ジーンズのポケットの中の手紙
スーパーでも大規模衣料品店でもブランドショップでもいい、安いだとか気に入ったとか一本のジーンズを買って家に帰り、ポケットのなかに一通の手紙が入っているのを見つけたらどうだろうか。
このジーンズを作った中国の工場のまだ童顔の16歳の少女からの手紙。
それはたとえば無農薬有機栽培にこだわり、丹誠込めて私たち夫婦がこの野菜をつくりました、という生産者のネーム入りカードとはまったく異なる背景を持っている。
この少女は、過酷な労働の実情を訴えたいわけではない。
いやもちろん訴えられれば訴えたいがそんなことはできない(今の中国で労働組合の結成や運動は認められていない)。
それ以上に少女は純粋に知りたいのだ。
「オービットがファスナーを付け、私ジャスミンが糸を切りました。これをはくあなたはどんな人なのでしょうか?
もしよかったら手紙をください。
中国広東省○○市○○工場気付ジャスミン・リー」
自分たちが毎日作っているジーンズが見も知らず知識もない外国に運ばれ、こんな巨大なXLサイズを買ってはく人と生活と人生をまったく想像できない。だからこそ知りたいしコミュニケートしたいのだ。
少女はこの夢を同僚に語るが、そんなことをしたらバイヤーにすぐ見つかって即クビだよと諭される。
『女工哀歌(エレジー)』(原題:China Blue/監督:ミカ・X・ペレド/2005)を渋谷イメージ・フォーラムで最終日に観る。
ミカ・X・ペレドはスイス生まれ、イスラエル育ち、様々な職業を経た後ドキュメンタリー映画作家となる。
観ていないが前作で『Store Wars: When Wal-Mart Comes to Town』(2001)を作り、世界最大のスーパー「ウォルマート」(売上高は世界20位以内の国家GDPに匹敵する)が地方都市に進出することで生まれる葛藤を描いた。
その後「ウォルマート」のような小売り企業がどうやって安い商品を作っているのかを探り、中国のジーンズ縫製工場をテーマに選ぶ。
この撮影が、「児童労働」「労働搾取工場(Sweatshop)」といっていい実態を知られる事を恐れる中国政府当局、作らせている「ウォルマート」のようなグローバル企業、現地工場のいずれからもの拒否、妨害にあい至難の極みだったことは想像に難くない。
結果としてこれだけの密着したドキュメンタリー映画が完成したことが奇跡に思われる。
当初撮っていた主人公に据えた少女の映像は中国当局にフィルムを没収され、少女もおびえ、別の設定にして撮り直さざるをえなかった。
再度据え直した主人公ジャスミン・リーも後半では接触を断たれ、彼女の発言は吹き替えで作られたという。
水牛が田を耕し、アヒルや豚を飼ってなんとか生活している四川省の農民に二人目の娘を上級学校に入れさせる資力はない。
16歳のジャスミン・リーは広東省の工場の募集広告を頼りに、ショルダーバックとポリバケツに身の回りのものを詰め、汽車で2日間をかけ工場にたどり着き門をたたく。こちらで募集していませんか。
1億数千万ともいわれる農村から都会への「農工」の一員。
ジーンズ縫製工程の細かく残った余り糸を切りはらう仕事。
工場内の4階建て寄宿舎。一部屋に12名が2段ベッドで寝起きする。
作業開始朝8時、終わりは…納期によってわからない。
私語が禁じられている職場でかすかにかわすことばは例えば「今日やっておかないと、明日はもっときついよ」。
「午前3時」の灯りが付いた仕事場。交代の夜勤者ではない。朝から働き詰めなのだ。
わずかな休憩時間にジーンズの山のなかに倒れ込む少女たち。
過酷な残業と度重なる給料の遅配、恣意的な理由をつけた理不尽な罰金天引きなどにとうとう少女たちは罷業におよぶ。
経営者に詰め寄る先頭にたっていたのはわずか14歳の子だった(中国では表向き15歳以下の雇用を禁じているが、偽造IDは簡単に手に入り、経営者も黙認する)。
少女たちの月給(払われれば)は約3,000円からよくて7,800円ほど(歩合給)。
食費、寄宿費、罰金その他良く分からない費目でも引かれ、故郷への仕送りもままならない。
15〜16名ほどでつくるジーンズ1本あたり、彼女たちが受け取る賃金はあわせて約100円。
1人あたりでは約8円弱。
コンテナに積まれ、たとえばLAのウォルマートで開梱され無造作に「Sale」の貼紙がされるとき20〜40ドル(2,000円〜4,000円)となる。
早期退職を防ぐため、初めの月の給料は留め置かれる。
正月の帰省の交通費もないため寄宿舎でじっと涙をこらえるジャスミンの姿が哀しい。
束の間、街に出かけ、友達と一緒に故郷に送るためのポラロイド写真を40円ほどで。
安っぽい中国庭園の絵の背景で同じく安っぽい赤いチャイナドレスの貸し着姿。
カメラがダウンすると足元はすりきれたスニーカー…。
ミカ・X・ペレドは当然このような市場至上主義とグローバリゼーションが生み出しているひずみに憤っている。
しかしそれを声高に映像のなかで主張しようとはしない。
それは、毎日、自分のこと、まわりのこと、そして師について修行を積み両親をいじめる悪い役人をこらしめる弟子の夢想のお話を日記に記し続けるジャスミンの姿と、世界を知りたい、つながりたいという彼女のイマジネーションを通して、静かに圧倒的に伝わってくる。
こういう事態を許しているのは誰に責任があるか?
儲かればいいというグローバル企業にあるだろう。きちんと取り組まない政府にもあるだろう、工場の経営者にもあるだろう。
しかし、最大の責任は、こういうことを知ろうという意思や意欲を持たず少しでも安いものやブランドものを追い求め、想像力を働かせない私たち自身にある。
今のところはないだろう。
しかし、買ってきたジーンズのポケットの中にあるかもしれない無数のジャスミンたちの手紙をイマジンし続けよう。
Sweatshop(スウェットショップ)についての過去記事:
「PLAY FAIR プレイフェア」(オックスファム・インターナショナル・オリンピックキャンペーン)
11 9, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)