2010年03月09日

米アカデミー賞で思い起こす

中学生の映画少年の頃、アメリカのアカデミー賞などはハリウッドの仲間内のお祭りとハナから馬鹿にしていた(まあ今でも同じ)。映画賞として権威があるのはまずはカンヌであり、そしてヴェネチアとベルリンだった(今はどうかは別)。

50年代の子どもの頃TVホームドラマで豊かさに単純にあこがれたアメリカも、キューバ「危機」での身勝手さとヴェトナムへの理不尽な侵略を見、違った目でみるようになり、アメリカの世界でのあり方とそれを支えている文化には批判的たらざるをえなくなった。

J.F.ケネディの「国家が何をしてくれるかではなく、それぞれが国家に何をできるかだ」などという演説にはヴェトナム侵略を本格化させながらと猛烈に反発し、史上最年少の大統領をもてはやす大人たちとマスコミには徹底的に不信と侮蔑の念を抱いた。

今年の米アカデミー賞受賞作「ハート・ロッカー」はまだ観ていないが、なぜアメリカの軍隊がそんなところにおり、そんなことをやっているのか、という根底的な大前提に自覚的であるとは、イラクとアフガン駐留のアメリカ軍兵士に感謝する受賞挨拶からして絶対にありえず、軍事・心理サスペンス映画として限定して見れば秀逸であろうと、歴史的に見れば駄作であるだろうことは想像できる。

あ、アメリカ軍は世界中でいったい何をしてきたか、そしてそれが兵士たちにどのような心理的影響をもたらしたか、のドキュメンタリーとして観れば意義があるかも。

米アカデミーは今年もいかにも彼らににふさわしい作品に回帰し選んだ。
マイケル・ムーアの吠え声はもう聞かれない。

和歌山大地のイルカ漁を批判的に描いた『The Cove(入り江)』を含め長編ドキュメンタリーと外国語映画賞の受賞・候補作だけはすべて観たい。

3 9, 2010 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年03月06日

映画『ミラクルバナナ』(脚本・監督 /錦織良成 /2005)

ハイチをタヒチと取り違えるような、少しとっぽい女の子サチコ(小山田サユリ)が外務省のハイチ大使館派遣員に応募し、ほんとうにハイチでいいんですねと念を押されながら、西半球で一番貧しい国に赴任する。

大使、書記官を含めて職員は4名しかいない。少ない予算と山積する課題。

まあ、なんとかなるっしょ…
一度きりの人生だから、行ったことのないところ、見たことのないこと、他人がやってないことをやりたい…

首都ポルトープランスの大手スーパーでは金さえ出せばたいがいのものは手に入るが、中心部でさえ電気も水道もろくに通じていない。
小学校で、日本のことで知ってることは?「ポケモン、ポケモン!アイボ!」
日本にはストリートチルドレンがいる?早く働いて母さんを助けたい。
貧しいが親たちの溢れるような愛情のもとで育ち、幼い頃から家計を支える子どもたちの素直で明るい笑顔がいい。

実家から送られてきた録画ミスのビデオでたまたまバナナペーパーのことを知り(名古屋市立大学・森島紘史教授がモデル)、サチコは子どもたちがなかなか買えないノートを作りたいと考える。

全国土の3%しか森林はない。この国で簡単に揃うようなものでなければ持続しない。
バナナの木は実を採り、木を刈っても3ヶ月から6ヶ月でまた繁る。

日本の伝統的な和紙づくり職人(緒形拳)をくどいてハイチに連れてくる。

そして…バナナの茎の繊維から見事な紙ができあがる。
母への愛をその紙にたどたどしく記し贈るこども。

サチコを暖かく見守り、ハイチの人にとって大地の恵みこそ真の豊かさと教える語り部の現地職員フィリップ(アドゴニー)が実にいい。

3 6, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年03月04日

一夜限り『ホワイト・オン・ライス』上映

今月ニューヨークで公開される映画『ホワイト・オン・ライス(White on Rice)』が、3月20日(土)に一夜だけ渋谷UPLINKで上映される。

日本文化を愛する若いアメリカ人監督デイヴ・ボイルによる在米日本人を扱った人情コメディ。

現在アメリカで活動している渡辺広(『ラストサムライ』『硫黄島からの手紙』)と裕木奈江(『インランド・エンパイア』『硫黄島からの手紙』)が主演。

San Francisco Chronicle紙は『ホワイト・オン・ライス』は素晴らしい!! 映画界の重大事件だ!! と絶賛。

友人であり心臓・腎臓同時移植という難手術を乗り越えた高田澪くんも出演している。


UPLINKでの紹介

Hawaii Roadでの紹介

高校クラス会と大手術の旧友(2008/09/22)

3 4, 2010 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2010年02月28日

今朝のおはよう-369 ミモザ

ミ モ ザ と は シ ネ マ で 識 り し 少 年 の 日


中学から高校の頃、私は文学少年でありまた映画少年だった。

その頃まだ新宿、池袋、銀座等にあったいわゆる名画座に入り浸り、教室の黒板くらいしかないスクリーンを見つめ、手元でメモなどとっていた。

たぶん「フランス戦前名画週間」などでジャック・フェデー特集があり『テレーズ・ラカン』(1928)『外人部隊』(1933)『女だけの都』(1935)とともに『ミモザ館(Pension Mimosas)』(1934)を見たのだろう。

南仏の下宿屋「ミモザ館」の中庭には見事なミモザがあったのだろうが、筋立てとともにほとんど覚えていない。もちろんモノクロだから鮮やかな黄花が目に焼き付いたわけではない。

しかしミモザという名に惹かれ帰ってから調べた、遠い日。


長谷の路地で。

2 28, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | | コメント(0) | トラックバック(0)

2009年10月14日

水びたしの東京(佐藤謙吾写真展「サイレント・フィクション」)

Google Earth の東京の異常な表示を見て、最近 iPhone アプリで出た「サイレント・フィクション」を思い出した。

これは写真家・佐藤謙吾写真展「サイレント・フィクション」(2009年11月10日〜23日・新宿ニコンサロン)のプロモーション用。
展示される43点の写真すべてが iPhone で巾960pxの解像度で見られる。

地球温暖化による海面上昇で将来「フィクション」ではなくなるかもしれない。

ヒトは一切写り込んでいない、水面上のこの沈黙のTOKYOを、美しいと感じる人もいるだろうが、私には、画像的には美しいが、東京の文明的醜悪さを際立たせてみせたシュールレアリズムに思える。

10 14, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 33. iPhoneの愉しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2009年09月06日

『写真集 土門拳の早稲田1937』

写真家・土門拳(1909-90)の初めての写真集とよばれるものの復刊(講談社)。

土門は横浜の高校卒業後、倉庫人夫をしたり住み込み書生をしたり夜学に通ったり農民運動に加わったりと24歳まで青春の彷徨を続ける。

写真館の門下生となるが決まり切った撮影に飽きたらず、1935(昭和10)年、26歳のとき、名取洋之助が主宰する「日本工房」を訪ね採用される。
日本工房は対外グラフ誌『NIPPON』を中心に制作していた。

ここで図案家(デザイナー)であった熊田五郎(のちの画家・千佳慕)と意気投合し、早稲田の学生アルバム委員の、ありきたりなものは作りたくないという意向も受け、いつもダメ出しされ泣かされていた師の名取がベルリンオリンピックのため長期外遊していた間に、熊田がやっちゃえ、これを拳ちゃんの最初の写真集にしよう、といって作られたのが土門拳28歳のときのこのアルバム。

撮影はすべて「ライカIII型」で行われた(レンズはエルマア5cm、ズマアル5cm、ヘクトオル7.3cm、エルマア3.5cm、エルマア13.5cmの5種)

元のものの奥付には、制作:日本工房、編輯・撮影:土門拳、装幀・構成:熊田五郎、マネージメント:信田富夫とある。
戦後、熊田は熊田千佳慕として画家になり、『昆虫記』等をあらわして先月没した。信田富夫はライトパブリシテイを起こす。


このアルバムは今見ても卒業アルバムあるいは写真集として秀逸であり、関係ない人が見ても楽しい。

教授陣はさすがに重厚な表情だが、いわゆる肖像画のようではない。詰め襟、学帽の学生たちがキャンパスや街を颯爽と闊歩し、また学業にはげむ姿、街に繰り出しての愉しみ、撞球(ビリヤード)、麻雀、スポーツの躍動、由比ガ浜でのスナップ、下宿での語らい、弦楽五重奏を奏でる姿、なにかお金持ちの学生の書斎の電蓄でベエトーヴェンに聴き入る学生たち…

1ページ1枚を基本としてホワイトスペースをバランスよくとった熊田のシンプルなレイアウトも好ましい。

新宿「碇萬年」の云わずと知れた呑んべえグループ、とある。

早稲田「山書店」(左)、早稲田「丸善」(右)

キャプションに「読書 坂井君」(左)「論文 内野君」(右)
「この二頁は学生生活の中心課題であるべき "学問する" と云うことの集中的場面として特に両君に撮らせて戴いたものである。そして両君を選んだことについては何人も異議のないところと信ずる」

坂井君とは矢内原忠雄遺稿集を編纂し、またベトナム戦争初期にこれは反共の戦いではなく、帝国主義に対する民族解放闘争だと喝破したジャーナリストでもあった坂井基始良(きしろう)。

内野君は、内野茂樹(1911-63)。アメリカ新聞史、マスコミ論を研究し、早稲田に新聞学科ができると教授として教鞭をとった。


このアルバムが作られた1937(昭和12)年は、7月7日、日本軍が盧溝橋事件をでっちあげ、中国への全面侵略戦争を始めた年でもあった。

9 6, 2009 07.デザインの世界, 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2009年06月24日

イラン民衆の「プロテスト」は止まない-2

6月20日、テヘランの路上で民兵に殺されたアザード・イスラム大学に通っていた学生ネダ・アグハ・ソルタンさん(享年26)ーロイター。

イランの人々の、とりわけ女性の置かれた状況については、マルジャン・サトラビ(Marjane Satrapi)の自伝アニメーション映画『Persepolis(ペルセポリス)』(DVD発売)、原作のマンガ『Persepolis(ペルセポリス)I・II』(バジリコ株式会社)をぜひみてほしい。

6 24, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2009年02月02日

パペットアニメーション授業

今年度から発足した映像デザインクラス2年生集中演習のクロージング。

パペット(人形)アニメーションをとにかく一本作ってみる、という授業で、各自、ワイヤー入りの人形や、物、背景模型などを作り、LunchBox DVを活用して制作。
NHK教育TVなどのパペットアニメーションで活躍されている保田(ぼうだ)克史さんに中心的に指導していただく。

正味2週間しかなかったが皆がんばる。

2 2, 2009 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2009年01月16日

オバマを撮ったのはCanon EOS 5D MarkII

オバマ次期米大統領のOfficial Portraitがネットでも公開された。
歴代米大統領の公式ポートレイトとしては初めてデジタルカメラが使用されたという。

ということは、最近のデジタルカメラの画像には、
Exif(Exchangeable image file format・イグジフもしくはエグジフと呼ぶ)という画像メタデータのフォーマットが組み込まれており、撮影日時、撮影機器メーカー名、撮影機器モデル名、画像全体の解像度、水平・垂直方向の単位あたり解像度、シャッタースピード、絞り(F値)、ISO感度、フラッシュの有無等のデータをExifリーダーや各種画像処理ソフトで見ることができる。

で、このポートレイトjpeg画像をダウンロードしてApple ApertureでExifデータを表示させてみた。


ホワイトハウス付き写真家、Pete Souzaという人が1月13日17時38分に撮影。

カメラは私の現在の愛機のひとつと同じ、Canon EOS 5D MarkII。
焦点距離105mmとあるが、キヤノンEFレンズに単焦点105mmレンズはないから、レンズはたぶんEF24-105mm F4L IS USM。

1 16, 2009 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2009年01月09日

パレスチナ難民女性たちが作るオリープ石鹸

広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA 完成報告と試写会(2009/1/8/文京シビックホール・小ホール)で試写された「広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA 序章」に、パレスチナの村人が丹誠こめて育てて来たオリーブの樹々が、イスラエルのブルドーザーで無惨に根こそぎ破壊されていく映像があった。


会場でチャリティ販売されていたオリーブ石鹸。

イスラエル占領下、ヨルダン川西岸のパレスチナ難民女性たちの経済自立プロジェクトとして作られた「アシーラ女性協同組合」によるもの。

60年にわたるイスラエルの軍事占領下、男たちの職もほとんど無いなか、パレスチナの女性たちは子どもたちの未来のため、自分たちの力で家族を支えようと奮闘している。

無農薬、無添加物の昔からの手作りの石鹸は、使ってみると肌もすべすべとして気持ちいい。


アシーラ石鹸の売り上げは全額パレスチナの作り手たちに送金される。

注文・問合せ(日本国内)
aseela~japan@mbp.nifty.com
Tel/Fax: 045-894-0763

1 9, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2009年01月06日

『パレスチナ1948・NAKBA』(広河隆一)

1948年「イスラエル建国」とその後の戦争・占領により、それまで永くこの地に暮らしていたパレスチナ人たちは村を追われ難民とならざるをえなかった。
パレスチナ人はこれを「NAKBA(ナクバ)」と呼ぶ。
「大惨事」を意味するアラビア語。


広河隆一さんは1967年大学を卒業してすぐイスラエルに渡り、キブツ(社会主義的な共同体村)研修で農作業に従事する。23歳で新しいコミューン体験に希望に燃えていた。

ある日いつもと違うヒマワリ畑の向こうに白い廃墟のようなものを見る。なにかの遺跡かと思いキブツのメンバーに聞いても答えをにごされる。

第二次世界大戦中のホロコーストを経て、ようやく「約束の地」にユダヤ人のための国家ができたが、パレスチナ・アラブ人の敵意にさらされている、という当時の(今でもほとんど変わりない)常識しか持っていなかった広河さんの心のなかに小さな疑念が起きる。

おりしも勃発した第三次中東戦争(いわゆる六日間戦争)後、戻ってきたキブツの若者たちが、いかにアラブ諸国をやっつけたか、東エルサレム、ゴラン高原、シナイ半島、ガザを手に入れたかを繰り返し酔いしれて語るのを聞き、この戦争後、「イスラエルの安全」のためには何をしても許される熱狂的な軍国主義が育って行くように思えてくる。

自分が働いている美しい畑、豊かな水、これらは本当にユダヤ人移民が「民無き」荒れ地を開墾し作り上げた血と汗の結晶なのだろうか?
「ユダヤ国民基金」(ユダヤ系ロスチャイルド財閥などが負担)が先住していたパレスチナ・アラブ人から正当に買い上げたものなのか?

1年以上後、ユダヤ人の友人が探し出してくれた古い地図で白い廃墟の答えを得る。
それは破壊されたパレスチナ人の村の跡なのだった。
ダリヤトルーハ(香ばしい葡萄の樹)村。

「私は、村の人々が追放され、難民キャンプに押しこめられ、村が廃墟となったあと、その畑で働いていたことになる」(『パレスチナ 新版』(広河隆一/岩波新書

この衝撃から、後年、世界的なフォトジャーナリストとなる広河さんの40年にのぼるパレスチナへの訪問と交流、観察、取材、記録、撮影が始まる。


映画『パレスチナ1948・NAKBA』(監督・広河隆一)は、膨大な写真と1000時間以上にのぼるビデオ映像をもとに131分に編集したもの。「1コマサポーターズ」などの協力により成った。

池澤夏樹:
「遠い人々の悲劇は抽象的である。
われわれにとってパレスチナは遠い。
彼らの受難を具体的なものとして受け止めるために、われわれはこの映画を見なければならない。
パレスチナの人々の運命を、名前と顔を持つ友だちの身に起こったこととして感じ取らなければならない。
広河隆一と彼らの何十年にも亘る親密なつきあいがそれを可能にしてくれる」

映画『パレスチナ1948 NAKBA』サイト
単行本『パレスチナ1948 NAKBA』(広河隆一/合同出版)


この劇場版とは別に、DVD-BOX「広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA」の日本語版全30巻(約45時間)が完成(英語版は2月ころ完成予定)。
パレスティナ難民に関する国際的な第一級史料となる。

2009年1月8日(19時開演/文京シビックホール・小ホール)
広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA 完成報告と試写会

1 6, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年12月24日

『うたまる vol.2』〜Live Performance "LOVE"〜に拍手

友人の俳優、近藤佑子ちゃんと岡田誠さんのユニットを中心とした『ウタマル Vol.2』(中目黒『楽屋』)。

今回は佑子ちゃんが台本を考え、歌だけではなくActというかお芝居がらみ。テーマは"LOVE"。
岡田さんはオペレッタもてがけるからコミカルな役も堂に入っていておかし味が素晴らしい。

小林旭、中島みゆき、桜田淳子(?)等の昔懐かしい歌でもあり、またいつの時代のものでもありうるような歌とともにLOVEをめぐる哀感と希望を歌い上げる。

佑子ちゃん、結婚相談員から魔性の女、田舎娘まで七変化。

中島崇さんのイラストを使った、デザイン学科卒業生、斎藤慎次郎くんのVJが前回に増して冴える。

次回も楽しみ。

過去記事:
ウタマル vol.1

近藤佑子オフィシャルブログ 3歩あるいて5歩さがる

12 24, 2008 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年12月22日

年内授業のクロージング

今年から発足した映像デザインクラス授業のクロージング。
「上野毛デザイン学科生の生活と意見」という共通テーマで1分間の映像作品(技法は自由)という課題だった(年明けにはブラッシュアップしてウェブでも観られるようにする予定)

これで年内の授業はすべて終わり。

12 22, 2008 07.デザインの世界, 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年11月25日

EUROPEANA しばしおあずけ

ルーブルをはじめとする多数のミュージアム、図書館、文化施設などの協力のもとに集めた古今のヨーロッパ文化資産(フィルム素材、写真、絵画、音声、地図、手稿、書籍、新聞、記録文献等、現在200万点にのぼる)をウェブで閲覧できる壮大なサイト「EUROPEANA」が20日オープンで楽しみにしていた。

しかしなかなかうまく繋がらないと思っていたら、1時間に1,000万を超えるアクセスのためサーバーがダウンしたとのこと。12月中旬には再開する予定。

EUROPEANAトップページでデモビデオとPowerPointダウロードで片鱗を見ることができる。

11 25, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 10.美術工芸, 12.写真・映像・映画・演劇, 13.音楽の楽しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年11月09日

ジーンズのポケットの中の手紙

スーパーでも大規模衣料品店でもブランドショップでもいい、安いだとか気に入ったとか一本のジーンズを買って家に帰り、ポケットのなかに一通の手紙が入っているのを見つけたらどうだろうか。

このジーンズを作った中国の工場のまだ童顔の16歳の少女からの手紙。

それはたとえば無農薬有機栽培にこだわり、丹誠込めて私たち夫婦がこの野菜をつくりました、という生産者のネーム入りカードとはまったく異なる背景を持っている。

この少女は、過酷な労働の実情を訴えたいわけではない。
いやもちろん訴えられれば訴えたいがそんなことはできない(今の中国で労働組合の結成や運動は認められていない)。
それ以上に少女は純粋に知りたいのだ。

「オービットがファスナーを付け、私ジャスミンが糸を切りました。これをはくあなたはどんな人なのでしょうか?
もしよかったら手紙をください。
中国広東省○○市○○工場気付ジャスミン・リー」

自分たちが毎日作っているジーンズが見も知らず知識もない外国に運ばれ、こんな巨大なXLサイズを買ってはく人と生活と人生をまったく想像できない。だからこそ知りたいしコミュニケートしたいのだ。

少女はこの夢を同僚に語るが、そんなことをしたらバイヤーにすぐ見つかって即クビだよと諭される。


『女工哀歌(エレジー)』(原題:China Blue/監督:ミカ・X・ペレド/2005)を渋谷イメージ・フォーラムで最終日に観る。

ミカ・X・ペレドはスイス生まれ、イスラエル育ち、様々な職業を経た後ドキュメンタリー映画作家となる。
観ていないが前作で『Store Wars: When Wal-Mart Comes to Town』(2001)を作り、世界最大のスーパー「ウォルマート」(売上高は世界20位以内の国家GDPに匹敵する)が地方都市に進出することで生まれる葛藤を描いた。

その後「ウォルマート」のような小売り企業がどうやって安い商品を作っているのかを探り、中国のジーンズ縫製工場をテーマに選ぶ。

この撮影が、「児童労働」「労働搾取工場(Sweatshop)」といっていい実態を知られる事を恐れる中国政府当局、作らせている「ウォルマート」のようなグローバル企業、現地工場のいずれからもの拒否、妨害にあい至難の極みだったことは想像に難くない。
結果としてこれだけの密着したドキュメンタリー映画が完成したことが奇跡に思われる。

当初撮っていた主人公に据えた少女の映像は中国当局にフィルムを没収され、少女もおびえ、別の設定にして撮り直さざるをえなかった。
再度据え直した主人公ジャスミン・リーも後半では接触を断たれ、彼女の発言は吹き替えで作られたという。


水牛が田を耕し、アヒルや豚を飼ってなんとか生活している四川省の農民に二人目の娘を上級学校に入れさせる資力はない。
16歳のジャスミン・リーは広東省の工場の募集広告を頼りに、ショルダーバックとポリバケツに身の回りのものを詰め、汽車で2日間をかけ工場にたどり着き門をたたく。こちらで募集していませんか。
1億数千万ともいわれる農村から都会への「農工」の一員。

ジーンズ縫製工程の細かく残った余り糸を切りはらう仕事。
工場内の4階建て寄宿舎。一部屋に12名が2段ベッドで寝起きする。
作業開始朝8時、終わりは…納期によってわからない。
私語が禁じられている職場でかすかにかわすことばは例えば「今日やっておかないと、明日はもっときついよ」。
「午前3時」の灯りが付いた仕事場。交代の夜勤者ではない。朝から働き詰めなのだ。
わずかな休憩時間にジーンズの山のなかに倒れ込む少女たち。

過酷な残業と度重なる給料の遅配、恣意的な理由をつけた理不尽な罰金天引きなどにとうとう少女たちは罷業におよぶ。
経営者に詰め寄る先頭にたっていたのはわずか14歳の子だった(中国では表向き15歳以下の雇用を禁じているが、偽造IDは簡単に手に入り、経営者も黙認する)。

少女たちの月給(払われれば)は約3,000円からよくて7,800円ほど(歩合給)。
食費、寄宿費、罰金その他良く分からない費目でも引かれ、故郷への仕送りもままならない。

15〜16名ほどでつくるジーンズ1本あたり、彼女たちが受け取る賃金はあわせて約100円。
1人あたりでは約8円弱。

コンテナに積まれ、たとえばLAのウォルマートで開梱され無造作に「Sale」の貼紙がされるとき20〜40ドル(2,000円〜4,000円)となる。

早期退職を防ぐため、初めの月の給料は留め置かれる。
正月の帰省の交通費もないため寄宿舎でじっと涙をこらえるジャスミンの姿が哀しい。
束の間、街に出かけ、友達と一緒に故郷に送るためのポラロイド写真を40円ほどで。
安っぽい中国庭園の絵の背景で同じく安っぽい赤いチャイナドレスの貸し着姿。
カメラがダウンすると足元はすりきれたスニーカー…。


ミカ・X・ペレドは当然このような市場至上主義とグローバリゼーションが生み出しているひずみに憤っている。
しかしそれを声高に映像のなかで主張しようとはしない。

それは、毎日、自分のこと、まわりのこと、そして師について修行を積み両親をいじめる悪い役人をこらしめる弟子の夢想のお話を日記に記し続けるジャスミンの姿と、世界を知りたい、つながりたいという彼女のイマジネーションを通して、静かに圧倒的に伝わってくる。


こういう事態を許しているのは誰に責任があるか?
儲かればいいというグローバル企業にあるだろう。きちんと取り組まない政府にもあるだろう、工場の経営者にもあるだろう。
しかし、最大の責任は、こういうことを知ろうという意思や意欲を持たず少しでも安いものやブランドものを追い求め、想像力を働かせない私たち自身にある。


今のところはないだろう。
しかし、買ってきたジーンズのポケットの中にあるかもしれない無数のジャスミンたちの手紙をイマジンし続けよう。


Sweatshop(スウェットショップ)についての過去記事:
「PLAY FAIR プレイフェア」(オックスファム・インターナショナル・オリンピックキャンペーン)

11 9, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年10月08日

悼・緒形拳さん

庭に繁茂しているシソが穂を出し花も付け始めた。
刈り込んで、穂ジソ酒に。

現代日本随一の名優、緒形拳さんの訃報に接し、この酒はじっくり漬け込んで、冥福を祈りながら飲むことにする。

合掌。

10 8, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 23.日々のなかで | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年08月27日

Asia(鎌倉材木座)で

材木座のビーチハウス「Asia(エイジア)」のマハロちゃんと。

浜太郎さんの写真が展示されている(31日まで)。


Asia

写真家が紹介する湘南鎌倉の写真と情報のサイト
e-kamakura

8 27, 2008 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年07月06日

『ウタマル Vol.1』(中目黒・楽屋)

友人の俳優、近藤佑子ちゃんがミュージカルで活躍する岡田誠さんと新しく始めたユニット『ウタマル Vol.1』。

佑子ちゃんは傷心を抱えて屋久島に行ったとき、屋久島の水はそこだけですべて循環しているという話しを聞いて感動する。

人も人生も、ハッピーなときもアンハッピーなときも、こころに染みてくる歌や音楽があり、まるで「まる」のようにぐるんぐるん回って元気を与えてくれる。
で「ウタマル」。

はじめ、本格的オペラ発声の岡田さんとポップス発声でソプラノ域の音程やや不安定な佑子ちゃんのミスマッチにちょっと不安、MCも少し浮き気味だったが、だんだん馴染んできて『東京ドドンパ娘』『青い山脈』『西銀座駅前』など戦後スタンダードが楽しい。

バックもいい。
バンマスのピアノ・森藤昌司さん、ととくに「シャミカツ」こと塚原勝利さんの三味線が印象的。

授業を手伝ってもらい一緒に仕事もしているデザイン学科の卒業生、斎藤慎次郎がVJをやっていたので驚く。


近藤佑子オフィシャルブログ 3歩あるいて5歩さがる

7 6, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 13.音楽の楽しみ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月21日

ルナちゃんに『ALWAYS 三丁目の夕日』を観せる

ルナちゃんに『ALWAYS 三丁目の夕日』を観せる。

横で私が「日ー英ー西翻訳ソフト」を使って打ち込み、スペイン語での説明をリアルタイムで示す。

「これは50年前の東京」(Es hace 50 años Tokio)
「東京は今とはまったく違う」(Tokio es ahora totalmente diferente)
「彼女は田舎から働きに来た」(Vino a trabajar del país)
「彼女は仕事が期待と違うのでがっかりした」(Porque era diferente de la expectativa en trabajo, fue defraudada)
「売れない小説家」(El novelista que no es popular)
「ルナと同じ小学校5年生」(Un quinto alumno mismo como Luna)
「彼は、彼女は自動車修理が得意と思いこんだ」(Le convencieron que estaba buena en la reparación del coche)
「彼女は借金をかかえていて、元の踊り子に戻らねばならない」(Tiene una deuda y debe devolverse a una muchacha del baile original)

といった具合。

「ただいま」「お帰り」「やったぁ〜」などと繰り返している。

感想は、muy lindo(かわいい)、interesante(面白い)、gusto mucho(とっても好き)


庭の色づいたミニトマトやワイルドストロベリーを摘ませたり、シソ、レモンバーム、バジル、三ツ葉、アップルミント、ペパーミントなどの葉の香りをかがせたりした後、麻心に連れ帰る。

父親のシンさんに、面白かった、泣きそうになった、と報告している。


写真は、混み合う店で配膳や片付けを手伝うルナちゃん。


讃『ALLWAYS 三丁目の夕日』
『ALWAYS 続・三丁目の夕日

6 21, 2008 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年04月13日

『そのあとに』佐藤真紀子-卒業制作作品

新学期が始まり、新4年生も卒業制作開始モードに入った。

昨年度の「卒業制作優秀作品集」の担当教員コメントを書くために、佐藤真紀子さんの『そのあとに』を観なおす。


世界を見渡せば、むきだしの暴力や抑圧、そして環境、生活破壊が溢れている。

日本の若い世代も自分への自信もこれからの社会への希望も持てず閉塞と鬱屈に向かう。

「人」とのつながりを求め、そのなかでの「自分」を「検索」してみても「氏ね(死ね)。氏ね。氏ね。…………」の画面がスクロールする。

リストカットや戦争や日常を含む混沌としたイメージの積み重ねが今の日本の若い世代が置かれた心象風景を象徴する。

「私」を削除してもよろしいですか?
[はい][いいえ]

[はい]を押そうとするエンターキーに伸びる手を別の手がかろうじて抑える。

佐藤真紀子さんの卒制映像作品『そのあとに』は約5分間たらずのものだが、長い時間をかけて膨大な素材を撮影して編集し、全編を通して流れる同名の歌も自作自唱している。

他の大学の大学院心理教育相談室で働いていて向き合った人々との体験から考えたこともあるだろう。
3年生のとき、自分史と世界の同時代戦争史を結びつけてサイトを作ったことも基盤にあるだろう。

「今、私達が生きているこの世界はその『後』でしか知ることができない。だから、どうか消してしまわないで、その命」


後輩たち、今年度の卒業制作も、こうした全人的な経験、考察、制作実績にもとづいて取り組んでほしい。

4 13, 2008 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年03月15日

『TibetTibet チベットチベット』(監督・キム・スンヨン)

先月、麻心(鎌倉長谷)で常連たちと『TibetTibet(チベットチベット)』(監督キム・スンヨン/2005年リニューアル編集版)のDVDを観た。
監督のキム・スンヨン(金昇龍・日本名 金森太郎)さんも招いて話も聴いた。

死傷者数百名にのぼるだろうラサでの武力弾圧、インドでの亡命チベット人たちへの弾圧のニュースが続き、店にまだおいてあったDVDを借りてきて再び見る。

在日韓国人3世の彼は1998年、ビデオカメラを手にしてあてのない世界旅行へと下関港をあとにする。
「僕は世界を見てみたかった。はじめはそれだけだった…」

ところがモンゴルの遊牧民のゲルの中でダライ・ラマ14世の写真を見かけ(中国ではダライ・ラマ14世の写真や肖像画を持つことは禁じられている)、チベット人の自由と尊厳、歴史と文化のために亡命し静かに闘っている姿に関心を持つ。

日本人として育っても日本名と本名とを持つ在日コリアンだから持たざるをえない「国家」と「民族性」への複雑な想いとアイデンティティの不安がこの関心の底にあるだろう。

彼はダライ・ラマと多数の亡命チベット人が暮らす北インド・ダラムサラに向かう。

僧侶たちから1989年の大弾圧の様子をいろいろ聴き(まさに今行われているだろうことと同じ悲惨な実態)、この受難が今も続いていることを少しでも多くの人に伝えたいと思うようになる。

亡命政府に願い出て10日間のダライ・ラマへの密着取材を許される。
これまでの取材は「白人ばかり」だったが、日本から来たということで特別にとりはかられたという。

ここで描かれているダライ・ラマの姿と話はチベット仏教の指導者ということをこえて、自然体でユーモアもある本当の偉大な賢者として感動的だ。

「やるかやらないか迷った時はやってみるといい。こうすればこうなるかもしれないと思い描いた時点で、人はそのアイディアをすでにかなり実現しているのだ。やってみるといい結果につながることの方が多い。やってみて、間違いだと気付いたらその時点ですぐに止めればいい。やり始めたことだからとか見栄で続けていると当然悪い結果がやってくる」

その言葉に鼓舞されてこのドキュメンタリー・ロードムービー映画を完成することができたと彼は言う。


FREE TIBET !
チベットに自由を!


キム・スンヨンさんのサイト

TibetTibetーチベットチベットサイト
こちらでDVDを購入できます。


【チベット関連サイト】

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
(チベットの歴史から文化、ニュースまで詳細)

チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン(TSNJ)
(日本国内のチベット支援グループの連絡組織。3月8日にも在日チベット人と協同し新宿で抗議デモを行った)

I LOVE TIBET!
(チベットを愛する日本人ライター&エディターの個人サイト)

Tibet TV Online
(チベット亡命政府によるオンラインTVサイト)

チベット亡命政府オフィシャルサイト
(英語)

ダライ・ラマ法王庁オフィシャルサイト
(英語だがビデオも多数)

Free Tibet Campaign
(ロンドンに本部をおく自由チベットサイト)

Internatyonal Campaign for Tibet
(ワシントンに本部をおくチベット問題キャンペーンサイト)

Tibetan Centre for Human Rights and Democracy
(インドに拠点をおくNPOチベット人権民主化センター/英語・最新のニュース)

福島香織さんのページ
(産経新聞中国総局記者・福島香織さんのブログ。2002年から北京在住。この間のチベット情報のまとめなど詳しい)

3 15, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(4) | トラックバック(2)

2008年03月03日

『ヒトラーの贋札(にせさつ)』

若い頃から製版・印刷の世界に携わってきたので、紙幣の偽造がどれほど難しいことかはよく分かる。

試しに1万円札でも5千円札でも、あるいは海外旅行で使い残したユーロやドル札をじっくりと、できればルーペを使って見てほしい。
印刷の世界で紙幣の製版・印刷ほど技術的に高度なものはないのだ。

もし本当に見破られないほどの精巧な偽造しようとするなら、さまざまな難関をクリアしなくてはならない。
第一に用紙。第二に印刷のための製版。第三に印刷(透かしや使用インキを含む)。

ナチスドイツは第二次世界大戦直前から贋札により主敵国であるイギリス経済を混乱に陥れようと計画していた。1942年にはベルリン近郊ザクセンハウゼン強制収容所に極秘に贋札工房が造られ、アウシュビッツをはじめとする支配圏の強制収容所からユダヤ人製版・印刷技術者、贋札贋証明書造りのプロなどが移送され、英ポンド紙幣、のちにドル紙幣の偽造を計る。44年の時点で144名のユダヤ人技術者がこの作業に従事していたという。

従わなければ即銃殺、従えばナチスに資し同胞を窮地に陥れる。いずれにしても口封じに殺される運命。
同時にマイスター(職人)としての自らの技術の誇り。

彼らの作ったポンド紙幣はスイスのイングランド銀行でさえ贋札と見抜けなかった。

今年の米アカデミー賞外国語映画賞などを受賞した『ヒトラーの贋札』(監督・ステファン・ルツォヴィッキー)は、贋札づくりを強要されるユダヤ系ロシア人の国際的贋作師を中心に、このプロセスを三脚もクレーンも使わない手持ちカメラのドキュメンタリータッチで描く。

全編にわたるこれほどまでにすさまじい緊迫感、緊張感を感じた映画は、ざっと思い起こしても記憶に無い。

3 3, 2008 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年02月24日

『コールドケース(Cold Case)』

アメリカ自治領サイパンで「ロス疑惑」の三浦和義容疑者(アメリカにとっては1988年の逮捕状以来容疑者状態)がロス市警の指示で逮捕されたという報道に、WOWOWで放映されているアメリカのTVシリーズ『コールドケース(Cold Case)』を思い起こす。

アメリカでは各州とも殺人罪などの凶悪犯罪に原則として時効はない。

これは『CSI:科学捜査班』シリーズなどを手がけたジェリー・ブラッカイマーが2003年から作っているシリーズ。
フィラデルフィア市警殺人課のリリー・ラッシュ(キャスリン・モリス)を主人公に、時には1939年の事件にまでさかのぼる未解決の凶悪犯罪(通称「コールドケース」)の捜査と人間模様を濃密に描く。

徹底した時代考証をもとにした昔の事件当時のフラッシュ・バック映像が凝っている。画質や色調の処理、当時のコスチュームや風景、ノスタルジックな音楽の使い方、犯人等の若い頃と現在の顔の入れ替えなど素晴らしい。

おそらくはロス市警にもこうした捜査官たちがいるのだろう。

2 24, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年02月05日

「絵になる写真は絵にする」

Daisy's Cafe(鎌倉長谷)で八咲潮(やさきうしお)さんの個展「Brushics」(2月27日まで)。
窓ガラスの表示シールが木壁に映りこみ、陽の移りで変化して美しい。

八咲さんはもともとは広告関係のグラフィックデザイナーだった。
ところが、日本のファッションイラストレーションの草分け、長沢節(1917-99)のセツモードセミナーに入門したことがきっかけで、それまでのすべての創作をリセットし、ベーシックな水彩風景画と人物デッサンに明け暮れたという。

2003年に鎌倉に移住したのを契機に始めた鎌倉の風景画シリーズ「Brushics」。

ちょっと離れたところから見ると写真だと思う。
近寄ってよく見ると筆で描き込まれた絵。
一頃のスーパーリアリズムのイラストとも違う。

レンズで切り撮った画像イメージが、もし夢の中に出てきたらこうだろうという印象。

それぞれの場所のマップもついていて楽しい。

2 5, 2008 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 07.デザインの世界, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2007年12月25日

クリスマス『賢者の贈り物』

BSで『賢者の贈り物』の人形劇を放映していた。

貧しい若夫婦のクリスマスプレゼントをめぐる哀しくしかし心暖まるものがたり。

妻は夫が祖父以来受け継いだ立派な金時計のためのプラチナの鎖を贈りたいと思っている。
夫は妻の長く美しい髪のための鼈甲の櫛を贈りたい。

しかし二人とも金はない。
妻は膝まで届く見事な長髪をかつら用に売り、夫は金時計を売って金を工面する。

プレゼントを交換しあったとき、それを用立てるはずのものはお互いすでに無かった。


『最後の一葉』とならぶオー・ヘンリー(1862-1910)の代表作。
二人はお互いのために愚かにも家にある最高の宝物をふたつとも無くしてしまった。
しかし世界中どこであってもこのような人たちが最高の賢者なのだ、とヘンリーは締めくくっている。

原題『The Gift of the Magi』の「Magi(メイジャイ)」は、イエスの誕生の際、贈り物をもってきた東方の三博士(マタイ伝)。


さまざまな文庫本等が出ているが、ネット上でも青空文庫で邦訳が、Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)で英語原文がダウンロードできる。

12 25, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年11月30日

岩波窵寘文庫の復刻

子どもの頃、父や当時同居していた叔父の本箱にたくさんの「岩波窵寘(写真)文庫」があった。
64ページほどの背のない中綴じで、モノクロなのだが表紙左にポイント的に使われている赤帯が効果的な目印となっている。

写真家、名取洋之助(1910〜62)が編集に携わり、戦前ドイツで学んだ記録・報道写真や編集的コンテクストを持つ「組写真」の技法を取り入れることによるメッセージ性、伝達性を強めたつくりで、小学生のころ、難しい文章はわからなくとも、写真を見ているだけで知らない世界が拡がって楽しく、家にあるものにはすべて目を通した。

その後、中学高校の図書館で読んだものや、自分で買ったものを含めれば、1950(昭和25)年から58(昭和33)年まで刊行された286冊には、たぶんほとんどすべて触れていると思う。

今では一冊も手元にはなかったのだが、先頃、画家・作家の赤瀬川原平セレクション10冊が復刻出版されさっそく購入。

『汽車』『南氷洋の捕鯨』『蛔虫』『ソヴェト連邦』『馬』『戦争と日本人ーあるカメラマンの記録ー』『石炭』『一年生ーある小学教師の記録ー』『自動車の話』『日本ー1955年10月8日ー』。


何十年ぶりかの再会をじっくり楽しみたい。

あわせて『戦後腹ペコ時代のシャッター音ー岩波写真文庫再発見』(赤瀬川原平・岩波書店)も。

11 30, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年11月23日

『いのちの食べかた』を観る

私たちヒトは、すべて植物や動物という他の「いのち」を日々食べることによってしか生きていけない。

にもかかわらず、私たちはこれらの「いのち」が現在どのように育てられ、「収穫」「屠殺」「加工」され「食品」となってスーパーやコンビニの店頭に並ぶのかほとんど何も知らない。

生きている牛や豚や鶏はもちろん知っている。
しかしそこからパッケージされた「牛ロース300g」や「豚バラ肉200g」などになるプロセスを、繰り返すがほとんど何も知らない。


オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督・撮影のドキュメンタリー『いのちの食べかた』(原題『Our Daily Bread』日々の糧)をイメージフォーラムシアター(渋谷)で観る。

ここで撮し出されているヨーロッパの大規模な農畜産漁業の姿には、明るい草原でのどかに草を喰む牛とか、丹誠こめて作った作物を純朴そうな農家の娘が嬉しげに収穫するなどという私たちがなんとなく希望的にイメージする牧歌的な光景など微塵もない。

たとえばフランスやイギリスの田舎あたりでは今でもよくあるだろう、週末の猟で仕留めた兎や鹿を庭でさばいて軒下につるし、裏庭で育てた野菜やハーブを採り、川や湖で釣った魚をおろし、来客のためにジビエ料理やシチューの準備をするなどという暮らしのあり方、作物を育て世話をする手間苦労と楽しみ、収穫の喜び、大地の恵みへの感謝の気持ち、あるいは家畜とともに暮らし、やがて手放したり殺したりするときの哀しみなどの人間的感情の一切入り込む隙間もない対極にある「生産性・経済性第一」の工業的光景がここには拡がる。


モノカルチャーの大量農作物育成と生産性第一のやり方は自然に反するために必ず無理を生じ、さまざまな農薬や化学肥料を必要とする。

種子を採るための広大なひまわり畑にぶ~んと複葉機が飛んでくる。こちらに向きを変えた瞬間、農薬(短期で種子を収穫できるようにするための枯凋剤)の猛烈な散布が始まり、カメラに向かって白粉が拡がり、観ているわれわれも全身にそれを浴びる。

防毒マスクを着けた完全装備のスタッフに半自動化された散布機で農薬を浴びせられるトマトたち。
巨大な温室のなかのパプリカは自然の土ではなくパッケージ化されたロックウールにコンピュータ制御された養液を注入されて実る。レール自走式の農薬散布と収穫。
まるで奴隷のように実って嬉しいだろうか、きみたち…。


見たこともないような機械やシステムが出てくる。

クワガタのような先端を持つマシンがアーモンド畑を進む。
なんのためになにをしようとするのか。
やがて太い幹を抱え込む。
次の数秒間、いや十数秒だろうか、強烈な振動が樹に加えられ、実がこぼれ落ちる。
電気ショックによる拷問のよう。
おもむろに後続のシャベルカーが現れ実を取り込む。

地上に降り立ったUFOが扉を開けるときのように、キーンという音とともに車から長いウィングが畑に全開する。
一斉に農薬散布。

ピッチングマシンのようなもので次々にベルトコンベアにほうり込まれるヒヨコたち。
雌牛が眼の前にいて発情しても実際の交配などさせず人工膣で精液を人工授精用に「横取り」される雄牛。
遡上してくる鮭の群れは網などでは採らない。巨大な真空ポンプでチューブに吸い上げられる。
職人が3枚におろすなどという悠長なことはしない。
ベルトコンベアに「セット」された鮭はマシンによって自動的に腹を割かれ、内蔵はチューブで瞬時に吸い取られ次の「工程」に送り込まれる。

映像は撮されている内容・意味と対照的にとてもアーティスティックで美しい。
ただしナレーションもテロップもBGMも一切ない。
すべて実音のみ。

機械に押しつけられる子豚の悲鳴、額に電撃ショックを与えられ崩れ落ちても心臓はまだ動いている今際の際(いまわのきわ)の牛の息吹き、逆さに吊された牛の血や胃液の流れ落ちる音、何万羽という鶏の鳴き声、さまざまな無機質で規則的なマシンやベルトコンベアの音、わずかに異国からの出稼ぎ労働者仲間の昼食時のアラビア語会話…。

コンベアで流れてくる臓物を淡々と処理する、あるいは豚の脚先を黙々と切り取るなどの作業をしていた女性が、サンドイッチのランチを孤独に無表情にあまり旨そうにではなく食べる姿が哀しい。


私たちが、日々恩恵を(やむを得ずではあれ)受けながら、目を逸らしている「食」の大元の現実がここにある。


「食とはいのちの矛盾を咀嚼することでもある。これは欧米も日本も変わらない。生きとし生けるものの業であるこの矛盾を、僕たちは整合化してはならない。矛盾は矛盾として受容せねばならない。端数を四捨五入してはならない。忘れないこと。意識におくこと。目をそむけないないこと。凝視すること。
そのためにこの映画はある」(森達也)


映画『いのちの食べかた』サイト

『いのちの食べかた』(森達也・理論社よりみちパンセ)の過去記事

11 23, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 19.食と農、健康と病, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年11月04日

『ALWAYS 続・三丁目の夕日』

『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(監督・山崎貴)を観る。

前作『ALWAYS 三丁目の夕日』のときにも書いたが、原作者の西岸良平は私と同じ1947(昭和22)年生まれで、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の舞台である1959(昭和34)年春の東京で私も淳之介や一平と同じく小学6年生になった。

がむしゃらな高度成長に突っ走り始める直前、すでに「戦後は終わった」とはいえ、まだまだ貧しく生活はつつましく、また子ども心にも世の中の貧富の差は見えていた。

漱石が三四郎を書いた西片町(現・文京区西片)の高台の家の近くに住んでいたが、小石川の小学校(東京学芸大学附属竹早小学校)へ行く途中では、坂を下ると八千代町のごみごみした長屋が建ち並び、『太陽のない街』(徳永直)に描かれた白山下の労働者街が当時の面影をまだ残し、原っぱや防空壕の跡などがあちこちにあり、同じく西片に邸宅をかまえる企業の社長の息子と柳町の粗末な家に住むその社長の運転手の息子が同じクラスにいたりした。

たまの日曜日、おめかしして都電に乗り、日本橋三越の食堂でお子様ランチを食べるなどというのが最高の贅沢だった。

スタッフやキャストのほとんどがこの時代を実際には知らないようだが、エンディングで描かれているように、日本橋の川沿いには、今御茶ノ水の一角に名残をとどめているような民家とも事務所ともわからない木造の家が連なり、22番の都電が走る、まだ東京の空が広かった頃の夕景は私のデジャビューとして確かなリアリティと共にある。

キャストが皆いい。
淳之介(須賀健太)にまた、そして今回はなによりヒロミ(小雪)に泣かされる。

11 4, 2007 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年10月22日

ラップで中也

60年代前半、中学から高校のころ、詩をずいぶんと読み、また書きちらしていた。
中原中也ももちろん大好きだった。

まだニキビ面のガキなのに、

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
(山羊の歌・帰郷)

とか

私はその日人生に、
椅子を失くした。
(山羊の歌・港市の秋)

思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど
(在りし日の歌・頑是ない歌)

などと気だるくつぶやいて、数学の課題を解くのをあきらめ、教室の窓外を眺めたりしていた。


鎌倉文学館(長谷)前庭での「ルートカルチャー」の催し、作家の高橋源一郎とDJ・高木完による中原中也の詩の朗読ライブ。

普通に朗読するのもあるのだが、DJのリズムに乗せてラップにしてしまうものがなんといっても面白い。
今ではもうあまりに過剰でナイーブにみえる中也のロマンティシズムと叙情をいったん剥ぎ取って、しかしそれでも残る詩のことばとオーラルなリズムの楽しさと苦さ。


(以下ラップ調で)

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる……

(山羊の歌・汚れつちまつた悲しみに……)


幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(山羊の歌・サーカス)


引用は大岡昇平編『中原中也詩集』(岩波文庫)


ROOT CULTURE FESTIVAL 2007 〜10/28

鎌倉文学館「企画展・中原中也 詩に生きて」 〜12/16

10 22, 2007 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月17日

カンヌの赤絨毯

1946年の第1回以来60回目になるカンヌ国際映画祭が開かれている。

かつて映画少年だった頃、アメリカのアカデミー賞などというハリウッドのお祭りは鼻でせせら笑い、カンヌのグランプリ(今はトロフィーの形にちなみ「パルム・ドール Palme d'Or 黄金の棕櫚の意と呼ばれる)を最高の指針として考え、その当時都内あちこちにあった名画座の上映予定広告に目をこらしていたものだった。

こうして、ナチスに対するレジスタンスを描いたルネ・クレマンの『鉄路の斗い』(46年第1回グランプリ)に始まり、キャロル・リード『第三の男』(49年第3回グランプリ)、フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』(60年第13回パルム・ドール)、ルキノ・ヴィスコンティ『山猫』(63年第16回パルム・ドール)などの世界にわけいっていった。


ニュースでおなじみ、映画祭メインホールのあるパレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ(Palais des Festivals et des Congres)正面の赤絨毯で。

5 17, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 27.ヨーロッパ行・考 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年05月01日

増山理人写真展「UN ABRAZO」(20日まで)

昨年11月から今年2月にかけ、再びニカラグアに渡り、首都マナグアに拡がるスラム路地裏の子供たちに会い、個人として活動してきた増山理人くんの報告と写真展が、鎌倉由比ガ浜の「ラ・ジュルネ」で開かれている(5月20日まで)。

今回のタイトルは、スペイン語で「抱擁」を意味する「UN ABRAZO(ウン・アブラッソ)」。

「人の抱擁から、社会の抱擁から見捨てられた子どもたち。’貧しさ’に傷つけられながらも毎日を懸命に生きる子どもたち。そんな子どもたちに出会ってきた。…人を抱きしめたときにつたわる’ぬくもり’ 人を抱きしめたときにつたわる’愛情’、そんなものしか彼らに与えることはできないが そんなことしか自分にはできないが そんな抱擁を彼らに贈りたい」


増山理人くんのブログ

La Journee(ラ・ジュルネ)
鎌倉市由比ガ浜3-9-47 Tel: 0467-23-6731

5 1, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年04月20日

映画『不都合な真実』とプレゼンテーション

アル・ゴアは2004年の大統領選で疑惑に満ちた集計判定によりブッシュに敗れる。
その失意の後、彼がしたのは、ずっと以前から取り組んでいる地球温暖化について警鐘を鳴らす米国内はもとより世界各地での講演行脚だった。

この講演をきいた映画プロデューサーたちが感銘を受け、講演ではせいぜい一回百名ほどの人にしか伝わらない、この問題がどれほど焦眉のものであるか、できるだけ多くの人に伝えられなくてはならないと考え、映画『不都合な真実』を作りあげる。

3月の卒業式でデザイン学科の山中玄三郎先生が教授代表として祝辞を述べられ、そのなかで3回も観られたこの映画のことを中心に話されたことをきっかけに、学科の教員たちで話し合い、デザイン学科をあげて、できることからこのテーマに取り組もうということになった。

ポスターもあるだろう、ウェブはもちろん、ダイアグラムやさまざまなインフォグラフィックスもありうる。アニメーションや映像、新しいプロダクトや空間の提案でもいい。卒業制作でもこのテーマに取り組む学生が出てきてほしい。

私の4月からの授業『イメージと文字』はその第一弾。

この映画はデザインを志す学生すべてに観てほしい。
内容はもちろんなのだが、現在までにゆうに1,000回を越える講演のなかで練り上げられたゴアのスライドショー(といってもアニメーションや映像を含む)プレゼンテーションが素晴らしく、プレゼンテーションとはどうあるべきかの絶好のサンプルとなっている。

4 20, 2007 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇, 31. 「不都合な真実」をデザインする | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年11月11日

ライカの卓上三脚

カメラの三脚はもっぱらジッツォ(Gitzo)を使ってきているのだが、一番小さいものでもヨーロッパ3ヶ月旅行にはきつい。

で、ライカ銀座店でTable Tripod(卓上三脚)とBall & Socket Head(雲台)をLEICA D-LUX3用に。

レンズまでの高さはわずか28cmだが自在に仰角を変えられるから卓上だけでなくどこでも使える。
夕食をとったレストランの秤で測ってもらうと三脚+雲台で340g。D-LUX3を載せて560g。

三脚と雲台とD-LUX3を一度締めてテーブルの上に置いてみて、まったくびくともしない安定感と美しいフォルム、質感にドイツ機械工業の精緻、精密、堅牢さを支えるマイスターたちの心意気が伝わってくるようで感動する。

11 11, 2006 07.デザインの世界, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年11月08日

LEICA D-LUX 3

12月から約3ヶ月ヨーロッパに行く。

問題はカメラ。
撮影旅行ではないが写真画像ももちろん資料として重要。
移動が多いので普段使っているCANON DIGITAL EOS 5DとEF交換レンズ群は重さとカサからしてあきらめる。

で、先月発売されたコンパクトデジカメ「LEICA(ライカ) D-LUX 3」を購入。
有効1020万画素、RAWで撮れる。
レンズはデジタル用Valio-Elmarit、35mm換算で28mm〜112mm、F2.8〜4.9。アスペクト比16:9で撮影できる。
SDカード、バッテリー込みでもわずか217g。

11 8, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年10月24日

『テルマ&ルイーズ』

何度も観ている『テルマ&ルイーズ』(1991年/監督リドリー・スコット)をWOWOWでやっていたので観てしまう。

アーカンソーの田舎町のウェイトレス、ルイーズが上司の空いているコティジに二日間息抜きに行くつもりで親友の主婦テルマを誘い車の旅に出る。
テルマは酒場で知り合った男に駐車場でレイプされそうになるが、おそらくは過去にレイプされた経験のあるルイーズは謝ろうとしない男をどうにも許せず射殺してしまう。
言い逃れはできないと観念した二人は中南部の広漠とした道をメキシコを目指し逃避行を始める。

事情はたぶんわかっていながら二人をかばう酒場の女の柔らかい啖呵がいい。
あまりうまくいっていないが危機に金を持ってかけつけたルイーズの恋人が、二度と会えないだろうことは察しながら「じゃ、またな」と別れを告げるシーンもいい。

指名手配されどんどん泥沼のような抜き差しならない状況になっていくにもかかわらず、逆に二人が生き生きと解放感を得ていくプロセスを演ずるスーザン・サランドンとジーナ・デイビスが素晴らしい。

自由に生きることの初めての実感。
囚われの身になるくらいならこの自由のなかで死ぬ。

「たとえどうなろうとこの旅は最高よ」
「悔いはないわ」「前向きな人ね」ー


大峡谷に全速で突っ込み飛翔していくラストシーンは心に焼き付く。

10 24, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(5) | トラックバック(0)

2006年10月05日

『Maria Full of Grace』(『そして、ひと粒のひかり』)

南米コロンビア出身の友人エクトル・シエラによれば、コロンビアは自然に恵まれた美しい国で、資源も豊か、多様な生物にあふれ、人々は素朴であたたか、陽気で楽天的。

一方でコロンビアは第二次大戦後から長く「内戦状態」といっていい状況にあり、政府軍、地方有力者が囲う民兵、左翼ゲリラなどの抗争がずっと続いている。
人口1000万の首都ボゴダでは毎晩30名が殺され、数十人が暴徒に襲われ、約100人が強盗に遭う。年間の誘拐は2000件、テロ攻撃は850件。
コロンビア人は母国を皮肉って「ロコンビア」と呼ぶ。「Loco」はスペイン語で「クレイジー」の意。
この映画もコロンビアではほとんど撮れなかった。

そしてさらに「麻薬民主主義社会(Narcodemocracy)」と呼ばれるほど麻薬カルテルが強大な力を政界にまで及ぼしている。

『そして、ひと粒のひかり』(原題『Maria Full of Grace』)-米&コロンビア/監督-ジョシュア・マーストン/2004

コロンビアの地方の町で薔薇のトゲ取りで一家の生計をしょっていた17歳の娘が、尊厳も品位(Grace)もない扱いの仕事と自分に依存する家族にどうにも我慢ができなくなる。
特に愛してもいなかった男との子を宿しながら、首都ボゴダに行き、5000ドルという(コロンビアでは家も買えるだろう)報酬につられ(「つられ」というのは正確ではない、彼女は自覚的に選択している)、麻薬の運び屋を引き受け、ヘロインを詰めた親指大ほどのゴム袋を62個も飲み込んでニューヨークに飛びたつ。

揺れ動く手持ち撮影を徹底しドキュメンタリーフィルムの味わいを通した脚本・監督のジョシュア・マーストンと凛とした(Full of Grace)主演のカタリーナ・サンディノ・モレノ(米アカデミー賞主演女優賞ノミネート他受賞多数)が素晴らしい。

『Collins Cobuild English Dictionary』の「Grace」の項、1と2。
1. If someone moves with grace, they move in a smooth, controled, and attractive way.
2. If someone behaves with grace, they behave in a pleasant, polite, and dignified way, even when they upset or being treated unfairly.

10 5, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年09月14日

増山理人写真展「CORAZON」at 上野毛キャンパス

増山理人写真展「CORAZON」(中米ニクアグラ、スラムの子どもたちと過ごした2年間の記録)を今日14日から21日まで、多摩美上野毛キャンパスの学食前で開催します。
14〜22時 / 17-18日は休み

20日(水)には公開特別講演会も行われます。
18〜21時 / 上野毛キャンパス講堂

いずれも一般の方のご来場、聴講は自由です。どうぞお越しください。

以前の記事をどうぞ。
6月8日の記事
7月2日の記事
7月3日の記事

9 14, 2006 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年09月04日

「国境なきアーティストたち」(ギャラリーf分の1)

「南米からの熱い風ー日本在住の中南米芸術家たちによる展覧会」の際、理人くんに続いてのプレゼンテーションを聴いていろいろ話しをし、知己となったエクトル・シエラ(Hector Sierra)さんによるミニ展覧会。
御茶ノ水「ギャラリーf分の1」(9月9日まで・03-3293-8756)

エクトル(写真中左)は1964年南米コロンビア生まれ。93年から東京在住。

映像制作を志すがコロンビアには適当な大学が無く、奨学制度のある旧ソ連ウクライナ共和国のキエフ大学映画監督学科に進む。キエフ大学は世界中(特に「第三世界」)からの留学生がたくさん集まっており、またグルジア生まれのアルメニア人で奇才・天才と呼ばれた映画監督セルゲイ・パラジャーノフ(1924-90 / 『火の馬』『ざくろの色』『スラム砦の伝説』『アシク・ケリブ』など)の助監督を務めたりすることで、異なる文化、民族、宗教の問題を体感する。

エクトルは日本を含むさまざまな国を旅するなかで日本に強く惹かれ、1993年奨学生として来日。九州芸術大学、そして日本大学芸術学部大学院で映像制作を研究。

修士作品として当時解体しつつあり緊張が高まっていたユーゴスラビア連邦・コソボの姿を自分の目で見、ドキュメンタリーを作りたいと考えてコソボに渡りNATO軍による空爆を体験するなかで、戦争に慣れてしまうことの恐ろしさ、そして「敵が誰か」ではなく「戦争そのもの」こそが最大の敵だと考えるようになる。

自分個人では戦争を止めさせるすべはない、けれどなにかをせずにはいられない。ベオグラードの友人たちからの悲鳴のようなメールや滞在した町が次々に破壊され人々が難民となっていく様をTVで見るなかで、エクトルはアーティストとしてできることを思案する。

食料や薬などの物資はいろいろな機関の援助があるだろう。しかし戦争によって打ちのめされた人々の心のケアには手がまわらない。特に心に深い傷を負った子どもたちに対しては。
戦災地や紛争地の子どもたちに芸術の種を蒔こう。心の傷をアートを通して浄化する機会を提供しよう。

こうしてエクトルが他のさまざまなアーティストの協力を得て1999年に作り国際的な活動を行っているのがNGO「国境なきアーティストたち(Artists Without Borders)」

今回はコソボ、バーミヤン、NYグラウンドゼロなどでの子どもたちとのワークショップで描かれた絵と、十二支の動物たちが「グローバリゼーション」について議論するエクトル作のお話に、コロンビア出身で武蔵野美術大学大学院を出たラウラ・スタニョ(LAURA STAGNO)さんが描いた愉快な絵の数々を展示。

私が行った2日には、翻訳(『世界の<水>が支配される!—グローバル水企業(ウオーター・バロン)の恐るべき実態』)やグローバリゼーションと環境・持続社会についてのNGO、情報提供、市民教育で活躍している佐久間智子さん(写真中右)を迎えてトークショー。聴講者も熱心に発言。

【写真上】ロシア軍の侵略破壊から逃れてきたチェチェン難民の少年(12歳)が「雨のイメージ」として描いた自分の生まれ育ち今は廃墟と化したチェチェン首都グロズヌイ。エクトルは世界の子どもたちに日本の文化の紹介や子どもたちとの交流をはかることも進めている。「美」「和」などの漢字と意味を教えると子どもたちは喜んで絵に取り入れる(エクトルは「習字絵」と名付けている)。漢字の「雨」は大人気。
【写真中】エクトル・シエラ(左)と佐久間智子さん(右)
【写真下】聴講者も熱心に発言する

国境なきアーティストたち(Artists Without Borders)サイト
『国境なきアーティスト』(エクトル・シエラ 子どもの未来社 寺子屋新書)
『あの日のことをかきました—ニューヨークとアフガニスタン 絵でつたえる子どもたちの心 』(エクトル・シエラ 講談社)

9 4, 2006 10.美術工芸, 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年09月03日

「世界の戦場から」写真展

石ころがごろごろしている地面にある三足の、いや正確には片方ずつ三個の靴の写真(撮影・桃井和馬)。
縫い目もほころび使い古し土埃にまみれている。
イラク、2004年2月16日。三人の男たち、爆死。

かつて三人のイラク人が履いていた靴。
それはユーセフとモハンムドとアブドゥルのものかもしれないし、ジュールジュと二人の弟のものかもしれない。
老父母や幼い子どもたちを養い、爆撃で傷ついた娘を瓦礫の中でろくに医薬品もない病院へと走り続けた靴かもしれない。
死んだ息子を抱きしめ血と涙が垂れ落ちた靴かもしれない。

そしてそれは誰のものでもありえ、またレバノンやパレスティナやチェチェンやアフガンやコソヴォの地のものであるかもしれない。

古典的な戦争では「戦場」とは戦闘員どおしが戦う場だった。
20世紀の無差別大量殺戮を経た21世紀の今、ここに切り取られた「戦場」は人々が暮らす「日常の場」だ。


日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーが出展(8月27日 地球市民かながわプラザで・すでに今回の展示は終了)。

JVJAは、9・11後の「反テロ戦争」の拡がりの中でますます力に寄り添うマスメディアの危機的な状況に抗し、人間の生命と尊厳と環境を守り伝えるためのフォトジャーナリズムを復権させようと2002年に広河隆一、古居みずえ、土井敏邦、山本宗輔、林克明などのフリーフォトジャーナリスト、ビデオジャーナリストにより結成された。

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)サイト
『フォトジャーナリスト13人の眼』(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会編・集英社新書)
『岩波フォト・ドキュメンタリー「世界の戦場から」』(岩波書店)ー『反テロ戦争の犠牲者たち』(広河隆一)他全11冊・別冊

9 3, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年08月31日

『絶望と希望の半世紀』展

東京都写真美術館で『絶望と希望の半世紀』展を観る(9月10日まで)。

第二次大戦中、それぞれの国家のプロパガンダと堕したフォトジャーナリズムへの反省から、1955年「世界報道写真財団(World Press Photo)」が設立された。
これは2005年に財団本部のあるオランダ・アムステルダムで開催された設立50周年記念展覧会の国際巡回展。

1955〜2005年の50年間を10年ごとに5つのテーマに分けている。
・1955〜1964 雑誌がビッグだったころ
・1965〜1974 ベトナム戦争の時代
・1975〜1984 ヒーローとアンチヒーロー
・1985〜1994 新しい世界秩序
・1995〜2005 報道アーティストの出現

アンリ・カルティエ=ブレッソン、ウォーカー・エバンズ、ユージン・スミス、エド・バンデル・エルスケン、リチャード・アベドン、ナン・ゴールドウィン、ジェイムズ・ナクトウェイ、セバスチャン・サルガドといった20世紀後半写真史上の巨匠たちが、世界中の現場から人々と生起する歴史の現実を切り取り『ライフ』『パリマッチ』『ナショナル・ジオグラフィック』『シュテルン』などを舞台に発信する。

「絶望」が99%に思えてくるなか、妊娠2ヶ月、体長わずか8cmですでにヒトとわかる胎内写真を見て、残り1%の「希望」を持ち続け、イメージし続けるしかないと感ずる。

8 31, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年08月29日

近藤佑子リーディングプレイ『お兄ちゃんの樹』

友人の俳優・近藤佑子ちゃんのリーディングプレイ『お兄ちゃんの樹』(作・演出╱高山広)をキッド・アイラック・アート・ホール(明大前)で。

『お兄ちゃんの樹』についての過去の記事はこちらー
2004年6月の記事
2005年4月の記事
2006年1月の記事

2003年の初演以来練り上げられてきた。
しかし今回の演出と祐子ちゃんの演技は、そうした「企図」と「演技」を感じさせない何かとてもナチュラルなものに昇華していたように思う。
打ちのめされ「身の置き所のない」絶望から生の歓喜へ、というやや直線的なものから、「今の私が強くなったのはね」とでもいうようなニュアンスを入れることによって、より陰影と力強さが増した。これまで少し理屈のことばが勝っていたラストも自然に刈り込まれ、すっと響く。

宗教的な意味ではないが、信じることと救い、喜びを「神々しく」表現した青年団の松本明菜さんの照明にも拍手。

次回は10月25日(水)16時・20時
キッド・アイラック・アート・ホール(03-3322-5564)

8 29, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年08月24日

『サラフィナ!』-「自由はまだ始まりなのよ」

『サラフィナ!』(1992・監督・ダレル・ジェームズ・ルート・イギリス/ドイツ/南アフリカ)。

アパルトヘイト(Apartheid・人種隔離政策、1991年に撤廃)下の南アフリカ、ケープタウンの「黒人居住区」ソウェトに住む、ズール語で「小さな天使」を意味する「サラフィナ(SARAFINA)」という高校生少女(レレティ・クマロ)を中心に描く。

1976年から89年までに、抵抗する高校生たちはおよそ750名も殺された。生徒たちは連行され「Lesson」として拷問が加えられていく。恐怖による屈服の強制と支配。

しかし、彼ら彼女らの自由への欲求を抑えることなどできるわけがない。

生徒たちに、政府が教科書として与える「シラバス」ではなく歴史を通して「ほんとうのこと」「学ぶべきこと」を教え、やがて連行され「自殺した」とされる女教師マソンブカ先生(ウービー・ゴールドバーグ)が印象的。

「いつの日か自由は必ず来るわ。でも自由はまだ始まりなのよ」

8 24, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年08月17日

『ロバート・キャパ写真集「戦争・平和・子どもたち」』

ロバート・キャパ(1913-54)はスペイン内戦、第二次世界大戦、インドシナ戦争とずっと戦場を撮り続けたが、同時にそのなかにある子どもたちの姿をたくさん撮った。
『ロバート・キャパ写真集「戦争・平和・子どもたち」』

弟のコーネル・キャパは述べる。「ここにあるのは、つまるところ、ボブ・キャパが密かに愛した家族、世界中に散らばっている彼の子どもたちのアルバムなのである。これらの写真のなかに私が見るのは、私たちの両親が子どものころの彼にそそいだ愛情、そして、私たちの母親ユリアが彼の生きている間じゅう惜しみなく彼に与えつづけた愛情が生み出した、利益配当金である。ここに見えてくるのは、それほどまでにたっぷりとそそがれた愛情や賞賛を、再投資し、こんどは自分がやさしく全世界の子どもたちに移しそそいでいるボブの姿である。」

上)1938年・西安。前年日本軍は盧溝橋事件を起こし本格的な中国侵略を押し進め、南京も占領していた。
中)1939年・バルセロナ。ファシスト・フランコ軍が迫る。市外へ避難するための車を待つ少女。
下)1944年・パリ。ナチスドイツからの解放を祝って。

8 17, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年08月07日

広島の日に-2 『爆心地復元』

NHKハイビジョン特集『爆心地復元』を観る。
生き残った人々の記憶やさまざまな記録からCGで爆心地の被爆前を再現する。

一瞬にして喪われたのは、このような街並みと家々に暮らす人々と生活だった。

8 7, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年07月24日

Authentic Blue - 關野直子写真展 at Daisy's Cafe

多摩美出身、鎌倉在住の染織デザイナー・關野直子さんの初の写真展を鎌倉長谷・Daysy's Cafeで(8月3日まで)。

3年ほど撮りためたという鎌倉の海と周辺の写真が楽しく爽やか。

Authentic Blue
Daysy's Cafe

7 24, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

『ドレスデン大空襲』(ドイツ・2005)

ドイツ・ブロードビューTVが2005年に制作し国際エミー賞も受賞したドキュメンタリー『ドレスデン大空襲』をNHK・BS1で見る。

第二次世界大戦末期、すでに大勢が決した1945年2月初め、クリミア半島ヤルタに連合国側の三首脳、米(ルーズベルト)、英(チャーチル)、ソ連(スターリン)が会し、戦後の枠組みを決める。
この席でチャーチルは、ドイツ東部戦線に近い諸都市の空爆により市民の混乱を引き起こすことを提案(英空軍爆撃司令部司令官アーサー・ハリス=別名『ボマー』・ハリス、絨毯爆撃の熱烈な支持者とされる、の意見が通ったらしい)、実行に移される。

2月13日夜ロンドンを飛び立ったイギリス空軍ランカスター爆撃機245機は陽動作戦により防空網をやすやす突破しドレスデン上空に達する。
第一波、通常爆弾500トン、焼夷弾、時限発火爆弾。
深夜の第二波は倍にのぼる529機、通常爆弾965トン、焼夷弾800トン。黄リンと合成ゴムを混合した発火物質も使われたといわれる(これは後に「ナパーム弾」などに「発展」する)。

ドレスデンは「アルプス北のフィレンツェ」と呼ばれたザクセンの古くからの美しい街。当時軍事施設などはなく、しかも「無防備都市」宣言をしていた。
中世からのバロック様式の建築が密集する街の中心部は一夜にして灰燼に帰す。

このドキュメンタリーはドイツで制作されたが、当時少年、少女だった生き残りの人たち(今はもう70〜90代)の実に生々しく具体的な証言とともに爆撃した側のイギリス兵のインタビューも丹念に収録している。

「外に出て焼けた材木の上を歩きました。気がつくとそれは材木ではなくすべて焼死体なのでした」
「軍事目標は何もない、ただ建物を破壊し市民を殺しました。それ以後私はずっと神に許しを乞い続けています」
「私は敬虔なクリスチャンでした。しかしこの空襲の体験のなかで信仰心を失ないました。もはや神を信じることはできません」

翌昼のアメリカ陸軍航空隊によるこれでもかという拷問のような第三波空爆。通常爆弾475トン、焼夷弾296トン。米軍は否定しているがエルベ河畔に避難している市民への低空飛行による機銃掃射。

当時約60万の市民にソ連軍の侵攻が迫るプロイセン地方などからの避難民が20万人ほどはドレスデンに流入していた。
この無差別爆撃による死者の数は35万とも3万5千ともいわれるが永久にわからない。

「人間の身体は600度で45分焼けば灰になります。このときのドレスデンは1200度の炎に包まれていたのですよ。死者の数になんの意味があるのでしょう」

写真中は60年の歳月をかけて復旧された「聖母教会(Frauenkirche)」
写真下はここに集い追悼の祈りを捧げる元イギリス爆撃隊員。

ヨーロッパ磁器制作発祥の地、マイセンが近郊にあり、来年2月に訪れる予定。

7 24, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年07月20日

ピンホール写真-3

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石垣と竹垣が続く由比ガ浜の小径。
行き交う人は会釈しあう。

7 20, 2006 01.私の好きな鎌倉の風景, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年07月19日

ピンホール写真-2

明治41(1908)年築の鎌倉長谷の邸宅。バルコニーにギリシャ風建築様式とメダリオン飾り。昭和55(1980)年に鎌倉市に寄贈され、今は「鎌倉長谷子ども会館」となっている。

上はPartnerがピンホールカメラで撮ったもの。
下はCanon EOS-5D(FT24-70mmF2.8で24mm相当)で同じ時私が撮ったもの。

良し悪しではなく、最先端のコンピュータ光学技術を駆使したレンズとデジタル撮像素子よりも、わずか0.23mmの針穴から届いた光を数秒間記録した上のものの方が、はるかに明治末、20世紀初頭鎌倉の空気感、建物の存在感、そして「時の堆積」を思い起こさせる写真表現となっているだろうと思う。

7 19, 2006 01.私の好きな鎌倉の風景, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年07月13日

『花火 Fireworks』(竹崎昭)

なにか「天地創造」を思い起させるこれらの写真は何を写したものなのか?
『花火 Fireworks』(竹崎昭)より。

もうじき花火の季節。
少年の頃から花火に親しみ、長じて写真家になった竹崎昭(1937年生まれ)は、誰も撮ったことのないような花火のイメージをフィルムに定着させようと、1985年からさまざまな技法を試みる。

1200mmという超望遠レンズで打ち上げる真下から撮影する。自作の高速スリット・シャッターを使いスキャンしたような効果を出す。ズームレンズで長い方からのズームイン、短い方からのズームアップを行う露光間ズーミング。カメラ自体を高速で回転させるディスク撮影。アクア(水)フィルターを通しての撮影…。

誰もが見てはいるのだが、そこに生起しているまったく別の世界を見出すクリエイティビティに学びたい。

7 13, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2006年07月03日

『真夏の夜の夢』(東京シェイクスピア・カンパニー)

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友人の俳優・近藤佑子ちゃんが出演していた『真夏の夜の夢』(東京シェイクスピア・カンパニー/浅草アドリブ小劇場)の楽日を観る。

16世紀末、シェイクスピア青年期の喜劇。
親が娘の結婚を決める時代の、貴族、夜の森を支配する妖精たち、職人たちが繰り拡げる一夜の夢のような行き違いと大団円を女性ばかりで演ずる。
しかもほとんどの人が、貴族と妖精、妖精と職人のように二役を仮面をつけてこなす。貴族の結婚祝いに下賎の職人たちが捧げる素人芝居が笑える。
メンデルスゾーンが優雅に流れ、らしい配役、リアルな衣装とともに上演されるものとはまったく異なる、高等学芸会的な演出が楽しい。

写真は楽日が終わって出てきた近藤佑子ちゃん、上野毛仁藤豆腐店のしんちゃん。

7 3, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

「CORAZON」増山理人写真展(ラ・ジュルネ/鎌倉由比ガ浜)-3

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増山理人写真展「CORAZON」の最終日。

今晩の「ラ・ジュルネ」(鎌倉由比ガ浜)は、彼の友人、知人、常連、さまざまなつながりが拡がるホームパーティー状態。
綾子さん、舞ちゃん、大忙し。

友情出演の「湘南を代表するサンバ・ボサノババンド」ー「月明かり4人組」ののりの良さでPartnerも踊り出す。スペイン語を話したくて理人くんによく会いにきていた麻心のシンさんのパートナー・ダリさんも。

理人くんのブログ「CORAZON★RIHITO MASUYAMA」
で彼の2年間の記録、スライドショーを見ることができます。ぜひどうぞ。

7 3, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年07月02日

「CORAZON」増山理人写真展(ラ・ジュルネ/鎌倉由比ガ浜)-2

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ニカラグアに海外青年協力隊の一員として行っていた多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒増山理人くんの写真展「CORAZON」ー「ラ・ジュルネ」(鎌倉由比ガ浜)が今日2日まで。
今晩は彼のスライドショーなどが行われる。

右こぶしを心臓にあてる「CORAZON」(心臓・こころを指す)の挨拶ポーズをとる理人くん。

多摩美の上野毛キャンパスで彼の写真展をやろうと今企画中。

7 2, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2006年06月29日

ピンホール写真-1

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Partnerは受けている写真の授業をきっかけにピンホールカメラ組み立てキットを購入し、今いろいろ試し中。

これは由比ガ浜と麻心(鎌倉長谷)の店内。
35mm換算で15mm相当で写る。
ブローニーフィルムを使い、6x9cm、8枚撮り。

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2006年06月15日

学籍番号

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私のところでも学生はすべて学籍番号で管理する。入学時にふられ卒業まで変わらない。
卒業後何年もたってまだ自分の学籍番号を覚えているだろうか。

かつて中学のとき出会って惹かれあい、お互い頭に刻んだ胸の名札の学籍番号しか分からない、現在は無名のヴァイオリニスト(金城武)と駆け出しの翻訳家(ジジ・リョン)。
実は今同じアパートの壁をへだてた隣どおしに住んでいるのだが、一方は玄関を出ると必ず右に行き、他方は左に行くすれ違いの重なり。公園で知り合い昔を想いだす。しかしかわした電話番号のメモは雨でにじんで読めなくなる。

香港の雑踏でお互いの学籍番号を叫んで探しまわるシーンが印象的。

『TURN LEFT, TURN RIGHT(向左走、向右走)』(2002/香港・シンガポール/監督:ジョニー・トー、ワイ・カーファイ)

6 15, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年06月08日

「CORAZON」増山理人写真展(ラ・ジュルネ/鎌倉由比ガ浜)-1

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多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科を2000年に卒業、2004年6月から2年間、青年海外協力隊(JOCV)の一員としてニカラグアに赴任し、帰国したばかりの増山理人(りひと)くん(27)の写真展が、私たち(Micを含む)がよく行く「ラ・ジュルネ」で7月2日まで開かれている。

タイトルの「CORAZON(コラソン)」はスペイン語での「心臓」そして「心」。
「ハート」の偽善くささや「こころ」の押しつけがましさから自由な「太陽をいっぱい浴びてご機嫌でしかも温かい」「小さなことは気にしないがとても情の深い」人をイメージさせるので理人くんが大好きなことばなのだ。

店先の小さな地球儀でニカラグアを探すPartner。なかなか見つからない。
そう、人口500万ほどの中南米屈指の最貧国のことなど現代日本人はなにも知らない。

理人くんは首都マナグア(人口の1/5にあたる100万が住む)のスラムのこどもたちのためにさまざまな試行錯誤を繰り返す。その記録をまとめた「Nicaragua corazon journal」をCD-ROMでもらって後で読み感動する。

圧倒的な貧困、インフラの不整備と不衛生、義務教育はあるがほとんど行けないストリートチルドレンたち、幼い頃からさらされる暴力、犯罪、売春、薬物…。けれども彼が撮った写真に写っている子どもたちは栄養不良で痩せこけてはいるが目はきらきらしている。

下は彼が「マンゴーの木の下の教室」で教えたこどもたちの絵。自分の名をちゃんと書けてはいない。

オーナーの綾子さんがスペインに行っているので理人くんはこの間厨房やホールを手伝ったりしている。
特に若い人たち、ぜひ行って話してみてください。

これから少しずつ紹介していきます。

【追記】
理人くんは、6月11日までは毎日、その後福井に一時帰省し、20日からまたいるそうです。

ラ・ジュルネ
鎌倉市由比ガ浜3-9-47 中丸ビル1F
0467-23-6731
PM12-24 (月曜定休)

6 8, 2006 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2006年05月28日

プレアデス国際短編映画祭(浄智寺書院・鎌倉山ノ内)

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パリに本部を置き2004年から行われている「プレアデス国際短編映画祭」
デジタルとネット環境を駆使し、さまざまなNPOやボランティアに支えられて世界各国の都市での同時開催が可能になっている。日本事務局は『かまくら楽食日記』でお馴染みのNPO鎌倉メディアレップの島津克代子さん、昨年「国際こどもチャリティ・フェスティバル」でご一緒した入江麻理さん。

日本では3回とも鎌倉で開催。今年は建長寺応真閣、鶴岡八幡宮直会殿ですでに行われ、最終回のこの日は普段中には入れない浄智寺書院の座敷で。

観客583名によるコンペ9作品の投票結果が最後に表示される。この後世界各国での集計と合わせ観客賞が決まる。

私には盲導犬と離れてしまい、大都会の喧噪と闇に怯えながら自己の力に気づいていくスペインの「La Gallina Ciega(目隠し鬼)」(Isabel Herguera-7分)がアニメーション表現としてとてもおもしろく感動。

招待作品、フランソワーズ・トリュフォのドキュメンタリー映像を元にジャン・リュック・ゴダールが編集した1958年の「Une histoire d' eau(水の話)」。1958年のパリと近郊の洪水のなか、パリになんとか行こうとする女の子をユーモラスに描く。後のゴダールの難解さとは無縁のフランス的エスプリに満ちている。

5 28, 2006 01.私の好きな鎌倉の風景, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2006年03月10日

悼・増山たづ子さん

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増山たづ子さん(写真上・楠山忠之氏撮影)が7日に亡くなったと知った。享年88。合掌

増山さんは1917(大正6)年、岐阜県の旧徳山村に生まれ育った。
戦前に同村の人と結婚したが応召され、1945年インパール作戦で行方不明に。
戦後、養父と農業をしながら民宿を営む。

徳山村は岐阜県の西北端、福井県と接する山村。揖斐川の源流地。1987年に廃村、藤橋村に編入。
もう50年も前から、中京地域の利水のためという名目でここに日本一のダムを造る計画が進められてきた(未だ未完で、その必要性そのものがあらためて問われている。当初目的の水道、工業用水の需要はすでに頭打ちで、治水などとこじつけているが治水の一番は山の樹木を大事にすることと、自然の摂理に逆らった護岸工事を止めることだろう)。

計画が本格化した1977年、61歳の増山さんは「行方不明の夫が帰ってきた時にダムになっていたら説明の仕様もない」と思い、消されていく村を記録しておこうと一念発起する。当時発売された「猫がケッコロガシても写る」ピッカリコニカを買い、フィルムの出し入れもよくわからないまま村の風景や人々を撮り始める。

『増山たづ子 徳山村写真全記録』(影書房・1997)を取り出してあらためて見る。
1985(昭和60)年、住み慣れた村を後にするまでに撮った写真は7万枚余におよぶという。

写っている村人たちはみな親愛の眼をレンズに向けてよく笑い、そしてなによりも、山と木と川と土とその恵みと共にある様が刻み込まれていて胸をうつ。
「町の者から見れば『あんな山の中のどこが良うて』と思うだろうが、私たち(アンラ)には大事な故郷で、お互い助けあい、物がなければゆずりあい、嫌な仕事でも結(ゆい)をして、笑って唄って働きました。生活は貧しくても心は豊かでした」

見事に咲き誇る桜の古木が無惨に刈り倒され、水を蓄え水を作る豊かな山の樹木は丸裸にされ、残された株も力尽きて山肌が崩れ落ちる。
沈む運命にある先祖の墓に白い晒(さらし)を巻いて去っていく人々…

われわれは後世のために一体何をやっているのか?

3 10, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2006年01月27日

『お兄ちゃんの樹』近藤佑子・リーディングプレイ

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作・演出/高山広『お兄ちゃんの樹』を近藤佑子ちゃんがリーディング・プレイするキッド・アイラック・アート・ホールでの連続上演。
もうずいぶん観ているが、どんどんブラッシュアップされている。
初めて観たPartnerも涙する。

地下の Book Cafe「槐多(Kaita)」で打ち上げ。
大正8年、22歳で夭逝した天才詩人画家・村山槐多の名を冠し、彼のデッサンも飾られている。
書棚には埴谷雄高『死霊』、花田清輝『冒険と日和見』、高橋和己『孤立無援の思想』などなど、若い頃の私の本棚に並んでいた懐かしい本の数々。

次回は5月25日(木)PM4&PM8(キッド・アイラック・アート・ホール/明大前)

1 27, 2006 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2005年12月04日

人は歳を重ねるなかでどのように顔を作るべきか

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1963年8月28日、マーチン・ルーサー・キング牧師の「I Have a Dream」演説でも歴史に残るワシントン大行進で歌う当時ともに22歳のボブ・ディランとジョーン・バエズ。

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『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム (2005)』(監督╱マーチン・スコセッシ)-NHKBShiより。

12 4, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年11月22日

『ローハイド』のフェイバーさん

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BS2で『ローハイド』(1959年放映)を再放送しているのをたまたま観て懐かしむ。

『ALLWAYS 三丁目の夕日』で描かれている1958(昭和33)年に東京タワーが完成したおかげで、翌59年、それまで3つしかなかったテレビチャンネルに新たにフジテレビ、日本教育テレビ(NET=現テレビ朝日)が開局して加わり、次々に人気となるシリーズを放映する。

1959(昭和34)年は「皇太子(現天皇)・美智子様ご成婚」という一大イベントがあり、TVは家庭に急速に普及した(当時小学6年生だった私の家もこの頃買っている)。

この年は受験勉強(!)中だったのでそれほどTVを見ていたわけではないが『ローハイド』だけはかかさず観た。
フランキー・レインの歌う「ローレン、ローレン、ローレン〜」「ビシッ、ビシッ(ムチの音)」「イヤァ〜!」というテーマソング(ディミトリー・ティオムキン作曲)はそれまで聴いてきた歌とはまったく異質の迫力を持っており、牛の大群の疾走など見たこともない日本の少年たちはわくわくしてTVにかじりついた。

ずっと後になってわかったが、このシリーズはアクションもの西部劇というよりビジネス・プロジェクトの話なのだ。

南北戦争(1861-65)後のテキサスからミズーリが舞台。
北東部では戦争による大量消費で牛が急減し価格が高騰する。南部テキサスでありあまっている牛を十数倍の価格で売れるチャンス。
そこでテキサスの大規模牧場主は「カウボーイ」たちを雇い、北東部へ鉄道で運べる最寄りの駅までの牛の搬送を委託する。
出発地はテキサスのサン・アントニオ(あの「アラモ砦」の町)。77年には鉄道が通じたというから『ローハイド』の時代背景はその前の戦後1865年から77年の間ということになるのだろう。日本でいえば「明治維新」から明治初頭の頃だ。

最寄りの駅といっても1000キロ(東京ー稚内間くらい)以上北のミズーリ・シデーリア(セントルイスの西)。3000頭もの牛を途中草を食まさせて肉質を維持し、雨風日照り砂嵐、山河越えなど自然と闘い、さまざまな強盗襲撃、通過する地所での人々との軋轢に会い、カウボーイたちの仲間内トラブルもいろいろ起こる(各話の原題はすべて「Incident」でタイトル付けされている)。

で、このプロジェクトリーダーがギル・フェイバーさん(エリック・フレミング)なのだ。
子ども心にこの人の責任感、意思の強さ、仕事に対する的確な決断とテキパキと指示をくだす姿、一方で示される(顔の表情にはほとんど表われないが)メンバーたちへの暖かい心配り、機微に感動しあこがれた。

補佐役ロディ(クリント・イーストウッド)とはドラマ上ではずいぶん歳が離れているように思っていたが、実際は2歳しか違わない(フレミングー1928年生まれ、イーストウッドー30年生まれ)。

11 22, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年11月13日

讃『ALLWAYS 三丁目の夕日』

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スケジュールの合間があったので、新宿で『ALLWAYS 三丁目の夕日』(エグゼクティブプロデューサー/阿部秀司・奥田誠治、監督/山崎貴)を観る。
満席で立ち見(といっても通路に膝を抱えて座ったけれど)。この映画はゆったり小ぎれいな座席で観るよりこの方が良いかもしれない(街頭テレビを見たときのように)。
終わってから見渡すとふだんあまり映画館には来ないだろう年配者が約2/3。

私は原作者の西岸良平と同じ1947(昭和22)年東京生まれで、鈴木家の一平(小清水一揮)や、この映画ではほとんど主役といっていい古行淳之介(須賀健太)と同様、時代設定の1958(昭和33)年には10歳から11歳、小学5年生だった。
冒頭で一平が飛ばす模型飛行機。まったく同じようなものを組み立てて遊んでいたし、東京タワーがだんだん立ち上がっていく様もときどき見ていた。出来上がったときは早速展望台(当時は下の方だけ)に上がってみた(それ以来一度も行ったことはないが)。
そんなわけで本当に実感としてタイムトリップして浸ってしまう。

「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言したのが1956(昭和31)年。「戦争が終わってはや13年」というセリフが出て来るが、まだ人々は戦争の惨禍の手のひらの内にいる。白衣を着てスクーターで往診する小児科医の宅間先生(三浦友和)は空襲で妻子を喪った痛手を抱えているし、煙草屋のおばちゃん(もたいまさこ)の少しぶっとんだところも夫と息子を戦争でなくしたこととつながっているだろう。ラジオからは敗戦後の混乱で離散した家族などの消息情報番組「尋ね人」が流れており、映画には出てこないが池袋の駅前あたりにはまだ手足や眼を失った「傷痍軍人」が白衣姿で哀し気なアコーディオンの調べを奏でていたかもしれない。

しかし、この映画の登場人物たちの表情にみごとに表現されているように、あの頃(昭和30年代前半)には「つつましい希望」と「日々の幸せ」とでもいうようなものが人々のなかに確かにあった。

それは1964(昭和39)年の東京オリンピックに向けての東京破壊とその後のがむしゃらな高度成長のなかでの金権主義や果てしない消費への欲望、経済大国になったことでの野郎自大ぶりなどとは異なる「素朴な一生懸命さ」と「充実感」「満足感」といったものだろう。

これは単なるノスタルジーとして言うのではなくオルターナティブだ。

小雪がインタビューで「この作品の登場人物とか、この時代を生きていた人たちって、何事に対しても一生懸命であることを恥じていない気がするんですよ。今って、一生懸命やることがかっこ悪く見えたり、テンションが高いって周りから引かれたりすることもあると思うんですけど」と述べているのは(小雪は76年生まれだが)当っている。

子どもの表情も今の子どもとは違う。他人の顔色をうかがい抑制する前に自分自身の喜怒哀楽をもっと表わしている。繋いでいないと罰せられるような条令などなく往来を自由にうろついている犬たちも生き生きしている。車もまだ少なく、都電はのったり動き、電話さえまだ50万台程度で持っている隣家に呼び出してもらいー(呼)と表記したー海外旅行などとてもかなわない時代だったが、人々は孤立してはおらず、コミュニケートしあい、助け合っている。

47年後の今日、私たちはこの頃より「幸せ」になったのか?
人と人とはつながりあっているのか?
明日に「希望」を持ち、日々の「充実」を感じながら「生きている」のか?


役者たちに拍手。吉岡秀隆、堤真一、薬師丸ひろ子、堀北真希、三浦友和、小雪、一平役の小清水一揮、そしてなんといっても淳之介役の須賀健太…。みな昭和30年代前半の父と母、男と女、少年と娘を演じきっている。

ハリウッドのひたすら刺激を追い求める、あるいは「感動」を押しつけるために使われるCGや特撮など大嫌いだが、この映画で「昭和33年を再現する」ために駆使されたミニチュア、CG、VFX(Visual Effects)は素晴らしい使われ方をしている。それについてはまた。

11 13, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(1) | トラックバック(10)

2005年10月28日

石井茂・鈴木志郎康写真展

石井茂写真展「Light Scapeー光景」と鈴木志郎康写真展「My多摩美上野毛」を見に行く(渋谷・Gallery LE DECO 10月30日まで)。二人とも上野毛キャンパスのご同僚。

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石井さんはここ3年ほど自分で開発したピンホール・カメラ(針穴写真機)を使って撮り続け、今回その集大成の写真集『石井茂写真集 匣の中の宙(ハコの中のソラ)』(書肆山田)が刊行された。

じっと一枚一枚眺めていると不思議な感覚にひたってくる。
写っているのはもちろん現代の事物であり風景であり人体だ。しかしもし背景を知らされずに見せられて、たとえばこの神社の境内と墓石のプリントは明治初年に撮られたものだ、こちらの人肌はビクトリア朝の写真師が初めてヌード撮影を試みたものだ、と言われても信じるかもしれない。
ここ50年来の「レンズを通して一瞬のシャッターチャンスを切り取る」というような写真の概念とはあきらかに違う世界。
本書の解説で鈴木志郎康さんは「光の堆積」と表現し、石井さんは「数秒から数十分といった長い露光の間で針穴を支点に暗箱の内と外との双方で起こる、不思議な光の振る舞いの軌跡とその時間の痕跡」と記す。
光と写真表現、人間のなかでのイメージの力と眼差しと歴史性といった根源的なことを考えさせられる。

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鈴木志郎康さんは、映像作家であり詩人であり、また30年以上魚眼レンズでの撮影をして写真集『眉宇の半球』(Mole)を出版したり、全篇魚眼で1年間の雲の動きを撮った7時間半の映画『風の積分』を作られている。
今回は15年教え来春に定年退職される多摩美上野毛キャンパスと人々を撮っている。
180度画角の球面形のプリントのなかに親愛や信頼や愛着がつまっている。

10 28, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(1)

2005年09月26日

写真集『犬と親父』(増田浩之)

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上野毛「ミキ」でたまにご一緒する、まだ若い写真家・増田浩之さんの写真集『犬と親父』(新風舎)

「親父」さんは静岡で曾我漬の店を営む55歳。
もともと動物嫌いだったのがなぜか2年前にとつぜん犬を飼い始める。この雄のラブラドル・レトリーバー2歳はしつけが行き届かなかったためか、落ち着きが無く常に興奮気味。

ある雨の日の散歩中、親父さんは犬に引っ張られて転倒。右手首を逆について骨折、全治3ヶ月と診断される。

で、右手はギブスがはめられ肩からつるした姿で「それでも散歩に行く」からこの写真集は始まる。

親父さんは何事もなかったように左手だけで引き綱を引き、いつもの街を歩き、信号待ちし、田んぼ際に何かを見つけた犬を待ち、水場で遊ばせる。

「一ヶ月後 ギブス(副子固定)外れる」。包帯はまだ巻いているが右手の指も使えるようになる。道ばたにした糞を拾い、一緒に墓参りをし、公園に憩う。

どこにもドラマティックなところは無いし、なにも奇をてらったり思い入れを意識させるような撮り方もしていない。
しかし全治三ヶ月という時間的プロセスのなかに置くことで、犬と親父さんの淡々とした日常が人生のなかでの限りなく愛しい三ヶ月として記録され表現されていると私は思う。

「三ヶ月後 包帯外れ、完治する」と記され、二人(いや犬と親父さん)の2枚の遠景で終わる。

親父さんはこの写真集のなかで、終始謹厳実直そうな顔つきをしている(ほんの少し笑いかけくらいのが水場で遊ばせているところとシャワーを浴びせている2枚のみ)がミキさんの話しだと豪快に笑う磊落な人だそう。

9 26, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(2) | トラックバック(0)

2005年09月21日

『理想の女(ひと)』(監督マイク・バーガー)

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原作がオスカー・ワイルドの劇『ウィンダミア卿夫人の扇』(1892年)、もともとはヴィクトリア朝世紀末ロンドンの社交界の室内劇だが、時代と舞台は世界の貴族、富豪たちが避暑に集まっていた頃の1930年、陽光眩しいイタリア・アマルフィにするという絶妙の設定。

「魅了的な人には2種類ある。全てを知り尽くした人と、何も知らない人と」(ワイルド)。全てを知り尽くした女に『恋愛小説家』のオスカー女優ヘレン・ハント、何も知らないウィンダミア夫人に『真珠の耳飾りの少女』『ロスト・イン・トランスレーション』のスカーレット・ヨハンソンとくれば、観ないわけにはいかない。監督は『完全犯罪』のマイク・バーガー。

ワイルド特有の洒脱で逆説的な警句、風刺がセリフにちりばめられ、30年頃のファッション、ブティック、アンティークショップ、別荘の豪華なインテリア、古き良きジャズっぽい音楽など、こうであったのだろうと思わせる。

最後の二人の会話は胸に染みる。
原題を『A Good Woman』とした意味が了解されるラスト。

9 21, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(3)

2005年09月09日

京都行-12 京の宿 石原-2

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「京の宿 石原」のご主人、石原元治さんは、1979年、初めて黒澤明監督が泊まりに来たときに接して、この人にはかっこつけてもだめだ、ありのままでいくしかない、と感得する。

お世辞は通じない、形式張ったことは大嫌い、懐石よりすき焼き、松茸より筍がいいという。戦前は書画を商っていたのでその頃の名残の書画や道具類がさりげなく使われている。黒澤はそれらを見渡し、昔のものはいいねえ、どんな名の無いものでも職人さんがきちんと作っているものはいい、と眼を細める。

長期に滞在するときはこの上賀茂の間に仕事用の机とベッドを持ち込んだ。
仕事中は声もかけられないような緊張感があったが、食事時になると、親父、一緒に飲もうよ、と気さくだったそうだ。

宿にあるアルバム写真左上には、仲代達也、大瀧秀治、根津甚八などの顔が見える。京都在住の宮川一夫もよく宿を訪ねた。

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左は『八月の狂詩曲』の、右は未完の遺稿『雨あがる』(1999年に黒澤組の面々により映画化)の没原稿。いずれも屑籠から石原さんがとっておいたもの。

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京の朝、黒澤も朝食をとっていた間で、塩鮭、胡麻豆腐、賀茂茄子の味噌焼き、目玉焼き、海苔、京の漬け物…

9 9, 2005 12.写真・映像・映画・演劇, 22.旅先で | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年08月28日

君の魂が見えたら瞳を描こう『モディリアーニ〜真実の愛』

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パートナーと一緒に観たのだが、観終わった後ふたりとも放心状態で食事をする予定だったのがしばらくは食べるなどという気にもならなかった。

1919年、第一次世界大戦直後のパリにあちこちから集うアーティストたち。
成功し先頭を走るスペインからのピカソ、一方のリトアニア出身のユダヤ人スーティン、幼少からのアルコール中毒者ユトリロ、スペイン系ユダヤ人とイタリア系ユダヤ人の子でトスカーナ生まれのモディリアーニらの貧しく「呪われた」画家たち。

この映画は監督・脚本のミック・デイヴィスが少年の頃から親しみ、10年以上構想を暖めていたモディリアーニの最後の1年を描く(ただしフィクションと断ってある。モディリアーニの生活の真実は諸説あってわからない)。

ラストでリフレインされるパリの夜の裏街を恋人ジャンヌと歩く姿の映像はエディット・ピアフの「バラ色の人生」と重なって限りなく美しく、バラ色とはほど遠かったしかし自由に生き愛を受けた彼の人生を際立たせる。

コンペに向かって彼らが絵を描く様が圧巻。アーティストの、絶望落胆と充実歓喜を振幅する狂気の眼差しと筆使いが迫真的。

ガイ・ファーレイの音楽とその映像への付け方、キーディーの歌が素晴らしい。
オリジナル・サウンドトラック盤

ただ一点、やはりこの映画は英語ではなくフランス語で作ってほしかった。モディリアーニは完璧なフランス語を話したという。フランス人が観てどう思うのだろう。

1920年1月24日、子どもの頃からの結核を麻薬と酒と煙草のデカダンな生活のなか悪化させ35歳で死去。
翌25日、二人目の子を宿していたジャンヌ・エビュテルヌはアパートの6階から身を投げ自殺。享年21。

『モディリアーニ〜真実の愛』サイト

8 28, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(1)

2005年08月19日

『真珠の耳飾りの少女』

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フェルメール(1632-75)の描く日常の世界の一瞬の静謐とそれが威厳にまで高まっている表現が好きだ。
「牛乳を注ぐ召使い」「手紙を書く婦人と召使い」「天秤を持つ女」等。

『真珠の耳飾りの少女』(監督ピーター・ウェーバー・2003・イギリス/ルクセンブルク)はストーリーはどうでもいい。フェルメールが生き描いた17世紀オランダの街と室内の光と影と色彩と風俗の映像表現にぞくぞくさせられる(撮影:エドゥアルド・セラ)。

実物は見たことがないが画集で見慣れた「真珠の耳飾りの少女(通称・青いターバンの少女)」(マウリツホイス美術館蔵)から抜け出たようなスカーレット・ヨハンソンが素晴らしい。

写真左:フェルメール「真珠の耳飾りの少女」、中:スカーレット・ヨハンセン扮する少女、右:ぜんぜん関係ないが私が時々行く横浜の「しゃぶせん」(ざくろの直営店)の女の子。気配り良く、てきぱきしゃきしゃき働いている。なぜかイメージがいつもだぶる。

8 19, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(4) | トラックバック(1)

2005年08月12日

『チルソクの夏』

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『パッチギ』の1968年から10年後の1978年が舞台の日韓版「ロミオとジュリエット」。

釜山と下関は国際親善都市。釜山での陸上競技大会で知り合い惹かれ合った韓国の高校生と日本の少女。
下関の少女は父親に「韓国人とだけはつきあうな」と言われ、釜山の若者は日本人に親族を殺された母親に交際を禁じられ、下関の親善交流会では日本語で「なごり雪」を歌って同行の教師に止めろと制止される。
そういう時代があったことを私たちは忘れてはならない。

ジュリエット役の17歳郁子を演ずる水谷妃里が清楚ですばらしく、まわりの仲間たちがもり立てるさまも実にほほえましい。

監督は『半落ち』の佐々部清。下関は彼の故郷。

私の叔父のひとりは晩年関釜フェリーの社長をしていた。

8 12, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(5) | トラックバック(2)

2005年07月31日

『パッチギ!』

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「パッチギ!」のDVDが発売されたので購入。

2月に封切りで観ていたが、すぐにはなにも書けなかった。
すでに友人の編集者が映画史的な視点からとても興味深い記事『パッチギ!』はプログラムピクチャーの味を書いてもいる。

若い学生たちは痛快な青春活劇・恋愛モノだと思って観ていたようだが、当時まだ根強かった朝鮮・韓国人蔑視と差別を知っており、軍事クーデターで政権を握った開発独裁・朴正熙(パク・チョンヒ)との一面的な日韓条約により経済援助で歴史を免罪することに反対運動し、朝鮮の歴史と文化を少しでも知ろうと自覚していた60年代後半の私は今の私のなかにも確実にある。
だからこの物語を青春にありがちな不条理な喧嘩やエネルギー発散「一般」ととらえることは私には絶対にできない。

「ロミオとジュリエット」ならせいぜいイギリス貴族内部の勢力争いで敵対する家系の若者どうしの悲恋物語ですむかもしれない。しかし20世紀後半の「ロミオとジュリエット」である「ウエストサイド物語」(1961)のニューヨークのスラムでのシャーク団とジェット団の抗争は、アメリカに流入するプェルトリコなどの貧民とやはり少数派であり疎外されているイタリア系移民の子どもたちというアメリカ社会の問題を反映していたし、1968年京都を舞台とするこの「ロミオとジュリエット」も、在日韓国・朝鮮人への差別とそれに対する反発、複雑な鬱屈とねじれが基底にある。

彼らの子ども時代や68年以降をもシリーズ化したいと井筒和幸監督は言っているそうだ。
「河があるなら、橋を架けよう! 誰かが線を引いたなら、俺らが消してやる!」の精神を表現してくれるよう期待します。

この件は引き続き書きます。

7 31, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(2)

2005年06月29日

朗読ライブ『山月記』(中島敦)at「鎌倉物語」

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カフェ「鎌倉物語」(鎌倉小町)で、松崎義男さんの朗読と松尾慧(けい)さんの横笛のライブ。

群ようこさんは高校の「国語」の教科書で中島敦『山月記』に出会ったときの印象を下記のように記している(『中島敦全集2』ちくま文庫・解説)

「私は冒頭の『隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった』という文章をみ、頭がくらくらしてきた。…私たちの間では、中島敦という作家は『とっても難しい中国の話しを書いて、若くして亡くなった、眼鏡をかけた人』で終わってしまった」

私は中学のとき、そのころ刊行されていた筑摩書房の現代日本文学大系を読みふけっていて中島敦(1909-42)に出会い、連綿と続く陰気な日本私小説群とは隔絶し屹立している彼が描き出す古代中国やペルシャの世界と文章がとても好きになった。
中学で出会った「漢文」の授業がきっかけにもなった。孔孟の儒教的説教は大嫌いだったが、いろいろ声に出して読んだ中国歴史物や唐詩の数々の「漢文読み下し」の言葉とリズムと響きは私の身体のなかに入っている。

ついでだから中島敦の代表作の出だしをもうちょっと紹介する。
「くらくら」するか「わくわく」するか。

「趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた」(『名人伝』)

「漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった」(『李陵』)

「魯の卞の游俠の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・陬人孔丘を辱めて呉れようものと思い立った」(『弟子』)

松崎さんの『山月記』の朗読に接して、耳からことば、話しを聴くことの力を改めて思い知った。難しい漢語や名前は確かに混じる。しかし字面を追って読んでいくのに比べると、おそらく中学生でも理解できるだろう。

文庫本でわずか10ページ分だが、およそ20分にわたって朗読され、松尾さんの明澄で哀切な横笛が時に呼応して作り出される世界は味わい深い。

「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再び其の姿を見なかった」
という結尾を聴き終えて涙した。

6 29, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(1) | トラックバック(1)

2005年06月10日

映画「TAIZO」+高山広「TAIZO〜1人芝居」

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浅野忠信主演の『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999)を製作した奥山和由が再び一ノ瀬泰造をテーマに製作した映画『TAIZO』(監督・中島多圭子)と、高山広さんが泰造を演ずる一人芝居を観る(ニッポン放送ビル・ファンタスティックシアター)。

一ノ瀬泰造は私と同じ1947年生まれ。佐賀武雄市育ち。70年日大芸術学部写真学科卒業。72年1月、印パ戦争下のバングラデッシュ収容所で食べ物もなくただ死を待つだけの子どもたちの姿に衝撃を受け、以後動乱のカンボジャ、ベトナムで戦火、戦禍、と子どもたちを撮る。
73年11月、当時「西側」の者は誰も近づけなかったアンコール・ワットへの潜入を図り、クメール・ルージュ軍に捕捉される。1週間後に処刑。26歳になったばかりだった。

映画には、書簡、日記と写真を中心に編まれた『地雷を踏んだらサヨウナラ』(講談社文庫)に描かれている泰造が世話になったカンボジャの町のマダムや子どもたちや、結婚式を撮った親友の先生(ロン・ノル派により処刑)の奥さんや、2万コマのネガを焼き続け
『もうみんな家に帰ろー!—26歳という写真家・一ノ瀬泰造』(窓社)も出版させた母信子さんの息子へのひたむきな愛が描かれる。

高山さんの20分の一人芝居は、「命を賭けてでも撮りたいものがある。たとえ命を落としても私は幸せだ」というある意味無鉄砲でがむしゃらに進み散っていった一ノ瀬泰造という存在がわれわれにどういう意味を持っているのかを問うものだった。
この現実を、知らない人々に伝えたい、伝えたい……そして子どもたち、俺みたいになりたいなんて言ってはいけない、おまえはおまえだ、たくましくそして誠実に生きろ……

6/14-15-16にまだあり、7/31-8/27には渋谷のUpling Factoryで公開。
「TAIZO」オフィシャルサイト

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終演後有楽町ガード下で。

6 10, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年06月01日

もしあなたが欠けるなら世界はどこかが狂うだろう—高山広「てづかみ」公演

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高山広さんの公演「てづかみ」(目黒区民センターホール)。
高山さんが敬愛する手塚治虫作品から想を得た作品群。
ブラックジャックもピノ子もブッダもメルモキャンディも雨ふり小僧も火の鳥も登場する。

山や木や草や川がそこにあり、それだけで意味を持っているように、すべては調和しつながりあっている。あなたの存在もそのつながりのなかのひとつなのだ。もしあなたが欠けるなら世界はどこかが狂うだろう。あなたが生きる意味はあるのだ。

手塚ワールドと高山さんの「おキモチワールド」とが融合し、明解なメッセージが笑いと涙のうちにびんびん伝わってくる。

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目黒の沖縄料理店で打ち上げ。

6 1, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年05月15日

殻に閉じこもるな、細部を大切にしろ

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日本の若いクリエイターたちにノルシュテインは熱く語る。
自分の殻に閉じこもるな。世の中、社会を見ろ。人々とその生活を見ろ。
そして細部(ディティール)のリアリティを大切にしろ。

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5 15, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年05月14日

NHK教育TVで今晩「ロシア・アニメの巨匠ノルシュテインの世界」を放映

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5月14日 PM22:00-23:30(NHK教育TV)

番宣によれば、
小林一茶からイッセー尾形、そして高畑勲とアニメの未来を語る▽日本の若きアニメ作家たちを怒る

ETV特集◇世界最高峰のアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテインの最新作「外套」の制作現場を織り交ぜ、彼のアート・アニメーションの世界を紹介する。また、アニメーションを志す日本の若者たちと交流するノルシュテインに密着し、彼と日本のアニメーション作家たちとの対話を軸にアニメーションの可能性を探る。


ユーリー・ノルシュテイン(1941〜)は、ロシアが生んだ偉大なアニメーション作家。一作ずつ長い年月をかけて、繊細かつ緻密、詩情豊かな作品群を作り出してきた。
一貫して「切り紙アニメーション」の技法を追求し「奥義を極めた」とでも言うしかない工夫がこらされている。
たとえばハリネズミは手足、目鼻口はもとより、表情を表現するためのたくさんのパーツから成り立っており、これらの構成・解体・再構成をコマ撮りして動きが映像化される。
しかし、ノルシュテインの作品は、決してそうした技法そのものは表に感じさせない。
代表作「霧につつまれたハリネズミ」「話の話」に顕著だが、空気感、陰影、深い感情、存在への洞察、といったことを強く印象づける映像体験となる。

ノルシュテインはしばしば来日し、若いクリエイター向けのワークショップや、氏が審査委員長を務める「ユーリ・ノルシュテイン大賞」が毎年行われている。

ユーリー・ノルシュテインの仕事

5 14, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年04月25日

高山広さんの独り芝居バーライブ

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尊敬する友人である高山広さんの独り芝居バーライブを武蔵小山の「GEKKO」で。

彼が演ずると、舞台がバーの片隅のわずか半畳ほどのスペースであるにもかかわらず、さまざまな人間(モノ)模様と世界が目前に次々と現出する。

みんなそれぞれの悩みや苦しみを抱えている。でも、でも、挫けないで生きていってほしい、という全体を通したメッセージが、恒星からの光をただ弱々しく照らし返すだけで世界の苦しみに対して何もできない星屑に託して語りかけるオーラスの「星が願いを」でいちだんと鮮やか。あちこちで鼻をすする気配。

自堕落に寝たまま点けられるよう、蛍光灯のスイッチひもにさらに追加してくくりつけられた「ひも」のキモチを演ずる芝居を観るのは初めてだが可笑しい。
向田邦子さんも「ひとりでつつしむ(慎む)」といっているぞ、というくだりはそうだったよな、とにやり。

高山さんのプロモーション会社「SCHOP」の社長で、GEKKOのマスターでもある渡辺秀也さんがシャンペンを抜いて、高山さん、近藤佑子ちゃんや居合わせた客たちとともに、私たちを祝ってくれる。

4 25, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年04月14日

「お兄ちゃんの樹」(近藤佑子)

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友人の女優、近藤佑子ちゃんのリーディングプレイ「お兄ちゃんの樹」(作・演出╱高山広)を明大前のキッド・アイラック・アート・ホールで観る。

佑子ちゃんは早稲田大学を卒業後、「メトロに乗って」「ミュージカル はだしのゲン」「ダニーと紺碧の海」などに出演。2003年から演じている「お兄ちゃんの樹」は、このホールで隔月公演されることが決まった。

すでに一度書いた(近藤佑子「お兄ちゃんの樹」)が、今回で観るのは4回目。この間、彼女にとって師であり、作・演出の高山広さんとの厳しい特訓が続いていた。

身のおきどころのない自死したいと願う絶望から、他者によって「生かされている」ことの自省へ。生きてきたことに意味はあったことの喜びへ。生ははかなく、現実の世の中の未来は暗い。けれど時代がそう「だから」ではなく「にもかかわらず生きること」への強い決意へ。

佑子ちゃんの目に大粒の涙が盛り上がり、頬を伝って流れ落ちる。

鳥たちや風の吹き込む悪意あるだろううわさ話に「お兄ちゃんの」樹と呼ばれるようになった今は動じない。

「それがどうした!」

次回は6月29日(水) 16時╱20時
キッド・アイラック・アート・ホール
Tel: 03-3322-5564

4 14, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2005年04月09日

「母アンナ・フィアリングとその子供たち」

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「母アンナ・フィアリングとその子供たち」を両国のシアターX(カイ)で観る。

ブレヒト劇を読みふけったのは二十代だったか。
これは千田是也によって『肝っ玉おっ母とその子どもたち』として訳され『三文オペラ』とともによく知られている(昨年岩波文庫から岩淵達治の新訳が出た)。
第二次大戦直前の1939年、ナチスから逃れスウェーデン滞在中、41歳の時に書かれた。軍隊について荷車を引き(天井からつるされたロープに古トランクをたくさんくくりつけて引き回す演出が素晴らしい)酒や雑貨を商う肝っ玉おっ母と次々に失っていく3人の子どもたちの姿を通して、戦争によって生きながら戦争を憎む強烈な反戦メッセージを発する。

私と同じ多摩美造形表現学部の映像演劇学科で教えている気鋭の舞台衣装家である加納豊美さんが衣装を担当し、その関係で2月から3月にかけ上野毛キャンパスで稽古が続けられていた。
17世紀北ヨーロッパのいわゆる30年戦争が背景なのだが、加納さんが選んだベージュ色の作業着のような衣装の数々は、いつの時代ともつかず、いつの時代でもあるようで、この劇の現代性を表して印象的。

肝っ玉おっ母を演じる吉田日出子さんは、六本木自由劇場の時代からの熱烈ファン。『上海バンスキング』『もっと泣いてよフラッパー』は20年来の愛聴盤(今回82年に博品館劇場で観た『もっと泣いてよフラッパー』のDVDを買うことができた)。
「人生はあたしに地を這うことを教えてくれたのさ」
気丈で凛として、しかし子供たちへの情愛深さにあふれたおっ母をたまらない日出子節で熱演。

今回初めて舞台を観た多摩芸術学園出身の谷川清美さんが口のきけない末娘役だった。太鼓を絶望的に叩きならす最期の演技に息を飲んで感動する。
加納さんも彼女は大女優になると評していた。

楽日なのでロビーで打ち上げ。
あこがれの日出子さんと谷川さんとも話すことができた素晴らしい一夜。

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※吉田日出子さん(左)、加納豊美さん(右)

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※谷川清美さん

4 9, 2005 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年02月10日

『我われは犬である』(エリオット・アーウィット)

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エリオット・アーウィット(1928-)の『我われは犬である』は私の大好きな写真集だ。
フレンド版宝島社文庫版を含め4種類版がある。

彼は犬をテーマに写真を撮っていたわけではない。人間を撮っていたのにいつのまにか犬が写っている写真がたまってしまったのだ、と言う。
1946年のセーターを着たチワワの有名な写真(ニューヨークの街中で、地面すれすれのアングルから飼い主の女性の足下とチワワを撮ったもの)から1991年のものまで、場所は彼の拠点であるニューヨークはもちろん、世界中にわたる。

アメリカでは犬はとても身近なフレンドリーな存在として写っている。別にカレンダーが写り込んでいるわけではないが、犬も入った家族写真(実は保険会社の広告写真として撮られた)が1960年代の中西部であることが見て取れたりするのはおもしろい。

ヨーロッパでは犬はもっとフォーマルな存在だ。
フランスでは犬はアメリカでより数段高度な存在として遇されている。犬はしばしば事務所に連れていかれ、そこで交わされる重要な会話に聞き入り大変に行儀良く振る舞う。彼らはきちんと分をわきまえているはずだという信頼を勝ち取っていてレストランや店に入るのも許されている。実際に彼らは行儀がよい。パリの犬はきちんとした挨拶をかわしていない相手には警戒的だ。フランスの犬が少しでも寛大だったりする様子を見たこともないし、彼らにはユーモアのセンスが欠けている、そうだ。
イギリスの犬信仰はキリスト教上位10の宗派と張り合うほど。人間の子供ほどには厳しく扱われないが、よく訓練され教え通りに振る舞う完璧さを期待される。

メキシコや南米、シベリアなどで撮られた犬は、毛羽立ち、なにかうらぶれている。しかし繋がれてもおらず自由ではあるのだろう。

大事な約束があるので時間に遅れないよう歩いているのだ、としか思えないような犬。主人を見上げるいくつかのショットは場所も年代も犬もまったく違うのに本質は同じだ。シシリーの神殿遺跡前の犬は紀元前にもし写真という技術があれば同じように写っていたのだろうと思わせる。反対側のページに中国で撮られた犬がいるがなんだ変わらないではないか。

一番好きなのが1977年におそらくセントラルパークで撮られたもの。
男がベンチで公園の緑をみつめている。犬はその横に同じように座り男と同じ方向を見つめている。
さまざまな想念や悩みが去来しているのかもしれない。けれども愛犬と並んで緑を眺めているこの時間が彼にとって一日のうちで一番の和みの時間であることはこの上なく明瞭に伝わってくる。

2 10, 2005 12.写真・映像・映画・演劇, 24.犬と暮らす | | コメント(0) | トラックバック(0)

2004年09月27日

花いちぜん(鎌倉大船)-1

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※写真はクリックすると拡大表示されます

若い頃、沖縄で3年間暮らした。米軍統治下から1972年の「日本への返還」の時期だ。
極貧だったが泡盛は常に飲んでいた。ビールの小瓶につめた瑞泉(ずいせん=泡盛の代表的銘柄)が15セント(当時は1ドル360円だから約54円)だった。これを買うか同じ値段の丼一杯の「ゆし豆腐」(豆腐を固める前のほとんど液状のもの)で腹を満たすかよく迷ったものだ。

「花いちぜん」は鎌倉大船にある沖縄料理とライブの店。最近、那覇に「BakuSun」という姉妹店を出した。
泡盛の品揃えが素晴らしい。沖縄本島、宮古島、石垣島等の八重山諸島の48酒造所から1品ずつ48種類を揃えている。
ある晩「古酒」のみのメニューがあったので、上から順番に全11種をストレートですべて飲んでみた。マスターがこんな人は初めてですと驚いていた。

いろいろなライブイベントをやっている。
今晩は私の友人、一人芝居の高山広の何回目かのライブ。

写真左は「スクガラス」(沖縄豆腐の上に「あいご」の稚魚を載せたもの)、右は「とうふよう」(豆腐を泡盛と紅麹で熟成させたチーズのようなもの)。これだけあればいくらでも酒はすすむ。

9 27, 2004 04.私の好きな鎌倉の店・中華・エスニック, 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2004年09月19日

CGアニメーション『Birthday Boy』パク・セジョン

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SIGGRAPH2004のBest Animated Short(最優秀短編アニメーション)に選ばれた『Birthday Boy』がNHKBSの「デジスタ」で放映されて観た。
すでにアヌシー国際アニメーションフェスティバルでも入選している。
オーストラリア在住韓国人(あるいは韓国出身オーストラリア人)、パク・セジョン(Sejong Park)の作品だ。

舞台は1951年、朝鮮戦争時のある村。前年から始まった戦争で、すでに100万人以上が死に、朝鮮全土を荒れ果てさせ、ここで描かれる村には人影もない。
タイトルからして少年の誕生日なのだろう。前線で闘う父を想い戦闘のまねなどをして遊ぶ。一昔前の子供ならよくやったように鉄道線路にボルトを置き、鉄輪が踏みつぶしてくれることを待つ。
やがてやってくる鉄道貨車はすべて前線へと運ぶ戦車を積んでいる。少年の無邪気な想いと戦火の対比イメージ表現として圧倒的に凄い。
期待通り延びた鉄片をにんまりと持って家に帰ると「軍事郵便」が届いている。誕生日のプレゼントは戦死した父の遺品だった。

作者は37歳というからもちろん自身の経験ではない。けれども家族、親族がくぐり抜けてきた歴史が確実に反映されているだろう。

コンピュータグラフィックス(CG)で作られたもので私が感銘を受けるものはほとんど無い。しかしこの作品は生きている土地の歴史と少年の存在感と表情の表現が実に素晴らしく感動した。

9 19, 2004 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2004年09月18日

爆音が鳴り響くバグダードでリバーベンドが観る「華氏911」

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※写真は英BBC制作・NHK放映「検証・イラク人虐待」より

Bughdad Burning が一月ぶりに更新され、池田真理さんによって訳された。

「バグダードの誰もがただただ疲れている…誘拐、爆撃、武装民兵、過激派、麻薬、ギャング、強奪、何でもあり。どの話を聞きたいか言ってみて。 お望みの話をひとつ、いいえいくつも聞かせてあげられる」

9.11にリバーベンドはマイケル・ムーアの「華氏911」を自宅で観る。
一月も前に海賊版(どこかの映画館で撮影・コピーされたもの)を手に入れていたのだが「5分と続けてブッシュを見ることに耐えられないのに2時間もの間保つとはとても思えなかった」からこれまで観なかったのだ。

事実に関しては「何も驚かなかった。ショックなことは何もない」というがやはり衝撃を受け「怒り狂い、なさけなく悲しく、自分に許せる限度以上に泣いた」。

娘と息子が「お国のために働いている」いやお国のためどころか同盟国と「世界のために働いている」といって満足しきっている「この戦争を支持する人々の傲岸不遜と無知蒙昧を体現する」ようなアメリカの母親の姿に激しい憎悪を抱く。しかしこの母親が死んだ息子の最後の手紙を読み聞かせる場面でリバーベンドは「感じまいとしていた同情」も感じ始める。
しかしそれは振りはらわざるをえない。「この人はイラクの犠牲者たちのことを少しは考えたことがあるのかしら。ファルージャの破壊された家の瓦礫の下から我が子たちを懸命に掘り出そうとしている、あるいはまたカバラで、子どもの胸の大きく口を開けた傷口から吹き出る血を必死に止めようとしているイラクの親たちも、彼女と同じ思いをしていると、一瞬でも思ったことはあるかしら」。

「9月11日。その人は座って新聞を読んでいた。お茶を飲もうと目の前のカップに手を伸ばしたとき、頭上に飛行機の音を聞いたような気がした。いい天気の気持ちのよい日で、さあこれから仕事にかかろうとしていた… 突然世界は暗転。ものすごい爆発音、続いてコンクリートと鉄骨の塊の下で骨の砕ける音…そこいら中が叫び声で満たされ…男も女も子どもも…ガラスの破片がむき出しの柔らかな皮膚を狙う…その人は家族が気になって立ちあがろうとした。が、からだのどこかがやられているようで、立ち上がれない…熱気が押し寄せてきて、人肉の焼ける臭いと煙りと粉塵が混ざり合って鼻をふさぐ…ふたたび突然真っ暗に。
2001年9月11日のこと? ニューヨーク? ワールド・トレード・センターでしょう?
いいえ。
2004年9月11日。ファルージャ。あるイラク人の家」

Bughdad Burning(原文)
Bughdad Burning(日本語訳)

『バグダッド・バーニングーイラク女性の占領下日記』

9 18, 2004 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(0) | トラックバック(0)

2004年08月05日

「おばあちゃんの家」(イ・ジョンヒャン/韓国/2002)

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『おばあちゃんの家』(イ・ジョンヒャン/韓国/2002)を衛星TVで観る。

ソウルで働く母親(とうに夫あるいは男とは別れている)が、職探しの期間、7歳の息子を山村に一人で住む老母のもとに預ける。その2ヶ月の間の老母(少年にとっては祖母)と少年の話だ。
バスが一日たぶん二、三回しか行かないひなびた山村(韓国中部の忠清北道・永同=ヨンドンが実際の舞台だという)。
おばあちゃんは口がきけず、また多少は読めるのかもしれないが、ハングルを書くこともできない。わずかな野菜を作り、ときに町の市場で売って暮らしている。
都会育ちの少年は、おばあちゃんを馬鹿にし、なにもない田舎の生活を嫌い、ゲーム機に遊びふけり、部屋に入ってくる虫におびえ、祖母が工面して作った鶏肉をケンタッキーチキンじゃないとだだをこねる。
このあたりは日本でもまったく同じだろう。
おばあちゃんは少年のわがままにまったく厭な顔をせず、ひたすら少年のために自分のできることをする。少しずつ少年の心が開いていく。

出演者は、数本のCM出演経験はある少年サンウ役(ユ・スンホ)を除いて、すべてこの山村の住民だそうだ。
このおばあちゃん(キム・ウルブン=当時77歳)が実にすばらしい。
彼女は映画に出たことはおろか、映画を観たこともないという。
「演技」ということも知らない。生活がそのまま撮られ演技となっているかのようだ。
「亡くなったおばあちゃんの深い愛情に感謝する作品をずっと撮りたかった」という女性監督イ・ジョンヒャンが彼女を運命的に見出したとき「世界のすべてのおばあちゃんたちに捧げる」この作品の成功は保証された。
映画史上「老婆・おばあちゃん」ベストテンをやったら必ずノミネートされるだろう。

母のもとに帰っていく少年がおばあちゃんのために書いた絵入りのハングルカード(ちょっとした手紙書き方指南)が感動的だ。

8 5, 2004 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(1) | トラックバック(0)

2004年08月03日

強者と弱者—それを超えるものへ/高山広「ねずぶり」

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一人芝居のライター・ディレクト・ライター高山広さんの「ねずぶり」を観る(8月1日目黒区区民センターホール)。
8年前に作られ演じ続けられ練り上げられてきたこの作品は高山さんの代表作のひとつでもある。
観るのは昨年の王子小劇場に続いて2回目だ。

人間という権力者から忌み嫌われ、捕われれば熱湯をかけられ無惨に殺されるねずみと、さらに力弱いごきぶりという存在に託して現代社会の問題があぶり出される。
人間に惨殺された友の姿に怒ったねずみは、自分よりさらなる弱者であるごきぶりを見い出し、いたぶることによって満足を得ようとする。
報復の連鎖を自分のところで止めることを母から教えこまれているごきぶりは無抵抗だ。
だがねずみ取りにかかり動けなくなったねずみに対して、ごきぶりは今までの鬱積した怒りを爆発させる。
体力でダメージを与えられないとみると、ことばによるイメージ喚起という暴力で報復する。
しかし、絶望と目前の死にひんしたねずみが発する「おかあちゃーん」という叫びと「誰も悪くない」と言って死んでいった彼女の様を耳にしてごきぶりは自分の愚かしさを悟っていく。
外部のモノ、異質な存在を、遠ざけ嫌悪し排除し、知ろうとしない、気づこうとしない、理解しようとしない偏狭さと閉鎖性、無知と怠惰こそ克服さるべきことなのだ。
それぞれの群れの中のたった1匹ずつの相互理解にすぎないかもしれない。しかも双方ともすぐ死んでいく運命にある。
けれど、これが始まりになるかもしれないのだ。

このように記すとシリアス一辺倒の芝居のように思われるかもしれないが、さまざまな表現とせりふの中に遊びと笑いが仕込まれている。
いろいろな想いを想起させ、目まぐるしく思考させ、笑わせられ、そして涙する。

2時間半の間、高山広さんはさまざまなキャラクターの姿を瞬時に現出させ、目まぐるしく身体表現し言葉を発し続ける。「ねずぶり」の1回の上演で3Kg減るというのも分かる。

只野展也さんの音楽と演奏はせりふの間に忍びこむように寄り添い息づく。友の死に嘆き怒る無言の慟哭、叫びとの対比とラストは圧巻だ。

オーラスの「一人で表現する」圧倒的な連帯感に拍手を贈る。

私がジャケットデザインを担当したCD『高山広のキクっ!おキモチ大図鑑Vol.1』も当日から発売開始された。

8 3, 2004 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2004年07月22日

『グリーンフィンガーズ(Greenfingers)』

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同僚の先生にだいぶ前に借りたDVDをようやく観た。
『グリーンフィンガーズ(Greenfingers)』(2000/英・米/監督ジョエル・ハーシュマン)。
Greenfingersとは「天才庭師」のことだ。

英国の代表的な田園地帯コッツウォルズにあるオープンな更正刑務所に送られてきた主人公のコリン(クライブ・オーウェン)は、実の弟を殺した自分を責め、他人に心を閉ざし、人生を放棄している。
目つきや態度がまるで若い頃の高倉健のようだ。

たまたま同室の老人ファーガス(デビット・ケリー)からクリスマスパーティーでもらったニオイスミレの種を「どうせ時間のムダだ。この寒さじゃ見込み無しさ」と言いながら痩せこけた土に蒔く。老人は「わしもそう言われた。でもそうじゃなかった。わしは人生を変えた」という。
春になって、ニオイスミレは芽吹きみごとに花を咲かせる。

この花をめぐる騒動から刑務所長は所内に庭園を造るよう粋な命を下す。
殺人や強盗の罪を負うコリンたちは徐々にガーデニングにのめりこんでいき、変わっていく。
出所の審査会でコリンは言う。
「命を奪うことの意味を俺は知っている。だが、命を与え育てることを知った。…俺は庭師だ」

そして、王立園芸協会が主催するヨーロッパ最大の花と庭園のショー「ハンプトン・コート・パレス・フラワーショー」に囚人たちのチームが出展することになる。
この「野草の庭」が素晴らしい。

英国が舞台とはいえ、ハリウッド的な味付けの軽いコメディだが、庭をどうしようかと思案している私にはとても楽しめた。

実話をヒントにしているという。英国では囚人たちの庭造りとコンテストへの応募、入賞が盛んなようだ。

7 22, 2004 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)

2004年06月21日

近藤佑子「お兄ちゃんの樹」

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昨夜の高山広さんのライブ(大船「花いちぜん」)では、第二部として、友人の近藤佑子さんが演ずる「お兄ちゃんの樹」(高山広・作)を昨秋に続いて再度観ることができた。

若夫婦の子ども誕生を記念して植えられた樹の話。
突然の子どもの死によって、自分が見捨てられたと思いこみ、存在の意味を失い、絶望していく。
それがどのように自分の了解が誤っていたかに気づき、明日の生への希望と夢を見出していくか。
悪意や困難に毅然と対応できるようになった「お兄ちゃんの樹」の決めぜりふ—「それがどうした」が実に印象的だ。
昨秋よりも情感の表現力が一段と増し、涙と鼻汁の処理に困りながら表情を撮影した。

6 21, 2004 12.写真・映像・映画・演劇 | | コメント(0) | トラックバック(0)