2008年12月06日

「オ"バ"マ」はなぜ「"オ"バマ」になっているのか?

林望先生の『日本語は死にかかっている』(NTT出版)は示唆に富み共感するところも多いのだが、そのなかに「下品なアクセント」という項があり、「近頃は、何でも尻上がりに発音する、いわゆるおっつけ型アクセントになっている」とある。

例として、昔は「ター」と言っていたのが「ギター」になり、「ラム」は「ドラム」、「ラマ」は「ドラマ」になりという具合。

アクセント、あるいはイントネーションは、どの言語でも時代のなかで変化していくことは林望先生ももちろん認めている。

しかし、ギターもドラムもドラマも今の方が元の英語のアクセントに近いという面もあり、『ギターを持った渡り鳥』(小林旭主演・1959)ではたしかに様にならないが、日本では昔はこうではなかった、正しくはこうだと若者に「ちゃんと言い続ける責務がある」というのは(あげた例がよくないせいなのかもしれないが)少し筋違いで林望先生と同世代の私からみても説得力がない。


で、その「尻上がりに発音する」「おっつけ型アクセント」の近頃の傾向に反する「バマ」はなんなのだろう。
アメリカのニュースの音声を聴いていれば「オバァマ」(低-高-低)であるのは明らかであるのに、日本のマスコミ(TV)ではなぜ「バマ」(高-中-低)になったのか。
便乗している「小浜市」とか「小浜温泉」とか言うときの「オバマ」(低-中-中)の方がまだ近い。

「低-高-低」が日本人には発音しにくい、などということはないだろう。
そもそも「日本」が、「ニン」であり、かすかではあれ「低-高-低(ないし中)」だ。「ホン」だったら「二本」になってしまう。

なぜオマがバマになったのか、そしてどうしてそのままになっているのか、TV業界の方、教えて。

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『大辞林』/iPhone-物書堂さんへ再度エール

辞書、事典というのは必要に応じて何かを調べるためひもとくだけのものではない。
書籍版であればパラパラとめくりながら、ふと目をとめた項目を読み、関心のおもむくままに拾い読み、関連することをたどり、たまたま同じページにあったたために読んでしまって興味をおぼえるというような楽しさがある。

IPhone用辞書はかなり充実してきたのだが、ほとんどみな、何を検索するのかの画面になり、調べることが決まっている場合、データはその先に確かにつまっているのだろうが、こうした知的楽しみや拡がりへの配慮は決定的に欠けていた。

まあユーザーインターフェイスの設計段階で、辞書、事典というものを、あるいはもっと拡げていえば、書籍・文献というものを、コンピュータで「検索」して「結果」が出ればいい「情報処理のツール」「データベース」としてしか捉えていないからだ。

応援する物書堂さんが5日にリリースした『大辞林』はインデックスを「すべて」「五十音順」「人名」「地名」などからブラウズすることができ、辞書、事典の中をいわば「渉猟する楽しみ」への路を開いたことで画期的。

説明文中の関連する読みたい言葉を指でなぞればそこへジャンプする。
読みやすいヒラギノ明朝の縦組みでピンチ操作で拡大表示も可。


物書堂

過去記事:
アプリ満杯/iPhone
『デジタル大辞泉』と『広辞苑第六版』/ iPhone
物書堂(ものかきどう)さんへエール
手の平の外国語辞書/iPhone

12 6, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 34. iPhoneの愉しみ | | トラックバック(0)

2008年12月03日

アプリ満杯/iPhone

iPhone用、研究社『新英和中辞典・新和英中辞典』がリリースされたのに続き、ひそかに応援している物書堂から『プチ・ロワイヤル仏和・和仏辞典』が出て嬉しい。
英仏・仏仏はいくつか入れてあるのだが、仏和・和仏は初めて。
本家『ロワイヤル』もそのうち是非。

はいいのだが、iPhoneは今のところ電話、メール、Safari、iPodの4つのデフォルトの他に16x9面=144個までしかアプリは入れられない(正確にはダウンロード時用に1個スペースが必要なようなので143個)。
メモリはあと5G程度あるのだがアプリ数はすでに満杯。
アップデートで増やせるようになるのだろうか?

iPhoneアプリは年内にも1万を超えそうで、何かを入れるたびに削らなくてはならない。
ITunes側でファイルとしては残せるとしても、同期が煩雑(”ひんぱん”ではなく”はんざつ”です)。


過去記事:
『デジタル大辞泉』と『広辞苑第六版』/ iPhone
物書堂(ものかきどう)さんへエール
手の平の外国語辞書/iPhone

12 3, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 34. iPhoneの愉しみ | | トラックバック(0)

2008年11月24日

『デジタル大辞泉』と『広辞苑第六版』/ iPhone

言葉や事物についてきちんと調べたり考えたりしようとしたら、ネットでちょこっと検索して分かったつもりになってはならないし、また一冊の辞書にたよるということもありえない。

「権威ある」とされるものでも疑ってかかる必要があり、そもそも完璧な辞書などない。
だから複数の大辞典・事典は必ず常備せざるをえなかった。

この一週間で、iPhone / iPod touch用『デジタル大辞泉』と『広辞苑第六版』がリリース。

どちらも日本語辞典であり小百科事典でもある。

物書堂からは『大辞林』が発売予定で楽しみ。


過去記事:
物書堂(ものかきどう)さんへエール
手の平の外国語辞書/iPhone

11 24, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 34. iPhoneの愉しみ | | トラックバック(0)

2008年11月21日

誤報のおわびの表現と校正・校閲

毎日新聞が11月19日朝刊で、元厚生事務次官宅が相次いで襲われたことに関して「ネットに犯行示唆?」という誤報を掲載した。
ネット上の「ウィキペディア」に犯行前に、暗殺という書き込みがあったというもの。

「ウィキペディア」の更新日時はデフォルトでは「協定世界時(UTC)」という時刻で表示される。
日本標準時(JST)はこの協定世界時より「9時間進んでいる」
で、「+0900(JST)」のように表記される。

ところが、毎日新聞のお詫びでも、それを報じた産経等のニュースでも「日本標準時よりも9時間遅い”協定世界時”で判断したのが間違い」と述べられている。
「遅い」という表現で、この誤報の原因が伝わるのだろうか?

そもそもの誤報を含め、一昔前の大新聞社だったら絶対チェックが入ったと思う。
あきらかに校正・校閲部門の弱体化が進んでいる。

外注・下請けにまかせている日本の新聞社のウェブサイトの校正・校閲のお粗末さはまた別に記す。


『週刊文春』11/20号のエッセイ「福岡ハカセのパラレルターンパラドックス」に『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一/講談社現代新書)の校正プロセスのエピソードが記され、ふだん普通の人は知るよしもない校正・校閲者の世界が活写されているので記しておく。

筆者が初めてニューヨークで研究生活を始めたとき、観光船に乗り次々と現れるマンハッタンの偉容をノルタルチックにふりかえる場面の文章。

ゲラ刷にバーンとマンハッタンの地図のコピーが貼られ、文中ふれたビルの位置がマークされている。
「見える順番が違います」という校正者のメモ。

新聞社、出版社の校正・校閲者というのは、単に表記上の間違いなどを見ているわけではない。
表には絶対に出てこないが、「広辞苑の間違いを見つけるのが無上のヨロコビ」だというような驚くべき博識な人たちであり、また「調べるすべ」を知っている人たちだ。

彼ら・彼女らを特徴づけているのはその視点である。さらにいえばその視点の深度にある。校正者さんは、執筆者のように自己陶酔していない。編集者のように社交的でもない。読者代表でありながら、ストーリーに没入することを自ら禁じ、かといって表層的な書き間違いや表記の不統一だけを探しているわけでもない。深すぎず・浅すぎず、一定の深度を保ちつつ、水中のタナをスキャンして魚を探る熟達の釣師のような存在なのだ。
書き手、編集者、校正者。この間のてまひまが活字というものを支えているのである。

11 21, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | トラックバック(0)

2008年11月19日

麻生首相と漢字テスト比べどう?-2

前回の麻生首相と漢字テスト比べどう?で出てきたものを含めて再度、麻生首相と漢字テスト比べ。

行きつけの上野毛「味喜」で、高卒、現専門学校生、22歳のフツーの女の子Aちゃんに聞いてみた。
9問中6問正解。

はい、上記で正しい読みはひとつもありません。

しかし「ふしゅう」という読みはすごいね。
「村山談話を踏襲(とうしゅう)」は歴代の首相や官房長官がくどいほど(無内容にだが)繰り返してきた言葉だよ。

「踏む(ふむ)」からきてるのか。
質問した社民党福島党首がこの答弁の意味を理解できかね(当たり前です)、「村山談話」は「腐臭」をはなっていると言っているのかとか頭の中で「?」が渦巻いたことが察しられる。

「ようさい」は「羊」が入っているからか。なにか漢字についての想像力が膨らむ。

「有」をすべて「ゆう」と読むと、「有事」「有識者」あたりはいいとして、これまで出てきていないが「希有(けう)」などは麻生的には当然「けゆう」とか「きゆう」となるんだろう。
「それは杞憂(きゆう)な例にすぎません」などと答弁されたら、ちょっと思考が止まる。
「天地有情(うじょう)」は「友情」となって、まったく違うストーリー展開になる。

物見遊山(ものみゆさん)は政治家やお役人の税金を使っての視察旅行のこと(違います)だが、「ものみゆうざん」といわれると、「美味しんぼ」の「海原雄山」のような重々しい趣きがあってよい。


しかし、国会の正式議事録には書記が苦労して推測したり元原稿と照らし合わせたりして正しく表記されているようです。


日本の未来はうぉぅうぉぅうぉぅうぉぅ…

11 19, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年11月16日

iPhoneでの読書のかたちのひとつ

iPhone用アプリ「Classics」をダウンロードしてみる。
『不思議の国のアリス』『野性の呼び声』『ロビンソン・クルーソー』『ジャングルブック』『海底2万マイル』など定番の古典が書棚に並ぶ(英文)。

『不思議の国のアリス』。
スクリーンの右側をタップするとページがめくられるアニメーションとともに次のページ表示になる。
左側をタップすれば、前のページへ。

ページがめくられるアニメーションギミックは今では別に驚くようなものではない。

注目すべきは、画面幅約50mm、行長約43mmという制約の中で、ここでは専門用語でいろいろ説明はしないが、とても読みやすいタイポグラフィー処理がされていることだ。

下は書棚から探し出して比べてみた "Lewis Carroll The Complete, Fully Illustrated Works" の同じページ。


過去記事:
「文庫リーダー・soRa」/ iPhone

11 16, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧 | | トラックバック(0)

2008年11月14日

麻生首相と漢字テスト比べどう?

電車の中の中学、高校受験向け塾の広告のようだが、以下の読みはどちらが正しいか?(夕刊フジ11/14等より)

「頻繁」=はんざつ or ひんぱん
「未曾有」=みぞゆう or みぞう(みぞーう)
「踏襲」=ふしゅう or とうしゅう
「詳細」=ようさい or しょうさい

前のものが麻生首相の読み。
いずれも公の場での発言。

後ろがもちろん正しい読み。


日中首脳の交流関係が「頻繁(ひんぱん)」なのかと「煩雑(はんざつ=込み入ってごたごたしている)」なのかではまったく意味が違うではないか(日中交流行事で両国首脳の関係についての発言)。

「みぞゆう」「ふしゅう」は国会での答弁。

「ふしゅう」は参議院本会議、予算委員会と日をおいて繰り返している。
侵略戦争と植民地支配を中国、アジアの人々に謝罪した村山富市首相談話を「ふしゅう」するというようではその精神を「踏襲(とうしゅう)」できっこない。

国会では、昔は「速記者」というのがいて、早稲田式とかいろいろあり若い頃興味を覚えたことがあるが、今は形式上書記はいるにしてもデジタル録音が元になるのだろう。

しかしそれを録音起こしする人はいるわけで、類推し、間違いはなかったことにして正しくみえる公式記録にしなければならない彼ら彼女らの当惑と苦労が思いやられる。


それにしてもこの歳になるまでこのお坊ちゃまに注意する者は誰もいなかったのか?

てゆ〜か、なんてえの、かなり大人になっても間違ったまま思い込んでる読み方ってなんとなくあるだろ。
しかしふつうはどっかで自分で気がつくよな。
あ、なんかマンガばっか読んでてもやっぱ駄目か。


過去記事:
「なんとなく」「なんてえの」「なんか」…

11 14, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | トラックバック(0)

2008年10月28日

物書堂(ものかきどう)さんへエール

日本で開発されたiPhoneアプリで、つまらないゲームを除いて現状使い物になるのは、唯一「ウィズダム英和・和英辞典」(あ、「ロングマン英和辞典」もあった)、これと同じく三省堂発行の「模範六法(平成20年版)」がリリースされ、私は法学徒でもなく、仕事や生活で即必要になるものでもないが、¥5,400は惜しくなく即ダウンロード購入した。

日本の法律の日本語としての文章の問題や大日本帝国憲法との断絶と連続性、英文との対比等々法律そのものへの関心はあるのだが、それを別にしても、これからの日本のモバイル・コンピューティングにとっての先駆者への敬意と期待を含めている。

で、上記ふたつを制作しているのが、「物書堂(ものかきどう)」というなにか古風な名の会社であることを知った。

リンクをたどると、昔懐かし「EgWord」「EgBridge」のエルゴソフトの開発者メンバーが、今年はじめ同社解散後起こした会社(代表・廣瀬則仁)だという。

「EgWord」等ずいぶん使ったが、コンピューティングの世界でははるか昔のようで記憶が定かでない。

「物書堂の社名は、いわゆる"物書き"の方々のためのソフトウェアを開発したいという思いから来ています。ストレスなくスムーズに動作するエディタやワードプロセッサを開発していきます。
最初はテキスト編集中心のワードプロセッサを発売する予定です。秋に発売できるように開発を進めています。」
とある。

いわゆる日本語のワープロマシンはもちろん、ワープロソフトは、エディトリアル・レイアウトソフト("PageMaker", "QuarkExpress", "InDesign"等)との競合のなかでむやみに多機能化しあいまいになり存在意義をなくした。

しかし、物書きにとって、エディトリアル的レイアウト以前(つまりその機能はいらない)の、元の文章原稿を書き、推敲し、仕上げるのに特化した最適なソフトウェアは今皆無なのだ。

未だにMicroSoft Wordなどという気持ち悪いソフトを標準として使っていて平気で送りつけてくるのは旧態依然とした企業だけ。

物書堂さん、期待し応援します。


物書堂サイト

10 28, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 09.ネットワーク・コミュニケーション, 34. iPhoneの愉しみ | | トラックバック(0)

2008年10月23日

赤いセルロイド

iPhone用のアプリ『キク★英単語【初級】』(アルクの『キクタン【Basic】4000』を収録)を使ってみて実に懐かしかった。

中味は中学で習うレベルの基本英単語1120語を、発音、例文も含めていろいろな角度から復習できるもの。
「Advanced6000」や「Super12000」版が楽しみ。

懐かしかったのは、私自身が中高生のころ使ったかどうか記憶があいまいだが、参考書の暗記すべき答えの部分が赤字で印刷されており、赤いセルロイド板を載せるとその部分は見えないという、まあアナログな仕組みを再現しているところ。

十年くらい前までは中高生が電車のなかで使っていたような覚えがあるが、最近はもっぱらおしゃべりか化粧直しか携帯操作で、参考書を見ながら勉強する姿は絶滅危惧種となった。

10 23, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 34. iPhoneの愉しみ | | トラックバック(0)

2008年10月17日

「なんとなく」「なんてえの」「なんか」…

武田泰淳の名著『政治家の文章』(1960/岩波新書)を読み返すまでもなく、戦前から戦後ある時期までの日本の政治家は、主義主張の違いはあれ、まがりなりにも「弁論」の伝統にのっとり、発することばと演説の文章には最大限配慮し、内実と格調を重んじていただろう。
だからこそ作家の「批評」の対象にもなりえた(最近の「首相」たちの文章は皆ゴーストライラーによるものだから、内容的な批判は別にして、文章的な批評の対象にはまったくならない)。

この間の日本の首相たちが発することばの「存在の耐えられない軽さ」はどうよ。

ワンフレーズで何か自信を持って断定しているようにみせ、内容は別にしてかっこいいなどと惑わせた小泉、まったくことばが空疎だった安倍、慇懃無礼の他人事ことばの福田、を経て今度は「なんとなく」「なんてえの」「なんか」とあいまい、非論理、逃げをうつ麻生ときた。

朝日新聞(10/16朝刊)「“何となく”口癖なんです」という記事。
首相就任から3週間での答弁や取材のなかで「なんとなく」「なんてえの」「なんか」がなんと80回を数えるという。

例をみると唖然とする。

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんとの会話:
なんてえの、ますますこういったなんてえの、素粒子の理論とか…」
なんとなくなんとなく、勉強とか、なんとなく物理とか、なんとなく難しく考えないで、なんか夢を持ったり…」

同じく小林誠さんとの会話:
なんとなく若い人がちょっと夢がないような話が多いんですけれども、なんとなくこういった地道な研究を頂いた方がノーベル賞なんていうものになりますと、地道に研究した成果がなんとなく努力が実ったみたいな感じがして…」

就任から一夜明けて:
「改めてなんとなく付いてくる人も多いし、大変やなと改めて責任の重さみたいなものを強く感じた」
ここの「なんとなく付いてくる人も多い」は期せずして唯一適切な使い方に結果としてなっている。
しかし責任の重さ「みたいなもの」で馬脚をあらわす。なぜ「責任の重さを強く感じた」と断定できないのか。

地球温暖化問題に関連して:
「明らかに、なんとなく我々のまわりに大きな変化が起きている」
な〜に、これ。
「明らかにー起きている」のか?
「なんとなくー起きている」のか?

麻生は外務大臣を経験しているのだが、こういう余分を心得て省くお抱え専任の手練れ同時通訳者とともにでないととてもではないが外国には出られない。
もし、言葉通りに通訳するものしかいなかったら、somehow(どういうわけか、理由はわからないが)とかvaguely(漠然と)とかがそこらじゅうに入ってきて、聞いているものは何を言いたいのかまったくわからなくなるだろう。

以前書いた学生や若い世代の断定を避けることば状況(「みたいな」「とか」「かも」「かな」「語尾上げ?」)は政府や国会にまで蔓延している。

明確な政治理念を持っていないこと、責任回避への逃げの現われでもあるが、政治家に絶対的に必要な明晰明解な言語コミュニケーション能力にこれほどまでに致命的な欠陥を持った人を首相としている私たちの悲惨を想う。

10 17, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | トラックバック(0)

2008年08月25日

「砂に書いたラヴレター」

週刊文春8月28日号の愛読連載、小林信彦「本音を申せば」に、夏の終わりで思い出す歌のことがいろいろ書かれてある。

シナトラやサラ・ヴォーンが歌った「ニューヨークの秋」(ヴァーノン・デューク作詞作曲)。
ペギー・リーやパティ・ペイジが印象的なヴィットリオ・デ・シーカの名作『終着駅』(1953)のテーマ曲「ローマの秋」…等々。

そして日本では「砂に書いたラヴレター」として知られている歌。
もともとは1931年に作られたバラードだが、映画『バーナディーン』(1957)でパット・ブーンが歌いミリオンセラーになった。

パット・ブーンは、当時人気を二分したエルビス・プレスリーの、親たちが眉をひそめる「良くない音楽」とは対照的に、いかにもその頃のアメリカのTVホームドラマに出てくる行儀正しい中産階級好青年のようで、甘い歌声が魅力的だった。

で、「砂に書いたラヴレター」だが、原題は「Love Letters In The Sand」

訳詞も自分でやっていたディック・ミネ(1908~1991)は、戦前「恋の砂文字」として歌った。

戦後日本での邦題は「砂に書いたラヴレター」であり、最初のフレーズは「今日のようなあの日、ぼくたちは砂にラヴレターを書いたね」となっている。

しかしこれは誤訳だろうという。
砂の上に何通もラヴレターを書いているわけではない。

正しく訳せば「砂の上のLoveという文字たち(Letters)」

砂浜に「Love」という文字を描き、波がそれを洗い流し、また描き、また消され…という Lost Love の情景と心象を歌ったものなのだ。

8 25, 2008 01.私の好きな鎌倉の風景, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 13.音楽の楽しみ | | トラックバック(0)

2008年08月19日

『早刷り岩次郎』(山本一力/朝日新聞社)

幕末、安政2(1855)年の「安政大地震」によって、江戸の街はなぎ倒され、深川一帯も「町が平べったく」なる。

「大事な摺り物なら、釜田屋さんに頼むのが一番」といわれた「版木彫りと摺りを請け負う老舗」深川冬木町の釜田屋岩次郎は妻子も腕利きの職人たちも失った。

岩次郎は失意の中から、思案を重ね、翌年、生き残った番頭や職人頭たちを集めて宣言する。
「摺り注文を待つのではなく、みずからの力で摺る瓦版の版元になる」
今でいうなら印刷屋から新聞社になるというようなもの。

しかも今までにないような瓦版「早刷り」ーその日のうちにその日の出来事をまとめ、翌朝には摺り上げてあちこちで売り出す。
だれよりも早く、そして子細に正しく伝えること。
瓦版として前例のない桁違いの一日二千枚、それを毎日続ける。

ここから発行までの半年間、悪徳商売敵、貸し証文を買い取り佐渡の人足に売り飛ばす証文屋、悪評高い改悪金貨を瓦版を使ってイメージアップさせ出世をもくろむ旗本とそれとつるむ大店の主、等々さまざまなからまりがあるのだが、若い頃から取材・ライティング、編集デザイン、製版・印刷の世界に関わってきた私にはこの早摺りを実現するための手だてを考え作り上げていき、職人たちがそれに応えていくさまがたまらなくおもしろい。


まず「耳を澄まし、鼻を効かせて、四六時中おもしろい話しを拾って歩く」「耳鼻達(じびたつ)」と名付けた物書きたち。
集める記事は出来事だけではない。土地の名物や美味いものにも目を配る。
似顔や情景を描く絵描きも同行する。
取材・インタビュー記者とカメラマンだ。

この頃の江戸は、武家・僧侶が50万人、町人が58万人ほどで100万人を超える。
武家・僧侶は読み書きできるが、岩次郎は早刷りの上得意になるだろうなのは町人、それも店子ではなく日銭を稼ぐ職人や長屋の女房連中と見定めている。
彼ら、彼女らは読み書きに長けているとはいえない。
したがって次は読みやすくする工夫。絵や絵文字、ひらがなを多用する。

広目(広告)集めの者たちは大店、湯屋、料理屋等に散る。
1日2000部が10名に回し読みされたら2万の人に伝わる。
使っている土佐紙はものを包むのにも使え、開いたときにはまた広目効果がある。

耳鼻達が集めてきた原稿をまとめる。絵描きが挿絵を添える。
仕上がった原稿と絵は「枠切り」に回される。
暮れ六つ(午後6時)頃だ。

文字を読みやすくするために早刷りのサイズは従来より大判の菊判半切(はんせつ)四つ切り(318 x 234mm)。
下部の広目(広告)枠を除き、一段12文字30行が五段、すべてを文字だけで使えば一日分に使える文字数は1800字。

しかしすべてを文字に使えるわけではない、大見出し、小見出し、そして挿絵の分も必要だ。
それらを按配するのが「枠切り」職人の仕事。見出しも彼らが考える。今でいう整理や編集レイアウト。
真夜中を過ぎて「枠切り」が仕上がる。

岩次郎が赤摺り大見出しにチェックを入れる。先の早刷りで放火犯の似顔絵を載せ、それがもとで犯人が捕らえられたのだ。
「下手人にお縄が打たれた」
しばし思案し朱を入れる。
「下手人、御用だ」

「枠切り」職人が描いた「按配絵図」(レイアウト指定)にそって、本文文字を彫るのに長けた「段彫り」職人が版木を彫る。
絵や大見出しはまた別の彫り職人が担当する。

彫りから摺りへ夜鍋仕事が続く。

岩次郎は名刹本堂の大法会でも使わないほどの量の特注ろうそくを用意し、職人たちの手元は昼間と変わらぬほど明るい。
「ろうそく代がどれほど高額かは、職人たちのだれもが知っている。言葉ではなく、明るさで岩次郎は職人たちを励ました」

朝方摺り上がった早刷りを20名の売り屋たちが100枚ずつ持ち、四つ(午前10時)の販売開始に向けあちこちに散る。
待ちかねた人々の間であっという間に売り切れる。

どこそこの町で元気な双子が生まれた、こういうことは皆で祝おうじゃねぇか。
それなら弔いもあるぜ。
広目に特典を付けて持って行けばなにかいいことがあるようにすれば…。
アイディアが拡がる。

圧倒的な人気を誇るようになるが岩次郎は一人勝ちはよくないと考える。
せめてもう二つは競合相手があり、それぞれが個性的な紙面を作ればもっと活気が出る。


岩次郎だけでなく、まっとうな商人や職人たち、船頭などの器量と人格、矜持と気配りがすがすがしい。

8 19, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧 | | トラックバック(0)

2008年08月16日

『コンビニのレジから見た日本人』(竹内稔/商業界)

「コンビニ(Convenient Store)」は日本全国に今や4万店超ある。
大量生産・輸入ー流通ー安価な販売、利便効率第一という現代日本社会の縮図。
人がある程度まとまって住んでいる地域で無いところなどないほど普及している。
こんな異常な国は世界で日本以外にはない。

著者は1968年生まれ。高校1年からスーパーで、大学に入ってコンビニでアルバイトを続け、コンビニ業界に深く興味を持ち、以降、一般従業員、店舗マネジャー、店長代行、オープニング店舗指導員、不振店再興指導などに携わり、現在は4店舗を経営している。

「私はコンビニの売場が好きだ」
著者は1日平均13時間働き、そのうちの半分は「レジ」に入り、1日1,000人のお客と応対する。

この本はしかしコンビニの業界本ではない。

コンビニは、日本人が最も緊張から解放されリラックスできる空間になっている。
職場や家庭、世間での煩わしいつきあいの気苦労から離れ、そこでは自由気ままに振る舞えるかのように思われ、だからこそここを通して現代の日本人の本音、本性が現れる。

コンビニのレジで、「毎日、人間の、日本人のシャワーでも浴びているような」20年以上にわたる経験と観察から、コンビニ自らがお客の「もっと便利に」という「わがまま」にひたすら応える形で成長してきた自戒をふまえた上で見えてくる「今の日本人は、明らかに失くしてはいけないことまで失くしつつある」状況に警鐘を鳴らし、真っ当な社会になんとかしたいという願いを込めた本なのだ。

第1話「日本人は『コンビニでは何をしてもいい』と思っている」から、店頭ゴミ箱の悲惨な状況、店舗にとってはもうメンテ負担が限界に達している公衆便所以下にしか思われていないトイレの汚しようの惨状、従業員を「人」とは思わず「声を出さない」日本人、すぐにキレ、ストレスを従業員に発散する人々、子どものような親に育てられ買い物のマナーも躾けもできていない子どもたち…。

現場を知らず、矛盾難題は個別店舗に押しつけ「善悪」ではなく「損得」勘定だけのフランチャイズ本部。

一方で「ワタシ、アイサツトカ、キライナンデス」という女性従業員。
「えぇー、廃棄(廃棄食品)食べられなかったら意味ないじゃないすか」という応募者。
商品を運んでも力加減の分からない若者たち…。


ほとんど末期的というしかない状況の中で、しかしコンビニを愛する著者は訴える。

「コンビニから日本を変えよう!」「コンビニから日本を良くしよう!」

政治家や有名人の発言より、日々の買い物での態度、習慣の方が人間のあり方に与える影響は大きく深いと著者は考える。

商人はお客に対する教育者でもある。
親と学校の先生以外に、子どもにあるべき買い物の態度を教えられるのは、商人しかいない。
その誇りを持ち、日々毅然として、お客のひどい態度を変えていく勇気を持たねばならない。

そのための具体的な第一歩はお客への声掛けの徹底。
「いらっしゃいませ」「こんにちは」
「ありがとうございました、またお越しください」
まったく当たり前のことだが、全国で80万名は優に超えるだろうコンビニ店員がこれを徹底したら何かが変わるだろう。


私たち利用者にとってはたった一言でいい、心のこもった「ありがとう」から始まる。

悪循環のなかのマニュアル通りの投げやりなバイト従業員の心の中の何かが溶け、私たちの心の中のこれでいいのかという何かが変わるかもしれないではないか。

8 16, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | トラックバック(0)

2008年08月14日

貫ぬく光(八木重吉)

写真は札幌・北大植物園の桂の葉。葉がハート型。


歳を重ねると、青春期に繰り返し読んだ詩をとつぜん想い出したりする。

友人が八木重吉の詩を引用していたので、高校生の頃よく読んでいた彼の詩を思い起こす。
その詩集はとっくに手元には無いが、たぶん緑色の函入りの『定本八木重吉詩集』(弥生書房/1958)だっただろうと思う。


貫ぬく 光

はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかつたのです

ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福れ(いわわれ)ながら


『八木重吉全詩集1』(ちくま文庫)より


現在の東京都町田市1898年生まれ。キリスト教の洗礼を受けた後の詩作はわずか5年間。結核で1927年、29歳で夭逝。
故郷町田市に八木重吉記念館がある。

8 14, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 18.花・木・野菜・生きものたち, 22.旅先で | | トラックバック(0)

2008年07月25日

絵と詩のコラボレーションライブ「ふりつもる線/言葉」at 由比ガ浜

絵と詩の朗読によるライブパフォーマンス(7月20日「ジャック&豆の木」鎌倉由比ガ浜)。

ミョウガパーティーで知り合った高橋利哉さんの自作詩の朗読に合わせ、京都の忠田愛さんが絵を描く。

元々はジャコメッティが好きということからブログで知り合ったそう。
高橋さんが女声もほしいというので友人の舞台俳優・近藤佑子ちゃんを紹介し参加してもらう。
Partnerもスタッフとして手伝う。

語られ、流れ、ふりつもる言葉にあわせ、墨絵が描かれる。

カオリン(磁土)を麻のキャンバスに塗り、マスキングテープを貼った上からバーナーで焼く。

最後の詩は観客も参加して。

『10分間』という10枚の絵。
高橋さんのちょっとした言葉、たとえばこれは「どこまでが夜」に合わせ、1分、2分〜10分で描かれたもの。

左から、忠田愛さん、高橋利哉さん、フルートの古楽器トラヴェルソのyukiyukiさん、近藤佑子ちゃん。

打ち上げの「ラ・ジュルネ」で。
私は仕事で一杯だけ。


忠田愛ブログ「ふりつもる線」
高橋利哉ブログ「O, Sancta simplicitas!」
近藤佑子ブログ「3歩あるいて5歩さがる」

7 25, 2008 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 10.美術工芸 | | コメント(4) | トラックバック(0)

2008年07月02日

ルナ&マルティン

「いつ?どこ?だれ?なに?なぜ?」など今日の日本語レッスンを終えてルナと由比ガ浜へ。

マミィがマルティンを遊ばせているのを見つけて。

7 2, 2008 01.私の好きな鎌倉の風景, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ | | トラックバック(0)

2008年06月23日

ルナちゃんに『にほんご』を使って教える

安野光雅、大岡信、谷川俊太郎、松居直が編集にあたった『にほんご』(福音館書店)という名著がある。
1979年に刊行され、何度も手元からなくし、今持っているのは2007年3月の第49刷。

小学校で初めて学ぶ言葉の教科書の試案として編まれたが、これまでの国語教科書にはない特長がある。

谷川俊太郎が代表してあとがきに書いてあることをまとめると、

1.
文部省学習指導要領にとらわれない小学校一年生のための国語教科書を想定したものであり、現代日本の学校教育制度、教科書をなかだちとする教師と生徒の関係を無条件では前提としていない。

2.
「読み」「書く」よりも「話す」「聞く」ことを先行させている。
まだ読み書きがよくできない子どもでも、すでにかなり複雑な言語経験は持っているからだ。

3.
言語を知識としてではなく「自分と他人との間の関係をつくる行動のひとつ」としてとらえていること。
「ことばは口先だけのものでも、文字づらだけのものでもなく、全身心をあげてかかわるものだ」ということを知ってほしいこと。

4.
「ことばには心だけではなく、それと切り離せぬものとして体、つまり文体と呼ばれるものがある」ということを暗誦を想定した文例で示すこと。

5.
日本語を、世界にあるたくさんの言語のひとつとしてとらえること。
いわゆる共通語を基本とするが、地域語の持つ共通語にはない働きにも関心をうながすこと。

6,
日本語に関して、子どもたちに教え込む知識と総量があるとは想定しない。
母語である日本語を通して、子どもたちにことばと、ことばを通しての人間のあり方にめざめてほしい。
基本は教える者と教わる者との間の人間関係。
この「教科書」はもとより絶対的なものではなく、これをどう生かすかは個々の教師の工夫次第。


で、ルナちゃんの日本語レッスンのなかにこの本を使っての勉強を取り入れる。

まず、読み上げさせる。
ひらがなの字面をおってたどたどしく読み上げることはできる。
次に意味を理解させる(例によってスペイン語への翻訳ソフトも横で併用して見せる)。
私たちが日本語としての自然なイントネーションや区切りをつけて読んできかせる。
それにあわせてまた読んでもらう。
ノートにその通り書かせる。
というサイクルを基本としてときどき関連するような横道にそれる。

が、とっぱなでつまづいてしまった。
書いてある文章はこうだ。

ないたり ほえたり さえずったり、
こえをだす いきものは、
たくさんいるね。
けれど ことばを
はなすことの できるのは、
ひとだけだ。

最初の3行の意味を説明してもルナちゃんはなかなか理解できない。
日本の子どもだったら接続助詞「たり」は自分で使わなくとも「泣いたり笑ったり」「寝たり起きたり」などとしてすぐにわかる。
それは別としても、これをもし英語やスペイン語に翻訳するとしたら、構文の順はまったく異なってくる。

(世界には)声を出す生き物、(例えば)鳴く(猫とか山羊とか虫とか)、吠える(犬とか虎とか)、さえずる(鳥)ものはたくさんいる。

情報内容をプレーンに伝えようとすれば基本的にはこうなる。
(修辞的には他の順もいくらでもありうるだろう)。

私たちは日本語を頭から順に意味を分からせようとしてしまい、おそらくルナちゃんは、この文章の順番の関係がわからなくなってしまったのだ。
しばらくおいといて先へ進もうとすると彼女は釈然としない表情。
どうも納得できるまで理解しないと気が済まない性格なのかもしれない。
それはそれでとてもいい面なのだが、今の日本の学校の中では、どうしてそんなことも分からないの、と困ったちゃん扱いされるのがわかりきっているからちょっと気がかり。

何がどう分からなくて、どういう違った思考回路に入っているかをできるかぎり早く理解してあげること、の重要性にあらためて気が付かされる。


次の3行はまた別の意味で難題だ。

「文字」を使うことのできるのはヒトだけ、だったら分かる。
「ことば」を話すことができるのはヒトだけ?

犬だって犬語で話してるよ、人間のいうこといっぱい分かるし、ことばは違うけれど話してるよ、
とどうも10歳の頭の中で疑問がうずまいているらしい。

こういう子どもの疑問を決して切って捨ててはならない。

これは現代の言語学や生物学でもさまざまな学説がある、けっこう根源的(ラディカル)な疑問なのだ。

「ことば」をもし、他とのコミュニケーションをはかるために発声するものと広くとらえれば、犬も言葉を発している。

Micだって、食事前や親しい人が来たときの喜びのとき、散歩をねだるとき、八つ当たりしているとき、他の犬と遊びたい願望のとき、警戒威嚇のときでは同じ「ワン」でも全然違う。

人間は「言葉」を発声する音韻の複雑さやヒトが聞こえる音域に勝手に限定しているが、イルカや象のヒトになど聞こえない超音波や低周波での高度なコミュニケーションはどうなるのか?

象が2Kmも離れたはぐれた仲間と交信し、群に導くことができるような能力の前で、そんなに「ヒトのことば」は唯一の優越性を持っているのか?


「教える」ということは、何か一方的に知識や考えを授ける、というようなものではまったくない。
教え、教わるものとの関係の中で、互いに何かを発見していき、互いに豊かになっていくプロセスであるだろう。

6 23, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン | | トラックバック(0)

2008年06月21日

ルナちゃんに『ALWAYS 三丁目の夕日』を観せる

ルナちゃんに『ALWAYS 三丁目の夕日』を観せる。

横で私が「日ー英ー西翻訳ソフト」を使って打ち込み、スペイン語での説明をリアルタイムで示す。

「これは50年前の東京」(Es hace 50 años Tokio)
「東京は今とはまったく違う」(Tokio es ahora totalmente diferente)
「彼女は田舎から働きに来た」(Vino a trabajar del país)
「彼女は仕事が期待と違うのでがっかりした」(Porque era diferente de la expectativa en trabajo, fue defraudada)
「売れない小説家」(El novelista que no es popular)
「ルナと同じ小学校5年生」(Un quinto alumno mismo como Luna)
「彼は、彼女は自動車修理が得意と思いこんだ」(Le convencieron que estaba buena en la reparación del coche)
「彼女は借金をかかえていて、元の踊り子に戻らねばならない」(Tiene una deuda y debe devolverse a una muchacha del baile original)

といった具合。

「ただいま」「お帰り」「やったぁ〜」などと繰り返している。

感想は、muy lindo(かわいい)、interesante(面白い)、gusto mucho(とっても好き)


庭の色づいたミニトマトやワイルドストロベリーを摘ませたり、シソ、レモンバーム、バジル、三ツ葉、アップルミント、ペパーミントなどの葉の香りをかがせたりした後、麻心に連れ帰る。

父親のシンさんに、面白かった、泣きそうになった、と報告している。


写真は、混み合う店で配膳や片付けを手伝うルナちゃん。


讃『ALLWAYS 三丁目の夕日』
『ALWAYS 続・三丁目の夕日

6 21, 2008 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇 | | トラックバック(0)

2008年06月20日

マリー・アントワネットの処刑記事を読む

今月公開されたイギリスの代表的新聞社 "Times" の"Times archive" サイトは実にエキサイティング。
なにしろ1785年から1985年までのTimes紙2000万の記事、紙面が無料で(今のところ)読めるのだ、

1785年(18世紀末)! からだよ。

日本でいえば江戸時代後期、天明5年。将軍は家治の時代。
朝鮮,琉球,蝦夷,小笠原諸島を記述した林子平『三国通覧図説』が成った頃。

この年、イギリス産業革命のメルクマールとなったカートライトの「力織機」が発明された。
フランス革命、人権宣言はまだこの4年後だ。

歴史書からしか知ることができなかった、フランス革命も、ナポレオンの盛衰も、ラッダイト運動も、パリコンミューンも、その当時どう新聞記事として伝えられたかが見られる。

マリー・アントワネットがギロチンの露と消えたことを記した1793年10月23日の記事。

案内ツアーページ "Take our Interactive Tour"

アメリカの代表的新聞社 "New York Times" の
"TimesMachine"サイト
は、1851年から1922年までの紙面がPDF化され個々の記事にパーマリンクが貼られ、各種検索、テキストをコピーすることもできる。

こちらは同紙の宅配購読者にはすべて無料。その他はサンプルを見ることができる。
1916年4月16日付けのタイタニック号沈没ニュースの紙面。


いずれも新聞における情報編集、メディア史、紙面デザイン、タイポグラフィ、印刷史などの観点からも貴重。


将来的に通信・ネットワークに飲み込まれることを相変わらず理解できず、TVとの連携などで生き残ろうとあがく日本の大新聞社たち、考え直した方がいいよ。

という前に「新s(あらたにす)」なんてつまらないことをやっていないで、これに匹敵するくらいのことをしたらどうよ、世界一の発行部数だの良識の砦を誇る日本の新聞社。

6 20, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | トラックバック(0)

2008年06月18日

日本語レッスン初回

ルナちゃんの日本語レッスンを始める。

きょうは初めてだから私の家やお互いに慣れ、彼女がどのくらい日本語を理解しはじめているか、どういうことに興味を持ち、意欲をもっているかを知る段階。

日本語とスペイン語が交互に出てくるCDをかけてみるが、日本語の表現がどうにも大人のもので10歳の少女のものではないのでやめる。

ひらがなは読めるがカタカナはまだまだ。
書く方もこれから。
五十音順はなんとかわかるので小学生向けの国語辞典の引き方も少し教える。

かなは基が漢字であるにせよ表音文字だから性格は理解できるが、表意文字である漢字は難しい。
一文字で意味を持ち、かつ複数漢字の組み合わせで多様な意味を表す言葉をなす。
さらに漢字一文字は漢語(「中国語」)では一音だが、日本で使われる漢字は複数の音と訓があることをアルファベット圏で育った子どもに分からせるのは少しずつしかできない。

旅の指さし会話帳を使ってもスペイン語の質問が分からないと、西ー英ー日の翻訳ソフトに彼女が打ち込み(キーボード操作はけっこうできる)それをみて答える。

「10歳の子どもは漢字を覚えなくてはなりませんか」と出てきた。
小学国語辞典の後ろに小学校で学年別に学習する漢字表があるのでそれを理解させる。
9月から5年生に編入するのでここまではと教える。

互いに、ふぅ。

6 18, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン | | トラックバック(0)

2008年06月06日

スペイン語圏で育った少女に日本語をどう教えるか

コロンビアから先月やってきたばかりのルナちゃん(10歳)にPartnerと私が日本語を教えることになった。

ルナちゃんは9月から鎌倉の小学校に通う予定だが、スペイン語しかわからない。
こちらはスペイン語はほんのカタコト程度。

先日『旅の指さし会話帳 スペイン』をあげたらとても喜んでいたそう。

さて、どう教えていくか。

安野光雅『あいうえおの本』(福音館書店)、村上勉『あそぼうあそぼう あいうえお』(あかね書房)、五味太郎『ことばのえほん あいうえお』『かずのえほん 123』(絵本館)、『すてきなひらがな』『ステキナカタカナ』を本棚から引っ張り出して眺め、先月出た『素敵な漢字』(講談社インターナショナル)を購入。

どれも文字と言葉とそれを通した世界への想いがこめられた絵本作家の名作。

ルナちゃんにあげることにする。

6 6, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | | トラックバック(0)

2008年05月02日

「活版凸凹フェスタ2008」(東京四谷)始まる

朗文堂アダナ・プレス倶楽部の主催で「活版凸凹フェスタ2008」が始まった。
さまざまな活字活版印刷の作品、活版活字関係の展示・販売、ワークショップ等。

これは女子美術大学短期大学部学生の作品。

個人作家、阿部真弓さんの作品とそれを刷った活字の版、金属・樹脂版の展示。

私のところ(多摩美術大学造形表現学部デザイン学科)はまだ始めたばかりなので「活字組版・活版印刷」のワークショップ、授業での講習参加者の感想をまとめて、4年生の山崎祐三子さんにポスターを作ってもらって展示。


2008年5月2日(金)〜12日(月)
AM11〜PM6
CCAAアートプラザ
東京都新宿区四谷4-20(東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目・都営地下鉄新宿線曙橋)

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部

5 2, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン | | トラックバック(0)

2008年04月06日