
それだけではない。海の精霊たちは、波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を行っている(秩序は守られるために絶え間なく壊されなくてはならない)。
しかし重要なことは、今この城の内部には数日前、同じ城を形作っていた砂粒はたった一つとして留まってはいないということだ。砂粒はすっかり入れ替わっている。そして砂粒の流れは動き続けている。
にもかかわらず砂の城は確かに存在している。
実体としてではなく、流れが作り出した「効果」としてそこにあるように見えているだけの動的な何かなのだ。
砂粒を、自然界を大循環する水素、炭素、酸素、窒素などの主要元素、海の精霊を、生体反応をつかさどる酵素や基質に置き換えると、砂の城は生命というもののありようを正確に記述していることになる。
生命とは要素が集合してできた構成物などではなく、「動的平衡(Dynamic Equilibrium)にある流れ」なのだ。
近代西欧の哲学や諸科学の機械論的生命観から、こうしたまったく新しい生命観への路はまだわずか70年ほど前から始まったにすぎない。
20世紀の分子生物学が切り拓いてきた地平と最新の知見にとどまらず、社会、組織、プロジェクトやネットワーク、コミュニケーションについてもさまざまな示唆を与えてくれる実に刺激的な、そしてなにより「生命」の神秘に対する敬虔な探求の念に満ちあふれた書。
7 24, 2007 14.読書三昧, 18.花・木・野菜・生きものたち | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
本は大切に扱えと幼少時にしつけられたので、ていねいにはしてきている。
若い頃はカバーにパラフィン紙をきっちりかぶせたり、何度も読み返すであろう岩波文庫にはドイツ製の半透明カバーを貼ったりした(当時岩波文庫にカバーはなくパラフィン紙がかけられていた)。
今はもうこういうことはしていないが、本を扱う上でのひとつ癖がある。
ノドまでじゅうぶんに開けないとどうも気が落ち着かないのだ。
購入した本はまず真ん中あたりで210度くらいに開く。後ろの方、前の方も同じようにし、それから読み始める。読んでいる最中も何度もそうする。
斎藤美奈子『それってどうなの主義』(白水社)でもそうしていたのだが、読んでいるうちにどんどん製本が崩れ、糸かがりなのでかろうじて折りどうしはつながっているが背と大部分の中味がはがれてしまった。
糊の古びた古本や無線綴じではよくあるが、これは今年出た本。
まあ、ばらばらになっても今はもうさして気にならない。
7 11, 2007 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
長旅に重い本はもちろん持って行きたくない。
しかし昨秋翻訳が出た『西欧言語の歴史』(アンリエット・ヴァルテール/平野和彦訳/藤原書店)だけは600ページほどの大著なのだがずっと持ち歩いた。
「西欧」と邦題につけられているが原タイトルは "L'aventure des Langues en Occitent" であり、扱っている言語も狭い意味での西ヨーロッパではなくヨーロッパ全体にわたる。
今回の旅行はヴァチカン市国も含めれば西欧・南欧・中欧・北アフリカ14ヶ国にわたり言語もさまざまだ。
あちこち移動するたびに、そこで話されている言語についての章を読んでいた。
日本人はフランスはフランス語、イタリアはイタリア語、ドイツはドイツ語などと無意識にのっぺり「国」と結びつけてしまうが、いうまでもなく現在の政治的国境範囲と人々に使われている言語は一致しないし、「国語」などという日本的なイデオロギーは存在しない。そんな単純に考えていたらスイスはスイス語、オーストリアはオーストリア語などというおかしなことになってしまう。
それぞれの国の公の議会や役所や文書で使用される「公用語」ということにしても、例えばベルギーではオランダ語、フランス語、ドイツ語と3つあり、ルクセンブルクの公用語はフランス語とルクセンブルク語の2つだが、多くの国民はドイツ語を日常的に話している。スペインのカタルーニャ語、バスク語、英国のウェールズ語のように「地方公用語」というものもある。
ヴァルテールはそのような区分からではなく、7000年の昔、黒海の深奥から移動を始めた騎馬民族が数千年をかけて大草原から大西洋、地中海にいたるヨーロッパ全土に移動し、先住者たちとの接触のなかでいかに多様な分岐を生み出してきたか、そしてそれにもかかわらず「インド・ヨーロッパ(印欧)語」という共通の起源を持つものであること(例外としてハンガリー語はウラル語族、バスク語は印欧語ではないことは明確だが起源は不明)、スラブ系(ロシア語、ポーランド語等)・ゲルマン系(英語、ドイツ語、オランダ語等)・ラテン系(フランス語、スペイン語、イタリア語等)とまったく違うようにみえても互いに影響しあって現在の言語状況があること、ある地域地方の言語にすぎなかったものが近代史のなかでどのように特権的な地位を占めるようになったのか等々を実にわかりやすく説く。
写真はスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステラの宿、Hotel "Reyes Catolicos"(カトリック両王のホテル)内サロンの見事な木彫り丸テーブルで。
1499年巡礼者のための宿泊施設兼病院として建てられたものが現在パラドール(スペイン国営の宿泊施設)となっている。
3 15, 2007 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
私の一番大きな「根っこ」は「職人」だ。
大学を中退した後、印刷物を作る世界に入った。
モノクロの印刷物を作る技能を仕事としてやりながら習得し、次はカラーの印刷物を作ることに挑戦しようと決め、ツテをたどり熟練職人ばかりほんの十数名ほどでやっている写真製版の小さな町工場に「弟子入り」した。70年代前半のことだから戦前の徒弟修業とはむろん違うが心構えとしては同じ。
「レタッチ」と呼ばれるカラーの印刷物を作る上で一番トータルに品質から仕上げまで司る職種。
一人前になるには最低5年から7〜8年と言われたが、私は3年でやると決めていた。
料理人の世界でいう「追いまわし」(先輩職人たちにさまざま言いつけられる雑用に追いまわされるさまから)と同じようなところから始め、別の「根っこ」である「研究的方法」は曲がりなりにも大学時代身につけていたので、色彩理論や製版印刷技術、印刷の歴史等については色々な本やメーカーのパンフレットなどを読み独学した。
一方で、職人の知恵や工場労働の技能と技術革新によるその変化に関することもずっと関心を持ってきた。
で、小関智弘さんが1975年に著した『粋な旋盤工』以降の著作はすべて共感とともに今まで読んできている。
『職人ことばの「技と粋」』(小関智弘・東京書籍)は小関さんの50年にわたる旋盤工としての経験や、さまざまな熟練職人たちの話を聞いたり関連した本を読んだりした中から選りすぐった「職人ことば」にひっかけての職人の叡智集大成。
私の経験も含めて若い世代にいっぱい伝えたい。
なにからいこうか。
上に「追いまわし」に触れたのでまずはそれに関連して。
帝国ホテルの料理長として名高かった故村上信夫さんは「追いまわし」時代、先輩が調理を終えた鍋や、客が食べ終えた皿を洗う前に、鍋や皿にこびりついたソースや汁を指でこそいでは舐め、その味の作り方を舌で憶えたものだという。
皿洗い鍋洗いひとつ、単なる「雑用労働」で終わらせるか、志を持って「修業」にするかが後の人生を変える。
10 19, 2006 11.教育と学びのデザイン, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
以前、飼っていた愛犬の首輪が外れ、行方がわからなくなったことがある。
放していると谷戸の尾根筋に遊びに行き反対側に降りていったりしていたので、2日ほど探したのだが見あたらない。3日目に平塚の動物保護センターにそれらしい犬が収容されていることがようやくわかり引き取りにいった。
今は期限が8日間になっているらしいが、この頃は収容5日間で「殺処分」にされた。
犬はここに連れてこられると本能的に「死」を予感するらしく、檻(「抑留室」)に雑多に放り込まれた犬たちは助けを求める絶望的な眼をしており、私の小柄な犬はそのなかでひときわおびえきって隅でうずくまり震えていた。このとき「ご主人」を認めて弱々しく立ち上がった姿と輝いた眼差しを私はおそらく生涯忘れない。
日本の犬猫は推計1700万匹。
「ペットブーム」「ペット産業」はますます隆盛だが、一方で、年間40万匹にものぼる見捨てられた犬猫が「ドリームボックス」と呼ばれる(!)「殺処分」装置で毎日殺されていく。
『ドリームボックス-殺されていくペットたち』(小林照幸・毎日新聞社)は、動物愛護センターに勤務する公務員獣医師の眼を通して、あまり知られていない動物愛護(保護)センターの業務と、そしてなにより「可愛い!」と衝動買いし「飽きたから」「言うことをきかないから」「世話が大変だから」捨てる「おもちゃ感覚」で犬猫に接する人間たちの身勝手さを淡々とドキュメンタリーのように記した小説。
写真右ページ:「ドリームボックス」に通じる「自動追い込み通路」
写真左ページ:「プッシュ」と呼ぶ壁が動き「期限」のきた犬たちはドリームボックスに押し込まれていく。
密閉されたボックスに炭酸ガス(二酸化炭素)が注入され、犬たちの感覚は麻痺し死にいたる。
動物愛護管理法第二十七条より
犬や猫などの愛護動物を遺棄した者は、三十万円以下の罰金に処する。愛護動物をみだりに殺し、または傷つけた者は、百万円以下の罰金に処する。
10 6, 2006 14.読書三昧, 24.犬と暮らす | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
絵・アニサ・13さい・アフガニスタン・カブール
「いったいどんな経験をすれば、子どもたちは黒いクレヨンで太陽をかくようになるのでしょうか?」(『あの日のことを かきました』(エクトル・シエラ / 講談社)。
大英帝国の植民地からアメリカが独立したのは、今からわずか230年前の1776年。大西洋岸のメインからジョージアまで13州の弱小国家として出発した。
日本では江戸後期十代家治の安永5年。当時日本の人口はおよそ3000万。
アメリカは1790年に国勢調査を行ったが人口は僅か400万(うち80万がアフリカ系)。ただし300万と推定される先住民(ネイティブ・アメリカン)は入っていない。
次の世紀を通じて西部を「開拓」し、メキシコに戦争をしかけてテキサスなどを獲得し、フロンティアが消滅するとハワイを呑み込み、スペインからフィリピンを奪い取る。
そして今「大米帝国」といっていい最強国家として世界に君臨する。
若い頃から猿谷要氏のさまざまな著作や翻訳でアメリカのことを学んできた。
ややオプティミスティックなリベラリズムに私は批判的ではあったがこの近著『アメリカよ、美しく年をとれ』(岩波新書)は、読んでいて何度も涙した。
戦時中、飛行教官で赴任していた北海道西春別(現別海町)で見たグラマン機の「少なくとも鬼畜ではない」初々しさが残っているほどの少年パイロットの顔のアメリカとの出会いに始まり、「西洋史」はギリシャ・ローマと英独仏が中心で「アメリカ」など影も形もなく独学した大学時代。その後のアメリカ各地での学びや旅と人々との交流を描いた心象風景。
何度にもわたる脊椎圧迫骨折の苦痛のなかで書かれた。
なによりも、自分がより知ろうと志し、訪れ、学び、人々とつきあってきた「若く」「民主的」で「親しみやすい」国であるはずだったアメリカが、世界中の人々から嫌われ、今無惨な「老醜」をさらそうとしていることへの悲痛な忍びなさが行間に溢れている。
帯の文言ー
「愛する国の老醜は見たくない」「軍事力より文化力を」
AMERICA, Age with Grace and Dignity.(私訳ーアメリカよ、品位と尊厳とともに年をとれ)
私も今日ひとつ歳を重ねる。
Age with Grace and Dignityでありたい。
9 12, 2006 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
ロバート・キャパ(1913-54)はスペイン内戦、第二次世界大戦、インドシナ戦争とずっと戦場を撮り続けたが、同時にそのなかにある子どもたちの姿をたくさん撮った。
『ロバート・キャパ写真集「戦争・平和・子どもたち」』
弟のコーネル・キャパは述べる。「ここにあるのは、つまるところ、ボブ・キャパが密かに愛した家族、世界中に散らばっている彼の子どもたちのアルバムなのである。これらの写真のなかに私が見るのは、私たちの両親が子どものころの彼にそそいだ愛情、そして、私たちの母親ユリアが彼の生きている間じゅう惜しみなく彼に与えつづけた愛情が生み出した、利益配当金である。ここに見えてくるのは、それほどまでにたっぷりとそそがれた愛情や賞賛を、再投資し、こんどは自分がやさしく全世界の子どもたちに移しそそいでいるボブの姿である。」
上)1938年・西安。前年日本軍は盧溝橋事件を起こし本格的な中国侵略を押し進め、南京も占領していた。
中)1939年・バルセロナ。ファシスト・フランコ軍が迫る。市外へ避難するための車を待つ少女。
下)1944年・パリ。ナチスドイツからの解放を祝って。
8 17, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『コレカラ カマクラ物語。』(黛まどか╱俳句・文 原田寛╱写真 冬花社)は、山下達郎、サザン、ユーミンを聴きながらルート134を走りウィンドサーフィンしていたという根っからの湘南ガールだった、そして作句に行き詰まると鎌倉を訪れるという俳人・黛まどかさんのエッセイ、句と、鎌倉の風景の撮影をライフワークとしている写真家・原田寛さんの写真が見開きに配されたとても気持ちがいいコラボレートフォトエッセイ本。
原田さんは「これまで先達たちが鎌倉の写真をたくさん撮ってきましたが、同じお寺の風景でも、僕は<今>を切り取ろうとしてきました」と語り、黛さんは「器は俳句という古いものを借りていますが、その中で、私も今の時代、新しさを詠んでいきたい」と言う。
で、このタイトル。
見習いたい。
1 11, 2006 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
さてこれはどういうことなのか?
寺山修司の長編初小説『あゝ、荒野』は1965年から雑誌『現代の眼』(現代評論社)に連載。翌66年同社から単行本刊行。93年河出書房新社から文庫本刊行。
今回は森山大道が同時代の新宿の写真二百数十枚を付けたPARCO出版によるもの(発行人:伊東勇、発行所:株式会社パルコ エンタテインメント事業局 出版担当)。
渋谷まで出かけて「あゝ、荒野展」(PARCOPart1 ロゴスギャラリー)で「先行販売」を購入。
ところが平積みされている前になにやら小さな「誤標記のお詫び」がある。
今回の本はいわば、文:寺山修司、写真:森山大道だから「あとがき」がそれぞれの分二つある。
そのタイトルページを入れ違えているというのだ。
「あとがき 寺山修司」とタイトルされている左ページを見てめくると「亡き寺山修司さんと、いま一度ご一緒に仕事ができるとは思ってもいなかった。」という森山大道のページになっている。
写真のような「あとがき誤標記のお詫び」という小さな紙切れが後書きの手前のページにはさみこまれていた(言っておくが見返しにではない)。
現在刷り直しており、訂正版は12月10日以降に入荷する、という小さな表示もある。しかし誤標記版を買った人に無償交換するかどうか等の表示も販売員の説明も一切なかった。
問題なく納品されて当たり前が印刷出版物の宿命であることも、逆にミス間違いはいつでも起こりうることも私は経験で知っている。私が理解できないのは、そして密かに怒っているのは、この小さな「誤標記のお詫び」が出版元のPARCO出版名義ではなく印刷会社名義になっていることだ。
直接には印刷会社のデータ面付け上のミスだったのかもしれない。しかしこの説明不足では定かでない。
また、たとえそうであったとしても読者に対する最終的な責任は出版元が負うものではないのか?
12 4, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
※漁師が使う発泡スチロールのブイがはずれて海面を漂い、フジツボが付着してできたまさに「生き残るための必然」から生まれた「作品」(同書P.131より)
これだけ魅力的な色々なものが打ち上がるのだから、ビーチコーミングはさまざまな楽しみ方ができる。
まずは収集・コレクションという人間の性癖を刺激させずにはおかない。
どんなものに興味を抱くかは人によって千差万別。なんでも派もいれば、ある種類に特化するディープでマニアックな人もいる。エリアを特定している人もいれば広く渉猟する人もいる。
しかも、店やネットオークションで「商品」として買うわけではない。海と浜辺という自然を相手に自分の足で歩き回って「拾う」ことが前提なのだ。
この本では、海と打ち上げのメカニズムの理解のための基本的な知識・考察も丁寧に記されている。
黒潮という「海流」と太陽や月の引力による「潮流」「潮汐」、季節風や台風の働き、同じ比重のものが寄る法則等々。
一方で浜辺の漂着物はアート・造形心を呼び起こす。
貝や流木を自然が作り出した美そのままとして飾ってもいいし、それらの素材をもとに加工・造形してアートオブジェやちょっとした実用品を作ることもできる。
打ち上げ物は観察し調べるほどたくさんのことにつながっていることが分かる。
動植物だったらもちろん生物学や分類学、生態学、生物相研究や生物地理学、しかも現在だけではない、古生物学、博物学の世界にも。
海洋学、地質学も関係してくる。
人工物からは、歴史・考古学から民俗学まであらゆる知見が必要となるだろう。
これらの知的世界に分け入ることもできる。
別の言い方をすれば「ビーチコーミング学」は、これまでの学問分野の枠組み(縄張り)などが何のためにどのように近代になって作られ、21世紀に本当に有効なのかを根本的に問いかえすほどの可能性を持っていると、大げさなようだが私はこの本を通して感じた。
10 13, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
残りは人工的なものたち。
ビーチグラスと呼ばれるガラスの破片。薬品用ガラス瓶、コーラ、ビール等の瓶ガラスの破片が波にもまれ砂に削られなにか宝飾品のようになっている(写真左)。
プラスティックは自然には分解されない。時代を越えたおもちゃたちがいったん砂に埋もれてから姿を現す。
ロマンティックなのかどうか今いちわからないが、ボトル(最近はペットボトルが多い)に詰められたメッセージボトル。東南アジアの文字も混じる。無人島から助けを求める、というのはさすがにないだろうが。
正月の飾り物を焼く「どんど焼き」の陶エビ。だんだん摩耗して自然に還っていく写真には感動する。
ハングルや中国語が記されたペットボトルや缶、容器。
と、思うと一気に1600年前にさかのぼった大陸からの古銭(といったら随の時代か)。南宋、元、明代の船が由比ガ浜沖で沈んで投げ出されたかもしれない貨幣。
昭和初期までのものだろう電線絶縁用碍子や今は使われなくなった素焼きの蛸壺や漁労具。
宋代の青磁、白磁などを含む陶器・磁器の破片(写真右)。
それぞれにどのような歴史と人々の人生が関わっていたか想像するだけで楽しい。
10 12, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
紹介されている漂着物の多様さに眼をみはる。
まず自然のものー
代表的なのは貝。鎌倉・逗子の海浜だけで600種も認められている。同一種でも色合い模様や摩耗具合は異なる。すでに絶滅したものや、レッドゾーンにあるもの(たとえばハマグリは1974年以来相模湾では生きた個体が見つかっていない)、縄文以前のものはおろか、1600万年前(!)のすでに石と一体となっている化石貝…。
ウミガメ、黒潮の旅人ウミヘビ、沖縄の方で異常発生して北上し低温下で死んだハリセンボン、ウニ、ヒトデ、タツノオトシゴ、漁港で不用なため捨てられた深海生物、タンカーなどが出港地でバラスタンクに取り入れた海水に混ざって来て繁殖した「外来」の貝…。
椰子の実をはじめさまざまな実や種。海からではなく山と森から川を流れ打ち上げられたクルミ、多種多様な海藻。そのままアートオブジェになるような流木…。
牛、猫、犬などの骨の一部、鎌倉近辺では馬の歯が多い。古戦場の名残か、海に家畜を葬っていたのかもしれない。
貝が石の中に棲むために殻を震動させて無数の孔が穿たれた石笛。鹿児島や南硫黄島、伊豆諸島などの噴火によって生成された軽石。「子産石(こうみいし)」と呼び習わされ、古代祭祀にも使われただろう球体をした不思議な化石石。
太古からの海の営みの一端を日々見せてくれる浜辺ギャラリー。
10 12, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『ビーチコーミング学』(池田等著・東京書籍)が実に楽しくおもしろい。
ビーチコーミングは海岸に流れ着くさまざまなものを拾い集め観察し考え作り楽しむ、というもので愛好者が増えている。
「comb」は「櫛」「櫛でとかす」だが「隈無く探す・綿密にチェックする」という意味もある。ただ「beachcomber」となると「(売るために浜で難破船などからの)漂流物を拾う人」だとか「(特に南太平洋諸島の)浜で漂流物を拾って暮らすよそ者の浮浪者」(ランダムハウス英和大辞典)などとあって現代のビーチコーマーたちは苦笑するだろう。
著者の池田等さんは海洋生物学者で葉山しおさい博物館館長。湘南・三浦の海のビーチコーミング歴40年を越す。
楽しい写真とイラストは『湘南ちゃぶ台ライフ』の広田行正・広田千悦子さん。
浜辺には実にいろいろなものが打ち上げられる。
1898(明治31)年に柳田國男は伊良湖岬滞在中、浜辺に漂着した椰子の実を見つけて感動し、島崎藤村に話したところ、藤村は「君、その話を僕に呉れ給へよ、誰にも云はずに呉れ給へ」とネタを譲り受け、
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月
と歌った。フィリピンから沖縄を経、太平洋側を北上し、房総沖で北からの親潮とぶつかって東へ蛇行していく黒潮の最後の支流が流れ込む相模湾(真鶴半島と三浦半島先端の城ヶ島を結ぶラインの陸側の海)にも椰子の実はたどり着く。
10 11, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
千住の「おばけ煙突」。見る角度によって1〜4本に見えた。
銀座尾張町(現銀座4丁目)。左が服部時計店、現和光。
南千住のトンネル長屋。
小松崎茂(1915-2001)という挿絵画家の絵は私たちの年代が子どものころ、まだTVがない時代、山川惣二の絵(『少年ケニア』)と並んで大きな楽しみのひとつだった。それは絵物語だったり軍事ものだったり「空想科学」ものだったりさまざまだったが精緻な描写に感嘆しイマジネーションの世界に遊んだ。
『小松崎茂 昭和の東京』(ちくま文庫・根本圭助編)は、昭和11(1936)年、小松崎21歳、挿絵界の花形画家・小林秀恒に師事していた駆け出し時代に、師のための資料としてスケッチしたものを収録している。
「浅草の研究」「隅田川の研究」「銀座・京橋」「銀座裏」「数寄屋橋」「丸の内」。
B5の和紙に筆で描きそれぞれ冊子にして秀恒に届けた。
描いていた1936(昭和11)年。
すでに31年の柳条湖事件で中国侵略は本格化し「満州国」が「建国」されている。
国内では「治安維持法」が施行され「非常時」ということばが流行していた。
2.26事件の年でもある。「国策の基準」として「大陸における地歩の確保、南方への進出、軍備充実」が決定された。
しかし、庶民はまだ浅草六区の演芸映画を楽しみ、隅田川に遊び、銀座のカフェに集っていた。
当時の風景、風情を鮮やかに写し出すスケッチの数々と歴史とが交錯し興趣つきない。
10 2, 2005 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
新刊書店業界が苦しんでいるのに比べると古本屋の方はさまざまなニューウェイブも出てきて元気なようだ。古本のオンラインショッピングが飛躍的に拡大したことで販売・流通の可能性が拡がり、老舗の二代目、三代目も旧態依然のやり方を改革し始めたこと。また個性的な品揃えや斬新な店構えや意外なロケーションや古本販売以外のプロデュースなどが「トレンディ」(死語か?)として取り上げられたりしている。
先日書いた古本をめぐる「勝負」(『古本買い十八番勝負』)に続いて(といってもこちらの方が発行は少し早いが)今度は「道場」(『古本道場』角田光代・岡崎武志╱ポプラ社)。
『対岸の彼女』(直木賞)『まどろむ夜のUFO』(野間文芸新人賞)などの作家・角田光代が、『古本病のかかり方』『古本でお散歩』『古本生活読本』など古本と古本屋に造詣が深い岡崎武志道場主の指南のもと古本道にわけいるという趣向。
児童書を中心とする出版社ポプラ社のウェブマガジン企画として04年4月から05年3月まで掲載されたものがもとだ。
ウェブマガジンのこういう記事の集積から書籍へという流れは、ブログ記事を出版するのに比べてとても自然な感じがする。
ブログの場合、紙に印刷され本になったたとたんに何かライブ感、共時感が失われ、またモニターで読んでいた文章から受けるリズムとの違和を生じさせてしまう。
それはともかく、まずは古本道心得、同感。若い人に知ってほしい。
●其の一 わたしはわたしの風邪をひく
他人や古書業界のではなく、あくまで自分自身の価値基準を第一に置くべし。
●其の二 古本屋と新刊書店は別業種
おんなじ本屋じゃん?ー違う。新刊書店に置かれている本はほとんどが売れなければ返品可能な委託品。対するに古本屋の本はすべて身銭を切って仕入れた店主の所有物。扱いのマナーに気を付けよ。
●其の三 買いたいと思ったときに本はなし
いずれ、後で、で後悔したことは私も数え切れない。
●其の四 古本ファッション
これもマナー。濡れ傘、大きな硬いバッグなど本を傷めるおそれのあるものは持ち込まない。
●其の五 万札は避けよ、小銭を用意
コンビニ、ファミレスならいいだろう。街の古本屋で100円の古本に万札を出したりするな。売る側、買う側の本来のコミュニケーション、気遣いのあり方の問題。
さて、道場主が古本道初心者・角田光代に与える試練の指令が以下。
1. まずは王道の神保町で、子ども時代に愛読した本を探せ!
2. 古本屋の未来形、代官山、渋谷で本の見せ方を学べ!
3. まさかの東京駅・銀座で古本屋を味わい尽くせ!
4. 早稲田古本街で青春時代の本を探せ!
5. オシャレな町・青山と日本随一の高級住宅地・田園調布で昭和初年の本を探せ!
6. いま一番元気のいい西荻窪で均一棚を狙え!
7. ちょっと遠出した鎌倉で、地元作家の本を探せ!
指令にはそれぞれ現在の古本屋と古本を探す上でのさまざまなノウハウ、コツを習得し、またその街の人々の歴史と生活にいかに結びついているかを発見する狙いが隠され、角田光代もよく応える。
角田のレポートと岡崎の講評というスタイルも楽しい。
昭和初期の文学本の雰囲気を感じさせる表紙のタイトル文字や写真の扱いがいいな、と思って装幀者の名前を見たら、私のところの卒業生のセキユリヲだった。なかなかうれしい。
7 21, 2005 07.デザインの世界, 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
育ったところが東大本郷キャンパス前の古本屋の並びの近くだったし、神保町もたいした距離ではなかったから小学生の頃から古本屋には親しんでいた。もちろん単に安いということもあるが、新刊本屋にはない品揃えの未知の本の世界が面白かった。古本屋めぐりはその後永らく私の趣味というか通りがかって古本屋があればとにかく入って一渡りは見るという習性となった。
紀伊国屋がオンラインショッピングを始め、アマゾンその他が続き、古本サイトも充実してきた90年代後半から、本はもっぱらネットで購入するようになり、古本屋をのぞく習慣から遠ざかっていたが、この本は久しぶりに以前の楽しみを想い起こさせ刺激する。
なぜ「勝負」などとタイトルされているかというと、これはもともと『小説すばる』の連載企画で、嵐山光三郎氏を中心とした5名ほどの仲間たち(ときどきゲストも加わる)が18カ所の古本屋街をめぐって一日買い漁り(1回で18キロぐらいになったりするが近頃ではコンビニで自宅宛に宅配すればいいのだ)、互いの目利き度を競うという趣向だからだ。場所は世界一の古書店街「隠れた世界遺産」である神保町界隈はもちろん、銀座、青山、上野、高田馬場、高円寺、吉祥寺などなど18カ所にわたり私が馴染んだ古本屋もたくさん登場して懐かしい。
稀覯本とか初版、著者サイン入り限定本とか、本を骨董品として収集するようなことはこの人たちはしない。いずれも雑誌・出版の企画・編集の手練れたちだから目の付け所が実にいい。見つけ出す本の数々の面白そうなこと。一店につき15分と決めてはいるのだが、装丁、目次、書き出しから組版、奥付までどうしても確かめてしまうから長引く、というところは激しくうなずいてしまう。
古本買い散歩は「これぞ、活字愛好者がいくつくはての、最終の快楽的な散歩である」。
7 18, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『僕の見た「大日本帝国」』(西牟田靖・情報センター出版局)という思わせぶりに400ページも費やしながら、猛烈に無内容な本を読んで苛つく。最後にまとめるかと思えば、靖国神社の本殿に参拝し、狛犬にサハリンで見た狛犬を想い出して「高揚感」に包まれるなどという有様。
行ってみればいいってもんじゃないよ。そりゃ帰国するたびに図書館で現地の当時の状況などを調べたかもしれない。しかしそれらが少しも「歴史認識」「歴史観」として思想の深化がはかられない。
だいたい「教わらなかった歴史と出会う旅」などというサブタイトル(おそらく編集者が提案したのだろうが)を高校生じゃあるまいし三十代の「物書き」が受け入れるなんて恥ずかしくないか。
正しく言うなら「学ぼうとしなかった歴史」だろうが。
彼が見てまわった「大日本帝国」の領土(統治領、傀儡国家「満州」、占領地、各種権益などを含む)を日清、日露戦争以来「獲得」するために戦死した皇軍兵士(あくまで軍人・軍属)を「顕彰(けんしょう)」(隠蔽のために普通言われる「追悼」では断じてない)し、次の戦争につつがなく兵士を補充するための鼓舞装置である靖国神社について、わずか238ページで実に簡潔・明晰かつ歴史的・論理的に分析した『靖国問題』(高橋哲哉・ちくま新書)を読んで口直し。
6 16, 2005 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
マコト健在。もちろん氷のようにクールの極致のGボーイズの王様もサルも吉岡刑事も、そして調子のはずれたたお袋さんも。
スーフリをもっと悪質にしたような学生崩れ風俗スカウトを叩きのめし、土地詐欺を駆け抜けるミュージシャンに脱帽、スウェットショップを背景にする日本企業を中国娘と追いつめ、集団自殺をネットを通じてプロデュースする暗部をうんざりしながらえぐり出す。
今回は、中国の過酷な低賃金労働を背景にした超人気人形製造企業をGガールズがコケにする「死に至る玩具」が秀逸。
ホルストの「惑星」はともかく、マコトがアルバン・ベルクの「ヴォツェック」を聴いているのがなんともいえない。
高校生の頃、徹夜して並んでベルリンドイツオペラの「ヴォツェック」の券を買って舞台を観たことを想い出す。
4 13, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)

ピンで留められたメモ—「いい波なので海にいます」
春の野草たち、土筆、ノビル、アシタバ…、山の新緑、夏の蛍、秋の柿、枇杷…。
そして一年中さまざまな表情を見せて拡がる海。
三浦半島西側の秋谷は自然と心地よい風と気持ちいい隣人たちがいっぱいだ。
海沿いの谷戸(やと)の古家に移り住んだ夫婦(後に自宅で出産もする)が、ゆったりと心豊かな生活を綴る。
絵と文は広田千悦子さん。写真は南の島や水、海、懐かしい風景にいる子どもたちなどをテーマとしている写真家の広田行正さん。湘南の風や空気感の表現がすばらしい。セピア色の写真の中の子どもは昔の自分ではないかとふっと思わせる。
『湘南ちゃぶ台ライフ』(阪急コミュニケーションズ)
広田さんのHP-Peace Blue
お二人のライフスタイルコラム
その後ブログも始められている。
「湘南ちゃぶ台ライフ」日記
3 16, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(3) | トラックバック(0)

やたらと絶賛されているようだが、私にはおもしろくなかった。
村上龍の小説に村上春樹の登場人物が配されたような、とか言って褒めている人がいたが、龍の竜頭蛇尾に春樹の優柔不断が組み合わさったようなというべきではないか。
だいたい主人公が「戦時拠点偵察業務従事者」に唯々諾々となるところが分からない。だから後半の彼の葛藤は「コップの中の嵐」にしか見えないのだ。
「私たちが本当に戦争を否定できるかを問う衝撃作」とか「新しい戦争のリアルがここにある」などとオビにあるが、そんな風には読めない。
「戦争のリアリティ」は「戦闘のリアリティ」の問題ではない。戦争をできるようにする仕組みと何もしないことによって戦争・戦時体制が作られ従っていく普通の人々の心理と行動についてのリアリティが問題なのだ。だからこの小説の設定の前段階のリアリティこそが描かれねばならない。
この小説のイマジネーションより現実の「有事体制」の動きの方が進んでいる。
3 13, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
『みんなのなやみ』(重松清╱よりみちパン!セ╱理論社)を読んでいたら「順接」「逆接」ということばが出てきた。中学校あたりで習った懐かしい文法用語だ。
この『みんなのなやみ』は、理論社のホームページの「10代の悩み相談室」のコーナーにメールで寄せられた質問・相談に作家の重松清が答えたものをまとめたもので2月には続刊も出る。
重松清の著作は50冊ほどほとんどすべて読んできたが、10代の悩みにこれだけ真摯に向き合い、悩みを安直に消し去ったり、解決したりする「答え」を出すのではなく、「それでいいんだよ」「でもこうも考えられるんじゃないか」と悩みに沿って一緒に考え、「ポンと肩を軽く押してくれる」ように相談に乗ってくれる適任の人は他にはそうそういない。
で、「順接」と「逆接」だ。
「今日は雨だ。だから、外では遊べない」—これが順接
「今日は雨だ。でも、外で遊びたい」—これが逆接
順接は順当な理由、原因の論理であり、逆接は矛盾、対立を内包する。
おとなの社会の発想と論理は基本的に順接だ。いわゆる「常識」であり、支配的な体制の論理でもある。ついでながら「常識」が正しかったためしは歴史的にみてない。だから「哲学」は「常識」を疑うところから始まる。
「いい学校に入れないと将来苦労する。だから、一所懸命に勉強しなさい」
正しいように思える。しかし親や先生がそう言っているからとそれを丸飲みして受け入れていいのか。
青春とは「逆接の時代」だ。「でも」のない青春ってツルンとして寂しいよ。「でも」のストックがないままおとなになってしまうと、上から与えられた順接をすぐに鵜呑みにしてしまう。一度は「でも」と疑う「批評」「批判」精神を持つべきだと重松は言う。
しかし逆接にはパワーと覚悟がいる。AだからBの「一所懸命に勉強しなさい」のところだけに反発していたら、それは単なる感情的な反発や駄々をこねているだけに終わる。
重松は二つの方法を提案する。
「AだからB」のAの部分—「いい学校に入れないと将来苦労する」に踏み込んでみること。たとえば「いい学校とは何か」「偏差値が高い学校がいい学校か」「苦労するとはどういう意味か。お金が稼げないことが苦労か」…。
おとなが子どもの口答えを嫌うのは、自分が無自覚に受け入れ鵜呑みにしている「常識」が揺るがせられるのが怖いせいなのだ。
もうひとつは、「AだからB」をひっくり返す「でも」に続く「C」を鍛えること。
たとえば「でも、勉強よりも大切なものが私にはあるんだ」「私は勉強よりも体を動かすほうが好きなんだ」
そこから「AだからB、でもC、だからD」まで行けばそれは強い。ただの否定ではなく前に進んでいるんだから。
「香織さん、きみはぜんぜん間違ってない。いまのきみの苦しさは、自分自身にとっての夢や希望と現実との関係を安易な”だから”に頼らずに懸命に探している苦しさで、それは絶対に—今は気づく余裕はないかもしれないけど、きみという人間を豊かにしてくれるはずなんだ」
「どんどん湧いてくる”でも”の中から、ほんとうに大切な”でも”を見つけて、おとなから与えられたのではない自分自身の”だから”を育てていってください」
1 30, 2005 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(0)
『荒蝦夷』(熊谷達也╱平凡社╱2004)は私にとって実に刺激的な小説だった。
8世紀後半の陸奥。
舞台は大和の東北支配拡大の拠点であった多賀城(現宮城県多賀城市)、主役ともいえる伊治公呰麻呂(これはりのきみ・あざまろ)が構える伊治城(現・宮城県栗原郡築館町字城生野)、攻防が続く胆沢城(現岩手県胆沢町)。
「日本史」では「奈良時代」と呼ばれるが、大和朝廷の支配はまだ「東北(うしとらのかた)」には十全に及んではいない。この地方に住む人々は「蝦夷(えみし)」という蔑称で一括されていたが、7世紀後半以降の律令国家の支配の拡大は彼らの抵抗を引き起こす。服従した蝦夷は「俘囚」として朝貢と引き替えに便宜が計られ「熟蝦夷(にきえみし)」と呼ばれた。そして「服(まつろ)わざる」者たちは「荒蝦夷(あらえみし)」として征討の対象となった。
しかし構図はそれほど単純ではない。「夷をもって夷を制す」こともあれば、「熟蝦夷」もいつ「荒蝦夷」に豹変するかもしれない。蝦夷から成り上がった者たちや大和人の間の権謀術数もからむ。
物語は、後の蝦夷の英雄、阿弖流為(アテルイ)を呰麻呂の息子とする設定で、これも後の「征夷大将軍」坂上田村麻呂の若き日とも交錯させながら、史実にある780年の呰麻呂の蜂起になだれこむ。
「おれたちもそろそろ本気で腹を括ってみるか」—
大和(日本国)とは別の「蝦夷の国」のイメージが立ち昇る瞬間だ。
アイヌと沖縄という「辺境」の歴史とその持つ意味についてはこれまでいろいろ読み考えてきたが、「東北」は私の中ではほとんど抜け落ちていた。あらためて「東北学」を学びたいと思う。また南九州の「熊襲」「隼人」についても見直したい。
1 25, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(4) | トラックバック(0)
理論社から刊行されている「中学生以上すべての人の」新書シリーズ『よりみちパン!セ』がとても素晴らしい。2004年10月から今1月まで、重松清『みんなのなやみ』、白川静監修『神さまがくれた漢字たち』、みうらじゅん『新しい保健体育』など7冊が出た。2月には小熊英二の『日本という国』がラインナップされていてわくわくする。
「学校でも家でも学べないリアルな知恵満載!」というキャッチフレーズはたとえば11月刊の『いのちの食べかた』(森達也)についてみても嘘ではない。
私たちはいうまでもなく動物、植物の「いのち」を毎日食べて生存している。
日本では1年間に約130万頭の牛と1600万匹の豚が「食べらている」。牛は牧場で育つ。豚は飼育場だろう。それは見たこともあるし想像もつく。私たちはスーパーでパックされた切り身だの挽肉を買って食べる。
で、「あいだ」はどうなっている?
どこかで誰かが牛や豚を殺し、解体し、最終的に人間が食する「肉」となる。どこで、誰が、どういうふうに?
学校で教えてくれるか?父親は教えてくれるか?誰も教えてくれない。TVでも放映されない。
森は芝浦と(屠)場をTVドキュメンタリーとして撮ろうとしたことがあった。それはさまざまな軋轢と反対に遭って実現しなかった。
なぜか?
話は牛などの渡来史から「不浄」という観念、部落差別の歴史と現状の問題につながる。
「肉だけじゃない。僕たちはいろんなものから、気づかぬうちに無意識に目をそらしている。見つめよう。そして知ろう。」
1 13, 2005 14.読書三昧, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(1)
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斎藤美奈子『物は言いよう』(平凡社・2004)について多少書こうと思っていたのだが、友人の編集者がすでに私が言いたいことをかなり書いている(ブック・ナビ)のでそちらを読んでください。
「性差別やセクシュアル・ハラスメントに怒っている人は多数いるにもかかわらず、これについていったり書いたりすることは、いまやタブーに近い」(同書あとがきより)。
70年代から80年代に上野千鶴子や小倉千加子らを始めとするフェミニズム・ジェンダー論者が切り拓いてきた地平はバッシングとバックラッシュ(Backlash=反動・揺れ戻し)の波に洗われている。
「頼みの綱のフェミニズムはといえば、学問的な精度を上げていく一方で、一般の生活者に届く言葉をかなり以前から失っている」
斎藤美奈子はこうした状況で『噂の眞相』を舞台に5年間(99.5〜04.4)遊撃狙撃戦を展開した。本書はそれを全面改稿したもの。
フェミニズム・ジェンダーの数少ない成果(?)のひとつが「セクシュアル・ハラスメント(セクハラ)」という概念の一般化であり、ある種の言動をすれば社会的にかなり高く付くのだと思わせるようになったことかもしれない。
しかし「セクハラ」や「差別」という言葉や概念ではキツ過ぎたりフォローできないけれどおかしな言動は世の中にあふれている。
斎藤が提出する基準は「フェミコード(FC)」=「性や性別にまつわる『あきらかにおかしな言動』『おかしいかもしれない言動』に対する、イエローカード」だ。
「あなたが自室で何をいおうと、何をしようと勝手だが、社会的な場では社会的なルールがあるのだ」
「フェミコードがなぜ必要かといえば、ひとつは人を不快にさせない(または苦笑させない)ため、もうひとつは自分自身の品位を下げない(または嘲笑されない)ためである」
後退しているように見せての巧妙で胸のすくボディブローの連打!
1 9, 2005 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(1) | トラックバック(2)
十数階の大手販売店から個室トイレ2つ分ほどのパーツショップまでが、わずか0.5平方キロメートルの地区に密集し、あらゆる電気・電子製品やパーツ、違法合法のソフトが露店のトマトやジャガイモのように売られる「地球の他の場所では想像も不可能な」ディープな秋葉原を舞台に、あいかわらず最新のモデルや風潮、風俗を巧みに取り入れた石田衣良の最新刊行作(文藝春秋社)。
『池袋ウエストゲートパーク』シリーズなどでも、ネットを駆使してマコトを助けるコンピュータおたくが登場したが、今度はもっと強烈だ。
優秀な言語能力と該博な知識を持ちながら「音声出力のコマンドが壊れ」ていて複雑なことはキーボード経由でしか伝えられない「ページ」。
看板を見ても「書体はMB101だな。デザインだってユニクロのぱくりじゃん」などとうるさく、1文字も欠けない17字×19行の箱組みを強要したりするグラフィックデザイン専門の「ボックス」は、極度の潔癖症と「女は二次元に限る」という女性恐怖症。
抜群の音感とリズム感を持つデスクトップ・ミュージック専門の「タイコ」は光や音の点滅でフリーズしてしまう原因不明の奇病をかかえている。
後から加わる元法学生の「ダルマ」は10年の引きこもり歴がある。
「イズム」は父親の大学につながったパソコンを5歳からいじり、子どもの頃はパスワードクラッカーやワームを作ったり、ヨーロッパの研究施設に入り込んで遊んでいたマシン語でプログラムを書くまだ16歳の典型的ハッカーだが、生まれつきのアルビノだ。
ひとりひとりで放っておけば「おたくの干もの」になってしまうようなこの面々は「ライフガード」のサイトを通じて知り合い、ウェブ制作やDVD-ROMのオーサリング、ノンリニア編集などそれぞれの得意分野で、そして生きていく上で補いあっている。しかしこうした下層デジタル労働の請け負い仕事にうんざりもしており、秋葉原のコスプレカフェの美少女アイドルにして格闘家の「アキラ」が仲間に加わることによって新しい会社を立ち上げる。社名が「アキハバラ@DEEP」。
ネットの中で一番高価で重要なものは「情報」だ。ところがネットをマーケットとして見た場合、一番高価なものが無料で流通している。こうした中で利益を上げるというアポリア(難題)にネットビジネスは苦しんできた。これまで成功したとされる例はほとんどがネットビジネスそのものではなく、株式上場とか資本提携とかによる。
この若者たちは考える。
「最初から反対の方向へいくんだ。ぼくたちの会社は利益を制限しよう。おおきくなるのも、有名になるのもやめよう。ちいさなまま自分たちが満足のいく暮らしができて、ぼくたちの同類を手助けしてあげられるくらいのぎりぎりの利益で満足しよう」
「いりもしないものを誰かに大量に押しつけて大儲けしようなんていうのは、もうモデルとしては古いんだ。せっかくITバブルがはじけたんだから、ネットはもう一度スタートの気もちを思いだしたほうがいい。」
「仕事はぼくたちにとって、この世界への気もちいい挨拶であるべきだ」
裏秋葉原の築30年を越す木造2階に、G3マックの筐体にインテルのCPUが入っているような東南アジアのどこかで余りものを寄せ集めてつくったパソコンを連ね、AI学習機能を使った画期的なサーチエンジンのプロトタイプを開発する。4つのモジュールは、人の意識の跳躍の模倣、反復と深化、対極への反転、隣接するものへの連想からなり、最適な検索パターンを競い合いながら自己学習する。
「どんなこたえを得るにしても、生きることは探し求めることで、よい人生とはよい検索だ」
たとえば「最初に『イーグルス』で検索をかけたとき。LAのバンドが登場したのは23番目だったが、つぎに『オアシス』をサーチすると最初にイギリスのロックバンドが並んでいた」という具合だ(欲しい)。
ところが評判を呼び始めたときに立ちはだかったのがソフトバンクとライブドアを合わせたような2年前までは世界の7番目の富豪だったワンマン社長が率いる表秋葉原に屹立する巨大IT企業。
すべてを彼らに簒奪された6名は自分たちが産み出した「子どもたち」を奪いかえし「解放」するために戦士と化す。
センスとユーモアと各人の能力を駆使して、さあわくわくする秋葉原の「明るいテロ」の始まりだ。
12 14, 2004 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
この漫画に関してはいろいろな想いがあるのだが今は書かない。
さまざまな先入観なしに、ただひたすら少しでも多くの、とくに若い人々に読まれてほしい。
私の薦めたものにはすべて心を打たれたと言ってくれた若い人がいた。ならば信じて読んでみてほしい。私で不足なら、漫画の歴史に目配りを怠らない漫画家みなもと太郎氏が「マンガ界この十年の最大の収穫」と言っている。
わずか100ページ、800円の本だが、もし私にお金の余裕があるなら何十冊でも買い入れて、周りの人に贈りたい。
3つの短編から成っている。
『夕凪の街』ー1955年(昭和30年)広島。二十代半ばの女性、皆美(みなみ)。
『桜の国1』ー1989年ころ。中野区新井薬師前。皆美の弟の娘、小学5年生の七波(ななみ)。
『桜の国2』ー2004年。二十代半ばの七波と父、そして広島。
3つの物語は時を追って語られてはいるのだが、ウロボロスの蛇のように循環するものでもあり、あるいは無限の螺旋の中途であるようにも思える。
1968年生まれの作者がこれを描きえた、ということに、文芸でも映画でもアートでもデザインでもなんでもいいが、想像力と創造力が試される仕事をしようと志す若い人々は学んでもらいたい。
そしてえらそうなことを言っている年長者は(私も含めて)恥じ入るしかない。
10 30, 2004 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(7)
歴史を題材、背景にした文芸は数多い。
私は「文芸」のなかに漫画・コミックを当然入れるが、歴史を扱った漫画という範疇では、みなもと太郎『風雲児たち』が圧倒的におもしろい。今までに出た三十数巻(いろいろな版があるが私は潮出版社のもの)は何度読み返したかわからない。何回読んでもげらげら笑い、勇気づけられ、そして少し涙する。
1947年京都生まれの彼は、70年代初頭のナンセンスギャグマンガ『ホモホモセブン』でブレイク。いしかわじゅんは「計算しつくされたイイカゲンさ」と評し、復刊された『レ・ミゼラブル』に糸井重里は「ふざけた本気が胸を撃つ」とオビに書いた。
79年、雑誌『月刊少年ワールド』の依頼に応じて始めた連載の当初のタイトルは「幕末チャンバラ伝・風雲児たち」。だからもちろん「幕末」をテーマに描く「つもりだった」。
ところがいろいろ調べ、構想を練っているうちに、幕末を描くのだったらその遠因となっている「関ヶ原の戦い」に遡らねばならないと考える。「なんのために関ヶ原にきたのかまったくわからない藩が三つある。すなわち長州、薩摩、土佐の三国であった」。これらの国の江戸幕府との300年の伏流を捉えなければ、幕末で活躍する風雲児たち(長州の吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・桂小五郎・大村益次郎・伊藤博文、薩摩の西郷隆盛・大久保利通・桐野利秋、土佐の坂本竜馬・武市半平太・岡田以蔵・中岡慎太郎・板垣退助)らは描けないではないか。そして倒幕の薩摩・長州・土佐を描くなら佐幕方の会津にだって歴史と人材と言い分はあるだろう…という具合で、連載誌は途中で『コミックトム』に替わったが、毎号編集者に「早く幕末に行け!」と作者が叱咤される絵がお馴染みの笑いを誘いながらなかなか幕末までたどりつかない。20年描き続けて竜馬がようやく18歳になったところ、というペースだ(すでに登場人物は抜粋しただけで300人を越える)。
私の理解したこの江戸〜幕末を背景とした大河漫画のテーマは「外を知って己を知る」ということだ。必然的に「外を知ろうとした」平賀源内、前野良沢、最上徳内、伊能忠敬、林子平、大黒屋光太夫、高野長英、渡辺崋山、シーボルトなどの先駆者たちがクローズアップされ、江戸の世が単なる太平ではなく、世界との関係のなかで次の時代への蠢動をはらんだ緊張したものとして生き生きと描かれる。
そして、みなもとの視点は為政者・権力者中心のNHK大河ドラマや偉人たちの物語をつぐむことではない。
たとえばシーボルトが残した娘イネが異邦人として医学をめざす姿と漂流という偶然から同じく異邦人として運命を切り開いたジョン・万次郎に一巻をささげている。
「素人に耐えられる状況ではない…であるが故に、この二人は、なるたけ明るい性格に描きたい。史実を歪めてまで描くつもりはない。実際どこかに底抜けの明るさをもっていなければ、環境に押しつぶされ、挫折するはずだと思えるからである。しかし、わずか15〜16歳で第一歩を踏み出した二人は、それぞれ人生を立派に切り拓き天寿を全うして亡くなった。見事である、と思う…この二人がもし出会えることがあれば、夜通し語り合わせてあげたい。互いの苦労がわかりあえる、多分、数少ない”仲間”だと思うから」(2人はともに同じ1827年生まれ)
もっと知られていない市井の人の運命も情感豊かにポッと出てくる。秀忠の子、後の保科正之を宿す娘を幽閉の寺へ送り出す父、浪人神尾某の章は本筋には関係ないようにみえるが、そのユーモラスな表現に笑いながら私はいつも目頭が熱くなる。
一応の完結として刊行された潮出版社『風雲児たち』第30巻が出版されたのは1999年。描き始めてから20年だ。
そして25年目の今、実はまだ終わらせず描きついでいる。みなもと太郎はもうこれをライフワークとするしかない。私もつきあいます。
10 25, 2004 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(2) | トラックバック(0)
私の好きな詩人・批評家の荒川洋治のエッセイに「年齢と読書」というのがある(『言葉のラジオ』竹村出版/1996所収)。
十代から九十代まで、本、読書に対する姿勢は「おおよそこうではないか」、あるいはこうありたい、というようなメモだ。彼は私と同じ団塊の世代(1949年生まれ)であることもあって、わずか2ページちょっとのこの文章をときどき読み返して、にやりとしたり、感慨にふけったり、焦燥にかられたりする。
〔10代〕
「中学生なら教科書をある程度。図書館の空気に触れる。
高校生は、すいこむ読書。10代後半に読んだ本は体に入る。それ以後は頭にだけ入る」
(そう、「すいこむ読書」「体に入る」という表現がぴったりだなあ。世界が拡がっていく感覚、あるいはことばが作り出す美しさに打ち震えるように覚える感動。今でも高校生の頃繰り返し読んだE.H.カー『歴史とはなにか』やヘミングウェイの『武器よさらば』の原文の一節とか、斎藤茂吉『万葉秀歌』のなかの防人の歌などがふっと口をついて出てくるというのは「体に入って」いるとしか言いようがない)
〔20代前半〕
「みだれる読書。読書の楽しさがわかる時期…とにかくこの時期は乱読。読んだ本が、生涯の読書の”幅”を決めるのではないか」
(学生諸君になんとかこのことを伝え実践してほしいと願う)
〔20代後半〕
「ちからの読書。本から離れる時期である。会社づとめがはじまるので新聞、週刊誌がやっと。周囲に同化、読書の習慣もなくなる…ちからで読書を取り戻すしかない」
(卒業生諸君になんとかこのことを伝え実践してほしいと願う)
〔30代〕
「ひろげる読書。精神的にも経済的にも落ち着くが、いったい自分とは何か、一人風呂のなかで考える時節でもある。これまで関心のなかった分野も含めて、もう一度おさらいし読書のスタイルを見つめ直す」
(この時期が人生と読書ということについては一番分かれ目かもしれない。仕事は忙しく責任もある。子供もできるだろう。単に仕事の上でのノウハウとか人生設計上のステップアップのため、というだけではない深みと拡がりを持てるかどうか)
〔40代〕
「つたえる読書。自分の最終着地点を確認し、必要ではない読書を切り捨てる時期か。いっぱいいろんな本を読んでも、どうにもならない。本を選び、的をしぼる。また年下の人に読書のよろこびを伝えるのも40代のおおきな仕事」
(いつも焦燥にかられるのはこの部分を読み返すときだ。大学で教え始めたので「年下の人に読書のよろこびを伝える」のは少しはできたかもしれないが、40代でも「自分の最終着地点」は「確認」できず「的をしぼる」こともできなかった)
〔50代〕
「ふかめる読書。さらに領域をしぼり、専門書に分け入る。そのことでこの先ひと通り学び直さなくてはならない世界が見えてくる。」
(今私は該当する50代なのだが、あいかわらず「領域をしぼる」ことはできない。「学び直さなくてはならない世界」はだいたい見えているのが救いか。それもどう変わるかわからないが)
〔60代〕
「いこいの読書。人生の色合いがわかり、ちがう世界にいる人たちの言葉も深くとらえられるようになる。ゆとりをもって言葉を味わえる年代。」
(こういう平穏は訪れないような予感がする。ただ他者への理解は深まるだろうが)
〔70代〕
「ならべる読書。書物から得たもの、暮らしから得たものなどを並べ余生を構想する。」
(これも、こういう平穏は訪れないような予感がする。生きていればだが)
〔80代〕
「とける読書。好きな本だけを身辺に置き、何度も繰り返して読み、そのなかにこれまでに見たこと知ったことのすべてを溶かしていく。」
(溶けて地下水となり、次の世代をうるおせればいい。生きていればだが)
〔90代〕
「さわる読書。だんだん視力も弱り、一冊の本を手にとるだけでも努力がいる。”ああこれは本だ”。だがその笑顔は深い。読書の理想郷である。」
(なにも言えない)
もちろん読書という習慣はあくまで個人的なものだし、このタイムラインだって「あてにはならない」(半分はユーモアだ)。
しかし「新鮮な読書を維持するために、精神をフレッシュにして、なまけがちな自分自身と日々たたかう」ために先に述べたように、この短いエッセイをときどき読み返す。
「本を読んでいる人の表情は美しい。たたかっているからだ」
10 21, 2004 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(1)
※民放連が出していた「要注意歌謡曲一覧表」。『放送禁止歌』(森達也/光文社・知恵の森文庫)より クリックすると拡大表示されます
フリーTVディレクター森達也は1970年代に入った頃、十代後半の多感な若者だった。
彼は振り返る(以下『放送禁止歌』より)。
「歌の形をとった彼らのメッセージを、嘲笑いながら抹殺する巨大な権威や権力の姿を思い描き、深夜に机に向かいながら、ニキビ面の17歳は受験勉強どころじゃなくなって一人で歯軋りしていたはずだ」「"歌"を抑圧する権力は、絶対に容認できない存在だった」
しかし上京し大学に入った彼は熱い政治の季節の残骸のなかで「燃え上がらせることも鎮火することもできない残り火を、ずっと燻らせ続けてきたような気がする」
TV業界に入り「放送禁止歌」をテーマとしたドキュメンタリー番組の企画に着手したのは1992年、リサーチではほとんどなにも分からない。
98年、いくつかの企画に紛れ込んでいた「放送禁止歌」の企画にフジテレビ編成局の鈴木専哉が「これ、面白いじゃないですか」と声を上げる。「編成局長が許可するわけないよね」と思っていた企画は、思いがけず当時の編成局長・北林由孝から「やるなら中途半端ではなく徹底的にやるように」とGOサインが出てスタートする。
「放送禁止歌にはまさに時代のタブーが集約されているはずで、その歴史的変遷を追えばきっと日本の戦後が新たな視点から見えるのではないだろうか」というのが当初の企画の趣旨だった。
禁止というからには「誰かが」なんらかの理由で禁止しているはずだ。
ところが当時「放送禁止歌」とされた歌を歌った人にいくら取材してもクレームなど一件もなかった、というのだ。
「放送禁止歌の背景を検証」し、歌を抑圧する背後の権力をあぶり出すという当初のテーマは森達也のなかで変質を始める。
禁止を指示している「黒幕」は「民放連(日本民間放送連盟)」であると誰もが漠然と思っていた。
ところが取材すると、たしかに「要注意歌謡曲一覧」というのは1959年から83年まで出している。しかしこれはあくまでもそれぞれの放送局(放送主体)が独自に放送するかしないかを判断する際のガイドラインでしかない、という。
過去にも現在にも「放送禁止歌」など存在しなかったのだ。
にもかかわらず、1971年にはすでに述べた「放送禁止歌」というタイトルの歌が作られ、現実に放送からは消されてきた。
TVやラジオの制作現場の人間は「確か『竹田の子守唄』は放送禁止だったよなあ」などとつぶやきながら、打ち合わせや収録の忙しい日々を送り、誰も疑問には思わなかった。
歌を規制する巨大で横暴な権力の暗躍を予想していいた森は撃つべき相手を失う。
しかし現実に規制は今も続いているし、日々増殖し続けている。
森にとって、過去のある歌が規制された事情や背景などはすでにどうでもよくなった。
「射程に置くべきは現在だ。自分自身を含めメディアに帰属する一人ひとり、そしてメディアを享受する一人ひとりが、実は無自覚な"規制の主体"であることを現在進行形で抉りだし、画面に定着すること」がテーマとなる。
「…皆が自分で考えていないからでしょう。マニュアルや他人の判断を鵜呑みにして、自分自身で考えるという当たり前のことがなされていない。特にマスメディアの方々に対して、私はその思いを強く持っています」という部落解放同盟の幹部の話の後に、キャメラはスタッフルームの鏡に向かう。
「被写体は他にない。レンズを自分自身に向けないかぎりは、この作品は終われない」「画面いっぱいに映るのは、鏡に映りこんだキャメラのレンズであり、キャメラを持つ"僕"とその背後のメディアだ。同時に、キャメラのレンズが向けられているのは、まさしくテレビの前の視聴者である"あなた"なのだ」。
1999年5月23日の未明放映された森達也の52分間のドキュメンタリー「放送禁止歌〜唄っているのは誰?規制するのは誰?」のエンディングは、真っ黒な画面にタイムコードだけが入り、「超Aランク放送禁止歌」と「されてきた」岡林信康「手紙」が3分間流れて終わる。
…
もしも差別がなかったら 好きな人とお店が持てた
部落に生れたそのことの どこが悪い なにがちがう
暗い手紙になりました
だけど私は書きたかった
だけど私は書きたかった
10 17, 2004 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)

高校3年の息子(同じ鎌倉長谷に住んでいる)が18歳になった。
法律上は「児童福祉法」から外れる。つまり「児童」ではなくなる。
ネットでのおなじみ「あなたは18歳以上ですか?」にも堂々と「はい」と答えられる。
電話すると、今度パチンコに行ってみようかと思う、などと屈託がない。
これからいろいろな経験をするだろう。
直接関係はないのだが、なぜかたまたま目をやった本棚の山田風太郎「人間臨終図巻Ⅰ」を手に取る。
人生で唯一「経験」とすることができないのが死だ。
十代、二十代はくくられているが、30歳以降は1歳ごとに121歳まで、たとえば「35歳で死んだ人々」ーモーツァルト・ダントン・鼠小僧次郎吉・孝明天皇・佐々木只三郎・正岡子規・芥川龍之介・牧逸馬、などと色々な人々の人生と臨終について記されている。
「十代で死んだ人々」の項をめくる。
大石主税(ちから)/1688-1703/享年15歳
討ち入り後、別れて預けられるとき、父内蔵助が「かねがね申し聞かせてあるようにいたせ」というと「父上、ご心配なく」と答えた。切腹の場で検使が「内蔵助に会いとうはないか」ときいたところ、主税は首をかしげ、すずしくほほえんで「お言葉で思い出しました」と言った。「万人が知っている名のうち、みずから意志して死の道を選んだ最年少の人間はこの大石主税であろう」。
アンネ/1929-1945/享年16歳
1942年、ナチスのユダヤ人迫害をのがれ、アンネ・フランクの一家はアムステルダムの隠れ家に潜んだ。アンネはその間、後年『アンネの日記』として知られるようになる日記を書きつづる。2年後、一家は発見され収容所へ送られた。チフスにかかった姉マルゴットはベッドから床に落ち、すでに衰弱しきっていた彼女はショックのため死ぬ。同じくチフスにかかっていたアンネの気力が挫ける。「お父さんもお母さんももう死んでいるにちがいないし、これでわたしは家に帰る目的がなくなったわ」。数日後、連合軍がすでにフランクフルトまで入っていた1945年3月はじめのある日、アンネは蝋燭の灯の消えるように、しずかに息をひきとった。
天草四郎/1621-1638/享年17歳
1637年(寛永14年)、重税とかつてのキリシタン信仰の中心地であるがゆえの苛政、弾圧に対して島原・天草の農民たちは百姓一揆を起こすにいたる。幕府軍12万4千の軍勢をもってしても、一揆軍の立てこもった原城を陥れるのに足かけ5ヶ月を要した。「痩せ衰えた百姓軍がこれほど驚くべき抵抗を示した原動力の一つは、切支丹信仰と、その首領であり、シンボルである天草四郎時貞という少年への信仰のゆえであった」。
四郎は9歳から手習いを始め、長崎にも学問に通ったという。
一揆を指導した庄屋層や牢人たちは、広範な農民を生死を顧みぬ一揆に組織する上で四郎を救世主として演出した。彼が軍事的指導をしたとは考えられない。
一揆軍は文字通り皆殺しにされ、幕府は一揆方の記録をすべて抹殺したが、天草四郎の名は「伝説の世界の妖星のような印象を残した」。
山口二矢(おとや)/1943-1960/享年17歳
1959年16歳のとき、赤尾敏の大日本愛国党に入党。社会党委員長浅沼稲次郎が中国で「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」と演説したのを中国に媚びたものと憤激し、60年10月12日、日比谷公会堂での立会い演説会で演説中の浅沼を、短刀で一閃のもとに刺殺した。
11月2日、練馬の少年鑑別所に移された夜、シーツを裂いて縄とし、天井の裸電球をつつむ金網にかけ、ベッドの上に寝具を積んで、これを踏台として縊死した。
コンクリートの壁に、粉歯磨を水でとき、指を筆にして書いた「七生報国 天皇陛下万歳」という文字が残されていた。「彼は戦争中の少年が、十五年を経て不死鳥のごとくよみがえったかのような少年であった」。
ジャンヌ・ダルク/1412-1431/享年19歳
当時の英仏(むろんいまの「英仏」国家ではない)を中心としたヨーロッパ諸勢力の抗争「百年戦争」の後期、神託を受けたと信じた16歳の少女は白馬にまたがって「フランス」軍の陣頭に立ってオルレアンを「英」軍から奪還する。翌年捕まり宗教裁判にかけられ、「虚言者、偶像崇拝、残虐淫乱、悪魔の祈祷師、背教、異端の徒」等々ありとあらゆる「罪」をきせられ(「ルーアンの審決」)群衆の見守る中、火あぶりの刑に処された。
ローマ教皇庁はこの審決を21世紀になっても取り消していない。それでいて、教皇庁は1920年ジャンヌを「聖女」に列した。
従来の19世紀フランスナショナリズムに基づくジャンヌ・ダルク像は今後根底から再検証されるだろう。
7 16, 2004 14.読書三昧 | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)