北海道 そばの楽しみ
1 28, 2012 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
泊村、泊原発の近くに人口1900人、世帯数1000を切る過疎の村にまったく不釣り合いな建物。
「ほくでん原子力PRセンター・とまりん館」
例にたがわずつまらないキャラクター。
どこかの誰かがデザインしている。
藤田英晴くん(右)、佐沢一馬くん(左)
遠くから見ると薄いペパーミントグリーンのように見える原子炉上部ドームは、モンドリアン風のけっこう複雑なモザイク模様。
どこかの誰か(有名かも)がデザインしている。
このパネルは左側から見ると現状、右側から見ると建築前が見られる。
断崖が海へ落ち込む地を抉って作ったことが分かる、当時の道は海浜沿い、現在は背後にトンネル。
実物大のタービン・発電機とか蒸気発生器とかのイミテーション。
中央制御室を模したところではゲーム仕様。
「さあ、核分裂を起こしてみよう!中性子をうまく当てるんだよ」
フクシマ以前であれば、科学技術の「進歩」の粋として崇高なモノリスのように眺める人もいたかもしれない。
とっくに破綻している核燃サイクルとか窮余のプルサーマルとかの概念図。
安全のための五重の壁だのいかに格納容器の壁が厚いか、などの展示の空疎さ。核廃棄物は言うもがな……。
1 28, 2012 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
北海道(蝦夷地)の日本海沿岸の港や町はどこも似たような歴史を持つ。
江戸時代初期前後から「和人(シャモ)」たちが進出し、「土人(先住アイヌ)」を使役してニシン漁などを行い、土地を私有するという観念のないアイヌの人たちから生活圏と自然の恵みを奪い、富を「本州」に持ち去る。
明治維新後、蝦夷地は「北海道」として公的国際的に「日本国」に組み込まれ、台湾、朝鮮、満州のような「外地」ではないが「本土(内地)」でもない「国内植民地」とされた。
泊村は積丹(しゃこたん)半島の南付け根に位置する。
北上する対馬暖流がこの半島にぶちあたり、スケトウダラの一大産卵場でありウニの宝庫でもあった。
海とともに充分に生きていくことができたはずだった。
明治になる直前、漁師が発見した「燃える石」(石炭)は北海道初の炭鉱「茅沼炭鉱」として開発され、函館奉行所所管、明治政府官営炭鉱としての歴史をたどる。
アジア太平洋戦争末期、他の炭鉱と同様に炭鉱労働者の3/4は強制、自発的であるにかかわらず朝鮮人でありもっとも過酷な労働に従事した。
60年代、高度成長が始まり、国のエネルギー政策が石炭から石油、そして原子力へと変換するなかで、64年茅沼炭鉱は閉山する。
一万人を数えた泊村の人口は一挙に半減した(2011年現在、人口1911人、955世帯)。
全国のほとんどの原発立地と同様に、こういうところが目を付けられる。
村の有力者を籠絡して「誘致期成会」を作らせ、調査費をばらまき、69年立地決定する。
反対していた泊、岩内の漁協などには「海象調査」などの名目の「トロイの木馬」委員会などを作り、じわじわと「条件付き賛成」にしていく(74年泊漁協、81年岩内漁協、条件付き賛成へ)。
そこまでいけば後はいずこも同じ札束、札束……。
泊村の財政収入の8割は原発がらみの金。
金がなくなれば「風評被害」をたてに「振興金」をたかる、さらなる増設でもっと金をという自治、自立の精神そのものの荒廃、崩壊、喪失……。
写真は泊原発正門。
左を先端まで行けば原子炉が見えるかと雪路に乗り入れてみたが、見えないよう崖地がふさいでいた。
監視カメラとガードの視線が執拗についてくる。
この正門のすぐ下に拡がる浜は夏は海水浴場。
「♪人気(ひとけ)のないとこで泳いだら、原子力発電所が建っていた」
親会社が原発メーカー東芝(泊原発もそう)の東芝EMIから発売中止にされた清志郎の「サマータイム・ブルース」(1988)の世界。
RCサクセション/サマータイム・ブルース
1 27, 2012 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
暗くなってから決めて泊まったいわない温泉のホテル。
朝、窓から見ると泊原発が真正面に。ホテルのフロントマンにあれは原発?と訊くと「あ、そっすよ」
手前は人口1万5千人の岩内の街並み。
岩内町はかつてニシンの豊漁とともに栄えたが、今はスケトウダラとタラコの産地として有名。
そして泊原発に大きく依存している。
原発作業員は岩内の旅館などに分宿し、買い物し、飲み食いし、専用バスで通う。
北電社員は家族達をもっとずっと離れた南の方に住まわせている。
GoogleMapでこの突堤からだったら一番近い、と目星をつけていたところに我々が上ると、密漁やおそらくは原発へのテロを監視している巡視艇が向きを変える。
GoogleEarthでチェックすると、この岩内港の突堤からわずか3.7Km。
一番右がプルサーマル発電の稼働中3号基(4月に定検入り)。
1 27, 2012 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
北海道日本海側で最盛期1897(明治30)年には漁獲高が100万トンにのぼったニシン(現在はわずか100トンほど)。
食用、肥料として貴重で、これで財をなした者の「ニシン御殿」が立ち並んだ。
寿都(すっつ)町の現存するニシン御殿。1879(明治12)年築。当時の豪邸20軒分以上の金を注ぎ込んだ。
一本の釘も使わない和建築やオランダから取り寄せたガラスは見事だが、財の成し方はあこぎなブローカー。「仕込屋」といい、網元や漁師に資金、機材を貸しつけ、代金を数の子、身欠き鰊、鰊粕などで安く買いたたき、本州で高く売る。
1 27, 2012 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)
函館といえば塩ラーメン。
昨夏は エビス軒のバターコーンラーメン を食べた。
歳を重ねるとこってりギトギト系は合わなくなり、好みはさっぱり系に。
それならと藤田くんが連れていってくれたのが滋養軒。
とても丁寧に手間暇かけて造っただろう澄んでいるが滋味溢れるスープ。
二階で自家製している麺も適度な塩味にとてもバランスがいい。
これまでの人生で最高に旨かった塩ラーメン。
ここは何でもおいしく、夏の冷やし中華もと佐沢一馬くんもいう。
1 25, 2012 19.食と農、健康と病, 22.旅先で | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック(0)